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1日前

 日曜の夜。

 

 翌日は、一学期の終了式の日ということ以外には、

取り立ててなになにがあるというはずもない日。

 

「景ちゃん、ちょっと話があるの。」

と、“あの人”が部屋の外でよんだ。

 

 リビングに入ると、テーブルの上に通帳とカードと印鑑が

置かれている。

 

何だろう?

 

「景ちゃん。母さんね。この家を出て行こうと思うの。」

 

ボクはこれから何が始まるのか、わかった。

おわるまで、我慢しなくちゃいけない。

 

「景ちゃん。大学に行くときには、この家を出るつもりなんでしょ。

  この家から通える範囲に、景ちゃんの高校から行くような大学って

 無いものね。

 そうなったら、母さんがこの家にいる意味って、もう、特にないの。

  意味もないのに、一人でずっとこの家に、死ぬまで住み続けないと

 いけないの。」

 

ボクが一番恐れていたことが、少しずつ、始まっている。

 

「それはつらいの。その寂しさに耐えられそうにないの。

  でも、いまなら一緒に暮らさないかっていってくれる人がいて、

 その人と何度も話し合って、そうしようってことにしたの。

   それから今日そのことを景ちゃんに話すまで、何度も何度も

 迷ったんだけど、景ちゃんにも大事な人が居るって知って、

 いまなら分かってもらえるんじゃないかと思って。」

 

 あの人は下を向いていた。辛かったんだろうな。

 

 自分の息子に避けられていると知って、その原因が自分にあることも

分かっていて、あれから三年。

そしてこれからの何十年か。このままいたんじゃ辛いことばっかりだ。

 

最後に、親孝行すっか、オレ。

がんばれ、ケイ。

 

「母さんのいうことは分かった。今日までありがとう。」

 

その瞬間、母さんは下を向いた顔に両手を当てて、泣き出した。

見ていられないぐらい、激しく泣いていた。

 何か、自分がほんとうは既に死んでいて、その骸に向かってあの人が

泣いているような気がするぐらい、辛そうな泣き方だと思った。

 

「この通帳。貴方の名義で作っておいたから。

 父さんと母さんからの仕送りがここに入ります。

  大学にはいるのに、お金がいるとかそういうことはちゃんと

 相談してね。

  住むところが別れるといっても、親子じゃなくなるわけ

 じゃないんだから。

 貴方が独り立ちするようになるまでは、母さん達は離婚しないの。

 それから先のことは、また話し合って決めましょう。

  普通の家族みたいにやっていければ良かったんだけど、

 景ちゃんには悪いことしたと思ってる。

 でも、母さんは、景ちゃんみたいな子供をもてて、嬉しかった。

 母さんのたった一人の子供が、景ちゃんで良かった。」

 

 その言葉は、ボクには何の慰めにもならなかったけど、

愁嘆場にならなくて良かった。

 

「母さん。悪いけど、明日ボク学校があるんだ。

 夕方には帰ってくるから、それまでにでていってくれるかな。」

 

 母さんは多分もう、何を持っていって、何をおいていくかの

段取りはしているだろう。

女の人って、感情とは別の所でそういう理性は働くものみたいだから。

引っ越し屋も頼んであるかも知れない。

 
とにかく明日また、この家でこの人に会うのはイヤだった。

 久しぶりにボクは夢を見た。

 

 誰だか知らない人から引き離される夢。

 

 声も聞こえる。「ごめんね。」って言う声。

 

 その時のボクには何の感情も無い。

 

 なにも分からずに引き離される夢。

 

 うなされて目が覚めた。

 あの夢は、あの人じゃない他の誰かだ。じゃあ、一体誰なんだろう。

 

 それとも、単なる夢に過ぎないんだろうか。