閉じる


桐壺(1)

──いつの時代のことであったろうか──。

──いずれの御代のことであったろうか──。

 後宮に女御、更衣が、数多く帝に仕えていた頃だ──。

 帝の権威はこの上なく、定まった外戚の力が、特別に強いわけではない──そんな時代の事だったろうか──。

 その数多い女御や更衣のなかに、最上の身分であるわけではないにも関わらず、後宮に仕えるどの女よりも、優れて帝の寵愛を一身に受けていた「女」がいた。

「女」の身分は「更衣」。

 大納言の家柄に生まれ、大臣や皇族を後見にもつ「女御」と比べてその身分は低く、帝の「后」ではあり得ない「女」だ。

 どれだけ愛そうと、どれだけ愛されようと──それがこの更衣の、この「女」の、「身の程」というものだった。

「その女が……!」

 先々から

「帝には私こそ」

 などと思い込んでいる女御達は、この更衣を、
「怪しからぬ女」

 と見下げ、蔑み、そして、帝からのこの上ない寵愛に嫉妬した。

 同じように──と言うべきなのだろうか、それらの女御達よりも身分が低く、この「帝の御寵愛を受ける女」と「同格」の他の更衣達にいたっては、ましてや心穏やかであるはずがない。

 朝夕の宮仕えの役目を行うにつけても、他の女たちの嫉妬を掻立てるのみ。

 嫉妬深く、意地の悪い他の女たちの恨みを受けることが積み重なったこともあったのだろう、かの更衣はとうとう病がちとなってしまった。

 更衣は、病のためかどうにも心細く、実家に戻ることを望むようになりだした。

 それほどまでに更衣の心身は疲れていた。

 そんな更衣を、帝はますます尽きることがないほど、いとおしく感じた。

 女が愛されるには、理由があった時代。

 権勢門家の後ろ楯がつき、その女を愛することが男の立身へと繋がるものなのかどうか。

 または、誰にも負けぬ類稀な才覚を持ち、詩を知り、歌を詠み、琴を弾き、笛を吹き、琵琶を奏でること、このうえない女であるのか。

 そして──美しいのか。

 御簾に隔てられ、その奥から微かに漏れる声、ほのかに漂う香の薫り、ちらりと見える裾の色彩の選ばれ方、重ね方……。

 それらのことでその女のことを見定める男たちの上にあって、帝は、女の「美しさ」を知ることのできる男だった。

 女たちは、帝のためだけに後宮に仕え、帝のためにのみ「女の扉」を開く。

 それ以外に、帝に仕える女がすべきことはない。

 そして、許されない。

 それは決して否定的なことではなく、「御子を生す」という女たちだけに許された、崇めるべき行為のはじまりである。

 帝は、臣下の男どもがするようなことはなされない。

 女を求め、求めるまま女の美しさを自らの目で確かめることのできる「男」だった。

 それが──帝という至高の栄位に或る者──。

 帝は、側近の者たちの忠告や、臣下の批判を気にすることができぬほど、そして、後々にまで世間の語り草となってしまうのではないかと思えるほど、その更衣を全身全霊をもって愛した。

 上達部のみならず殿上人が皆、憚ることなく横目に見ても、帝の姿や様子をとても見てはいられないほどの気の入れ様であった。

 男が女を愛でることは罪ではないだろう。

 だが、帝が女に溺れることは国家、臣民にとって罪となる。

「唐国においてもこの様なことが元で、世が乱れ、邪なことが起こったというぞ」

 と、玄宗と楊貴妃の話まで持ち出して、しだいには広く世間でも、

「情けないことだ」
 と、人々の苦言の種となった。

 更衣はそのような周りの様子を聞くにつけて、いたたまれない気持ちになる。

 自分が何と言われようと構わない。どの様な中傷も甘んじてこの身に受けよう。

 だが、自分のことで愛する帝が臣下の誹りを受ける、そのことが、自分のことより何よりも悲しく思えてならない。

 いっそ後宮をこのまま退下しようかとも思えてくる。

 それが、帝にとっては良いことに違いない──彼女はそういう女だった。

 ただ、それでもなお、帝の自分への愛情が至上のものと信じ、頼りにすることで、「女」は宮中での生活を続けることができた。


桐壺(2)

 かの更衣の父は、大納言の地位にあったが、今は亡い。

 その正妻であった更衣の母は、旧(ふる)い家柄出身で教養豊かな人であった。

 そのような両親の下で育った更衣の人柄が伺えるというものだ。

 更衣が後宮に参内するにあたっては、両親そろって、自分の娘が今の世間でよく聞く華々しい名家の姫君たちにも引けをとらないようと、何から何まで支度を整えたものだが、父は死去し、いかんせん、しっかりとした後見となる政治的、経済的な後ろ楯もない。

 やはりどうしても、何か改まって宮中行事や儀式があるときなどは、かの更衣は頼るものもなく、不安な思いをすることもあった。

 美しいその女は、ただ美しく、ただ心優しいだけの「女」だった。

 だからこそ、「男」は「女」を愛した。

 そして、女は子を宿す──宿命が、またも二人を深くする。

 前世からの宿縁というものがあるのだとすれば、二人の間のその宿世はどれほどに深いものであるのだろうか。

 更衣は、またとなく美しい──玉と光輝くほどの男の赤児(あかご)をついに生んだ。

 更衣は「穢(けが)れ」である「子を生(な)す」ために実家のほうに戻っていたが、帝はまだかまだかと、更衣と、かの更衣が生んだ我が子に会うのが待ち遠しくてならない。

 産後まもなく、帝は、更衣を急ぎ参上させた。

 更衣が連れて参った皇子は、類稀な容貌をしていた。

「さすが、かの更衣と帝の子」と思わせるほどであった。

 これは、可愛らしさとは言うまい──美しさ、美麗さであった。

 

 既にいた第一皇子は、右大臣の娘にあたる弘徽殿女御が生んだ人である。

 右大臣よりも格位が上である左大臣家からは、今上の帝に娘を嫁がせていない。

 となれば、右大臣の後ろ楯を持ったその第一皇子の基盤は揺るぎようのないものだ。

 そういうこともあって、第一皇子は「間違いなく春宮(とうぐう)となられるお方だ」と、世間から大切にかしづかれていた。

 ──権威にかしづく者共に。

 しかし、かの更衣の皇子の眩いばかりの美しさに並び立つはずもなく、帝は、更衣への愛情に加えて、その皇子を溺愛した。

 第一皇子に対しては一通りの愛情を示すだけで、かの更衣の皇子を思いのまま大切なものと愛すること、この上ないほどであった。

 常に、かの更衣と皇子を愛し、側におきたいと願って止まない。

 更衣というものは本来、帝にいつも付き従って日常のことどもに至るまでをお仕えする様なことは──しない。

 許されない。

  帝に与えられた局にさぶらい、ただただ帝の御召しの時だけ、帝の下に参上するのだ。
 そして自分の身を──子を宿すことができる性を持ったその身を、帝に捧げる。

 それだけだ──それだけのはずだ。

 しかし、かの更衣は違う。

 彼女は別格である。

 帝の寵愛を一身に受けた「女」への、身に余る恩遇である。

 世間の評判もたいそう重々しく、高貴な風格までもが漂うほどで、帝は、時を構わず常に更衣を側に仕えさせ、しかるべき雅楽会の折や、厳かな催しがあるたびに、かの更衣を召し、自分の近くにおかせた。

 ある夜などは、かの更衣との深い閨事を終え、寝臥にいたってもなお、かの更衣を局には帰さず、引き続いて側におかせるようなこともあった。

 周りのことなどは考えず、無理をしてまでも、常にかの更衣を側に仕えさせていたから、端からは更衣がただの傍づきの女房にさえも見えたが、かの更衣に皇子が生まれてからというものは、いっそう、彼女を大切に思っていることが帝の言動を見ても伺い知れた。

 彼女は──特別なのだ。

 そう分かった。

 かの更衣も幸せだったことだろう。

 愛する者に愛され、その愛する者は自分の愛する我が子を共に愛してくれる。

 それは「幸せ」と呼ぶにふさわしいものであったに違いない。

 この天下で至高の「男」に、「女」としても「母」としても、例えるべきがないほどに愛されている彼女は──幸せであった。

 しかし、そのようなかの更衣の幸せを、快く思わぬ者もいる。

「帝は、悪くすると、あの更衣なんかの子供を春宮に御擁立遊ばすおつもりではないだろうか……」

 春宮となるべき第一皇子の母である弘徽殿女御の、不信はつのるばかりであった。

 有力な政治家であればあるほど、自分の娘を後宮に優先して入れることができたこの時代。

 右大臣を父にもつ弘徽殿女御は、誰よりも──どんな家柄の女よりも先に後宮に参内し、そして誰よりも早く御子を宿し、生んだ。

  この世の「女」のなかで、最上の栄位にあるべき人である。

 帝にもっとも愛されてしかるべき人である。

 ましてや第一皇子の母であり、いわゆる「后」となる人であった。

 帝とてこの弘徽殿女御を蔑ろにすることはできない。

 帝の、弘徽殿女御への愛情が──そして第一皇子への愛情がなくなってしまっていたのかは分からない。

 だが、帝も、弘徽殿女御から、かの更衣のことで忠言されれば、すまないとも思い、また煩わしい。

 帝の愛するものはただ二人、この上なく美しいかの更衣とその輝くばかりの皇子であったのだ。

 ならば、弘徽殿女御が愛したものは何だったのだろう。

 帝だろうか。

 帝で『あった』のだろうか。

 例うべくもないほどの権勢を誇る、己の境涯であったのか。

 至高無比な栄位と権威を未来に約束された、我が子たる第一皇子であったのか。

 それに伴う己の栄達と己の実家である右大臣家の隆盛であったのか。

 それとも──。

 そして弘徽殿女御にとっての幸せとは──。

 それは、おそらく──全て。

 それは、帝の深い愛情だけを幸せと思った、かの更衣の幸せと比べれば、余りにも錯雑なものであったに違いない──。


桐壺(3)

 かの更衣は、帝の華々しい加護と愛情を唯一の頼みとしていたが、彼女を貶めるためにあら捜しなどをする者も宮中には多く、彼女自身もか弱いまでに体も病がちで、なまじ帝の寵愛があるために、気苦労も多いことであった。

 かの更衣の局である御殿は「桐壺」であった。

「桐壺」は、内裏の東北に位置し、帝のいる清涼殿からは最も離れた「淑景舎」の和風名で、帝がかの更衣と皇子に会うため桐壺に渡るとなれば、自然、他の女御、更衣達の局の前を素通りすることとなった。

 まして、至高の存在たる帝が自ら、足遠い桐壺に、しかも身の程の知れた「更衣」のもとへ絶え間なく渡るとなれば、他の女たちが余りに深い二人の関係に気を揉むのも道理と言えよう。

 もし、自分たちも愛されているならば、愛されていると感じることができるならば、女たちの、かの更衣に対する恨みはなかったことだろう。

 それが、男と女の「定め」である時代だ。

 そして、人に愛されることは、人を寛大にするものだ。

 だが現実は、帝の愛する者は、かの更衣と皇子のみ。

 他の何人でもなく、それに加えてもいない。

 それが、女たちには許せない。

 自分を愛することのない帝が許せないのでは──ない。

 その壮大であるはずの帝の寵愛を一身に受ける、かの更衣が許せない。

  かの更衣自身の帝に召されての参上も、あまりにもしきりである時などには、打橋や渡殿のここかしこに、汚物などが撒き散らされ、送り迎えの者たちの裳衣の裾が汚れ、我慢できぬほど、尋常ではないこともあった。

 またある時などは、どうしても通らなければならない「馬道」という名の中央の廊下で、何者かに扉の錠を下ろされて通り抜けることができないようにされ、どうにかしようと、あちこちを見回ったがどうにもできず、困り果てる──というようなことも少なくなかった。

「あなたには『馬の道』という名のその場がお似合いよ」

 とでも言わんばかり……。

 事有るごとに数々のやり切れぬことばかり起こり、かの更衣もたいそう辛い思いを続けていた。

 

──女たちの所業を、裏で糸を引いていた者の姿は、決して見えなかった。

──いや、見えていたに違いない。

──いや、見えずとも、分かる。

──誰もが──

 帝以外の、誰もが──。

 しかし、それを口にする者はいなかった。


桐壺(4)

 帝は、「女」のその様な様子を見るにつけても、いっそう、いとおしく思い、かの更衣とその皇子への愛がますます深まっていく。

 彼なりに、かの更衣のことを心配していたのだろう。

 清涼殿の別殿である後涼殿に元々あった他の更衣の局を別の所に移すよう命じ、そこをかの更衣に、参上時の控え局として下賜した。

 だが、かの更衣は、そのことでますます他の女たちの恨みを買い、その恨みは晴らしようがないまでになっていった。

──帝が、かの更衣を愛していたことは、何人にも明らかなことだ。

 誰の目にも疑いようがない。

 あれほど深く、純然たる愛は他にないだろう。

 彼はたしかに彼女を愛していた。

 深く、熱く、それにもまして、また、深く。

 だが、その余りにも深い愛が──何人にも憚ることのないその愛が、全く別なところで、かの更衣にどれだけ辛い思いをさせているのか、彼は知らない。

 帝は、自分の愛を皇子と共に一身に受けるかの更衣が、その愛に幸せを感じ、自分の腕のなかで安らぎを覚えている、その一面しか知らない。

 それが、彼女の日常の、あまりにも辛い現実ゆえの安らぎであることを、彼は知らない。

 知ろうとしない。

 自分が、かの更衣を愛することで、ますます他の女たちの恨みが増し、その全てが彼女に向けられている事実が見えない。

 自分の愛では──いや、帝の愛だからこそ、かの更衣を守れないのだ、ということを理解できない。

 女たちが、至高無比たる帝に、憎悪や怨恨、嫉妬などという、見るに堪えない女の「部分」を見せるはずがない。

 ましてや、帝に怨みを向ける者などいるはずもない。

 女たちは、常に美しくあろうとし、自分たちの醜い「部分」を正すのではなく、隠すもの──。

 心美しい更衣は、

「帝に御心配をおかけすることはできない──」

 と何も見せない。

「自分さえ我慢すれば──」

 と何も言わない。

 一方、帝は、自分には見えぬものの存在を知ろうとしない。

 また、それを知らせる心ある者も周りにはいない。

 そして帝は──ただ自分が思うままに「女」を愛する。

 それが「女」の幸せだと信じて。

 思い込んで。

 ただただ屈託なく幸せを感じているのは、己一人だけだというのに──。

 

   時は過ぎる。

 何も変わらぬまま。

 帝の愛も、かの更衣の愛も、かの更衣の皇子の美しさも、その周りを取り巻く者共の思惑も、何もかも。


桐壺(5)

 何も解決されぬまま──時は過ぎたのだ──。

 かの更衣の皇子が、数えて三歳となったその年、男児が初めて袴を着ける「御袴着の儀」のときのことだ──。

 かの更衣の皇子の「御袴着の儀」は、第一皇子のときのものに勝るとも劣らない盛大なものとなった。

 皇族の宝物を司る内蔵寮や納殿などの所蔵品の限りを尽くし、しかも、帝自らがそれらを取り仕切る。

 並々でない盛り上がり様も当然であった。

 儀式の壮大さは、そのまま、かの更衣の皇子に対する帝の寵愛の深さだ。

 第一皇子の「御袴着の儀」の盛大さは、言うなれば当然のものであった。

 今上の帝にとって最初の皇子──後々には間違いなく春宮となるであろう第一皇子の「御袴着の儀」ともなれば、いやがうえにも盛り上がる。

 周りの者たちが盛り上げる。

 ましてや、弘徽殿女御しいては右大臣の後ろ楯があるともなれば、その盛大さは、政治的、経済的な裏打ちがあってのものとなろう。

 しかし、かの更衣の皇子は違う。

 政治的な後押しもなければ、経済的な援助があるわけでもない。

 母たる更衣の身分は余りにも低いまま──。

 にもかかわらず、第一皇子のものと引けをとらないほどの儀式が執り行われるのは、帝の力、権威の成せる技である。

 そして、その力の行使の大きさは、かの更衣の皇子への愛情の深さに他ならない。

 そしてそれは──かの更衣への愛であった。

 帝の、かの更衣への愛は三年経った今でも変わることはない。

 そして、これからも変わらないに違いないものだ──。

「それにしても──」

 と、宮中に仕える誰もが──どの男もが、どの女もが、思わずにはいられない。

──何も変わらぬまま──時は過ぎた──。

  かの更衣に対する世間からの──後宮の女たちからの誹(そし)りは、いまだ多い。

 しかし、変わっていくものもある──かの更衣の皇子が──。

 かの更衣の皇子がすくすくと成長していく容貌、気立て、性格は「世にも類稀なものだ」と、誰もが口にするほどである。

「なんと美しい皇子だろうか──」と──。

 愛らしく、美しく──。

「帝の御寵愛も『さも道理』」と──。

 かの更衣を妬み続けている、他の女たちでさえ、

「あの桐壺の更衣の子供なんか──」

 と口にしながらも、その愛らしい皇子の姿を見てしまえば、皇子のことまでは憎み切ることはできない。

 彼は「かの更衣の皇子」である前に「帝の子」なのだ。

 この世でただ一人、かの更衣に劣らぬ寵愛を、帝から受けている「帝の子」──。

「ものの道理が分かっている」

 といったふうな学識者でさえも、

「この様な方が、この世にもいらっしゃるものなのか……」

 と、余りの美しさ、愛らしさに驚き、呆れるほど目を見張ってしまう。

 それが、かの更衣の皇子の──「帝の子」の──美しさなのだ。



読者登録

渡 司さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について