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“図書室”は“図書館”とは違って、子供向けの本が多い。

 

 だから僕が読みたい本はあまり無いんだけれど、学校に来ると手に入るのは便利だ。

図書館は、自転車で行かないといけないくらい遠かったりするから。

 

 学校の本て、なんだか負け試合の選手みたいな気がする。

角かどがすり切れてたり、セロテープで背中を修理してあったり。

 なんていうのか、もう疲れてるんで帰りたいんですけど、まだやらなきゃいけ

ないんですか・・・て言ってる見たいな。

 

 今日はどうしようかな。借りるか、借りないか、それが問題だ。

石川啄木ってさあ、どうにも、食欲がわかないんだよね。(宮沢賢治もだけど。)

 

うーん。

 

「な、か、も、り君?」

はひ?

 

「あ、よかった。違う人だったらどうしようかと思った。お待たせ。」

ああ、上叢さん。知らない声だから、だれかと思った。

 

「もう、よかったの。僕ならまだ良いけど。本見てるし。」

 

 あの黒い目で見られて、おまけに“お待たせ”なんて言われて、僕はちょっと

どぎまぎ。

 

「へぇー、啄木読むんだ?」

あー手の上のこれね。

 

「いや、読んだ方が良いのかなとは思うんだけど、教科書に載ってるあの顔を

 思い出すと、どうも読書意欲が無くなるんだ。」

「えー、変わってるね。顔で読む読まないを決めるんだ。他には?」

ちょ、ちょっと近すぎ。

 

「夏目漱石とか。」

「ああ、漱石ね。じゃ鴎外とかも読むの?」

だから近いって・・・。

 

「まだ。」

 

 そうか、夏目漱石なんてまだるっこしい言い方は駄目だ。プロは漱石とか

鴎外とか啄木って言うんだ。

 

「そうそう、顔で決めるんなら“中也”がいいよ。」

ちゅうや? 誰や?(さむい・・・。バラエティの見過ぎだきっと。)

 

「ここになかったら、今度貸してあげようか? でも小学生には無理かなあ。」

 

むかつく。自分だって小学生だろ。何様だおまえ!

 

「今日はやめとく。帰ろう。」

 

なんか、初対面のオンナに子供扱いされた。

“小学生には無理か”だって。(後日、本当に無理なことを思い知る。)やなヤツ。

 

「あ、ちょっと待って。なかもり君。」

 

 僕は鞄を背中に振り上げて、図書室を出て、靴を履き替えて、ずんずんと

校庭を横切っていった。

 
 校門のヒマラヤスギの辺りで、上叢さんが音を上げた。

「お願い、なかもり君ちょっと待って。」

 

僕はようやく振り向いた。

上叢さんが本当にしんどそうだ。

 

「上叢さん、汗かかないの?」

 

そうなんだ、息が乱れているのに殆ど汗をかいていない。

 

「わたし、新陳代謝があまりよく無くって、汗をあまりかかないの。だから夏場は

 体温調節がうまくいかなくて、すぐばてちゃうの。」

「ごめん、気がつかなくて。」

 

一人でかっかしちゃって。ガキだオレ。

 

「ううん。なかもり君は悪くない。きっとわたしが、余計なことを言って怒らせ

 ちゃったのね。わたしときどき気がまわらなくて、そういうコトしちゃうの。」

「あんまり、喋らない方が良いよ。」

 

 ヒマラヤスギの木陰で、運動場を走り回っている学童の連中を暫く見ていたあと、

僕は、今度はいつもより少し遅い目に歩き出した。

 

 しばらくはなにも言わずに、アスファルトの照り返しのきつい道を、僕たちの

暮らしている街の方へと歩いていった。

無秩序に家が建てられ、道路が付け替えられ・・セミうるさい。

 

お前ら最近、ホントうるさすぎ。

 

「ボクも転校してきた頃、帰り道が分からなくなって泣きそうになったことがある。」

「へえそうなんだ。それで?」

 

「どうしたかなあ、そのまんま歩いてたらいつの間にかマンションについていたん

 じゃなかったっけ。良く覚えてないな・・・。大丈夫?」

「ありがとう。もう落ちついたから。」

 

光が丘って言うのは、新しく作られた住宅地の名前で、元からある名前じゃない。

 光ってるのは夜の街灯ぐらいで、他に何か光り物があるわけでもなくて、でも、

駅前の商店街でもタクシーでも“光が丘”で通じる。

うちはその一角にあるマンションの十二階で、眺めはまあまあ良い方だ。

 

この辺り、マンション自体があまり無いんだよ。

 ちなみにマンションの名前は“リバーサイド”って言うんだけど、このリバーって

いうのが川のことだってぐらいは小学生のボクでも知っていて、肝心の川が加茂川

っていうちんけな川だって言うのが何ともいけてない。

 

ミシシッピ川ぐらいでかければ良かったんだけどね。

いや、見たこと無いんだけどさ。

 

「あ、ここまで送ってくれたらもう大丈夫。あとは分かるよ。」と上叢さんが言った。

 

 なんとなく家まで送るのかなと思っていた僕は、ちょっと拍子抜けしたんだけど、

暑いのにこれ以上遠回りさせるのは悪いから、という彼女の気遣いに同意することにした。

 

 スーパーによって、“冷や中”でも買って帰るか。

でも、実のところかなり残念だった。

 

 なんて言うのか、同じ転勤族だからだろうか。彼女にはいちいち説明しなくても

話が通じるようなところが多くて、すっごく話しやすいところ。

 

 ミズエとは、時々感覚が合わないなと思うことがあって、そこを苦労して説明して

わかってもらえたときの喜びがあって、それはそれで楽しくはあるんだけど。

 

・・・誰と比べてんだオレ。

 

そのまま帰りかけたところで、彼女の声が後ろから追いかけてきた。

 

「なかもりくーん。明日の朝、何時に来ればいい?」 

「八時ー・・・。」

「じゃあ、あした、ここに八時ね。」

 

おいおい、一人で決めんなよ。遠回りなんだって。

でも、まあ、仕方ないか。転勤族仲間としては、お互い助け合わなくちゃね。

 

そのあと僕は、“スーパー・マキノ”ですごいショックを受けた。

“冷や中”って、二人前でしか売ってない、と言うことは。
 
明日の昼も “冷や中” 決定!
 

 千冬は、景と別れたあと二区画ほど歩いて、引っ越してきたばかりで、

まだなじみの薄い我が家の扉を開いた。

 

「ただいま。」

「おかえりなさい。どうだった、学校。」

 

ダイニングから母親の声がした。冷蔵庫を開けて、閉める音が聞こえる。

 

 水滴の付いた麦茶の入ったガラスコップを頬に当てて、目をつぶって暫く

思い返したあと。

 

「ふつう。どこも一緒。子供はうるさい。どこから来たのとか、ドラマなに

 見てるのとか・・・。」

といって一口飲み込んだあと。

「あーでもねー、一人面白いのがいたよ。何を読むか、作家の顔で決めるんだって。

 フフ、変わってるでしょ。」

「そうね。初めて聞いたわ、そんな選び方。なんて言う子なの。」

「なかもり君。・・・中森クン。」

「そう。あまり親しくしちゃ駄目よ。いまさら、分かっているでしょうけど。」

 

「・・・・はい。」

 

 千冬は、コップをテーブルに置き、冷えて水滴のついた指で鞄の中を探って

プリントを取り出した。

 おかあさんには、送ってもらったことと、朝一緒に登校することは言わない

でおこう・・・。

 

「おかあさん。新学期そうそう、家庭訪問があるんだって。」

 

 千冬の母は、浮かない顔で水染みのついたそのプリントを開き、

「来るって言うものは、仕方ないわね。」と気乗りのしない返事をした。

 

 引っ越しの荷物は、まだ運送会社のロゴが印刷された段ボール箱の中に入って

いる。今度いつ引っ越しになるか分からないから、衣服なんかは本当に必要になる

ときまでそのままだ。とりあえずは空き部屋に押し込んでおくことになるだろう。

 

「担任の先生の名前は、、、たしか野島先生だっけ。」

「そうだよ。連絡網に書いてあるよ。」

 

 ー 野島浩治・・・とりあえず聞き覚えはないけれど、念を入れるのに越したことは

無いわ。

 

 関係者も含めて。

 

上叢千冬が転校してきてから、三ヶ月が過ぎた。

 

ボクと上叢は朝一緒に登校し、時々は帰りも一緒だった。

 彼女とボクには“読書”という共通の話題と、それから子供嫌いって言う好み

の共通性があった。

 

 彼女の読書は本物で、読んだ物語についてのいろいろな解釈を僕に披露して

くれる。僕はその量においても、読み解く力においても彼女には敵わなかったけど、

それを悔しいとか思ったことは一度もない。

 

 それは彼女が、例えば日の沈むのが早くなった秋の帰り道に、夕焼けのなかで

ボクに話すとき、彼女は物語の世界を旅して、その旅の思い出をただ純粋に懐かしむ

ように、ボクに分け与えてくれたからだ。

 

 ボクは彼女の話を聞くのが好きだった。自分の知らない世界の扉を開けてくれる、

彼女の言葉を聞くのが好きだった。

 

 ボクはいつの間にか、夏の間に迷い込んだ泥沼の中から草原に足を踏み入れていた。

それは、いつか迷子になった帰り道で、気がついたら自分ちのマンションの前に戻って

いたときの感じに似ていた。

 

 ボクは、また、風が吹いていることを感じる事が出来るようになった。

春風は秋風に変わっていたけれど、ちょっと大げさに言うけどさ、まだ、

生きていていいんだと思えたんだ。

 

 

上叢千冬は三ヶ月たったいまも、女の子のどのグループにも属していない。

 

 どうして女の子達があんなふうにグループを作るのか分からないけれど、

それに属さない子は仲間はずれにされたり、時々いじめの標的にされたりもする。

 

 いろんなグループが上叢千冬を取り込もうとしたみたいだけれど、彼女は

愛想良くしているがそれ以上の関係には成らなかった。

 だからといって、彼女が仲間はずれにされたとか言うことは聞いたことがない。

彼女の存在感が、あまりにも独特だからかも知れない。

 

ボクが最初に感じた印象で言うと、彼女は他とは温度がちがう。

そういう彼女を、ボクは援護しているつもりだった。

 

人のためっていう明確な目的があれば、生きるのは楽だ。


そして、そんな朝、あの事件が起きた。

 

「なんか、ちょっと寒くなってきたね。」

「なんだか、散歩のおじいさんの挨拶みたい。」

「寒いものは寒いよ、子供だって。もう十二月だし。」

 

 ほら、息だってこんなに白い。ほーっと。ちょっと怪獣みたいなんて思ってる

ことは、内緒。

 

「こっちって雪降るの?」

「まだまだ随分先。」

「へーでも降るんだ、雪。」

 

「東京は降らないの?」

「年に一度ぐらいね。降ったら大混乱。ニュースとかでもやってるでしょ時々。」

「ああ、見たことある。東京以外の人間にすれば、どうでも良いことなのに。

 関係ないし。」

「そうだね。東京の雪なんて汚いだけなのに。・・・わたし小さいとき、

 信州の方にいたことがあるから、雪が楽しみ。」

 

 この商店街の辺りまで来ると、登校する小学生が増えてくる。この寒いのに

半ズボンと半袖Tシャツで走ってるのもいる。

 あのお婆さんは、多分、いつも小学生の登校に合わせて犬の散歩に来ているん

だろう。にこにこと楽しそうだ。心の中でおはようって言ってるのかも知れない。

だからボクもすれ違うときに、心の中でおはようございますって言ってる。

 

ふと思いついて聞いてみた。

 

「上叢って冬生まれ?」

「さすがだね、名探偵君。」

「そんな言い方すると、恥ずいじゃないか。少なくとも四分の一の確率で

 あたるんだから。」

「でも、千冬って名前、わたしは好きじゃないの。」

「どうして?綺麗じゃない。」

 

「うん。そうなんだけど、好きじゃないの。中森クンは?“景”って言う名前、

 いいよね。」

「うーん。考えたこともない。」

「そうなの?ふーん。 人はそれぞれってところかな。」

 

 最近は、その名前で呼ばれることも少なくなった。母さんとは昨日の朝、

顔を合わしたきりだ。

 

 

 校門に校長先生が立って、一人ひとり挨拶している。これってどういう意味が

あるんだろうな。

 こういうとき上叢千冬は、一度立ち止まり、転校してきた時と同じように

両手を重ねてお辞儀をして「おはようございます。」って挨拶する。

 

仕方ないからボクも立ち止まって挨拶する。

ちょっと恥ずかしいけど、上叢千冬のそういう姿を見るのは好きだから。

 

「ねえ、中森クン。景クンって呼んで良いかな。」

 

校門から校舎に向かう途中で、不意にそんなことを言われた。

 

「良いけど。じゃあ、・・・。」 

「ダメ。それはダメ。」

「ずるいぞ、自分だけ。」

 

 上叢は、笑いながら逃げるように階段を駆け上がっていき、教室に入った

ところで急に立ち止まった。

 

「あっぶねえな。」

 

 ボクは背中にぶつかりそうになり、ぶつくさ言って彼女が見つめているもの

にやっと気が付いた。

 

 黒板に、白いチョークでかさのマークとその下に、上叢とボクの名前が

書いてあった。

 

 彼女は、期待に満ちたクラスの視線をちらっと見下すと、何も言わずに

そのまま自分の席に着いて、窓の外を見ていた。

 

 その横顔が、ちょっと青白く引きつって見えたのは錯覚かも知れないけど、

黒板には依然としてその落書きが残っている。

 彼女の前では消すに消せない。どうしたらいいのと言うような困惑の雰囲気が

クラス中に広がった。

 

 誰かが「ねえ日直!」と言ったけど、「やだよ、オレ関係ないもん。」

と教室の別の所で誰かが拒否った。

ボクは、正直に言うけど、傘の下に書いてあるのがボクの名前で嬉しかった。

もし他の誰かだったら、もう、なんて言うか、すごくへこんでただろうと思う。

 

ボクは鞄から携帯を取り出した。

(本当は、学校に持って来ちゃいけないんだけど、ボクの場合、いつ母さんから

どんなメールが飛んでくるか分からないという不安があって、こっそり持っている。)

 

「タケダー、一枚撮って。」

「おー、かしてみー。」

 

 ボクは落書きの前で親指を立ててポーズをとった。タケダのおもしろがっ

てる顔と、それ以外のクラスのみんなの間抜け面と来たら・・・。

 そして上叢千冬のホッとした顔が見えて、ボクは何とか役割を果たしたぞって

気になった。

 

とっても残念だったけど、先生が来る前にその落書きはボクが自分で消しておいた。

 そしてその後の一時間目の授業中に、こんなことはいままで一度もなかったんだ

けれど、何人かの有志の手を経て上叢千冬からの小さく折りたたんだ手紙が回ってきて、

中にはこう書かれていた。 

 

「景クンありがとう。 千冬。」



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