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“あの人”とは上手くやっていると思う。

 

 ボクが中学に行っている間に、店長になって、

マネージャーとかになって、

「お客さんじゃなくて数字とにらめっこ。」

しているらしい。

 

 学校のこととかも、小さなことは殆ど話したりしないし、

成績をあまりとやかく言われたことは無かった。

 

 テストも通知簿も見せなかったから。

だから、ボクが有鄰館を受けるって言ったときも、

それが私立だってことをちょっと気にしたぐらいで、受かって初めて、

「ちょっと景ちゃん、有鄰館って進学校だったのね。

 母さん知らないで会社の人に言ったら、みんな驚いてたわよ。

 ああ、恥ずかしかった。そういうことはちゃんと言っといてよね」

なんて言ってる。

 

“あの人”は、友達づきあいするんなら、結構面白い人だ。

 

 時々、デパートで買ってきた服を、

「これなんかどう?」

って嬉しそうにボクに見せる。

 

「いいんじゃない、似合うと思うよ。」

って応えると、次の日にはそれを嬉しそうに着て仕事に出掛けていく。

 

もし、ボクがやめとけばって言ったら、どうするんだろうか。                                                                                                              

この間は夕方に家に帰ったら、珍しくご飯が出来ていてびっくりした。

 

「デートだったの?」

「うん。」

「あのミズエちゃんて子?」

「イヤ、ミズエにはふられたんだ。」

 

母上、その質問はきついぞ。ご飯噛まずに舌噛みそうになる。

 

「そうなの?母さんてっきり、ミズエちゃんだとばかり思ってたわ。

 どなた?」

「うーん、母さんの知らない女の子。葦原で知り合ったんだよ。」

 

ウソは言ってない。

 

「景ちゃんもそういう年頃かぁ。女の子には優しくしてあげなさいよ・・・。

 景ちゃんなら、言わなくてもそうするとは思うけど。お小遣い足りてる?」

 

 母上、毎月使い切れないぐらい、十分頂いております。

 

 ああ、でもバイクなぁ・・・。やっぱり、今年はバイトで金貯めて、

来年にしよう。

 いくら日本が、国土をおろそかにすると言っても、あの海岸が来年は

テトラポッドで埋め尽くされることは無いと思うんだ。

それに、一年後の楽しみなんてのも、何となくいいな。

 

あの人は時々、夜中にケイタイで長電話している。

 

 ボクはそういうとき、勉強していてもベッドに入っているときも

あるんだけど、イヤフォンをしてラジオを聞いている。

 

 あと三年だ。あと三年したらボクは東京の大学に行って、

この家とはおさらばするんだ。

 

 東京で一人暮らしをして、もうこの町に帰ることはないだろう。

 

 ボクがいなくなれば、あの人も父さんと離婚して、この家も引き払い、

ボク達の家族が存在した痕跡は、この世から消えて無くなる。

 

この町を離れたら、ミズエとはもう逢うこともなくなるんだろうな。

 

泣いてないよな。キミがボクをふったんだから。


葦原の駅から快速でひと駅、普通でも三駅。

 

 豊浦駅から歩いて十二分。豊浦にも公立の中学はあるのだけれど、

母さんにまったく信用をなくしてしまったわたしは、

私立の女子中学に入れられてしまった。

まさか、同じ駅にある高校に景クンが通っているとは知らずに。

 

 母さんの作戦は裏目に出た。わたしは、もう少し時間をかけて、

彼を捜すつもりだった。

 

 

 この中学生の身分で彼に会うのであれば、わたしは何故いま

中学生をやっているのか彼に納得させる必要があるからだ。

 身体をこわしたというのはウソではないのだけど、

そうでなくてもわたしは中学生を余分に一年やる必要があった。

 

 わたしは人より長く生きる分、人よりも成長が遅い。

十七才と半年のわたしは、十五の中学生と偽ってもなお、

子供っぽく見えた。

 

「お帰りなさい。このごろよく出掛けるわね。」

母さんの声が、皮肉っぽく絡んできた。

まるで、毎日が戦争みたいだけど、この闘いだけは絶対に負けない。

 

「北海道で三年間くすぶってた反動かな。」

「誰と遊んでるの。」

「クラスメート。」

「にしては、おしゃれに気を遣ってるわね。何度も鏡を見直したり、

着替えたり、髪をくくったり、広げたり。」

 

とげだらけだ。わたしを刺すつもりだ。

 

「私立の女子中に来るような女の子は、みんないいトコの

お嬢ちゃんなの。みっともない格好していけるもんですか。」

「そう、最近のお嬢さんて、チノパンにポロシャツなんて

着てくるのね。母さん知らなかったわ。」

 

チノにポロシャツ・・・今日の景クンの格好だ。

あの勝ち誇ったような言い方。

信じられない。どうしてそんなこと知ってるの。

私の後を、つけていたとでも言うの。

 

「どうして知ってるの。」

「あなたは、監視されてるの。あなたは三年前、その男の子と

必要以上に親しくなったでしょ。

だから、私たちはたった半年で引っ越したのよ。

 貴方は知らないでしょうけど、どれだけ大変だったか。

私たちは人の記憶に残っちゃいけないの。

 万が一再会したときに、私たちが歳をとらないことを

気付かれないように。」

 

「知ってる。」

 

「わかって無いじゃないの!何をわかって言ってるの。

 その男の子とまた付き合って、あなたね、いつまで

 その子と一緒にいられると思ってるの。

 三年も付き合っていれば、おかしいと思うわよ。

 あなただけがいつまでも子供のままで大人にならない。

 一体どういうことなんだって。

  あなたはいつか、彼にその理由を明かさないといけなくなる。

 そうしないと、一緒にいられなくなるから。

 疑惑と猜疑心をはらすには、そうするしかないから。

 そんなことをして、あなたが同族を危険にさらす権利は無いのよ。

 彼が一度耳にしたその秘密を、いつまでも守る保証はないのよ。

 そうなったら、彼には死んでもらうしかないわ。」

 

「いくら秘密を守るためだからって、人殺しまで・・・。」

 

「あなたが話さなければ、済むことじゃない。彼を死なせたくないなら、

 そうすればいいのよ。彼と付き合わなければいいの。

 母さんは、そうしてきたんだから!」

 

 大人って。汚い。

 

 そうやって、なんでもお見通しよ、みたいな顔で押さえつければ、

子供は言うことを聞くと思ってるんでしょう。

 

 私はあのとき十四才の小学六年生だった。淋しいとか哀しいより、

屈辱で悔しくて、くちびるを噛み切りそうだった。

 でもいまは、もう十七才と半年の中学生なのよ。三年間、

歯を食いしばって耐えた十七才よ。

 

「おかあさん。私、小学生の時、憧れてたことが二つあるの。

 聞きたい?」

「いきなり何!そんなことがいまの話に関係あるの?」

すぐ、いらいらするんだから。

 

「一つはね、おかあさんみたいなお嫁さん。かわいいでしょ。

 もちろん相手は景クン。それで、もう一つはね、不良少女よ。」

 

もしその場にナイフでもあれば、母は斬りつけてきたかも知れない。

 スカートを引き裂かんばかりに握り締めて、睨みつけてきた、

あんなに恐ろしい顔。

夜叉ってこういう顔をしていたのかもって、私は冷静に見返していた。

 

 でもね母さん、私がみた何も無い風景ってね、そんなものじゃ無いの。

 

 

だって、あの時私は、絶食の末に本当に死ぬところだったんだから。


 日曜の夜。

 

 翌日は、一学期の終了式の日ということ以外には、

取り立ててなになにがあるというはずもない日。

 

「景ちゃん、ちょっと話があるの。」

と、“あの人”が部屋の外でよんだ。

 

 リビングに入ると、テーブルの上に通帳とカードと印鑑が

置かれている。

 

何だろう?

 

「景ちゃん。母さんね。この家を出て行こうと思うの。」

 

ボクはこれから何が始まるのか、わかった。

おわるまで、我慢しなくちゃいけない。

 

「景ちゃん。大学に行くときには、この家を出るつもりなんでしょ。

  この家から通える範囲に、景ちゃんの高校から行くような大学って

 無いものね。

 そうなったら、母さんがこの家にいる意味って、もう、特にないの。

  意味もないのに、一人でずっとこの家に、死ぬまで住み続けないと

 いけないの。」

 

ボクが一番恐れていたことが、少しずつ、始まっている。

 

「それはつらいの。その寂しさに耐えられそうにないの。

  でも、いまなら一緒に暮らさないかっていってくれる人がいて、

 その人と何度も話し合って、そうしようってことにしたの。

   それから今日そのことを景ちゃんに話すまで、何度も何度も

 迷ったんだけど、景ちゃんにも大事な人が居るって知って、

 いまなら分かってもらえるんじゃないかと思って。」

 

 あの人は下を向いていた。辛かったんだろうな。

 

 自分の息子に避けられていると知って、その原因が自分にあることも

分かっていて、あれから三年。

そしてこれからの何十年か。このままいたんじゃ辛いことばっかりだ。

 

最後に、親孝行すっか、オレ。

がんばれ、ケイ。

 

「母さんのいうことは分かった。今日までありがとう。」

 

その瞬間、母さんは下を向いた顔に両手を当てて、泣き出した。

見ていられないぐらい、激しく泣いていた。

 何か、自分がほんとうは既に死んでいて、その骸に向かってあの人が

泣いているような気がするぐらい、辛そうな泣き方だと思った。

 

「この通帳。貴方の名義で作っておいたから。

 父さんと母さんからの仕送りがここに入ります。

  大学にはいるのに、お金がいるとかそういうことはちゃんと

 相談してね。

  住むところが別れるといっても、親子じゃなくなるわけ

 じゃないんだから。

 貴方が独り立ちするようになるまでは、母さん達は離婚しないの。

 それから先のことは、また話し合って決めましょう。

  普通の家族みたいにやっていければ良かったんだけど、

 景ちゃんには悪いことしたと思ってる。

 でも、母さんは、景ちゃんみたいな子供をもてて、嬉しかった。

 母さんのたった一人の子供が、景ちゃんで良かった。」

 

 その言葉は、ボクには何の慰めにもならなかったけど、

愁嘆場にならなくて良かった。

 

「母さん。悪いけど、明日ボク学校があるんだ。

 夕方には帰ってくるから、それまでにでていってくれるかな。」

 

 母さんは多分もう、何を持っていって、何をおいていくかの

段取りはしているだろう。

女の人って、感情とは別の所でそういう理性は働くものみたいだから。

引っ越し屋も頼んであるかも知れない。

 
とにかく明日また、この家でこの人に会うのはイヤだった。

 久しぶりにボクは夢を見た。

 

 誰だか知らない人から引き離される夢。

 

 声も聞こえる。「ごめんね。」って言う声。

 

 その時のボクには何の感情も無い。

 

 なにも分からずに引き離される夢。

 

 うなされて目が覚めた。

 あの夢は、あの人じゃない他の誰かだ。じゃあ、一体誰なんだろう。

 

 それとも、単なる夢に過ぎないんだろうか。


 終業式の日に、学校に早く着いても何にもすることがない。

だから窓際の自分の席に座って、ぼーっと校庭を見ていた。

 

「中森くん、久しぶり。」

「あー、相沢かあ。」

あいかわらず、スカートの丈短いなあ。

 

「休みぼけ? 補習来てたんじゃなかったっけ。」

「昨日寝てない。」

「久しぶりの学校で、わくわくして寝れなかったとか。」

こいつに話してもなあ。

 

「悩み事あるんなら、相談に乗るよ。」

「1回5セント?」

「M・Oちゃんも苦労したわけだ。Kくんが、こんな世界中の

 苦悩を背負って生きていますみたいな顔して、

 ぐずぐずしてるヤツじゃあね。

 バカデース、でも元気でーす、どっかーん、みたいな男なら

 気楽なのに。」

 

「もう、そんな苦労しなくていいんだよ。」

「なーんか、中学生と付き合ってるらしいね、しかもお嬢学校の。」

「・・・なんで知ってんだ。」

 

「葦原の町で見られたのよ。っていうか、しょっちゅう一緒に

 帰ってるらしいじゃない。

 有鄰館の制服と、双葉の制服が並んで歩いてたら目立つの。」

 

そんなもんか。ふーん。

 

「世界は暇人ばかりだなあ。」

 

ボクは窓の外に頭をそらして、空を見上げた。

垂直に切り取られた空。

断頭台のような校舎の窓。今すぐ落ちてこい。

 

「ちょっと、やめなさいよ。危ないじゃない!」

相沢が真剣な顔をしてボクを引き起こした。

 

「余計なことをいった私が悪かったから、そんなこわいコトしないで。」

ボクは、無抵抗に相沢に肩を掴まれたままいった。

 

「今頃、“あの人”が荷物をまとめて、家からでていこうとしている。」

 

相沢がようやく手を離して、

「あの人って誰。」と聞いた。

 

「“母親”っていってたっけ。」

「そんな、ウソでしょ。」

「普通そう思うよな。でも、現実なんだ。今日から一人暮らしだ。

 ハハ・・・。」

 

相沢が、そんなひどいショックを受けたって顔すること無いよ。

これはオレのことなんだから。

ああ、また黒いものがどんどんしみ出てくる。我慢してたのに。くそ!

 

「もう、あんまり話しかけない方がいいぞ、オレこうなると

 自分勝手になって、何言い出すか分からないんだ。

 相沢にひどいこといいたくない。」

 

“よーよー、朝から見せつけてくれるじゃん。” 

・・・シマダか。

 

「相沢そこどいてくれ、あいつぶっ潰す。」

 

進学校のふぬけ野郎のくせに、

「相沢にそんな口聞くな!」

 

「ダメだよ。私、絶対どかない。中森にそんなコトさせるわけには

 いかない。」

「だって、あの野郎がオマエに!」

 

「いいの!あのKくんにそんなことさせられない。

 私、前に現実ってこんなもんかっていったけど、あれ取り消す。

 M・Oがキミを好きになった気持ち、いまは分かるよ。

 だって、自分が辛い時なのに、自分をほっといてでも

 ただのクラスメートを守ろうってするヤツ、

 好きにならないわけ無いじゃない。」

 

興奮すんな相沢。クラス中引いてるぞ。

 

「ほら、ハンカチ。それから、とにかく座れ。

 よっこらしょっていうなよ。」

「バカ。」っていわれた。

 

あとで、

「さっきの好きっていうの、私のことじゃないからね。」

て念を押された。

 

「オレのハンカチ。」

「洗って返す。」

「夏休み中、干すのか。」

「バカ。今日は私の持ってて。」

 

また、バカ、だ。こんな可愛いハンカチ持ってたら

「職質されたら、補導されるなオレ。」

 

「こらそこの二人、うるさい。」

「先生すんませーん。シマダが朝から喧嘩売ってきたんで、

 後でどうやってしめてやろうか相談してたんです。」

シマダの野郎おどおどしやがって、根性無し。

 

「おい、ほどほどにしとけよ。中森。」

ほどほどだったら、やっていいのか。

 

 でもな、今日はもっと重い問題抱えてるんだよ、オマエの相手してる

暇ないんだわ。

残念だったなシマダ。



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