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第1章

 僕の名前は神谷幸男という。幸男、という名前は父さんがつけたものらしい。小学校二年生くらいの頃、担任の先生に「自分の名前の由来をお父さんやお母さんに聞いてくる」という宿題が出された時、母さんがそう言っていた。
「幸せな人生を歩んでほしいという願いがこめられているのよ」と――。
 僕の家族は父と母、そして弟の章一郎の四人家族で、家族仲は<まあまあ>いいほうだと思う。弟の章一郎は四歳から十三歳くらいになるまでずっと、喘息に苦しめられ続けて入退院を繰り返していたけれど、それ以外では特に家族の間に何か大きな問題や心配事があったことはない。いや、<一応そういうことになっている>と言うべきか。何故なら父さんには母さんと結婚する前から愛人がおり、それにも関わらず家の中では<そういうことは一切ない>ということになっていたからだ。
 僕と章一郎の間にはふたつ年の差があるのだけれど、母さんは僕の小さな頃から病弱な弟の看病にかかりきりだった。その努力奮闘たるや、息子である僕の目から見ても、凄まじいものがあった。とにかく毎日家の中の掃除を徹底的に行い、埃という埃、ハウスダストというハウスダストをとにかく家の外へと放逐し、特に居間やキッチン、章一郎の部屋などは無菌ルームといってもいいほどの美しさであった。
 僕が父さんに愛人がいるらしいと初めて知ったのは、十三歳くらいの時だ。夜中の二時ごろにトイレへ行きたくなり、寝呆け眼でそっと階下へ降りていくと、深夜にも関わらず、居間の明かりがまだ点いていた。ドアの把手に手をかけようとした時の衝撃を、僕は今でもはっきり覚えている。
「あなたは、本当はわたしでなくて、あの女と結婚したかったんでしょ!わたしがこんなに章一郎の看病で疲れきってるのに、あなたときたら――他人にでも対するようにまるで冷たいじゃないの。あの子がわたしとの子供でなくて、あの女との子供だったとしたら、もっとあなたも協力的だったんでしょうけど!」
 母の声は、涙で震えていた。両親が喧嘩しているのを初めて聞いた僕は、本当にこっそりと足を忍ばせて、トイレで用を足した。トイレの中にいる間にも、ふたりの言い争う声が響いてくる。父さんは「自分には愛人などいない、浮気などしていない」の一点張りで、とにかく最後までしらを切り通していた。そして「きっと章一郎の看病で疲れているんだよ、おまえ」と母さんを優しく宥めすかすのだった。やがて母さんのすすり泣く声がやみ、電灯を消す音が聞こえ、ふたりは寝室へと入っていった様子だった。
 僕は便座の上で腕組みをし、今聞いた会話は一体どういうことなのだろうと、首を捻って考えた。母さんは章一郎の喘息のことで、かなりのところ神経質になっていたし、もともとの性格が神経質だったせいもあって、被害妄想的に父さんのことを疑っているのか、それとも本当に父さんには妻子の他に愛人などという存在がいるのかどうか……この時の僕には、まだはっきりとはわからなかった。ただ十分な状況証拠がない以上、息子の良心として父親のことはとりあえず無罪ということにしておこうと、この時はそう思っただけだった。
 だが僕は母さんの「章一郎がわたしとの子でなくて、あの女との子だったら……」という言葉には、何か切実な訴えのようなものが含まれているような気がしてならなかった。これは僕が十五歳頃になって、ようやく言葉で表現できるようになることなのだけれど、父さんは僕や弟、また母に対して、どことなく冷たい感じのする人だった。なんというのだろう、うまく説明するのは未だに難しいけど、必要最低限以上の愛情は一滴たりとも注ぎたくない、とでもいえばいいだろうか。
 父は札幌の某区役所で公務員をしており、社会的には一見とても立派そうに見える人ではある。本当に、毎日きっちりとネクタイを締めて車に乗りこむその姿は、どこにでもいる善良な家庭人といった雰囲気以外の何ものをも有してはいない。郊外に立派な二階建ての一軒家を構え、妻と子供のふたりを扶養している、どこにでもいる普通のお父さん――それが僕の父、神谷裕一郎だった。
 しかし父には母のいうように間違いなく愛人がおり、僕はその愛人に一度だけ、父さんと一緒に会ったことがある。それは僕が中学三年の秋ごろのことだ。学校前の通りの街路樹がすべて葉を落とし、校庭のイチョウが黄葉し、もみじの葉っぱが赤く色づく頃。校門の前で、父さんが紺のRV車を停めて待っていた。
 運転席に座っているのが自分の父親であると気づいた僕は、校門のところで友達の数人と手を振って別れた。弟の章一郎の病状でも急変したのかと思った。
「どうかしたの?」と、助手席に乗りこみながら聞いた僕に、父さんは「会ってほしい人がいるんだ」と神妙な面持ちで言った。
「父さんの友人の川部夏代さん。大学時代からの友人で、今はフラワーコーディネーターの仕事をしている人だ。まあちょっとホテルのレストランで一二時間、食事をしながら話をするっていう、その程度だよ」
 そのことを話した時の父の嬉しそうな顔つきといったら――家にいる時とはまるで別人だった。それで僕にはほとんど直感で(自分はこれから愛人に会いにいくんだ)ということがわかってしまった。父はおそらく離婚を人生の視野に入れており、まず家族の中で僕を味方につけようとしたのではないだろうか。
 大通り公園のそばにあるホテルで会った川部夏代さんは、とても綺麗な人だった。うちのお母さんも美人だとは思うけど、川部さんには母さんにはない、いわく言い難い女としての魅力が備わっていた。優しげな目元に、上品な微笑みをたたえた唇、美容室で今セットしてきたばかりというような、カールのきいた髪型――服装もとてもお洒落で、それでいながらどこか控えめな印象を人に与えた。
 父さんと同じ四十歳というけど、はっきり言って三十代前半くらいにしか見えなかった。
 僕は奇妙な気持ちで、父さんを挟んで川部さんとテーブルに向きあい、生まれて初めてフランス料理のフルコースなるものを味わった。世界の三大珍味といわれるキャビアやトリュフも初めて口にしたけど、はっきり言って、味のことはあまりよく覚えていない。とにかく「びっくりするほど美味しい味」というような印象を受けなかったことだけは確かだ。そのことが僕のその時の精神状態によるものか、味覚がまだ未発達だったせいなのかは、今もよくわからない。
 僕がその時強く印象に残ったこととして覚えているのは、以下のことだった。川部さんがとにかく小さなことにでもしょっちゅう笑う人であること、父さんが隣でそれを見て、青年時代に戻ったような微笑みを浮かべていること、またそのことと対比して母さんが家でいかにも神経質そうな顔をいつもしていること、父さんがそんな母さんの横で溜息をこらえるような表情を浮かべていること――などだった。
 ホテルでの食事を終えた夕方ごろ、父さんは車の運転席で至極上機嫌だった。それで僕は心の中で(あの人、父さんのなに?)と思いながらも聞くことができなかったくらいだ。自明の理、とでもいおうか。父さんのほうでも(そろそろおまえも大人になってもいい年齢だ。野暮なことは聞くな)というような雰囲気があり、とにかく北広島にある自宅に帰り着くまでの間、僕は珍しく機嫌のいい父さんを相手に、差し障りのない会話しかできなかった。父さんが母さんと離婚するつもりなら、それはそれで仕方のないことだと思ったからだ。ただ、父さんがどういうつもりで自分をあの人と会わせたのだろうと考えると、少しだけ暗い気持ちになった。何故なら、両親が離婚する場合、僕はできれば母さんについていきたかったけど、母さんには弟の章一郎がいる。病弱で、ただでさえ手のかかる弟だ。母さんはきっと「幸男は父さんと一緒に行きなさい」と言うのではないかと、僕はそのことが少し心配だった。

 結局のところ、僕の両親は離婚はしなかった。でも僕はあの日以来、家庭内における父さんの微妙な心理状態のようなものに、やけに敏感になっていた。女性が自分の交際相手の浮気に敏感であるように。
 よく考えてみると、父さんは僕の小さな頃から「仕事上のつきあい」と称しての飲み会がやたらと多かった。父さんは区役所の建築課に勤めているのだけれど、よく電話で「今日は佐野組と……」とか「今日は横山建設と……」などといちいち会社の名前を上げていたのが、今にして思うとかえってあやしく感じられる。そもそも役所の人間というのはそんなに民間企業の接待に呼ばれたりするものなのだろうか?
 だが僕には今も、父さんの浮気の実態について詳しいことはよくわかっていない。ただ夜中の二時ごろに帰ってきた次の日などは、母の機嫌が極端に悪いことだけは確かだった。それで僕も時々(ゆうべは愛人のところだったのかな)と想像する程度だ。
 やがて僕が高校に進学するころ、章一郎の喘息は嘘のように直り、母さんの神経質な気性も少しは和らぐかと思われたが、そうではなかった。むしろある意味では章一郎が喘息であったからこそ、父さんの浮気疑惑に対する母さんの追求は弱められていたのかもしれない。だが章一郎が普通に中学校に通いだすやいなや、母さんの大きな関心事は父さんの愛人疑惑へと集中した。
 しかし、父さんは「愛人などいない」の一点張りで押しとおし、しまいには心療内科でのカウンセリングを母さんに勧めると、まあそんなわけなのだった。
 もちろん僕がここで「川部夏代さんという、父さんの愛人らしき人に会った」と母さんに密告してもいいのだが、そんなことをする気は僕にはさらさらなかったといっていい。何故なら、結果としてそれは母さんのためにならないことだからだ。おそらく父さんはそこのところ、女心の微妙な心理といったものを実に適確に捉えていた。母さんは父さんの浮気を疑いながらも、また同時にそれを否認してほしいと願っているようだったからだ。とにかく女の直感として愛人の影やその匂いといったものを嗅ぎつけるが、その不安が起こるたびに繰り返し否定さえしてもらえれば、事実がどうであるにせよ、暫くの間は安心して暮らせるのだ。
 僕はそうした、ある意味微妙に奇妙な家庭環境下で育った。そのことが不幸だったかどうかということは、僕には今もよくわからない。不幸だったような気もするし、どこの家庭も多かれ少なかれそうした要素を家庭内に含んでいるものだと、そんなふうに思いもする。また、僕が生まれ育った家庭環境よりも遥かに不幸だったという人など、世の中にたくさんいるだろうということも。
 ただ、某私立の高校に進学した時、僕は決定的なまでに不幸だった。高校の三年間で僕は人生の不幸のどん底を這いずりまわり、人間として惨め極まりない体験を味わせられることになったから……。

 これはあるいはもしかしたら、僕の誤解と偏見に基づくものかもしれないけど、私立の高校には二種類タイプがあるように思われる。ひとつ目は中高一貫の、エリート校としての私立。ふたつ目が、僕の通っていた高校と同じ、そこに行くしか仕方ないという意味での、レベルの低い私立。
 僕はおよそ、高校に進学するまで勉強なるものをろくすっぽしたことがなかった。だから中学三年の進路相談の時、高校には進学したくないと、両親にも先生にもはっきりそう言った。タイル職人か大工、あるいは塗装工や左官屋、そうした中卒でも技術を教えてくれそうな会社に就職したいと。だがどういうわけか、両親も先生も猛反対した。とにかくどこでいいから高校には進学しろという、その一点張りだった。まあ父と母はわかる。ふたりとも名の通った大学と短大を卒業している人だし、親戚などに対する見栄というか世間体というか、そうした意識がきっと働いていたのだろう。将来的にはそのことが絶対におまえのためになるという言葉の裏側で。
 そして担任の野村先生。彼が何故そんなにも真っ向から反対するのかが、僕にはよくわからなかった。もちろん両親の意向を汲んで説得しようとしたという向きはあるだろうけど、せめて先生にだけは自分の味方をしてほしいと、そんなふうに僕は思っていたのに。

 僕の小学・中学時代は担任の先生にも恵まれ、多くの友達もいて、実に幸福だった。僕の人生における最良の、黄金時代といっていい。僕は母さんが章一郎にかかりきりでも、変に僻んだりすることもなく、外で友達と元気に遊びまわっていた。あるいは家の中で友達の何人かとゲームをしたりして遊ぶかのいずれかだった。
 小学生の時は野球の得意なガキ大将、中学生の時には放送部と生徒会の両方に所属した。僕みたいに成績が下位の人間が生徒会の役員をするのは珍しいことだったけど、人望が厚かったせいか、冗談で立候補した副生徒会長に、二年連続して当選した。
 クラス内では常にリーダー的存在として行動し、三年間野村先生の手をなるべく患わせないような形で、四十名近くいる生徒をまとめあげた。自分で言うのもなんだけど、僕は小学生の頃から一貫して女子にも男子にも何故か受けがよかった。クラス内でふたつ以上のグループが対立しあう時、間に割って入って仲裁したりとりなしたりする役目も、いつも僕が買ってでた。だから野村先生の目には僕のことが優等生として映っていただろうし(たとえ成績はお世辞にも良いとはいえなくても)、それであればこそ、ワルの吹きだまりのような低レベル私立でも、僕がきっとうまく適応してやっていけるだろうと、そんなふうに思ったのかもしれない――のちに僕がこの時の両親と野村先生のことを呪い殺してやりたくなるほど恨むようになるとは、先生にも、また両親にも、想像すらできなかったに違いない。

「おまえ、アリ高いくってほんと?」
 ふたりいた親友のうちのひとり、中井武彦が言った。卒業アルバムに載せる写真を、放課後、写真係の彼とふたりで選んでいた時のことだ。外が本当に美しい冬の夕暮れだったことを、僕は今もよく覚えている。
「ああ。俺、おまえと違って頭悪いからさ、なんとかして入れるっていったら、あそこしかないんだよ」
「そっか。でもあそこ、すげー評判悪いだろ。俺の兄貴の友達もアリ高通ってたんだけど、途中で嫌になって中退したって言ってたからさ。ユキオのことだからまあきっと大丈夫かなあとは思うけど、でもおまえ、本当は就職したかったんだろ?親とそのことで突っこんだ話しあいとかしたの?」
「いいや」と僕は首を振った。「うちの両親って、ふたりともガチガチに頭の固い人たちだからさ、とにかく高校には行けの一点張りなんだよ。もしかしたら俺も、途中で嫌になって中退とかするかもしれないな」
 中井は市内でもっとも合格が困難と言われる高校を受験する予定だった。他に滑り止めとして私立も一本受けるらしいけど、こっちはアリ高と違ってレベルが高いほうの私立だ。
「俺さ、ずっと言おうと思ってたことがあるんだけど」
 中井はうつむき加減になると、文化祭の時の写真や体育祭の時の写真、あるいは就学旅行の時の写真の束などを、指でいじっている。
「おまえって、凄くいい奴だよな。俺、中学にきた時、正直いってびっくりしたよ。『ああ、世の中にはこういう奴もいるんだな』って。これまで一度も言ったことなかったけど、俺、小学校の時いじめにあってたんだよ。五六年の時。C組の飯野って、おまえ知ってる?」
「ああ、知ってる」と、僕は言った。相撲とりみたいに図体のでかい、妙に威張っている奴だ。
「俺、あいつに凄い嫌がらせとかされてさ。はっきり言って地獄だったな、学校へ通うのが。そんで思ったんだ。とにかくひたすら勉強して、レベルの高い高校を目指そうって。そういうとこって、あんまりいじめとかなさそうっていうか、なんかそういう雰囲気あるじゃん。とにかく飯野みたいな奴のいない世界にいきたいって、そう思ったわけ。中学に上がる時はひたすら祈ったよ。『どうか飯野とだけは同じクラスになりませんように』って。それで、気の合う友達ができますようにってさ。そしたらユキオが同じクラスにいたってわけ」
 嫌味にならない程度に微笑みながら、そうだったのか、と妙に僕は納得していた。何故なら彼は僕以上にいじめというものを猛烈に憎んでおり、正直いって、こいつはいじめられても仕方ないんじゃないかというような奴にまで、優しく手を差し伸べてやっていたからだ。
 だが中井が経験したように、いじめというものは実際に自分が被害者になってみないと、それがどんなにつらいものであるかが理解しにくいものなのかもしれない。小学五六年生の時、同じクラスの飯野が中井にとっての天敵であったように、僕も高校生になって生まれて初めてそのような存在と遭遇した。奴の名前は大宮竜二。親が暴力団なのか建設会社なのかよくわからない『大宮組』という土木・建築会社を経営しており、彼は高校を卒業後はその組を継ぐ跡取りなのらしかった。
 大宮はその体型と態度と同じく、とにかく声がどでかかった。楽器に例えるならバスか太鼓といったところ。彼に声をかけられると、意味もなくクラスの人間は誰でもビビったものだ。
 そして誰も奴の下す命令には、逆らうことができなかった――同じクラスの男子だけでなく、女子はもちろんのこと、他のクラスのどんないかつい奴でも、また教師たちでさえ大宮のことを心の芯から恐れていた。
 まずその理由のひとつには、あいつが放課後、暴走族のような連中と帰ることにある。学校の正門前には<一般車両通行止め>と書かれた看板と、車止めが置いてあるのだが、暴走族の連中はそんなものはないかの如く侵入してくる。パラリラ、パラリラとお決まりの騒音つきで。毎日やってくるいかにも質の悪そうな連中の乗る単車の数は十数台。そんなものを見せつけられれば誰だって、さわらぬ神――いや、鬼か悪魔――に祟りなしと、そう思うだろう。しかも朝は朝で、大宮の奴は黒のベンツに乗って登校してくる。親分の舎弟らしき黒服の運転手がドアの開閉さえも行ってくれるのだ。
 正直いって僕はその光景を初めて見た時、(馬鹿じゃないか、こいつ)と思った。でもその馬鹿とよもや同じクラスになろうとは――思いもよらないことだった。

 アリ高こと私立有森高等学園には、一学年にクラスが六クラスあり、僕が振り分けられたクラスはF組だった。しかも最初の席順はアイウエオ順で、僕は大宮のすぐ後ろの席に当たってしまったのだ。なんという不運だろう。
 大宮は背が180センチ近くあり、肩幅も結構あったから、身長が175センチで痩せ型の僕は、奴の後ろに座ると月蝕みたいにすっぽり体が隠れてしまう。もちろん最初は奴のことをそんな恐ろしい奴だとは露知らなかったので、「ちょっと柄の悪そうな、怖っぽそうな奴だけど、意外と話してみたらいい奴かもしれない」くらいの印象しか、僕は持っていなかった。だがあいつは始業式の翌日から、早速とばかり、その恐ろしいまでの本性を剥きだしにしていた。
 まずあいつは、クラスにもうひとりいたちょっとコワモテ風の茶髪男を、見せしめとばかりに吊し上げた。
「おまえ、今俺にガン飛ばしただろ?」
 僕の後ろの席だった杉田は、身に覚えがないとばかりに、細く整えられた眉をしかめている。
「ああん?何いってんだ、テメェ」
 間に僕がいることなど構わず、大宮が立ち上がり、杉田の胸ぐらを掴む。
「ガン飛ばしたから飛ばしたって言ってんだよ。やる気か、コラァ!」
 当然、こうなると杉田も黙ってはおらず、朝っぱらから取っ組み合いの大乱闘になった。お互いに喧嘩馴れしているのかどうか、殴りあう拳の速さにまるでためらいがない。先に鼻血を流したのは大宮のほうだったけど、そのせいで奴は完全にブチ切れて、鼻の骨が折れるまで杉田の顔を後ろの掲示板に叩きつけた。
「やめなさい、君たち。やめなさい!」
 クラス内に、担任の小暮先生のいかにも気弱そうな制止の声が響く。
「うっせえ、ジジイ!すっこんでろ!」
 大宮に怒鳴られた先生は、とにかくまずは相手のほうだと思ったのだろう。膝をついて蹲っている杉田に、「大丈夫かね?」と声をかけた。
「大丈夫なわけねぇだろ、このクソッタレが」
 杉田は口許と鼻のあたりを押さえたまま、ふらふらと教室をでていった。おそらく保健室にいったのだろうけど、彼はその日そのまま病院へ行くことになり、次の日からは学校へこなくなった。登校二日目にしてすでに、大宮による第一の犠牲者がでたというわけだ。

 担任の小暮先生は、よくこんな荒れた高校で二十数年も教師をやってるな、と呆れてしまうくらい、とにかく生徒に対して腰の低い先生だった。いや、あるいはそれであればこそ、三十年近くも勤務していられるのかもしれない。彼の姿はまるきり、役所の哀れな小役人といったような風情だった。背が低く短足で、眼鏡をかけていてハゲ頭――いや、完全に禿げているわけではなかったけれど、その頭髪はいっそのこと剃ってしまったほうが潔くはないかというくらい、薄かった。
 とにかくこの先生はアテにしても無駄だということは、三十七名いたクラスの生徒が全員共通して感じていたことだった。小暮先生は国語の教科を担当していたが、その授業の進め方からして、彼がどんな先生であったかが窺い知れる。
 他のクラスでも授業によっては似たところがあったかもしれないけど、とにかくF組の生徒はどの教科の先生の授業も聞かなかった。いや、聞きたくても聞けなかったといったほうが正しいかもしれない。それは何故か?大宮が常に茶々を入れて邪魔をするからだ。小暮先生など、大宮みたいな生徒をどう扱えばいいか、実に心得たものだった。ゆえに国語の時間は常にプリント学習。あとは教科書の要点を黒板にずらりと書き並べ、「君たち、これをノートにとりたまえ。テストにでるから」というわけだ。
 当然、大宮が大人しくプリントの穴埋め問題を解いたりなんかするわけがなく、そうした細々とした雑用は、すべて後ろの席の僕にまわってきた。その他日直や掃除当番など、僕は大宮のパシリとして実によくこき使われた。
 だが、僕がとにかく大人しくあいつの言いなりになっている限りにおいて、大宮は特にこれといってひどい嫌がらせをしてくることはなかった。僕がパシリ係であるとしたら、他に殴られ係(日替わり)、友達係、子分係などがいて、とにかく皆、何故かはよくわからないけど、あいつの命令には絶対服従せねばならないのだった。
 実に残念なことに、僕は高校の三年間、友達と呼べるような人間を、ひとりとして作れなかった。いや、友達に近い人間なら何人かはいた。だが誰も、大宮のことを恐れるあまり、僕に近づいてはこなかった。二年のクラス替えの時――同じクラスになったただひとりの人を除いては。

 僕に友達ができなかった理由は色々ある。まず、クラスの他の人間の目には、僕が大宮の腰巾着みたいに見えただろうからだ。日替わりの殴られ係数名は、あいつにプロレス技をかけられたり羽交い締めにされたりしながらも、損な役目を割り当てられている者同士として、連帯感を持っていたようだった。それで本気で技をかけられて痛い思いをしながらも、それを友達何人かで笑い飛ばしたり、ジョークにしたりと、かなりのところ涙ぐましい努力をしていた。
 大宮の友達係というと、聞こえはいいかもしれないけど、あいつを喜ばせるためにやりたくもないことをしょっちゅうやらなければならない係とも言えたし、子分係はもっと大変だった。何故ならそれは大宮と友達係三人の気まぐれによって、いつ何をやらされるかわからない係でもあったからだ(好きでもない娘に告白しなければならない、など)。また子分係は大宮から受ける友達係全員のストレス解消係ともいえただろうからだ。
 一度、一学期のはじめ頃に、こんなことがあった。
 大宮の友達係――上村、園田、小林――のうちのひとりが、僕に食堂までいって食券を買ってくるように言いつけたことがある。すると大宮は突如として猛烈に怒りだし、
「こいつは俺専用のパシリだから、他の奴を使え」
 と、小林のことを恐ろしい形相で睨みつけたのだ。奴の目が本気であることを見てとった小林は、子分係のひとりに食券を買ってこいと言って、金を手渡していた。
 その日以来、何故か男子連中の間には、僕に対して冷たい空気が流れるようになった。僕は殴られ係のように痛い思いをすることもなく、友達係のひとりに加わるでもなく、だからといって子分係でもないという、実に特殊で微妙な地位をクラス内で与えられたのだ。
 時々、大宮がいつものように暴走族仲間と帰ったあとで、掃除の時間にこう言われたことがある。
「カミヤはいいよなあ。毎日痛い思いをするでもなく、嫌なことされたり言わされたりすることもないんだからさあ」
 そこで僕がどう答えたものか返答に困っていると、いつも女子たちが庇ってくれたものだった。
「ユキちゃんだって大変よ。日直に掃除当番に食券買いにその他いろいろ。あんたたちだって、同じことやればわかるはずよ」
 何故かはよくわからないけど、僕は昔から女子受けがよかった。ただその眼差しには昔と違って、尊敬ではなく同情的なものがあるばかりではあったけれど。

 それと大宮が僕にこれといってひどい嫌がらせをしなかった理由のひとつに、僕の顔が<女顔>だったということが上げられるかもしれない。僕は母さんに似て色白で、眉毛が細く、男のわりに睫毛が長かった。その上細面でまあまあ鼻筋が通っていて、唇がぽっちゃりと厚ぼったかった。でも自分が女顔で悩んでいるとは、誰にも打ち明けたことはない。そのせいで一年の時の学園際では、大宮に化粧をされて『セーラームーン』の劇をやらされたことまである。他の子分係や殴られ係の連中と一緒に。僕だって、これでも実は結構心の傷になるような、嫌なことは色々やらされたのだ。

 当然のことながら、大宮に嫌がらせをされたのはクラスの生徒だけではない。担任の小暮先生は大宮からバッタやイナゴ、カマキリなどと仇名されてはいたけど(顔がどことなくその手の昆虫に似ていたので)、せいぜいその程度で済んだのは彼にとって幸いなことだったに違いない。まあ大宮が何か問題を起こすたびに、彼に媚を売るような形で仲裁に入ったということも、大宮にとってはポイントの高いことだったのかもしれない。
 教師としての犠牲者第一号は、英語の麻宮敦子あさみやあつこ先生だった。年齢は二十八歳。やや厚めの眼鏡をかけた、ちょっとインテリっぽい感じのする先生だ。
 何しろF組は六クラスあるうち、もっとも荒れた教室だったので、授業をまともに受けさせるのがとにかく大変だった。小暮先生のように勤続二十数年のベテラン教師(かどうかはわからないけど)ともなると、最初から白旗と降伏の狼煙を上げているのだけれど、やはり新米というか若手の先生たちはなんとかまともに普通の授業をしようと、孤軍奮闘することが多かった。
 まずエロ雑誌やエロ漫画などを没収し、それから教科書を開かせる。忘れてきた場合は隣の生徒と共同で。またトランプや花札などをしている場合は、それらを一時的にとり上げる――ここまでで大体、少なくとも二十分ははかる。せめて残り三十分くらいはまともに充実した授業を行いたいところだけど、そうは問屋がおろさない、ではなく、大宮がさせはしないのだ。
「The Pacific War started in 1941.この文章の訳と文型を、大宮くん、言ってみてください」
 先生は五問黒板に書いたうちの最初の問いを、大宮に当てた。気持ちはわかるけど、よせばいいのに、というのが生徒たちの大方の心の声だった。
「その前に先生、ひとつ質問があるんですが、よろしいでしょうか?」
 くるぞ、と大宮の後ろで僕は、意味もなく身構えた。
「先生は処女なんですか?」
 絶句している麻宮先生に向かって、ピィと口笛が鳴ったり、ヒューヒュー囃し立てたりする声が巻き起こる。はっきり言ってまあ、これが友達係のおもな役目といっていい。
「なっ、何を言ってるんですか。授業中ですよ、今は」
「そっ、そうかもしれないけど、俺も気になるんですよ、先生。先生のケツのあたりを見てると、ナニがおっ立ちそうになってさあ」
 ゲラゲラと下品に笑う小林や園田や上村。女子たちはといえば、ひたすら白けた視線を送るのみだ。大宮は大きく両手を振りかざし、「勝った」と言わんばかりの満面の笑顔。
「そんなことは授業に関係ないでしょう。それよりこの問題に答えなさい。わからないならわからないと言えばいいでしょう。大宮くんはわかってるんですか?授業が進まなくて困るのは先生ではなくて、あなたたちなんですよ」
「おいユキ」と、大宮が後ろの僕を振り返る。「可哀相だから、そろそろ答えてやれや」
 溜息を着きたいのをこらえつつ、僕は答えを言った。
「太平洋戦争は1941年に始まった。第一文型」
 麻宮先生は僕の答えを聞くと、少し嬉しそうな顔をした。大宮のでかい図体に隠れて見えなかったけど、有望な生徒もいるのだというような、そんな表情。
「じゃあ次。We couldn’t keep the ele−phants any more.」
 大宮の言うとおり、先生があまりにも気の毒だと思ったのだろう、女子たちのうち何人かが、すっと手を上げた。
「じゃあ、木の下さん」と、やっとまともに授業ができると先生がほっとしたのも束の間、四時間目終了の鐘が鳴る。
「わたしたちは象をこれ以上……」
 木の下菜々子が途中まで答えるが、大宮の大きな欠伸の音で、その声はかき消されてしまう。
 大宮や小林、園田らが、没収されたエロ本を片手に、どやどやと教室をでていく。
 麻宮先生は彼らの存在を無視すると、木の下にもう一度きちんと解答を言ってもらい、それを黒板に書きこんだ。そして残りの三問については自分で急いで答えを書きこみ、これをノートに移しておくようにと言って、教室をでていった。

 F組での授業は、一事が万事、この調子だった。まずエロ本の没収から始まって、教科書を開かせるまでに二十分。残りの三十分は余計な茶々などによって短縮され、実質的な授業はほとんど行えないというのが現状だった。ゆえに、テスト前はとにかくプリント学習が中心となる。先生が苦心して要点をまとめ、必要最低限それだけはやっておけというコンパクトな内容が記載されたものと、練習問題及び解答が配られるわけだ。
 うちの学校はレベルが低く、授業内容もそう大したものではないので、ポイントを押さえてとにかくそのプリントさえみっちりやっておけば、まあまあの点数が自動的に取れるようになっている。ちなみに僕はテストの度に大宮の命令によってカンニングペーパーを作らされた。だがそのプリントの内容をかいつまんで作成すればよいのであるから、そう大した手間ではない。ただ僕の良心の問題としては、それはつらい作業だった。べつにカンニングペーパーを作ることによって、カンニング疑惑を周囲の人間にかけられたりするのが怖いというわけではない。それは大宮に言われて仕方なくやらされたことなのだと、クラスのみんなも先生方も、話せばわかってくれるだろう。でも小学・中学を通して、僕はこれまであまりにも優等生だった。友達が喧嘩していれば仲裁に入り、クラスで孤独な思いをしている生徒がいれば仲間に加える努力をした。だが今僕にできることは、いじめとも言えるプロレス技を黙認し、とにかくひたすら大宮の言いなりになって行動することだけだった。このどうすることもできない無力感がどんなに屈辱的なものだったか――言葉で説明できるようになるまで、僕はその後十年もかかった。

 

 


第2章

 正直なところ、僕は高校に通いはじめて三か月くらいで退学届けを書くべきかどうか、真剣に悩んだ。人から見れば、僕は殴られ係のように日常的に暴力を振るわれていたわけでもないし、とにかく大宮の言いなりにさえなっていれば、特に屈辱的な行為を課されるというわけでもなかった。だが僕は本当に学校へ通うのが嫌で嫌で仕方なかったのだ。そのくらい<大宮竜二>という男の存在は、ただそこにいるというだけで、僕の魂に悪影響を与えていたといっていい。
 これはたぶん、他の殴られ係や子分係、友達係でさえそうだったのではないかと思うのだが、あいつは実に気まぐれな奴なので、いつ何を言いだすかわからないという恐怖感が、周囲の人間には常に纏いつくことになるのだ。今日は友達係でも、明日は子分係に落とされるのではないかという恐怖、今日は子分係でも明日は殴られ係かもしれないという恐怖、体育のマット運動や柔道の時間などにプロレス技をかけられ、悪ふざけが高じて死にまで至るのではないかという恐怖――この恐怖感については、僕とて例外ではなかった。
 クラス内で席替えが行われるたび、あいつは必ず僕を自分の後ろの席に座らせたけど(言うまでもなく、あいつにとってくじ引きなどはなんの意味もなさない)、でも本当に僕はあいつがすぐそばにいるというだけで、嫌で嫌で仕方なかったのだ。
 そのせいで毎日登校のたびに朝から胃がきりきりと痛んだし、学校の授業から解放されたあとも、暗澹たる灰色の、絶望の層を僕の精神は常に示していた。今日という一日が無事平穏に過ぎ去っても、明日はまたどうなるかわからないという恐怖――これが僕の精神性を魂が病むまでに蝕んだといっていい。とにかくそのような日々をどのように忍んだかといえば、ほんの一握りばかりの希望によって、としか僕には答えようがない。すなわち『二年になればクラス替えがある』という、ほんのささやかばかりの、あるかなきか如しの希望である。

 しかし、そのような僕の小さな希望は、無残にも木っ端微塵に打ち砕かれた。三階のロビーにある掲示板に張られた、クラス替えの名簿を見た時――我が目を疑うとはこのことだと僕は思った。二年と三年は持ち上がりで、クラス替えなどもう二度と行われはしない。ああ、それなのになんということだろう。よもやまた大宮竜二という名前の下に、自分の名前があるのを見出そうとは!
 その瞬間、僕は屋上にまで駆け上っていって、校庭に身を投げたい気持ちでいっぱいだった。だが無論そのようなわけにもいかず、半分正気を失ったような面持ちで、二年F組の教室のドアをくぐった。またしても席はアイウエオ順――僕は自分が必死の思いで耐え忍んだ一年間の月日を思い、急激に虚しくなっていた。心の砂漠化がさらなる勢いで急速に進んだといってもいい。そして(もう学校を辞めるしかない)と絶望的に思いながら、クラスの顔ぶれを見渡して、何故自分がまたしても大宮の後ろの席にいるのかが、突然に了解された。
 F組の担任は一年の時と同じく小暮先生で、おそらくこのことについては先生の間で巧妙な裏取引があったものと思われる。うちの高校はワルの吹き溜まりとまではいかないまでも、暴走族やカラーギャングに所属しているといったような、柄の悪い連中が割に多い。そのため、そうした奴らと大宮を一緒にするのは危険だとの配慮が、先生たちの側でなされたのではないかと思われる。すなわち、男子の中でF組にそのまま持ち上がったのは僕と大宮のふたりきりで、他の生徒は比較的模範生が多かったということである。そして女子についていえば、小暮先生が特に気に入っている仲良し三人組がそのまま<偶然にも>一緒だった。
 彼女たち――佐藤と坂下と宮園――はいってみれば、小暮先生の小さな応援隊とでもいうべき存在だった。佐藤も坂下も宮園も、担任としての小暮先生にははっきり言って絶望していただろう。けれどもここまで自分たちの担任が小心に過ぎると、かえって哀れにもなってくるものだ。そこで彼女たちは至らない担任をサポートする形で、なんとかクラスをまとめようと、健気な努力を影ながらしていたのである。
 僕は気心の知れた佐藤や坂下や宮園が同じクラスでも、まったく明るい気持ちにはなれなかった。何故なら大宮と僕をまたしても一緒にした小暮先生の意図が、はっきりと底まで透けて見えてしまったからだ。
(カミヤは大宮のお気に入りで、特に害を加えるでもない。それなら一緒のクラスにして、あいつの面倒をこれからも適度に見てもらうことにしよう。そういう存在をひとりくらい一緒にしておかないと、あいつが今後どういうふうに暴れるかもわからんし……)
 そう思い至った時、僕は小暮先生のことを、屋上のフェンスの下に突き落としてやりたい衝動に駆られた。あるいはこれから野山にでもいって、バッタを百匹くらいギロチンの刑にかけてやりたいような気がした。そしてその首を集めたものを、小暮先生の自宅にクール宅急便で郵送してやるのだ。
 そんな暗い衝動を覚えてしまうくらい、僕の心はすさみきっていたと言っていい。
「ユキちゃん、また一緒のクラスになれて嬉しいけど、あいつも一緒じゃあ、これからも苦労するね」
 佐藤麻衣子が同情をこめた眼差しでそう声をかけてきても、僕は虚しい微笑みを浮かべるばかりだった。一年もの間大宮という男の存在に脅かされ続けたため、僕は学校内ではほとんど誰ともまともに口を聞けないようにさえなっていた。
 もちろん先生から質問されればそれには答えるし、同級生に話しかけられれば、適度に応答はする。でもそれは本当の意味での<会話>というのとは別だった。どうしてそんなふうになってしまったのか、僕も自分でうまく説明できないけど、とにかく僕は人から話しかけられなければ何も自分からは発言できないような、そんな小心な人間に成り下がってしまっていた。でももうそんな生活も終わりだと、心の中で退学届けを出そうと決意した時、新しい希望の光、救世主かとも思えるような存在が、二年F組に現れたのだった。

 彼女の名前は松平輝美まつだいらてるみといった。出席日数が足りなくて三年に進級できず、もう一度二年のはじめからやり直しという、いわゆる<ダブリ>だった。友人たちからレッドと呼ばれるその名のとおり、彼女の長い髪は燃えるように赤かった。そして輝美という名前のとおり、彼女には周囲の人間が誰も逆らえない、輝く美しさがあった。また彼女はレディースの総長をやっているということもあり、そうした意味でもクラス内に彼女に逆らえる人間は誰もいなかったと思われる――もちろん、唯一大宮の奴以外は。
 長身の松平さんが赤い髪をなびかせ、薄っぺらなカバンを自分の席に置いた時、二年F組の連中はみな、心の中でこう思ったことだろう。
(レッドVS大宮竜二。これは面白いことになってきたぞ)と。
 そして僕もその時、これはもしかしたら小暮先生の仕組んだ、大宮虚勢作戦なのではないか、ということに思い至った。伊達に二十数年、荒れた学校で教師をしてはいないということかもしれない、とも。
 だが、それでも僕は、退学届けを提出する意志を変える気は、毛頭なかった。確かに大宮がレディースの総長にやりこめられるところを見たくないといえば嘘になる。でも僕はあいつの顔を見ているだけで、反射的に吐き気を催しそうになるくらい、あいつのことが大っ嫌いなのだ。そんな奴とこれから二年も――と想像しただけで具合が悪くなって貧血を起こしそうになる。
 けれども小暮先生は僕の退学届けを跳ね返し、お気に入り三人組を説得隊として僕の元に遣わしたのだった。
「ユキちゃん、せっかく一年もあいつのために我慢したんだから、あと二年、なんとか頑張って乗りきろうよ」
「そうだよ。一年の時よりも顔ぶれとしては比較的大人しそうな男子ばっかじゃん。きっとなんとかなるって」
「そうそう。あのレッドっていう女総長、かなりスジが通ってるって噂だからね。今の三年の中にも大宮みたいのがいて、そいつの金玉蹴り上げて黙らせたって話は有名だもん」
 正直なところ、佐藤と坂下と宮園がいくら明るく励ましてくれても――僕はあのレッドというレディースの総長が、自分及び二年F組の他の生徒を守ってくれるとは、とても信じ難かった。にも関わらず、彼女たちの説得を受け入れるような形で退学届けを僕がとり下げたのは、もっと他の別の理由による。僕は自分の両親のことをどうしても説得することができなかったので、学校をやめることができなかったのだ。いくら僕が「大宮っていう恐ろしく嫌な奴がいて、そいつとまた同じクラスになったから学校へは行きたくない」と主張しても、両親は聞く耳を持たなかった。とにかく高校は卒業しろ、それが後々おまえのためになるの一点張りだった。また、卒業さえしてしまえば、そうしたことはすべていい思い出になるとさえ言った。
 僕は川部夏代の名前をよほど言ってやろうかとさえ思ったけど、母さんのことがあんまり気の毒で、そんなことは口にだせなかった。三流以下の高校に通う駄目息子に彼女はとても心を痛めていたし――将来、まともな職に就ければいいけれど、と――その上夫の浮気が発覚したのでは、ヒステリーを起こして卒倒してしまうに違いなかった。だから僕は母さんが頭のいい章一郎に自分の将来のすべてを託しているように、レッドこと松平輝美さん、また状況の微妙な変化といったものに、すべての希望を託すことにしたのだ。それでもし本当に駄目なら、その時はまたその時に考えればいいことだと、無理矢理に自分の心を説得させて……。

 小暮先生の影の作戦が功を奏したのか、大宮は少しの間、大人しかった。何しろ、どんな際どいエロ本を見せようと、話に乗ってくるような連中がまわりにひとりもいないのだ。もちろん僕を含め、他の男子連中もその手のものに内心興味はあっただろう。でもあいつがいくらエロ雑誌を見せようとしても、みんな逃げるように顔を背けるばかりだった。
 うちの学校の生徒というのは――これは男子限定で、ということだが――大まかにいってふたつの存在にグループ分けがしてあった。ひとつ目が頭に剃りを入れていたり、眉毛がなかったり、髪の毛を金茶に染めていたりといったような、いわゆるそういうタイプの連中。ふたつ目が僕のように見た目はまあまともなのだが、頭が悪いためにここしかくる場所がなかったというような生徒だ。これはどちらの数が比較的多いかというのは実に微妙な問題だった。ただひとつ言えるのはその間に<中間層>のようなものがないということだった。つまり、そうした人間同士が一緒くたにされた場合、簡単に<親分・子分>の図式が出来上がってしまう。特に大宮のような奴がクラスを仕切っている場合、かなりのところいじめのようなものが発生しやすい傾向にあるようだ。また親分タイプの生徒の中にはレッドのようなスジの通った奴もいて、その場合は「仁義をとおす」ような形で、いじめのようなものは(よほどのことでもないかぎり)発生しにくい傾向にあったらしい。
 大宮は授業中に野次を飛ばすということもあまりなくなり(自分の態度に同調してくれる人間が誰もいないため)、寝ていることが多くなった。このまま奴があまりにも学校生活が退屈でつまらないという理由で、学校へこなくなる、ということさえ僕は願っていたが、それは僕のはかない夢のようなものだった。大宮は自分のまわりに子分タイプの連中しかいないのを見て、それまで僕ひとりだけに押しつけていたこと――日直や掃除当番、カンニングペーパー作りなど――の役割を、男子全員に分散させた。つまりその日の気まぐれによって、「おい、おまえこれやれ」と指定する生徒を決めるのだ。
 だがそのことによって僕の肩の重荷が楽になったかといえば、決してそうではなかった。何故なら大宮は休み時間などに、しきりに僕に絡んでくるようになったからだ。
「おまえだって、夜にはシコシコやってるんだろ?宿泊研修の時、きちんと金玉ついてたもんなあ。女みたいな顔してるけど、結構いいもの持ってたじゃん、おまえ」
 宿泊研修の時、僕は脱衣場で大宮に突然ペニスを握られていた。どうということのない男同士のスキンシップと言われればそれまでだけど、僕はその記憶を自分の中から消したくてたまらなかった。
「ほら、見てみろよ。この娘なんか可愛いけど、おまえはどういうのが好みなんだ?なんだったら、俺の友達に頼んで、いいの見繕ってもらおうか?まだ童貞なんだろ?ユキちゃんは」
 どう反応していいかわからず、ひたすら俯く僕に、大宮はくさい口臭がかかるくらい、顔を近づけてくる。なんとも下卑た、いやらしい顔つきだ。
「やっぱりおまえは処女がいいのか?大人しく寝っ転がってる女に襲いかかって、おっぱいもみもみ、アソコをちゅうちゅう……」
 と、そこまで大宮がニヤニヤしながら言った時、スパァン!と実に小気味いい音が机の上で鳴った。松平さんがエロ雑誌を丸めて、それで机を打ったのだ。
「なあにがおっぱいもみもみ、アソコをちゅうちゅうだ。噂どおりの根性の腐った野郎だね!この子が嫌がってるのに、そんな話聞かせて一体何が楽しいのさ。第一、他の女子の迷惑ってもんも少しは考えなよ。あんたのエロ公害には、クラス全員が迷惑してんだから」
 松平さんが片手にエロ雑誌を持ち、片手を細い腰元に当ててそう言い切ると、流石の大宮も何も言い返せないようだった。もしちょうどその時鐘が鳴っていなかったとしたら、どうなっていたかわからない。
「……今に覚えとけよ」
 大宮はくぐもったような小声でそう言うのがやっとだった。松平さんはふん、と鼻を鳴らすのみだったけど、次の瞬間に僕は彼女の髪の色よりも、恥かしさで自分の顔が赤くなるのがわかった。
「あんたもさ、男ならもっとシャキッとしなよ。あいつの言うとおり、金玉きちんとついてんだろ。まったくだらしないねえ、このクラスの男どもときたら。自分ってもんの持ち合わせが、これっぽっちもありはしないんだから」
 助けてもらえて嬉しかったというより、僕は大宮に嫌がらせをされるよりも、別の意味で彼女に助けられたことが恥かしかった。その上、それからもたびたび僕はそんな形で松平さんに助けられてばかりいた。また僕だけでなく、大宮と掃除当番をかわった奴や、日直をかわった奴に対しても、彼女は容赦しなかった。自分であいつに嫌だと言える度胸を持てというのである。そして必ず「あんたがもし男ならね」と最後に付け加えるのだった。
 だがもちろん、男子の中で大宮に逆らえる奴など、ひとりもいはしなかった。松平さんもまた、大宮を呼びとめて掃除は自分でしろとか、そこまでのことは要求しなかった。そこまでは流石に彼女も怖くてできなかった、というより、そこまで正義感に燃えていられるほどあたしは暇じゃない、といったような感じだった。つまり我がクラスで唯一レッドだけは、本当の意味で大宮のことなどこれっぽっちも怖れてはいなかったということなのだ。

 しかし、大宮も一学期の終わりが近づく頃には、流石に窮屈なものを感じ始めていたのだろう。軽い制裁的な措置を、レッドに対してとることにしたようだ。しかも僕に体育館の器具室で、彼女のことを襲えと命じたのである。
「あいつ、おまえのことを特にしょっちゅう庇うからな。少しは気があるんだろ。マットの上にでも押し倒せば、意外と乗ってくるかもしれない。そしたらおまえは一発やったあとで、パチリとあいつのあられもない写真を撮る……どうだ?できるか、ユキ」
 あまりの無謀な計画に、僕は言葉もなかった。ただいつものように、言葉もなく俯くだけだ。
「あいつ宛てのラブレターは、前田に書いてもらったからな。それを下駄箱に入れておいたから、今日の三時頃、あいつは体育用具室にやってくるだろう。幸い今は試験前でどこの部活も体育館を使ったりはしない。やりたい放題だ。うまいことやれよ、ユキ」
 うまいことできなかったら自分はどうなるのかと、一抹の不安を覚えつつ、僕は放課後、大宮や他の仲間の連中と、体育館に向かった。
 大宮はクラスにいてもつまらないと感じるのか、休み時間はいつも他のクラスの連中と廊下で喋りこんでいることが多かった。つまり他の仲間の連中というのは、そういういかにも柄の悪い奴ら三名という意味だ。D組の厄介者の仙石と、ナイトイーグルという暴走族のヘッドであるB組の田口、そしてそのグループの副ヘッドであるE組の矢部。
「こんな女みたいのに、あの女をコマせるのかよ」
 金茶の髪に鼻ピアスという風貌の田口が、ガムをくちゃくちゃ噛みながら聞く。
「さあな。でも俺たちが輪姦したりしたら、のちのち色々面倒だろ。それよりこいつが好きですとかなんとか言ったほうが、あいつもほろりと騙されて、アソコを濡らすかもしれん」
「そううまくいくかねえ」
 アソコ、という単語ににやりとしながら、矢部が下品に笑う。ギャハハハハ、と仙石も大笑いし、隣の僕の頭を乱暴に小突く。
 僕はそんな、まちがっても心の友にはなれなさそうな連中に囲まれながら、心の中で中学時代の親友、中井武彦のことを思っていた。
(ああ、中井。本当におまえの言うとおりだよ。僕も、こんな吐き気のするような連中と同じ高校にならないために、もっと必死になって勉強すればよかった。それこそ死にもの狂いで。もちろん僕がレッドを押し倒すなんて、そんなこと、できるわけないけど……その結果を知ったらこいつら、今度は一体僕に何をやらせるつもりだろう?)
 体育用具室には、バスケットボールやバレーボールなどのたくさん入った金属製の篭や、試合の時に点数をつけるための黒板やボード、また汗くさい何枚ものマットやその他平均台などが、所せましと並べられていた。
「じゃあな、ユキ。がんばれよ」
 大宮がニヤニヤしながらそう言って手を振ると、
「健闘を祈るぜ、ユキちゃん。ギャハハハハ」
 仙石が最後にもう一度大笑いして、体育用具室のドアをガシャンと閉めた。
 体育用具室には小さな窓がひとつあり、そこから外の光が入ってくるので、そう暗くはない。だが僕は暗い気持ちでレッドがやってくるのを待ち、彼女が僕の名前でだされたラブレターを信じることなく、ここへこなければいいと、マットの上に座りながら思った。いや、神に祈りはじめていたとさえ言ってもいい。そうすればとりあえずあいつらには、言い訳が立つから。だが僕は、二年進級時にあんなに神に(大宮とだけは絶対に違うクラスになりますように)と祈ったにも関わらず、聞き届けられなかったことを思いだし、心の中で祈るのをやめた。神は中井の祈りは聞いてくれたけど、どうも僕の祈りには耳を傾けたくないような、そんな気配があったから。
 レッドは午後三時きっかりに体育館用具室に姿を現した。心の中で僕は(結局、僕がどんなに祈ろうと祈るまいと、彼女はきっとここへきたんだろうな)なんてシニカルに思いながら、マットの上から重い腰を上げた。たぶん、彼女には言葉でなんて説明しなくても、事のいきさつのようなものがわかっているだろうと、そう思った。
「あんた、弱っちい風体のわりには、結構度胸あるね。このあたしにラブレターをだすなんてさ。『僕はあなたのことが好きです。好きで好きでたまらないんです。いつもかばってくれるあなたの優しさに、苦しい胸の内を抱えています……』。これ書いたの前田だろ。あいつ、習字二段とか言ってたもんね。男のくせに女みたいに綺麗な字、書きやがって」
 レッドは軽蔑しきったような目で、そのハートマークのシールが貼られた四角い封筒を破いた。そしてそれをぐしゃぐしゃに丸めて、セーラー服の胸ポケットへと突っこんでいる。
「前田も前田だけど、あんたもあんただよ。今日は一発説教でもしてやろうと思って、ここにきたんだ。まあ大宮があんたの名前を使ってあたしを呼びだして、罠にはめるつもりなのかもしれない、とも思ったけどね」
 ひたすら黙りこくって下を向いている僕に、レッドは一気にそこまでまくしたてた。そして僕のズボンのポケットに、おもむろに手を突っこんだ。正直いって、ちょっとドキっとした。
「なるほどね。こいつであたしの小っ恥ずかしい写真でも撮れってか。あんたさあ、自分で恥かしくないの?こんな一から百まであいつの言いなりでさ。まああんたにその度胸があるんなら、やられてやってもいいけどね。どうする?」
 どうする?と言われても、そんなこと、僕にできるわけがなかった。もし仮にここがラブホテルで、彼女が全裸であったとしても、彼女を犯す勇気が、果たして僕にあったかどうか……。
「黙りこくってないで、なんとか言いなよ。あたしはあんたの本心が聞きたいんだよ。もちろんこんなのただの悪戯だってわかってるさ。あんたがあたしみたいな女、好みじゃないっていうのもわかってる。あんたはアレだろ?うちのクラスの佐藤みたいな、浅倉南タイプの女が好きなんだろ?可愛くってソツってもんがなくて、なんでうちみたいな学校にいるのかがよくわかんない子」
「べつに……僕はそんな」と、下を向いたまま、やっと僕は自分の意見を言った。「松平さんのこと、尊敬しています。大宮さんに言い逆らえるの、うちのクラスで……いや、先生の中にも誰もいないと思うから」
 やっと口を聞いたか、というような顔をして、レッドは優しく微笑んだ。僕の座るマットの、すぐ隣に腰かけながら。
「あんただって、やろうと思えば同じことができるさ。他の奴はどうかわからないけど、ユキちゃんにならできるよ。本当はあんた、女子にユキちゃんって呼ばれるの、嫌なんだろ?でも仕方ないね。そう呼ばれるのが嫌だって言えないんだから」
 どうしてわかったのだろうと、僕は不思議に思いながら、隣のレッドを振り返った。
「まあ見てりゃあわかるよ」と、レッドは肩を竦めている。「なんとなくね。他の男子連中はみんな、あんたと仲良くすると大宮のとばっちりを食うんじゃないかと思って、あんたと親しくしようとしないだろ。女子たちにはそれがわかる。だからユキちゃんユキちゃんって呼んで、何かと手伝ったり話しかけたりしてくれるけど、あんたとしてはさ、複雑だよね。いくら善意だってわかっていてもさ……あたしも同じ半端者だから、そういうのはよくわかるよ」
「松平さんは半端者なんかじゃないです」
 珍しく僕がきっぱりした口調で言い切ったせいか、レッドは少し驚いたような顔をしている。
「いい子だね、あんた」と、そっと僕の肩に、マニキュアが綺麗に塗られた指をのせながら言う。「でもやっぱりあたしは半端者なんだよ。一応女子はみんな仲良くしてくれるけどね。大宮を撃退できるのはあたしだけっていうのもあるし……でもべつに、本当の意味で友達ってわけでもないしさ。そういう意味ではあたし、あんたに自分に近いものを感じるんだよ。大宮の言いなりになってはいても、ユキにはどこか……他の人間とは別格っていうか、違うものがあるね。だからそういう人間が大宮みたいな奴に屈伏してるってのが、あたしには腹立たしくてどうにも我慢ならないんだよ。あたしがあんたのことを庇うのは、そういう理由からさ。わかった?」
「……はい」
 凝り固まった石像みたいな態度のまま、僕は頷いた。レッドはそんな僕の頭にぽん、と手のひらを置いてから、体育用具室をでていった。彼女の香水の香りが消えてなくなると、体育用具室には元の汗くさいような匂いだけが残っていた。 



第3章

 次の日、計画が失敗に終わったことを告げても、大宮は特に怒ったりはしなかった。なんというか、最初からこの計画がうまくいくとはまるきり思ってなかったらしく、どちらかというと、これは僕の大宮の犬としての忠誠度を試すものだったみたいだ。つまり、二年になってからというもの、僕は大宮の犬なのか、それともレッドの庇護下にいるものなのか、いまひとつ区分が曖昧だった。その上女子たちがやたら僕をユキちゃんユキちゃんと呼び、自分たちの仲間扱いするので、大宮はどうも元の自分専用のパシリの身分へと、僕を戻したかったみたいだ。といっても、彼は自分の権威をひけらかすため、相変わらず日替わりで気まぐれに色々なことをクラスの男子たちに順番にやらせてはいた。だからそういう意味での苦労は一年の時に比べて減ったけど、その分あいつは僕のことを腹心の部下として、女子たちやレッドにとられたくないような、どうも微妙なものを感じていたらしい。
 僕自身にしても、男子は大宮のことを怖れて誰も仲良くしてくれないし、かといって女子のグループに入るというわけにもいかず、どうしたらいいのかがよくわからなかった。
 レッドが指摘していたとおり、僕は思春期特有の何かによって、女子たちに「ユキちゃん」とちゃんづけで呼ばれるのが嫌で仕方なかった。どうしてみんな誰も、僕のことを「カミヤくん」と名字で普通に呼んでくれないのかが、不思議だった。
 高校を卒業して数年が過ぎた頃には、彼女たちが本当に善意で僕のことをユキちゃんと呼び、できることなら大宮みたいな下衆の支配下から解放してあげたいと、そんなふうに一致団結していたのがわかるけど――当時の僕にはそんなふうには思えなかった。僕は自分が「ユキちゃん」と呼ばれるたび、男としてどんどん去勢されていくような、そんな奇妙な違和感を覚えるばかりだった。彼女たちは僕のことを自分たちと同じ<雌>の種族だと勘違いしているのではないかと思うことさえあった。あれだけ大宮の言いなりになっておきながら、男のプライドもへったくれもないとは思うものの、それでもやはり「ユキちゃん」と呼ばれるたびに、僕の男としてのプライドは幾分か傷ついていた。

 このまま永遠に二学期がこなければいいと願ってやまなかった夏休みもとうとう終わり、学校という監獄での、僕の囚人としての生活が再開した。
 相変わらず僕の胃は大宮が同じクラスにいると思っただけでも緊張のあまり縮む思いだったし、男子の友達もなく、女子たちに慕われても嬉しくもなく、ただ毎日びくびくオドオド人の顔色を窺って過ごすばかりだった。そのくらいならいっそのこと、学校なんてやめてしまえばいい――多くの人がそう思うことだろう。でも本当に、そこのところは実に微妙なところだったのだ。大宮のことは確かに嫌だし、大嫌いでもあるけれど、その他の点ではこれといって特に不自由なこともなかったからだ。
 友達がいないといっても、僕は他の男子たちから嫌われているというわけではなかった。みんな、とにかくひたすら(大宮さえいなければ、俺もおまえと仲良くするんだけど)と、同情的な眼差しで僕に接していたし、女子たちもいってみれば同じ性質の同情でもって僕のことを「ユキちゃん」と呼んでいたのだともいえる。
 高二の二学期――その十月には高校生活最大のイベントである、修学旅行があるけれど、僕は修学旅行の費用をバッタに渡すかわり、旅行に行けない旨を彼に伝えていた。バッタこと小暮先生は、昆虫が前足で触角をしごくみたいに、「ああ、そうか」と素っ気なく言っただけだった。何かと追求されない分、面倒でなくていいと言えばいいけれど、退学届けを出した時にも同じような反応を示してくれればよかったのにと、そう思わずにはいられなかった。ただ佐藤と坂下と宮園だけは――小暮先生から派遣されたというわけでもないのに――しきりと僕に就学旅行へいくよう、勧めてはくれたけれど。
「ユキちゃん、一緒にいこうよ。ユキちゃんがいなかったらつまんないよ」
「べつに、家の都合ってわけでもないんでしょ?」
「まあ大宮の面倒見させられるのは嫌だと思うけど、あいつ、自由時間は他のクラスの仲のいい連中と行動するみたいだし、もったいないよ。あんな奴のために楽しい就学旅行にいかないなんて」
 でも三人がどんなに宥めすかそうとも、僕はとにかくひたすら首を横に振った。そしたら佐藤も坂下も宮園も、自分たちは女子だから、部屋別になったあとはユキちゃんを守ってあげられないし……と、ようやく納得してくれた。
 宮園は<楽しい就学旅行>なんて言ってたけど、僕にとってそれはあくまでも、大宮さえいなければの話だった。あいつがもし就学旅行へいかないとでも言うのなら、僕だって喜んで東京や京都へいきたいと思っただろう。でも修学旅行が「楽しい」と形容されて終わるのか、それとも「地獄の」と形容されて終わるのかは、佐藤にも坂下にも宮園にも、また小暮先生にも、誰にもわかりはしないのだ。そんな恐ろしい博打を打つ気には、僕は到底なれなかった。

「確かに、ユキの言うことは一理あるね」
 何故就学旅行へいかなかったのかと訊かれて、大宮にいつ何をされるかわからないから、と答えたところ、レッドは僕の隣でプリントの問題を解きながら笑っていた。
 二学年の生徒が就学旅行へいっている一週間ばかりの間、何がしかの理由によって旅行へいかない生徒――家庭の事情や、バイクを買う金を貯めているから、など――はその間三時間目までの授業が割りあてられていた。その自習時間を担当している先生方も、何も他の連中が楽しんでいる時に勉強することもあるまいと思うのか、一時間に一枚簡単なプリントをやっておしまい、という場合が多かった。ほとんど毎日学校へ遊びにきているようなものだったといってもいい。
 今二年A組には八名ほどの生徒が集められており、そのうちの三名はレッドと同じダブリ組で、去年就学旅行へいったから、今年はいかないという生徒だった。残りの五名は経済的な理由、あるいは僕と似たような事情のある連中だった。
「あいつってさ、なんかどっかあんたに、キモい感情を抱いてるところがあるんじゃないかい?」
「キモい感情って……」
 レッドからプリントを受けとると、僕は自分のと答え合わせをした。なんということのない、漢字の四文字熟語が二十問ほど並んでいる。画竜点睛、我田引水、などなど。
「つまりさ、ホモっぽい感情ってこと」
「やめてくださいよ、気持ち悪い!」
 咄嗟に僕は、隣のレッドのことを睨んでいた。想像するだにおぞましいと思った。
「ユキもさ、いつもそういう目であいつのこと睨んでやればいいんだよ。まあ、あたしも最初はあんたに発破かけてばかりいたけど、近ごろこうも思うんだよね。ユキが大宮の奴に逆らったら、あいつ、あんたのこと男子便所とかに連れこんで、フェラチオしろとか言いだしそうな感じだもんね。それだったら大人しくハイハイ言うこと聞いてるほうが、ユキにとってはいいんじゃないかって、最近、なんかそんなふうにも思うようになってきたよ」
 あまりの気持ち悪さに、僕は思いきり顔をしかめた。そんなことにもしなったとしたら……僕はあいつのことを、ナイフか何かで突き刺して、殺してしまうかもしれない。
「まあ、確かに就学旅行にはいかなくて正解だったかもしれないね。一週間もあんな奴と同じ部屋にいたら、あんたあいつに何されるかわかんないよ、真面目にさ。最初はてっきり嫌がらせの一環としてユキにエロ本見せてんのかと思ったけど、どうも微妙に違うみたいだから……あいつ、たぶんユキがどんな時にどういうふうに性的に興奮するのかとか、そういうことに凄く興味があるんだよ。本人が気づいてるかどうかは知らないけどね」
「やめてくださいよ、馬鹿馬鹿しい」
 一笑に付そうとしたけど、レッドは面白がるでもなく、至極真剣な表情で続けた。
「べつに、あたしだってこんなこと言いたかないさ。でもなんかあった時にユキが自分の身を守れなかったら悲惨だと思ってね。この世にもし何かの事情で女がひとりもいなくなったとしたら、あいつ、絶対にあんたを自分の女にするんじゃないかい?想像するだにおぞましいとはあたしも思うけどさ、あいつにはどっかこう……マジでそれをやりかねないっていう、気味の悪さがあるよね。それでみんな、無意識のうちにも逆らえないんだろ。もちろん、暴走族や暴力団と繋がりがあるとか、そういうことも関係してるんだろうとは思うけど」
「松平さんは……怖くないんですか?」
 窓の外の澄みきった秋空を見やりながら、僕はどこか人事のようにぼんやり聞いた。
「あたし?」と、レッドは赤い口紅をぬった唇を、愉快そうにゆがめている。「さあ、どうだろうねえ。でもまあ、あんな奴が怖かったら、レディースの総長なんてやってられないよ。昔と違って、小競り合いの繰り返しみたいなことばっかやってるんだけどさ、一応先代から指名されちゃったから、総長やってるっていう、ただそれだけさ。そろそろ飽きてきたから次の代に譲ろうかと思ってるんだけど、後輩がうるさくてね。少なくとも高校を卒業するまでは総長でいてくれってさ」
「なんかわかります、すごく。その人たちの気持ち」
 はあ?という顔を一瞬したあと、レッドはくつくつとゆっくり、かみ殺したように笑いだした。
「ユキって、時々ほんとに凄く面白いよね。なんかあたし、あんたをからかいたくなる大宮の気持ちが、今ちょっとわかってきたわ」
 レッドがツボにはまったように大声で笑いはじめたので、机に突っ伏して寝ていた連中がみな、全員こちらを振り返った。そんな視線のことなどまるで構わず、レッドはそれからも暫く笑い続け、最後には机さえバンバンと手のひらで叩いていた。
「あーあ。参っちゃうね、まったく。あたしがもし男だったら、大宮とユキのとりあいを演じていたかもしれないよ。一応誤解のないように言っておくと、ホモとかなんとか、そんな気持ち悪いことじゃなくてさ。たぶん友達としてとりあいになってたと思うよ。まあ考えようによってはあいつも、可哀想な奴だとは思うけどね。自分は童貞じゃないとか、今つきあってる女がどうこうなんていくら言ってみたところで、あいつに本当の意味で女を大切にすることなんかわからないだろうし……人の愛し方もわからなければ、友達の作り方もわからないような奴なんだからね。家が暴力団やってるとか、そういう環境のせいもあるんだろうけど、結局はあいつ個人の問題だもんね、そういうのは」
 その時、三時間目の終わりを告げる鐘が鳴り、レッドは「ふあーあ」と、大きな欠伸をしながら伸びをした。
「じゃあまた、明日な」
 彼女は軽く僕の背中を叩くと、薄っぺらなカバンを片手に、さっさと教室をでていった。なんでも、彼氏とデートの約束があるんだそうだ。
 僕はレッドと自分の分のプリント、また他の生徒たちから集めたプリントとを、職員室まで持っていき、それをバッタの机の上に置いておいた。大して意味のない学習だとは思うけど、かといって何もさせないというわけにもいかないのだろう。この高校の先生の半分以上が、ちょうどそんな感じだった。たとえば、大宮のような狂暴な生徒ふたりが喧嘩した場合――本気で止める気もないのに一応は止めに入る。そして一言か二言、「やめないか、君たち!」と先生らしい科白を吐いたあとは、とにかく放っておく。彼らにとっては「一応、止めに入った」という事実のみが大切なのだ。のちのち、何か大きな問題へと発展した場合、言い訳をすることができるように。
 でも僕はそうした先生たちのことを「だらしがない」と責めることはできなかった。一年の時、大宮の奴は先生のことをふたり、辞職へと追いやっていたから。
 ひとり目が英語の麻宮先生、ふたり目が体育の沖先生だ。麻宮先生はあれからもしつこく大宮のエロ攻撃の的にされていた。『女教師凌辱』というタイトルのエロビデオが教卓の上に置いてあったり、またそのビデオを没収したところ、今度はあれを見ながらオナニーしたんじゃないかと言われたり……またそれだけではなく、授業がなかなか進まないので、麻宮先生はとうとうノイローゼになってしまったのだ。それで一週間ほど病院に検査入院したのち、そのまま健康上の理由によって、学校を辞めてしまったのである。
 ふたり目の沖先生は、体育の柔道の時間に大宮の悪ふざけがあまりにも過ぎると思ったのだろう、懲らしめのためにあいつをこてんぱんにのしてしまったのがいけなかった。先生は一週間後、何者かによって闇打ちにあい、全治三週間の大怪我を負った。彼もまた、病院を退院後、有給休暇を暫くとったのち、学校を去っていった。

 みんなが修学旅行へいっている一週間、僕は学校へくるのが楽しくて仕方なかった。大宮がいないというただそれだけで、なんと教室の空気が美味しく感じられることだろうと、そう思った。それと当時はあまりそう感じてはいなかったけど――僕にとって彼女は雲の上のような存在の人であったので――レッドはたぶんクラスの中で一番、僕にとって友達に近い人だったのだと思う。
 大宮の存在を気にすることもなく、僕はレッドと色々なことを話しあった。将来何になりたいかといったことや(彼女は美容師になりたいらしい)、大宮をはじめ、この学校の腐った連中のこと、だらしない教師たちの対応に対する不満、などなど……その他、音楽の話なんかでもよく盛り上がった。僕もレッドも、レベッカやボウイ、尾崎豊などが好きで、好きになるミュージシャンの傾向がとても似通っていたためだ。
 だが結局のところ、そんなふうに僕とレッドが仲良くなったことをきっかけにして、その後二年F組というクラスは大きくバランスを崩していくことになる。

 みんなが就学旅行から帰ってきて普通授業が始まったあとも、僕とレッドは友達に近い感覚で話をすることが多くなった。休み時間に教室の隅に座りこんで話をしたり、移動教室の時に、一緒に移動したり……それが大宮の大きな不興を買うことになるとは、僕は思いもしなかった。ただとにかく僕は、休み時間にひとりぽつねんとしていなくてもいいという、そのことを単純に喜んでいただけだった。
 でもレッドのほうでは、ある程度こうなるだろうことを予測していたらしく、大宮が僕のことを元の忠実な犬に戻そうとした時、そうはさせないという態度をはっきりととった。
「ユキはあたしのダチなんだよ。自分のダチを犬扱いされて黙っているほど、あたしも大人しくないんでね。他の奴らはともかくとして、ユキには金輪際、近づかないでもらおうか」
 教室中の生徒が見守るその光景は、一種異様なものだった。もしこれで男ふたりがレッドのことを奪いあっているとか、そういうことだったら――そう奇妙なことでもなかったかもしれない。でも僕は教室の後ろのほうでレッドに庇われながら、腑甲斐ない自分を恥じていた。教室中の生徒たちの視線を恥かしいとも感じた。こうした局面を迎えてさえ、僕は大宮に逆らうということができないのだ。
「俺はおまえみたいなブスに用はないんだよ。それよりユキ、ちょっとこっちこいや」
 僕はどうしていいかわからず、それでもレッドに危害が及ぶことを考えて、やはり大宮に従うことにした。まるでパブロフの犬か何かみたいに。
「ユキ!こんな奴の言うこと、聞くこたぁないよ!」
 教室中が、水を打ったようにしーんと静まり返っていた。ドアの外にも、他のクラスの連中が野次馬として群がっている。その時もし五時間目を告げるチャイムの音が鳴っていなかったとしたら、一体どうなっていたことか。
 教室の前の扉からバッタがいつもの風采の上がらない顔つきで入ってきた時、大宮は自分の席へと黙って戻っていった。最後まで、血走った獣のような眼をして、レッドのことを睨みつけながら。
 僕もまた、大宮の後ろの自分の席に着席し、心臓がドキドキと踊り上がるのを、どうにも止められなかった。
 廊下側の一番後ろの席から、窓際に座るレッドのことをちらと盗み見ると――彼女はいかにも面白くないといった顔つきで頬杖をつき、窓の外の曇り空を睨んでいた。
 小心な僕は、きっとレッドが僕のことを怒っているのだろうと感じた。自分でも確かに、男の腐った奴と言われても仕方ないとは思う。でも僕としてはできれば、これまでどおり適当に大宮の言うなりになりつつ、レッドとも仲良くするというのがベストだったのだ。
 もしどちらかひとりを選べと言われたら――僕にはどうしたらいいのかがわからなかった。もちろん僕が選びたいのは言うまでもなくレッドだ。でも僕が彼女のことを友達としてはっきり選んだとしたら――大宮の奴は一体、僕にどんな刑を執行するつもりだろう?
 その日の放課後、僕は逃げるように教室を飛びだした。そして豪速球並みの勢いで自転車をこぎ、家の近くにある金物屋で刃渡り十センチほどのナイフを購入した。
 確かに大宮の奴は僕にとって、殺しても殺したりないような奴ではある。でも自分があいつを刺殺するところなど、僕にはうまくイメージできなかった。それでも、レッドの言っていた『男子トイレでフェラチオの刑』とか、その類いのことを考えると――護身用にナイフでも持っていないことには、僕には明日から学校へ登校する勇気など、これっぽっちも持てはしなかったのだ。

 もちろん僕は、大宮が自分に対してキモい感情を抱いているとは、少しも思わなかった。ただ可愛さ余って憎さ百倍というか、これまで僕はずっと、確かにある意味奴から特別扱いにされていたから、その反動としてどんな目に合わせられるかということを考えると――ぞっと鳥肌が立った。体育用具室に裸で閉じこめられるとか、あいつやあいつの仲間の目の前でマスターベーションするように命じられるとか、おぞましい想像が幾つも脳裏に浮かんでは消えた。
 あいつには(まさか、そこまではしないだろう)というような限度といったものが一切感じられないのだ。だから怖いのだ。男専用のそういう店に連れていかれてカマを掘られるとか、あるいはあいつの暴走族仲間のマスコットにさせられるとか、その他、ゲロを吐くまで飲酒を強要される、脱法ドラッグを実験動物よろしく何種類も試させられる……などなど、恐ろしい想像が冗談でなく、蛆のように脳味噌にたかるのを感じた。
 なんといっても恐ろしいのは(ハハハ。まさかいくらなんでもそんなこと、あるはずがない)と笑い飛ばすことができないということなのだ。そういう意味で大宮という奴は本当に気味が悪かった。あいつのにきびの多い相撲とりのような顔つきを思い浮かべただけで――吐き気を催しそうになるくらい、本当に僕は心の底からあいつのことが大っ嫌いだった。

 けれどもその後、予想に反して、事態は二週間ほど穏やかな経過を辿った。レッドはどっちつかずの中途半端な僕の態度を、女々しいと責めはしなかったし、「ユキが本当に男子トイレに連れこまれたら困るからね」と言って、相変わらず僕がパブロフの犬状態であっても、別段軽蔑したりもしなかった。
 大宮にとっても、大切なのはあくまでもクラス内における自分の<面子>なのだ。それを潰されない限り、あいつは去勢された雄の虎のように、クラス内では無茶をすることはないだろうと、そんな風に思われた。
 だがやはり大宮にとっては、僕がレッドに引っついているのが、なんとはなしに面白くないのだろう。僕とレッドを引き離しにかかる、という表現はなんともおかしいけれど、他の男子連中に僕と仲良くするように命じたようなのだ。そこで前田や佐竹、久保田なんかがよそよそしく寄ってくるようになったのだが、僕としても彼らとしても、そうした関係を突然にして結ぶというのは、なんとも奇妙なことだった。
 それまでは大宮のせいで仲良くしたくてもできなかったのに、今度は大宮の命令によって仲良くしなくてはならない――そこに本当の意味での友情が生まれるとは、僕にも前田にも、佐竹にも久保田にも思えなかった。ただなんとなく休み時間に一緒にいて、歯車の噛み合わないような会話をし、移動教室の時には一緒に移動するという、それだけの関係だった。そんな四人に共通する思いはただひとつ。
(これも大宮の命令だから、仕方ないよな)
 けれども僕たち男子には仕方なくても、レッドにとってはそうではなかった。彼女は僕たち四人がにわかに仲良くなったのを、どう見ても不自然だと感じたようだ(これは他のどのクラスメイトの目から見てもそうだったと思う)。それに僕としても、彼女が休み時間にひとりでぼんやりしていたり、移動教室の時などにひとりで移動しているのを見るのはつらかった。かといって、佐竹や久保田や前田の元を離れてレッドの元に僕がいったとしたら、彼らは大宮にどやされることになるのだ。おそらくレッドはそこの微妙なところを見抜いて、大宮に直談判を試みたのだと思う。
「ちょっと待ちなよ、あんた」
 放課後、いつものように僕に掃除当番を押しつけた大宮が、教室をでていこうとしたところを、レッドが箒の柄で呼びとめた。
「なんだ、このアマ」
 肩にかかる箒の棒を、バシッ!と大宮がへし折らんばかりの勢いで床に叩きつける。
「女だと思って下手にでてればいい気になりやがって。いいかげんにしろよ、何様だと思ってんだ、テメェは!」
 クラスの全員が凍りつく中、レッドひとりだけが冷静だった。
「何様とは御挨拶だね。あたしが一体あんたに何をしたってんだい、このスットコドッコイ!あたしは前にあんたに一度言っといたはずだよ。あたしのダチをこき使うなってね。一度くらい、自分の使ってる教室を掃除したって罰は当たらないだろうよ。みんなそう思ってるけど、あんたが怖くて口にだせないっていうそれだけなんだ。このクラスにあんたみたいのさえいなければ、みんなどんなにせいせいするか……いっぺんくらい、考えたことあんのかい!」
 次の瞬間、大宮の顔はみるみる赤くなっていった。目が血走り、切れる寸前の物凄い形相になっている。
 しかもレッドは、先手必勝とばかり、バケツの水をザバアッ!と奴の頭の上からぶっかけていた。
「少し、頭でも冷やして考えるんだね!」
 カラン、とどこか乾いた音を立てて、アルミのバケツが床に転がる。大宮は黙ったままだった。いつもムースで逆立てている髪が垂れ下がり、その表情を見えなくさせている。
「……今に覚えとけよ」
 低く押し殺した声でそう言い残し、大宮は二年F組の教室から去っていった。その場にいたみんなは、暫くの間は信じられないという顔をして、互いに顔を見合わせている。それでも、本当にもう大宮が戻ってこないということを前田が廊下にでて確認すると、ワッ!と快哉を叫んだ。
「これは凄いですよ!姉御」
 佐竹が膝をついてレッドのことを伏し拝む。すると、他に武藤や新沢なども、次々に彼女の足元に平伏していった。
「やめなよ、気持ち悪い。それでも男かい、あんたたち」
 女子たちの数人もレッドのことをとり囲んで、「ばんざあい!」と喜んでいる。
「これであいつもきっと、暫くの間は大人しくなるよ」
「あー、なんかもうスッキリしちゃった。三日くらい溜ってた宿便が、一気にでてきたみたいな感じ」
「ばあか。あいつのはたったの三日どころじゃないよ」
 みんながやったやったと笑いあう中、ふとレッドと僕の視線が結び合わさった。僕は床にこぼれた水を雑巾で拭い、バケツの中でそれを絞っているところだった。
 どことなく不器用に僕は彼女に微笑みかけたけど、レッドは険しい表情をしてバケツを蹴っ飛ばすと、そのまま教室をでていった。みんなはきっと彼女は照れ隠しのためにそんなことをしたんじゃないかって言ったけど、僕には本当はわかっていた。レッドはとうとう僕に愛想を尽かしたのだ、ということが。

 この時のことを思うと僕は、今でもああすることしかできなかったのかと、悔恨の思いに苛まれる。その後、僕は卒業するまで詰襟の内ポケットに折畳み式のナイフを忍ばせて通い続けたけど、それで大宮の奴のことを滅多刺しにするようなことはなかった。
 確かに僕はあいつのことが怖かった。毎日犬のように飼い馴らされているうちに、逆らおうとする意欲さえ麻痺していたし、それ以前にその前まで心の中に貯えられていた勇気という勇気が、枯渇してしまってもいた。
 でも僕はこの時にでも、廊下を去っていく大宮のあとを追いかけて、あいつのことをナイフで滅多刺しにしてやるべきだったのだ。いやそれ以前に、レッドという大切な友人を失う前に、せめて彼女の前で一度だけでも男らしいところを見せておくべきだった。そして報復としてもし、大宮が僕のことを男子便所に連れこんだとしたら――その時は、あいつのペニスをナイフで切りとってやればよかったのだ。

 その次の日、大宮もレッドも学校へは顔を見せなかった。みんなはこれをただの偶然の一致と考え、僕もまたそのように思っていた。大宮は面子を潰されたきのうの今日だったし、レッドもなんとなくみんなから英雄扱いにされるのが気恥かしいのだろうと。
 大宮のいない二年F組は、和気あいあいとして、本当に眩しいくらい明るかった。もともと大宮と柄の悪い連中を一緒にさせないよう編成されたクラスでもあったので、あいつさえいなければ、他の生徒はみな、どちらかといえば真面目で大人しい傾向が強かった。特に男子はオタクっぽい感じの連中が半数を占めていたので、佐竹や前田、久保田らと、僕は漫画やゲームの話をして盛り上がったりした。そうなのだ。あいつの監視の目さえなければ、僕は彼らといくらでも仲良くすることができた。しかし、そのような楽しい日々も、ほんの十日ばかりしか続かなかった。いや、実質的にはもっと短く、それは三日天下のようなものだった。いつまでたってもレッドと大宮が一緒に休み続けているので、流石にクラスの連中も、これはただごとではないと思いはじめるようになったのだ。
 そしてみながみな、大宮のレッドに対する復讐を危惧する中、その新聞記事はでた。札幌市の婦女暴行犯逮捕、という大きな記事が。

[十月三十一日深夜にさらわれた同市内の高校に通う十七歳の女子高生が、三日後にススキノの路地裏で全裸で発見された事件で、三人の容疑者が逮捕された。三人は元暴力団の幹部で、無職の……]

 そこまで新聞の記事を読んだ時、僕はぐしゃりとその日の朝刊を握り潰した。学校の教室でのことだった。佐藤も坂下も宮園も泣いており、他の女子たちもみな、泣いているか沈痛な面差しをしているかのいずれかだった。
「ユキちゃんも、お見舞いにいく?」
 そう佐藤に言われて、僕は一応病院の名前を聞いたけど、小暮先生から「今は男子はいかないほうがいいだろう」と止められた。でも僕はもしかしたら、バッタにそう言われなくても、レッドのことを見舞いにはいかなかったかもしれなかった。理由はふたつある。ひとつ目は、大宮のことを殺しでもしない限り、合わせる顔がないこと。ふたつ目は、誇り高い彼女が、僕に同情の目で見られたりしたくないだろうと思ったことだ。もちろん、大宮が元暴力団幹部の連中に金を掴ませて犯行を行わせたという証拠はない。またその元暴力団の幹部と組員という四十代と三十代の男は、大宮組に所属していたというわけでもないようだった。けれども体育の沖先生が何者かに闇打ちにあった時――みながみな、大宮のことを心の中で疑ったように、今回も誰もが奴が犯人だと信じて疑わなかった。でも口にはださない。女子の誰かがそう言い募ったとしたら、レッドと同じような目にあうかもしれないし、男子についていえば、その場で鼻の骨が折れるか顎の骨が割れるかするまで、殴られ続けたことだろう。

 その後、大宮は何食わぬ顔をして登校しはじめ、二年F組には以前と同じ、絶望的な空気が漂うようになった。このころ、僕は本当に大宮のことを刺し殺してやろうと思い、いつどこでどうやってやるかについて、頭の中で算段していた。たぶん僕は心の中で――他のみんなもそうだったに違いないが――奴のことを百回以上は刺殺している。でもやはり実行に移すことはできなかった。少年院送りになるのが怖いから、というよりも、僕はとにかくあいつに「嫌だ」と言うことができなかったからだ。実際に犯行に及ぶ前に僕がすべきことは、あいつにはっきりと「嫌だ」と意思表示することだった。そしてそうすることがもしできたとしたら――あいつを殺害するまでもないのだ。あんなゲテモノのような男、殺すほどの価値もないと、哄笑できただろう。滅茶苦茶にぶん殴られ、正気を失ったそのあとで。

 その後、高校を卒業するまでの間に、これといって特筆すべきようなことは何もない。レッドは二度と高校に顔を見せることなく中退したし、大宮は大宮で相変わらずだった。クラスの男子たちはみなパブロフの犬だったし、女子たちはそういう男子たちの不甲斐なさを嘆きつつも、また同時にそれはどうしようもないことだとわかっているため、とにかく誰のことをも責めなかった。時々、レッドがかつてよく言っていたように、「あんたも男でしょ。しっかりしなさいよ!」と喝を入れる以外は。
 正直なところ、レッドの事件があって以来、僕は何度も学校をやめたいと考えた。でも激しい幾重もの層をなす葛藤の中で、僕は胃が痛くなるのを堪えつつ、学校へ通い続けた。何故かといえば、そうする以外に――自分がもっとも嫌だと思う道を選び続ける以外に――レッドに対して償えることは他に何もないのだと、そう思っていたからだ。  



第4章

 高校での三年間は、僕の人間性や魂といったものをすっかり駄目にしてしまった。おそらく似たような経験をしたことがある人にならわかるだろうけど、大切な思春期に三年間も刑務所にぶちこまれていたようなものだ。そして毎日不安と緊張と胃の痛みに耐えつつ、最後に僕が勝ちとったものといえば――それはただ<虚無>の二文字に過ぎなかった。あの三年を耐えたことによって忍耐力や我慢強さ・持久力・根性といったものが身についたかといえば決してそうではなく、むしろその逆だった。
 高校を卒業後、僕はアルバイトを転々とした。最初は正社員の仕事を探していたのだけれど、面接は受けても受けてもとにかく落ちまくった。もちろんそれは就職氷河期と言われて久しかったせいもあるだろうけど――何もそればかりではない。僕は自分に自信がない、ビクビクオドオドした態度をうまく隠しとおすことができなかった。それにあの高校生活の三年は、対人恐怖という負の遺産を僕に残しており、その後どのアルバイトをしても長続きはしなかった。
 コンビニやハンバーガーショップの店員、家電売場の店員、警備員、携帯電話のキャッチセールス、ビラ配りに水産加工員……僕は十八歳から二十三歳までの約五年、数えきれないほど多くの職業に就いた。
 本当は手に職をつけるのが一番よかったのかもしれないけど、僕は中学卒業時に考えていたタイル職人や大工、左官屋や塗装工の見習いといった職業につくことはもう無理ではないかと諦めていた。何故かといえば、ああした現場には大宮Ⅱ世とか大宮Ⅲ世といった雰囲気の職人が、多数いるように思えて仕方なかったからだ。もちろんそれは僕の独断と偏見、ただの被害妄想的な決めつけであったかもしれない。でも警備員のアルバイトをしていた時に、建設現場などで僕はあいつと極めて似たタイプの人間を多く目撃していた。母などは「結局のところユキオは、中学を卒業してすぐ働きはじめても駄目だったに違いない」というようなことを遠回しに言ったけど――僕は、すべてはあの三年がいけなかったのだということを知っている。高校の時に大宮なんていう奴と知りあいさえしなければ、僕は昔優等生だったように、今ごろどこかひとつの職場に腰を据えていたに違いないと、そんなふうに思うのだ。

 母の神谷朝子はしょっちゅう僕が転職ばかりするので、「ユキオの人生はもうおしまいだ」というようにさえ感じていたらしい――僕が二十歳になる頃には。また彼女の悩みの種は僕ばかりではなく、父のこともそうだった。父は以前として川部夏代と愛人関係を結んでいるらしく、やれ接待だなんだといっては、帰ってくるのが二時過ぎだった。
 一度など、母は脇の下に口紅のべったりとついた父のワイシャツを廊下に放りだし、「出掛けるのなら、ついでにそれをクリーニングにだしておいてちょうだい」 と、玄関でスニーカーを履いていた僕に言い放ったことさえあった。ようするに多分それは、こういうことだったのだろう。あたしだってのほほんと専業主婦しているわけじゃなく、そういう悩みだってあるのだから、あんたももうちょっとしっかりしてちょうだいと、そう母は間接的に言いたかったのだと思う。
 僕は父のストライプのワイシャツを手にとると、本屋にいく途中にある、クリーニング店にそれを出すことにした。そして道々こう考えた――一体どのような行為をすれば、ワイシャツの内側、その脇の下あたりに口紅がつくのだろう。もしかしたらそれはこういうことではないのか?愛人である川部夏代が、本妻である母に、「奥さん、あなたの旦那さんは浮気してますよ」とメッセージを送ってきたということなのではないだろうか?「もうそろそろいい加減、別れてください」と。
 父は一体どういう神経をしているのかまったくわからないが、とにかく浮気疑惑が浮上するたびに、「そんな事実はない」と知らぬ存ぜぬでしらを切り通していた。
 長男の僕としても「いいかげん、ネタは上がってるんだぜ、旦那」と十手で頬をペタペタやってやりたいような気持ちになることもあったけど、それはやはり夫婦間の問題であり、子供の僕がとやこう口を出すべきことではなかった。
 父は父、母は母、僕は僕なのだと思っていた――まだその頃は。

 僕がひとつの職場で長く勤められない理由は、人に説明するのがやや困難だった。高校の三年ですっかり対人恐怖に陥ったということももちろんあるのだけれど――僕の対人恐怖の現れ方は、微妙に奇妙だった。
 たとえば僕は二十三歳になるまでの間に、コンビニ、ハンバーガーショップ、本屋、家電製品店などで接客のアルバイトをしたことがあるのだけれど、そもそも対人恐怖症の人間が<接客>という職種を選ぶこと自体がおかしいのではないかと思う人があるに違いない。それはつまりこういうことだった――高校を卒業後、僕はなんとか<以前の自分>に戻りたいように考えていた。小・中学生の時、毎日学校へ通うのが当たり前であり、普通であったあの頃に帰りたいと、そう切望していた。でも何故かはわからないけれど、それはもはやできないことだった。
 毎日僕はアルバイト先に通うのが苦痛であり、高校の時にもそうだったように、条件反射的に胃がきりきりと痛んだ。心の不安が胃の痛みという症状として現れる――僕はそんなふうに自己分析していたけど、その不安の元を解消するにはどうしたらいいのかということがわからなかった。十八~二十三歳頃の僕の対人恐怖は、症状としてはそれほど重くなく、僕自身も軽いうちにこれを乗り越えなくてはと思い、一生懸命働こうとした。けれども問題は<客>ではなく、常に職場内での人間関係が問題となるのだった。
 もしコンビニや本屋、ハンバーガーショップなどに大宮みたいな連中がやってきたとしよう。でも僕は全然平気だった。何故なら店にはそういう客に対するための<マニュアル>があるからだ。そこでとにかくひたすらペコペコ頭を下げ、しおらしい顔をしていればいいのだから、簡単なものだ。ここらへん、あの三年で負け犬根性が染みこんでいる僕は、実に平気だった。むしろそうした腰の低い卑屈な対応こそ、僕の得意とするところだったといってもいい。しかし客の去っていった店内における人間関係に、マニュアルなどというものは存在しない。<接客>という仕事面においては、僕は実に明朗快活だった。けれども、客のいなくなったあと、隣にいる自分の同僚や上司に、どんなことを話したらいいのかがさっぱりわからなかった。もちろん何かかにか仕事をしている時はいい。でも昼休みともなると、共通の話題を口にのせるのに、とても苦労した。みんなが何人かで和気あいあいと盛り上がっていても、間に入っていくということがどうしてもできなかった。時々話を振られても、「ああ、うん」とか、何かそんな感じで終わってしまい、言葉が続けてでてこなかった。
<ある種の、言語能力の喪失>――それをどうやって克服したらいいのかが、僕にはさっぱりわからなかった。考えてみればあの三年、僕は自分の意見を言ったことなど、ほとんどなかったと思う。「ユキちゃん」と親しげに接してくれた女子たちにも<何か用事>があった時しか、自分から話しかけたことはない。大宮を怖れていた男子たちにも同様だった。その中で唯一レッドだけは別だったけど、それもほんの短い間のことだった。
 そんな僕が唯一自分の本音を吐露することができるもの――それがインターネットのホームページだった。HPの名前は『太陽と負け犬』。僕は中学二年生くらいの頃から小説を書きはじめており、二十三歳になる頃には、その作品数は二十を越えていた。HPの画面の太陽をクリックするとそれらの小説のリストがずらりと表れ、汗をかいた情けない雑種犬をクリックすると、『負け犬日記』という僕の日々の愚痴を書き綴ったものが表示されるようになっている。

 七月七日
 またしてもバイトを辞めてしまった。前にも書いたけど、今回もまた人間関係がうまくいかなかったためだ。いや、<うまくいかない>という言い方はおかしいかもしれない。僕にあるのはただ<自分がそこにいてはいけないのではないか>という強迫観念だけだ。
 そして今回もまた、その強迫観念に負けてしまったというわけだ。とりあえず、何週間か自分のことを休ませてあげたいと思う。そして小説を一本書き上げてから、再び職探しをすることにしよう……。

 こうした僕のつまらない愚痴日記に対して、「その気持ち、わかる」という人がメールをくれることもあれば、「甘ったれるな」と叱責する人が現れることもある。僕の小説や日記を読んでくれる人は、当時そんなに多くはなく、小説の新作を発表するたびにすぐ返事をくれる人は四、五人程度だった。愚痴日記にリアクションをくれるのは一日に多くて二、三人程度。誰からもなんの返事もこないということもよくあった。
 そしてその中で、僕の小説をすべて読み、日記も毎日読んで返事をくれるようになっていた女の子と――僕は直接会ってデートをすることになった。彼女の名前は松林陽子さんといって、札幌の某デパートの化粧品売場で働いているとのことだった。
 正直いって、僕にとってそれは初めてのデートだった。二十三歳にして、生まれて初めてのデート。しかも彼女は僕の小説をすべて読んでくれていて、日記の愚痴にもいつも共感的な返事をくれることが多かった。
 恥かしい話だけれど、僕は自分がその子と結婚することになるかもしれないと、会ってもみないうちから想像していた。彼女のメールは語調がいつも柔らかく、いかにも優しそうな感じのする人柄がよく表れていた。きっとこの娘なら自分のことをわかってくれるに違いないと、僕はそんなふうに思いながら、人生最大の勇気を持って松林陽子さんに会いにいくことにした。

 待ち合わせ場所は、街中にある彼女の勤めるデパートだった。事前に互いの顔写真を送りあってはいたものの(松林さんは化粧品売場に勤めているだけあって、とても可愛かった)、それだけではわからないかもしれないから、何か目印になるものとして、僕はサングラスを、松林さんはヴィトンのモノグラムのバッグを持っているということにした。
 パルコの入口に先に到着したのは僕のほうで、松林さんは待ち合わせの時間より十分くらい遅れてやってきた。彼女は僕と同じ二十三歳ということだったけど、もっととても大人びて見えた。メイク術を完璧にマスターしたようなナチュラルな化粧に、薄茶のショートカット。小柄で背があまり高くない彼女は、中ヒールのパンプスを履いていた。服はバーバリーのワンピース。
 それに引き換え、僕はジーンズに宇宙人が円盤に乗っているプリントのTシャツという、実に冴えない格好だった。八月の炎天下、スーツを着るのは暑苦しいと思ったし、それならいつもの普段どおりの自分を見せたほうがいいような気がしたのだ。
 松林さんはそんな僕の気後れを察知したのか、「思ったとおりの人」だと、会った瞬間から何度となく称賛してくれた(本心かどうかはわからないけど)。そして僕たちは初対面であるにも関わらず腕を組んで歩き、映画を観て、それから食事をした。彼女はとても人懐っこくて、決して人のことを批判することもなく、僕が自分の書いているものの欠点はここだと思うという話をしても、「そんなことないわ」と否定するばかりだった。
「ユキオさんの書いてる小説、わたしとても好きだわ。人生に対する深い省察があって、ユーモアセンスが光ってて、最後は必ずハッピーエンドなの。この人はきっといつかプロの作家になるだろうって、わたし本気でそう思ってるのよ」
 松林さんがあんまり僕の書くもののことと、僕自身のこととを褒めちぎるので、僕は穴があったら入りたい思いを、デパートのレストランで味わっていた。
 でも結局この日、僕はあるふたつの点において、彼女に対して大きな失望を味わうことになった。ひとつ目は彼女が「どんなにひどいことがあっても、人の本質は善なのだと思う」と言ったこと。ふたつ目が「あまりそういう経験ないんでしょう?」と言って、僕のことをホテルへ誘ったことだ。
 今でも時々僕は、あの時彼女に誘われるがまま、黙ってススキノのラブホテル街へ入っていればよかったのかもしれないと、悔やむことがある。たぶん、その前に彼女が<善>なんていうくだらない話を持ちださなければ、すっかり彼女に夢中になっていたかもしれない。でも結局僕は「また今度」なんていう間の抜けた返事をして、松林さんの前から走って逃げることしかできなかった。
 真っ昼間からホテルに誘うなんて――それも女のほうから――という気持ちが少しと、彼女と自分の物の考え方があまりに違いすぎることに対して、それをどう修正して説明すべきなのかが、僕にはさっぱりわからなかった。そんなことはやってから考えればよかったのかもしれないけど、僕はどうしても松林さんの<善>というものに対する考え方が受け容れられなかった。つまりそれはイコール彼女という存在のすべてを受け容れられないということだった。
 きっと松林さんは知らないのだろう。僕たちの身近にいつでも<おぞましい悪>というものは存在しており、彼女の言う薄っぺらな<善>が剥がれ落ちた時、それがどれほどの勢いで表出してくるか、なんていうことは。

 松林さんからは、それから二通の心のこもったメールが届いた。
「真っ昼間からホテルに誘うだなんて、最初からそのつもりだったのかと思われるかもしれません。でもそうではなくて、ユキオさんがあまりにも思ったとおりの人だったから……」というような内容のものが一通と、「もし気に障ったところがあったら、はっきり言ってください。これから自分の性格を直すための参考にしたいので」
という内容のメールが一通。
 僕は松林さんに、あなたは自分には勿体なさすぎる人だと思う、だから他の人を探してくださいというようなメールを一通送信した。それからあなたの性格に直すべき点を僕はひとつも見つけはしなかった、というメールも、その次の日に送った。
 たぶん僕が思うに、松林さんはとても<いい人>過ぎるという点が、もしかしたら唯一の欠点だったのかもしれないと、そんなふうに感じる。僕のことをホテルに誘ったのも、言ってみれば<善意>からだったのだろう。そしてそういう善意にあふれた人を自分が傷つけてしまったということに対して、僕は深い失望感を自分自身に感じた。考えてみれば、高校時代以来、僕はそうした心優しき人々の善意を裏切り続けてきた。女子たちが「ユキちゃん」と親しげに近づいてきてくれても、僕は大宮のことが怖くて、彼女たちと<本気で話す・素の自分をさらけだして話す>ということがほとんどできなかった。同じクラスの男子連中対してもそうだ。こちらは確かにお互いさまという面があったに違いないけど、レッドに対して僕は……彼女の示してくれた<善意>に何故応えられなかったのかと、今でも気分がひどく落ちこんだ時などに、涙を流しながら悔やむことがあった。

<他人の善意に応えられない病>――そんな奇病がこの世にあるとは僕にも思えないけど、社会人になってからも僕は、その病気に患わされ続けていた。
 結局のところ、僕が職を転々とし続けているのは、その精神的な病いのせいといっても過言ではなかった。これは僕の気のせいではなく、大抵の職場で僕の受けは非常に良かった。ただし、それは最初のうちだけ、という期間限定付きではあったけど。そういうのって結構、すぐにパッとわかるものだ。
「あ、いい感じの人が入ってきたな」という印象を大抵の人が僕から受けるらしいのだが、その後はサッパリというか、自分が思っていた人とは違うみたい、というような流れになってしまうことが多い。それは何故か?僕がプライヴェートなおしゃべりといったものを極端に敬遠するからだ。いや、話したいけどどういうふうに話したらいいのかがわからないと言ったほうが正しいかもしれない。
「あの人って、仕事の話はするけど、それ以外ではほとんど何もしゃべらないよね」とか、「あいつ、ちょっと変わってるよな。客には愛想いいけど、俺たちとはあんましゃべんないじゃん」とか、「この間、話しかけたら無視されちゃってさー」 というような感じに、そのうちだんだんなってくる。もちろんそのくらい耐えろと言われればまったくそのとおりなのだが、だんだん居づらくなってくるというのが、僕にとってはどうにも耐えがたく、苦痛なのだ。
 人から何かを聞かれても、僕は必要最低限のことしか答えられいことが多い。そうすると向こうもだんだん「ああ、そうデスカ」という感じになってくる。もしかしたら僕だって逆の立場だったとしたら、誰かに対してそういう態度をとったかもしれない。
 そして僕はとうとう――二十四歳になる誕生日の直前から、家に引きこもりがちになった。

 といっても、僕の場合はいわゆる完全な<引きこもり>というのとは事情が微妙に違った。図書館や本屋など、出掛けたいところがあれば出掛けたし、それまで色々なバイトで稼いだお金は浪費せずに貯蓄してあったから、そのお金を少しずつ削りつつ家に篭城していたとでもいおうか。
 ただし、いつもはバイトを辞めても三か月もすれば働きにいく僕がいつまでも何もしないのを見て、母さんは非常に機嫌を悪くした。僕が二十四歳から二十六歳になるくらいまで、神谷家は実に荒れていた。父さんと母さんの間の仲はとり返しのつかないほど冷えきっていたし、僕は僕で一日中家にいることがほとんどで、母さんにとって唯一まともだったのは、弟の章一郎だけだっただろう。
 弟は高校を卒業すると、私立の薬科大に入学し、それと同時に家を出ていた。章一郎は私立でなくても、もっと他にハイランクの大学を目指せたはずなのに、何故か「絶対にその大学がいい」と言って譲らなかった――父さんも母さんも知らないだろうけど、僕は何故彼がその大学に固執したのかを知っている。それは早くこの家を出ていきたかったからに他ならない。
 考えてみると、神谷家はもともと間違った場所に立脚している家だった。父さんはたぶん、愛人の川部夏代さんという人ともともとは結婚したかったのだろう。詳しい事情はよくわからないけど、それが何かの間違いによって母さんとお見合いして結婚することになった。そこで父さん自身、自分が間違ったことをしているとわかっていながら、「もしも俺が夏代と結婚していたら……」という夢を捨て切れないでいるのかもしれない。
 もちろんそんな男の身勝手としか言いようのないとばっちりを食った母さんは、不幸としか言いようがないだろう。そして僕と弟の章一郎も、少なからずその不幸を一緒に背負うことになった。
 父さんは、母さんに対して冷たいだけでなく、僕たちふたりの子供に対しても、必要最低限の愛情しか与えてはくれなかった。言ってみればまあ「必要最低限でも与えてやっただけましだと思え。世の中には親に虐待されてる子供だっているんだぞ」というわけである。でも子供としての僕の言い分はこうだ。
「必要最低限の愛情なら、いっそのこと与えられないほうがましだったのに」
 おそらく、多くの人が何をもって<必要最低限>というのかがわからないと思うので、少し説明したいと思う。僕の父である神谷裕一郎は、僕や章一郎が小さな頃から、どことなくよそよそしかった。うまく説明できないけど、愛情表現が不器用とかそういうことではなく、とにかく他人の子供に対するように<よそよそしい>のだ。
 たとえば小学生の時の運動会にしたってそうだ。父はどこか義理で出席しているといったような感じで、僕が駆けっこで一等賞をとっても、少しも嬉しそうではなかった。僕の成績が常にあまり良くなくても怒るでもなく、章一郎がどんなにいい成績をとっても、型どおりに褒めるだけだった。
 ここのところはもしかしたら、僕よりも章一郎のほうがよくわかっていたかもしれない。少し意地悪な見方かもしれないけど、父さんは章一郎が何度入院しても、一月に一度、病室に顔を見せればいいほうだった。もちろん彼も「お父さんは仕事が忙しいから」という母の言葉を信じてはいただろう。でも僕は――もし章一郎が喘息で亡くなったとしても、父さんは果たして泣いただろうかと、不思議に感じることがある。いや、世間体を憚って、泣くふりくらいはしたに違いない。でも本当に魂が張り裂けるほど悲しいと思ったかどうか……僕はいまだに疑問に思う。

 父が浮気をやめず、僕が一日中家にいるという異常な中で、母のストレスとイライラ感は頂点にまで募っていった。かといって、見栄っぱりの彼女は友達や親戚などにそうした家族の悩みを打ち明けたりはできなかっただろう。となると当然、一番当たりやすいのは僕ということになる。
「あんたは、これから一体どうしたいの」
 母は何度も繰り返し、僕にそう訊いた。そして僕の答えはいつも同じだった。
「貯金のあるうちは家にいるけど、必ず働きにでるから心配しなくていいよ」
 それでも母にしてみれば心配だったのだろう。クレーン教習所に通ってみてはどうかとか、その他トラックの運転免許を取って長距離の運転手になってみてはどうかとか、新聞にその手の公告が載るたびに、それを切り抜いて僕に見せるのだった。
 もちろんこうした母親の行為を鬱陶しいとと感じることも時としてある。でも僕は、その反面母さんのそうした愛情を有難いとも思っていた。時々、父さんのことで嫌なことが重なった時は、ヒステリックに八つあたりしてくることもあったけど、それでも彼女はまだ「話せばわかる」人だった。父さんのように「おまえが働きにでないのは甚だ遺憾だ」というような、他人ごとのような目と態度で接してくるよりは、母さんは百五十倍くらいましだったといえる。
 僕が半引きこもり生活を始めてから部屋で何をしていたかというと、とにかくひたすら小説を書いていた。二十三歳の夏ごろ、『優等生日記』という中編程度の小説を書き上げて以来、何故か次から次へと色々な構想が頭の中に思い浮かぶようになり、もしかしたらこれで食べていけるのではないかというはっきりとした確信が生まれたためだ。それまで僕にとって小説というのは、ただの趣味のようなものだった。これでもし僕が高校生活であのような躓きを経験せず、小・中学生の時の延長線上のような生活を送っていたとしたら――つまり、多くの友達に囲まれて、それほど深い悩みの世界を体験することがなかったとしたら――たぶん、僕は小説など書いていなかったと思う。言ってみれば<小説>というのは僕にとって、自分がこれまでに失ったものの代用品、身代わりのようなものだった。僕の書く小説は大抵、主人公が小さな頃にどのような体験をし、成長して大人になったかというような青春物語が多い。また『優等生日記』のように人生のある時期を切りとったものもあるけれど、基本的に主人公の心の成長や軌跡といったものを追っている場合がほとんどだ。
 僕は小・中学生の時には、これといって大きな悩みのない、人生の黄金時代のような時を過ごした。そして高校生になって、生まれて初めて人生の挫折を経験し、その後負け犬の側の人間として生き続けてきた。だから僕にとっては<勝ち組>の側の人間を描くことも、<負け犬>の側の人間を描くことも、そのどちら側でもない人間を描くことも、実に簡単なことだった。また高校を卒業後は色々な職を転々としたため、人間に対する観察力というか洞察力が鋭くなり、あらゆるタイプの人間を小説中に登場させることが可能ともなっていた。
 そして二十三歳にしてそうした経験のすべてが縦糸と横糸を見事に織りなして、一枚の大きな曼陀羅を描いているように見えたと、まあそんなわけなのだった。

 けれども人生はそんなに甘いものではなく、僕は二年の間小説を書きまくって幾つかの賞に応募してもいたけど、どれも二次止まりだった。つまり普通の人よりはまあちょっと文章が書けるようだけど、プロになるまでには至らない力量というのだろうか。僕はいつも二次止まりだったため、次こそは最終選考に残るのではないかと一生懸命書き続けたけど、二次から最終選考に残るまでの壁は厚く、やがて貯金も底をついて、再び就職活動を再開せざるをえない事態に直面した。
 しかし、ここでひとつ困ったことがある。
 僕は二年も小説に賭けて家に閉じこもっていたため、対人恐怖の症状が以前よりさらに強くなっており、オーロラタウンやポールタウンなどの人混みを歩いているだけでも具合が悪くなるようになっていた。さらに視線恐怖まで発症し、街中を歩く時にはサングラスが欠かせなくなった。
 ――胸の動悸、胃の痛み、軽い吐き気。
 僕はそれらをどうにか克服しようと、以前のように再び、<接客系>の仕事に就くことにした。不特定多数の人間と接触することにより、徐々に体を馴らして、自分の抱える症状を軽くしたいように考えた。
 けれども結果は惨敗。コンビニでは客と金銭の授受をまともに行えず、二日ほどで辞めることになったし、その他デパートの紳士服売場や靴売場などでも同様だった。
(どうやら、これは本当にもう限界らしい)
 そう思った僕は、接客の仕事は一切切り捨て、別の、なるべく人と関わり合わなくてよさそうな仕事を探しはじめた。また長期の雇用は気が重いため、まずは短期の仕事や単発の仕事で心と体を慣らすことにしたのだ。
 警備員、引っ越し作業員、清掃員、交通量の計測係などなど、幾つか短い期間の仕事で体を慣らしてから、最後に配送センター内でのピッキング作業という仕事を見つけた。
 この間、僕は抑鬱状態がひどく、本気で死のうかと思ったこともあったけど――死ぬ、という考えは高校の時以来、親しい友のように僕の脳裏に住みついていたので――神という人はなんとかぎりぎりのところで、僕に生き延びるための道を用意しておいてくれたみたいだった。
 この某コンビニの配送センターでの仕事は、実に僕の性格に合っていた。働く時間は夜の十二時から朝の五時くらいまで。仕分けが終わらない時は七時とか七時半とかになることもある。とにかくパンや惣菜などをピッキングリストというリストを見て、札幌△△店二個、札幌〇〇店三個、札幌□□店五個……というように、滑車のついた五段ほどの篭の中へと次から次へと順番に入れていく。極めて単純な作業ではあるけど、その単純な作業をえんえんと何時間も続けなければならないため、嫌になって辞める人が多いらしい。しかも時間は深夜帯。でも僕がこの仕事をしていて何より嬉しかったのは、なんといっても人間関係が患わしくないということだった。
 大体三十名程度の人間が、永遠に続くとも思われる作業を繰り返していくわけだけど、作業中、ぺらぺらしゃべりながら仕事をする人は少なかった。いてもほんの数人程度だったし、他の人は仕事以外でそれほど雄弁になったりすることはまずあまりなかったと言ってよい。深夜という時間帯にも関わらず、ピッキング作業員の半数以上が女性だった。しかも昼間普通に働いて夜もここへきているというシングルマザーや、夫が借金を残して蒸発したため、子供のために一日十六時間も働いている女性など、色々と事情のある人が多い。また極めて無口で特に何も語りはしないけど、顔を見ただけで「訳あり」といった感じのする人など、一風変わった人が多いという、そんな職場だった。男性は大抵定年退職者や、あるいは若くても僕と同じように<社会不適応者>と顔に書いてある感じの人がほとんどで、僕はここで三年の間、働き続けることになった。 

 

第5章

 そしてなんだかんだと時を過ごすうちに、僕は二十九歳になっていた。来年はとうとう三十歳かと、思わず溜息を着きたくなる年齢だ。友達もなく、ガールフレンドのひとりを持ったというような経験もなく、ただ歳月だけが過ぎたといったような、そんな感じだった。
 とりあえず僕は、社会人としては多分、まあそれなりにまともな部類に属する人間ではあるのだろう。外出時には相変わらずサングラスが手放せなかったけど、仕事中はべつにグラサンがなくてもなんとか働けるし、人混みがつらくて、札幌の中心街なんかは歩けなくなったけど、それでもまあ日常生活に大きな支障があるというわけでもない。むしろそうした小さな不自由によって、僕はより大きな自由の大切さを知ったし、視線恐怖や対人恐怖が100%完璧に治ればよいのに、というようにもあまり思わなくなった。昔は大宮さえいなければ、僕の人生は黄金時代の延長線上にあったかもしれないのに、と喪ったものを嘆いてばかりいたこともある。でも最近では、僕の人生はこれで良かったのではないかと、少しずつそんなふうに受け容れることができるようになっていた。プロになることは諦めたけど、インターネットのホームページには毎日何十人もの人のアクセスがあったし、感想を書きこんでくれる人もたくさんいる。それと負け犬日記は、僕の文章力が少しずつ上がるのと同時に、どうでもいいような日常生活の愚痴が少なくなり、今ではほとんど社説っぽいような論調になっていた。内容は最近起きた事件のことや、読書した本の感想、その他メールをくれた人との意見の交換といったところだろうか。
 そして僕が三十歳になるまであと四か月というある日のこと――メール便で一通の封書が、自宅の玄関先に届いていたのだった。
(――紫雀社?)
 それは『文藝帝国』という文芸雑誌を出版している新進の出版社で、僕はその雑誌を毎月必ず購入していた。何度かここの出版社の設ける文芸賞に応募したこともあるけど、いつも二次止まりだった。しかも今はどこかの出版社に原稿を送っているというわけでもなかったので――ー体なんの用だろうと、僕はその封書の頭のところを、何気なく手で破って開けた。

   神谷 幸男様
 前略、時期ますますご清祥のことと存じます。
 早速ですが、先日作家の長谷川聡先生より、貴殿の本の出版化について、打診がありました。わたしも神谷さまのインターネット小説をお読みしまして、是非出版化を検討させていただきたく、このように御連絡させていただいた次第です。つきましては神谷さまの出版化に対する意志などをお知らせいただければと思います。メール、電話、手紙など、お返事の方法はなんでも構いません。なるべく早く良いお返事をいただけることを、スタッフ一同心よりお待ち致しております。

 敬具

 六月十日
 株式会社 紫雀社
 文芸帝国 編集部 金井美香子

 ――果たして、こんなラッキーなことが、人生には起こり得るものなのだろうか?長谷川聡といえば、佐京宗一郎や東山良一郎と並ぶ人気作家で、僕は彼の書いた小説やエッセイ集、旅行記などを、すべて持っているくらいだった。
「……母さん。紫雀社っていう出版社が、僕の書いた小説を出版したいんだって」
 キッチンで手作りのドーナツを揚げていた母は、何か聞きとれない言語を耳にしたというように、後ろの僕を振り返った。そして言った。
「今日は、エイプリル・フールじゃないわよね?」

 もちろんその手紙は誰かの悪戯というわけでもなく、本物だった。僕は手紙に書かれていた金井さん宛てのメールアドレスに早速連絡し、今の信じられない心境と、出版化に対する感謝の気持ちとを伝えた。そしてメールで何通かやりとりをしたあと――出版契約のことなどについて――金井さんと直接電話で話をし、色々と細かい点を詰めるためにも、一度札幌で会うということになった。

「編集者やデザイナーと意見をぶつけあいながら、最高の本にしていきましょう!」
 そう金井さんは言ったけど――僕と同じ年齢の、とてもお洒落な感じのする、綺麗な人だった――僕は本の製作過程のほとんどを、金井さんひとりにまかせきりにしていたので、意見をぶつけあうようなことは一度もなかったと言ってよい。
 もちろんこうしたことは金井さん自身が編集者として実に優秀であったからで、彼女は装丁デザインにしろ何にしろ、僕の書いたものの醸しだす雰囲気といったものをよく把握していた。そんな中で僕が唯一まともに行なったことといえば、最終的な校正作業のみといっても過言ではなかったと思う。
 べつにこれは大宮病の後遺症を患っていたせいで、自分の意見が未だに言えなかったとかそういうわけではなく、その証拠といってはなんだけど、僕の処女小説である『カウンセリング☆クレイジー』は実にイメージどおりの、素晴らしい本になった。

 そして僕の小説があと四か月ほどで出版になると決まったある日のこと、その電話は鳴った。僕が居間で母さんの手作りドーナツを食べながら、初校のゲラ刷りに目を通していた時のことだった。
「ユキオ。前田さんだって」
 ソファーにもたれている僕のところにまで、母さんがコードレスの電話を持ってくる。マエダ?一体どこのマエダだろう思った。
「はい、もしもし」
「俺が誰だかわかる?」
「いえ……」と僕は首を傾げながら言った。まるで聞き覚えのない声だと思った。
「高校の時の同級生の前田だよ。カミヤ、ニュース見た?大宮の奴、とうとう死んだらしいぜ」
 手に持っていたドーナツを、僕は思わず床に落としていた。神経質な母さんがすかさず拾ってたけど、凍りついたように、僕は暫くその場から動けなかった。
「釧路にある春採湖はるとりこっていうところでさ、ひとりでボートに乗ってて転覆したんだって。あいつらしい馬鹿な死に方って言えばそれまでだけど、どうしても誰かにこのこと話したくってさ。俺、あいつが死んでも、ちっとも悲しくなんかないぜ」
 僕も、と言おうとしたけど、まるで喉に何かが詰まってでもいるみたいに声がでない。
「なんでも、事故か自殺かわからないってことだったけど、あいつに限って自殺ってことはないと思うんだよな。まああれから十年も経ってるからさ、その後のあいつの人生がどんなだったかは、類推するしかないわけだけど……どうかした、カミヤ?もしかしてあんまり嬉しくて、声もでないとか?」
「あ、ああ。なんかあんまりびっくりして、にわかには信じがたいっていうか……」
 前田の、教室内ではあまり聞くことのなかった明るい笑い声が響く。
「そうだよなあ。俺も最初は同姓同名の、違う大宮竜二かと思ったもんなあ。でも住所が北広島だったから、まず間違いないと思ってさ。他の連中にも電話して、ちょっと前に確認とったとこ。みんなも言ってたぜ。まず真っ先にカミヤに教えてやりたいよなって」
 そのあと僕は、前田と大宮の悪口をさんざん言い合ったあと、お互いの近況など、軽い世間話をしてから電話を切った。十年も前の話だというにも関わらず、僕たちはあの頃大宮にどんなに苦しめられたかについて、二時間以上も語りあっていた。でも僕は本当は――前田に合わせてあいつのことをクソミソに貶めながらも、こんな話はできればしたくないと心のどこかで思っていた。せっかく人生に光が差してきたと思ったのに、あいつのことなんかを思いだして、そのことを汚されたくないような、複雑な心境だった。

 その数日後、僕はあいつが死んだという道東の地、釧路へと車を走らせていた。もちろんあいつの死の真実を確かめるために、などというわけではない。僕の小説の出版化について、紫雀社に打診してくれた、作家の長谷川聡氏に会いにいくためだ。彼は随分前から僕のホームページのサイトへ遊びにきていて、ATSUSHIという名前(長谷川さんの本名は長谷部敦という)で何度かメールもくれていた。9.11.テロのことやイラク戦争のことなど、僕は彼が作家とは知らずに随分率直な意見を闘わせていた。
 長谷川さんは釧路市の出身で、今現在も釧路に住んでいる。彼は札幌に友人が何人かいるということで、会うのなら自分から札幌に出向こうかと言ってくださっていたが、僕は一度大宮が死んだ春採湖という場所を見てみたいような気がして、事情を説明し、そこで落ち合うということになった。もし道がわからなくなったら、携帯のほうに電話をしてくれれば、とのことだった。
 そこで僕は親父が何故か本を出版する記念にと買ってくれた、ホンダ・アコードに乗って札幌から350kmほど離れた東の地、釧路を目指すことにした。十月の、紅葉がもっとも美しくなる頃、僕は三十歳になろうとしていた。

 実をいうと、僕が本を出版することになったと聞いて、一番喜んだのは母でも弟でもなく父さんだった。それまでは家で顔を合わせてもろくに口も聞かなかったのに、突然雄弁になりだしたのには、母さんも驚いていた。だが事情を聞いてみればなんのことはない、どうやら父さんはつい最近、愛人と関係が切れたらしいのだ。川部夏代さんもいつまでもこんな男と愛人関係をやっていても仕方ないと、とうとう肚を決めたのだろう。あるいは愛想を尽かしたのか、他に男でもできたのか、それは定かではない。
「これからは父さんも、母さんのことを大切にして少し老後のことでも考えようと思ってるんだ。これまで苦労をかけた分、定年後は夫婦で温泉巡りをしたりとか……だからユキオは自分のやりたいことを思いきりやればいいよ。母さんの面倒は、父さんが引き受けるから」
 のわーにを今さら調子のいいことを、と思わなくもないけど、まあこれはこれで結末としては良かったのかな、という気がしなくもない。たぶん僕がこれまでの間に、母さんを養っていけるような収入を得られる仕事に就いていたとしたら――まず間違いなく母さんに離婚を勧めていただろう。でも結局のところそうならなかったのには、きっと深い運命的なレベルでの理由があったのだと思う。父さんが愛人と今この時期に別れることになったのも、何かそうした運命的な力の作用があったような、そんな気がしてならない。それに母さんは離婚だなんて世間体が悪いと考えるような、今時珍しい古風な女性でもあったので、これまで結婚生活の不幸を味わわせられた分、思いっきり父さんから絞りとってやればいいのだ、とも思った。もちろん僕もこれから、少しは親孝行らしいことをできるようになればと、そんなふうに考えてもいるけれど。

 札幌から釧路までは約五時間半程度。途中、高速を使って飛ばせば、三時間半くらいでも行けると聞く。でも僕は日勝峠という峠を越えるのが昔から好きで、あたりの野山の紅葉などをゆっくり観照しながら運転したせいか、釧路に辿り着くまでに六時間近くかかってしまった。宿泊先は釧路川沿いに建っている大きなシティホテルで、釧路リバーサイドホテルというところ。その七階の窓からは、釧路川の河口に夕陽が赤く沈んでいくのが見えた。また北海道の三大名橋と言われる幣舞橋も、どこか情感をたたえて美しかった。漁船が何艘も停泊している港や、夕焼け空をゆくカモメたち……川を挟んだ向こうには、フィッシャーマンズマーフと呼ばれる観光デパートが建っている。夜はこのフィッシャーマンズワーフという建物と幣舞橋とがライトアップされて、とても美しかった。何度か、TVの天気予報などで見たことのある光景だった。
 長谷川さんとの待ち合わせは、明日の午前十一時。
 春採湖という場所が釧路のどこらへんにあるものなのか、もう一度地図でチェックしておく。彼は電話で「遠慮しないで、うちに泊まればいいよ。夫婦ふたりで部屋は余ってるから」と言ってくれたけど、やはりホテルに泊まることにしておいてよかったと思った。六時間近くのドライブで、何故か後頭部のほうが強い熱を持っているのがわかる。
 時々、パソコンに向かいすぎた時などに、目が疲れると出る症状だ。大したことはない。少し目を休ませてやればすぐに回復する。僕はシングルの部屋のベッドにどさりと横になると、サングラスを外してナイトテーブルの上に置いた。ついでに、手早くタイマーを明日の七時半にセットしておく。こういうものの作りは、どこのホテルも似たりよったりだなと、ふと思う。
 やがて僕の意識は混濁し、快い眠りへと落ちていった。夢の中で、『ならくの底におちたふたり』というタイトルの日本映画を見ているという夢を見たけれど、いまひとつよく内容のつかめない映画だった。そして次の日、僕はホテルの一階にある軽食喫茶『そよ風の夢』で、その夢が何を示唆するものだったのかについて、考察した。
『ならくの底』というのがどうも、湖の底を僕に連想させたためだ。といっても、夢の内容は大宮という男の存在とは、まるきり関係がなかったといっていい。僕が夢の中で見たのは、こんな内容の映画だった。

 まず最初に昔の日活映画みたいな雰囲気で、黒のバックに白抜きの文字で『ならくの底におちたふたり』というタイトルが出てくる。どうやら時代背景は平安時代とか、そのへんあたりらしい。上等の着物を着た男と女が平安京のような都を見下ろしている。宙に浮いているところを見るとこのふたり、人間ではないらしい。男は口を開かないが「人心を惑わしてくる」と、心の中で女に言う。女は頷くと、すいっと地上に着地し、男のほうはそのまま空を飛んで、京の都へと入っていく。
 とぼとぼと田舎道を歩く女。あたりの田園風景が透きとおるように美しい。そしてふと目をやると、農家の傍らで子供たちがわらべ歌を歌っている。子供たちは女の存在に気づくと、わらわらと寄ってきた。女があまりにも美しく、その上上等な着物を身に纏っているためだ。女は子供たちと一緒になって遊ぶ。だがあたりは夕焼けの色を次第に濃くし、ひとり、またひとりと子供たちは家へ帰っていく。だが最後に残った男の子供が、女にこう言う。
「オラ、あんたの子供さなりてえだ」
 女は優しげに微笑み、心の中でこう思う。
(ああ、あの人との間に、こんな子供がいたらどんなにいいか……)
「じゃあ明日、この場所でもう一度会いましょう。そうしたら、あたしたちの家へ連れていってあげる」
「本当!?」
 顔を輝かせる、七つくらいの子供。身なりなどから察するに、かなり貧しい暮らしをしている様子。しかもこの女には読心術の心得があり、その子供が親から疎まれているということも、すぐにわかってしまうのだった。
「絶対に、約束だよ!」
 満面の笑顔で駆け去る子供に女は手を振るが、女はあの子供を自分たちの<仲間>にする気はないのだった。
(あの子を自分たちの<仲間>にすることはできない。奈落の底で永遠に生きるということがどんなことか、あの小さな子供にはわからないだろう。そこに落ちれば、永遠に年をとることもなく、お腹をすかせるということもないのだけれど……ああ、でも!それがどんなにひどいことか、あんな小さな子供にはいくら説明したってわからないだろう)
 本当は、女は子供が欲しかった。女はあの男のように人心を惑わせたり、夜な夜な異性をたぶらかすというようなことにはまるで興味がなかった。本当はあの男とふたりで奈落の底で静かに暮らしていたいのだけれど、いかんせん男のほうは京の都という場所が好きで仕方がない。
 女は黄金色の景色の中を、元きた道へと戻っていった。あの子供が明日ここへきても、自分は決してくることはないだろうと、そんなふうに思いながら……。

 ここで場面は不意に、僕の家の居間の中となる。僕はソファーに座ってTVを見ていて、今見た映画についてこんな感想を洩らすのだった。
(映像は圧倒的なまでに美しいけれど、いまひとつよくストーリーのつかめない映画だな)と――。

 窓際の席に腰かけて、通りをゆく車を眺めながら、僕はホットサンドに噛りつき、きのう見た夢のことを不思議に思っていた。夢の中にでてきた女性は、決してレッドに似てはいなかったけど、彼女の着ていた着物が<赤>だったというのが妙に引っ掛かった。だが自分の過去や現在の状況といったものをいくら夢と関連づけて考えようとしてみても、何も重なり合わないのだった。ただひとつ、<罪>という概念を除いては。
 夢の中のあの女性に読心術の心得があったように、あの女性が何を考えているか、どういう女性なのかということが、僕にはよくわかっていた。ただし、僕はあくまでものこの映画の傍観者であって、あの女性に意識が半分乗り移っていたとか、そういうことではない。
 どうも、あのふたりは何か大きな罪を犯して奈落の底に落とされることになったらしい。だが男のほうはその刑罰を<素晴らしい刑罰>だと考えていたようだ。永遠に老いないし、遊んで暮らせると。だが女のほうは奈落の底で暮らして、神さまに毎日祈り、許しを乞うような生活をひっそりと送りたいと心の底では思っているのだった。
 この<罪>の意識――これは、僕がレッドに対してずっと抱き続けていたものだった。普段は忘れたふりをして生きているけれど、僕は彼女のことを忘れたことはなかった。もちろん何かにつけて彼女のことを思いだしたりしていたわけではないけれど――それでも、喉に小骨が引っ掛かっているように、忘れたことはなかったのだ。
 僕は時々、変に抽象的な夢を見ることがあるけれど、大宮の夢だけは何故かこれまで一度も見たことがなかった。おそらくそれは夢でさえも絶対に会いたくない人物が大宮だからだろうと、僕は勝手にそんなふうに思っている。もちろん自分の無意識の領域に属するものをそんなふうにコントロールすることなど、誰にもできはしない。夢の中のあの男は大宮なんかよりも百倍も格好いい美丈夫だったけど、おそらく彼は僕の心の中の大宮的なものの一部なのだろう。どんな罪を犯そうとも許されると、彼はそう信じている。つまりレッドのあの事件は僕が直接引き起こしたわけではないから責任を感じる必要はないと、僕は心のどこかでそんなふうに思っていたのだろう。そしてあの女性はたぶん、僕のレッドに対する罪悪感の象徴なのだ。それから子供が欲しいのにいないということによって、女は自分に罰を加えてもいた。あの七つくらいの男の子を<ならくの世界>の仲間にすることもできるけれども、あえてそうしない――それは、僕がなるべく女性を遠ざけるようにしてこれまで生きてきたことに重なる。僕は今に至るまで、決して女性とまるきり縁がなかったというわけではなかった。むしろ、自分からうまく持っていけば、女性とつきあう機会には何度か恵まれていた。でも意を決してそうすることができない何かが、心の中にいつもあった。それがレッドだった。自分のことが原因でひとりの女性を奈落の底にまで突き落としておきながら、自分だけ幸せになることはできないと――僕はもしかしたら無意識の底で、そんなふうに考えていたのかもしれない。
 ホットサンドにコーヒーという朝食をとりながら、僕はそんなふうにきのう見た夢のことを分析していた。そして思った。札幌へ帰ったらレッドの居所を突きとめて、なんとしても一度彼女に会いにいかなくてはならないと――。

 春採湖という湖には、九時半ごろ到着した。湖を見下ろす丘の上に博物館と青少年科学館とがあり、そこの駐車場に車を停めて、僕は丘を駆け下りると、湖を巡るハイキングコースを少し歩くことにした。
 長谷川さんとはボートが幾艘も繋留してあるボート乗り場で十一時に待ち合わせということになっている。
 僕が一時間半も早くこの湖へやってきたのは、大宮のことを考えるためだった。いや、あいつのことなど本当はこれっぽっちも考えたくはないし、あいつが沈んで死んだという湖に向かって「ざまあみろ!」と叫びたいのが本音だった。でも実際に湖へやってきてみると――あいつは何故こんな場所で死んだのだろうと、不思議になった。周囲4.7キロメートル、面積36.1ヘクタール、水深2.3メートル(最深5.7メートル)……ハイキングコースのあちこちにある掲示板を見上げながら、僕は青く光る湖面を眺めた。そして散策の途中、水際に不気味なくらい大きなコイがいるのを見て、一瞬ギョッとした。他に黒や茶色のガンやカモなどもいて、餌をくれると思っているのかどうか、しきりに僕のほうをじっと見つめていた。遠くから、物凄い勢いでこちらへやってくるカモまでいる。本当はその微笑ましい光景をもう少し眺めていたいような気もしたけど、「エサおくれ」と無言で催促されているような気がして――あんまり期待させては悪いかなと思い、その場をあとにすることにした。
 ドロノキ、オオツリバナ、ミヤママタタビ、エゾニワトコ、エゾスグリ、エゾヤマザクラ……などなど、樹木に時々名前の書かれた板が掛かっているのが見える。自然の豊かないい場所だなと僕は思ったけど、どうもこの湖は特別、釧路の観光名所というような場所柄ではないらしい。どちらかというと、一般市民の憩いの場という色合いのほうが強い場所のようだった。
 あいつがもし、台風が近づいてきている時にサーフィンをしようとして海で溺れ死んだとかそういうことだったら――僕もおそらく納得しただろう。『あいつらしい馬鹿な死に方だ』と。しかしこんな札幌から350kmほども離れた場所で、あいつがひとりでボートに乗る理由というのを、僕はどうしても思いつけなかった。それで一時間半ほどハイキングコースをいったりきたりして鈍く光る湖面を眺めながら、あいつにも何か人生でつらいことがあったのだろうかと、ちらと考えはじめていた。
 でも僕はハイキングコースの途中にいくつかある地蔵の前で膝をついてあいつのために祈ってやろうなどとはこれっぽっちも思わなかったし、あいつの人生があれからどんなだったにせよ、自分には関係のないことと、思考の扉を閉ざすことにした。
 大宮がいなくなった放課後の教室で、よく女子がこう言っていたのを思いだす。あいつが暴走族仲間の単車に乗って騒がしく消えたあと、
「あんな奴、死ねばいいのにね」
 一体何人の女子が窓に向かってそう呟いたことだろう。男子たちは誰かの告げ口が怖いので、あいつが消えたあとでさえ、滅多に悪口というものを言ったことがなかった。
(――あんな奴、死ねばいいのに)
 そうだ。あいつが死んだのは多分、そうした多くの、あいつに迷惑をかけられた人間の呪咀によるものだったのではないか?そう結論づけると、僕は何故か心の中がすっきりとクリーンになっていくのを感じた。あとは魂に刺さった小骨をとり除くため、なんとしてでもレッドのことを探しだして会いにいけばいいと思った。そして土下座して彼女のことを守れなかった不甲斐ない自分のことを許してもらおうと思った。

「やあ、待った?」
 ボート乗り場のそばにあるベンチでぼうっと考えごとをしていると、痩身の、僕と同じくらいの背丈の男性が、昔からの知己に挨拶するように、そう軽く声をかけてきた。
 本に載っている著者近影と同じく、彼はスマートでハンサムだったけれど、実際には写真よりもっと若く見えた。僕と同じ三十歳とはとても思えない。
「いえ、大してそんな待ってません」と僕は嘘をつき、サングラスを外した。僕は大分以前から髪を女のように伸ばしているので、すぐにわかるはずだと彼には言ってあった。
「一応、初めましてかな。まあなんだか変な感じだよね。メールで結構やりとしているせいか、初対面っていう感じもあまりしないし……前からずっと、一度は直接会ってみたいと思ってたんだけど」
「僕もです」
 そう言って僕がベンチから立ち上がると、彼は親しみやすい笑顔で微笑み、ベンチにゆっくり腰かけた。僕も、もう一度<雪印アイス>と背もたれに書かれた、青いベンチに腰を下ろす。
「同級生が、ここで亡くなったんだって?」
 長谷川さんはとても落ち着いた、ゆっくりした口調でそう聞いた。ここを待ち合わせ場所に指定した時、理由については軽く説明してあった。
「はい。メールにも書いたんですけど、僕そいつのことが大っ嫌いだったんです。だからこの場所へきて、一言ざまあみろって言ってやりたくて……もしかしたら長谷川さんは後悔するかもしれないけど。こんな心の狭い奴を自分は作家として推したのかって」
「そんなことは思わないよ」長谷川さんは人好きのする微笑みを浮かべながら言った。「それに作品の質とその作家個人の人柄っていうのはまた別ものだからね。神谷くんも、そういう意味ではちょっとがっかりしたかもな。本に載ってる写真とかは、比較的映りのいいのを使ってるからね」
「そんなことないです。逆にイメージそのものですよ。僕、いつも思ってたんです。長谷川さんは色々な意味でバランスがとれてて羨ましいって。旅行記とかエッセイって、やっぱり人柄が滲みでるものじゃないですか。長谷川さんの本はどの本を読んでも面白いんですよ。僕はわりと、その作家の代表作と呼ばれるものだけ読んで、結構わかったつもりになっちゃう奴なんだけど、長谷川さんの本は全部持ってます」
「ありがとう」

 長谷川さんは、また優しく微笑みながら言った。
「僕も、神谷くんの小説は全部読んでるよ。まさか、こんな形で会うことになるとは思わなかったけど……ただ金井さんに面白いから読んでみてって、神谷くんのホームページのアドレスを教えただけなんだ。そしたら彼女、例のとおりすっかり燃えちゃってね。だから神谷くんは僕に対して恩に切る必要なんか実は全然ないんだよ。実際にはすべて、君の実力なんだから」
「それでも……」と、僕は口ごもるように言った。「やっぱり長谷川さんには感謝してます。なんていうか、僕、急に……長谷川さんが声をかけてくださってから、色々運が上向きになってきたように自分では感じるんです。家族仲もうまくいくようになったし、新品の車を親父に買ってもらったりとか……それに、ずっと憎んでいた奴が死んでくれたり」
 春採湖の藍色の湖面を、じっと睨みつけるようにしながら、僕は言った。本当に、あいつはなんでこんな場所で死んだりしたのだろう?湖面はゆったりと凪いで、人間の側で何もしさえしなければ、これといった害を及ぼさなそうに見えるのに。
「ここの湖って、荒れることがあるんですか?」
 ふと、疑問に思ったことを口にしてみた。長谷川さんは隣で、軽く肩を竦めている。
「さあ、どうかな?僕は生まれた時からこの土地の人間だけど、台風が近づいている時とか、そういう危険な時はボートなんか出さないだろうし……でも、僕の記憶が間違っていなければ、そういう事故はこの湖で何回か起こってるね。大体、忘れたころにそういう事故が起きてると思う。僕が高校生の時も一度、友達の同級生が死んでるよ。そいつの場合はボートの上でふざけてて転覆したらしい。しかも泳げなくて、何人かいた友達のうち、その友達の同級生だけが死んだんだ」
 僕はすぐ目の前の、ボート乗り場の受付の人に、詳しい事の経緯を聞くべきかどうかと迷った。それで、暫く沈黙したままでいると、
「ボートに、一緒に乗ってみるかい?」
 と、長谷川さんが言った。僕は傘のついたボートや、水色のボートの幾艘かに目をやり、そして首を振った。彼とふたりでボートに乗るのが嫌だというわけでも、男ふたりでボートに乗ってホモと間違えられるのが嫌だったというわけでもない。ただ、僕はなんとなく怖かったのだ。ふと広い湖の真ん中あたりでボートを止め、湖面を覗きこんだら、大宮の顔が見えるのではないかと……そしてそのことに驚いた拍子に、ザブンと湖の中へ落っこちるとか、何か不吉なことが起こりそうな気がしてならなかった。触らぬ神――いや、鬼か悪魔――に祟りなし、だ。

 長谷川さんはとても気さくな人で、大上段に勿体ぶったところもなく、メールでのやりとり同様、とても話しやすい人だった。僕たちはそれから場所を移し――春採湖を望むレストランの二階で、小説のことなどを大いに語りあった。そして彼に是非家に泊まっていけと誘われて、緑ケ丘の平屋の彼の自宅に、その日は泊めてもらうことになった。奥さんは図書館の司書をしているということで、毎月最低でも十冊以上は本を読んでいるということだった。そのせいかどうか、日本文学・海外文学問わず、実に本の話でその日の夜は盛り上がった。僕は漫画やゲーム、映画の話などで職場の同僚と盛り上がったことはあっても、小説という分野で誰かとこんなに盛り上がったのは初めてだった。
 ただ、夕食の時に中華なのかフレンチなのかはたまたメキシコ料理なのかいまひとつよくわからない味の、凝った料理をだされてちょっと戸惑ったけど――たぶん味のわかる人にはわかるのだろうと思い、とにかくどれもこれも「美味しいです」と言ってもりもり食べた。
「嬉しいわ、やっぱりわかる人にはわかるのね。うちの主人は味覚オンチなせいか、もっと子供っぽい料理を好むの。カレーライスとか、ハンバーグとか……いつも作り甲斐がなくて困ってるのよ」
 溜息を着いている奥さんに対して、長谷川さんは終始無言だった。僕に対しても「そんなに無理することないよ」と、奥さんが席を立った時などに小声で囁いていたっけ。
「うちのワイフがだすものの中で美味しいのは、唯一食後のコーヒーだけなんだから」と。
 そして長谷川さんの言っていたとおり、食後に夕子さんが入れてくれたエスプレッソコーヒーは、とびきり美味しかったのだった。

 翌日の九時ごろ、僕は長谷川さんの家を出、一路札幌を目指した。朝食は長谷川さんが手ずから作ってくれたのだけれど、彼の作った料理はどれも絶品だった。鮭のムニエルにプレーンオムレツ、タコさんウィンナー、ささみのサラダ……長谷川さんがもし女性だったら、僕は即座に求婚していたに違いないとさえ思った。そして隣で夕子さんが「まあまあ美味しい」というようなことを言っているのを聞いて、僕は誰が味覚オンチなのかを、はっきりと悟ったのだった。
 夕子さんが至極当たり前のように旦那さんの作った朝食を食べて図書館へ出勤するのを見て、僕はとても羨ましいと感じた。それでそう感想を洩らすと長谷川さんは、
「一応、人がいるからね。格好悪いところを見られたくないっていう、ただそれだけさ」
 と、少し照れたように言っていたっけ。
 僕も、落ち着いた家庭人になりたいと願っているけれど――そんな日が果たしていつかやってくるのかどうか、自分でも甚だ疑問だった。




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