閉じる


<<最初から読む

63 / 92ページ

「お姉ちゃん。」

 

「なに?」

「また誰かに見られてる気がする。」

「気にしないの。」

「お姉ちゃん、よく二年間も耐えたよね。」

「馬や、牛に見られても別に気にならないわ。ずっと本読んでるし。」

 

 快速に乗っている間は、女性車両だからまだいいんだけど、

鴨田から蒲生までの普通に乗ってる間が気疲れするんだよなぁ。

 

「そんなに気になるんだったら、ケイくんにガードしてもらえば

 いいじゃない。」

「それはだめ。」

「あなたまだ仲直りして無いの?」

「もちろん。今度という今度は徹底的にやるの。今までとは違うって事、

 思い知らせてやる。」

 

「よくわかんないなー。徹底的にやるって別れるってことじゃないの、

 でもあなたの言ってるニュアンスってただの痴話げんかでしょ。

 知らないよー、誰か別の人にさらわれたって。」

「彼はそんな人じゃないもの。」

 

「まあ、そうね。どっちかって言うと地味だし。自分から女の子に

 声をかけるタイプじゃないし。

 遊びなれてる感じもしないし、イケメンてほどでも無いしね・・・。」

 

「そんなことないですぅ。ケイくんのよさは付き合ってみないとわかん

 ないんですぅ。

 すっごいやさしいんだから。」

「そこまでいっといて、別れるかなあ普通。」

「別れてないもん。」

「なんて言ったの。」

 

「・・・ケイのバカ、だいっ嫌い、二度と会わない・・・。」

 

「それで、独身を通してくれると思うほうがよっぽどおめでたいわ。」

 

はーあ、そうだよなー。

カンナとタケダは地元の高校に行っちゃったし、休み暇だなー。

 

高校に行ったらもっと華やかで楽しい生活が待ってると思ってたのに。

 なんていうのか、声かけられるのも、最初は面白かったけど、

もうウザったいんだよね。

 ねぇ、彼女ーとか。お茶しない、とか、みーんな同じなんだもの。

一緒に地球を守りませんか、ぐらい言ってみろって。

 

「ねぇお姉ちゃん。今度の休みさー、葦原行って遊ぼうよう。

 せっかく通学定期あるんだし。」

「そんなに退屈なの。しょうがないねえ、じゃあお茶ぐらい

 おごんなさいよ。」

「ぇえーそんなぁ。」

 

ハハといいアネといい、妹に容赦ないわ。

 

彼が東京の大学を目指しているのは知っていた。

その理由もうすうす感じていた。

だから私は彼に追いつこうと、行きたくも無い塾に通っていた。

 でも、彼は私が背伸びする以上に高いハードルをクリアしてしまい、

進学校に合格してしまった。

 

私は一人取り残された気がして、つい彼に八つ当たりしてしまったのだ。

 

でも、・・・私が選んだのは彼の学校と同じ駅にある高校だった。

 ここならまたいつか、せめて行き帰りぐらいをともに出来ると

思ったのだ。

 

 中学のとき、煮え切らない彼の態度にいらいらして、何度も絶縁を宣言して、

 ちょっと寄り道をしたりして、結局彼のところに帰っていった、

その延長のつもりだった。

 

私は過信していた。

彼が好きになれるのは、私と、そしてあの上叢千冬だけ。

 

そして彼女は、いまは遠い北海道にいる・・・と。


 こんなふうに、千冬が来るのを待っているのは、

あの春の別れの朝以来だ。

 

千冬はボクの姿を見つけると、以前のように小走りに駆け寄ってくる。

前髪の乱れを気にしながら、ちょっとうつむき加減に。

そんなにじっと見ないでとでも言うように、目をくりくりさせながら。

 

そしてボクはやっぱり、そんなに急がなくてもいいのにって苦笑する。

三年もの月日がたっているなんて、信じられない。

 

「お待たせ。」

「昔のまんまだね。」

 

 “空とサンダルと猫”は、実も蓋も無い言い方をすれば、

思春期の恋愛映画で、ボクは普段こういうのは見ない。

 

 とある海辺の町にすむ中学生の男の子と女の子。

二人は幼馴染でお互いが好きだった。

 

 そこへ、昔近所に住んでいて東京に出て行った、推定二十代の

お姉さんが帰ってきて、男の子はついふらふらと憧れてしまうわけだ。

 

 お姉さんは子犬でもあやすようにその男の子と戯れるのだけど、

まあ幼馴染の女の子にとっては面白くないわけだな。

 

 で、お姉さんはやっぱり田舎にはいづらくて、近所のおばさんとか・・・、

来たときと同じような荷物を持って、どこかに去っていってしまう。

バイバイ、ままごとに戻りなさいって言って。

 

 それでハッピーエンド?そんなわけは無い。もう二人の関係は、

もとには戻れないんだよ。

 

 女の子の穢れない、黒い瞳が男の子の不実を責めている、

ように男の子には(観客にも)みえるんだな。

 ここから先は映画には無いんだけど、ま男の子か女の子は

いずれここから出て行くと(お姉さんと同じように)

いう暗示を残して、終幕。

 

 この“空”と“サンダル”と“猫”っていうのは、海辺の町によくある

アイテムらしくて、どれが三人の誰を指しているのかは具体的ではなくて、

誰もが立場をかえればその、サンダルだったりするってとこだろうか。

 

 千冬は、途中で籐の手提げからハンカチを出して、

鼻をすする音をさせていた。エンドロールの間中、

彼女はボクの肩に頭を乗せてまだ少しぐすぐす、

そして“はあ”と溜め息をついた。

 

エンドロールが長い理由を始めて知ったよ。無意味に長いのもあるけど。

 

このあと、ボクたちは少し遅い目の昼食に向かう。

 

「地中海料理のすっごくおいしい店、知ってるんだけど、

 そこでいいかな。」

「どうして、景クンがそんなおしゃれな店知ってるの。」

「ま、いいからいいから。」

 

 ボクと千冬は葦原のアーケード街を歩いて、少し細い路地に入り込み、

アーケードと平行に並んでいる裏通りに出た。

 

「ここだよ。」

 

  ぼくは店を指さした。午後の高い日射しがまともに当たっている。

中は少し暗くて見えにくい。

観光客なら絶対入らない店。

 

「景クン。なんか“かき氷始めました”って書いてあるけど。」

「ホントだ、季節だねえ。」

 

「それに“よしず”まで、たててあるしどうみても地中海料理の店って言うより、

海の家って感じなんだけど。

 多分浮き輪やビーチボール貸します、って看板がおいてあって、

麦わら帽しかぶったおじさんがうちわで焼き鳥扇いでて、ねえ、

私、担がれてない?」

 

あー、上手いこと言うな。さすが“文学少女”。

 

ちょっと違うか?


「マスターこんにちは。」

「おう、中森くん。いらっしゃい。今日はお嬢さんづれかい。

 すみに置けないねー。」

 

マスター年いくつ? すっごい古典的。

 

「カウンターでいいよね。」と景クンは、彼のS席にわたしを誘った。

「うん。」ちょっとわくわく。

さすがに麦わら帽は被ってないか。

 

「メニューは後ろ。」

へ、後ろって、わあ、黒板にチョークで書いてある。

 

「マスター、ボク、フレッシュトマトとベーコンのスパゲッティ。」

「あいよ、お嬢ちゃんは何にする?」

「私、パエリアお願いします。」

「ちょっと時間かかるけど、いいね。今日はムール貝のいいのが無くって、

アサリと手長エビだ。アサリ大丈夫?」

「はい。」

 

わぁ、ちゃんとお米から炒めるんだ。カウンター面白い。

ぜーんぶみえる。

ワォー、フライパン燃えた。もう一回やってくれないかなぁ。

 

「このスープとサフランが決めてだァ。」

「すっごくいい匂いです!」

「だろー。」でも、景クンどうしてこういうお店知ってるんだろう。

 

ねぇ景クン。

 

「ずっと前にね、夕方お店の前を通ったら、ニンニクのすごくいい匂いがして、

 その日はどうせ一人だったから、たまには食べて帰っちゃえって思って。

  外から見たら、焼きそばかなんか出てきそうだけど、

 ちゃんとしたスパゲッティが出てくるし、マスターはこんな人だし。

 いっぺんで気に入っちゃって。」

 

「時々、食べに来てくれんだよなー。ほい、スパゲッティお待たせ。

 お嬢ちゃんはもうちょっと待ってね。お焦げは好きかい。」

「ハイ、大好きです。」

 

わーい。

 

「ねぇ景クン、さっきの映画どうだった?」

どうでもいいけど景くん、スパゲッティ巻き取るのちょっと下手くない?

 

「うん。考えてたんだけど、あの配役さ、男と女が逆だったら、

あの美しさって成り立たないんだろうなーって。」

「どういうコト、それ。」

 

「だから、少年って穢されるべき存在で、少女は犯すべからざる存在じゃない。

 少年は汚れることで、その短く儚ない時間をより美しく見せるけど、

 女の場合って、汚れてるのは大人の女性だよね。

 汚れた少女ってオヤジの願望で、痛々しくて美しくないよ。」

 

ほーっ、まさかそんな答えが返ってくるとは思ってなかったわ。

だって、彼ったら、フフ。

 

「こらー、何で笑うんだよ。真面目に応えたのに。」

「いまの説明って、すごいなと思って。私びっくりしちゃった。

 だって、初めて図書室であったとき、作家の顔でどれ読むか

 決めてるんだって言ってたのよ、景クン。」

「それで、中也勧めてくれたんだよね。小学生には無理かも

 知れないっていいながら。

 確かに無理だったけど。」

 

彼って昔のこと、良く覚えてるんだ。

 

「中森君は面白いね。

 普通は料理って、飲んで、くって、腹一杯になって、勘定払って

 終わりなんだが、中森君は、なんでこんな味が出るんだ、

 いま入れたのは何だ、どうして弱火にするんだとか、

 いちいちうるさいのよ。

 だからさあ、こっちも気合い入れて作らないと、

 おっさん、腕落ちたとか言われたらたまんないからね。

 はいお嬢ちゃんパエリア。おまたせー。」

 

「すっごくきれいな黄色。エビの朱色もキレイ。」

「だろー。よし、気に入った。アフターのコーヒーはサービスだ!」

「あの、・・・紅茶にしてもらえますか。」

 

 景クンが、おいおいって顔してわたしを見た。

 

 昼食時を過ぎていたので、店はそれほど忙しくもなく。

 ボク達は彼女のいた北海道の話や、ボクの中学生活の話やなんかを、

 再会した友人達が、それこそ普通に、当たり前にするように話し込んだ。

 

 マスターは、本当は二時から五時半までは昼寝と夜の仕込みで

店を閉めているんだけど、準備中の札だけぶら下げて、

「まあ好きなだけいていいから。」

とボクたちに居場所を提供してくれた。

 

「・・・でねー雪がすっごくて。冬なんかどこへも行けやしないの。

 映画なんて百キロぐらいクルマをとばしていかないと見れないの。

 信じられないけどそれが現実だったのよ。」

「百キロか、いいな。それ。」

「・・・・・なにが?」

 

「いつかどこまで走れるか、やってみたいと思ってるんだ。」

「陸上やってたっていったよね。景クンが部活やってるところって、

 想像できないな。」

 

「そっかー?ちょっと、家に帰らない口実にしてたって所もあるんだけど・・、

 でも、長距離はボクに向いていると思った。

  何にも考えずに、ただ空や風や鳥の声や自分の足音と心臓の響きと、

 それだけに耳を傾けて走り続けるっていうのが、ボクにとっての究極の

 ランニングなんだ。百キロ走ったら、七十五キロぐらいからそれが

 現実になりそうな気がするんだよ。」

 

「どうして四十二・一九五キロじゃダメなの。」

「あれは、どうしても他人との勝負のイメージがついて回るから。」

「ふーん。色々考えてるんだね。小学生の頃の印象しか無かったから・・・。」

「何だよ、淋しいとか言うなよ。」

 

「ううん。嬉しい。いろんな言葉を聞けるから。景クンがどんな人に

 なってるか楽しみだったから。」


マスターが洗い上がったグラスや皿を、カウンターの裏に並べ始めた。

もうそんな時間なのか。

 

「マスター、箒とか貸してくれたら手伝いますけど、お掃除とか。」

 

 千冬がカウンターから身を乗り出して、マスターにアピールした。

 マスターはヒューって口笛を吹いて、にやっと笑うと

ちょっと待てと指を立て、奥から畳んで重ねたクロスの束を運んできた。

 

「うちは間接照明で夜は暗いから、白いテーブルクロスを掛けるんだよ。

 こうすると、周りが暗くてもテーブルが華やかに見えるだろう。

 この小さな宇宙の上で、恋人達が語り合うっていうシナリオだな。」

 

千冬、目がハート形になってるぞ。

 

「気分が盛り上がれば、ワインも進む。ワインが進めば料理も進む。

 うちは大もうけって寸法だね。はっはっは。」

 

千冬、肩が下がってるぞ。

 

ボクは千冬と二人で、テーブルにクロスをかけて回った。

ちょっと、雨の日に歩道橋から眺める通りのようにも見えた。

 

 

 

「お姉ちゃん、のどかわいたね。なんか飲もうか。」

「そうだね、あの店どう?かき氷はじめました、だって。」

「なんだか、海の家みたい。でも準備中って下がってるよ。

 店の人掃除してるみたいだし。」

「じゃ、別のとこいこうか。橘花の子達がよくいく店あるけど、

 そこ、行っとく?」

「行っとく。」

 

 あ、誰かはいってく、店の人っぽいな。足長いなーあの人。しかもあの

七色のパンタロン。普通の神経じゃ着れないな。

 

「行くよー。」

「はーい。」

 

「どしたの、千冬。」

「ん、なんだか聞き覚えのあるような声が・・・・。」

 といいながらみていた入り口のすだれが、じゃらっと、

勢いよく弾かれた。

 

「マスター、おはようございマース。」

あ、蓮(れん)さん。

 

「おーや、中森クン今日は学校休みでしょ?で、

こっちの可愛い子は、中森クンの彼女?」

えーーと。

 

「景くんの元カノ・・でもないか、でも昔は好きだって

 いってくれたよね。」

そうだっ・・・・たような気がします。

 

「最近ふられたんじゃなかったっけ。あれって別の子なの。

 中森って、案外切替早いんだね。」

よくそんなこと、連れの女の子の前でいえるな。

 

「私、その子のこと知ってまーす。私たち三年ぶりに再会したんです。

 そしたら、別れたって聞いたんで超ラッキーって思って、

 映画につれてきてもらったんです。」

 

「何の映画?」

「“雲とサンダルと猫”」

「ああ、あのぬるいヤツね。」

「ぬるくないですよ。」

 

「ぬるいぬるい。だいたい、あんな繊細な恋心持つような男の子なんて、

 いまどきいるわけ無いでしょ。

  年上の女に恋して、おもちゃみたいに遊ばれて、傷つきましたーなんて。

 いつの時代の話だっつーの。

  土曜日曜に、この前の通り歩いてる野郎なんて、頭の中は女の子の

 スカートの中身でいっぱいなのよ。心に興味なんて無いの。」

 

蓮さんダメだよ、千冬、大人しそうに見えて負けず嫌いなんだから。

 

「いますよ。」

「どこにー。」

「ここに。」

俺の肩つかむな。洗濯物じゃないぞ。

 

蓮さんは、隠し玉でタッチアウトにされた三塁走者のような顔をしていた。

 

「蓮ー、それぐらいにしときな。そのお嬢ちゃんはいいこなんだからよ。

 お前みたいにすれてなくって。」


10

 蓮さんは、美大生でマスターの姪だか孫だか・・・で、

夜の部のバイトに来ている。

 

 ヒールのある靴を履くと、ボクより背が高い。目鼻立ちがはっきりして、

スタイルも良くて、さばさばした性格だから、蓮さんを目当てにこの店に来る

学生とかも多い。

 それは見てるとわかる。カップルで来た、女の子がちょっとイヤそうな顔

するのもちょっと面白い。

 

 ボクがマスターの晩御飯を食べて、暇そうに音楽聞いてボーっとしているとき、

ときどき相手してくれたりもする。コーヒーをこっそり入れてくれたりとか、

・・・前はジュースかと思ったらカクテルだったのにはちょっとびっくりした。

 

マスターも知ってるんだろうけどね。

 

 来始めて一ヶ月ぐらいした頃に、ミズエに振られた話をしたら、

「そりゃあ、あんたが悪いね。」ってばっさり切られた。

 

「その子、不安なんだよ。君がはっきりしないから。」って。

 

こんな姉さんがいたらいいのになあ、ってときどき思う。

 

「そうか、それで煮え切らないんだ。君は。」

とちょっと怖い顔でボクを見て、

「今日はもう帰りな。」

って言いのこして、奥に消えていった。

 

「気にスンナよ。蓮は中森くんのことが心配でしょうがないんだ。」

 

 でも、お子ちゃまがいて、営業妨害になってはいけないので、

ボクと千冬は店を出た。

 

「さてと、今日はもう帰ろうか。」

「まだ早いよー。」

「一回目のデートから飛ばしてたら、直ぐにマンネリになるぞ。」

 

 千冬は駅に向かって渋々歩き出し、

「あ、忘れ物した。ここで待ってて。」と言って店に逆戻りした。

 何忘れたんだろ。

 

 

「マスター。」

 

カウンターからマスターが、奥から蓮さんが首だけ出した。

 

「なんだい、忘れもの?」

「ハイ、あの。・・・景くんに親切にして頂いて、どうも

 ありがとうございます。」

「なんだそりゃ。ま、お客さんだからね。」

 

「彼、人見知りが強い方なんです。その彼が、私をここに連れて

 きたっていうのは、よっぽどここの居心地がいいからだと思うんです。」

 

「わーった、わーった。あいつはいいヤツで、オレは照れ屋なんだよ。

 俺もさ、あいつが来ない日が続くと、心配でしょうがねーんだ。

 なぁ、蓮!」

 

蓮さんは、ふん!て鼻で笑って、また奥に引っ込んだ。

 

「じゃあ、今度は本当に帰ります。」

「ああ、気いつけてな、お嬢ちゃん。」



読者登録

真下魚名さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について