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2009年の添削

2009年・第1問
学生の解答

西ヨーロッパでは、当初ローマ帝政が強力な時にはキリスト教徒を弾圧し、教えの広まりを受けて帝政弱体化とともに国教として定めた。11世紀末から13世紀後半まで軍による対外拡大の名目としてキリスト教を利用した。16世紀前半にはイギリスのヘンリ8世が首長法で王権の強いイギリス国教会を成立させた。ルター派とカルヴァン派を国は弾圧したが領邦教会制などで対抗され、国際情勢問題から後にアウグスブルクの和議やナントの勅令での寛容策を採った。しかし17世紀後半ルイ16世の時にナントの王令が廃止されユグノーの国外流出を招いた。西アジアでは、征服王朝がイスラーム教に基づき政教一致の支配体制をとり、イスラーム教徒を優遇し、異教徒から信仰を認める代償にジズヤを徴収した。オスマン帝国のスルタンは異教徒から成るミッレトに法の自治を認め、イスラーム教徒との共存を図った。東アジアの中国では、隋代には儒教を試験科目に採用する一方で、三武一宗と呼ばれる北魏からの四人の皇帝は仏教徒を迫害した。歴代王朝のほとんどで儒教が国教とされたが、比較的政教分離が進んでいた。漢民族を支配した金や元も懐柔を目的として寛容な宗教政策をとった。清は康熙帝の時代からチベットなど西部の併合を進め、乾隆帝は理藩院を設立し自治を認めた。チベットでは、政教両権を握るダライ=ラマの支配が続いた。

学生のコメント)明確な比較のポイントが分からずじまいでした<(_ _)>。

(添削)
 明確な比較のポイントが表せなかった理由は、時代の限定が揺れていることに一因があります。西欧は古代ローマ帝国から、西アジアはイスラーム教の現れる7世紀から、東アジアは5世紀の北魏から書いている点です。宗教をからめた政治史の流れ説明になりやすく、ポイントがハッキリしない場合は時間の限定をすることです。この問題の場合は7世紀からのイスラーム教史ははずせませんから7世紀以降にする、あるいは16世紀以降にする、と決めてかかれば良かった。もちろん問題文には、どこから書きはじめるかは書いてないので、紀元前から書いても構わないのですが、その場合は肯定・否定の錯綜する複雑な事象の中から特徴のある点をつかみ出してこなくてはなりません(下の解答例レベル2が該当)。受験場で必要なのは思い切りです。エイヤーッと、曖昧なものは切り捨てる必要があります。
 これは一般化することの訓練ができてないせいでもあります(「一般化」の方法は『世界史論述練習帳new』(パレード)で)。国家と宗教に関することは何でも書いてみよう、では流れになりやすいです。この問題は3つの地域の「比較」を求めているので、各地の傾向がつかめなくては比較のしようもありません。

 >西ヨーロッパでは、当初ローマ帝政……キリスト教を利用した> 課題は「政治権力は、その支配領域内の宗教・宗派とそれらに属する人々をどのように取り扱っていたか」という国家が宗教や信徒個人にたいする対策です。この解答文は、国家の強弱と弾圧・国教化、国家の宗教利用という、どちらかというと、政治史の流れに傾いてます。

 >16世紀前半にはイギリスのヘンリ8世が首長法で王権の強いイギリス国教会を成立させた> これは出来てます♪

 >ルター派とカルヴァン派を国は弾圧したが領邦教会制などで対抗され> イギリスの解答文がいつのまにかドイツ(神聖ローマ帝国)にからまってます。確かにこの16世紀は国際政治に無関係ではないけれど、とりあえずはドイツはドイツでどう対処したのか書いておくことです。

 >国際情勢問題から後にアウグスブルクの和議やナントの勅令での寛容策を採った> どれも国際情勢にからんでいるより、国内事情の方が勝ってますから、無理な関連づけです。

 >17世紀後半ルイ16世の時にナントの王令が廃止されユグノーの国外流出を招いた> ルイ16世でなくルイ14世のミス。また指定語句の「ナントの王令廃止」を勝手に「ナントの王令が廃止され」と書き換えてはいけません。

 >西アジアでは、征服王朝が> 征服王朝は主に東アジアの遼金元清の4王朝に使う特異な歴史用語なので西アジアでは使わない方がいいです。この後の解答文は出来てます♪

 >隋代には儒教を試験科目に採用……仏教徒を迫害した> 採用と迫害は史実としては正しいですが、ここに中国としての一貫性(特徴)が見いだせるかどうかがポイントです。4皇帝はどちらかというと特異な皇帝だからこそとりあげるのではあり、北魏だけとっても仏教容認の方が全体的傾向でした。あれもこれも対等にあげると特徴が言えなくなります。唐の三夷教とイスラーム教の容認、元朝の諸宗教容認などの例を見れば、後の清朝との関連でも外来の宗教(カトリック)に対して、寛容であった、ととるのが妥当です。

 >比較的政教分離が進んでいた……政教両権を握るダライ=ラマの支配が続いた> 前半の政教分離は中国では無理があります。確かに儒教とだけいわず、儒学(政治学・倫理)ともいうように曖昧な面はあるのですが、孔子崇拝の典礼を守ってきているように、儒学も宗教としてあつかっていいです。ですが政教「分離」ではありません。清朝皇帝自身が自らを満珠菩薩の化身として君臨しました。といって他宗教を排斥はしないのです。

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最終更新日 : 2011-08-01 11:31:34

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