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2009年度の問題

第1問
 次の文章は日本国憲法第二十条である。
  第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
  2、何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3、国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 この条文に見られるような政治と宗教の関係についての考えは、18世紀後半以降、アメリカやフランスにおける革命を経て、しだいに世界の多くの国々で力をもつようになった。
 それ以前の時期、世界各地の政治権力は、その支配領域内の宗教・宗派とそれらに属する人々をどのように取り扱っていたか。18世紀前半までの西ヨーロッパ、西アジア、東アジアにおける具体的な実例を挙げ、この3つの地域の特徴を比較して、解答欄(イ)に20行(600字)以内で論じなさい。その際に、次の7つの語句を必ず一度は用い、その語句に下線を付しなさい。

  ジズヤ ミッレト 首長法 理藩院 ダライ=ラマ
  領邦教会制 ナントの王令廃止      答えに行く

第2問
 人口集中地としての都市は、古来、一定地域の中心として人々の活動の重要な場であり続けてきた。それらの都市は、周囲の都市や農村との関係に応じて、都市ごとに異なる機能を果たしてきたが、ある特定の地域や時代に共通する外観や特徴を示す場合もある。以上の点をふまえて、次の3つの設問に答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(3)の番号を付して記しなさい。

問(1) (a)紀元前8世紀のエーゲ海周辺ではポリスとよばれる都市が古代ギリシア人によって形づくられた。ポリスはその後、地中海・黒海沿岸地域にひろがり、その数は1000を超え、ギリシア古典文明を生み出す基盤となった。ポリスはそれぞれが独立した都市国家であったため、ギリシア人は政治的には分裂状態にあったが、他方、(b)文化的には一つの民族であるという共通の認識をもっていた。下線部(a)・(b) に対応する以下の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

 (a) ポリスの形成過程を2行以内で説明しなさい。
 (b) この共通の認識を支えた諸要素を、2行以内で説明しなさい。

問(2) 中国においては、新石器時代以来、城壁都市が建設され、やがて君主をいただく国となった。そうした国々を従えた大国のいくつかは、王朝として知られている。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

 (a) 最古とされる王朝の遺跡が20世紀初頭に発掘された。そこで出土した記録は、王朝の政治がどう行われたかを証言している。その政治の特徴を2行以内で説明しなさい。
 (b) その後、紀元前11世紀に華北に勢力をのばした別の王朝は、首都の移転により時代区分がなされる。移転前と移転後の首都名を挙げ、移転にともなう政治的変化を2行以内で説明しなさい。

問(3) 西ヨーロッパでは、11世紀ころから商業活動が活発化し、さびれていた古い都市が復活するとともに、新しい都市も生まれた。(a)地中海沿岸や北海・バルト海沿岸の都市のいくつかは、遠隔地交易によって莫大な富を蓄積し、経済的繁栄を享受することになった。(b)また、強い政治力をもち独立した都市のなかには、その安全と利益を守るために、都市どうしで同盟を結ぶところも出てきた。下線部(a)・(b)に対応する以下の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えない。

 (a) 地中海における遠隔地交易を代表する東方交易について、2行以内で説明しなさい。
 (b) 北イタリアに結成された都市同盟について、2行以内で説明しなさい。

第3問
 人類の歴史においては、無数の団体や結社が組織され、慈善・互助・親睦などを目的とする団体と並んで、ときには支配勢力と対立する宗教結社・政治結社・秘密結社もあらわれた。このような団体・結社に関する以下の質問に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め冒頭に(1)〜(10)の番号を付して記しなさい。

問(1) 18世紀末の中国では、世界の終末をとなえる弥勒下生信仰に基づく宗教結社が、現世の変革を求めて四川と湖北との境界地区などで蜂起したが、おもに郷勇などの自衛組織に鎮圧された。この宗教結社がおこした乱の名称を記しなさい。

問(2) フランス革命期、ジャコバン派の独裁体制が打倒され、穏和派の総裁政府が樹立されると、革命の徹底化と私有財産制の廃止を要求する一部の人々は、秘密結社を組織して武装蜂起を計画したが失敗し弾圧された。この組織の指導者の名を記しなさい。

問(3) 保守的なウィーン体制下、イタリアでは自由と統ーを求める政治的秘密結社がつくられ、数次にわたり武装蜂起と革命を試みたが、1830年代には衰退した。この秘密結社の名称を記しなさい。

問(4) ウィーン体制下のロシアでは、青年貴族将校たちが農奴制廃止や立憲制樹立をめざして複数の秘密結社を組織し、皇帝アレクサンドル1世が急死した機会をとらえて反乱を起こしたが、鎮圧された。この反乱の名称を記しなさい。

問(5) アメリカ合衆国では南北戦争の結果、黒人奴隷制が廃止されると、南部諸州を中心に白人優越主義を掲げる秘密結社が組織され、黒人に暴力的な迫害を加えた。この秘密結社の名称を記しなさい。

問(6) 19世紀後半の朝鮮では、在来の民間信仰や儒仏道の三教を融合した東学が、西洋の文化や宗教を意味する西学に対抗しつつ農民の間にひろまった。東学の信徒たちは1894年に大反乱をおこし、日清戦争の誘因をつくった。この反乱を指導した人物の名を記しなさい。

問(7) 日露戦争の時期の東京では、華僑社会とも深いかかわりをもつ中国の革命運動家たちが集まり、それまでの革命諸団体を結集した新たな政治結社を組織した。この政治結社の名称を記しなさい。

問(8) 20世紀初めの英領インドでは、ムスリム(イスラーム教徒)の指導者たちにより、ムスリムの政治的権利を擁護する団体が組織された。この団体は、国民会議派と協力した時期もあったがやがてムスリムの独立国家建設を主張するようになった。この団体の名称を記しなさい。

問(9) フランス支配下のベトナムではファン=ボイ=チャウらがドンズー(東遊)運動を組織し、日本への留学を呼びかけたが、この運動は挫折した。その後、ファン=ボイ=チャウらは広東に拠点を移し、1912年に新たな結社をつくり、武装革命をめざした。この結社の名称を記しなさい。

問(10) 1930年代のビルマ(ミャンマー)では、ラングーン大学の学生などを中心にして民族主義的団体が組織され、やがてアウン=サンの指導下に独立運動の中核となった。この団体の名称を記しなさい。

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最終更新日 : 2011-08-01 11:31:34

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2009年の添削

2009年・第1問
学生の解答

西ヨーロッパでは、当初ローマ帝政が強力な時にはキリスト教徒を弾圧し、教えの広まりを受けて帝政弱体化とともに国教として定めた。11世紀末から13世紀後半まで軍による対外拡大の名目としてキリスト教を利用した。16世紀前半にはイギリスのヘンリ8世が首長法で王権の強いイギリス国教会を成立させた。ルター派とカルヴァン派を国は弾圧したが領邦教会制などで対抗され、国際情勢問題から後にアウグスブルクの和議やナントの勅令での寛容策を採った。しかし17世紀後半ルイ16世の時にナントの王令が廃止されユグノーの国外流出を招いた。西アジアでは、征服王朝がイスラーム教に基づき政教一致の支配体制をとり、イスラーム教徒を優遇し、異教徒から信仰を認める代償にジズヤを徴収した。オスマン帝国のスルタンは異教徒から成るミッレトに法の自治を認め、イスラーム教徒との共存を図った。東アジアの中国では、隋代には儒教を試験科目に採用する一方で、三武一宗と呼ばれる北魏からの四人の皇帝は仏教徒を迫害した。歴代王朝のほとんどで儒教が国教とされたが、比較的政教分離が進んでいた。漢民族を支配した金や元も懐柔を目的として寛容な宗教政策をとった。清は康熙帝の時代からチベットなど西部の併合を進め、乾隆帝は理藩院を設立し自治を認めた。チベットでは、政教両権を握るダライ=ラマの支配が続いた。

学生のコメント)明確な比較のポイントが分からずじまいでした<(_ _)>。

(添削)
 明確な比較のポイントが表せなかった理由は、時代の限定が揺れていることに一因があります。西欧は古代ローマ帝国から、西アジアはイスラーム教の現れる7世紀から、東アジアは5世紀の北魏から書いている点です。宗教をからめた政治史の流れ説明になりやすく、ポイントがハッキリしない場合は時間の限定をすることです。この問題の場合は7世紀からのイスラーム教史ははずせませんから7世紀以降にする、あるいは16世紀以降にする、と決めてかかれば良かった。もちろん問題文には、どこから書きはじめるかは書いてないので、紀元前から書いても構わないのですが、その場合は肯定・否定の錯綜する複雑な事象の中から特徴のある点をつかみ出してこなくてはなりません(下の解答例レベル2が該当)。受験場で必要なのは思い切りです。エイヤーッと、曖昧なものは切り捨てる必要があります。
 これは一般化することの訓練ができてないせいでもあります(「一般化」の方法は『世界史論述練習帳new』(パレード)で)。国家と宗教に関することは何でも書いてみよう、では流れになりやすいです。この問題は3つの地域の「比較」を求めているので、各地の傾向がつかめなくては比較のしようもありません。

 >西ヨーロッパでは、当初ローマ帝政……キリスト教を利用した> 課題は「政治権力は、その支配領域内の宗教・宗派とそれらに属する人々をどのように取り扱っていたか」という国家が宗教や信徒個人にたいする対策です。この解答文は、国家の強弱と弾圧・国教化、国家の宗教利用という、どちらかというと、政治史の流れに傾いてます。

 >16世紀前半にはイギリスのヘンリ8世が首長法で王権の強いイギリス国教会を成立させた> これは出来てます♪

 >ルター派とカルヴァン派を国は弾圧したが領邦教会制などで対抗され> イギリスの解答文がいつのまにかドイツ(神聖ローマ帝国)にからまってます。確かにこの16世紀は国際政治に無関係ではないけれど、とりあえずはドイツはドイツでどう対処したのか書いておくことです。

 >国際情勢問題から後にアウグスブルクの和議やナントの勅令での寛容策を採った> どれも国際情勢にからんでいるより、国内事情の方が勝ってますから、無理な関連づけです。

 >17世紀後半ルイ16世の時にナントの王令が廃止されユグノーの国外流出を招いた> ルイ16世でなくルイ14世のミス。また指定語句の「ナントの王令廃止」を勝手に「ナントの王令が廃止され」と書き換えてはいけません。

 >西アジアでは、征服王朝が> 征服王朝は主に東アジアの遼金元清の4王朝に使う特異な歴史用語なので西アジアでは使わない方がいいです。この後の解答文は出来てます♪

 >隋代には儒教を試験科目に採用……仏教徒を迫害した> 採用と迫害は史実としては正しいですが、ここに中国としての一貫性(特徴)が見いだせるかどうかがポイントです。4皇帝はどちらかというと特異な皇帝だからこそとりあげるのではあり、北魏だけとっても仏教容認の方が全体的傾向でした。あれもこれも対等にあげると特徴が言えなくなります。唐の三夷教とイスラーム教の容認、元朝の諸宗教容認などの例を見れば、後の清朝との関連でも外来の宗教(カトリック)に対して、寛容であった、ととるのが妥当です。

 >比較的政教分離が進んでいた……政教両権を握るダライ=ラマの支配が続いた> 前半の政教分離は中国では無理があります。確かに儒教とだけいわず、儒学(政治学・倫理)ともいうように曖昧な面はあるのですが、孔子崇拝の典礼を守ってきているように、儒学も宗教としてあつかっていいです。ですが政教「分離」ではありません。清朝皇帝自身が自らを満珠菩薩の化身として君臨しました。といって他宗教を排斥はしないのです。

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最終更新日 : 2011-08-01 11:31:34

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