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「千冬はこの話をボクにしてはいけなかったんだね。だからボクの前から

 消えたんだ。今もそれは変わらないはずだろ・・・。」

 

「だから家出してきたの。二人で遠くへ行こう。」

「遠くへ行くのはいいけど。千冬、よくそんなこと簡単に言うよなあ。

 ほんとにボクより年上なの? どうやって生きていくのさ。」

 

それは大丈夫。

 

「ほら、これ。このカードがあれば問題ない。」

「カードなんて、親にすぐ止められちゃうよ。」

 

「いま私の母と名乗っている人は、私を産んだ人じゃない。

 父と名乗っている人は、精子を提供した人じゃない。

 あの二人とは何の血のつながりも無いの。私が成長するまでの仮の親で、

 彼らの生活をもっともらしく見せるための子役が私。

 私は、本当のところの父と母を知らない。

 こうしておけば、もし私の正体がばれたとしても、その血統が絶えることは

 無くなるから。

  このカードは日本の銀行のカードだけど、その口座の残高が少なくなれば

 自動的にスイスの銀行から補充される仕組みになっている。

 その源泉はね、狩られた人たちが、自分達の種族を残そうと最後に残した

 莫大な遺産からなっているの。

 だからあの人たちに、そんなことをしたりする権利はないの。」

 

「どうしてボクなんだ。」

 

「そんなの、人を好きになるのにいちいち理由は考えないわ。

 でも、結果は知っている。

 あの半年のあいだに、私を変えたのが景くんだった。

 北海道で、地平線に夕日が沈むとき、あの下に景くんがいると思って

 ずっとみてた。葦原で出会ったとき、これは偶然なんかじゃないと思った。

 だから、貴方じゃないとダメなの。」

 

 彼は暫くの間、何も言わずに夜の空を見ていた。

 

 彼がノーと言えば、私の“賭け”は終わり。私はこれから三百年の孤独を

生きていくことになるだろう。

 

 彼以外の男に、恋をすることはあるかも知れない。でも、その男は

彼ではないのだ。小学校の非常階段で、毎日地球の平和を見守っていた、

彼ではないのだ。

 

 

 

「分かった。これから荷物をまとめるよ。」

 

「こんなこと、考えたことも無かったから、何を持っていけばいいのか

よく分からないや。」

とこぼしながら、彼はスポーツバックに着替えなんかを詰め始めた。

 

 おそらく、後で見たらどうしてこんなものを入れたのかと思うようなものまで、

詰め込んでいるのだろう。

 

「ま、何かいるものがあれば、また取りに来ればいいか。」

 

この家に、二度と戻らないことは、彼には言わなかった。

 

「家出ってさ、初めてなんだけど、どこに行くか心当たりとかあるの。」

「景くーん。私の方がお姉さんだと分かって、なんか甘えてなーい?」

「いや、そんなことはないけど、・・・と思うけど。」

 

クローゼットを開いて、服を取り出そうとした彼の手が止まった。

 

「そっか。もう制服いらないんだ。・・・ま、いいか、このうちを出るために

 行った学校みたいなものだから。こうなると分かってたら、勉強なんか

 しないでもっと遊んでたら良かった。」

 

そんなことしてたら、葦原で逢えなかったでしょ。

 

「あーーー、しまった、どうしよう。」

「なに?」

「いや、洗濯物がさ、ちょっとたまってて、どうしようかなあ・・。

 あー風呂も入りたくなってきた。

 くーー、人間てバカだねえ。これから家出しようってときに、

 洗濯物と風呂が気になるなんて。」

 

彼、次はきっとトイレ掃除が気になるわ。

 

バスルームに行った彼が、“あっ”て声を上げた。

 

「どうしたの?」

「洗濯してある。ちゃんと畳んでるし。あの人も、変なトコにこだわるな。

 ほっとけばいいのに。あーーー、まずい。千冬あっちに行ってて。

 またちょっと、黒く濁ってきた。」

 

“黒く濁る”っていうのが、彼が荒れるときのイメージなのね。

もう、おっきいのに世話が焼けるんだから。

 

「そんなこと気にしないの。たかが洗濯物じゃない。なんなら千冬さんが、

 お風呂でシャンプーしたげようか?それとも背中流す? 

 あ、一緒にはいるのは無しよ。いくら景クンが年頃の男の子だからって、

 そこまでサービスできないなぁ。」

 

くっくっく・・・・。

「想像したら、ばかばかしくなった。」

景クンはしばらく同じ調子で、低く笑い続けた。

 

「この家にいたら、しばらくはこの繰り返しが続くんだろうな。やっぱり、

 出ちゃった方がいいんだね。」

 

彼はガスを止め、ブレーカーをおとした。

 

何も光るものの無い、無音の部屋を眺め回して、彼はドアの鍵を閉めた。


窓の外をオレンジの光が流れていった。

 

私たちは、来た電車を次々に乗り継いで、東へ東へと向かっていった。

 

三時間近くも乗っていると、話すことも余りなくなってしまう。

 二人とも無口になっていた。でも、私は幸福だった。ずっと欲しかった宝物を

手にいれた。

 

 しかも、彼女の目の前でそれを手にし、彼女の手の届かないところに

連れ去っていく。

あの、偽りの家族とももうお別れだ。私は愛する少年とともに新しい家族を作るのだ。

 

過去が、オレンジの光とともに飛び去っていく。私は景の右手を握り続けた。

 

「あのさ、この夏休み、バイトしようと思ってたんだよね。」

 不意に、景が窓ガラスに映った私に話しかけてきた。さっきから思ってるんだけど、

これってすごい変。

 

「バイトかあ。どうして?」

 

 わたしも、窓に映ったいつもとは反対向きの彼に話しかけた。写像よりも

声の方が先に届くような気がした、不思議な感覚。

 

「稼いでバイク買って、千冬と二人で海に行こうと思ったんだ。

 ボク海見たことないし。」

 

もう、やだ!うれしいって思ったのがそのままガラスに映ってる。はずかしいよう。

 

「じゃあ、落ち着き先は海の近くにしようか。二人で捜し歩いて、

 気にいった所で家を探すの。」

「十代の男女が海辺の町で家探しなんて怪しすぎ。“雲とサンダルと猫”以上に

 ありえねぇ。」

「じゃあ、兄妹って事で。」

 

「どっちが兄、姉?」

「いいですー、どうせ私は見た目子供っぽいですー。お兄ちゃん頑張ってね。」

「お世話になります、妹様。・・・でも、千冬ってさ、案外胸あるのな。」

 

どさくさにまぎれて、耳に口つけて、なに言うかなあ!この不届きものー。

 

 長い長い闇の、ビルの谷底をはうように列車は走って、終着駅に到着した。

車内放送が“東京”という名前を連呼していた。


「千冬。こんな時間に予約も無しにこの二人じゃ、普通のホテルは泊めて

 くれないんじゃないの。

 すくなくともフロントで、すっごい、やな目にあいそうな気がするな。」

 

うーん、無計画に飛び出しちゃったし。

 駅のベンチに荷物を置いて、とりあえず仮の宿を決めようと、

彼とわたしは思案していた。

 

「ここはちょっと、覚悟を決めた方がいいんじゃない。

 インターネットカフェって、キモイ人たちと一緒になりそうだし、

 カプセルは別々になっちゃうし。あとは・・・。」

「景クン。わたし、一応お嬢様育ちなんだから、そういうとこ行くのって、

 かなり抵抗感あるんだけど。」

「そっか。そうだよなー。」

 

 とはいうものの、野宿するわけにもいかないし。今日は精神的にも疲れたし、

ベッドで寝たいなー。この街ちょっとこわいし。

 

覚悟決めようか。

 

「あ、あれいいかも。ケイタイで予約できるって。だめもとでやってみるか。」

 

駅の看板に、ビジネスホテルっぽいホテルの広告とアドレスが出ていた。

景クンはちょっと顔をしかめながら、忙しくキーを操作している。

 

「よく覚えられるね、あんなアドレス。」

「綴りで覚えてるわけじゃないからね・・・。ラッキー。ツイン空いてる。

 ラブホよりましだろ。」

もちろん、わたしはOKを出した。

 

 タクシーに乗っている間、そしてフロントで彼が鍵を受け取るまでの間、

わたしはずっとドキドキしていた。

 もし、宿泊を断られたらどうしよう。未成年者の男女二人づれは駄目だとか。

親と連絡を取るとかいわれたらどうしようと。

 

 わたしは出来るだけ顔を見られないように、後ろ向きでたって、

ちょっと身体をゆらゆらさせて、まあこんなことは日常良くあることで、

珍しくもないというふうを装っていた。

 

 でも、東京のホテルはいちいちそんなことは気にしないらしい。

きっと、良くあることなのだ。蒲生や葦原とは違うということだ。

 

彼はあっさりと鍵を受け取り、「1807」と短くわたしに告げた。

 

 ポーターなんて気のきいた者はいない。エレベーターにのり、廊下の両側の

部屋番を見比べ、カードキーを差し込む。

  少しあれって顔をした後、彼はドアノブを押し下げ、内側にドアを開いた。

灯りをつけ、カバンを放り出してベッドに倒れ込んで。

 

そして顔だけをこちらに向けて、

 「狭いけど、まだ新しそうだし、まあまあだね。」

といった。

「景クンお風呂に入ったら、さっきもそういってたでしょ。」

「うん・・・・。そうする。なんだかもう、くたくただ。」

 

彼はのろのろと身体を起こし、バスルームに向かった。

服を脱ぐ音がして、シャワーの水音が狭い部屋に溢れ出してきた。

 

わたしは、ボストンバッグの口を広げ、底で震えているケイタイを取り出した。

さっきから、何度も振動していたのを、ずっと無視していたのだ。

 

それは、養父と言う身分の男からのだった。


“千冬だな?”

 

「はい。」

 

“彼はなにしてる。”

 

「シャワー。」

 

“もう、話してしまったのか。”

 

「全部。」

 

“信じたのか。”

 

「多分。」

 

“死んでもらうしかないな・・小言は後だ。いまから人をやるから、

 部屋の鍵を開けなさい。”

 

「もう来てるの!」

 

“いってあるだろう。お前は監視されている。貴重な”完全体“のお前は、

 いつも監視されているんだ。

 お前が彼の家に行ったことも、電車で東京に行ったことも、そのホテルに

 チェックインしたことも、全部分かっている。”

 

「開けないといったら?せめてあともう一日。」

 

“駄目だ。情が募って彼を逃がされたりしたら大ごとだからな。

 急に人を手配するのも大変だったんだ。

 それとも、ホテルにぼや騒ぎでも起こそうか。”

 

逃げ場や言い逃れは不可能なようだった。

いや、それを一番よく知っているのは、“冬”の字を継ぐ私なんだ。

 

「・・・わかった。」

 

“いまは、これまで以上に見張られているんだから。変な気を起こして、

 この上面倒を増やすな。母さんは半狂乱になってたぞ。”

 

「あんな人、母親じゃないわ。」

 

  電話は、一方的に切られた。わたしがこのあとどう行動するか、考える前に

部屋のドアがノックされた。

わたしは震える手でドアを開けた。数人の男が入ってきた。

 

その中に見知った顔はなかった。

 

シャワーの音がやみ、彼が衣服を身につける音を部屋の隅で聞いた。

ノブを回し、ドアを開け、髪の毛を濡らしたままの彼が出てくる。

 

「あー、さっぱりした。千冬もは・・・誰・・。」

 

 “誰だ” と叫び切る間もなく彼は口を押さえられ、床に押し倒されて

両手両足を押さえつけられた。

 彼の右腕に慣れた手つきで注射器を刺し、透明な液体が血管に注入されるのを、

映画でも観ているように、わたしは座り込んで眺めて居るだけだった。

 

こう成る事は仕方無かった。

 

それは解っていた。わたしが希望したのは、もう少しだけ二人で居ること。

そんな些細な願いだった。

わたしは、ふらつく足で彼の側に近寄り、しゃがみ込んだ。

 

「千冬、どうして・・・。」

 

彼の意識は、すでに朦朧としてきているはずだ。

 

「景クン。こうするしかなかったの。・・・貴方をずっとわたしのものに

するために、こうするしかなかった。」

 

わたしは彼の手を握り、彼に許しを請うた。男達は、彼の手足を自由にした。

もう、暴れることすら出来ない。そんな力はどこからも出てこない。

 

「貴方を誰にも渡したくないの。」 

 

彼の瞼が、半ば閉じられた。

 

「こんなこと、しなくてもよかったのに・・・きみが、傷つくだけなのに・・・。」

 

彼は、握った左手に、残された力を込めた。その弱々しい信号を、わたしは

強く握り返した。

最後に彼は微笑んだ・・・と、わたしは思った。

 

己の罪と業の深さに、気が狂いそうだった。



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