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帚木(2)

 五月雨が、徒然に降り続くうちに日も暮れて、しめやかな宵の雨の中、侍臣の詰所である殿上の間は人も少なく、源氏がいる宿直所も普段より長閑な感じがする。

「人がいないっていうのは、こんなに長閑なものだったかな」

 源氏は独り呟くと、明かりを近づけ書物などを読み始めた。

 そこにちょうど殿上の間に入ってきた頭中将は、入ってくるなりいきなり、源氏の側に無防備に置いてあった本箱らしきものの中に入っていた、色とりどりの紙に書かれた文を引き出して読もうとした。

「ちょっと、もう。

 入ってくるなりそんなことをするなんて、大人気(おとなげ)ないですよ」

 源氏は、優雅な様子で本を読むのをやめ、頭中将から手紙を取り上げると、箱の中に丁寧に戻した。

「何が入っているのか、ちょっと見たかっただけなんだけど」

 と言って、頭中将はしきりにそれらの手紙を読みたがる。

 源氏はこの有能な年上の友の子供っぽさが、どうにも憎めなかった。

「差し支えないものなら、少しはお見せしますけど……。

 中には貴方に見られては困るものもあるし」

 と意味ありげに微笑んで、条件を付けて許した。

「そんなぁ。

 そういうふうに貴方が

『人に見られては困る』

 って思ってる文こそ、こっちは見たいって思うんだよ。

 普通のありふれたものはたいてい、私みたいにつまらぬ男でも分相応に女とやりとりして見ることができるのだし。

 女たちがそれぞれ、男のことを

『恨めしく思っております』

 とかさ

『貴方の訪れを心待ちにしている夕暮れ時に』

 みたいなことが書いてあるものこそ、見所があるってものだよ」

 と、頭中将は子供っぽい恨み言を言った。

 もともと、源氏のことであるから、本当に大切で絶対に人に見せられないような文を、こんなところに置いてあるはずがない。

 この箱のなかにある物が、二流に気の置けない──大したことのない物であると分かっているから、頭中将もこんな無理をいうのだ。

 結局、源氏のほうが折れ、名前や場所が分かってしまうようなところはさすがに手で隠しながら、見せることになった。

「へぇ、よくもまあ、いろんな手紙を持っておられる」

 頭中将は、半ば感心し半ば冷やかしながら、

「これはあの人じゃないの?」

「この字は見たことがあるな。たしか──」

「ああ『桜たち散る』って、こんな言い回しをするのは──あの女でしょ?」

 と、その文の主を聞いてくる。

 中には言い当てているものもあり、とんでもないいい加減なものもあって可笑しかったが、

「さあ、どうですかね」

 と、源氏は言葉少なにして何とか誤魔化した。

 一通り読み終わり、源氏が手紙を片付けだしても、未だに頭中将はなんとか名前を言い当てようと頭をひねっている。

「貴方こそ、こんな文を私よりも沢山お持ちでしょう?

 少し見せてよ。

 その上で、この箱の中の物も全て快く開いて見せてさしあげますよ」

「光君が御覧になるような価値のあるものなんか、ほとんどないでしょうよ。

 貴方に見せられるような、きらびやかな恋愛なんかしたことがないもの。ただね──」

 頭中将は、そう言って話を変えた。


帚木(3)

「ただね、『これなら大丈夫』とこちらが思えるような、非の打ち所のない女というのはいないものだな、と最近になってようやく分かってきましたよ。

 表面だけの繕(つくろ)った風情──そうだな、例えば字をすらすらと書いて、その折々の男が送った歌に相応しい返歌を『心得て』送るといったことなら、それなり人並みにできる女ぐらい多いと思いますけれど。

 一つのことに対する技量に注目して女を選ぶとなると『絶対脱落しない』っていうのは結構難しいものでね。

 女が、自分が『心得て』できることだけを、各々が得意気に鼻高々になって、他の女を『自分よりも劣る』って勝手に決めつけて馬鹿にする、みたいな笑止千万なことの多いこと、多いこと。

 娘に親が付きっ切りに大事にして

『楊家に有り初めて長成れり、養はれて深窓にあれば人未だ識らず』

 っていうのを真似してさ、輝かしい将来が約束され、楊貴妃のように深窓のなかで箱入り娘として育てられる間は、その娘の未熟な僅かな才芸を伝え聞いた若い男が、心動かされるということもあるでしょうけどね。

 それはそうでしょう?

 ただでさえ

『良家のお嬢さんで世間に出ることもない』

 というのだけでも『奥ゆかしく』思える上に、人づてに『~が得意らしい』って聞けば、もっと見たい知りたいって私でも思うもの。

本当のところはどれだけ上手いのか、男には分からないしね」

 頭中将は、自分や源氏が『良家のお嬢さん』を妻としていることを忘れたかのように話を続けた。

「まあ……女性っていうのは、お姿が可愛らしくておっとりしていて、男もいなくて暇を持て余している若い頃なんかは、ちょっとした芸事でも

『人がやるなら私も』

 ということで、心を入れて稽古することもあって、自然と一芸をなんとか人並みにこなすこともありますよ。

 でも、その娘を直接知っている側付きの女房などは、他人に話すときはその他の劣った面を隠すものだし、『それなり』といった程度のことは実際以上に取り繕って、男に伝えるものです。

 男のほうは本当のことを知らないのだから

『それは嘘だ』

 って勝手に馬鹿にすることもできない。

 だって、本当だったら失礼でしょ?

 それに本当であるほうが男には嬉しいことだしね。

 ということは、実際のところは自分で確かめるしかない。

『できる人』だということを信じて。

 願って。

 まあ、『本当かな』と期待をして行って『がっかりしない』っていうことはまずないと思うけどね」

 いっきにそう話して息をついた。


帚木(4)

 今の頭中将の話が、全部が全部というわけではないが、思い当たることもあったのだろう。

 源氏は、

「今の話みたいな『未熟な才芸さえもない女』とかってさ、いるものかな?」

 と笑った。

「さあね。

 ただ、そんな酷い女がいたとしても、どこの誰が人に乗せられて、のこのこ通って行くっていうの。

 いくら私でも、ね?

 そこまで間が抜けてるつもりはないよ。

 それにね、全然取り柄がない駄目な女も『優なり』と思えるほど素晴らしい女っていうのも、どちらも滅多にいるもんじゃない。

 女が身分高く生まれると、多くの者にかしづかれ『人目につかぬ点』というのも多くなって、奥ゆかしく思えてしまい、自然と端からは素晴らしく見えるんでしょう。

 やっぱ、神秘的っていうのは、一番の魅力だからさ。

 でもね、中流の女こそ、それぞれの心、気質、標榜する個性的なところが明瞭で、各々の女一人一人が、他から際立つ点を色々と多く持っているものです。

 それより下の身分の女となると、格別気も引かれなくなりますしね」

 と、頭中将がいやに詳しく説明してくれるのが、源氏にはおもしろく、意地の悪い質問をしてみたくなる。

「その『身分』というのがね、いまいちさぁ、分かりにくくない?

 どういうのを基準に上、中、下というふうに三つの品に分けるんです?

 もともとは身分高く生まれながら、今はその身落ちぶれて、位低くなり貧乏しているのと、普通の──例えば四位、五位の者が三位以上の上達部などにまで出世して、得意気に邸を飾りたて人に劣らずっていうのとは、どちらを上で、何方を下にして区別をつけたらいいんですか?」

 源氏が頭中将に詰め寄っていると、左の馬の頭、藤式部の丞の二人が、ちょうど物忌みにこもるために参ってきて、話に加わってきた。

 左の馬の頭は、左右ある馬寮の左方の長官。

 藤式部の丞は、宮中の礼式、文官の勤務評定、選叙を司り、大学寮を管轄する『式部』省の三等官の『丞』で、『藤』の字を姓にもつ名家の出である。

 二人とも、頭中将とさほど変わらない年齢でありながら、五位、六位相当の地位についているのだから、かなりの出世株である。

 また、二人は当代切っての粋人で、常日頃、女性相手に鍛えられた弁舌をもつ者たちだったので、源氏も頭中将も歓迎し、四人でこの『女の身分』について意見を交わすこととなった。

 しかし、頭中将、左の馬の頭、藤式部の丞という、浮名を流すことに関してはあまりにも有名なこの三人が集まっての、しかも女の話であるから、耳をふさぎたくなるような話も多かったが。

 源氏は、この年上の友人たちがどんな話をしてくれるのか、正直楽しみだった。

 自分のことは話すつもりのないのが、源氏の意地の悪さだ。


帚木(5)

 馬の頭が、まず話を切り出した。

「いわゆる『成り上がり』でも、それが元々ふさわしい家柄でない者は、世間の人々の心証も、やはり違うものです。

 また、もとは高貴な家筋の人でも、権勢門家とのつながりが薄いことで世間を渡る手づるに乏しく、時勢に埋もれ落ちぶれて、名声も地に落ちてしまうと、気位だけ高くてもいろんなことで思い通りにならず、いろいろみっともないことも出てくるでしょうしね。

 それぞれ判定をつけて、間をとって『中の品』っていうのが妥当だと思いますよ。

 国主たる『受領』として中央から離れ、地方国に関わり為政し『中の品』と決まっているような中にも、またいくつも段階があり『中の品でも、かなりな者』というふうに選ぶような御時勢ですからね。

 そこいらの上達部より、大弁とか兵衛の督とか蔵人頭とかみたいな『非参議の四位』などのほうが、巷では結構尊敬されて、もともとそれほど家格の低くない者が『あくせくせずに、のんびり』っていう雰囲気なのは、いかにも爽やかですよ。

 家のなかに足りないものがたとえあっても、そんなものはほっておいて、その分のお金をけちらず賭けて眩いばかりに育てられた娘で、結構立派に成長しているっていうのも多いですしね。

 その中には宮仕えに入内し『思いもかけない幸福』を手に入れる女もいるんだよ」

「それじゃ結局は、お金があれば『品』なんてものはどうにでもなるって、そういうことですか」

 源氏が茶化すと、

「貴方らしくもなく、思いがけない言いようだね。

 意地悪だなぁ」

 と、頭中将は笑った。

「そうだな──」

 馬の頭は、あごに手をやり、考えをまとめながら話を再び始めた。

「もともとの家柄と、金や実績で得た現在の信望とが二つとも高くて、一致して『やむごとなき』っていう家の姫の、実際の振る舞いや雰囲気が『劣っている』のを知ってしまうと、

(なんでそんなふうに育てられちゃったの)

 ってがっかりするのは、言うまでもないですね。

 それに、家柄がそれなりに高い姫君が『優れている』っていうのは当たり前すぎて、逆に……ねぇ?

『そんなの当然』

 って思うと、珍しくとも何ともなくて心も動かされない。

 上流中の上流にいる女のことは、誰かさんたちと違って、私には手の届かぬ世界の話ですから、今回は置いておくことにしまして──」

 馬の頭がそう言ったのは、上流中の上流に属する源氏や頭中将に対する、彼らしい皮肉だった。

「『この世にあり』と人に知られることもなく、寂しく荒れ果て、人の出入りもなく葎が生え絡まって開かなくなってしまった門の中に、思いがけず可愛らしげな女の人が閉じ込められるようにして居るのは、凄く美しく見えるものです。

 ほら、

『人気のない陋屋に美女を見つける』

 っていうのは昔から定番でしょ?

『どうしてこんな所にこんな美しい人が?』

 っていう意外さに、不思議と心留まれるものなんですよ。

 例えば、父親が年老い、むさ苦しく太りすぎて、兄の顔は憎らしげでさ、その男家族どもを見ていると

『その家の女じゃ、たかが知れている』

 って思ってしまうものですが、その家の閨の奥に、気品高い娘が、何かちょっとしたことだけで『たしなみ』というものが滲み出るっていうのは、ね?

 それがたとえ生半可な才芸だとしても、『思いのほか』じゃないなんてことある?

 絶対、意外で趣深いよね。

『完璧な女じゃないとだめ』

 っていうならしようがないけど、普通は結構捨て難いものだよ」

 そう言って馬の頭は、藤式部の丞の方を見てにやりと笑う。

 藤式部の丞には妹がいて、その妹の美しさが相当なものだという評判があるのを知っていて、馬の頭は話題に出したのだ。

 馬の頭がにやりとしたのを見て初めて、藤式部の丞は自分のことを言われているのだと気付き、そっぽを向いてしまった。

「兄の顔は憎らしげ」と言われてむくれた藤式部の丞を見て、馬の頭と頭中将は笑った。

 その三人を横目に、源氏は独り思いを巡らす。

(馬の頭はああ言っているけれど、実際はどうなんだろう──。

 上流の女でさえ『優れた女』なんかそうはいないもんだ。

『中の品の女』に、そんな素晴らしい女がいるものかな──?)

 未だ若い源氏は、「中の品の女」というものを知らない。

 普段から内裏に侍ることが多く、巷に広がる噂ほどには、女性遍歴が頭中将たちのように華々しいわけではない。

 上流の女はそれなりに知っている。

 が、「中の品の女」などと知り合う機会も、つもりも、今まで無かった。

 藤壺に似る人を求めて──同じように高貴な女性を求めて、上流の女ばかりに気を取られていたが──。

(『中の品の女』か──)

 源氏の、心の声にも現さぬ、密かな決心だった。

 独り物思いに耽る源氏に、頭中将は気付いた。

 源氏の、白い下着衣が柔らかく、その上には直衣だけを袴である指貫も履かずに少し乱れ様に着こなし、直衣の襟を止める入紐もささず、枕によりかかって楽な姿勢で寝そべり、燭台の火に浮き立つ姿は、何とも言えず美しい。

「女なら、さぞ……」

 と、不埒な考えをして、頭中将は独りほくそ笑む。

(このように美しく、奥ゆかしい婿殿を持っては、親父も気苦労の多いことだろうな……。

 葵が気恥ずかしく、頑に心を閉ざすのも分かる気がする──)

 頭中将の率直な感想だった。

(この人には『上流中の上流』っていう女でも不十分だろうな──。

 その光君の方が思いを寄せる女など──誰だ?)

 頭中将は、そんな奥底の見えぬ──見せぬ源氏を、気に入っていた。


帚木(6)

 いろんな人の身の上話を話に織りまぜながら、馬の頭は話を続けた。

「ただ単に『恋人』として付き合うだけなら、難のある女も少ないでしょうけれど、自分の『妻』として頼りになる人を選ぶとなると、五万といる女の中からでもなかなか『これぞ』と決められる人はいないものです。

 そうでしょう?

 男の社会でも、朝廷に仕え、捗々しい世の礎という人々の場合でも、『真に優れた政治家』となるべき人物の名を挙げるとなると……ね?

 そう滅多にいるもんじゃない。

 女も男も『本物』を探すのは難しいもんです。

 しかし、いくら国政が重要な仕事だとしても、一人や二人で天下の全てを執り行い政事を整える、というわけじゃない。

 上の者は下の者に輔けられ、下の者は上の者に従い──というふうに大勢の男が朝廷に仕え、仕事を分担していますから、融通も利き、少しの問題なら何とかなるもんです。

 でもね『家庭』というのは、国朝と比べれば余りにも狭いですけど、その主たる妻は一人しかいない。

 国政と家事とでは話も違ってくるんです。

 不十分ではいけないことや、完璧じゃないといけないことが家庭にだって多いもの。

 しかも妻はその家に一人なわけですから、一人でそれらを全て取り仕切らねばならない。

──そゑにとてとすればかかりかくすれば
         あな言ひ知らずあふさきるさに──

 っていうふうにね、こうするとああだし、あちらがああなら、こちらがこう──と、人並みな妻としての面を全て持っている十分な女は、少ないもんですよ。

 まあ、私も浮気心半分で『女』というものを多く見比べようというんではないですけれど。

 ただただ頼りになり、家のことを任せられるような女を妻としたいという気持ちで

『おんなじ結婚をするなら、自分があれこれと欠点を矯正しなくてもいい、心に適う女と結婚できぬものか』

 などと思っていると、いざ選び初めた女の人とも、なかなか結婚に踏み切れないものですよね。

 いざ結婚をしてみて、必ずしも自分の希望が充分に叶ったわけではないけれど

『これも何かの縁だろう』

 ということだけで女と別れないでいる男は

『篤実な人柄だ』

 と見られるし、男に捨てられない女にしても

『何か取り柄があるからなんだろうな』

 と、周りの者は思います。

 でも……ねぇ?

 現実の夫婦を多く見ていると、『及びもつかず偉く立派な夫婦』なんか見たことない。

 名門名家の若君方が『この上ない女』を御探しになる御縁組には、ましてどんな女性が御似合いでしょうねぇ」

 馬の頭が、意味ありげに言った。



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