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 蓮さんは、美大生でマスターの姪だか孫だか・・・で、

夜の部のバイトに来ている。

 

 ヒールのある靴を履くと、ボクより背が高い。目鼻立ちがはっきりして、

スタイルも良くて、さばさばした性格だから、蓮さんを目当てにこの店に来る

学生とかも多い。

 それは見てるとわかる。カップルで来た、女の子がちょっとイヤそうな顔

するのもちょっと面白い。

 

 ボクがマスターの晩御飯を食べて、暇そうに音楽聞いてボーっとしているとき、

ときどき相手してくれたりもする。コーヒーをこっそり入れてくれたりとか、

・・・前はジュースかと思ったらカクテルだったのにはちょっとびっくりした。

 

マスターも知ってるんだろうけどね。

 

 来始めて一ヶ月ぐらいした頃に、ミズエに振られた話をしたら、

「そりゃあ、あんたが悪いね。」ってばっさり切られた。

 

「その子、不安なんだよ。君がはっきりしないから。」って。

 

こんな姉さんがいたらいいのになあ、ってときどき思う。

 

「そうか、それで煮え切らないんだ。君は。」

とちょっと怖い顔でボクを見て、

「今日はもう帰りな。」

って言いのこして、奥に消えていった。

 

「気にスンナよ。蓮は中森くんのことが心配でしょうがないんだ。」

 

 でも、お子ちゃまがいて、営業妨害になってはいけないので、

ボクと千冬は店を出た。

 

「さてと、今日はもう帰ろうか。」

「まだ早いよー。」

「一回目のデートから飛ばしてたら、直ぐにマンネリになるぞ。」

 

 千冬は駅に向かって渋々歩き出し、

「あ、忘れ物した。ここで待ってて。」と言って店に逆戻りした。

 何忘れたんだろ。

 

 

「マスター。」

 

カウンターからマスターが、奥から蓮さんが首だけ出した。

 

「なんだい、忘れもの?」

「ハイ、あの。・・・景くんに親切にして頂いて、どうも

 ありがとうございます。」

「なんだそりゃ。ま、お客さんだからね。」

 

「彼、人見知りが強い方なんです。その彼が、私をここに連れて

 きたっていうのは、よっぽどここの居心地がいいからだと思うんです。」

 

「わーった、わーった。あいつはいいヤツで、オレは照れ屋なんだよ。

 俺もさ、あいつが来ない日が続くと、心配でしょうがねーんだ。

 なぁ、蓮!」

 

蓮さんは、ふん!て鼻で笑って、また奥に引っ込んだ。

 

「じゃあ、今度は本当に帰ります。」

「ああ、気いつけてな、お嬢ちゃん。」


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“もう、満員なんてしんじらんない。”

“しょうがないよ、日曜なんだし。ついてないし、そろそろかえろうか。”

 

“ここさっき通ったよね。あのかき氷屋さん。葦原も広いようで狭いんだ。”

“新しいパンプスで足が痛くなちゃった。こんなに歩くと思ってなかったからなぁ。”

 

“お姉ちゃん、高校に入ってから運動不足なんじゃないの。知らないよ、

 ぶくぶく太っても。”

“私は太らない体質なの。”

“そんなのあるのかなー。”

 

 さっき、千冬が聞き覚えのある声がするっていったの、

この二人のことだったのか。

まずいって言うか、あまりいい場面じゃないな。

でも、隠れるわけにもいかないし。

 

「あら、景クンじゃないの。ねえ。」

「えっ、あ。」

 

 ミチルさんが、ミズエの腕をつついて、

“ほらチャンスだよ、仲直りしちゃいな”

っていってるのが聞こえた。ミズエはばつが悪そうに斜め下を向いてる。

 

こんな状況じゃなかったら、ボクから声をかければいいんだけど。

といって、何を言えばいいか思いつかないんだけど。

 

「お待たせー、景クン。」

その声に、ミズエがぱっと顔を上げて、驚きが顔中に広がった。

 

「・・・どうして。」

「ミズエちゃん・・・お久しぶり。わたし北海道から戻ってきたの。」

「いつ。」

「この四月だよ。」

 

「で、どういうコトなのこれ。」

「これって、・・・ミズエちゃん、景クンのこと、ふったんでしょ。

 だったら、私がこんなコトしてもいいわけだ。」

というなり、ボクの腕に手を回した。

 

「そう、そういうこと。・・・そうね、どうぞお好きに。」

 

そういうと、ミズエは表情を硬くして足早に駅の方へと去っていった。

 

ミチルさんは、

「景クン・・・いえ、何でもないわ。」

と哀しそうな顔で言うと、ミズエのあとを追いかけていった。

 

 

二人が見えなくなる頃、

「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん・・・。」

千冬はボクの腕を掴んだまま、泣いていた。

 

「わたし、あの時のこと、どうしても忘れられなかったの。・・・景クンと

 ミズエちゃんが、私の前で手をつないで石段を下りてきたときのこと。

 わたし、本当にイヤな女だ。」

 

 夕暮れが近付いて、こうした繁華街のはずれにも、二人連れの姿が多くなってきた。

 みんな、自分のパートナーのことに気がいって、道ばたで立ちつくしている

ボクたちのことを気にする人もいない。

 

雑踏の中の二人。

 

“空”と“サンダル”と“猫”。

 

 千冬は自分のことを“女”と言った。誰もが穢す者となり、

誰もが傷つく者となる。時間と場所によって、それは入れ替わる。

 千冬が悪いんじゃない。ミズエが悪いんじゃない。悪いのは無色の振る舞いをして、

何も決めようとしないボクだ。

 

人が去っていく寂しさに怯えて、誰も手放そうとしないボクだ。

 

「千冬は悪くないよ。」

 

さよならを言わないボクだ。

 

 ボクは千冬とケイタイで連絡を取り、一週間のうちの何日かを

あの自販機前で待ち合わせ、駅までの道を何時間もかけてたどった。

 

初めて制服姿の千冬を“ラ・メール”に連れて行ったとき、

マスターは

「中森くん、未成年の子はまずいんじゃないか。」

と真剣にボクに忠告した。

 

いつものように

「マスターおはようございます。」って、

夕方の挨拶をして入ってきた蓮さんは、・・・何故か今日はアフロだったけど、

セーラー服姿の千冬を暫く凝視して、いきなり奥の部屋に引っ張り込んで、

“蓮さん何するんですか!”という千冬の抗議もむなしく、

 ・・・ボクは助けに入れませんでした、だいたい何をしているか

想像がついたので・・・、

千冬の制服を身にまとって店に現れた。

 

  マスターはお湯をコーヒーフィルターからあふれさせ、

ぼくはちょっとセーラー服にアフロでヘソ出しはきついん

じゃないかと思ったけど、常連の長谷さんは、すかさずケイタイで

デジカメを撮ると、二日後には店のメニューの下にプリントがはられ、

さらにその翌々日には、ラ・メールのホームページにちょっと

ぴんぼけのその写真がアップされて、一日のアクセスが

三千を軽く越えた。

 

 

夏休みになったら、千冬とバイクで海に行こうと思った。

 

蒲生から太平洋まで約二十キロ。

ボクはまだ、テレビでしか海を見たことがない。

 

 ぼくだけなら走っていけないこともないが、

・・・ま、電車とか乗り継いでもいけるんだけど、

何となく、ま、それだとプールに行くのとあまり変わらない気がして

 

・・・、ま、バイクなんだよとにかく。

 

 こういうことにケチ付けるヤツは、男のロマンがわからないヤツだ。

土日と夜の教習所に通い詰め、二週間後には試験をパスした。

 

 問題はバイクだ。二人乗りできて、あまり高いのもダメ。

スパーカブがいいな。あの“かっとばなさ感”と“ゆるさ”がいい。

シートをタンデムにして、千冬と海へ行こう。

ああ、でも、荷台に座蒲団ていうのも、映画的にはありかも知れない。

 

 ん?

 

なんで映画なの、なんて聞いちゃ駄目。

 

 中古でもそれなりにするだろうから、バイトするか。

でも、それだと夏が終わってしまうかも知れないし。

 

うーん。こういうのあの人にねだるのも、ちょっとなぁ。


“あの人”とは上手くやっていると思う。

 

 ボクが中学に行っている間に、店長になって、

マネージャーとかになって、

「お客さんじゃなくて数字とにらめっこ。」

しているらしい。

 

 学校のこととかも、小さなことは殆ど話したりしないし、

成績をあまりとやかく言われたことは無かった。

 

 テストも通知簿も見せなかったから。

だから、ボクが有鄰館を受けるって言ったときも、

それが私立だってことをちょっと気にしたぐらいで、受かって初めて、

「ちょっと景ちゃん、有鄰館って進学校だったのね。

 母さん知らないで会社の人に言ったら、みんな驚いてたわよ。

 ああ、恥ずかしかった。そういうことはちゃんと言っといてよね」

なんて言ってる。

 

“あの人”は、友達づきあいするんなら、結構面白い人だ。

 

 時々、デパートで買ってきた服を、

「これなんかどう?」

って嬉しそうにボクに見せる。

 

「いいんじゃない、似合うと思うよ。」

って応えると、次の日にはそれを嬉しそうに着て仕事に出掛けていく。

 

もし、ボクがやめとけばって言ったら、どうするんだろうか。                                                                                                              

この間は夕方に家に帰ったら、珍しくご飯が出来ていてびっくりした。

 

「デートだったの?」

「うん。」

「あのミズエちゃんて子?」

「イヤ、ミズエにはふられたんだ。」

 

母上、その質問はきついぞ。ご飯噛まずに舌噛みそうになる。

 

「そうなの?母さんてっきり、ミズエちゃんだとばかり思ってたわ。

 どなた?」

「うーん、母さんの知らない女の子。葦原で知り合ったんだよ。」

 

ウソは言ってない。

 

「景ちゃんもそういう年頃かぁ。女の子には優しくしてあげなさいよ・・・。

 景ちゃんなら、言わなくてもそうするとは思うけど。お小遣い足りてる?」

 

 母上、毎月使い切れないぐらい、十分頂いております。

 

 ああ、でもバイクなぁ・・・。やっぱり、今年はバイトで金貯めて、

来年にしよう。

 いくら日本が、国土をおろそかにすると言っても、あの海岸が来年は

テトラポッドで埋め尽くされることは無いと思うんだ。

それに、一年後の楽しみなんてのも、何となくいいな。

 

あの人は時々、夜中にケイタイで長電話している。

 

 ボクはそういうとき、勉強していてもベッドに入っているときも

あるんだけど、イヤフォンをしてラジオを聞いている。

 

 あと三年だ。あと三年したらボクは東京の大学に行って、

この家とはおさらばするんだ。

 

 東京で一人暮らしをして、もうこの町に帰ることはないだろう。

 

 ボクがいなくなれば、あの人も父さんと離婚して、この家も引き払い、

ボク達の家族が存在した痕跡は、この世から消えて無くなる。

 

この町を離れたら、ミズエとはもう逢うこともなくなるんだろうな。

 

泣いてないよな。キミがボクをふったんだから。


葦原の駅から快速でひと駅、普通でも三駅。

 

 豊浦駅から歩いて十二分。豊浦にも公立の中学はあるのだけれど、

母さんにまったく信用をなくしてしまったわたしは、

私立の女子中学に入れられてしまった。

まさか、同じ駅にある高校に景クンが通っているとは知らずに。

 

 母さんの作戦は裏目に出た。わたしは、もう少し時間をかけて、

彼を捜すつもりだった。

 

 

 この中学生の身分で彼に会うのであれば、わたしは何故いま

中学生をやっているのか彼に納得させる必要があるからだ。

 身体をこわしたというのはウソではないのだけど、

そうでなくてもわたしは中学生を余分に一年やる必要があった。

 

 わたしは人より長く生きる分、人よりも成長が遅い。

十七才と半年のわたしは、十五の中学生と偽ってもなお、

子供っぽく見えた。

 

「お帰りなさい。このごろよく出掛けるわね。」

母さんの声が、皮肉っぽく絡んできた。

まるで、毎日が戦争みたいだけど、この闘いだけは絶対に負けない。

 

「北海道で三年間くすぶってた反動かな。」

「誰と遊んでるの。」

「クラスメート。」

「にしては、おしゃれに気を遣ってるわね。何度も鏡を見直したり、

着替えたり、髪をくくったり、広げたり。」

 

とげだらけだ。わたしを刺すつもりだ。

 

「私立の女子中に来るような女の子は、みんないいトコの

お嬢ちゃんなの。みっともない格好していけるもんですか。」

「そう、最近のお嬢さんて、チノパンにポロシャツなんて

着てくるのね。母さん知らなかったわ。」

 

チノにポロシャツ・・・今日の景クンの格好だ。

あの勝ち誇ったような言い方。

信じられない。どうしてそんなこと知ってるの。

私の後を、つけていたとでも言うの。

 

「どうして知ってるの。」

「あなたは、監視されてるの。あなたは三年前、その男の子と

必要以上に親しくなったでしょ。

だから、私たちはたった半年で引っ越したのよ。

 貴方は知らないでしょうけど、どれだけ大変だったか。

私たちは人の記憶に残っちゃいけないの。

 万が一再会したときに、私たちが歳をとらないことを

気付かれないように。」

 

「知ってる。」

 

「わかって無いじゃないの!何をわかって言ってるの。

 その男の子とまた付き合って、あなたね、いつまで

 その子と一緒にいられると思ってるの。

 三年も付き合っていれば、おかしいと思うわよ。

 あなただけがいつまでも子供のままで大人にならない。

 一体どういうことなんだって。

  あなたはいつか、彼にその理由を明かさないといけなくなる。

 そうしないと、一緒にいられなくなるから。

 疑惑と猜疑心をはらすには、そうするしかないから。

 そんなことをして、あなたが同族を危険にさらす権利は無いのよ。

 彼が一度耳にしたその秘密を、いつまでも守る保証はないのよ。

 そうなったら、彼には死んでもらうしかないわ。」

 

「いくら秘密を守るためだからって、人殺しまで・・・。」

 

「あなたが話さなければ、済むことじゃない。彼を死なせたくないなら、

 そうすればいいのよ。彼と付き合わなければいいの。

 母さんは、そうしてきたんだから!」

 

 大人って。汚い。

 

 そうやって、なんでもお見通しよ、みたいな顔で押さえつければ、

子供は言うことを聞くと思ってるんでしょう。

 

 私はあのとき十四才の小学六年生だった。淋しいとか哀しいより、

屈辱で悔しくて、くちびるを噛み切りそうだった。

 でもいまは、もう十七才と半年の中学生なのよ。三年間、

歯を食いしばって耐えた十七才よ。

 

「おかあさん。私、小学生の時、憧れてたことが二つあるの。

 聞きたい?」

「いきなり何!そんなことがいまの話に関係あるの?」

すぐ、いらいらするんだから。

 

「一つはね、おかあさんみたいなお嫁さん。かわいいでしょ。

 もちろん相手は景クン。それで、もう一つはね、不良少女よ。」

 

もしその場にナイフでもあれば、母は斬りつけてきたかも知れない。

 スカートを引き裂かんばかりに握り締めて、睨みつけてきた、

あんなに恐ろしい顔。

夜叉ってこういう顔をしていたのかもって、私は冷静に見返していた。

 

 でもね母さん、私がみた何も無い風景ってね、そんなものじゃ無いの。

 

 

だって、あの時私は、絶食の末に本当に死ぬところだったんだから。



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