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「昨日の夜、あの人と話し合って、出ていくことに同意したんだ。

納得したことなんだから、そのまま消えてくれれば良かったのに、

ごめんなさいなんて置き手紙を置いていきやがって。」

 

前もそうだったね。

罪悪感を一方的に謝ったことで帳消しにするなって怒ってた。

 

でもね、

「怒っちゃだめ。景クンはね、淋しいだけなの。淋しいって言えないで

 どんどんため込んでいるから、そうなっちゃうの。私が来たら、

 機嫌直ったでしょ。」

「ボクは、淋しがってるだけ?」

 

まだ横顔しかくれないんだね。

 

「景クン、ミズエちゃんがいなくなって、淋しかったんだよきっと。

 そこへ、おかあさんのことが重なって、耐えきれなくなったんだよ。

 でも、大丈夫だよ、千冬がいるから。ずっと側にいるから。」

「ずっと側って?」

「ほら、これ。緊急家出セット。」

 

飛び出したときは差程重いとも思わなかったけど。

 

「家出してきたの。」

「家出の用意がしてあったの。私もう帰れ無いの。帰ったら、

 今度は外国のどこかに留学させられてしまう。」

「どういうことか、いってる意味がわからない。」

 

そうだろうな・・・。

 

「景。私のこと、好き?」

 

・・・こっちを向いて。

 

「うん。」

 

・・・言わせてみせる。

 

「私がいなくなったら淋しい?」  

 

・・・絶対に言わせてみせる。

 

「うん。」

 

「じゃあ、もし私と二度と会えなくなるとしたら、どうする。」

「分からない、そんなこといま考えられない。」

 

・・・私が欲しいって、言わせてみせる。

 

「いま考えないと、そうなってしまうのよ。」

 

「だめだ、それは絶対だめ。千冬が側にいてくれないと、ボクはまた

 正気を失う。ところどころ記憶がないんだ。

 千冬にケイタイしてから、千冬がここに来てくれるまでの記憶が、

 混乱してるんだ。千冬がいてくれないとボクは・・・。」

 

「死んでしまう?」

 

彼は正気を失ったように息を呑んだ。私はもう一度彼を抱きしめて何度も囁いた。

 

「大丈夫、大丈夫、良い子だから。私はここにいるよ。」

「ずっといてくれる?」

「ずーっと。」

「ずっとだよ。」

「ええ、ずっと。」

 

 私はシャツの前をはだけ、聖母が我が子を抱くように、彼の頭を抱き寄せた。

 

・・・言わせた。

 

・・・とうとう、言わせた。


「これから私が言う話を、良く聞いて欲しいの。そして信じて欲しい。

 私は景にウソを言ったりしないから。分かった?」

 

正気に戻った景は、私の胸に抱かれていたことを少し恥じらっていた。

 

「私はね、人より少し長く生きて、その分成長も遅くなるの。

 いま、本当は十七才。景よりは二学年上になるわ。」

 

「どういうこと?」

「景くん、昔、漱石読んでたよね。」

「うん、大体は。」

 

「彼はね、時代が大きく変わるときに日本を外国から見て、外国から日本を見て、

 たくさんの知識や経験をして、他の誰も持つことが出来ない彼自身の宇宙に

 それを閉じ込めたの。でも私たちがそれを知ることは出来ない。

 彼が残した小説や書簡以外では。

 人って、その存在自体が膨大な知識や知恵の集積なの。でも死んでしまうと

 全ては無に帰ってしまう。誰もそれを知ることは出来ない。

 文字や紙や印刷があった漱石の時代ですら、残っているものはあの程度のこと。

 それではもっと昔は?」

 

「伝説とか民話のことかな、日本書紀や風土記も元は口伝だった・・・。」

 

「聖書、カレワラ、アボリジニの物語・・・みんなそう。

 限られた短い命しかもたない、人から人へ、口伝えで継承されてきたの。

 人は弱い。他のどんな動物よりも弱い。ただ知恵だけが、生き抜くための力なの。

 なのにその知恵すら満足に伝えられることが出来ない時代、

 誰かが考えたんでしょうね。

 命の長さにはいろいろある。長い命をより長くすることが出来たら。

 短い蝋燭で火を受け継ぐのではなく、長い蝋燭でつないでいけば・・・。」

 

「まさか、ありえないよ。そんな昔の人が、そういう知識を持ってるなんて。」

「例えば、稲ってね、もとは野原に生えていた草の一種だったのよ。

 それを何千年も前の人が、より多く、大きな粒の取れる苗に作り変えたの。

 そのために、田んぼって言うそれまでになかった特殊な栽培地まで作って。

 乳牛もそう、豚も羊もそう。みんな人が改良したの。それも何千年も前の人が。」

 

「信じられない。」

 

「誰も見ていたわけじゃないから、多分そうだったんだろうということでしか

 ないんだけど、でもそうとしか考えられない。

 長命な家系のものを、別の長命なものと契らせ、時には記憶力のよいものを

 つれてきたかもしれない。そうやって作られた種族の一人なの。私は。」

「・・・どれぐらい生きるの?」

 

「三百年ぐらいって言われている。」

「そんなに!」

 

「病気にもなるし、事故にもあうから、そこまで生きられるかどうかは

 分からない。不死でも不老でも無いし。ただ他の人よりゆっくりと成長し、

 老いていくだけなの。」

 

 信じて。お願いこの話を信じてくれないと、全ては終わる。

 

「でも、今までそんなこと聞いたことないよ、本当に存在するなら誰かが

 知っているだろう。」

「本当に聞いたこと無い?聞いたけど、それは作り話の世界だって思っている

 だけじゃないの。錬金術師たちは真剣に不老不死の研究をしていたの。

 それがあると信じて疑わずに。」

 

もし、信じて私を受け入れてくれなければ・・・。

 

「徐福・・・。」

「うん。そういう話もあった。それは悲劇の話。彼は不老長寿の仙薬を探しに

 来たんじゃない。狩られる人々を脱出させるために船出したの。」

 

「私たちの種族の幾人かは、やがて王となって国を治めるようになるの。

 その時代が一番よかった時代なんでしょうね。知識と経験の豊かな王が、

 ほとんど永遠と思われるような長い治世を行う時代。

 でも、その次の時代は力と暴力で、欲望のままに人を支配する王の時代が

 やってきた。

 彼らは国だけでなく、永遠の命をも欲したの。でも、そんなものは手に入らない。

 秘薬とか仙薬とか言っている内はまだまし。

 それが存在しないとなると、生き血を飲めばいいとか、生き胆を喰らえば

 永遠の命を体内に取り込むことが出来るなどというものも現れる。

 多くの同族がそうして狩られ、殺されていったの。だから彼らは身を隠した。

 人の世界の闇の中や、誰も寄りつかない新しい土地に移住したりして。」

 

「じゃあ、ヴァンパイアも、もしかしたら・・。」

「そうかもしれないわね。彼らは人の生き血をすするって言われているけど、

 実はその逆だったのかもしれない。

 でもそれではお話しにならないから、誰かが作り変えたんでしょう。

 人が人を狩る話なんて、まともな人が聞いて、気分のいいものじゃないから。

 魔女と呼ばれたことも、あったかも知れ無いね。」

 

「とてもそんなふうには見えない。ボクと何も変わらないもの。

 顔も、髪も、腕も、・・・。」

「そうやって、何百年も身を隠して生きてきたの。」

 

「そういう人、沢山いるの?」

「分からない・・・。ある程度関わりのある人しか知らないから。

 狩られたときの教訓から、横の繋がりを強くしないようにしているって

 いってた。

 ・・・拷問されてもそこから情報がもれないようにって。」

 

「千冬は、本当に十七なの?」

「ええ、せっかく長生きの種族だっていってるわりには百十七才じゃないの。

 多分私が百十七才だったら、十六才の男の子を好きには

 ならなかったでしょうね。

 交通や通信が発達していない時代は、ただ定住しなければよかったの。

  写真も無い、せいぜい肖像画くらいだけど、それにしても肖像画を

 かかせる人のほうが特殊だった時代だから。

  でもいまのように、戸籍や住民票で管理され、子供はかならず学校に

 行かないといけないっていうこの国の社会で身を隠して生きていくのは、

 本当に大変なことなの。

 私たちの種族には、狩られた時代の恐怖がいまだに残っていて、だって、

 ひょっとするとその時代を生き延びた者が、まだ生きているかもしれないし、

 だから、私は何度も転校を繰り返さなくてはいけなかった。 

 小学校三年と六年は二回やったし、中学校は一年間病欠ってことにした。

 景くんとあったのは、二回目の六年のとき。

  あのとき、千冬って名前、嫌いって言ったの覚えてる?」

「うん。」

 

「好きな人と一緒になっても、その人が先に死んでしまったら、

 私はその後の二百回の冬をずっと一人で生きていくことになるの。

 だから千冬って名前嫌いだった。」

「そういうことか。」

 

「うん。・・・でもね、景くんと出会って、考え方が変わったの。

 たとえその後、一人きりの冬が何百回来たとしても、景くんと七十回の冬を

 一緒に過ごす方が大切だって。」

 

今度は、彼が私の身体を引き寄せた。私は、彼が求めるままに心を緩くし、

身体をゆだねた。

 

彼が私の腕にふれ、髪をなで、戯れに首を噛む。

 

そのたびに私の身体の細胞は小さくはじけ、血液は歓喜に溢れた。

 

「千冬はこの話をボクにしてはいけなかったんだね。だからボクの前から

 消えたんだ。今もそれは変わらないはずだろ・・・。」

 

「だから家出してきたの。二人で遠くへ行こう。」

「遠くへ行くのはいいけど。千冬、よくそんなこと簡単に言うよなあ。

 ほんとにボクより年上なの? どうやって生きていくのさ。」

 

それは大丈夫。

 

「ほら、これ。このカードがあれば問題ない。」

「カードなんて、親にすぐ止められちゃうよ。」

 

「いま私の母と名乗っている人は、私を産んだ人じゃない。

 父と名乗っている人は、精子を提供した人じゃない。

 あの二人とは何の血のつながりも無いの。私が成長するまでの仮の親で、

 彼らの生活をもっともらしく見せるための子役が私。

 私は、本当のところの父と母を知らない。

 こうしておけば、もし私の正体がばれたとしても、その血統が絶えることは

 無くなるから。

  このカードは日本の銀行のカードだけど、その口座の残高が少なくなれば

 自動的にスイスの銀行から補充される仕組みになっている。

 その源泉はね、狩られた人たちが、自分達の種族を残そうと最後に残した

 莫大な遺産からなっているの。

 だからあの人たちに、そんなことをしたりする権利はないの。」

 

「どうしてボクなんだ。」

 

「そんなの、人を好きになるのにいちいち理由は考えないわ。

 でも、結果は知っている。

 あの半年のあいだに、私を変えたのが景くんだった。

 北海道で、地平線に夕日が沈むとき、あの下に景くんがいると思って

 ずっとみてた。葦原で出会ったとき、これは偶然なんかじゃないと思った。

 だから、貴方じゃないとダメなの。」

 

 彼は暫くの間、何も言わずに夜の空を見ていた。

 

 彼がノーと言えば、私の“賭け”は終わり。私はこれから三百年の孤独を

生きていくことになるだろう。

 

 彼以外の男に、恋をすることはあるかも知れない。でも、その男は

彼ではないのだ。小学校の非常階段で、毎日地球の平和を見守っていた、

彼ではないのだ。

 

 

 

「分かった。これから荷物をまとめるよ。」

 

「こんなこと、考えたことも無かったから、何を持っていけばいいのか

よく分からないや。」

とこぼしながら、彼はスポーツバックに着替えなんかを詰め始めた。

 

 おそらく、後で見たらどうしてこんなものを入れたのかと思うようなものまで、

詰め込んでいるのだろう。

 

「ま、何かいるものがあれば、また取りに来ればいいか。」

 

この家に、二度と戻らないことは、彼には言わなかった。

 

「家出ってさ、初めてなんだけど、どこに行くか心当たりとかあるの。」

「景くーん。私の方がお姉さんだと分かって、なんか甘えてなーい?」

「いや、そんなことはないけど、・・・と思うけど。」

 

クローゼットを開いて、服を取り出そうとした彼の手が止まった。

 

「そっか。もう制服いらないんだ。・・・ま、いいか、このうちを出るために

 行った学校みたいなものだから。こうなると分かってたら、勉強なんか

 しないでもっと遊んでたら良かった。」

 

そんなことしてたら、葦原で逢えなかったでしょ。

 

「あーーー、しまった、どうしよう。」

「なに?」

「いや、洗濯物がさ、ちょっとたまってて、どうしようかなあ・・。

 あー風呂も入りたくなってきた。

 くーー、人間てバカだねえ。これから家出しようってときに、

 洗濯物と風呂が気になるなんて。」

 

彼、次はきっとトイレ掃除が気になるわ。

 

バスルームに行った彼が、“あっ”て声を上げた。

 

「どうしたの?」

「洗濯してある。ちゃんと畳んでるし。あの人も、変なトコにこだわるな。

 ほっとけばいいのに。あーーー、まずい。千冬あっちに行ってて。

 またちょっと、黒く濁ってきた。」

 

“黒く濁る”っていうのが、彼が荒れるときのイメージなのね。

もう、おっきいのに世話が焼けるんだから。

 

「そんなこと気にしないの。たかが洗濯物じゃない。なんなら千冬さんが、

 お風呂でシャンプーしたげようか?それとも背中流す? 

 あ、一緒にはいるのは無しよ。いくら景クンが年頃の男の子だからって、

 そこまでサービスできないなぁ。」

 

くっくっく・・・・。

「想像したら、ばかばかしくなった。」

景クンはしばらく同じ調子で、低く笑い続けた。

 

「この家にいたら、しばらくはこの繰り返しが続くんだろうな。やっぱり、

 出ちゃった方がいいんだね。」

 

彼はガスを止め、ブレーカーをおとした。

 

何も光るものの無い、無音の部屋を眺め回して、彼はドアの鍵を閉めた。


窓の外をオレンジの光が流れていった。

 

私たちは、来た電車を次々に乗り継いで、東へ東へと向かっていった。

 

三時間近くも乗っていると、話すことも余りなくなってしまう。

 二人とも無口になっていた。でも、私は幸福だった。ずっと欲しかった宝物を

手にいれた。

 

 しかも、彼女の目の前でそれを手にし、彼女の手の届かないところに

連れ去っていく。

あの、偽りの家族とももうお別れだ。私は愛する少年とともに新しい家族を作るのだ。

 

過去が、オレンジの光とともに飛び去っていく。私は景の右手を握り続けた。

 

「あのさ、この夏休み、バイトしようと思ってたんだよね。」

 不意に、景が窓ガラスに映った私に話しかけてきた。さっきから思ってるんだけど、

これってすごい変。

 

「バイトかあ。どうして?」

 

 わたしも、窓に映ったいつもとは反対向きの彼に話しかけた。写像よりも

声の方が先に届くような気がした、不思議な感覚。

 

「稼いでバイク買って、千冬と二人で海に行こうと思ったんだ。

 ボク海見たことないし。」

 

もう、やだ!うれしいって思ったのがそのままガラスに映ってる。はずかしいよう。

 

「じゃあ、落ち着き先は海の近くにしようか。二人で捜し歩いて、

 気にいった所で家を探すの。」

「十代の男女が海辺の町で家探しなんて怪しすぎ。“雲とサンダルと猫”以上に

 ありえねぇ。」

「じゃあ、兄妹って事で。」

 

「どっちが兄、姉?」

「いいですー、どうせ私は見た目子供っぽいですー。お兄ちゃん頑張ってね。」

「お世話になります、妹様。・・・でも、千冬ってさ、案外胸あるのな。」

 

どさくさにまぎれて、耳に口つけて、なに言うかなあ!この不届きものー。

 

 長い長い闇の、ビルの谷底をはうように列車は走って、終着駅に到着した。

車内放送が“東京”という名前を連呼していた。



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