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帚木(8)

 心置きなく家を空けられるほどしっかりした女で、変にあれこれと思い詰めるようなところが無いならば、それで、ね。

 うわべの『女としての風情』というのは、自然に身についていくものでしょうし。

 あ、思い詰めるというので思い出しましたけれども──

 しなやかに、いつも物恥ずかしい様子で、夫には──というか、夫の浮気には、普通の女なら恨み言を言うようなことでも、知って知らぬふりをして思い忍ぶ女って、いるじゃないですか。

 そういう、表面では平気な顔をして『操つくり』っていうふうにしてる女に限って、言いようがないほど寂しい言の葉を置き手紙に残したり、妙に風情溢れる歌を詠み置き、二人の思い出を忍ばせるような物を『形見』とでも言わんばかりにあからさまに置いていって、奥深い山里や俗世離れした人もいない海辺の里に、いきなり身を隠したりするものです。

 子供のころは、そういう『不幸な女の家出話』みたいな物語を、側付きの女房などに聞いて、ほんと、その趣に胸を打たれて

『そういう女の人は、心深く考えてのことなんだろうな』

 って涙を抑えても流れてしまったものですけど。

 今、人並みの大人になってみれば、そういう女の行いは、ほんと軽々しくて

『いかにも』

 って感じで嫌でね。

 愛情深いに違いない夫を無視してさ。

 いくら目の前の現実に辛いことがあるとしても、現実から逃れるために逃げ隠れて、夫を心配させ、その愛情の深さを試そうなんていうのは、結局は夫との縁も切れるきっかけとなってしまう。

 一生悲しい思いに耽らなければならなくなって、本当に詰まらないことですもの。

『よくぞ心深く決心なされたねぇ』

 なんていう無責任な周囲の声に煽てられると、女のほうもどんどん自分だけ盛り上がってしまって、終いには尼になって、悲劇の女を演じてみせる。

 自分の境遇に酔ってしまっている。

 本人は、そう思い立っているときは

『心澄んで、この世には何の未練も無い』

 っていう気持ちなんでしょうけどさぁ。

『えぇ?そんな悲しいこと……。こんな決心をなさるなんて……』

 などと、知り合いの人々が見舞いにきたり、その妻のことを別に嫌いにあったわけではない夫が妻の出家を聞いて涙を落とせば、召使や古参の女房が、

『ほら、あの旦那様も御心では、未だに愛していらっしゃるのに。その御身を……もったいない……』

 って、いまさらのように愚痴をこぼす。

 女も自分で額髪を掻きさぐってみても、昔に比べて簡素にしているものだから手応えがなく、今更に俗世から離れた自分の身が心細くなって、顔を顰めては目頭を熱くするものです。

 思い忍んでもやはり涙は零れ落ちるもんですから、折々毎に堪えられずいろいろ後悔することも多くなるでしょうから、仏様も

『未練がましいな』

 って思うんじゃない?

──蓮葉の濁りにしまぬ心もて
       何かは露を玉とあざむく──

 蓮の葉の泥の濁りにさえも染まらない、その清い心で、
 どうやって葉の上にある露を玉だと欺くというの?

 っていう歌じゃないけど、そんな生じっかな決意で悟りを目指したら、濁った俗世にいた時よりもかえって、冥土において悪しき地獄、餓鬼、畜生の三道に漂うことになってしまうと思うんだけどなぁ。

 絶えることのない二人の間の宿世の因縁があって、妻が尼になる前に、夫が連れ戻せたとしてもさぁ……

 ほら、二人の間にどんなことがあっても、そういう事を二人でやり過ごしていくからこそ、契りや情が深くなるものでしょう?

 でもそんな妻の家出みたいなことがあった後じゃ、自分も相手も内心忸怩たるもので、気も許せなくなってしまうではないですか。

 それにそもそも、自分には機嫌悪く他の女に心浮かれる夫を恨んで、表立って夫に背くような態度に出るなんてのは馬鹿馬鹿しいでしょ。

 たとえ夫の気持ちは他の女に移っているとしても、妻と知り合った時の愛情を夫がもっていれば、妻としての今の地位を持ちつづけることができるでしょうに。

 そういう夫の浮気をいちいち咎めるなんていう愚かしい事がきっかけで、夫婦の縁も切れてしまうものです」

 馬の頭は、長く話し続けて喉が渇いたのか、白湯を一口ふくんだ。

「全て万事について穏やかに、夫の行為で恨むべきところも

『知っておりますのよ』

 ってさ、ほのめかす程度にして。

 恨みがましいことも、事を荒立てずにそれとなく言ってくれれば、それにつけても男の愛情も深まっていくものです。

 多少のことなら、男の浮気心も、妻のほうの出方次第でおさまりようもあるものですから。

 逆に、むやみやたらに勝手気ままな夫がするままに放任するのも、端から見れば気楽で可愛らしく見えますが、自然とそういう妻は軽んじられてしまうもんです。

『繋いでいない舟が浮かんで漂っている』

 っていうのも、実際面白くない。

 そうなったらおしまいでしょ?

 そう思わない?」

 馬の頭がそう言うと、頭中将はいやに頷いている。


帚木(9)

 頭中将は、座りなおして、自分で納得するように話しだした。

「さしずめ、綺麗だとか可愛いとかで気に入っている女に、不義とか無節操の疑いがあるときには大変だろうね。

 男のほうに不心得がなくて見過ごすなら、女の不心得を直してでも夫婦生活を続けれないこともないですが、必ずしもそうはうまくいかないものです。

 とにかく何方に問題があるにしても、『何か』あったときには気長に我慢するよりほかにないでしょうね」

 そう言いながら、

(妹の葵の上と源氏の君にぴったりの話題なのに)

 と思ったが、源氏は狸寝入りを決め込んで、議論に加わらないようにしている。

──光君の巧みな言い様を聞きたかったのにな。

 どうやって話をまとめただろう──

 と、物足りなく、面白くなく感じていた。

 馬の頭は弁論博士になりきって話を続ける。

 頭中将や藤式部の丞は、その理屈を聞き遂げようと、すっかり話に入り込んで、受け答えしていた。

「いろんなことに比較して考えてみましょうか。

 道具を作る指物師で言うと、いろんなものを思いに任せて作りだすのも、その折々の趣味的な道具できちんとした作り方も決まっていない物なら、作り上げたのの洒落た感じなのも、

『へぇ、こういうのもありか』

 って、まあ、『あり』ですよね。

 その時々に合わせて趣向を変えて、今風に作っているのに目が移って、趣深く思うものもあるでしょ。

 でもね、疎かにできない本当に大切な、家でも

『豪華に』

 って思ってる調度品でさ、決まった様式のある物を、難なく作ることになると、やっぱりほんとの名人っていうのは、一味違ったものと一目で分かるものです。

 趣味的な道具は、趣味的に作るものだから指物師の腕前が見えにくいものですけれど、家の調度品というものは、その出来ばえで腕前が分かるものです。

 絵の製作の一切を取り仕切る『絵所』には、名人と呼ばれる人が多いですけれど、ほら、絵の輪郭とか構図の線描きをして指示をする『墨がき』っていう偉いさんがいるでしょ。

 その墨書きに選ばれるほどの上から下への優劣の違いはすぐ見ただけではわからない。

 けれど、人が見たこともない蓬莱の山、荒海の恐ろしい魚の姿、唐国の勇ましい猛獣の形、目に見えぬ鬼の顔とか、おどろおどろしく大げさに描いた絵は、心に任せて描いてあり、一際見る者を驚かせ、写実的ではないですけれど、まあ、それはそれでいいでしょう。

 一方、それに比べて世間一般の大和絵の、山の佇まい、河水の流れ、見慣れた人家の有り様、それに

『なるほど』

 と思える親しみ深く穏やかな風景なんかを、しっとりした構図に点景して。

 その後ろには、険しくないなだらかな山の景色を世離れた寂しげな様子で幾重にも重ね描いて、再び手前に身近な籬(かき)の中を描くとなると、その心配りや描法の面で、名人の絵には、ほんとその絵に{{{『勢い』}}}っていうのがあって、そこら辺の者では及ばないところが多いもんです。

 創造的な生き物の絵は、筆に任せて描いても{{{『それなり』}}}に見えるものですけれど、写実的な山水画は、その上手下手がすぐ分かりますからね。

 字を書くことで言えば、深い教養もないものの、手紙のそこら中で、筆を走らせるように書くもんだから、点の所が長く尾を引いて、そこはかとなく気取って書いてあるのは、ぱっと見は賢そうに際立って見えますけれど。

 やっぱり本物の{{{『筋』}}}というものを丁寧に書いてあるのは、まあ表面的な書道の技法は消えて見えるけれど、今一度並べて見てみると、うん、やっぱり、本物の{{{『筋』}}}というものを心得ているほうが良いことが分かるものですよ。

 ね、こんなことでもこうなんだから、まして、ねぇ。

 人が──女が──そういういろんな折々にあたって女っぽく気取ってみせる、見た目だけの風情なんかは

『信頼できたもんじゃない』

 って、考えるようになりました。

 というのも、こう見えてもいろいろありましてね。私も、いろいろ学びましたよ」

「へぇ、どんなの。聞かせてよ」

 藤式部の丞は、興味津々に詰め寄った。

 馬の頭も言い惜しみするつもりはないらしい。

「それじゃ、若き日の話を。

 好色めいた下世話な話ですけれど」

 と、膝を進めた。

 狸寝入りを決め込んでいた源氏も、その話に体を起こす。

 頭中将はとても熱心な様子で、頬杖をつくようにして話に聞き入っていた。

 何処かの法師が世の真理を説教する所にいるような雰囲気なのも、端から見ていると滑稽だが、本人たちは、そんなことを気にしてはいない。

 こういうときだからこそ、各々の『夜の閨に男と女の交わした言の葉』というものまでも、隠さずに話してしまうのであった。

 馬の頭は大きく息を吸った。

「まだ私が──」


帚木(10)

──馬の頭が、まだかなり下級の役職に甘んじていたころの話だ。

 そのころ、愛おしく思えるような女が、特に一人いた。

 が、先程も馬の頭が言っていた話に出てきた女のように、容貌に「欠点がない」というわけではなく「美しい」わけでもなかったから、「若い男の甲斐性」などと勝手に称して他に美しい女性との浮気も多くあり、その女を「終生の伴侶」と心に決めていたわけでもなかった。

「まあ、家のことも任せられるし──頼りになる女ではあるな」

 とは思いながら、やはり「女」としては何となく物足りなく、馬の頭は、とかく女性の出入りの華々しい生活を送っていた。

 女のほうもそういう馬の頭の所業を知って、そのような馬の頭が憎らしく、やきもちを焼く。

 馬の頭はそんな女が不愉快で、

「こんなふうじゃなくて、もうちょっとおおらかさを持った人ならなぁ」

 と思ってしまう。

 女が、浮気のたびごとにあまりにしつこく疑うのも煩わしく、が逆に、

「こんな取るに足らない、身分の低い男に愛想も尽かさず、よくもまあ」

 と思うと、心苦しくも思え、自然、浮気心がおさまるようなこともあった。

 この女の性格は、もともとは自分には至らぬことについても、

「何とかしてこの人のために」

 と、馬の頭のために無い知恵を絞り、得意でない面の心得についても、

「『駄目な女だな』とは思われまい」

 と努力を惜しまない。

 とにもかくにも、まめやかに馬の頭の世話をする。

 つゆにも馬の頭の心に違わぬようにと心掛ける。

 最初のうちは、馬の頭も

「勝気な性格の女だな」

 と思っていたが、しだいに、それなりに、その女に対する優しさも身についていくように思えた。

 美しくない容貌も、彼女なりに気に掛けていたようで、

「馬の頭に疎まれはしまいか」

 と常日頃から、華々しく化粧もするようになった。

 それほど親しくもなく、彼女がどんな人かを知らない馬の頭への来客があれば、

「馬の頭が、恥ずかしい思いをするかもしれない」

 と、人前に出るのを恥じてはばかる。

 そんなふうに、女は嗜みを忘れることなく、馬の頭も連れ添ううちに、

「気立ても悪くない」

 と思うまでになっていったが、ただ一つ、例の憎らしい「嫉妬」というこの一つだけは、直ることがないようだった。

 当時、馬の頭が考えたことがあった。

──こんなに、なんでもかんでも私の言うことを聞くのなら──

 何とかして彼女が懲りるように、「別れるぞ」ってほんのちょっと脅し賺してみてみれば、あの嫉妬心も少しは直り、口やかましさもおさまるだろう──

 それなりの計画を立て、ある日、女のところを訪れ、話の途中にわざとらしく機嫌を損ねてみせた。

 殊更に、愛情無く冷淡な様子を見せると、女は例のごとく腹を立てて恨み言を言いはじめる。

 馬の頭は

(しめた)

 とばかりに、

「こんなに勝気な性格を押し通すなら、たとえ二人の間に深い宿縁があろうとも、その宿世に逆らって二度と逢わないでおこうよ。

『これが限り』と思うなら、そうやって分別無く、人を疑っていればいいさ。

 もし、これからも行く先長く連れ添うつもりなら、辛いことがあっても我慢しなよ。

『いい加減』ていうのがあるだろ?

 貴女のその嫉妬心さえなくせば、『いとあはれ』って思うだろうに。

 将来私が人並みに出世し、少しはそれなりの貫祿もつくようになったら、貴女に他にはまたとない『正妻』とするものを。

 そうすれば他の女も及ばないのに……」

 などと、自分ながらに、

(巧く説教じみたことを言えるもんだな)

 と思いながら、調子に乗ってまくし立てた。


帚木(11)

 が、女の様子が、どうも予想どおりではない。

 馬の頭の別れ話に驚くどころか、仄かに薄笑いを浮かべて、

「貴方がいろんなことにおいてみすぼらしくって、その低い現在の身分を我慢して

『いつかは人並みに数えられるほどに出世するでしょう』

 と待つことなら、まあ、いくらでものんびりと思っていられますから、貴方の出世をどれだけ待たされても妬ましくはありません。

 けど、でもね、貴方の辛いその御心に堪えながらも、その考えが改まることもあろうと、このまま年月を重ねるようなあてにならない期待は、貴方の出世を待つことに比べて、私にとってほんとに苦しいものでしょうから、互いに別れるのに良い時期でしょうね」

 と、小癪なまでに言ってのける。

 自分の計画がうまくいかなかったこともあって、また、女にそこまで言われたこともあって、馬の頭は腹立たしく、ひどい言葉をあれこれと言い立てた。

 女も、我慢できないようなことまでも言われてしまい、さっと馬の頭の手を引き寄せると、突然、彼の指に噛みついた。

「痛っ!」

 指に、はっきりと女の歯形がついて傷になった馬の頭は、大げさに文句を付ける。

「こんな疵(きず)までもついてしまったからには、いよいよもって人と会うこともできなくなったじゃないか!

 これじゃ、仕事にならないよ。

 貴女が先程馬鹿にした私の低い官位の出世も、いよいよ難しく、もう人並みの立身も叶わなくなった。

 私なんか、出家するのが分相応ってことなんだろうよ!」

 そう言いおどし、

「じゃあ、今日こそおしまいだね」

 と、指を曲げたまま出ていこうとした。

 その去り際、傷ついて曲げた指を見せつけるようにして、

──手を折りてあひ見しことを数ふれば
           これひとつやは君が憂きふし──

 貴女と逢ってから今までのことを指折り数えて思い出せば、
 今回のことだけが、私が君を嫌いになった理由ではなかったと思えてくるよ。

 今までずっと何度も、君のその嫉妬心に、私は気が滅入っていたのだもの。

 今回のことだけを恨むことはできないね」

 と、歌ってみせる。

 伊勢物語で、主人公が四十年連れ添った妻に送った、

──手を折りてあひ見しことを数ふれば
         十といひつつ四つ経にけり──

 という歌の前半をそのまま借りたものであったが、片や女との別れの歌、片や長く連れ添った妻との思い出を振り替える歌。

 その理不尽さに、さすがに女も涙を流しだした。

──憂きふしを心ひとつに数へきて
      こや君が手をわかるべきをり──

 貴方の不条理な仕打ちを、この心一つに耐え忍んできましたが、
 今この時が、貴方と別れる潮時であるのかもしれませんね

 女がそう歌って──決定的となった。

 しばらく言い争いながら、馬の頭は女の家を出ていった。

 もともと馬の頭は、女に嫉妬深い性格を直してもらおうと思っていただけだから、本気で別れるつもりはなかった。

 とはいうものの、直ぐにまた女の家に行くのもばつが悪い。

「まあ、頭を冷やすいい機会だろうさ」

 と自分なりの言い訳を付けて、何日間経っても手紙も出さず、浮気相手の女の間を行き来してふらついていた。


帚木(12)

 しばらくして──十一月の下の酉の日に行われる賀茂の臨時の祭りを、間近に控えていた頃だ──。

 賀茂の臨時の祭りでは「東遊び」という東国ふうの歌謡にあわせて行う舞楽を、神前で奏するのだが、その役が馬の頭にあたり、その日も夜遅くまで練習に追われて帰りも遅くなってしまった。

 日が暮れて、激しく霙が降りつける夜だった。

 練習も終わり、各々退出して別れるところで、

「さて帰ろうか」

 と思っては見たものの、よくよく考えてみると、やはり「わが家」と言える様な所はあの女の所しか思いつかない。

「宮中に外泊するのは殺風景だし、気取った女のところも落ちつかないしなぁ」

 と思え、また、

「今頃どうしているかな」

 という思いもあって、様子を見がてら、女の家に寄ってみることにした。

 雪を払いつつ、女の家に入り、一応、物陰から家の様子を窺った。

 何となく体裁も悪く、きまりの悪い気もしたが、

「いくらなんでも、こんな雪の夜に予告もなく尋ねれば、あの勝気な女の恨みも解けるだろう……」

 という考えもあって、仄かな期待もなくはなかった。

 家のなかでは、灯が仄かに壁に向かって照り、その反射で辺りがひっそりと明るい。

 冬用に柔らかな綿をつめて厚く繕ってある衣が、大きな伏籠にうちかけて香を焚き込めながら暖められている。

 引き上げられるような几帳などの垂れ絹は、全てうち上げられていて、人の来訪を、

「今宵こそは」

 と待っていたかのような様子だ。

「そら、どうだ。

 なんだかんだ言いながら、やっぱり私を待って……」

 といい気になって家に近づいたが、当の本人の姿が見えない。

 それなりの女房だけが邸に残り、その女房たちの話によれば、

「親元の実家に、今夜は御帰りになられております」

 とのこと。

 艶な歌を詠んで置いてあるわけでもなく、『いかにも』という置き手紙があるわけでもない。

 馬の頭にとってしてみれば、まったく素っ気なく風情もなく、拍子抜けした感じがしてしまう。

 それに、今夜自分が家に来ることを女に見透かされていたようで、悔しい。

「あれだけ口うるさく私に容赦がなかったのも、私に『嫌われたい』という気持ちがあったのかな」

 などとも考えてしまい、その夜は、気分を損ねたまま女の家を後にした。

 しかし、よくよく考えてみれば、その夜、女の家で伏籠にかけてあった着物は、いつもより『心とどめたる』と分かるほど念の入った色合い、仕立てで、本当に馬の頭の好み通りで、やはり、馬の頭が去った後にも彼のことを思って世話準備をしていたのであったのだろう。

「まあ、私に愛想を尽かすようなことはあるまい」

 と、馬の頭にはそういう考えが──自惚れあったから、後々にも、とかく事有るごとによりをもどすよう誘ってみたが、女ははっきりとした返事を出さない。

 馬の頭が面はゆい思いをしない程度に返事を送ってはきたが、その内容もただただ、

「今の貴方のままでは、我慢して見過ごす、という気にはなりません。

 改心なさって心落ちつけて頂けるのでしたなら、また貴方と御会いいたしましょう」

 と書いてあり、女の本心が見えない。

「会いたいのか?会いたくないのか?

 どっちなんだよ」

 と馬の頭は困惑し、

「まあ、だからといって思い切ることもできまい」

 と勝手に片づけてしまった。

 女にちょっと懲らしめられたぐらいで、

「はい、そうですか。

 これからは改心いたします」

 というのも、男として口にすることもできず、ひどくお互いに意地の張り合いをしていたが、そのうちに、女はたいそう深く思い悩んでしまったのか、思い嘆きながら、突然この世を去ってしまった──。




「その女が死んでしまいましてからは、冗談も言えないくらいの思いがしました。

 頼りにして、一切を任せられる妻としては、ああいう女でよかったと、今でもふと思い出してしまいます。

 何であんな大人げないことをしてしまったのかと……。

 もっと、あの女にするべきことがあったに違いないと……。

 ほんとに大事なことでも、言い合うほどの『甲斐』というものがあった女でね。

 染物の手並みにおいても、紅葉を染めるっていう秋の女神の龍田姫に勝るとも劣らない、いや、龍田姫そのものだと言っても過言ではないほどでしたよ。

 裁縫について言えば、たなばたの織り姫にもひけをとらないのでは、と思えるほどで、そういう技芸的な面も身についていて、ほんといい妻だったのに……」

 馬の頭はそう言うと、

「本当に可哀相なことをしてしまいました」

 と思いに耽った。

 それを見て、頭中将は、

「その『たなばたの織り姫の裁縫に……』っていうのは二の次にしても、七夕伝説の二人のように、長い契りであったならね。

 後撰集の、

──逢うことはたなばたたつめにひとしくて
       裁ち縫ふかたはあえずぞありける──

 貴方と逢うことは、あのたなばたの二人と同じように数少ないのに、
 貴方に頼まれた仕立物を縫うのは、織り姫のように完璧にはいかないものね

 というふうには、なりたくないものだからね。

 それにしても、馬の頭がそれだけ言うくらいだから、その『龍田姫』の染物は、またとないものだったんだろうな。

 ほら、染物っていうのはさ、はかない花や紅葉にたとえられるものでしょ。

 季節になると、さっと色づいてさ。その折々の風情を解せず、季節や情景に衣の色合いが相応しくなくて拙いのは、紅葉に露が映えないのと同じくらい見応えがなくて、露のように消えてしまいそうで、際立たないもの。

 そういうことがあるから『妻を選ぶのは難しい』と、我々の話も結論が出ないでいるんだものね」

 と、とりもった。

 馬の頭も、気を取り直して話を続けた。

「さて、また同じ頃にね──」



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