目次
1. 出会い
2. アンジェリカ=ナール=ラグランジェ
3. ジーク=セドラック
4. セカンド・インプレッション
5. 彼女のペース
6. 嵐・始まり
7. 圧倒
8. 初めての
9. 箱の中の少女
10. とまどい
11. 白と黒
12. 蒼い瞳のクラスメイト
13. 闇と静寂のひととき
14. レモンティ
15. 交錯するそれぞれの想い
16. 実技試験
17. 届かなかった5分間
18. 呪われた子
19. 告白
20. 血塗られた家系
21. それぞれの理由
22. 突然の訪問者
23. 長い一日
24. 10年前の傷跡
25. 新しい傷
26. 後味の悪い別れ
27. 狂宴
28. 踏み出した一歩
29. 3人目の招待客
30. プレゼント
31. 動揺
32. 友の思い、親の思い
33. 説得
34. 友達だった
35. 敵状視察
36. 甘い憂鬱
37. 渇いた心
38. 仕組まれた孤独
39. 家出
40. 不条理な交渉
41. 迷走
42. 騙し合い、そして
43. 過去への扉
44. 血のつながり
45. 一ヶ月
46. 月の女神
47. 彷徨う心
48. 幸せの虚像
49. 光と闇
50. リング
51. 国家機密
52. 遺恨
53. 辿り着く場所
54. 小さなライバル
55. 新たな再会
56. ふたり
57. 臆病なすれ違い
58. 弟
59. 個人指導
60. 最後の夜
61. 潜在能力
62. 捩れた一途
63. 譲れないもの
64. 忘却の中の再会
65. 泡沫の奇跡
66. 若者と権力者
67. パーティ
68. 過去から続く未来
69. うそつき
70. 親子のかたち
71. 一緒にいたい
72. あきらめ
73. 進路
74. 動き始めた長老
77. 難しい選択
75. 取引
76. 特別な普通の日々
78. ずっと忘れない
79. それぞれの覚悟
80. 天使の名を持つ少女
81. 絡み合う矛盾
82. 決意のゆびきり
83. 優しい研究者
84. 遠くの空と冷たい床
85. 最強の敵手
86. 大切な人のために
87. 涙
88. 白い世界
89. 伸ばした手の先
90. 責務
91. 自分の足で
92. 本当のこと
93. 結婚式
94. 未来へ繋ぐ一歩(最終話)

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8. 初めての

 不思議な感覚だった。さっきまで本気で戦っていた相手に、傷を負わされた張本人に、手当てをされている。しかも、その手当ての的確さ、手際の良さは、素人目にも明らかだった。ジークはただその不思議な感覚に飲み込まれたまま、おとなしくなすがままにされていた。
 アンジェリカはラウルの横でこまごまと手伝いをしていた。一方のリックはただおろおろしているだけだった。
「たいしたことはない。腕の骨には多少ひびが入っているが、あとはかすり傷だけだ」
 一通りの手当てを終え、残った包帯を片づけながらラウルが言った。それを聞いてアンジェリカとリックはそろって安堵の息をもらした。しかし、当の本人のジークは相変わらずぼーっとしているだけだった。
「アンジェリカに感謝するんだな。アンジェリカがいなければ、これごときではすまなかっただろう」
 ラウルの続けざまのこの言葉に、ようやくジークが反応した。急に思い出したように、腰掛けていたベッドから勢いよく跳び降り、アンジェリカの方に体を向け、堰を切ったように問い詰め始めた。
「あのすんでのところで結界を張ったのはおまえか! あの一瞬でよくあんなことが……」
 ジークは驚き、感心したように言った。しかし、視界の隅のラウルに気がつくと、はっとしたように彼を指さした。
「というか、おまえとこいつはどういう関係なんだ?! もしかしてこいつとなにか企んでたのか? 名門のラグランジェ家の娘がわざわざアカデミーに入ること自体、不自然だよな!」
 アンジェリカは怒るというよりも呆れ顔で、一息おいて反撃を始めた。
「助けてもらっといてありがとうの一言もないのね。それにさっきも言ったと思うけど、『おまえ』じゃなくて『アンジェリカ』。『こいつ』じゃなくて『ラウル』。あと、ラグランジェ家の娘がアカデミーに入っちゃいけないなんてきまりでもあるの? わたしがここで学びたいと思ったから来たのよ。どうして不自然なの? 言い掛かりつけないで」
 一瞬たじろいだものの、ジークもまだ負けじと切り返す。
「はぐらかすなよ。いちばん肝心なことの答えがないぜ。おま……アンジェリカとこいつの関係だ」
 それを聞いて、アンジェリカはくすっと笑った。予想もしない反応に、ジークはいぶかしげな顔を見せる。
「なに、その台詞。奥さんに浮気された亭主みたい」
 10歳の子供とは思えない台詞である。どこで覚えたのか謎だ。ジークが対応に悩んでいると、アンジェリカは続けて核心部分の話を始めた。
「私ね、子供の頃からちょくちょく王宮に行っていたのよ」
 今でも子供だろう、と突っ込みたかったが続きが気になるのでおとなしく次の言葉を待った。
「両親が用事を済ませるまでの間、ラウルに預けられてたのよ。それで遊んでもらったり、魔導を教えてもらったりしてたってわけ。ラウルがここの先生になったことは、わたしも今日初めて知ったのよ」
 言われてみれば、至極常識的なことだった。さっきまで自分が考えていたことの方が、よっぽど突拍子もない。ジークは苦笑いした。
「よかったね、ジーク!」
 さっきまで固唾を飲んで二人のやりとりを聞いていたリックが安堵の表情で声を掛ける。何が良かったのかさっぱりわからないが、ジークはついうなずいてしまった。
「実技の手伝いは難しいけど、ノートくらいなら僕が貸すから」
 リックの何気ない一言に、いきなりの現実を突きつけられた。アカデミーに今日入学したばかりで、あいつとやりやって教室を半壊させ、しかもその相手は担任で……。ジークは一気に不安に襲われた。せっかく入学したのに即退学にもなりかねないことをやらかしてしまったのだ。ノートがどうとか、そんな悠長なレベルの話ではない。
「なぁ……」
 気まずそうにラウルの背中に呼び掛ける。それだけで、ラウルは彼の心中まで察したようだった。
「安心しろ。人的被害はほとんどない。やめろと言われることはないだろう。ここには個性の強いやつも多く、ときどきこういうことも起こる。呼び出されて注意くらいはされるだろうがな」
 それを聞いて、ジークの表情は一気に明るくなった。が、一方リックは冷や汗を浮かべた。
「ときどき起こるって……」
 もう苦笑いするしかなかった。
 そんなリックのことなどまるで眼中にないらしく、ジークはしばらく考えてから声を張り上げた。
「よし! 卒業するまでにはおまえに勝つ!」
 そう言ってまっすぐラウルを指差したジークには、いつもの自信に満ちた表情が戻っていた。いや、高慢さが消えて挑戦者としての気概が表れている分、前よりいきいきしていた。

 このとき初めてジークは目標とすべき相手を見つけたのだ。


9. 箱の中の少女

「おっしゃー!!」
 あれから3週間。ジークの腕からギブスが外された。ほぼ完治である。
「まだ無茶はするな。と言っても無駄だと思うが」
 ラウルがいちおう釘を刺すが、やはり言っても無駄のようである。ジークはさっそく腕をぶんぶん振り回していた。早く使いたくてうずうずしている様子だ。
「思ったより早かったわね、治るの」
 用済みとなったギブスの後片付けをしながら、アンジェリカが言った。
「日頃の鍛え方が違うんだ」
 ジークは嬉しそうに言った。その姿は、自信家というより、むしろ無邪気な感じに見えた。アンジェリカは、はいはいといった調子で適当に受け流していた。リックはその後ろで、にこやかな顔をして立っている。

 あの事件以来、ジーク、リック、アンジェリカの3人でいることが多くなった。とはいっても仲良しこよしというわけではなく、ジークとアンジェリカはなにかにつけて言い争っている。それをリックがなだめるというパターンだ。それはそれでバランスが取れていていいのかもしれない。
「10歳の女の子相手に、何もそんなにムキにならなくてもいいんじゃないの?」
 ふたりきりになったときに、リックはジークに言ってみた。
「10歳だろうが女だろうが、ムカつくものはムカつくんだよ」
 それがジークの答えだった。

「アンジェリカ?!」
 突然リックが素頓狂な声をあげる。
「え? なに?」
 いきなり呼ばれたアンジェリカは何ごとかと思い、隣のリックを見上げた。リックはジークの背後を指差し固まっている。ジークとアンジェリカは指されたものを探すために振り返った。それを見た途端、口を開いたままでジークも固まった。
「あ、これ今日からだったのね」
 アンジェリカだけひとり冷静である。いや、ひとりではなく、後ろの方でカルテの整理をしていたラウルもいたって冷静だった。
「なんだこれ!!」
 ジークは驚いてるのか怒っているのか判別がつかないような口調で叫んだ。アンジェリカは、なぜ大声を出すのかわからないといった表情できょとんとしていた。
「公報広告よ」
「じゃなくて!! なんでおまえがってことだ!!」
 リックが指を差していた先には、白いワンピースを着たアンジェリカが森の中にたたずんでいる映像があった。テレビという小さな箱の中に。
「史上最年少で王立アカデミー合格。おまけに名門ラグランジェ家のひとり娘だ。まわりが放っておくわけないだろう」
 アンジェリカの代わりにラウルが答えた。よほど驚いたのか、二人は反論も返事もできないままただ呆然としている。アンジェリカは本当に不思議そうに首を傾けていた。
「ただの公報広告にちょっと出ただけなのに、なにをそんなに驚いてるの?」
 感覚の違い。アンジェリカにとってはちょっと出てみただけという感覚だったが、どちらかといえば田舎町で育ったふたりにとってはテレビの中は別世界。その別世界に目の前の子がいたという事実は、かなりの衝撃だったのだろう。近くに感じ始めていたアンジェリカが、一瞬、遠い人のように思えた。
「……なんでオレには声がかからねーんだ」
 しばしの沈黙の後、ジークがぽつりとつぶやいた。アンジェリカとリックは顔を見合わせ、そして吹き出した。
 ジークの真意はわからないが、その一言でその場が和んだことは間違いなかった。


10. とまどい

 あれ以来、アンジェリカはアカデミー内では知らない人がいない存在になった。もともと史上最年少トップ合格者ということで噂になっていたところに、あの広告が輪を掛けた形となった。普通に歩いているだけでも先輩、他の学科の生徒から先生に至るまで、いろいろな人に頻繁に声を掛けられる。アンジェリカはそういった声を掛けてくる人たちと、笑顔で気軽に話をしている。今まであまり多くの人と接する機会が少なかっただけに、こういったことが嬉しいらしい。
 一方のジークはそれが不愉快らしい。ジーク、リック、アンジェリカの3人でいることが多いだけに、そういった現場に遭遇することも当然多くなってくる。ジークはそのたびに不満をあからさまにしていた。ときには、話をしているアンジェリカの腕を引き、無理やりその場から引き離したこともあった。本人は授業に間に合わなくなるからといっているが、それ以外の感情が入っていることは、その顔を見れば明らかである。
「もう! ヤキモチ焼くのもほどほどにしてほしいわ!」
 ジークのあからさまな態度や行動に、アンジェリカも少し困っている様子だった。
「誰がおまえなんかにヤキモチ焼くか。おまえだけチヤホヤされてるのが気に入らないんだよ」
「……ジーク。それをヤキモチっていうんだよ」
 リックが苦笑いを浮かべながら言った。

 アンジェリカだけがチヤホヤされているのが気に入らない。ジークは自分の不愉快な感情の理由付けをこう考えていた。が、なにかもやもやしたものが残る。間違ってはいない。だが、それだけではなにかが足りない。なのに、自分で説明できないのである。そのことが、彼の不愉快な感情を増幅させていた。しかし、彼はこのことを誰にも言わなかった。あえて言わなかったというよりは、言おうと思わなかったのだ。

「そうだ、リック。今日は私たち当番よ。そろそろやらない?」
 今日最後の授業が終わって、しばらく外で缶ジュースを飲んでくつろいでいたところで、アンジェリカが切り出した。当番は教室の片づけをすることになっている。今日はアンジェリカとリックがふたりで当番だった。
「そうだね。そろそろ行こうか」
 リックのその言葉と同時に、アンジェリカは座っていたベンチから立ち上がった。そして、横に立っていたジークの顔を見上げた。
「ジークは? どうするの?」
「ん? ……待ってるよ」
 ちょっと迷ったような、歯切れの悪い答え。
「待ってるだけ? 手伝ってくれないんだったら先に帰っていいわよ」
 挑発するように、アンジェリカが切り返す。ジークはすぐに返答することができなかった。
「私を待っていたいっていうんならいいけど」
 アンジェリカは悪戯っぽく笑いながらそう続けた。
「誰がおまえなんか待ってるか! 先に帰るからな!」
 売り言葉に買い言葉でとっさに口を突いて出たその言葉に、ジークはあとに引けなくなってそのまま背中を向けて歩き出した。
「ジーク!」
 リックのその声にジークは足を止めた。
「またあしたね」
 ジークは振り返らず、ぶっきらぼうに片手を上げて、今度は早足で歩き出した。やり場のない怒りと、早くそこから立ち去りたいという思いが、彼にそうさせていた。リックが止めてくれると思ってしまった自分自身に腹が立った。同時に、恥ずかしくも思った。

 ジークは今まではいつも自分の思うように、迷いなく行動してきた。だが、最近はとまどいが彼を揺さぶっていた。原因となっている人物はわかっている。が、なぜなのかという理由がまったくわからずにいた。

「ジークって……」
 去っていくジークを眺めながら、アンジェリカが問いかけた。
「昔からあんな感じだったの?」
 リックは少し首を傾げて考えた。
「最近ちょっとおかしいかも。昔はもっと強引でわがままで自分勝手だったかな」
 言いたい放題である。
「そう。あ、そういえば最初に逢ったときってかなりそんな感じだったわよね」
 そう言って笑ったアンジェリカの笑顔には、屈託がなかった。


11. 白と黒

 年中、気候が温暖で過ごしやすいこの世界。
 だが。今朝はいつもと違う。植物には白い霜が降り、吐く息も白い。多少は暑くなったり寒くなったりすることはあるが、ここまで極端に寒くなるということは今までなかった。未知のことが起こっている。人々はいい知れぬ不安に襲われていた。

「凍える……」
 アカデミーへ向かう途中のアンジェリカが、口の前を白くしながらぼそりとつぶやいた。息をするだけで肺の奥に突き刺さりそうなほどだ。その一瞬でも体温を奪われていくのを感じ、つぶやいたことを後悔した。その身には脇が閉まらないくらいの重ね着。見た目など気にしている場合ではない。しかも、まだそれでも足りていない様子だ。背中を丸め、アカデミーの門をくぐろうとしたとき、もやの中にジークとリックの姿を見つけた。やはりふたりともみっともないくらいの重ね着をしている。
「おはよう」
 語尾が消え入った、覇気のない声でリックが挨拶をした。ジークは身をすくめたまま、声を出さず手のひらだけ軽く上げてみせた。アンジェリカも同じポーズを返す。声を出す気にもなれないようだ。リックにはかすかに笑顔が見えるが、アンジェリカとジークは青白く、今にも死にそうな顔をしていた。

 三人同時にアカデミーの門をくぐる。と、突然。何かに包まれたように寒さが和らいだ。暖かいとまでいかないものの、普通に動き、会話ができるくらいだ。3人はお互い顔を見合わせた。
「わけわかんねぇことばかりだな」
 ほとんど独り言のように、ジークが言った。
「ある種の結界みたいなものかしら」
 アンジェリカも独り言のように言う。そう言いながら、見えない何かを探して辺りをきょろきょろ見渡していた。しかし、ちょっと見ただけでそう簡単にわかるものではない。アンジェリカもそのことは承知していたので、本気で探そうとしていたわけではなかった。
 教室に入ると、三人とも着すぎた服を脱ぎにかかった。
「すごく疲れたわよね。ヨロイでも着てたみたいだわ」
「動きづらい分、ヨロイよりもタチが悪いぜ」
 そういいながら、ジークとアンジェリカは、脱いだ服を無造作にロッカーに投げ込んでいた。一方、リックは丁寧にたたんでしまっている。彼がふと横を見ると、同じ動作をしてるふたりがいて、思わず笑えてきた。このふたり、似てるな。そう思ったが、思うだけで口には出さなかった。ものすごい剣幕で否定されることは目に見えていたからだ。
 ガラガラガラ——。
 少しの軋み音を含みながら、前の扉が開いた。
「席につけ」
 いつもの調子でラウルが言う。生徒たちはバタバタと慌てて席についた。空席が目立つ。三割くらいは来ていないようだ。
「突然だが」
 そう前置きして、ラウルは一息おき、続けた。
「四大結界師のひとり、レイ=リューリック=クライスが亡くなった」
 教室内は水を打ったように静まり返った。
「柱のひとつを失ったことで、この世界の秩序がバランスを崩した。今朝からの異常な現象は、それによるものだ。近いうちに後任の結界師も決まり、元に戻るだろう」
 この世界は四大結界師により支えられ護られていることは、誰もが知るところだ。ただ、その柱を欠いたときにどうなるかということは、ほとんどの者は知らなかった。
「夕方から葬送式を行う。各自それなりの格好をして集まれ。家に帰って着替えてもいいし、ここで貸し出しもしている。いったん解散だ」
 そう言っても席を立つものは誰もいなかった。
「アンジェリカ」
 呼ばれるままに席を立ち、ラウルについて教室を出ていった。
 そして、間もなく生徒たちがざわめきだした。

 ラウルの医務室。そのまん中にアンジェリカが立っている。入れたての紅茶をふたつ手にしたラウルが奥から戻ってきた。ひとつをアンジェリカに手渡す。それを無言で受け取り、そして、尋ねた。
「なんで……死んでしまったの? まだ、若かったわよ」
 まっすぐラウルの瞳を見つめる。アンジェリカの大きな瞳はかすかに潤んでいるようにも見えるが、その表情からは感情をうかがうことができなかった。
 ラウルは紅茶をひとくち流し込み、一拍の間のあと答えた。
「事故だ。幼い子がオートバイにひかれそうなところを助けて、代わりに自分がはねられた。打ちどころが悪かった」
 机の上にティーカップを静かに置く。アンジェリカも同じようにティーカップを置く。その中は手渡されたままの状態で、ひとくちもつけられていない。
「魔導の力でオートバイを吹き飛ばすくらいのことは出来たはずだが。そうすると、相手が無事ですまないと思ったのだろう。自分より他人の命が大切とはな」
 軽く息を吐いて、目を閉じた。
 アンジェリカは表情を閉ざしたまま、淡々とつぶやいた。
「私だったら……私が同じ状況になったら……どうするのかしら」

 低くたれ込めた空から白いものが舞い落ちる。それが世界を覆い、目に見えるもの総てを白く染め上げ、音さえも掻き消し、静の世界を創り上げていた。
 色彩も音も奪い去られたその世界に、ただ追悼の鐘の音だけが響き渡った。

 王宮の中庭。ここで葬送式が執り行われる。ここも例外でなく、白く、冷たく、静かだ。そのことがいっそうこの場の厳粛さを増していた。
 家族、親族をはじめ、王室関係者、アカデミーの学生など、何百人もの人々が参列している。アンジェリカたちはアカデミーの学生として最後列あたりに並んでいた。
「あんまり面識がなかったからな。いまいちピンと来ねぇな」
 重苦しい雰囲気の中、ジークは隣のアンジェリカにだけ届くくらいの声でつぶやいた。しばらくの沈黙の後、アンジェリカが口を開く。
「私の父の友人だった」
「え?」
 聞き返すジークの声に反応せず、続ける。
「私も、かわいがってもらっていた……なのに」
 目を微妙に細める。その後に言葉は続かなかった。

「凍てついた涙」
 空から舞い落ちる白いものを誰かがそう呼んでいた。人の温もりに触れて融ける様がそう呼ばせたのだろうか。

 再び、鐘の音が鳴り響いた。鋭くまっすぐなその音が、冷たく世界を締めつけた。


12. 蒼い瞳のクラスメイト

「俺、四大結界師を目指すぜ!」
 まだ肌寒さの残る中、ジークは顔を上気させ、ひとりで熱くなっていた。ジークとは対照的に、アンジェリカとリックのふたりは、寒さのために身をすくめている。ふたりともあまりジークの話には関心を示さず、ただ黙って歩いているだけだった。それでもジークはおかまいなしに話を続けた。
「かっこいいよな。自分が世界を護るんだぜ」
 両方のこぶしを握りしめ、興奮をあらわにしている。そんなジークを横目で見ながら、アンジェリカが冷ややかに言い放った。
「あんな人柱のどこがいいのよ。毎日地味に結界に力を送り続けるだけで、誰もあまりありがたさを実感してくれないじゃない」
 それでもジークの熱は冷めることはなかった。
「おまえみたいなお子さまには男のロマンはわかんねぇよ。な、リック」
 アンジェリカの向こう側にいるリックを覗き込んで、白い歯を見せながら同意を求めた。
 だが、リックはから笑いを浮かべた。
「僕もどっちかっていうとアンジェリカの意見の方が……」
「なんだ。おまえもまだまだお子さまだな」
 肩をすかされたジークは、力の抜けた声でひとりごとのように言った。

 アカデミーの門をくぐる。そこを境に少し暖かくなっていることは、寒さの和らいだ今でもまだ感じることができる。これも、結界の力なのだろうか。

「でも、現実問題として、難しいんじゃないかなぁ」
 リックが冷静に分析をする。
「世界でたった四人だけ。しかも滅多なことで交代はないんでしょ」
 ジークは口の右端を軽く上げ、不敵な笑みを浮かべると、リックの分析に切り返した。
「いいや四人中三人はジジイだし、俺がアカデミーを卒業する頃にはチャンス到来かもな」
「チャンスはいずれ来るとは思うけど、それでもなれるとは限らないわよ」
 周りの空気が暖かくなったことで、アンジェリカの口は次第に滑らかになってきた。
 一方のリックは、苦笑いしながらも、周りをきょろきょろうかがっている。ふたりが悪びれる様子もなく失礼なことを言っているので、他の人に聞かれてはしないかと冷や冷やしているのだ。
「いーや」
 ふたりの二歩前を歩いていたジークは、足を止め、振り返り、胸元で軽く握りこぶしを作った。
「俺はチャンスさえあれば、必ず実現させるぜ」
 自信とやる気をその瞳にみなぎらせ、きっぱりと言い放った。

「私も四大結界師を目指してるわよ」
 ふいに聞こえたなじみのない声に、三人は一瞬動きを止めた。なじみはないが、その落ち着いた、深みのある声には聞き覚えがあった。
「男じゃないけどね」
 というと同時に、教室の扉の内側からひとりの女性が姿を現した。
「……えーと、おまえ……。誰だっけ」
「ショックだなぁ。クラスメイトなのに。セリカよ。セリカ=グレイス」
 セリカと名乗った女性は、その言葉とは裏腹に明るく笑っていた。
 ジークはあまり他人に関心がないせいか、いまだにクラスメイトの顔と名前を覚えきれていない。そんな彼だからわからなかったが、実はセリカはアカデミー内ではかなり知られた存在なのだ。
 背が高く、スレンダーなシルエット。利発そうな引き締まった顔立ち。明るい栗色の髪、澄んだ濃青色の瞳。これだけの要素が揃えば否が応にも目立つ。
 もちろんアンジェリカとリックも、直接話をすることはほとんどなかったが、彼女のことはクラスメイトとして認識していた。

「セリカさんはどうして四大結界師になりたいの?」
 リックが不思議そうに尋ねた。
「ああ」
 ひと呼吸おくと、顔をわずかにうつむけて、右手の人さし指を口元に持っていった。わずかな時間、そのポーズで考えたあと、顔を上げ、そして語り始めた。
「私の亡くなった祖父がね、四大結界師のひとりだったのよ。私は現役時代のことは知らないんだけどね」
 ふいに目を細めて、懐かしそうに微笑む。
「結界師という仕事にすごく誇りを持ってた人でね。何度も話を聞かされているうちに、私もだんだん憧れを持つようになっちゃって」
 セリカは三人から顔をそらし、後ろで手を組みながら、軽く肩をすくめた。
「なんか、うまいことすりこまれちゃったのかな」
 そう言って、照れ笑いをした。
 それまで彼女の話を黙って聞いていたアンジェリカが、遠慮がちに口を開いた。
「あの、もしかして、その人って……」
 そこまで言ったところで、セリカは思い出したように目を大きく見開いた。「あ」と言うと同時に、ぽんと手を叩いた。
「そうそう。私の祖父はラグランジェ家の人よ。分家の方だけど。私たちは遠い親戚ってことになるのよね」
 セリカはそう言いながら、アンジェリカに親しげな笑顔を投げかけた。アンジェリカは一瞬、戸惑いの表情を見せたが、それはすぐ無表情に覆い隠された。
「へえ。そうなんだぁ」
 アンジェリカの代わりに、リックの素頓狂な声が飛んだ。彼が続けて何かを言おうとしたとき、そこで始業を告げるチャイムが鳴りだした。

「親戚っていったって、遠いじゃない」
 アンジェリカがかぼそい声でつぶやく。しかし、そのセリフはチャイムにかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。



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