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粋な都々逸

 都々逸(どどいつ)とは、江戸末期、都々逸坊扇歌によって大成された定型詩で七・七・七・五の音数律に従ったもの。主として男女の仲の機微を題材としており、色っぽいものが多い。  ところが昨今の都々逸は野暮な内容が多くなったように感じられる。都々逸に関する書籍をみても、心を動かされるような文句が載っていない。そこで私がこれまでに集めた「とっておきの都々逸」を紹介する。本当は教えたくないのだけれども、歳のせいか伝承しなければ絶えてしまうとの想いが強くなったのである。

 

膝枕(ひざまくら)貸してうれしく しびれた足をじっとこらえてのぞく顔 
 いいねぇ、粋だねぇ、ラジオから聞こえる柳や三亀松師匠の名調子にしびれていた小生は中学生であった。
 師匠の「いやぁーん、うっふーん、ばっかぁー」は絶品であった。

 

外は雨 酔いも回ってもうこれからは あなたの度胸を待つばかり 
 謡曲「松風」の松風、村雨の姉妹、溝口健二の映画「雨月物語」の田舎に残してきた女房等々、古来日本女性の美は恋しき人の訪れを待つ風情の中にありました。
 「少しくらいの音は雨が消してくれるのに、えぇ、じれったいねぇ、このひと」と女がつぶやく。

 

お名は申さぬ一座のうちに 命あげたい方がいる 
 都々逸の醍醐味は「あっ」と驚くどんでん返しが待っていることだ。この歌の場合、「命」までを『刺客が「お命頂戴」とでも言うのかいな』と思わせるようなドスの利いた声でうたい、「あげたい方がいる」を一転、ぐっとなまめかしく初々しく締めくくらねばならない。

 

親がすすめる私も惚れる 粋(いき)で律義(りちぎ)なひとはない 
 作家阿川弘之氏令嬢阿川佐和子さんは三十数回お見合いをしたが、ついに理想の伴侶にめぐり合えなかった。その経緯を「お見合い放浪記」に記されている。拝読したが「そりゃあ無理だ」と思ったものだ。見合いで大恋愛できる相手を見つけようというのである。粋な男は見合いなんぞしなくても女には不自由しないし、親が安心して薦める堅実な男は恋愛の対象とはなりにくい野暮天ばかりである。「粋で律儀な男なんざぁ、いるわけないわさ」とこの歌をおしえてやりたいね、まったく。
 
おまはんの心一つでこの剃刀(かみそり)が 喉(のど)へいくやら眉(まゆ)へやら
 諦(あきら)め切れない女の最後の手段はかみそり。
「畜生、死んでやるう、」
「おまえ待ちなよ 短気おこすんじゃあないよ、分かったよ 女房にすりゃあいいんだろ 女房に」
 てな具合に晴れて眉を落としたご新造(若奥様)さんの誕生とあいなる。

 

きれてみやがれただ置くものか 藁(わら)の人形に五寸釘 
冷たくなった男への捨てぜりふ。荒々しい息使いの裏から狂おしい胸のうちが切々と伝わってくる。 しかし私の知人の「恨み言はそれだけか」の名文句にあった日にゃあ、五寸釘も蟷螂の斧(かまきりのおの)と化してしまうのです。
 でもね、近頃の娘ときたひにゃあ、藁人形の意味さえ知りゃしねぇ。困ったもんでがす。しょうがねぇ、うちの娘にも正しい作法を教えてやりましたよ、

『まずは白装束に身を包み、頭に五徳(ごとく:火鉢に据えてヤカンをのせる三本足のついた鉄の輪)を戴いて、馬手(めて・右手)には木槌、弓手(ゆんで・左手)に人形、櫛をしっかとくわえもち、草木も眠る丑三つ時(午前二時すぎ)、所は京都貴船神社、三本ろうそく頼りにて、にっくき敵(かたき)の心の臓へ「死ねや、死ねや」と声はげまして打つは鐵(くろがね)五寸釘、打たれし敵は七転八倒、苦悶のうちに息絶えようぞ、ゆめゆめ疑うことなかれ』とね。
 
間口三寸奥行きゃ四寸 家、蔵、地面を捨てる穴 
 わかっちゃいるけどやめられない、道楽息子なりの心意気と解したい。
 小生が妻帯後、ものした句も御披露する。
「これがまあ ついのすみかか ゆき五寸」

 

いっそ聞こうかいや聞くまいか たたむ羽織に紅のあと 
 江戸時代には満員電車もなければ混み合ったエレベーターもない。口紅がそう簡単につく訳が無いのです。 どう申し開きをするのか、聞いてみたいもの。
   
何処で借りたと心も蛇の目 傘の出どこをきいてみる

柴田錬三郎氏の眠狂四郎シリーズの中で
 「草のよう 傘の出どこを 根堀り葉堀り 鎌をかけては 聞いてみる」
 というのがあった。男は蛇のように、ぬらりくらりと生返事をするしかない。
(注)「蛇の目」とは「じゃのめ傘」のことでの和傘の丸い模様が蛇の目のように見えたことから。

 

一人でさしたる唐傘(からかさ)なれば 肩袖(かたそで)濡れようはずがない 
 女房の観察眼は時として銭形平次や人形佐七の親分にも劣らないことを証明する唄。あなどっちゃあいけませんぜ。
                       
酒も博打(ばくち)も女も知らず 百まで生きてる馬鹿なやつ 
 百歳近くでなくなった森繁久弥氏は「酒、歌、女、我にあり」の極楽トンボ人生。
せめて地獄へでも行ってくれなきゃあ、あまりにも不公平というもんじゃあ、ござんせんか、皆の衆。

 

ぼうふらは 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水飲みのみ浮き沈み 
 森繁久弥氏が勝新太郎に教え、勝が好んで歌ったという。浮き沈みの激しかった勝新の心に強く響いたのだろう。
 勝新太郎は「花の白虎隊」で市川雷蔵とともに華やかにデビューしたが二枚目としては中途半端で、鳴かず飛ばずの時代が長かった。それが「座頭市」という当たり役に出会い一躍人気者に浮き上がったが映画産業の不況、大映の倒産と、また不遇に沈んだ。死んだ時、奥さんの中村玉緒があの世でも不自由しないようにと棺桶に三百万円入れたそうな。豪気だねぇ、泣かせるねぇ。

 

主は二十一わしゃ十九 始終仲良く暮らしたい

 始終と四十を掛けている。初々しい若夫婦、うらやましい。
よく似た、人生の理想を歌った歌詞は以下のとおり
「いつも三月春の頃 お前十八わしゃ二十 使って減らぬ金百両 息子三人皆孝行
死んでも命がありますように」

 

会うた夢みてわろうて覚めて あたり見回し涙ぐむ 

 せつないねぇ 笑わなければ覚めなかったろうに、覚めなければ忘れてたかもしれないのにねぇ

 

白鷺は 小首(こくび)傾(かし)げて二の足踏んで やつれ姿を水鏡

 高知のよさこい節では「白鷺は小首傾げて二の足踏んで一足、一足深くなるよ そーだ、そーだ、まったくだよ」となる。どちらも、恋の重荷を感じさせる名文句である。この歌を知って白鷺を見ると、「恋わずらいをしているのか」とふと思うことがある。

 

夢で見るよじゃ惚れよが足りぬ 真に惚れたら眠られぬ

 謡曲「松風」のなかに、「あとより恋いの攻め来れば」と言う一節があって長い間意味がわからなかったが、
「枕より 脚(あと)より恋の攻め来れば せんかたなみぞ床中におる」
 の一部とわかりようやく納得できた。「頭上からも足先からも恋の思いが攻め来るので。やむを得ず寝床の真ん中に座って眠らないでいる。苦しいことだ。」という意味。げに、恋は曲者。

 

丁とはりんせもし半ならば わしを売りんせ吉原へ

 この歌の作者は男に決まっている。こんなにきっぷのいい女が居る訳ない。あまりにも勝手すぎるのでありえないとは思うが、もしいたら教えておくんなさい。

 

惚れた数から振られた数を 引けば女房が残るだけ

 身につまされるねぇ。大事にしなきゃあと、あらためて思われるのでごぜえます。

 

亭主死んだら教えておくれ 今でも惚れてるこの俺に

ソウラン節に
「わたし恥ずかしおじちゃんにほれた 早くおばちゃんが死ねばよいチョイ」
というのがある。奥方連が聞いたら角か牙がでそうな歌である。

 

会いたく無いわさ ただあのひとの住んでるおうちを見たいだけ

 小浜に出張した折り、聞いた話からつくったもの。男は京都の壬生に住んでいるそうな。
 若狭女の深くてつつましい心根を哀れと思え京男 コラ!

 

夕立恋しやあの南禅寺 山門隠れのあついキス

 小生が学生の頃、ものした歌。事実に基づくものか、はたまた希望的創作か、ご想像にお任せする

 

人に言えない仏があって 秋の彼岸の回り道 
 私の好きな歌で、森繁久弥氏もこの句が好きと見えて著作のあちらこちらに出てくる。
「粋」「侘び」「無常感」など、日本文化の真髄をひとまとめにしている。都都逸の最高傑作に認定する。


チクリと刺す狂歌

 狂歌とは五・七・五・七・七の音で構成し、社会を風刺したり皮肉ったりした短歌のこと。人生の機微に触れた文言が多く、落語の枕でもよく紹介される。私も中学生時にラジオで聞いた落語で覚え始めたものだ。

 

世の中は 左様(さよう)で御座るごもっとも なにと御座るか然(しか)と存ぜず

 出世もしくは処世に役立つ呪文。サラリーマンは勿論、家庭の主婦でも、判断に困ったときこの呪文を唱えれば大抵の場合、無事に過ごすことができる。井上靖氏の随筆の中にも「ごもっとも」と「御覧のとおり」の二語のみで総てを済ませていた重役が実在している話があった。

 

世の中は 金と女が敵(かたき)なり 早く敵にめぐり会いたい

 近頃の男性は「おたく」とか「引きこもり」とか女々しくてこれでは一生敵にめぐり合うことはあるまいと思われるのが多く、誠に嘆かわしい。「それにつけても金の欲しさよ」。

 

世の中は月にむら雲 花に風思うに別れ思わぬに添う 
 ようやくめぐり合っても好いた同士が別れ、好きでもないのに一生添い遂げてしまう。思うように行かないのが人生というもの。お釈迦様も四苦の中に「愛別離苦、怨憎会苦」を挙げておられます。

 

世の中に 寝るほど楽はなかりけり 憂世の馬鹿は起きて働く

 誠にわれわれ憂世の馬鹿は、あくせくと働いております。
 落語の世界でも寝て暮らすことが極楽とみえましてな、
ご隠居「おい、熊五郎。いい若いもんがゴロゴロと寝てばっかりいちゃあ、いけねえよ。ちった   あ働いたらどうだい。いいことあるよ、」
熊五郎「働いたらどんないいことがあるんですかい?」
ご隠居「そりゃ、おめえ、ゆっくり寝て暮らせるよ」
熊五郎「なあんだ、今とかわらねえや。寝てよおっと。」
    お後がよろしいようで。

 

楽しみは 弓手(ゆんで)に女、馬手(めて)に酒 背中に柱 ふところに金

 首尾よく、敵にめぐり合えた幸せな男の姿。これにひきかえ
「馬手(みぎて)に血刀 弓手(ひだりて)に手綱(たづな)馬上(ばじょう)豊かな美少年」     (民謡・田原坂)
 なんざ、気の毒を絵にかいたようなもの。

 

春娘 夏は芸者で秋は後家 冬は女郎で暮れは女房

 季節によって輝きが違う女性を称えた狂歌か?
「春は娘が生き生きと輝いて見え、夏は浴衣姿の芸者衆の粋なこと、秋は後家さんの黒紋付が男心をそそり、冬は女郎の暖かい肌が恋しく、暮れは借金取りを追い払う頼もしい女房」の意味だろうか。

 

世の中は なんのへちまと思えども ぶらりとしては暮らされもせず 
 この歌は、「世間を見下していても働かねば生きては行けないものだ」という意味である。
 私も会社を退職した直後は、「俺は自由だ!」と叫んだものだ。この歌のように「ぶらりとして」暮そうと思ったのである。しかし、家で何もしないで遊んでいるのも苦しいということが、一年もしないうちにわかってきた。全く、貧乏性な性格である。

 

いつまでもあると思うな親と金 無いと思うな運と災難

 姓名判断にこり、他人の運勢を見て回った時があった。その時、わかったことだが悪い事はよくあたり良いことは殆どあたらない。多分、どの人にも悪い事のほうが良い事よりもより多かった、或いは忘れられないからであろう。逆にいえば占いとは「あなたはお金に縁がないでしょう」とか「最近、失恋したでしょう」とか悪い事を言っておけば良く当たるという評判を得ることが出来る。占いなんざ、夢夢信じることなかれ。

 

寝て待てど暮らせどさらに何ごとも無きこそ人の果報なりけれ

 「果報は寝て待て」というのは誤りで、良い事も悪い事も何もない平々凡々たる人生が一番の幸せと言うこと。災難に会った時に初めてこの言葉の意味がわかるのだろう。「無事これ名馬」も同義。 似た言葉に「父死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」がある。年寄りから順番に死んで行くことが人の世の幸せということ。
 さる良家の女性が、これまでの人生が幸せ過ぎて生きているという実感が湧かないと、贅沢な悩みを訴えていた。「ほどほどの不幸」というものが売り出せたなら、苦労を知りたい金持ちが争って買いにくるかもしれない。 


覗きからくり節

 「覗(のぞ)きからくり」とは江戸時代中期に江戸と大阪に始まった見世物の一つ。おおきな箱の前面に複数の覗き穴があり、料金を払って中の絵を見る。箱の横には説明者が立ち、紐を引くことにより次々と絵を変えていく。その時に細い棒で箱を叩きながら歌うのが「覗きからくり節」で、出し物で大評判をとったものが「八百屋お七」だった。
 「八百屋お七」の説明もいりますねぇ。お七は一六八二年、江戸の大火の際、駒込園乗寺に避難したが、そこで寺小姓生田庄之助と恋仲になった。家に戻ってからも忘れられず、再会を願って放火未遂事件を起こし、捕らえられて鈴ヶ森で火あぶりの刑に処せられた。十五歳で火あぶりになったのは江戸時代でも例がない。

 お七が死んでから三年後、井原西鶴がこの事件を「好色五人女」に取り上げてから有名となり、浄瑠璃や歌舞伎の題材として取り上げられた。以下に全文を紹介する。

 

「八百屋お七」        
 その頃本郷二丁目に 名高き八百屋の久兵衛は 普請成就する間 親子三人もろともに 檀那(だんな)寺なる駒込の吉祥院に仮住まい 寺の小姓の吉三(きちざ)さん 学問なされし後ろから 膝でちょっくらついて目で知らせ 「これこれもうし吉三さま 学問やめて聞かしゃんせ もはや普請も成就して わたしゃ本郷へ行くわいな たとえ本郷と駒込と 道はいか程隔てても 言い交わしたる睦事(むつごと)を 死んでも忘れてくだんすな」 

 それより本郷へ立ち帰り 八百屋商売するうちに 可愛い吉三さんに会いたいと 娘心の頑是(がんぜ)なく 炬燵(こたつ)の燠(おき・赤くおこった炭火)を二つ三つ 小袖の小褄(こづま)にちょっと包み 隣知らずも箱梯子(はしご) 一桁(ひとけた)、二桁(ふたけた)登り行き 三桁(みけた)、四桁(よけた)を登りつめ これが地獄の数え下駄(げた) 

 ちょいと曲げてる窓庇(まどひさし) 誰知るまいと思えども 天知る地知る道理にて 釜屋の武兵衛に訴人(そにん)され 是非なく地頭に呼び出され その日のお裁(さば)き極まれば 葦毛(あしげ)のドン畜生(白に茶や黒色の毛が混じった馬)に乗せられて 伝馬町から引き出され 髪を島田に油町(ゆいのちょう) 辛き憂目の塩町を 油屋お染じゃないけれど 久松町をとろとろと お七を見に出し見物は ここやかしこに橘町 富沢町をひき回し 姿やさしき人形町 娑婆(しゃば)と冥土の堺町 さても哀れや不憫やと てんでに涙を葺屋(ふきや)橋 とりわけ嘆くは父爺(おやじ)橋 江戸橋越えて四日市 日本橋へとひきいだし 是非もなか橋京橋を 過ぎれば最早程もなく 田町九町車町 七つ八つ山右に見て 品川表(おもて)を越えるなら ここがおさめの涙橋 鈴ケ森(死刑場)にと着きにける あまた見物おしわけて 久兵衛夫婦は駆け来たり これこれお七これお七、これのうお七という声も 空に知られぬ曇り声 ワッと泣いたる一声が 無情の煙と立ちのぼれば ここが親子の名残なり 哀れやこの世の見納め 見おさめ

 

「八百屋お七(猥歌版)」
(前唄) 
さては一座の皆様方よ ちょいと出ました私は お見かけどおりの悪声で いたって色気もないけれど 八百屋お七の物語 ざーっと語って聞かせましょう それでは一座の皆様方よ ちょいと手拍子願います
(本唄)
 ここは駒込吉祥寺 寺の離れの奥書院 ご書見(しょけん)なされし その後で 膝をポンと打ち目で知らす うらみのこもった まなざしで 吉さんあれして ちょうだいな (ソレソレ)
 八百屋お七のみせさきにゃ お七のすきな夏なすび 元から先まで毛の生えた とうもろこしを売る八百屋 もしも八百屋が焼けたなら いとし恋しの吉さんに また会うこともできようと 女の知恵の浅はかさ 一把(いちわ)のワラに火をつけて ポンと投げたが火事の元 (ソレソレ)
 誰知るまいと思うたに 天知る地知るおのれ知る 二軒どなりのその奥の 裏の甚兵衛さんに見つけられ 訴人せられて召し捕られ 白洲(しらす)のお庭に引き出され 一段高いはお奉行さま 三間下がってお七殿 もみじのような手をついて 申し上げますお奉行様 (ソレソレ)
 私の生まれた年月は 七月七日のひのえうま それにちなんで名はお七 十四と言えば助かるに 十五と言ったばっかりに 助かる命も助からず 百日百夜は牢ずまい 百日百夜があけたなら はだかのお馬に乗せられて なくなく通るは日本橋 (ソレソレ)
 品川女郎衆のいうことにゃ あれが八百屋の色娘 女の私がほれるのに 吉さんほれたは無理は無い (ソレソレ)
 浮世はなれた坊主でも 木魚(もくぎょ)の割れ目で思い出す 浮世はなれた尼さんも バナナむきむき思い出す まして凡夫のわれわれは思い出すのも無理は無い 八百屋お七の物語 これにてこれにて終わります


珍しい歌

「梅干の歌」


二月三月花盛り
鶯鳴いた春の日の
楽しい時も夢のうち
五月六月実がなれば
枝からふるい落とされて
近所の町へ持ち出され
何升何合量(はか)り売り
もとより酸っぱいこのからだ
塩につかってからくなり
紫蘇(しそ)に染まって赤くなり
七月八月暑い頃
三日三晩の土用干し
思えばつらいことばかり
それも世のため人のため
しわはよっても若い気で
小さい君らの仲間入り
運動会にもついていく
ましていくさのその時に
なくてはならないこのわたし


 めったに見たことの無い歌を忘れないように控えておいたもの。 梅干でも歌にできるのかと先人の遊び心に感心した。

 
 「鶯鳴木寒去詩 うぐいすきにないて かんさるのし」

虎龍一蟠知闘将 こりゅうひとたびわだかまって とうしょうをしる
矢張奔馬酔淮南 やをはりうまをはしらせ わいなんによふ
親親良君蒙幾世 しんしんたるりょうくんに いくよかこうむり
雲趨風趨花生嵐 くもはしりかぜはしり はなはあらしにいく
  太宗三年卯月 たいそうさんねんうづき
   二十日之夜 はつかのよ
    王 曹操書  おうそうそうしょ


 江戸時代に作られた和製漢詩。学生の頃、今は廃刊となった文藝春秋社「漫画読本」の編集後記欄に掲載されていた。大学尺八部の有志で発行していた月刊誌「四畳半」で紹介したところ感動の嵐吹き荒れの販売数は三倍増となった。「なぜ?」と思われる方が殆どであろう。全く無理からぬことである。これが読めるほうが不思議と言える代物で、正解は以下のとうり。「おめこのかんざらしこたつでいちばんちとしょうかやっぱりほんまによいわいなおやおやいいきみもういくようんすうふうすうはないきあらしたいそうさねうづきはずかしいよおそそしょ」


誤解している歌

 聞き覚えで歌っている歌詞などには間違いが多い。私は歌が好きだったが、習っていない歌も多く、適当に作詞して歌っていた。そのため、とんでもない誤解をしていたのだが、著名人でも私と同じように適当に作詞して歌っている例を発見しては私だけではないと喜んでいた。

 

君が代は千代に八千代に サザエ石の 庭お隣りで苔のむすまで

 私が小学生の時、国歌は全く意味不明な歌であった。国家斉唱に反対する教師が多く、生徒たちは歌の意味を全く教えられなかった。「さざれ石」が成長して巌(いわお)となるという奇想天外な意味は高校まで判らなかった。そのため小学校でみんなが声を合わせて歌っていると前記のような歌詞におちつき、「日本は庭のつながったお隣同士がコケが生えるまで仲良くする国」であることを喜ぶ歌と思っていた。

 

幹に生えりぬ ゆかしことば   

 中学生の時、選ばれて混成合唱団の一員となった。「オペラ」というあだ名の音大出の女先生が指揮者だった。シューベルトの「菩提樹」が県大会での自由曲だった。先生の指導により「幹に、生(は)えりぬ」と歌っていたが「ことば」がはえるなんて変な歌詞だなと思っていた。十数年後、「幹には、彫(え)りぬ」が正しいとわかり漸く意味が通じた。予選落ちしたのはこの誤りが原因だったのだろうと思っている。

 

今こそわかれ目 いざさらば

 父が北陸の小さな映画館に勤めていたため、私は映画館の中で育ったようなものである。そのため「金の切れ目が縁の切れ目」とか「どうせ半目とでたものを」等々、ろくでもない言葉は良く知っていた。だから、「仰げば尊し」の「わかれ目」とは「丁半、運の分かれ道」のようなものと理解していた。

 

箱根の山は天から剣        (山口瞳氏)

「箱根八里」から。「天下の険」が正解。「有名な険しい道」の意。

 

わらべは見たり 夜中のバラ   (山口瞳氏)

 「野中のバラ」が正解。「夜中」と誤解して納得していた山口少年が恐い。


春高楼の花の宴 眠る盃 影さして・・・・
          ああ荒城の弱の月 
 (向田邦子氏)

「荒城の月」から。「めぐる盃 影さして    夜半の月」が正解。「春、お城では花見の宴会が催された。なみなみと酒が注がれた盃が回され、その中に月の光が差し込んでいる。     ああ荒れ果てた城には真夜中に月ばかりが輝いている。」の意。

 

散るは涙か 旗露か       (金田一春彦氏)

 「大楠公」から。「はた(もしくは)露か」が正解。
 後に国語学の権威となる氏の誤解は、さすがと思わせるものがある。

 

兎(うさぎ)美味(おい)しかの山(唱歌「ふるさと」から)

 食っちまったのかよ! 


夕焼けこやけの赤とんぼ 追われてみたのはいつの日か(童謡「赤とんぼ」から)

 怪獣か、ドラゴンフライは! (負われて、おんぶされて)

 

二つの亀はそれぞれに紐で結んでありました(童謡「月の砂漠」から)

 朝日歌壇で見つけた歌
 「砂漠行く駱駝(らくだ)に結ぶ金銀の亀の運命(さだめ)を泣きし幼な日」 上田由美子さん

 

いい爺さんに連れられていっちゃった(童謡「赤い靴」から)

 異人さん(外国人)という言葉がなくなったからわからないのは無理も無いが。

 

春風そよ吹く空を見れば 夕月かかりて 匂い淡し(唱歌「朧月夜」から)

 多くの人が意味を誤解している歌でもある。ここで「匂い」とは「春風」でも「菜の花」の香りでも無く、「月の光」のことだと言っても信じて貰えるだろうか。



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