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 次の日、制服のリボンを黒に変え、お姉ちゃんに支えられて、

わたしは葬祭会館に向かった。

 

道すがら、そして会館の中で、中学のころの同級生達と顔を合わせた。

 

 みんなわたしとケイくんの関係を知ってる。かわいそうにって顔で見ている。

そんな同情の駄目押しなんかいらない。

だから、この先同窓会があっても、絶対に行ってやらないと心に誓った。

 

焼香のために祭壇の前に進んだ時、ケイくんのお母さんを見た。

 

この人は、本当に人間だろうか。呼吸をしているんだろうか。

心臓は動いているんだろうか。

ただの抜けがらを、それらしい衣装を着せて置いてあるだけじゃないのか。

 

他の人から見たら、わたしもそう見えているのかも知れない。

 だってもう、お姉ちゃんに動かしてもらわない限り、わたしは歩くことも

立つことも自分では出来なかったから。

 

 疲れた。もう動きたくない。考えたくない。

 

お線香と菊の花の香りは、哀しい想い出ばかりだ。

ずーっと昔に、おじいちゃんが死んだときに、その記憶は始まっている。

線香も菊も、死臭を消すために焚かれ、匂いの強い花が選ばれる。

でも、彼の身体はもうここにはなく、なのにかえって死の匂いを思い出させる。

 

どうしてこんな、どうでもいいことばかりわたしは考えているのだろう。

せめて彼との楽しかったことを思い出したいのに。

 

 葬儀が終わり、祭壇や並べてあったパイプ椅子が片付けられるまで

わたしは座り込んでいた。

 

喪服の人が前に立った。

 

「・・・さん?」わたしは顔を上げた。

 

「景ちゃんの形見分けをしたいの。これから家に来て、もし迷惑でなかったら、

 何かもらって頂けないかしら。」

 

「景くんのお母さん。瑞江はかなり憔悴していますので、今日の所は。」

とお姉ちゃんはいってくれたけれど、

「わたし、伺います。形見は別に無くても結構ですが、ケイくんの部屋を

 見ておきたいんです。」

といった。

 

 ケイくんの遺骨と私たち三人は、タクシーで見覚えのあるマンションに向かった。

 

「旅行にでも出掛けたみたいだったの。電気もガスもきっちりと止めてあって、

 着替えとスポーツバッグが無くなってたわ。」

「電気とガスが?」

 

「わたし、家を出たの。つい四日ほど前。」

「どうして!」

「この家で、一人で生きていくのが辛かったの。」

 

“ケイくんを捨てたのか”

 と彼女をなじろうとしかけて、自分も同じことをしていたことに気がついた。

 

四日前、彼はひとりぼっちになって、苦しんでいたはずだ。

その時、わたしに何も言ってこなかったのは、わたしが彼を拒否していたからだろう。

そういう意味では、私たちは同罪だと思った。

 

わたしに頼れなかった彼は、上叢千冬にすがりついたのではないだろうか。

彼女は彼が死んだことを知っているのだろうか? 今日は姿を見なかった・・・。

 

 

ケイくんの机の上に、

「景ちゃんが事故にあったときの所持品。」が並べて置いてあった。

 

油のしみた財布、ハンカチ、学生証、免許証・・・。何か足りない。

ケイくんが絶対持っていそうなものが、無くなっている。

 

「ケイタイは?」

「警察が返してくれたのは、これだけだったわ。ケイタイは

 わからないわね。」

 

彼の母親の声からは、何の感情も読み取れなかった。

いま、彼女とわたしがしていることは、ただの事務的な手続きなのだろうか。

 

母親と、息子の恋人だった女。わたしはこの人を憎みたいと思った。

ケイくんが死んだことを、すべてこの人のせいにしたかった。

 

 もしわたしが、ケイくんの形見をもらって帰るとしたら、ケイタイ以外

にあり得ない。

ケイタイで大切なことを話し、メールで気持ちを伝えたこともある。

二人で撮った写真。わたしが吹き込んだ目覚ましの声。

それがどうしてここにないのだろう。

誰かに持ち去られでもしたのだだろうか。

 

いずれにせよ、ここにはわたしが欲しいものはなかった。


ベッドに横たわる彼の横顔は、いくら見ていても飽きることがない。

 

時を刻むように、規則正しく上下する胸。

 

わたしは彼の目覚めを、わくわくして待った。

彼が目覚めたとき、彼の真っ白な心に最初に刻まれるのは、わたしの笑顔。

だから、片時も彼の隣から離れなかった。

 

彼がホテルで昏睡させられてから、二日が過ぎた。

 

 その間に、架空の事故がでっち上げられ、外見の確認ができない

死体が用意され、警察による身元の操作がすみ、書類上の彼の死が

確定した。

 

だからここに寝ている少年は、もう「中森 景」ではない。

 

彼は死んだのだ。

 

 わたしの養父は、携帯で話した通りわたしを糾弾しようと試みたが、

わたしは景を手元に置ける幸福に浸っていたので、彼のいうことは何一つ

耳に入らなかった。

 

 養父が時に怒声や脅しを口にしたときも、わたしはベッドの景の手を

握って、幸福に微笑んでいた。

 

 “不全体”の養父が“完全体”のわたしに何を言ったとしても、この立場が

逆転することはないのだ。

 “不全体”は、私に指一本触れることは出来ない。

ましてわたしは、「冬」の字を継承している。

そういう“しきたり”に従って、私たちは生きている。

 

彼の手がぴくっと動いた。

 

瞼の下で目が動いている。わたしは彼の手を握る右手に力を込めた。

ゆっくりと目を開き、薄目のまま暫くまぶしそうにしている。

 

「景。」

 

わたしは、試しに彼の旧い名を呼んでみた。彼の顔がわたしを向く。

 

「千冬・・・。」

 

彼はわたしの名を呼んだ。そんなバカな、そんなはずはない。

 

「千冬、ここはどこ?あの時、一体何があったの・・・喉が渇いた。

 水が飲みたいな。」

 

彼は覚えている。あの薬が効かなかったということ?

 ベッドの上に上半身を起こして、彼は私が差し出した、コップ一杯の水を

一息に飲み干した。

 

「ずっと夢を見てた。その夢が何だったかは思い出せないんだけど。

 随分長く眠っていたのかな。」

「二日間。・・・薬をうったから。」

 

「あれは、何の薬。」

「惚れ薬。」

「はは、面白いけど、いまはそれに付き合う気分じゃないんだ。」

 

 正直に言わないと、景のこころは離れてしまう。彼はこういう時に

嘘をつかれるのが嫌いだ。

 

「睡眠を誘導するのと、記憶障害を起こさせるの。

 記憶をたどるっていうでしょ、記憶を引き出すとか、その働きを阻害する薬。

  記憶は消せない。でも、記憶は何回も塗り重ねることで強くなるんだけど、

 その動きが止まるとだんだん薄れていく。

  毎日繰り返すことは忘れないけど、そうでない普段想い出と呼んでいるものは、

 繰り返さないから忘れていく。」

 

「まだ、少し頭がぼーっとしてるから、よく理解できないけど、

 ・・・千冬はボクの過去を消そうとしたっていうことか。」

 

 景が顔をしかめているのは、わたしに対する抗議だろうか、それとも、

まだ戻りきらない思考力への苛立ちだろうか。

 

「そう。貴方がもうどこにも帰っていけないようにしようと思ったの。

 そういうしきたりなの。私たちの種族が、普通の人を受け入れるときのね。」

 

「ボクが千冬って呼んだとき、変な顔をしたのはそれでだったのか。

 ボクが千冬の名前を覚えていたから。」

「そう。」

 

「でも、消えなかったんだね。」

「なんでだろう。」

 

 彼は右手で力なく支えられた、空になったコップを見ていた。

 

「本当はさ、ここで怒らないといけないんだろうね。何するんだーって。

 でも、いまはそういうの無いな。

  薬のせいかもしれないけど、あの時、あ、殺されるって思ったんだ。

 そこまでしないといけないぐらい、千冬って追いつめられてたのかって。

  あの日、ボクは自分の不幸のことしか考えて無くって、千冬がどうして家出の

 準備をしてたのかってことまで考える余裕が無かったんだよ。

  ボクには少なくとも一週間ぐらい前までは両親がいたんだけど、千冬は生まれた

 ときからずっと一人だったんだね。」

 

思惑通りにはいかなかったけれど、嫌われて無くて良かった。

 

「ここは、どこ?」

「山奥の療養所。重度の伝染病患者が収容されていることになっているわ。

 いまのところ患者さんは景くんだけ。」

 

「他には?」

「医師と看護婦、まかないの老夫婦。みんな同族。」

 

「そういえばボクたち、ホテルに泊まってたんじゃなかったっけ。」

「そうだよ。」

「で、良く覚えてないんだけど、ボク達しちゃったの?」

「ばか!非常識!そんなことするわけないでしょ!」

 

彼は、くくっと笑って、もう少し寝るといって再び目を閉じた。

 

 彼の寝息が聞こえてきたところで、わたしも耐え難い睡魔に抗いきれなくなり、

用意された部屋に戻って眠ることにした。

 

彼は二日間眠り続けたが、私は二日間ずっと起きたままだったから。


多分三日目の朝。

 

 ボクは用意された朝食を全部たいらげた後、シャワーをして、

フランス窓を開けて外に出た。

 病院というよりは、高原のホテルに近い。建物の外は鮮やかな緑色の

芝生が広がり、木陰にテーブルと椅子すら置いてある。

 

 外国映画に出てくる療養所ってこんな感じだったな。目の届くところに

塀はみえず、人家なんてのも全く見えない。

千冬は、ボクとずっとここに住むつもりなんだろうか。

 

 この夏の半日、ボクは散歩したり、昼寝したり、ボーっとしてたりした。

吹く風がとても気持ちよくて、そして真昼までに分かったことが一つある。

 

おそらく、あと三日で退屈する。

 

「景さん。」

 

始めて聞く声だ。

 

「気分はいかがですか。」

「特に良くも悪くもありません。」

 

白衣を着ているところをみると、千冬が言っていた看護婦のようだ。

 

「薬、効かなかったんですってね。先生が首をかしげてらしたわ。」

「原因は分からないんですか。」

「薬理は専門じゃないからって仰ってたけれど。特にああいう特殊な薬は、

 作った研究所で無いと分からないって。」

「効かない方がありがたいですけどね。」

 

そうね、といって彼女は微笑んだ。

 

「何か持ってきましょうか。飲み物とか?」

「あの、看護婦さんがそういうこともなさるんですか?

 ぼくそういうのに疎くって。」

 

「普通の病院ではしないけど、こういう療養所は、入所者が快適に毎日を

 過ごすのが大事だから、そういうお世話も仕事のうちよ。」

「ボク、どこも悪くないんですけど。」

 

そんなことは百も承知だという感じで、彼女は笑った。

 

「ラジオありますか。FMが入るのが欲しいんですけど。

 夜寝る前に聞くのが習慣なんです。」

「ラジオならありますよ。わたしは機械には疎いので、FMが入るかどうかは

 わかりませんが、寝る前に聞くんでしたら、お部屋に置いておけばいいかしら。」

「そうして下さい。それから、あの・・・。」

 

何か?というように小首をかしげて、ボクの次の言葉を彼女は待った。

 

「水を飲むのに、いちいちお願いするのも面倒なので、どこに行けば飲めるか

 教えて頂けますか。」

と聞いた。

「それなら、喫茶室までご一緒しましょう。」

 

彼女は先に立って、歩き始めた。

 

 この広い敷地に立つ、ちょっとした館並みに大きなこの療養所の中の

人間関係ってどうなってるのか。

 

喫茶室に行けばまかないの老夫婦というのに逢えるのだろう。

残るは医師か。

イヤでも逢うことにはなるんだろうな。薬、効かなかったし。

 

それにこの格好、なんだかさえないな。

検査着なのかなんなのか。こんな格好で外を歩いたら、一発で通報されるだろう。


夕食になっても、千冬は姿を現さなかった。

 

 食事の後に、部屋に見舞ってもいいかと看護婦に尋ねたら、いまはまだ

そういう許可は出ていないからと、やんわり否定された。

 

 無理矢理連れてきておいてそれは理不尽、と言おうと思ったが、

ここに連れてこられたのは強制的だったけど、彼女とどこか遠くに行く

ということには同意してたんだということを思い出した。

 

もしこの記憶を無くしていたら、恥をかくところだった。

 

 

深夜、ボクはラジオのスイッチを入れた。

 

しーんと静まりかえった療養所の、部屋の中に雑音が満ちた。

今度はヘッドフォンも借りようっと。看護婦さんわかるかな、ヘッドフォン?

 

 83.1、、、、3.2、、、、3.3、、、入った!

ここFMーJuneが届くんだ。

 

 音楽を聴くのすごく久しぶりのような気がする。スローな曲なら、少しは英語の

歌詞もわかるようになった。“風の中の蝋燭のように・・・”か。

しんみりとするな、この曲。

 

“はい、今日も遅くまで聞いてくれてありがとう。

  最後に、メールちょっといっときましょか。時間大丈夫ですね。

 

 えー、このメール読んだら多分放送続けられなくなるんで、今日の最後に回しました。

M・Oちゃんからです。もう高校生なんよね。早いわー。わたしも年取るはずです。

ディレクターもね。

 

 はい、・・・はよ行きなさい。めっちゃいきづらいです。さてと、

「ひよこ姉さんお久しぶりです。M・Oです。今日はとても哀しいメールに

 なってしまいました。わたしの大切な人が、突然交通事故で逝って

 しまったんです。

 

  私のわがままで暫く逢えないでいたんですが、再会したとき彼は

 既にお骨になっていました。それ以来、毎日泣いています。

  一緒に大人になろうと約束したのに、私がその約束を無視したから、

 神様に罰を与えられたような気がします。

 

 十才で始まった私の人生は、たった十六才で終わってしまいました。

  それでも、大人になれなかった彼の分も生きないといけないと思い、

 何とか立ち直ろうともがいています。

  彼の遺影にはさよならを言いませんでした。これからも、彼と

 一緒に生きていくつもりです。

 

   ひよこ姉さんには、これまでいろんなメールを読んで頂いて、

 とても感謝しています。

 最後にこんな結末でごめんなさい。いつまでもお元気で。」

 

・・・えーと、M・Oちゃんにお願いがあります。自分を責めることだけは

やめて下さい。そんなことをしても逝ってしまった人は戻って来ません。

過去にとらわれることもやめて下さい。彼は決してそれを喜ばないと思います。

 

 Kクンはそんな子じゃないでしょ。M・Oちゃんがいま自分を責めている

全てのことを、彼は気にすんなって、赦してくれているから。

だから、泣くだけ泣いたら、また背筋を伸ばして歩いていかなあかんよ。

約束やで。

 

はい、じゃ、今日も遅くまで聞いてくれてありがとう。

私はこれから、泣いて泣いて朝まで飲んだくれて寝ます。“

 

 

 気がつくと、千冬が蒼い顔をしてそばに立っていた。

 

「千冬。ボクが死んでる・・・。」

 

 

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