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 しばらくして、景クンは“もうお昼だから、帰った方がいい”

と言った。

 こんな時でも、わたしに気を遣ってしまう景クンが、そして

気を遣わせてしまう私が哀しかった。

 

 私は、景クンが家に帰るまで、どうしてもついていくと言って

譲らなかった。

放っておけば、彼は野宿でもしかねなかったからだ。

友達の家に転がり込んだりなど、しないんだろうなあ。

 

 彼のマンションに行き、同じようにエレベーターに乗り、同じように

12階で降りて、彼は少し躊躇したがドアを開け、ホッとした顔で

家に入った。

私はそこまで見届けて、ようやく安心した。

 

靴はもう無かったんだろう。

 

 夜になって、お風呂上がりに鏡を見ると、彼が胸につけた痛みは

青黒いアザになっていた。

私は一度それを手で隠し、そして手をどけてみる。

 

アザのある私と、無い私。無い私のなんて物足りないことか。

 

 繊細で、感じやすくて、手で触れたものを全て優しさに変えて

しまおうとして、傷つくことを恐れない。

みんなが好きなのに、自分はそれに値しない人間だと思っている。

 

このアザは彼の心の痛みだ。

 

私はこの印が、一生残ればいいのにと本気で思った。

 

人よりも長い人生を生きなければいけない私が、出会った純粋な心。

 

 いつか想い出の中で、彼は少しずつ姿を変えて、美しすぎる

イコンになるかも知れないけれど、私はこの蒼い影に触れることで、

時を越えて彼と巡り会うことが出来る。

 

 彼のマンションで、同じようにエレベーターに乗り、同じように

12階で降りた。

でも、その中で起きたことは、その前とは違う。

私は少し背伸びをして、彼の冷たい頬にくちびるをつけた。

 

 驚いて振り向いた彼に、「おまじない。」と言った私の顔は、

少女らしくはにかんでいただろうか。

 

これから一人になる彼の中に、もう少し暖かいものを残したかった。

これが最後の機会かも知れないと思った。

 

十二才には早くても、十四才ならそれほどでもない。

 

私はその時、本当の年齢に戻っていた。

初めての時だから、彼にウソをつきたくなかった。

 

私はいま十四才。

そして人知れず、人よりも長い人生を生きなければならない。

 

 最後に、パジャマのボタンを首元まできっちりと留めて、

鏡の照明を消した。

 

「丘野さん。」

「はーい、って、上叢!・・・さん。なんでここに。」

 

 昼休みの教室は、いくつかの女の子の固まりと、

外で遊ばない男の子がぽつりぽつりと座っていて。

 おそらくあんな事件が起こった昨日も、一昨日も、そして明日も

こんな感じ。

 

「ちょっと話があるんだけど。」
「三組って学級閉鎖中でしょ。どうしてわざわざ学校に来たの。

 先生に見つかったらやばいよ。」

 

 どうもあまり歓迎されてない。雰囲気的には。それは

そうでしょうねえ・・・。

 

 私は丘野の耳元まで顔を近づけて、小声で話した。

「景クンのことで、話しがあるの。ここではちょっと話せないぐらい、

 やばいことなの。」

 

 丘野の動揺が表情にでた。

 

「いいわよ。」といって丘野は立った。

 

一緒にいた女子が、丘野と私を見ていた。あなた達には関係ないのよ。 

 

私たちは非常階段を目指した。景クンが好きな場所。

よくここから運動場を眺めている。

 

 

 

「丘野さん。順を追って話すから、最後まで怒らないで聞いてね。」 

「なんだかイヤな言い方ね。わたしが怒りっぽい、バカ女

 みたいじゃない。」

もう怒ってるよ、それって。

 

「昨日、学級閉鎖で早く終わったでしょ。私、景クン家にいったの。」

「何ですって!」
「だから、怒らないでって・・・。」
「誰に断って、景クン家にいったのよ。」

 

景クンに決まってるじゃない。でもそれをいうと火に油ね、きっと。

 

「ちょっとね、本を借りに行ったの。しかもうちの家では読めそうにない

 本だったから、景クンが気を遣って読んでいってもいいよって

 いってくれたの。」

 

「う、つまり、あくまでも本を読むだけだと、主張するわけね。」
「あり得るでしょ。景クンの場合。」
「・・・そうね。」

 

しぶしぶ、しぶしぶ、って感じ。

 

「ホントは、何か起こらないかってちょっと期待もしたんだけど。

 私も女の子だし。」
「起こってたまるか!」 

ヤバ、そろそろ本題にはいろう。

 

「で、景クンちに行ったら先にお客さんが来てて。おかあさんと

 男物の靴がおいてあったの。」

 

 丘野の顔がみるみるうちに蒼くなった。やっぱりわかるんだ。

付き合い長いもんね。景クンがそれでどれだけ傷つくか。

堀内さんとかだったら、えーやっだーうそー、それでそれで、

とか言うんだろうな。

 

「やばいよ、それ。めちゃくちゃやばいよ・・・。で、上叢さんどうしたの。

 ちゃんと景クンにフォローしてくれた?」
「一応ね、ケアはしといたつもり。」

 

この子、人気があるのわかるな。だって、一途だもの。混じりっけ無い。

 

「変なコトしなかったでしょうね。」

 

 前言撤回。

 

 ここで、後ろからXXしたとか、エレベーターの中でXXしたとか

いったら、突き落とされるかも。

 冗談でも、ご想像に・・・とか言っちゃダメ。言ってみたい気持ちは

あるけど。

胸の青アザのことも私だけの秘密。

 

「昨日の夜、ケイタイしたときは、割と普通だったのに・・・。でも、

 ありがとうって言ってたな、切るマエ。いつもは“おやすみ”だけだから

 変だなとは思ったんだ。」


「毎晩電話してるの?」
「YES。と言いたいところだけど、オニハハに怒られるから、

 料金とにらめっこしてる。せこい恋路だわ。」

 
ちょっと冷静になってくれたかな。
 

「ねぇどうして、教えてくれたの。いまのところあなたの独占情報

 だったわけでしょ。」
「なんでかしらね。良くわかんない。」

本当はわかってる。

 

「私、今日の帰りに行ってみる。」
「一人で行っちゃダメよ。」
「えー、そんなの私の勝手じゃない。」
「今日は一人は駄目。彼のおかあさんと同じことをすることになるから。
 彼、敏感よ。」

「あーあ、上叢さんて、うちのお姉ちゃんみたい。
 良く気が付いて、そつが無くって、私コンプレックス感じるよ。」

「ミチルさん?」
「ケイくんが言ってたの?」
「完璧な女性だって。」
「家の中でも、隙がないんだよねー。」

私では、駄目なのだ。
 
 私と彼とは何かが似過ぎている。同じ心の色をしていると
言ってもいいかもしれない。
 淡く、薄暗い水彩のブルー。混ぜても混ぜても、淡く薄暗い。
 
丘野瑞江は、明るいオレンジ。太陽の日射し。
 彼女はきっと、5月に見上げる新緑の欅道のように、彼を彩って
くれるだろう。
 
 それを分かっているから、今日、ここに来た。

「なーに話てんの、めずらしいねぇこの取り合わせ。

 一組でも盛り上がってるよ。」

 

カンナさん。じゃあ、わざわざ偵察に来たんだ。

 

「ねぇカンナ、今日暇?っていうか、空けてくれない、午後から。」

「いいけど、なんで?っていうか、想像するに、この組合わせだと

 ケイがらみだね。」

 

へえー、カンナさんて、“ケイ”って呼び捨てにするのか。

 

「理由は聞かないで欲しいんだけど、かなりへこんでるらしいの。」

「ほーん。」

 

カンナさんが私に視線を移した。

 

「で、ちょっと家庭訪問しようかなと思って。タケダも呼び出して。」

「いいねえ、それ。“アミー”でおやつ買い込んでいこう。で、上叢さんは?」

 

そうか、竹田くんが“ケイ”って呼んでるからなんだ。

 

「私は遠慮しとく。」

カンナさんが、にやっと笑った。

 

「あたしとミズエは公園デビューの時からの親友なんだ。

 で、ミズエと上叢さんは“恋敵”で、あれって“敵”って書くんだよね。

 すごいよね。

 で、話元に戻すけど、上叢さんは親友の敵なわけだ。

 でも、あたし、あなたのこと嫌いじゃないよ。」

 

「ちょっと、カンナ。それじゃあ私が悪者じゃないの。それでも親友なのー。」

 

“お、揃ってる。すっげー”って、一組の男子たちが冷やかして通っていった。

“一組遠山、二組丘野、三組上叢” なんて誰がつけたの下らない。

 

だからガキって嫌いなのよ。

 

「上叢さん、いますっごい“目”してたよ。なんか虫を蔑んで

 みてるような感じ。

 やっぱ、あなたいいわ。目で人を殺せるタイプね。気に入っちゃった。

 さてと、チャイムなるよ。そろそろ戻った方がいいんじゃない。」

 

 背が高くてかっこいい彼女は、廊下の出入り口の、鉄の扉を

開けながら振り返った。

 

「一応いっとくけど、タケダに手を出したら殺すからね。」

「あはは、大丈夫。わたし青春の汗って苦手だから。」


 丘野は手すりにもたれて、人気がひいていく運動場を眺めていた。

景クンがよくそうしているように。

 

「みんなが楽しそうに遊んでるのをみてると、幸せな気持ちに

 なるんだって。

 誰か仲間はずれにされてないかな、とか、それで今すぐ何か

 するって言うんじゃないけど、何かの時に気を遣ってあげた

 いって。

 ほら、まだ遊び足りないって感じで、ボール蹴ってる子、

 ああいうの特に好きだって。

 早く戻らないと先生に怒られるようって心の中で叫んで、

 彼が校舎にはいるとホッとするの。知ってた?」

 

 知らなかった。いい話だな。聞いてるだけで泣けてくるぐらい。

だから、ずっと、わたしを気にかけてくれてたのか。

クラスの中でいつも一人で座ってるわたしに。

 

「私、ちいさいころ、変身して地球を守りたかったの。」

「アニメの影響?」

似合いそう。

 

「そう。でもね、それってウソだってわかるときが来るのね。

 私がっかりしちゃって、そんなことも忘れちゃってたの。

 なのに、転校してきた地味ぽくってひ弱で、周りにとけ込めない

 男の子が、本当に地球を守ろうとしてるって知ったとき、

 私それまで一度も感じたことのない気持ちで胸がいっぱいに

 なっちゃって、お姉ちゃんに“どうしよう”って言ったら、

 心配いらないよ、それは恋って言ってね、誰もが一度は経験する

 ものなの。

 良かったね、瑞江ちゃんていってくれたの。

 ・・・ちょ、ちょっとなにすんのよ。」

 

私の方がちょっと背が高い。丘野をハグした。

 

「私、どうしてあなたに話したか、いまわかった。きっと地球を守りた

 かったんだと思う。」

「上叢、言ってて恥ずくない?」 

呼び捨てにされた。

 

「いまさら、そういうこと言うかな、自分が思いっきり言ってたくせに。」

「赤が私でしょ。ピンクはカンナにゆずっといて、青がクールな上叢。 

 赤と青は仲悪いの。で、ケイくんは弱っちいから緑でタケダが黄色だ。

 お笑いキャラだから。」

「竹田くん、ありえねーって叫ぶわよ。」

 

 丘野との別れ際に、「もう授業始まってるよっ。」て言ったら、

「いいの、この学校で私に意見できるのって、カンナとケイくんだけだから。」

って笑ったあと、

「今日から一人増えたんだっけ。」ととぼけて去っていった。

 

“胸襟を開く”って言うんだっけ、こういうの。

 

・・・なんだか、口癖ってうつるんだよね。


 ああ、もう昼かあ・・・。

母さんばたばたして出ていったな。今日はボク朝ご飯の用意

とかしなかったし。

 

 結局、昨日は顔を合わさなかった。音でわかるんだけどね。

帰ってきたなあ、風呂に入ったなあ、おきたなあ、出掛けて

いったなあって。

 

 どっちかって言うと、昨日は帰ってこない方が良かったのに。

顔合わせづらいよ。

まだ学校があった方が、気が紛れて良かったなあ。

 

 昼はトーストと卵と牛乳でいいや。野菜は野菜ジュースでOK。

ビタミンと繊維と、ミネラルがたくさん入ってまーす。

 

着替えるの面倒だし。でも歯は磨かないと気持ち悪いんだよね。

 

 ひどい顔だな、今日のボク。着替えるの、夕方買い物するとき

でいいや。

それまではうだうだしてようっと。

 

 そーだ、物置部屋の段ボール箱の中に確か、・・・ちょっとものが

増えてないかな・・・このいかがわしい機械なんだ? 

イオン・・シンクロ・・・うそくさー。

 

 あ、これこの段ボール。おお、この濃厚な本の匂い。一応背表紙

向けて並べてあるんだ。

「ポーの一族」久しぶりだな。メリーベル可愛い。ミズエ似てるかも、

性格はぜんぜん逆だけど。

絵はさすがに古い感じがするけど、話は面白いな。

 

 死ねない孤独。生き続ける寂しさ。不老不死って、“喪失”でしか

ないんだ、ってこの人はこの時代に気付いてたんだ。

 

 ああ、いま読んじゃダメ。止まらなくなる。出して紙袋に

入れておこう。

 

ピンポーン・・・。

 

 ええっと、家庭教師はいりません。保険は親が不在なので

良くわかりません。

 新聞は取っています。水漏れガス漏れ一切無いです。犯人に

心当たりはないです・・・。

 

げっ!

 

「い、いらっしゃいませ・・・。」

“やほー、ケイくーん。遊びに来たよ。”

 

「ちょっと待って、まだパジャマなんだ。」

“ふざけてんじゃねー、とっととあけろや、さみーんだよ12階わぁ!

あけねーと騒ぐぞ。”

もう十分うるさいよ、タケダ。しょうがないなー。

 

ボクはドアの鍵を開けて、外に押し出した。

 

「やだー、もう最悪。ケイなんて格好してるのよ。」

最悪は無いだろ最悪は、カンナ君。

 

「うわー、はっはっは、笑えるー。ケイの間抜け面。ひでぇー。」

「ちょっと、うちのケイくんに何てこというのよ。さあ、中に入って着替え

 ようねえ、ケイくーん。この失礼な人たちには、外で待ってて

 もらいましょう。」

「おい、ちょっと信じられねー。この寒さで凍死しろっていうのかよ。」

「そうよ、もうくちびる紫になりそうなのに。」

 

くくっ、くっくっくっく、あーっはっは、おかしい。おかしすぎる。

あー死にそう。

 

「あーあったけー、ケイの家、久しぶりだなあ。」

「まあちょっと、そっちのリビングの方にいっといて、着替えるから。」

「眺めいいね、ここからうち見えるかなあ、タケダ。」

「スーパー・マキノがあそこだから、あの、青屋根のあるあたりじゃないか。」

スーパー・マキノってこの街のランドマークだったんた。しょぼー。

 

 ん。

 

「なんで、ミズエがボクの部屋にいるの。」

「お着替えするんでしょ。」

ニコニコ笑って、調子に乗ってんなよ。

 

「本当に脱ぐぞ。」

「え、・・・まってまって、ちょっと部屋みたかっただけなの。あ、だめ、

 エッチ、信じられない、変態。ばか。この野郎、ふざけんな!」 

 

ボコッ!

 

「カンナ、なんかあっちで騒いでるけど、大丈夫か。」

「大丈夫、大丈夫。ミズエが切れたら私でも勝てないから。

 でも、彼女一応リミッターつきなの。」

 

「を、ミズエ。どうかしたのか。」

「どうもこうもないわよ、いきなり美少女の前で服脱ぐかな

 あのバカ。」

「あちゃー、で、どうしたの。」

「ベッドにたたきつけてやったの。私をなめるからこんなことに

 なるのよ。タケダからもちゃんといっといてね。」

「は、はひ。わかりまひた。」

 

 

う、まだめまいが。たくもう、あいつら何しに来たんだ。

 

「えーと、お嬢様方、何かお飲みになりますか。」

「私、紅茶でいいよ。タケダは?」

「ビール・・・・・じゃなくて、紅茶で結構です。・・・そんな目で

 睨むなよカンナー。ジョークだよジョーク。イッツアメリカンジョーク。」

「くだらないから、おやつ開けるわ。ああくだらない。くだらない。」

 

「ミズエは?」 

「あ、私手伝う。」

「カップどこ。」

「食器棚の左の方。そこに揃いのが五客入ってる。それ出して。」

 

ええっと、これね・・・

「お皿、いいよね、どうせ私たちだけだし。」

「ああ。うん、ミズエがいいなら。」

 

「ケイくんはコーヒー?豆挽くの?」

 

“ケイ。おれもコーヒーよろひくー。”

“ちょっと食べながら喋らないの。”

 

「うん。久しぶりにやってみる。」

「やらせて、やらせて。」

 

「じゃあね。この蓋を開けて豆を二杯入れるんだ。・・・そうそう。

 で蓋しめてハンドルを回して。時計向き。うん。手応えが無くなったら、

 下の引き出しを出して、豆をフィルターに開けるんだ。」

 

「うわー、いい匂い。こんな匂いなんだコーヒーって。」

「回すように、周りから入れていくんだよ。・・・コーヒーはね、熱湯を

 入れてもドリップする間に少し冷めるんだ。だから、直ぐに飲んでも

 あまり熱くないんだよ。」

 

「こんな感じかなー。」 

「うん、上手いじゃん。」

「香りが変わった。」

「挽いた豆の香りは、甘酸っぱい香り。入れ立てのコーヒーの香りには、

 それに苦みが加わってるだろう。甘みと酸味と苦みがコーヒー

 の味なんだよ。」

 

“ケイ、新婚さんみたいだぞ。” 

何言い出すんだよ、タケダ。

 

「ハイ、ダーリン。コーヒーが入りましたよ。」

“ミズエ、ケイが固まってるよ。”

 

 変なこと言うからじゃないか。ダメなんだって、そういうの。

 

 それから三時間ばかし、おやつをバリバリ食べながら、ボクたちは

いろんなことを話した。

 三人が突然来てくれた理由はおおよそ察しがついたけど、誰も

そのことには一言も触れないでいてくれて、ボクはありがたかった。

 

 カンナとタケダはともかく、ミズエは時々ボクを気遣うような目で

見ている。

 だから彼女は少なくとも、知ってるんだろうと想像したんだけど、

カンナとタケダは理由を聞かずに付き合ってくれたってことだ。

 

 ボクはずっと笑いっぱなしだった。



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