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「あ、夕焼け。」

「ホントだ、ベランダ出ていい?」

「いいよ。」

「いこ、タケダ。」

 

 西の空が赤く染まっている。

 カンナとタケダが寒そうに肩を並べて、顔をオレンジに染めながら、

時々何かを指さして話している。電線にとまって肩を寄せ合っている、

ふっくらとした冬の雀のようだ。

暫くして、再び窓を開けて部屋に入った。

 

「寒いよー。」

「もう6時だもんなー、そろそろ帰ろうか。子供はつらいぜ。」

「そうだね、遅くなると家の人も心配するし。今日はありがとう。」

「なに改まっていってんだよ、気持ち悪りぃ。押しかけて、食い散

 らかしたのは俺達の方なんだし。」

 

「あ、私、後かたづけして帰るから。散らかしっぱなしだとケイくんに

 悪いし。」

「なら俺たちも手伝おうか?」

「バカ、タケダ。あたしたちはお邪魔なの、とっとと帰るのよ。」

「を、そうだったのか。それではケイクン。健闘を祈る!」

「バカ!」

 

殴られてやンの。後かたづけに健闘も何もないよ。

 

「さあってと、かたづけますか。」

ミズエがちょっと袖をあげて、リキ入れてるのが面白い。

 

「じゃ、洗い物は食洗機に放り込むから、流しにおいといて。

 お菓子のくずは、・・・。」

「レジ袋にまとめて入れとくから、ゴミの日に捨ててね。」

 

 二人でやると早いな。

 

 ポテチの袋やら麦チョコやらポッキーの箱なんかがあっという間に片づいて

「掃除機どこ?」って言って引っ張り出すと、うちのやたら音だけ大きくて

吸いの悪い掃除機を振り回して、

「ゴミパック、ちゃんと代えないとダメだよ。これじゃ掃除機で埃を舞あげて

 いるだけだよ。」

とありがたいご指導を頂きました。

 

「今日は、ホントありがとうな。」

 

ミズエはすぐには応えないで、少し間をおいてから、

「あのね、上叢が教えてくれたの。でも、彼女のこと、余計なコトするなって

 怒らないでね。ケイくんのこと心配して、わざわざ学校にまで来たんだから。」

と横を向いて言った。

 

 うん。

 

 知ってるのは、彼女だけだもんな。でも、なぜ彼女はミズエに言ったり

したんだろう。

そういうの“敵に塩を送る”っていうんだっけ。

 

「一緒に、地球を守りたかったんだって。」

 

 ボクには意味がわからなかったけど、一応頷いておいた。ボクの家庭の

問題が、どうして地球防衛と関わっているのか。

でも彼女たちの間では、それで通じたんだ。

 

 トラブルって悪いことだけじゃないんだな。ボクが好きな

女の子二人が、そんな意味不明の言葉で通じ合うなんて、小さな奇跡だ。

 

 そう思うことで、ボクは少しずつ乗り越えていこうと思った。

あの人とは、もう母親としてじゃなくて、一人の個人として付き合うしか

ないんだろう。

 

 去年の夏、デパートでボクの肩をなでて、

「景ちゃん、大きくなったんだね。」

と言ったときが、本当に、親子としての最後だったんだ。

 

 

 それは、誰にでも来るとは思わないけど、ボクにはそういう時が

来てしまった。


 ミズエは一人で帰るって言ったけど、もう日は暮れて暗くなっていたし、

ボクは彼女を送っていくことにした。玄関口で靴を履きながら、

 

「ごめんね、こんなことぐらいしかしてあげられなくて。」

と彼女は言った。

こんなことぐらい?

これ以上に、ボクは何を望めばいいんだろう。

「ミズエがいてくれて良かった。他に何もいらない。」

 

 このあとボクは、生まれて初めて女の子の髪の柔らかな感触とその香りと、

しなやかな身体を受け止めた重みを意識した。

 

 鉄の扉を押しあけて、鍵をかけるかちゃんという音。廊下を行く二つの足音。

エレベーターのドアが開くゴゴッていう音。

 なんだかやたら大きくて、そのたびに二人で顔を見合わせて、

くすくす笑ってしまう。

一階に下りたら、マンションの出口に意外な人が待っていた。

 

 

「お姉ちゃん・・・。」

 

「さっき、カンナちゃんたちとすれ違ったわ。迎えに来たんだけど、

ケイくんが送ってくれるんだったら、いらなかったかしら。」

「いえ、ぼくも買い物とかしないといけないんで。」

 

こら慌ててどうする。ぜんぜん理由になってないだろう。

 

「どうして?」

「塾から電話があって、“今日はお休みですか”って。で、ミズエが塾

 さぼるって言えば、ケイくんに何か大事な用事があったぐらいしか

 ありえないから、迎えに来たの。

 母さんには私がちゃんといっといたから。」

 

鋭すぎます。ミチルさん。

 

「途中まで送ります。」 

と、ボクは、結局スーパー・マキノの前まで一緒に行った。

 

 

 

「暫く合わないうちに、ケイくんちょっと大人っぽくなったね。」

 

 お姉ちゃんのアルトの声、気持ちいいなあ。私そんなこと

全然気がつかなかったけど、そうなのかなぁ。

 

「迎えに来てくれてありがとう。ちょっと気を遣いすぎて、疲れちゃった。」

「ミズエは、ケイくんだと、のめり込んじゃうもんね。」

「お姉ちゃんはそうじゃないの。」

「のめり込むとかどうとかより、カレシいないもの。」

「ウソ!」

 

そういえば、聞いたこと無い。

 

「カレシいない歴十四年。」

「マジ?

 だって、お姉ちゃんラブレターとか一杯もらってるじゃん。」

 うちの学校に、兄弟でコクって両方とも姉妹に振られたって言うのが

いたって聞いたけど。

 

「一回だけ読んだことあるけど、あとは全部ゴミ箱行き。なんて言うか、

 同世代の男どもの文章力の無さにげっそりするのよ。

 顔も見たくないって感じ。

 ・・・でもねえ。ケイくんだったら、もらってもいいかなって思ったりして。」

 

「ケイくんには手を出さない方がいいよ。」

「どうしてかしら?」

 

「ケイくんに手を出す人がいたら天罰を与えて下さいって、お正月に神様に

 お願いしといたから。」

「まあ、こわいわ。そういえば最近、私ついていないの。シャンプーが途中で

 切れちゃったりとか、シャーペンの芯が折れたらそれが最後の一本だったりとか、

 あれってミズエの呪いだったのね。」

「お姉ちゃんの意地悪。」

 

「ごめんごめん。ちょっと羨ましかっただけよ。

 だってね、あんなにわがまま勝手だったミズエがだよ、こんなに

 優しい子になるなんて全然想像つかなかった。

 姉妹だから情はあるけど、その反面、腹が立ってしようがなかったの。

 お父さん、おかあさんを心配させてばっかりで。」

「お姉ちゃんが私を羨ましいなんて、おかしいよ。」

 

「ケイくんと出会ってからね。ケイくん、ケイくんそればっかり言って。」

「もういいよぉ。恥ずいよー。」

 

「いいじゃない。彼って年取ってからかっこよくなるタイプだったのねぇ。

 先物買いしとけば良かった。」

「ケイくんには、あんまり格好良くなって欲しくないなあ。」

「ライバルが増えるとイヤなんだ。さっきカンナちゃんが言ってたよ、

 ケイくんがはっきりしないからミズエが悩んでるって。

 もっとも、はっきりされると困るときもあるけどね。」

「お姉ちゃん、いまのひどく突き刺さった。」

 

「冗談だよ。

 ・・・ここの商店街、ますますクルマや自転車が多くなってくるねー。

 自転車放ったらかすのやめてくれないかなー。」

 

「お姉ちゃん、・・・・寒いのにごめんね。」

「可愛い妹のためだもん。ミズエが妹で、私本当に嬉しいよ。」


 人が居なくなると寂しいな。電気をつけても一人・・・

“くしゃみをしても・・”だっけ。

 

 おやつバカ食いしたから、あんまりお腹は空いてないんだけど、

昨日の昼からまともなもの食べてないし、そろそろ頭がおかしくなる

頃合いかも知れない。

 時々自分でもまともじゃないなあとか思うとき、夏からこっち、

たいていちゃんとした食事をしていないときだ。

 

  ちゃんと食べないとどこかで血の巡りでも悪くなるんだろうか。

さっきもちょっと危なかった。

 

 ミズエがドアの所で寄りかかってきたとき、このまま帰れないように

しちゃおうかなと思った。

一人取り残される恐怖感に、負けそうになったんだ。

 

 もしあの時、ミズエが小さくかすれた声で「帰らなくてもいいよ。」って

言わなかったら、どうしたろう。

 

 ミズエの小さな身体の中から、勇気を総動員してボクのために

振り絞ってくれたあの言葉で、ボクは自分を取り戻した。

 

ボクは一人分の食事を食卓に並べて、テレビもつけずに食べ始めた。

 

食べるって言うより、押し込むという方があたっているかも知れない。

ご飯を二口ぐらい噛んで、喉の奥に押し込む。

野菜はドレッシングの味でごまかして、お箸で口に押し込む。

インスタントのみそ汁はもっと簡単。水だと思って飲めばいい。

 

味わったらダメだ。味わったらきっと泣く。何にも味がしなくて、きっと。

 

 貨物列車の警笛の音が聞こえた。

窓にカーテンを引き忘れ、ガラス窓にはボクが一人で写りこんでいた。

“オマエもひとりか”ってわらったら、向こうも笑い返した。

 

いいともだちだ。

 

 十一時ぐらいになって、母さんがドアを開ける音がした。ボクの部屋の前で

少し止まったかも知れない。でも、入っては来なかった。

 

 明日も休みなんだ。明日は多分誰とも会えないな。そう思って、ベッドの

布団の中でケイタイをみてたら、“メール”だ。

 

ごめんなミズエ、こんな時間まで心配させちゃって。

 

ぴ、ぴ、ぴ。

 

“ケイくん、今日はおじゃま

 しました。帰りぎわ、ものす

 ごい、いい雰囲気だったのに

 惜しかったね。

 ほんとはものすごく焦ったけ

 ど。

 またリクエストしたから、F

 Mつけてみて下さい。“

 

あんにゃろ!

 

 ボクはラジオにイヤフォンを繋いで、もう一度ベッドに潜り込んだ。

今日は起きるのが超遅かったから、簡単には寝付けないだろう。

うわー知らねー、すごく古そうな曲。

 

・・アン ゴー ラウンダン、ラウンダン、ラウンディン・ザ・

サークルゲーム・・・。

 

 英語わかんねー。ミチルさんならわかるかなー。なんかでも、

雰囲気あるなー。いつかこういう詩もわかるようになるといいな。

 

 “はい、ジョニ・ミッチェルのサークルゲームでしたー。

 でねー、この曲にぴったりのメールが来てるんですわー。

 なんでぴったりかというと、私たちは、時の回転木馬の中から

 逃れることは出来ない。後戻りは出来ず、ただ振り返るだけ。

 そしてまた、サークルゲームの中を回り続ける、っていうところが、

 このメールと私との関係に似てると思うからです。

 

 大晦日のオンエア聞いててくれた人、十二才のM・Oちゃん

 覚えてくれますか。

  あのあと、もう、がんばれM・Oちゃんていうメールが一杯来てねー、

 スタッフめちゃめちゃ盛り上がりました。みんなそういうとき

 あったんやねぇ。

 で、そのM・Oちゃんからまたメールが来てます。 読みますね。

 

「ひよこねえさんM・Oです。覚えてはりますか。」

 

 ちょっとちょっと、関西弁やん。上手い上手い。

 覚えてるよー。さっきもゆったけど。

 

「大晦日はどうもありがとうございました。おかげさまで、

 Kくんとはもっともっと仲良しになって、一緒に大人になろう

 ねって約束しました。」

 

 ああ・・もう駄目。お姉さん死んでしまいそう。いま実は二回目

 読んでて、また胸がキューとなってドキドキ、ドキドキする。

 

「そのKくんがいまとってもつらい状況にあって、悩んで苦しんでいます。

 私はなんとか力になりたいと想うんですが、子供過ぎてどうしていいか

 わかりません。

 Kくんには、いままで大切なものを一杯もらって来たのに、一つも

 返せてない。わたしどうしたらいいかなあ。」

 

 はい・・・ちょーっと待ってね。まず鼻かみますからね。

え、・・・大丈夫大丈夫。ディレクターが心配してくれました。

・・・ちょっと喋ってもいいですか・・・はい、なんぼでも喋れ、オレが赦す。

もうディレクター男気あるやン。ええ人なんですよ。え、勘違いするな。

M・Oちゃんのために赦すんやで。・・・褒めて損した。

 

 あのね、残念やけど人の心は他人が直すってコトできないです。

自分で直すしかない。その痛みは一生残る痛みかも知れないけど、

それと折り合いをつけて痛みを感じながら

生きていくしかない。

 けれども、それを一人でやり遂げるってことは、傷が深ければ

深いほど大変です。

 

 M・Oちゃんね、Kくんの側にいてあげて下さい。何も言わなくていいから、

側にいてあげて下さい。それでM・Oちゃんの心は十分伝わるから。

 そうして伝わってくる気持ちが、彼が立ち上がるときの力になるから。まあ、

ご飯みたいなものやね。心のご飯。絶対離れたらあかんよ。

 

「時を戻ることは出来ない、ただ振り返るだけ。」

 同じわっかの中を回っていても、次に回ってきたときにはまた別の時間の

中の場所やから、そこでなくしてしまったものは二度と戻らないのよ。

しっかりと握って、離したらあかんよ。

 

 さて、曲の方にいっときましょか。お二人がブルー・フィッシュが

好きってことなので、お姉さんから一曲プレゼントします。

「雨の日も、晴れの日も」“

 

 何回も、何回も、何回も、何回も、間違えて。

ようやく、短いメールを打つことが出来た。

ボクのいまの気持ちを、正直に伝えようと思った。

 

「やっぱり、ミズエが一番大好き。」

 

送信。

ケイタイが、ぐしょぐしょになってた。

 

 

“ボクが好きなのは、雨の日でも晴れの日でもなくて。

 キミと二人でいる一日を、いつまでも、つづけること。“

 


 それはいつかくるとわかっていたけれど、大した問題じゃない、

と思ってた。

 

 三月にボクたちはこの学校を卒業して、同じ中学校にすすむ。

それは、いわゆる既定路線で想定内のこと。

その卒業式の一週間前の土曜日、ボクは千冬に呼び出された。

 

 彼女の家から電話がかかってきたのは初めてのことだった。

ボクは朝の待ち合わせ場所に急いだ。

多分、あまりいい話じゃないんだろうなと、ボクは感じた。

 

「ごめんね呼び出したりして。」

彼女が先に来て、待っていた。

 

「ここじゃ話せないよね、きっと。」

「うん。」

「河原に行こうか。」

 

 そう、ボクはその話にふさわしいところを、殆ど無意識に選んだ。

 

 いつかのように並んで座って、ボクは彼女が話を切り出すのを待った。

「おかあさんとは、上手くいってるの。」

参ったな、なんだよいまさら。

 

「同じ家にいれば、イヤでも顔を合わすときがくるから。それに、

 “卒服”を買うって聞かないんだうちのかあ・・・ハハは。

 結局、大人の権力に押し切られちゃった。子供の突っ張りなんてダメダメだよ。」

 

「買ってもらったんだ。」

「うん。ブレザージャケットと揃いのパンツ。それに革靴と白いシャツ。

 ネクタイ。多分二度と着ない。」

 

「多分、たぶん。“多分”ばっかりね。ケイくんは。」

「そんなに言わないよ。」

 

「言ってる言ってる。多分ミズエちゃんが一番好き。でも、多分、

 上叢千冬も好き。」

「自分で言うかなそんなこと。」

 

「逆だったら大変だったね。」

「どうして。」

「上叢千冬はいなくなるから・・・。」

 

それを言うために呼び出したのか。

 

「転勤?」

「うん。」

 

「そっか。うん・・・家族は離れちゃダメだ。うちみたいになっちゃう。 

 千冬はそんな経験しちゃダメだ。ボクだけで十分だよ。千冬じゃなくて

 ボクで良かった。」

 

「景クンの制服、見たかったなあ。」

「そんなに早いの、あと一週間じゃん!みんなには?」

「卒業式の日まで伏せてあるの。別れをずるずるとたぐり寄せるのって、

 嫌いなの。ある日突然、スパンと消えてしまうのがいい。

 景クンだったらわかるでしょ。」

 

うん。

 

「今日はね、泣きに来たの。景クンを独り占めにして。」

 

 そういうと、千冬はボクの胸に上半身をあずけて泣き始めた。

小さく肩をふるわして、そして幼児が泣いているような無防備な

泣き声になり、すすり泣きが暫く続いた。

 

「どこに行くの。」

「北海道だって。」

「・・・そんなに遠くに。」

 

「うちのお父さん勤務医なんだけど、知り合いのいる病院が医師不足で

 大変なんだって。ひどいでしょう。また、冬に逆戻りだ。」

「桜は見れるんだろう。」

 

 そんなどうでも良いような言葉しか、僕は思いつかなくて、

子供は駄目だって改めて思った。

 


 その小さな美しい町に住むほとんどの小学六年生にとっては、

それは大した問題じゃないことだろう。

彼らは三月に卒業し、四月からはそれぞれの地区の中学校にすすむ。

 

 卒業式を一週間先に控えて、私は景くんを呼び出した。

 

 もう誰になにを聞かれても同じことなので、私は家から彼のケイタイに

電話した。

 何かあったらこれに電話しろって、彼が教えてくれた電話番号。

 それを写した紙は、ポケットの中で握られて、かすれ、しわしわになって、

役目を終えて、また新しい紙に写し変えられる。

そんなことをしなくても覚えているんだけど。

 

 私は朝の待ち合わせ場所に早い目に行った。景くんが、私に向かって

歩いてくるのを眺めていたかったからだ。

 

「ごめんね呼び出したりして。」

「ここじゃ話せないよね、きっと。」

「うん。」

「河原に行こうか。」

 

 あいかわらず察しがいいなあ。

並んで歩いている間中、どうやって話を切り出そうか、考えていた。

昨日から何回も繰り返しているのに、私はまた考えていた。

 

いつかのように並んで座って、彼は私が話始めるのを待ってくれていた。

 

「おかあさんとは、上手くいってるの。」

 ああ、もう、バカみたいなこと言っちゃった。これじゃあ、

肝心の話にたどりつけない。

 

「同じ家にいれば、イヤでも顔を合わすときがくるから。それに、

 “卒服”を買うって聞かないんだうちのかあ・・・ハハは。

 結局、大人の権力に押し切られちゃった。子供の突っ張りなんて

 ダメダメだよ。」

 

お母さんて呼ぶのやめたんだ。

 

「買ってもらったんだ。」

「うん。ブレザージャケットと揃いのパンツ。それに革靴と白いシャツ。

 ネクタイ。多分二度と着ない。」

 

「多分、たぶん。“多分”ばっかりね。ケイくんは。」

「そんなに言わないよ。」

 

不満そうな顔、おっかしいの。

 

「言ってる言ってる。多分ミズエちゃんが一番好き。でも、多分、

 上叢千冬も好き。」

「自分で言うかなそんなこと。」

だって、景くんがいってくれないんだもん。

 

「逆だったら大変だったね。」

「どうして。」

 

いまだ。

 

「上叢千冬はいなくなるから・・・。」

 

「転勤?」

「うん。」

 

「そっか。うん・・・家族は離れちゃダメだ。うちみたいになっちゃう。

 千冬はそんな経験しちゃダメだ。ボクだけで十分だよ。千冬じゃなくて

 ボクで良かった。」

 

なんでかなあ、なんでそんなに優しくしようとするかなあ。ほんとバカだなあ。

 

「景クンの制服、見たかったなあ。」

「そんなに早いの、あと一週間じゃん!みんなには?」

「卒業式の日まで伏せてあるの。別れをずるずるとたぐり寄せるのって、

 嫌いなの。

 ある日突然、スパンと消えてしまうのがいい。景クンだったらわかるでしょ。」

 

だめだ、もう、我慢できないよう・・・。

 

「今日はね、泣きに来たの。景クンを独り占めにして。」

 

 私は彼の薄い胸に崩れて泣き始めた。

 彼はぎこちなく、左腕で私の背中を抱いてくれた。覚えている限り、

私はこんなに泣いたことが無い。

 

わたしは、それまでの一生分の涙を流した。

ひょっとすると、これから先の分も流しつくしたかもしれない。

 

「どこに行くの。」

「北海道だって。」

「・・・そんなに遠くに。」

 

「うちのお父さん勤務医なんだけど、知り合いのいる病院が医師不足で

 大変なんだって。ひどいでしょう。また、冬に逆戻りだ。」

「桜は見れるんだろう。」

 

  私は、半年前の夏の終わりにこの町にやってきたばかりで、

秋と冬を過ごした。この町の春は知らない。

景くんと一緒に見れるだろうか。

 

見れるといいなあ、その桜を。



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