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十六才の夏休みだというのに、どうしてこんなに暇なの!

 

それというのもケイくんが千冬とくっついちゃったからだ。

仲直りのチャンスを逃がしちゃったじゃない。ああ、もうむかつく。

 

お姉ちゃんは“いわんこっちゃない”て冷たい目で見てるし。

 毎日エアコンの効いたこの部屋で、ぐだぐだしながら、わたしの青春は、

無駄に消費されていくんだわ。

 

お姉ちゃんは“今年だけだったらいいけどねぇ”なんていうし。

でも、本当に来年も再来年もこのままだったらどうしよう。

 

・・・本当にどうしよう。

 

どうしてかなぁ、彼以外には、ぴたっとはまらないんだよなぁ。

 ケイくんといると、ホントに気持ちいいんだ。それだけで自分の世界が外に

広がったような感じがして。

 

きっと、千冬もそうなんだろうな。

 

 朝顔に水をやって、洗濯を手伝って、浴衣の縫い方習って、庭に打ち水をして、

夕方買い物に行って、夏祭りに行って、夜店で金魚すくって、花火見て、

盆踊りにいって、ケイくんと手をつないで帰るだけでいいのに。

去年と同じコトしたいだけなのに。なんでかなあ。

 

 おっとっと、ケイタイなってますねー。珍し、タケダからだ。

 

Pi、っと。

 

「ミズエでーす。」

 

“落ち着けよ。”

「なに、いきなり。ぜんぜん落ちついてるって。もう暇で暇で・・・。」

 

“これから言うことを落ちついて聞けってことだよ。”

「はいはい、なんですか?」

 

“ケイが事故で死んだ。”

 

「・・・ちょっと、なにいってるかわかんない。」

 

“だから、ケイがバイクで事故って死んだんだ。”

 

「じょう・・・だんだよねぇ。それにしても、たちが悪いけど。

 ケイくんが死ぬはず無いじゃん。それもバイクなんかで・・

 そんな無謀な運転しないもん・・・。」

 

“気持ちはわかるけど、ケイの母さんから電話があったんだよ。

 明日葬式だから、来てやってくれないかって。

 冗談じゃないんだ。オレも信じたくないけど。”

 

「嘘。嘘つき。タケダの嘘つき!どうしてそんなひどいウソつくのよ。

 わたしになんか恨みあるわけ。ケイくんがわたしをほったらかして、

 死んじゃうはず無いじゃん。

 わたしだまされないからね。ぜーったいだまされない。

 葬式なんか行かないから。」

“ミズエ、頼むから落ちついてくれ。”

 

「もう切るから。バイバイ!」

“ミズエ!”

 

 嘘だ、そんなの嘘だ、なんでそんなに簡単に、・・・事故死なんて

やってくるもんか。

 

 そのあと何回か、ケイタイにかかってきたけど、わたしは無視して

出なかった。

でも、ぼろぼろ泣いてた。

 

・・タケダはそんな嘘をつくようなヤツじゃない。そんなことわかってる。


夕方になって、カンナがうちに来た。

 

 二階から階段を下りて、玄関にたっているカンナの顔を見たとたん、

もう誰も、あれは冗談だったんだよといってくれる人がいないことを悟って、

わたしは裸足のまま彼女にすがりついて、わんわん泣いた。

 

「衝突事故に巻き込まれたらしくて、漏れた油に引火して、それがケイにも・・・。

 でも気を失っていたから、痛みとかは感じないまま逝っただろうって。

 落ちてた財布の中の免許証から、彼だってわかったらしいの。」

 

「お通夜は?」

「県外だったし、遺体の損傷がその、・・かなり激しかったらしくって、

 だから向こうで彼のお母さんが確認した後、仮通夜して、もう火葬にしてしまって、

 明日は形だけのお葬式らしいわ。

 駅近の葬祭会館でやるっていってた。あたしがついていようか?」

 

わたしは首を振った。

 

「お姉ちゃんがついてくれると思うから。ありがとう、カンナ。」

 

「ちょっとは落ちついた?」

「うん。死んだら彼と一緒にいられるって誰かが教えてくれたら、

 今すぐにでも死んじゃえるぐらい落ちついてる。」

「駄目だよ、そんなコトしたら!」

 

「お姉ちゃんが、とっくに刃物隠しちゃったの。お母さんも台所に

 来るなっていうし。

 ・・・悪い冗談いってごめんね、カンナ。

 あんまりみんなが気を遣うから、いやになっちゃって。」

 

 カンナやお姉ちゃんや、お母さんがいる前ではわたしは平静に振る舞って

いたけど、一人になったときはぼろぼろだった。

 

その日はなにも喉を通らなかった。

 

次の朝も、なにも食べる気がしなかった。


 次の日、制服のリボンを黒に変え、お姉ちゃんに支えられて、

わたしは葬祭会館に向かった。

 

道すがら、そして会館の中で、中学のころの同級生達と顔を合わせた。

 

 みんなわたしとケイくんの関係を知ってる。かわいそうにって顔で見ている。

そんな同情の駄目押しなんかいらない。

だから、この先同窓会があっても、絶対に行ってやらないと心に誓った。

 

焼香のために祭壇の前に進んだ時、ケイくんのお母さんを見た。

 

この人は、本当に人間だろうか。呼吸をしているんだろうか。

心臓は動いているんだろうか。

ただの抜けがらを、それらしい衣装を着せて置いてあるだけじゃないのか。

 

他の人から見たら、わたしもそう見えているのかも知れない。

 だってもう、お姉ちゃんに動かしてもらわない限り、わたしは歩くことも

立つことも自分では出来なかったから。

 

 疲れた。もう動きたくない。考えたくない。

 

お線香と菊の花の香りは、哀しい想い出ばかりだ。

ずーっと昔に、おじいちゃんが死んだときに、その記憶は始まっている。

線香も菊も、死臭を消すために焚かれ、匂いの強い花が選ばれる。

でも、彼の身体はもうここにはなく、なのにかえって死の匂いを思い出させる。

 

どうしてこんな、どうでもいいことばかりわたしは考えているのだろう。

せめて彼との楽しかったことを思い出したいのに。

 

 葬儀が終わり、祭壇や並べてあったパイプ椅子が片付けられるまで

わたしは座り込んでいた。

 

喪服の人が前に立った。

 

「・・・さん?」わたしは顔を上げた。

 

「景ちゃんの形見分けをしたいの。これから家に来て、もし迷惑でなかったら、

 何かもらって頂けないかしら。」

 

「景くんのお母さん。瑞江はかなり憔悴していますので、今日の所は。」

とお姉ちゃんはいってくれたけれど、

「わたし、伺います。形見は別に無くても結構ですが、ケイくんの部屋を

 見ておきたいんです。」

といった。

 

 ケイくんの遺骨と私たち三人は、タクシーで見覚えのあるマンションに向かった。

 

「旅行にでも出掛けたみたいだったの。電気もガスもきっちりと止めてあって、

 着替えとスポーツバッグが無くなってたわ。」

「電気とガスが?」

 

「わたし、家を出たの。つい四日ほど前。」

「どうして!」

「この家で、一人で生きていくのが辛かったの。」

 

“ケイくんを捨てたのか”

 と彼女をなじろうとしかけて、自分も同じことをしていたことに気がついた。

 

四日前、彼はひとりぼっちになって、苦しんでいたはずだ。

その時、わたしに何も言ってこなかったのは、わたしが彼を拒否していたからだろう。

そういう意味では、私たちは同罪だと思った。

 

わたしに頼れなかった彼は、上叢千冬にすがりついたのではないだろうか。

彼女は彼が死んだことを知っているのだろうか? 今日は姿を見なかった・・・。

 

 

ケイくんの机の上に、

「景ちゃんが事故にあったときの所持品。」が並べて置いてあった。

 

油のしみた財布、ハンカチ、学生証、免許証・・・。何か足りない。

ケイくんが絶対持っていそうなものが、無くなっている。

 

「ケイタイは?」

「警察が返してくれたのは、これだけだったわ。ケイタイは

 わからないわね。」

 

彼の母親の声からは、何の感情も読み取れなかった。

いま、彼女とわたしがしていることは、ただの事務的な手続きなのだろうか。

 

母親と、息子の恋人だった女。わたしはこの人を憎みたいと思った。

ケイくんが死んだことを、すべてこの人のせいにしたかった。

 

 もしわたしが、ケイくんの形見をもらって帰るとしたら、ケイタイ以外

にあり得ない。

ケイタイで大切なことを話し、メールで気持ちを伝えたこともある。

二人で撮った写真。わたしが吹き込んだ目覚ましの声。

それがどうしてここにないのだろう。

誰かに持ち去られでもしたのだだろうか。

 

いずれにせよ、ここにはわたしが欲しいものはなかった。


ベッドに横たわる彼の横顔は、いくら見ていても飽きることがない。

 

時を刻むように、規則正しく上下する胸。

 

わたしは彼の目覚めを、わくわくして待った。

彼が目覚めたとき、彼の真っ白な心に最初に刻まれるのは、わたしの笑顔。

だから、片時も彼の隣から離れなかった。

 

彼がホテルで昏睡させられてから、二日が過ぎた。

 

 その間に、架空の事故がでっち上げられ、外見の確認ができない

死体が用意され、警察による身元の操作がすみ、書類上の彼の死が

確定した。

 

だからここに寝ている少年は、もう「中森 景」ではない。

 

彼は死んだのだ。

 

 わたしの養父は、携帯で話した通りわたしを糾弾しようと試みたが、

わたしは景を手元に置ける幸福に浸っていたので、彼のいうことは何一つ

耳に入らなかった。

 

 養父が時に怒声や脅しを口にしたときも、わたしはベッドの景の手を

握って、幸福に微笑んでいた。

 

 “不全体”の養父が“完全体”のわたしに何を言ったとしても、この立場が

逆転することはないのだ。

 “不全体”は、私に指一本触れることは出来ない。

ましてわたしは、「冬」の字を継承している。

そういう“しきたり”に従って、私たちは生きている。

 

彼の手がぴくっと動いた。

 

瞼の下で目が動いている。わたしは彼の手を握る右手に力を込めた。

ゆっくりと目を開き、薄目のまま暫くまぶしそうにしている。

 

「景。」

 

わたしは、試しに彼の旧い名を呼んでみた。彼の顔がわたしを向く。

 

「千冬・・・。」

 

彼はわたしの名を呼んだ。そんなバカな、そんなはずはない。

 

「千冬、ここはどこ?あの時、一体何があったの・・・喉が渇いた。

 水が飲みたいな。」

 

彼は覚えている。あの薬が効かなかったということ?

 ベッドの上に上半身を起こして、彼は私が差し出した、コップ一杯の水を

一息に飲み干した。

 

「ずっと夢を見てた。その夢が何だったかは思い出せないんだけど。

 随分長く眠っていたのかな。」

「二日間。・・・薬をうったから。」

 

「あれは、何の薬。」

「惚れ薬。」

「はは、面白いけど、いまはそれに付き合う気分じゃないんだ。」

 

 正直に言わないと、景のこころは離れてしまう。彼はこういう時に

嘘をつかれるのが嫌いだ。

 

「睡眠を誘導するのと、記憶障害を起こさせるの。

 記憶をたどるっていうでしょ、記憶を引き出すとか、その働きを阻害する薬。

  記憶は消せない。でも、記憶は何回も塗り重ねることで強くなるんだけど、

 その動きが止まるとだんだん薄れていく。

  毎日繰り返すことは忘れないけど、そうでない普段想い出と呼んでいるものは、

 繰り返さないから忘れていく。」

 

「まだ、少し頭がぼーっとしてるから、よく理解できないけど、

 ・・・千冬はボクの過去を消そうとしたっていうことか。」

 

 景が顔をしかめているのは、わたしに対する抗議だろうか、それとも、

まだ戻りきらない思考力への苛立ちだろうか。

 

「そう。貴方がもうどこにも帰っていけないようにしようと思ったの。

 そういうしきたりなの。私たちの種族が、普通の人を受け入れるときのね。」

 

「ボクが千冬って呼んだとき、変な顔をしたのはそれでだったのか。

 ボクが千冬の名前を覚えていたから。」

「そう。」

 

「でも、消えなかったんだね。」

「なんでだろう。」

 

 彼は右手で力なく支えられた、空になったコップを見ていた。

 

「本当はさ、ここで怒らないといけないんだろうね。何するんだーって。

 でも、いまはそういうの無いな。

  薬のせいかもしれないけど、あの時、あ、殺されるって思ったんだ。

 そこまでしないといけないぐらい、千冬って追いつめられてたのかって。

  あの日、ボクは自分の不幸のことしか考えて無くって、千冬がどうして家出の

 準備をしてたのかってことまで考える余裕が無かったんだよ。

  ボクには少なくとも一週間ぐらい前までは両親がいたんだけど、千冬は生まれた

 ときからずっと一人だったんだね。」

 

思惑通りにはいかなかったけれど、嫌われて無くて良かった。

 

「ここは、どこ?」

「山奥の療養所。重度の伝染病患者が収容されていることになっているわ。

 いまのところ患者さんは景くんだけ。」

 

「他には?」

「医師と看護婦、まかないの老夫婦。みんな同族。」

 

「そういえばボクたち、ホテルに泊まってたんじゃなかったっけ。」

「そうだよ。」

「で、良く覚えてないんだけど、ボク達しちゃったの?」

「ばか!非常識!そんなことするわけないでしょ!」

 

彼は、くくっと笑って、もう少し寝るといって再び目を閉じた。

 

 彼の寝息が聞こえてきたところで、わたしも耐え難い睡魔に抗いきれなくなり、

用意された部屋に戻って眠ることにした。

 

彼は二日間眠り続けたが、私は二日間ずっと起きたままだったから。


多分三日目の朝。

 

 ボクは用意された朝食を全部たいらげた後、シャワーをして、

フランス窓を開けて外に出た。

 病院というよりは、高原のホテルに近い。建物の外は鮮やかな緑色の

芝生が広がり、木陰にテーブルと椅子すら置いてある。

 

 外国映画に出てくる療養所ってこんな感じだったな。目の届くところに

塀はみえず、人家なんてのも全く見えない。

千冬は、ボクとずっとここに住むつもりなんだろうか。

 

 この夏の半日、ボクは散歩したり、昼寝したり、ボーっとしてたりした。

吹く風がとても気持ちよくて、そして真昼までに分かったことが一つある。

 

おそらく、あと三日で退屈する。

 

「景さん。」

 

始めて聞く声だ。

 

「気分はいかがですか。」

「特に良くも悪くもありません。」

 

白衣を着ているところをみると、千冬が言っていた看護婦のようだ。

 

「薬、効かなかったんですってね。先生が首をかしげてらしたわ。」

「原因は分からないんですか。」

「薬理は専門じゃないからって仰ってたけれど。特にああいう特殊な薬は、

 作った研究所で無いと分からないって。」

「効かない方がありがたいですけどね。」

 

そうね、といって彼女は微笑んだ。

 

「何か持ってきましょうか。飲み物とか?」

「あの、看護婦さんがそういうこともなさるんですか?

 ぼくそういうのに疎くって。」

 

「普通の病院ではしないけど、こういう療養所は、入所者が快適に毎日を

 過ごすのが大事だから、そういうお世話も仕事のうちよ。」

「ボク、どこも悪くないんですけど。」

 

そんなことは百も承知だという感じで、彼女は笑った。

 

「ラジオありますか。FMが入るのが欲しいんですけど。

 夜寝る前に聞くのが習慣なんです。」

「ラジオならありますよ。わたしは機械には疎いので、FMが入るかどうかは

 わかりませんが、寝る前に聞くんでしたら、お部屋に置いておけばいいかしら。」

「そうして下さい。それから、あの・・・。」

 

何か?というように小首をかしげて、ボクの次の言葉を彼女は待った。

 

「水を飲むのに、いちいちお願いするのも面倒なので、どこに行けば飲めるか

 教えて頂けますか。」

と聞いた。

「それなら、喫茶室までご一緒しましょう。」

 

彼女は先に立って、歩き始めた。

 

 この広い敷地に立つ、ちょっとした館並みに大きなこの療養所の中の

人間関係ってどうなってるのか。

 

喫茶室に行けばまかないの老夫婦というのに逢えるのだろう。

残るは医師か。

イヤでも逢うことにはなるんだろうな。薬、効かなかったし。

 

それにこの格好、なんだかさえないな。

検査着なのかなんなのか。こんな格好で外を歩いたら、一発で通報されるだろう。



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