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「マスターこんにちは。」

「おう、中森くん。いらっしゃい。今日はお嬢さんづれかい。

 すみに置けないねー。」

 

マスター年いくつ? すっごい古典的。

 

「カウンターでいいよね。」と景クンは、彼のS席にわたしを誘った。

「うん。」ちょっとわくわく。

さすがに麦わら帽は被ってないか。

 

「メニューは後ろ。」

へ、後ろって、わあ、黒板にチョークで書いてある。

 

「マスター、ボク、フレッシュトマトとベーコンのスパゲッティ。」

「あいよ、お嬢ちゃんは何にする?」

「私、パエリアお願いします。」

「ちょっと時間かかるけど、いいね。今日はムール貝のいいのが無くって、

アサリと手長エビだ。アサリ大丈夫?」

「はい。」

 

わぁ、ちゃんとお米から炒めるんだ。カウンター面白い。

ぜーんぶみえる。

ワォー、フライパン燃えた。もう一回やってくれないかなぁ。

 

「このスープとサフランが決めてだァ。」

「すっごくいい匂いです!」

「だろー。」でも、景クンどうしてこういうお店知ってるんだろう。

 

ねぇ景クン。

 

「ずっと前にね、夕方お店の前を通ったら、ニンニクのすごくいい匂いがして、

 その日はどうせ一人だったから、たまには食べて帰っちゃえって思って。

  外から見たら、焼きそばかなんか出てきそうだけど、

 ちゃんとしたスパゲッティが出てくるし、マスターはこんな人だし。

 いっぺんで気に入っちゃって。」

 

「時々、食べに来てくれんだよなー。ほい、スパゲッティお待たせ。

 お嬢ちゃんはもうちょっと待ってね。お焦げは好きかい。」

「ハイ、大好きです。」

 

わーい。

 

「ねぇ景クン、さっきの映画どうだった?」

どうでもいいけど景くん、スパゲッティ巻き取るのちょっと下手くない?

 

「うん。考えてたんだけど、あの配役さ、男と女が逆だったら、

あの美しさって成り立たないんだろうなーって。」

「どういうコト、それ。」

 

「だから、少年って穢されるべき存在で、少女は犯すべからざる存在じゃない。

 少年は汚れることで、その短く儚ない時間をより美しく見せるけど、

 女の場合って、汚れてるのは大人の女性だよね。

 汚れた少女ってオヤジの願望で、痛々しくて美しくないよ。」

 

ほーっ、まさかそんな答えが返ってくるとは思ってなかったわ。

だって、彼ったら、フフ。

 

「こらー、何で笑うんだよ。真面目に応えたのに。」

「いまの説明って、すごいなと思って。私びっくりしちゃった。

 だって、初めて図書室であったとき、作家の顔でどれ読むか

 決めてるんだって言ってたのよ、景クン。」

「それで、中也勧めてくれたんだよね。小学生には無理かも

 知れないっていいながら。

 確かに無理だったけど。」

 

彼って昔のこと、良く覚えてるんだ。

 

「中森君は面白いね。

 普通は料理って、飲んで、くって、腹一杯になって、勘定払って

 終わりなんだが、中森君は、なんでこんな味が出るんだ、

 いま入れたのは何だ、どうして弱火にするんだとか、

 いちいちうるさいのよ。

 だからさあ、こっちも気合い入れて作らないと、

 おっさん、腕落ちたとか言われたらたまんないからね。

 はいお嬢ちゃんパエリア。おまたせー。」

 

「すっごくきれいな黄色。エビの朱色もキレイ。」

「だろー。よし、気に入った。アフターのコーヒーはサービスだ!」

「あの、・・・紅茶にしてもらえますか。」

 

 景クンが、おいおいって顔してわたしを見た。

 

 昼食時を過ぎていたので、店はそれほど忙しくもなく。

 ボク達は彼女のいた北海道の話や、ボクの中学生活の話やなんかを、

 再会した友人達が、それこそ普通に、当たり前にするように話し込んだ。

 

 マスターは、本当は二時から五時半までは昼寝と夜の仕込みで

店を閉めているんだけど、準備中の札だけぶら下げて、

「まあ好きなだけいていいから。」

とボクたちに居場所を提供してくれた。

 

「・・・でねー雪がすっごくて。冬なんかどこへも行けやしないの。

 映画なんて百キロぐらいクルマをとばしていかないと見れないの。

 信じられないけどそれが現実だったのよ。」

「百キロか、いいな。それ。」

「・・・・・なにが?」

 

「いつかどこまで走れるか、やってみたいと思ってるんだ。」

「陸上やってたっていったよね。景クンが部活やってるところって、

 想像できないな。」

 

「そっかー?ちょっと、家に帰らない口実にしてたって所もあるんだけど・・、

 でも、長距離はボクに向いていると思った。

  何にも考えずに、ただ空や風や鳥の声や自分の足音と心臓の響きと、

 それだけに耳を傾けて走り続けるっていうのが、ボクにとっての究極の

 ランニングなんだ。百キロ走ったら、七十五キロぐらいからそれが

 現実になりそうな気がするんだよ。」

 

「どうして四十二・一九五キロじゃダメなの。」

「あれは、どうしても他人との勝負のイメージがついて回るから。」

「ふーん。色々考えてるんだね。小学生の頃の印象しか無かったから・・・。」

「何だよ、淋しいとか言うなよ。」

 

「ううん。嬉しい。いろんな言葉を聞けるから。景クンがどんな人に

 なってるか楽しみだったから。」


マスターが洗い上がったグラスや皿を、カウンターの裏に並べ始めた。

もうそんな時間なのか。

 

「マスター、箒とか貸してくれたら手伝いますけど、お掃除とか。」

 

 千冬がカウンターから身を乗り出して、マスターにアピールした。

 マスターはヒューって口笛を吹いて、にやっと笑うと

ちょっと待てと指を立て、奥から畳んで重ねたクロスの束を運んできた。

 

「うちは間接照明で夜は暗いから、白いテーブルクロスを掛けるんだよ。

 こうすると、周りが暗くてもテーブルが華やかに見えるだろう。

 この小さな宇宙の上で、恋人達が語り合うっていうシナリオだな。」

 

千冬、目がハート形になってるぞ。

 

「気分が盛り上がれば、ワインも進む。ワインが進めば料理も進む。

 うちは大もうけって寸法だね。はっはっは。」

 

千冬、肩が下がってるぞ。

 

ボクは千冬と二人で、テーブルにクロスをかけて回った。

ちょっと、雨の日に歩道橋から眺める通りのようにも見えた。

 

 

 

「お姉ちゃん、のどかわいたね。なんか飲もうか。」

「そうだね、あの店どう?かき氷はじめました、だって。」

「なんだか、海の家みたい。でも準備中って下がってるよ。

 店の人掃除してるみたいだし。」

「じゃ、別のとこいこうか。橘花の子達がよくいく店あるけど、

 そこ、行っとく?」

「行っとく。」

 

 あ、誰かはいってく、店の人っぽいな。足長いなーあの人。しかもあの

七色のパンタロン。普通の神経じゃ着れないな。

 

「行くよー。」

「はーい。」

 

「どしたの、千冬。」

「ん、なんだか聞き覚えのあるような声が・・・・。」

 といいながらみていた入り口のすだれが、じゃらっと、

勢いよく弾かれた。

 

「マスター、おはようございマース。」

あ、蓮(れん)さん。

 

「おーや、中森クン今日は学校休みでしょ?で、

こっちの可愛い子は、中森クンの彼女?」

えーーと。

 

「景くんの元カノ・・でもないか、でも昔は好きだって

 いってくれたよね。」

そうだっ・・・・たような気がします。

 

「最近ふられたんじゃなかったっけ。あれって別の子なの。

 中森って、案外切替早いんだね。」

よくそんなこと、連れの女の子の前でいえるな。

 

「私、その子のこと知ってまーす。私たち三年ぶりに再会したんです。

 そしたら、別れたって聞いたんで超ラッキーって思って、

 映画につれてきてもらったんです。」

 

「何の映画?」

「“雲とサンダルと猫”」

「ああ、あのぬるいヤツね。」

「ぬるくないですよ。」

 

「ぬるいぬるい。だいたい、あんな繊細な恋心持つような男の子なんて、

 いまどきいるわけ無いでしょ。

  年上の女に恋して、おもちゃみたいに遊ばれて、傷つきましたーなんて。

 いつの時代の話だっつーの。

  土曜日曜に、この前の通り歩いてる野郎なんて、頭の中は女の子の

 スカートの中身でいっぱいなのよ。心に興味なんて無いの。」

 

蓮さんダメだよ、千冬、大人しそうに見えて負けず嫌いなんだから。

 

「いますよ。」

「どこにー。」

「ここに。」

俺の肩つかむな。洗濯物じゃないぞ。

 

蓮さんは、隠し玉でタッチアウトにされた三塁走者のような顔をしていた。

 

「蓮ー、それぐらいにしときな。そのお嬢ちゃんはいいこなんだからよ。

 お前みたいにすれてなくって。」


10

 蓮さんは、美大生でマスターの姪だか孫だか・・・で、

夜の部のバイトに来ている。

 

 ヒールのある靴を履くと、ボクより背が高い。目鼻立ちがはっきりして、

スタイルも良くて、さばさばした性格だから、蓮さんを目当てにこの店に来る

学生とかも多い。

 それは見てるとわかる。カップルで来た、女の子がちょっとイヤそうな顔

するのもちょっと面白い。

 

 ボクがマスターの晩御飯を食べて、暇そうに音楽聞いてボーっとしているとき、

ときどき相手してくれたりもする。コーヒーをこっそり入れてくれたりとか、

・・・前はジュースかと思ったらカクテルだったのにはちょっとびっくりした。

 

マスターも知ってるんだろうけどね。

 

 来始めて一ヶ月ぐらいした頃に、ミズエに振られた話をしたら、

「そりゃあ、あんたが悪いね。」ってばっさり切られた。

 

「その子、不安なんだよ。君がはっきりしないから。」って。

 

こんな姉さんがいたらいいのになあ、ってときどき思う。

 

「そうか、それで煮え切らないんだ。君は。」

とちょっと怖い顔でボクを見て、

「今日はもう帰りな。」

って言いのこして、奥に消えていった。

 

「気にスンナよ。蓮は中森くんのことが心配でしょうがないんだ。」

 

 でも、お子ちゃまがいて、営業妨害になってはいけないので、

ボクと千冬は店を出た。

 

「さてと、今日はもう帰ろうか。」

「まだ早いよー。」

「一回目のデートから飛ばしてたら、直ぐにマンネリになるぞ。」

 

 千冬は駅に向かって渋々歩き出し、

「あ、忘れ物した。ここで待ってて。」と言って店に逆戻りした。

 何忘れたんだろ。

 

 

「マスター。」

 

カウンターからマスターが、奥から蓮さんが首だけ出した。

 

「なんだい、忘れもの?」

「ハイ、あの。・・・景くんに親切にして頂いて、どうも

 ありがとうございます。」

「なんだそりゃ。ま、お客さんだからね。」

 

「彼、人見知りが強い方なんです。その彼が、私をここに連れて

 きたっていうのは、よっぽどここの居心地がいいからだと思うんです。」

 

「わーった、わーった。あいつはいいヤツで、オレは照れ屋なんだよ。

 俺もさ、あいつが来ない日が続くと、心配でしょうがねーんだ。

 なぁ、蓮!」

 

蓮さんは、ふん!て鼻で笑って、また奥に引っ込んだ。

 

「じゃあ、今度は本当に帰ります。」

「ああ、気いつけてな、お嬢ちゃん。」


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“もう、満員なんてしんじらんない。”

“しょうがないよ、日曜なんだし。ついてないし、そろそろかえろうか。”

 

“ここさっき通ったよね。あのかき氷屋さん。葦原も広いようで狭いんだ。”

“新しいパンプスで足が痛くなちゃった。こんなに歩くと思ってなかったからなぁ。”

 

“お姉ちゃん、高校に入ってから運動不足なんじゃないの。知らないよ、

 ぶくぶく太っても。”

“私は太らない体質なの。”

“そんなのあるのかなー。”

 

 さっき、千冬が聞き覚えのある声がするっていったの、

この二人のことだったのか。

まずいって言うか、あまりいい場面じゃないな。

でも、隠れるわけにもいかないし。

 

「あら、景クンじゃないの。ねえ。」

「えっ、あ。」

 

 ミチルさんが、ミズエの腕をつついて、

“ほらチャンスだよ、仲直りしちゃいな”

っていってるのが聞こえた。ミズエはばつが悪そうに斜め下を向いてる。

 

こんな状況じゃなかったら、ボクから声をかければいいんだけど。

といって、何を言えばいいか思いつかないんだけど。

 

「お待たせー、景クン。」

その声に、ミズエがぱっと顔を上げて、驚きが顔中に広がった。

 

「・・・どうして。」

「ミズエちゃん・・・お久しぶり。わたし北海道から戻ってきたの。」

「いつ。」

「この四月だよ。」

 

「で、どういうコトなのこれ。」

「これって、・・・ミズエちゃん、景クンのこと、ふったんでしょ。

 だったら、私がこんなコトしてもいいわけだ。」

というなり、ボクの腕に手を回した。

 

「そう、そういうこと。・・・そうね、どうぞお好きに。」

 

そういうと、ミズエは表情を硬くして足早に駅の方へと去っていった。

 

ミチルさんは、

「景クン・・・いえ、何でもないわ。」

と哀しそうな顔で言うと、ミズエのあとを追いかけていった。

 

 

二人が見えなくなる頃、

「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん・・・。」

千冬はボクの腕を掴んだまま、泣いていた。

 

「わたし、あの時のこと、どうしても忘れられなかったの。・・・景クンと

 ミズエちゃんが、私の前で手をつないで石段を下りてきたときのこと。

 わたし、本当にイヤな女だ。」

 

 夕暮れが近付いて、こうした繁華街のはずれにも、二人連れの姿が多くなってきた。

 みんな、自分のパートナーのことに気がいって、道ばたで立ちつくしている

ボクたちのことを気にする人もいない。

 

雑踏の中の二人。

 

“空”と“サンダル”と“猫”。

 

 千冬は自分のことを“女”と言った。誰もが穢す者となり、

誰もが傷つく者となる。時間と場所によって、それは入れ替わる。

 千冬が悪いんじゃない。ミズエが悪いんじゃない。悪いのは無色の振る舞いをして、

何も決めようとしないボクだ。

 

人が去っていく寂しさに怯えて、誰も手放そうとしないボクだ。

 

「千冬は悪くないよ。」

 

さよならを言わないボクだ。

 

 ボクは千冬とケイタイで連絡を取り、一週間のうちの何日かを

あの自販機前で待ち合わせ、駅までの道を何時間もかけてたどった。

 

初めて制服姿の千冬を“ラ・メール”に連れて行ったとき、

マスターは

「中森くん、未成年の子はまずいんじゃないか。」

と真剣にボクに忠告した。

 

いつものように

「マスターおはようございます。」って、

夕方の挨拶をして入ってきた蓮さんは、・・・何故か今日はアフロだったけど、

セーラー服姿の千冬を暫く凝視して、いきなり奥の部屋に引っ張り込んで、

“蓮さん何するんですか!”という千冬の抗議もむなしく、

 ・・・ボクは助けに入れませんでした、だいたい何をしているか

想像がついたので・・・、

千冬の制服を身にまとって店に現れた。

 

  マスターはお湯をコーヒーフィルターからあふれさせ、

ぼくはちょっとセーラー服にアフロでヘソ出しはきついん

じゃないかと思ったけど、常連の長谷さんは、すかさずケイタイで

デジカメを撮ると、二日後には店のメニューの下にプリントがはられ、

さらにその翌々日には、ラ・メールのホームページにちょっと

ぴんぼけのその写真がアップされて、一日のアクセスが

三千を軽く越えた。

 

 

夏休みになったら、千冬とバイクで海に行こうと思った。

 

蒲生から太平洋まで約二十キロ。

ボクはまだ、テレビでしか海を見たことがない。

 

 ぼくだけなら走っていけないこともないが、

・・・ま、電車とか乗り継いでもいけるんだけど、

何となく、ま、それだとプールに行くのとあまり変わらない気がして

 

・・・、ま、バイクなんだよとにかく。

 

 こういうことにケチ付けるヤツは、男のロマンがわからないヤツだ。

土日と夜の教習所に通い詰め、二週間後には試験をパスした。

 

 問題はバイクだ。二人乗りできて、あまり高いのもダメ。

スパーカブがいいな。あの“かっとばなさ感”と“ゆるさ”がいい。

シートをタンデムにして、千冬と海へ行こう。

ああ、でも、荷台に座蒲団ていうのも、映画的にはありかも知れない。

 

 ん?

 

なんで映画なの、なんて聞いちゃ駄目。

 

 中古でもそれなりにするだろうから、バイトするか。

でも、それだと夏が終わってしまうかも知れないし。

 

うーん。こういうのあの人にねだるのも、ちょっとなぁ。



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