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三年と四ヶ月前

 それはいつかくるとわかっていたけれど、大した問題じゃない、

と思ってた。

 

 三月にボクたちはこの学校を卒業して、同じ中学校にすすむ。

それは、いわゆる既定路線で想定内のこと。

その卒業式の一週間前の土曜日、ボクは千冬に呼び出された。

 

 彼女の家から電話がかかってきたのは初めてのことだった。

ボクは朝の待ち合わせ場所に急いだ。

多分、あまりいい話じゃないんだろうなと、ボクは感じた。

 

「ごめんね呼び出したりして。」

彼女が先に来て、待っていた。

 

「ここじゃ話せないよね、きっと。」

「うん。」

「河原に行こうか。」

 

 そう、ボクはその話にふさわしいところを、殆ど無意識に選んだ。

 

 いつかのように並んで座って、ボクは彼女が話を切り出すのを待った。

「おかあさんとは、上手くいってるの。」

参ったな、なんだよいまさら。

 

「同じ家にいれば、イヤでも顔を合わすときがくるから。それに、

 “卒服”を買うって聞かないんだうちのかあ・・・ハハは。

 結局、大人の権力に押し切られちゃった。子供の突っ張りなんてダメダメだよ。」

 

「買ってもらったんだ。」

「うん。ブレザージャケットと揃いのパンツ。それに革靴と白いシャツ。

 ネクタイ。多分二度と着ない。」

 

「多分、たぶん。“多分”ばっかりね。ケイくんは。」

「そんなに言わないよ。」

 

「言ってる言ってる。多分ミズエちゃんが一番好き。でも、多分、

 上叢千冬も好き。」

「自分で言うかなそんなこと。」

 

「逆だったら大変だったね。」

「どうして。」

「上叢千冬はいなくなるから・・・。」

 

それを言うために呼び出したのか。

 

「転勤?」

「うん。」

 

「そっか。うん・・・家族は離れちゃダメだ。うちみたいになっちゃう。 

 千冬はそんな経験しちゃダメだ。ボクだけで十分だよ。千冬じゃなくて

 ボクで良かった。」

 

「景クンの制服、見たかったなあ。」

「そんなに早いの、あと一週間じゃん!みんなには?」

「卒業式の日まで伏せてあるの。別れをずるずるとたぐり寄せるのって、

 嫌いなの。ある日突然、スパンと消えてしまうのがいい。

 景クンだったらわかるでしょ。」

 

うん。

 

「今日はね、泣きに来たの。景クンを独り占めにして。」

 

 そういうと、千冬はボクの胸に上半身をあずけて泣き始めた。

小さく肩をふるわして、そして幼児が泣いているような無防備な

泣き声になり、すすり泣きが暫く続いた。

 

「どこに行くの。」

「北海道だって。」

「・・・そんなに遠くに。」

 

「うちのお父さん勤務医なんだけど、知り合いのいる病院が医師不足で

 大変なんだって。ひどいでしょう。また、冬に逆戻りだ。」

「桜は見れるんだろう。」

 

 そんなどうでも良いような言葉しか、僕は思いつかなくて、

子供は駄目だって改めて思った。

 


 その小さな美しい町に住むほとんどの小学六年生にとっては、

それは大した問題じゃないことだろう。

彼らは三月に卒業し、四月からはそれぞれの地区の中学校にすすむ。

 

 卒業式を一週間先に控えて、私は景くんを呼び出した。

 

 もう誰になにを聞かれても同じことなので、私は家から彼のケイタイに

電話した。

 何かあったらこれに電話しろって、彼が教えてくれた電話番号。

 それを写した紙は、ポケットの中で握られて、かすれ、しわしわになって、

役目を終えて、また新しい紙に写し変えられる。

そんなことをしなくても覚えているんだけど。

 

 私は朝の待ち合わせ場所に早い目に行った。景くんが、私に向かって

歩いてくるのを眺めていたかったからだ。

 

「ごめんね呼び出したりして。」

「ここじゃ話せないよね、きっと。」

「うん。」

「河原に行こうか。」

 

 あいかわらず察しがいいなあ。

並んで歩いている間中、どうやって話を切り出そうか、考えていた。

昨日から何回も繰り返しているのに、私はまた考えていた。

 

いつかのように並んで座って、彼は私が話始めるのを待ってくれていた。

 

「おかあさんとは、上手くいってるの。」

 ああ、もう、バカみたいなこと言っちゃった。これじゃあ、

肝心の話にたどりつけない。

 

「同じ家にいれば、イヤでも顔を合わすときがくるから。それに、

 “卒服”を買うって聞かないんだうちのかあ・・・ハハは。

 結局、大人の権力に押し切られちゃった。子供の突っ張りなんて

 ダメダメだよ。」

 

お母さんて呼ぶのやめたんだ。

 

「買ってもらったんだ。」

「うん。ブレザージャケットと揃いのパンツ。それに革靴と白いシャツ。

 ネクタイ。多分二度と着ない。」

 

「多分、たぶん。“多分”ばっかりね。ケイくんは。」

「そんなに言わないよ。」

 

不満そうな顔、おっかしいの。

 

「言ってる言ってる。多分ミズエちゃんが一番好き。でも、多分、

 上叢千冬も好き。」

「自分で言うかなそんなこと。」

だって、景くんがいってくれないんだもん。

 

「逆だったら大変だったね。」

「どうして。」

 

いまだ。

 

「上叢千冬はいなくなるから・・・。」

 

「転勤?」

「うん。」

 

「そっか。うん・・・家族は離れちゃダメだ。うちみたいになっちゃう。

 千冬はそんな経験しちゃダメだ。ボクだけで十分だよ。千冬じゃなくて

 ボクで良かった。」

 

なんでかなあ、なんでそんなに優しくしようとするかなあ。ほんとバカだなあ。

 

「景クンの制服、見たかったなあ。」

「そんなに早いの、あと一週間じゃん!みんなには?」

「卒業式の日まで伏せてあるの。別れをずるずるとたぐり寄せるのって、

 嫌いなの。

 ある日突然、スパンと消えてしまうのがいい。景クンだったらわかるでしょ。」

 

だめだ、もう、我慢できないよう・・・。

 

「今日はね、泣きに来たの。景クンを独り占めにして。」

 

 私は彼の薄い胸に崩れて泣き始めた。

 彼はぎこちなく、左腕で私の背中を抱いてくれた。覚えている限り、

私はこんなに泣いたことが無い。

 

わたしは、それまでの一生分の涙を流した。

ひょっとすると、これから先の分も流しつくしたかもしれない。

 

「どこに行くの。」

「北海道だって。」

「・・・そんなに遠くに。」

 

「うちのお父さん勤務医なんだけど、知り合いのいる病院が医師不足で

 大変なんだって。ひどいでしょう。また、冬に逆戻りだ。」

「桜は見れるんだろう。」

 

  私は、半年前の夏の終わりにこの町にやってきたばかりで、

秋と冬を過ごした。この町の春は知らない。

景くんと一緒に見れるだろうか。

 

見れるといいなあ、その桜を。


 卒業式が終わって、教室にもどって、ああこれで本当に

終わっちゃうんだって思いながら、窓の外を見てた。

 

「上叢、前にきなさい。」

先生がよんでる。

 

「ええ、上叢さんは、お父さんの仕事の都合で引っ越すことに

 なりました。だからみんなと同じ中学には進みません。」

 

 ええー!ウソー!と、クラスが騒ぎ出した。

 私は恥ずかしくて、目のやり場にこまって、結局、景くんの

ちょっと複雑そうな、困ったねーって顔と目があって、ほっとした。

 

「短い間でしたけど、ありがとうございました。明日にはこの町を

はなれます。みんな元気でね。」

といって私は席に戻った。

 

堀内さんが、

「黙ってたなんてひどいよー。お別れ会も出来ないじゃない。」

と言った。

「ごめんね、あまり大げさなの苦手なんだ。」

「どこいくの、どこいくの。」

「北海道。」

「いいなー、私もこの小さな町じゃなくて、そういうとこ行きたいなー。

 手紙頂戴ね。絶対返事書くから。」

 

 堀内さん元気だね。わたしも、もうちょっと、そういうこだわりの

無い性格だったら良かったな。

 あー、だめだめ、こら泣くなよー。

 

「もう、上叢さんがいなくなったら、誰がノート貸してくれるのよー。」

 

 今までで一番短かったけど、一番濃密な時間だった。

私はもう母さんのお人形さんじゃない。

 

“先生もう帰っていいですかー。”

“おーいいぞー、忘れもんすんなよー、みんな元気でがんばれ

 よなー。”

“先生も、早く嫁さんもらえよー。” 

 

もう、みんな好き勝ってなこと言ってる。

 

「千冬―。」 

景クン!

 

“わー千冬だって、やっぱつきあってたんだ、あのふたり・・・”

ははは、、、もうどうでもいいか、そんなの。

 

「ちょっとこっち、きてみ。」

 

 きゃー、恥ずかしいよう。で、どこ行くの。

非常階段?ドキドキ。景クンがドアを押さえて、通してくれた。

 

わっ、地球防衛隊が勢揃いしてる。

 

「カンナかっこいい。少女モデルみたい。」

「オレはオレは?」

「竹田くんは、やっぱりジャージの方がいいんじゃない。」

「オレもそうかとおもったんだけどなー。」

でも、似合ってる。かっこいい。

 

「じゃあ、わたしは。」

「ミズエちゃんはネエ。やっぱやめた、悔しいから。」

「なにそれー。」

 

「上叢引っ越すんだって、みずくせーよ俺たちに黙ってる

 なんてさー。」

「ごめんねー、わたしじめじめしたの嫌いなんだ。」

 

「ところがどっこい。まあ寄せ書きでもって話はあったんだけど、

 そんなダッセイことやってらんねー、っていうことで、

 日枝神社の交通安全のお守りにしましたー。

 引っ越しの時に事故に遭うなよ。」

 

「ごめんね、うちの旦那、字が下手なの気にしてるんだわー。」

「あっ!カンナどうしてそういうコト言うかなぁ。ったく・・・

 上叢みたいな可愛い子が、一緒の中学に行かないなんて、

 ありえねーよ。

 ・・うわ、いた、いた、いたたたたた・・耳が伸びる耳が伸びる。」

「じゃあこっち。」

「くひがひゃける、くひがひゃける。」

 

「わあ、ありがとう。なくさないようにポケットに入れとくね。」

「まあ、ケイくんのことはわたしに任せて、心おきなく北海道でも

 カムチャッカでもシベリアでも行ってらっしゃい。」

 

むっかー!

 

「ミーズーエーちゃーん。」

「きゃあこわいー。ていうことで、今日はあなたに譲るわ。

 卒業の日ってやっぱり特別なんだけど、ケイくんをお預けしマース。

 これで貸し借り無しよ。」

 

そんな貸し借り聞いたことなあい。

 

「じゃーねー、元気でねー。」

「うん、ありがとう。」

 

三人が去ったあと、手すりにもたれていた景クンが、そのままの姿勢で

「帰ろっか。」と言った。

 

「寂しい?見納めだね、ここからの眺めも。」

 校門脇の辺りでは、最後の記念写真を撮っている親子が、まだぐずぐず

している。

 

「いや、ここは寂しくない。こういうところ、きっとどこにでもあるから。

千冬と帰るのが、今日が最後なのが寂しい。」

 

 そういうこと、すらっと言っちゃうんだよなー、景クン。

 しかも、私とミズエちゃん限定なんだきっと。コミュニケーション取るの

へただもんね。

 

 

だから、余計に泣けてくるんだよ。

 

 アルバムとか、卒業証書とか、紅白まんじゅうとか、

結構荷物多いんだ。

私こんな荷物持つほどこの学校にはいなかったんだけど。

 ここで曲がるってコトは、景クンのスペシャルな帰り道に行くって

コトだよね。

 

「ヒバリが鳴いてる。」 

「え、どこ。」

「声しか聞こえないよ。ヒバリを見つけるのは難しいんだって。」

 

私は首が折れるほど空を向いて、鳥を探した。

 

「へえ。忙しそうだね、ヒバリ。」

 

 レンゲ、タンポポ、ヨモギ、ぺんぺん草、つくし、スギナ、

この水色の小さなのは、なんて花だろう。

景クンの左手、暇そうだなー。よいしょっと。

 

“おーてぇてー、つーないでー、野―みぃちぃをーゆーけーばぁ♪”

 

「一緒にうたおうよう。」

「やだよ、恥ずかしいよー。」

ふーんだ。

 

“みぃーんなー、かぁわぁいー、こーとりーにーなぁってー♪”

 

「あれだ。」

 景クンが見ている方向に、淡いピンク色の花束が立っていた。

 

「さくらだね。」

「うん。並木に一杯咲いてるのもいいけど、ああやって、野原に

 一本立っているのもいいだろ。」

「この間、桜は見れるんだろうって言ってたの、この桜のこと

 だったの?」

「そうだよ。これを見せたかった。」

 

 近づくと、それは家の二階ぐらいの高さのある桜で、幹にはゴツゴツ

としたコブや、枝折れのあとなんかもある古い木だった。

 

「キレイね。桜はもちろん綺麗な木だけど、この木には何か特別な

 ものって感じがする。

 誰にも寄りかからない、揺るぎない潔さのようなもの。

 咲くときも散るときも、一人で立って、一人で崩れ去る。」

 

「こいつって、千冬みたいだろう。」「景クンみたい。」

 

「あっずるーい、私が先に言ったんだからね。真似しないでよ。」

「真似してねーよ。だいたいこの桜を見つけたのはボクじゃないか。」

「あーあ、やだやだこんな細かいことにこだわるなんて、子供っぽーい。」

 

ん、景クンどこ行くの、そこで何するの?指で四角作って、

何?カメラマンのまね?

よーし、「ぶぃー!」

 

「あー失礼!わらうなんて失礼だよー!」

「心の印画紙にキミを焼き付けた。ずっとずっと忘れないように。

 なーんてね・・。」

「だっさー。良くそんなくさいこと言えるわよ。

 ださ過ぎて、もうーー、また泣けて来ちゃったじゃないの、

 景のバカー。」

 

 今日は笑って帰るつもりだったのに。まただよー。切ないよう。

こら、なでなでするな。年下のくせに・・・って、景クンは知らないんだよ。

 

時折吹く風が、花びらをはらはらと散らせた。

 

「うごかないで。」とケイクンがいい、私の髪についた一片の、

 花のしずくを取り除いた。

 私は、少し長くなった髪を束ねていた白いリボンをはずした。

 

・・・ゆっくりと。

 

 リボンと、この仕草をずっと覚えていて欲しかったから。

リボンをはずした髪は、ちゃんと肩にそうように広がって

いるだろうか。

 

 白いリボンを二つに折って、両手の平で彼の前に捧げもち、私は言った。

 

「このリボンをずっとずっと持っていて下さい。

 私があなたを好きになった記念として。」

 

 彼はリボンを右手で受け取ると、それを左手に持ち替えて、

胸ポケットの白いチーフを私に差し出した。

 

「このチーフは、キミへの感謝の印です。

 ボクを好きになってくれて、本当にありがとう。」

 

 桜吹雪が、私たちの周りを風にのって舞い、別れを祝福してくれた。

 

「私が遠く小さくなって、見えなくなるまでここで見送って欲しいな。」

別れ際に、私はもう一つだけ、彼にお願いをした。

 

 

 

 千冬は、明日のいつ発つとはいわないで、去っていった。

だから今日が本当のさよならだ。

 

 彼女が、れんげの咲く畑の中の道を、遠ざかっていくのを

ずっと見ていた。

 

振り返って、手を振る。

歩き出す。

また振り返って手を振り、歩き出す。

遠く、遠く、小さく。

 

ボクはなんてバカなことを言ってしまったんだろう。

 

“一緒に行ったほうがいい”だなんて、心にも無いことを。

分ったような顔をして・・・、ボクが本当に言いたかったのは

そんな事じゃなかったはずなんだ。

 

「千冬―!」

彼女が振り向いた。

 

「どこにもいくなー!」

 

彼女は大きく頭の上で手を振って、視界の中から消えていった。