閉じる


今日

 終業式の日に、学校に早く着いても何にもすることがない。

だから窓際の自分の席に座って、ぼーっと校庭を見ていた。

 

「中森くん、久しぶり。」

「あー、相沢かあ。」

あいかわらず、スカートの丈短いなあ。

 

「休みぼけ? 補習来てたんじゃなかったっけ。」

「昨日寝てない。」

「久しぶりの学校で、わくわくして寝れなかったとか。」

こいつに話してもなあ。

 

「悩み事あるんなら、相談に乗るよ。」

「1回5セント?」

「M・Oちゃんも苦労したわけだ。Kくんが、こんな世界中の

 苦悩を背負って生きていますみたいな顔して、

 ぐずぐずしてるヤツじゃあね。

 バカデース、でも元気でーす、どっかーん、みたいな男なら

 気楽なのに。」

 

「もう、そんな苦労しなくていいんだよ。」

「なーんか、中学生と付き合ってるらしいね、しかもお嬢学校の。」

「・・・なんで知ってんだ。」

 

「葦原の町で見られたのよ。っていうか、しょっちゅう一緒に

 帰ってるらしいじゃない。

 有鄰館の制服と、双葉の制服が並んで歩いてたら目立つの。」

 

そんなもんか。ふーん。

 

「世界は暇人ばかりだなあ。」

 

ボクは窓の外に頭をそらして、空を見上げた。

垂直に切り取られた空。

断頭台のような校舎の窓。今すぐ落ちてこい。

 

「ちょっと、やめなさいよ。危ないじゃない!」

相沢が真剣な顔をしてボクを引き起こした。

 

「余計なことをいった私が悪かったから、そんなこわいコトしないで。」

ボクは、無抵抗に相沢に肩を掴まれたままいった。

 

「今頃、“あの人”が荷物をまとめて、家からでていこうとしている。」

 

相沢がようやく手を離して、

「あの人って誰。」と聞いた。

 

「“母親”っていってたっけ。」

「そんな、ウソでしょ。」

「普通そう思うよな。でも、現実なんだ。今日から一人暮らしだ。

 ハハ・・・。」

 

相沢が、そんなひどいショックを受けたって顔すること無いよ。

これはオレのことなんだから。

ああ、また黒いものがどんどんしみ出てくる。我慢してたのに。くそ!

 

「もう、あんまり話しかけない方がいいぞ、オレこうなると

 自分勝手になって、何言い出すか分からないんだ。

 相沢にひどいこといいたくない。」

 

“よーよー、朝から見せつけてくれるじゃん。” 

・・・シマダか。

 

「相沢そこどいてくれ、あいつぶっ潰す。」

 

進学校のふぬけ野郎のくせに、

「相沢にそんな口聞くな!」

 

「ダメだよ。私、絶対どかない。中森にそんなコトさせるわけには

 いかない。」

「だって、あの野郎がオマエに!」

 

「いいの!あのKくんにそんなことさせられない。

 私、前に現実ってこんなもんかっていったけど、あれ取り消す。

 M・Oがキミを好きになった気持ち、いまは分かるよ。

 だって、自分が辛い時なのに、自分をほっといてでも

 ただのクラスメートを守ろうってするヤツ、

 好きにならないわけ無いじゃない。」

 

興奮すんな相沢。クラス中引いてるぞ。

 

「ほら、ハンカチ。それから、とにかく座れ。

 よっこらしょっていうなよ。」

「バカ。」っていわれた。

 

あとで、

「さっきの好きっていうの、私のことじゃないからね。」

て念を押された。

 

「オレのハンカチ。」

「洗って返す。」

「夏休み中、干すのか。」

「バカ。今日は私の持ってて。」

 

また、バカ、だ。こんな可愛いハンカチ持ってたら

「職質されたら、補導されるなオレ。」

 

「こらそこの二人、うるさい。」

「先生すんませーん。シマダが朝から喧嘩売ってきたんで、

 後でどうやってしめてやろうか相談してたんです。」

シマダの野郎おどおどしやがって、根性無し。

 

「おい、ほどほどにしとけよ。中森。」

ほどほどだったら、やっていいのか。

 

 でもな、今日はもっと重い問題抱えてるんだよ、オマエの相手してる

暇ないんだわ。

残念だったなシマダ。


学食は営業してないので、“ラ・メール”で昼ご飯を食べた。

 

「マスターは、家族っていますか。」

「あぁん、家族?。いやオレは結婚しなかったからな。

 そういう意味での家族はいないな。」

 

そういう意味じゃない家族?

 

「中森クンなんかあったの?」

「イヤ、ちょっと聞いてみただけです。」

 

マスターはCDを選び、トレーに乗せて、FMを止めた。

 

「“ラ・メール”で、BOSSAっていうのもちょっと

 あれなんだが、いまの流行っつうのはこういうもんらしい。」

 

 ちょっとくぐもった感じの女性の歌声が流れてきた。英語でもないし、

フランス語でもなさそう。

甘く、切ない想い出。想い出の中だけに生きている人の唄。

 

 中学の時、ミズエに、

「ケイくん、私たち別れよう。」

っていわれたときのことを思い出した。

 

 その別れって、結局二週間ぐらいしか続かなかったんだけど、

その二週間の間はくだらない噂話が耳に入ってきて、ちょとやな

思いをした。

ミズエが別れようっていうのは、仕方がないことなんだよ。

煮え切らない、誰かさんのせいなんだから。

 

「結婚はしなかったけど、女の人と暮らしたことはあるんだ。

 外国でね。

 若い頃、いろんな国を旅して回って、そういうのが流行ってたんだな、

 世界中で。まあ、ちょっと、もう落ちついてもいいかなと思ったことが

 あったんだよ。

 でも、その当時は日本人なんてまだ物珍しくてね。しかも流れ流れて来た

 定職もないような男だ。相手の親が怒っちまって、彼女は板挟み。

 可哀想なんでオレが身を引いたってわけだ。

 この店で出してる料理は、その頃覚えたもんだよ。」

 

マスターは自分のカップにコーヒーを注ぎ、ついでにボクにも入れてくれた。

 

「この店は常連の客が多いからなねえ。ま、ちょっとした家族みたいなもんだ。

 イヤ、家族って言い方は変だな。身内っていったほうがいいかもな。

  だから店がはねて、自分の“ヤサ”に帰ったときより、ここにいるときの方が

 忙しいけど落ちつくんだよ。

 中森クンみたいな面白い子が、時々現れるし。

 明日ッから夏休みかい?」

 

「ええ、九月になったらまた来ます。」

「ああ、元気でな。」

「マスターも・・・。」

 

“ラ・メール”を出てもまだ二時。

 

 もう少し時間を潰さなきゃ。

CDでも見に行こうか、でも持って三十分てとこか。

その後本屋で三十分、デパートの地下で三十分。それで三時半。

家に帰れば四時ちょっと回ったぐらい。

 

まだ早い。

 

むなしい時間の潰し方。映画は一杯だろうな、夏休みの家族連れで。

そんなとこへいったら、おかしくなって笑っちゃいそうだ。

 

そうだ、快速じゃなくて普通に乗って帰ろう。

それでプラス十分くらいか。

 マンションの前まで帰って、引っ越しのクルマが止まってなければ

もうすんだって所だろう。もし止まってたら、河原で寝転ぼうか。


 マンションの前にはクルマの影もなく、エレベーターは十二階まで、

いつもと同じようにごとごとと上がっていく。

 

 廊下を歩いて、鍵を開け、ドアノブを回す。扉を開く。

ボクのスニーカーがきちんと揃えておいてある。

それ以外には無い。

 

 母さんの部屋はすっかり家具が無くなっていた。

向こうに行っても使い続けるんだろうか。

それともそのまま捨ててしまうんだろうか。

どっちにしても、ボクには用のないものだ。

 

壁紙に四角い日焼けの跡が残った。

 

これ、消すんだったら、自分で頼まないといけないんだろうな。

 

 キッチンの調理器具はそのまま残っていた。

お皿やなんかは一人暮らしに多すぎる、殆ど使わないだろうな。

 リビングにおいてあった雑誌は、処分してくれたらしい。

女性誌なんてボク読まないもの。

夏休みは、まずいらないものの整理から始めないといけない。

 

ミズエがこれを見たらここで暮らすなんていいそうだ。

そうなったら、なったでまた大変だ。

カバンを置いて、着替えよう。洗濯もしないと。ちょっとさぼってたし。

 

部屋の机の上に便せんが置いてあった。

 

“ごめんね”と書いてあった。

 

 謝るくらいなら、こんなことするなよ。生きるための知恵だって、

平然としてどうどうと出ていってくれたら良かったのに。

謝られても、許せることじゃないじゃないか。

 

あんたは子供を捨てたんだぞ!

 

はぁ、はぁ、はぁ、苦しい。息苦しい。窓開けなくちゃ。息が詰まる。

 

 ・・・れか、誰か、窓を開けて、誰か、埋もれてしまう。

黒いものに飲み込まれてしまう。

誰か助けて。

 

ミズエ、千冬、・・・ミズエはダメだ。ボクを恨んでる。きっと。

いままで散々辛い思いをさせて、結局千冬と付き合ってるボクを恨んでる。

ミズエはダメだ。ダメだダメだ、もうダメなんだ。

 

千冬、あまりに遠い。

 

遠い。

 

 彼女を引きずり込んでいいんだろうか、この黒い黒いタールの中に

引きずり込んでいいんだろうか。

 

ボクは、ボクは、ボクが耐えれば、なんとか持ちこたえれば、・・・。

 

 なんとか持ちこたえようとしたのに、あの女。自分だけ助かろうと

しやがって。

 いつも、いつも、いつも、詫びればすむと思いやがって・・・。

あれさえなかったら。

 

あれがあったから!

 

ダメだ。もうぼくはダメだ。ミズエ!千冬?

 

Pi、Pi!

 

“景クン・・・。”

 

“どうかした、景クン・・。”

 

“どうしたの、景クン。”

 

“落ちついて、ゆっくり息をして、何も考えないで。

 わたしのことを思い浮かべて。

 いい、わたしが待ち合わせに、いつも走って来るところを思い浮かべて。

 わたし、いつも景クンめがけて走ってきたの。それを思い浮かべて。”

 

「・・・母さんが出ていった。」

“えっ?”

 

「母さんに捨てられた。ボクはひとりぼっちになった・・・・。」

“違うよ、景クン。わたしが一緒だよ。景クンひとりぼっちじゃない。”

 

「だって、一人しかいないんだよ。この家に一人なんだ。

これから先もずーっと。ずっと一人なんだ。」

 

“景クン、いまからケイ君の家に行きます。景クンはそこを動いてはだめ。

 分かった?分かったら返事して。”

 

「千冬がいまから来るの?」

“そう。”

 

「遠いよ。」

“大丈夫だから。だから待っててね。分かった。”

 

「うん。」

 

Pi!

 

 

 

千冬が、この家に来る。どうして?どうやって?

 

北海道なのに・・・。


 わたしは押し入れの奥に押し込んでおいた、小型のボストンバッグを

引きずり出した。

 

なにか、万が一のことがあったときに、これをもってわたしは家を出る。

 そのためにお金やカードや着替えや、最低限必要なものをこの中に

詰め込んであった。

 まさか景クンがあんな事になるとは思ってなかったけれど、

場合によっては暫く帰れないかも知れない。

ううん、ずっと帰らないかもしれない。

 

 母さんはキッチンで夕食の支度をしている。

 見つからないように出たいけど、ドアを開ける音でどうしても

分かってしまうだろう。

 

それでも行かなくちゃ。

 

 家を出たとき、母さんの声がしたような気がしたけど、

わたしは無視した。

駅までかけていったとき、快速が近付いてくるのが見えた。

定期券で改札を通り抜け、一気に階段を駆け上がる。

 

何とか間にあった。息が荒い。早く納まれ!

 

「景クン!」

 

“千冬”

「いま、快速に乗ったから、三十分ぐらいでつけるよ。」

 

“快速?飛行機は?”

 なにいってるの景クン。

「大丈夫、あと三十分ぐらいだから。」

 

“うん。待ってる。良い子にいしてるから。父さんも帰って

 くればいいな。”

おかしい、変だ。景クンがおかしい。

 

“えー、次は鴨田、鴨田。東蒲生、西蒲生方面にお越しの方は、

次の鴨田で普通電車にお乗り換え下さいー。”

 

早くついて、早く・・・。

 

 東蒲生の駅前でタクシーを拾った。わたしは五分が惜しかった。

その五分の間にもしものことが起こっていたら。

わたしは運転手に千円札を押しつけて、そのままマンションに駆け込んだ。

 

「景クンいまマンションについたよ。これからエレベーターで上がるところ。

 もう少しだから待っててね。」

 

“・・・ダメだ、来ちゃダメだ。来たら何をしてしまうか分からない。

 何しに来たんだ。

 来てくれなんて一言も言ってない。

 帰れ!帰ってくれ!誰が来てくれって言ったんだ!”

 

「誰もいってない。わたしが勝手に来たの。」

 

わたしはドアのチャイムを鳴らした。

「さあ、開けなさい、景クン。」

 

 

 

“もう、開いてる。”

 
ドアの向こう側から声がした。