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帚木(19)

 藤式部はできるだけ博士と顔を合わせないようにしていたが、しかしとうとう、ある宴の席で同席することになってしまった。

 博士が、盃を持って藤式部に近づいてくる。

(何と言われるだろう)

 とひやひやしていると、博士は藤式部に酒を勧めながら、

わがふたつの途歌ふを聴け」

 と言った。

──主人良媒を会す
   酒を置いて玉壺に満てり
   四座且く飲むことなかれ
   我が両つの途歌ふを聴け
  富家の女嫁し易し
  嫁ぐこと早ければ其の夫を軽ずる
  貧家の女嫁し難し
  嫁ぐこと晩ければ姑に孝あり
  聞け君婦を娶らんと欲るものならば
  婦を娶ること意如何──

 という、白氏文集の諷論二秦中吟「議婚」の一部を吟じたのだ。

家は貧しいが、この詩のように、うちの娘は『嫁』としては良いぞ

 ということなのだろう。

(白氏文集に則って、盃をもってくるなんていうのは、いかにも文章博士らしいやり方だけど──)

 藤式部は、その博士に感心しながらも、一方で困惑していた。

「英才な女」は、未だ若かった藤式部が関係を持ち、その知識は何人にも及ばぬほどであったのだから、藤式部と同い年か、若しくは少なくとも年上の人であった。

 となれば、その父たる博士は藤式部の父親と、そう変わらぬ年齢であったに違いない。

 その年配の男が、学才があるにしても下級の者が務める『文章』に就き、若い藤式部と比べても二つしかその地位階級が変わらぬ。

 しかも「娘が多くいる」というのだから、経済的にも苦しいことだろう。

 自分の娘を、自分よりは将来が有望な藤式部の妻として送りたいのは、分からないでもないけれど──。

 当時の藤式部は、英才な女と「それなり」の関係にはなったものの、その女を妻とする気は正直言ってなかった。

 相手の親の気持ちを思えば、このままの状況を続けて通っていくのも憚れたが、かといって女を妻とする気もなく、といって別れる気も起こらず──そうこうしながらも、踏ん切りつかずに「英才な女」との関係を続けていた。

 「英才な女」は情深く藤式部の世話をし、夜、床のなかでの語らいにおいても、身につく学問や、お役所勤めに役立つような理屈っぽい知識を教えてくれる。

  女の「筆の流れ」というものは男の藤式部から見ても「巧い」というより「綺麗」と呼べるもので、手紙をよこすにでも女が普通使う「仮名」というものは使わず、漢字だけで、いかにも「理にかなった」文を巧みに書き上げていた。

「女が、仮名も使わず漢字ばかりで……」

 藤式部も感心するやら、滑稽やら。

 しかし、そんな「英才な女」がおもしろく、いつしか──無意識ではあったが──その女を勝手に「師」とも思うようになって、色々なことを教えてもらうようになった。


帚木(20)

 男と女が──しかも、いわゆる「関係をもった」男と女が──それも女が男に教え、男が女に教わるようになったのは、今から思えば可笑しいものだ。

 しかし、当時の藤式部は、そのおかげで下手は下手なりに曲がりなりにも「漢詩」と呼べるものを作れるほどになっていた。

「文章生」である彼にとっては、かけがえのない財産の一つとなる。

 今にいたってもなお、その恩は忘れていない。

──が、その女を「妻として傍を離れず頼りにする」という発想は、藤式部は持たなかった。

「自分のような学問のない男は、いずれ何かと劣っている点を露見してしまうに違いない。

 その時、あの女に、はたして対等に言い合えるだろうか?

 女のほうの知性に圧倒されて、こちらが恥をかくのが『おち』だな」

 と思えたからだった──。




「──だから婚姻には踏み切れなかったんですよ。

 一人では何もできず妻の助けがいるような頭の悪い私でも、あそこまで「知識深い」女は──ねぇ。

 ましてや、貴方たちのような学高い若君たちには、しっかりした必要以上に切れ者の妻なんか、いらないでしょ。

『つまらない』とか『不如意だ』とか思いながらも、ただただ自分の意に適い、

『宿縁がもしかしたらあるのかもな』

 ということだけで別れられないということもあるんですから、男なんてかわいいもんですよ」

 藤式部はそう言うと肩をすくめた。

 その「英才な女」の話の続きがあることを察したのだろう、頭中将は、

「へぇ、変な女がいたもんだね」

 と、藤式部をそれとなくその気にさせた。

 もともと、藤式部も話さない気ではなかったらしい。頭中将のが「おだて」だと分かっていながら、それと知らぬような素振りで話しだす。

 小鼻のあたりが少し動きながら──それが、そんなときの藤式部の癖だった。




──女に久しく通わず、ちょっとしたついでに久しぶりに立ち寄ってみたときの事だった。

 普段、二人でいるときに寛いでいる居間に通されるものと思っていたが、違った。

 心外にも、襖を隔てた隣室に通され、侍女の話によれば、女とは襖越しに話さねばならないという。

「初めて家に上がる男じゃあるまいし──何故、付き合いの長い男と、こうもよそよそしく会わねばならない?」

 と、藤式部は納得できない。

──久しく通ってこなかったことを妬いているのか?

 と思えば馬鹿らしく、呆れてしまう。

(これもこの女と別れるいい潮時かな)

 そういう考えも浮かんでいるところに、ようやく女が隣の居間に着いたようだった。

(恨み言でもならべる気か?)

 藤式部がいろいろと反論の手を考えていると、この賢女ときたら、浅はかなやきもちをしている様子など全くない。

「男女の道理」というものを悟った様子で、恨み言一つ口にしなかった。

(……妬いているわけでもないのに──なんでこんなによそよそしいんだ?)

 藤式部は不思議でならなかったが、そんな彼の雰囲気を察したのだろう、女はせかせかした様子で慌てたように説明しはじめた。

「月ごろ風病重きに堪へかねて、極熱の草薬を服して、いと臭きによりなむ、え対面賜はらぬ。

 まのあたりならずとも、さるべからむ雑事等はうけたまらむ」

 と、本当に──皮肉まじりではあるが──感心してしまうほど、格式ばった言い様。

「最近『風』にかかっちゃってねぇ。

 ちょっと辛いから、蒜(ひる)の薬を飲んで、ちょっと臭くて、あなたと面と向かって会えないんだぁ。

 こうやって顔を会わせることはできないけれどぉ、ちゃんと『妻』としての用事はこなすからね」

……まあ、ここまで極端に打ち解けた話し方も必要ないが……しかし、男と女の、しかも「それなり」の関係にある二人の間で交わす会話は「それなり」に打ち解けていてよいはずだ。

「風病」とは、「風」が体内に入って臓腑に発すると言われる病で、脳溢血、高血圧症、神経痛、神経炎のことであるが、普通はただ単に「風」と呼び「風病」とは言わない。

「蒜(ひる)」──つまり「にんにく」を「極熱」と呼んだり、「堪へかねて」「……により」「え対面賜はらぬ」「まのあたりならずとも」など、こんな堅苦しい言い方は、いわゆる「男言葉」である。

 いかにも、この漢才豊かな女らしいが、そこがまた滑稽で呆れてしまう。

「にんにく臭くて会えない」

 風流のかけらもない──そのくせ女は男言葉をならべて風情を繕う。

 藤式部は嘆息を一つついて──何と言ってよいやら分からなかった。

 やっとのことで、ただ、

「承知した」

 と、できるだけ声に感情が出ないようにして言うので精一杯だった。

 女は、そんなよそよそしい藤式部の態度を、物足りなく思ったのだろう。

──もっといたわりの言葉を欲しかったに違いない。

「この臭いが消えるころには──病が治ったら──またいらして下さいまし」

 と声高々に言う。

 女の言葉を無視して聞き過ごすのも可哀相に思えたが、しかし少しの間も逡巡している場合ではない──

 こうしている間にも、にんにくの臭いが隣の部屋のこちらにまで臭ってきて苦しく、藤式部は明らかに逃げ腰になっていた。

──ささがにのふるまひしるき夕ぐれに
         ひるま過ぐせといふがあやなさ──

 蜘蛛のような動きで──蜘蛛がその糸で獲物を知るように──
 私の訪れを分かっているはずの、この夕暮れ時に、
『昼間は待って』──『蒜(ひる)の臭いが消えるまで待って』──というのは、理に合わないでしょう?

 何の口実?

 男がいるなら、はっきりとそう言ってくれていいんだよ?」

 と最後まで言い終わる前に走り去る。

 「男を存在を疑っている」ことをほのめかして、女に別れを告げたのだ。

 英才な女は後ろから、

──逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならば
     ひる間もなにかまばゆからまし──

 私と貴方が、一夜とて隔てることなく御逢いしている仲であるなら、
 昼に御逢いすることになろうとも、
 貴方の御姿が眩しいことはないのでしょうが──。

──疎々しい貴方のことですから、私は自分の蒜の臭いが気になって御逢いできないのです。」

 と歌を読む。

──さすがにあの女らしく、素早い返歌であった──。


帚木(21)

 藤式部がしずしずと落ちつきはらって言い終わると、源氏たちは、

「またまたぁ、そんな作り話をさぁ」

 といって笑った。

「どこにそんな女がいるっていうんだよ!」

「そんな女といるなら、おとなしく、鬼とでも会ってたほうがましだよ」

「気味の悪い話だなあ、もう嘘ばっかり」

 と皆でして藤式部を冗談めかして爪弾きをし、

「話になんないよ」

 と貶している。

「するなら、もう少しましな話をしろよ」

 と、頭中将が藤式部を責めるけれど、本人は、

「これよりも、面白い話がある?『現実は物語よりも稀なり』だよ」

 とすまして答えていた。




 夜もふけて、馬の頭は話のまとめに入っていた。

「男にしても女にしても全て、中途半端な者に限って、自分がわずかに知ってることを、知ったかぶって残らず他人に見せ尽くそうと思っているのは、困りものですね。

 三史五経やいろいろな専門の学問を、徹底的に究め尽くすっていうのは、さすがに可愛くないですけどね。

 女だからといって

『世間の公私のことなんか、全然知らない』

 っていうのはないでしょ?

  わざわざ勉強しなくても、ちょっと利口な女なら、見たり聞いたりしたことでも、すぐ覚えて、いわゆる『知識』になることも、自然と多いでしょうからね。

 そのあげく、漢字をさらさらと書いて、それほどの高い教養があるはずのない女同士の手紙に、半分以上もそういう調子で書き込んであるのを見ると

『ああやだ、もうちょっと女らしかったら……』

 って思える。。

 書いている本人はそうは思ってないんでしょうけど、そういうふうな漢字ばかりの堅苦しい文だと、自然と読む方もぎくしゃくした読み方になってしまうのは、やっぱり変でしょ。

 こういう女は、上席の女房のなかにも最近では多くなりましたからね。

 和歌を読むことに得意気になっている人が、次第に歌のことにばかり気を取られることが、ままにして多くありますし、そういう人が、初句からしっかり踏まえた歌を、こちらが忙しかったり、機嫌のすぐれないときにかぎって詠んでよこすのは、ほんと不愉快で。

 返歌しなければ気が利かぬ男と思われかねないし、かといって忙しくて『できない時』というものがあるんですから、そういうときには困ったことになりますよね。

 元日とか、九月九日の『重陽』のときに開かれる『節会』のような宴会がある時とかさ──

 ほら、五月五日になると、武徳殿に行幸があって菖蒲の鬘をつけた者たちに薬玉を賜って、競馬が行われるときなんかさ、すごく忙しいじゃない。

 そういう日の急いで参上しなきゃならない朝なんかで、落ちついて模様とか分別の『文目』でさえも考えられない時に、趣向を凝らして手紙に菖蒲の根の歌を贈ってきたり──

 菖蒲の長い根が厄除けになることは、こちらも知ってますけどさぁ──

 九月九日の宴のときに、こっちは宴で作らなきゃならない漢詩の腹案を

 『できるだけ趣向を凝らして、工夫して──』

 って真剣になって考えてて、暇がないのにさ、菊の露になぞって『涙』の歌を贈ってくるとか、ね。

 こっちはそういうことにいちいち付き合っておかないといけないでしょ。

 そういう特別な場合じゃなくても──ほんと、後になって見ると、お洒落で趣深いものではあるんですが──その時々の事情とか状況に合わず、こっちはそんなことを気にしてる場合じゃないのに、そういうことを全然察せずに歌を詠んでよこすのは、ほんと気が利かない。

 万事につけて、普通に考えて

『どうして今この時にこんな事?』

 って思える場合とか、いろんな折節とか、

『やっていいのかどうか、どっちかわからない』

 っていうときには、勿体ぶったり、風情ぶったりしないほうが無難でしょうね。

 すべて、自分が知っていることでも知らぬ顔で取り繕い、言いたいことでも、そのうちの一つ二つは言わないでおくっていうのがいいんじゃないでしょうかね」

 馬の頭がそういうと、藤式部はいたく感心していた。

 源氏は、ただ一人のことを──あの人のことを──心内に思い起こしていた。

──いままでの馬の頭の議論をもっても、あの人には足りぬところもなく、過ぎたところもない。

 「理想のいい女性」のそのままじゃないか──。

──やはりあの人は──。

 藤壺の比類のない「美しさ」に、源氏は独り胸を締めつけられる思いであった。

 結局、どうこうという結論が出ぬままに、最後には他愛のない話になって、四人はそのまま夜を明かした。




──外では、雨音が緩やかになっていくのが分かった──。


帚木(22)

 こうして天気も持ち直し、宮中の物忌みもそれにあわせるように解かれた。

 これほど長期にわたって宮中に滞在するのも、舅である左大臣に気の毒で、源氏は、頭中将たち三人と別れた後、宮中を退出し、妻である葵の上が待つはずの左大臣邸に向かった。

 左大臣邸の有り様は、文句のつけようのないほどきちんとしている。

 いまでは、左大臣の妻である大宮とともに「女主人」である葵の上の目が行き届いているからであろう。

 葵の上は、端麗で高貴であり、何事にもしっかりとしていて「乱れたる」ところなど表には全く見せない。

「こういう人を、馬の頭たちが褒めていた『実直で頼り甲斐のある女性』というんだろうな」

 と源氏にも分かっていた。

 しかし、そのあまりにも「しっかりとした」葵の上は、源氏に頑に心を閉ざし、気詰まりなまでにとりすまし、感情を感じることさえできない。

 姿を見せることもなく、几帳の向こうで独り座している。

 その美しいはずの葵の上の姿を、源氏は最近見ていない。

──私が求めているものは「妻」ではない──。

──そのようなものは二次的なもの──。

──葵の上は分かっておられない──。

──彼女が望んでいるものは──何だ──?

 世間話を話しかけても、葵の上が快くそれに答えてくれることはない。

 物足りなく、源氏は、葵の上付きの女房である中納言の君や中務などの若い女房たちと、冗談を交えながら談笑していた。

 暑さに、着物を少しはだけ気味に着込み寛いでいる源氏の様子を見ては、女房たちは、

「わぁ……かっこいい──」

 とうっとりしている。

 ちょうど左大臣が渡ってきて、源氏が寛いでいることもあって、几帳を隔てて対坐して、話も弾んでくる。

「ほんと、超暑いよね」

 源氏が冗談めかして苦い顔をして、女房たちを笑わせる。

「しーっ。

 静かに」

 と自分で笑わせておいて、人指し指を口にあて、脇息に寄り掛かる。

 そういう、いかにも貴人らしい源氏の振る舞いが、神がかりなまでに美しい。

──葵の上は、几帳の隙間から、その美しい源氏の姿を覗き見て──そして、独り胸を焦がす──。

──あれほど美しい光君が私の夫だなんて──。

──やはり私では不釣り合いに違いない──。

──私のような年増さな女では──。

──私のような淫らな女では──。

──あの美しい光君には似合わない──。

──きっと、光君は私を好いてはおられない──。

──私と婚姻をしたのも、父上と帝が決めたことだもの──。

──光君が望んだことではないのだもの──。

──光君と他の女性との浮名も、よく耳にするし──。

──それに──それに源氏は、他の誰かを特別に愛しておられる──。

──光君の心の中には、私はいない──。

──私には分かる──

──なぜなら私は──こんなにも光君を──

──でも、いまさら、光君に自らすがりつくなど、私にはできない──。

──私は、これでもかまわない──。

──私は、このままでもかまわない──。

──そうだ──このまま愛されずともかまわない──。

──それでも私は「妻」でいられるのだから──。

  葵の上は──己に言い聞かせていた──。


帚木(23)

 日も沈み、空は暗くなりはじめていた。

 左大臣も自室に戻り、葵の上も気分が悪いからと奥にいってしまっていた。

 源氏は、おもしろくなさそうに、横たわっている。

「あ!そうそう、光君、今夜は『中神』が内裏から塞がっておられるんですよ!」

「そうだわ、今日はお避けになる方角でしたわ」

 女房たちが慌てだした。

「中神」とは陰陽道を説く天一神のことである。

 六〇日を一周期とし、一六日は天井にいるが、以後五日あるいは六日ずつ八方に遊行する。

 その中神がいるという方向を「方塞がり」といって忌み、「方違え」をするのだ。

 その日は、内裏からこの左大臣邸への方角が、その方角にあたるため、それを避ける「方違え」のために、別の邸に移らねばならないのだ。

 こんなに遅くなるまで気付かぬなど、側付きの女房のとんだ失態であったが、源氏はそれほど怒っている様子も見せなかった。

「私の母方の実家も、同じ方向だしなぁ。

 どこに方違えするっていうの?。

 もういいよ、いまから動くにしても気分も乗らないし」

 源氏はそう言うと、そのまま寝入ってしまいそうになる。

「そんなぁ、それでは縁起が悪いですよぉ」

 女房の一人が困惑している。

「そうだ、紀伊の守の所なんかどう?」

 一人の女房がいうと、他の女房たちも賛同した。

「光君、『紀伊の守』の邸なんかがよろしいですわ。

 左大臣閣下に親しくお仕えされている方なんですけれど、東京極の中川の辺りの家で、最近、邸内に遣水を引き入れて、涼しい木陰も多いんですよ」

 女房が源氏に提案してきた。

「それ、いいね。

 気分が悪いからさ、牛車ごと入れるような所がいいものね」

 紀伊の守といえば、若い源氏から見ても目下の者である。

 今からでも、そして牛車ごと邸内に入れられるほど、気楽に行けるところではあった。

 ただ単に「忍んでいく」という「それなり」の所ならば、その気になれば多くあったはずだが、しかし、そこに行こうとは源氏は思わなかった。

 仕事に託つけ、今まで久しく左大臣家に──葵の上のもとに──通わなかったのに、珍しく通ってきた今日にも、

「方角が悪いから」

 などといって、予定を変えて、

「他の女のところに通っていった」

 と、左大臣が考えでもしたら──舅である彼が気の毒に思えた。

 紀伊の守ならば左大臣もよく知っている。

 源氏が方違いに行ったと知っても、少なくとも心配することはないだろう。

 心通わぬ妻の父とはいえ、あの実直な舅に源氏はできるかぎり気苦労をかけたくなかった。



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