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8月10日のおはなし「When I'm sixty-three.」

 芝居を見終わって、軽く飲もうかと言うことになった。店を探したが街はすっかり変わってしまっていて、おまけに街全体がお子様向けな雰囲気になってしまっていて、わたしたちが入れそうな店を見つけるのにずいぶん苦労した。この街を自分の庭のようにしていた頃もあったのに。

 抜け道のようになっている細い通りに入り込むと、意外なことにその台湾料理屋は昔のままの姿でそこにあった。まわりの店はすっかり様変わりしていたが、その店は昔ながらの構えで、中に入っても昔ながらの賑わいと汚さ(好ましい汚さ)で、食事を頼むと嬉しいことにこれまた昔ながらの味わいだった。腸詰め、春巻き、ビーフン、しじみのニンニク炒め。彼が頼んだものもやはり、昔ながらのメニューだった。

「こうしているとあの頃のまんまだな」ビールをなめるようにして彼が言う。ジョッキの角度が昔のままじゃない。けれどわたしは敢えてそのことを指摘したりはしない。
「ほんと。この店、全然変わらないね」
「30年!」しじみのニンニク炒めをつまみながら芝居のパンフレットを開いて彼が慨嘆する。こんなお店で
━失礼!パンフ開いたらべとべとになっちゃうよ。「30年経っちゃったんだ」
「一緒に観たよね」苦労してジョッキを持ち上げながらわたしが言う。昔の感覚で中ジョッキを頼んだけど、中ジョッキってこんなに重たかったかな。「あれ、おかしかったよねモルモソーって歌」
「あの時のパンフにもうこの公演の予告が載っていたんだよね」
「うそだあ」
「ほんとだって。2024年『リア玉』カッコ主演、梶原善カッコとじ。ちゃんと書いてあった」
「ほんとに?」疑わしそうな声を出してみせるが、彼の言っていることが正しいだろうということはよくわかっている。「テキトーなこと言ってるんじゃないの?」
「ほんとだって。ただし劇場はトップスでやることになっていた」
「トップス?」わたしは聞き返す。「それってあの、新宿にあった?」
「そう。あのトップス。さすがにあそこまで街が変わっちゃうとは思わなかったんだろうね」腸詰めをつまみながら彼は言う。「大向こうを張るような劇場じゃなくてトップスっていうのが三谷幸喜らしい恥じらいというか反骨というか」
「義理堅さというか」
「そうそう、そんな感じ」
「同い年なんだよね、彼、わたしたちと」ふと思いついてわたしは言う。「でもあの人、年取らないよね」
「うーん」天井をにらんで彼は唸る。「もうこの年になって才能をうらやんでも仕方がないんだけど」
「またやろっか、芝居」
「うーん」
「書きなよ、脚本。出てやるからさ」
「それはどうかな」もったいをつけて彼が言う。「書くとしたら若い女しか出てこない話だからな」
「若い女の役で出るんだよ、あたしが」声にすごみをきかせてわたしが言う。「ただしあたしより若い女優を使ったら許さないからね」
「どんな芝居だよ」眉を上下させながら彼が言う。「舞台は老人いこいの部屋か? えっ?」
「それがいやなら」わたしも負けずに眉間に縦じわをいれて言う。「男役者は若くても、まあ許す」
「おいおい」彼が突っ込む。「お前のための出会い系劇団じゃないんだから」
「出会い系!」わたしは思わず吹き出してしまう。「古いねえ。最近聞かないよ、そんな言葉」
「死語かな」
「死語死語!」
「死語ばっかりでセリフ書いたら面白そうだな」懐かしい表情で彼が言う。
かつてよく見たニヤニヤ笑いを浮かべて。「出会い系とかバブル崩壊とか2000年問題とかJ-ポップとか構造改革とかミクシィとか」
「2000年問題! ミクシィ!」悶絶してわたしは笑う。「そんな単語、よく次から次に出てくるね。書いて書いて!」
「おれたちくらいの役者をいっぱい使ってさ」
「やろうよ、ねえ!」笑って笑ってわたしは咳き込む。「げふげふげふ、それ、やろうよげふげふ」

 けれど彼はうつむき小さく肩で息をする。顔に笑いを貼り付けたまま。わたしも笑顔のままだけど、そう長くは支えきれないだろう。63歳の男の顔に戻り、紹興酒を2杯注文し、彼が振り向く。少し笑みを浮かべまっすぐわたしの目を見つめ、そして言う。
「ぼくらはもう63歳だ」
「うん」
「飛んだりはねたりはできない。今日舞台で観たとおり」
「うん」しぶしぶわたしはうなずく。「笑えば咳き込む」
「その通り。セリフ覚えも悪いだろう」
「覚えても忘れるかも知れない」
「舞台で失禁するかも知れない」
 彼の目がいたずらっぽく笑っている。
「それは興奮するわね」
「それでも君は芝居をやりたいというのかね」
 わたしがうなずくのを見て彼は紹興酒のグラスを持ち上げ、1つをわたしに持たせ、言う。
「では乾杯だ。ぼくらの劇団の成功を祈って」
「乾杯」わたしも応じる。「若い男役者に」

(「三谷幸喜」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

奥付



When I'm sixty-three


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著者 : hirotakashina
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