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〈1〉火星潜入

 火星は謎の多い星だった。
 地球の知的生命体が破局的な環境破壊の解決策として、宇宙空間へ、そして地球以外の惑星へ進出する最初のターゲットとなり、試金石となったのは火星だった。
 あまりに広大すぎる宇宙において、知的生命体の存在する確率は、昔からかなり低く見積もられているものの、総量的にはかなりの数になるはずだ。
 しかしわたしは、宇宙に進出するための、格好の条件を備えた環境というのは、極めて少ないのではないかと思う。
 地球のすぐ近くに最初の関門としての月があり、原始的な推進機関でも到達可能な距離に、次の目標となる魅力的な火星がある。そういった条件は、まるで誰かの書いたシナリオのようなご都合主義であろう。
 生命が誕生する条件を備えた環境というのは、それほど珍しくない。しかし、安定した環境と、堅実な進化をうながすには理想的な大きさの衛星——月の存在は不可欠だとされている。潮汐力により自転を遅らせ、適度な一日の時間を提供したのは月であり、降りそそぐ隕石から地球を守ってきたのも月なのだ。地球が母なる大地なら、月は母を支えた父ともいうべき存在だ。
 ひとことつけ加えておくが、地球上の生物で、人類より先に宇宙空間へと飛び立ったのは、猿族とわれら犬族である。それが当事者の意志を無視した、強制的なものであったことには目をつぶろう。大事なことは、犬の方が人間より先だった、ということだ。その功績の正当な評価は今日でも、猿族・犬族対人類の間での論争の種になっている。
 わたしたちの首から鎖が消え、生ごみ扱いからIDカードを持った顧客へと待遇が変わることになった、人類による知性化には敬服している。そのきっかけが、動物実験だったという事実があるにしてもだ。宇宙開発の歴史と同じように、電脳インターフェースの脳への直結インプラントの実験台になったのも、猿族と犬族だった。それでもγレベルの高度知性化された犬族はまだ全体の数パーセントだ。多くはαレベルの、ごく初歩的な知性化にとどまっている。
 犬族は長い歴史を通して、人類と共に歩んできた。わたしたちは人類に対して寛容なのだ。二二世紀末においても、犬族は人類のよきパートナーだ。知性化されても、人間と見れば素直に尻尾をふる習性は抜けていない。だが、けっして隷属しているわけではない。少なくともこのわたしは違う——。
 初めて人類が火星の地に降り立ってからも、謎は解けたものよりも追加されたものの方が多かった。人類は謎解きをしているのか、それとも謎をコレクションしているのか、そのいたちごっこは終わることはなかった。——べつに、いたちをバカにしているわけではない。彼らが知性化されていないのは、彼らの責任ではないからだ。
「ロゴス! 着陸船をスタンバイ!」
 チームリーダーでメインパイロットのホッパーが、わたしに向かって叫んでいる。
 わたしの耳は君らみたいに感度が悪くないんだ。それに勘もいい。ちょっとそぶりを見せれば、言葉を発する前にいいたいことはわかる。
 わたしは抗議の意味をこめて、「ウォン」と犬語で吠えた。わたしはハスキー犬をルーツに持っている。生来の顔は人間の言葉を発するよりも、威嚇としてより大きな効果がある。もっとも、わたしの種は一般的には絶滅したとされている。わたしは血統の最後の生き残りだろう。
 ホッパーのダンディな顔が一瞬引きつった。
 彼は二〇世紀のクラシック映画ファンで、お気にいりの俳優、クリント・イーストウッドに似せて顔をデザインしていた。たしかに美形で精悍な顔つきではあるが、「荒野の用心棒」で見られる、クールで知的なイーストウッドの存在感からはほど遠い。どうやら外見はコピーしたが、内面まではコピーできなかったようだ。
 ホッパーの引きつった顔は、オリジナルを想像するとこっけいですらあった。イーストウッドが、こんなことで表情を変えたりはしないだろうからだ。
 人間はいまだに動物的な吠え声に対して、本能的な恐怖心を持っている。人間は犬族を最良のパートナーといってはいるが、同時に消しきれない猜疑心も抱えている。自分たちで作りだした関係に、なじめない人間が多いのも事実なのだ。しかし、わたしたち五人のチームは比較的うまくいっている。なにより、わたしは知性化犬族の中でも最高の部類であり、彼ら同様にアウトサイダーなのだ。
 わたしはチューブ状の狭い回廊を通って、格納庫へと下りた。決して広くはない格納庫には、火星潜入のために仕入れたマースプレーンがわがもの顔でスペースを占領している。わたしは格納庫へのエアロックを開けると、縁を蹴って一気にマースプレーンのハッチに飛んだ。脳に埋めこまれている意識面回線(ルビ:AFライン)インプラントからホッパーの高揚した声が響いた。
「軌道から離脱! 突入する。電子妨害(ルビ:ジャミング)起動! イエロー・フォーメーション!」
 まったく! あいつのいちばんの欠点はせっかちなところだ。わたしはすばやくマースプレーンのコクピットにはいり座席に着いた。シートが自動的に体を包みこんで拘束する。同時に搭載されている有機量子頭脳(ルビ:オーガニック・クァンタム・ブレイン)をセットアップし、自分のインプラントに接続してバーチャルイメージを眼の前に投影した。
 有機量子頭脳(ルビ:OQブレイン)は、人間の脳の構造と仕組みに限りなく近づいた、量子コンピュータだ。一般的にはブレインと略称される。処理能力は人間の能力をはるかに凌駕している。ある意味で、人間が人工的に作りだした、まったく新しい形態の生命体ともいえる。だが、処理能力の高さと、知性があるかどうかとは別問題なのだ。
 わたしの目には実際に見えているコクピットの計器類にオーバーラップする形で、マスターブレインからのデータと四人それぞれのアイコンが映っていた。
 わたしは航法管制のストリッパーのアイコンに視線を向け、彼女の意識面回線(ルビ:AFライン)に載った。AF(ルビ:アウェアー・フェイス)ラインは、相互感覚共有(ルビ:レシプロカル・センス・ジョイント)での情報交換を可能にする、双方向のラインだ。わたしたちはこのAFラインを通じて、常に意識と感覚を共有できる状態になっている。
 彼女がわたしの接触に気がつき、《なめないでね》とメッセージをかえしてきた。わたしは小犬になった自分のイメージを投影し、裸の彼女をペロペロなめるメッセージを送った。それを受けた彼女は、投影された裸の自分のイメージを操り、小犬のわたしに鎖をつなぎ動けないようにした。ハハハッ、と耳にストリッパーの笑う声がライブできこえた。
 宇宙艦・提督(ルビ:アドミラル)号の機体が、薄い火星の大気に突入し、ガタガタと小刻みに振動をはじめた。アドミラル号は、全長二五〇メートル、最大全幅六〇メートル、メインエンジンとして巨大な二基のグラビトン・エンジンを装備し、エンジンから伸びる二本のスピンドルに挟まれる形で、メインコックピットと格納庫などの主要モジュールが配置されている。宇宙軍では巡洋艦クラスの大型宇宙艦だ。
 そしてこの機体をボディとする、マスターブレインも“提督”という愛称で呼ばれている。彼——機械に性別があるわけではないが、男性格を表現している——は、並のブレインとは違う。彼の出所にはわたしたちの知らない過去があるらしく、彼自身も記憶が曖昧だ。それは機能不全というレッテルを貼られて、月の裏側にある地球軍基地倉庫に放置されていたことからもうかがえる。処分寸前だった彼を、ストリッパーが闇ルートで入手したのだ。
 そんなガラクタを拾ってきたのは、彼のスペックが桁外れにすごかったからだ。試行錯誤を繰りかえして調整をおこなった末、期待どおりの能力を発揮するようになった。
 わたしの想像するところでは、基本となるブレインに、ある人間の意識パターンが転写されているのではないかと思う。そうとでも考えないと、彼の人間的な思考や行動の説明がつかない。扱いにくい相手ではあるが、頼りになる奴でもある。
 アドミラル号は惑星間航行はもとより、直接地球の大気圏への突入・着陸も可能だ。多くの惑星間宇宙艦の場合、軌道上から発進するように設計されている。地上から離発着することは恐ろしく不経済なのだ。また、軌道エレベーターのある地球や火星をはじめとした有大気惑星および衛星では、わざわざ大気圏突入能力をそなえる必要はほとんどなかった。こうした特別仕様の宇宙艦は、宇宙軍にのみ配備されていたが、数は限られていた。
 わたしたちのような非合法の稼業をしているものが、公共の軌道エレベーターを使うなど、もってのほかだ。世間ではわたしたちのことを海賊(ルビ:パイレーツ)、あるいはハッカーと呼ぶがそれは的はずれだ。狙った獲物を確実に手にいれる——つまり、捕獲者(ルビ:キャプター)だと、わたしは思っている。まして、仕事が下手な人(ルビ:ハッカー)ではない。高度な知識と技術を要する仕事なのだ。たびたび法的な壁を越えることもあるが、生き抜くのにリスクはつきものだろう。それゆえに、自分の足と翼を持っていることは絶対必要条件なのだ。
 地球の大気圏に突入することに比べれば、火星への突入はやさしい。しかし薄いとはいえ、宇宙空間の静寂さに比べれば、火星の大気もかなり騒々しい。しかも、年々進む地球化計画(ルビ:テラフォーミング)のせいで、騒々しさは徐々に増しつつあった。たとえジャミングとステルス機体があっても、大気圏に突入することを完全に隠すことはできない。すばやく行動し、相手の裏をいかにかくか、最後に有効なのはこっちの知恵だ。
 わたしの視界を光の帯が横切った。“火星の鍔(ルビ:マーズ・ブリム)”だ。マーズ・ブリムは火星の温暖化のために、太陽光を反射して火星に照射する薄い鏡の帯状リングだ。このリングは黄道面に直行するように太陽風に押されて展開し、同時に火星の重力に引かれて、安定した位置に帽子の鍔のようにとどまっている。
「高度一万メートル。地上からのレーダー波は感知されない。軌道上の衛星三基に補捉されている」淡々としたモノトーンな声が響いた。
 チタン合金で作られた、古代ギリシア彫刻を思わせる理想的な男性の裸体を模倣したアンドロイド——フォニーが報告する。合金のボディとはいっても、何層にもきめの細かいメッシュに編まれた金属繊維の外装は、驚くほど柔軟性に富んでいる。
「ロゴス!」ホッパーが怒鳴る。ほらきた。
「セットアップ完了。いつでも咬めるぜ」
 ついでにホッパーのAFラインに、ホッパーの尻を咬むイメージを送ってやった。ホッパーはメッセージを無視して、リーダーらしく指示を与える。冗談の通じない奴だ。
「全員、マースプレーンに移乗。アドミラル号は再び軌道上に待機する。提督、頼むぜ」
《了解》マスターブレインの提督が、AFラインを通じてこたえる。
 最初にマースプレーンに乗りこんできたのは、二メートル五〇の巨体を軽やかに弾ませる大女のクランプだった。女というのは見かけ上の表現だ。正確には彼女は両性具有者なのだ。彼女の大きさを対比するものがなかったなら、さぞかしグラマラスな魅力の持ち主であったろう。しかし、となりに普通の人間が並ぶと、たちまち彼女の迫力に色気などぶっとんでしまう。彼女ははいってくるなり、わたしに近寄ってきて鼻の頭をベロッとなめた。
「今度、ぼくの体も愛撫してよ。ロゴス」
「遠慮するよ、クランプ。舌がすり減っちまう」彼女は大きな声で笑いながら、どっかりと特別あつらえのシートに座った。
 脇のホルスターには、四四オートマグスペシャル/アストロモデルが彼女の体の一部のようにおさまっている。クランプはビームガンよりもブレットガンの方を好んで使う。無反動のビームガンは、殺しの痛みも喜びも感じられないから嫌いなのだそうだ。わたしは間違っても彼女の標的になるのはごめんだ。たとえ素手であってもだ。
 フォニー、そしてストリッパーが続いてはいってきた。フォニーは無表情のままシートにおさまる。クロームの体は、まるでコクピットの一部であるかのように、すんなりと溶けこむ。彼は人間のエゴに縛られたアジモフロボットではないが、行動や仕草にはいまだにアジモフロボットの癖がある。鉄面皮の裏側には、わたしと似た人間への反感が隠されている。彼らの仲間は、生まれた当初から道具として奴隷としての歴史を背負っていた。彼の心はわたしと人間以上に隔たりがあり、AFラインを通じてさえ理解できないことがあった。
 ストリッパーが長い金髪の髪をなびかせて、わたしの左隣に座った。彼女はニックネームのとおり、いつも裸だ。といっても、実際には透明なボディスーツを身につけているのだが、触れない限りは裸体が硬化グラファイト繊維の鎧に守られているとはわからない。
 最後にホッパーがあわただしくエアロックをくぐると、ハッチを閉じた。
「エンジン始動」わたしはマースプレーンに命を注ぎこんだ。
 わたしは手を人間のように使うことはできないが、操縦するのに手は必要ない。すべてはわたしのインプラントとブレインとのインターフェースで操作するからだ。
 脳のイメージ領域に投影されている眼前のディスプレイに視線でアクセスし、必要なアイコンを呼びだして、ダイレクトにAFラインで機体に指示を送ればいいのだ。
《後部エアロック開放》提督のメッセージとともに、ライブの映像が後部ハッチの開く様子を映しだす。
「射出!」言語変調機(ルビ:コミュニケーター)を介し、言葉にだして機体に指示を送る。わたしは言葉を口にだすことも可能だ。
 同時にカタパルトが機体を後方に押しだし、マースプレーンは暗い火星の空に吐きだされた。折りたたまれていた長い翼を展開する。翼は薄い大気から揚力を得ようとゆるやかにたわんだ。
 マースプレーンを吐きだしたアドミラル号は、エンジンを全開にして白い排気熱の尾を引きながら、重力の束縛から脱出していった。小さくなっていくアドミラル号を機体のセンサーで感じながら、マースプレーンの高度を落としていく。
 わたしたちが目指しているのは、北極の極冠だ。極冠にわたしたちを引きよせることになった、極秘のプロジェクトが存在し、情報もしくはなんらかの現物を手にいれることが、わたしたちの狙いだ。
 人間は組織を作ると必ず隠しごとをする。秘密が大規模であればあるほど、敵対する組織は情報を手にいれたがる。そして情報はバイト単位で金になる。わたしたちはまず、独自に動いて情報を手にいれる。それから情報の買い手をさがす。誰かに雇われて仕事をすることはめったにない。わたしたちは企業国家のスパイではないし、特定の組織に加担することもない。商品は複数の客に持ちかけ、いちばん高い値をつけた客に売る。ときとして、盗まれた側が情報を買いもどすことだってある。
 今度の山は、なにやらとてつもなく大きな山になりそうな予感がしていた。これは犬の直感である。わたしの勘はいままではずれたことがない。
 わたしたちは衛星軌道から発見されにくいように、北東象限のクレーターが点在する、地形の複雑なアエリア高地を北上し、メローエの格子山脈の壮観な眺めに見いる間もなく、カシオス黒地上空をたどって、極地方へと北上を続けた。
 やがて、機体の右手から太陽が昇りはじめ、青く霞む幻想的な火星の夜明けを告げた。火星の朝陽と夕陽は青くなる。大気中の塵と二酸化炭素の霧が光を乱反射するからだ。
 夜明けを合図に、わたしたちは潜入計画の第二段階にはいった。わたしもマースプレーンの操縦をオートパイロットにまかせ、機外へでるために強化融合甲殻(ルビ:ソリッド・フュージュン・ギア)を装着する準備をはじめた。機体はあらかじめ衛星軌道から確認しておいた極冠基地に近い氷原を目指して、火星の起伏に富んだ地形の上を縫うように飛び続けた。
 人間たちはすでに強化融合甲殻(ルビ:SFギア)を装着し終えており、わたしの装着に手を貸してくれた。宇宙空間であれば、四つ足のわたしでもひとりで装着できるのだが、小さいとはいえ重力のある火星上では重くてかさばるギアはやっかいな代物だ。
 しかし、ひとたびギアを装着すれば、わたしにも人間並の手足の器用さが加わる。専用のギアには、走行用の四本の足とは別に、人間と同じ機能を持つ二本の腕が加わる。二本の腕は前足の肩の部分に接続され、必要がない場合には背中にそって格納されている。この二本の腕を使うことによって、わたしは銃を撃つこともできるし、ストリッパーの豊かな乳房をつかむことだってできる。もっとも、実際にストリッパーにそんなことをしたことがあるわけじゃない。もしやっていれば、わたしの睾丸はちぎられ、換わりに鉛の弾を撃ちこまれていることだろう。
 ギアは全体に丸みを帯びた曲面で構成されている。人間用の場合、甲殻の最大の厚みが三〇ミリでもっとも薄いところで五ミリほどだ。微細な幾何学模様が表面を覆い、まるでモノトーンな毛細血管であるかのようにも見える。しかし汎用ギアのように、関節ごとの継ぎ目はなく、全身が一体構造となっている。可動部分は甲殻そのものが伸縮するのだ。また、ギアは透明化機能(ルビ:カメレオン・ファンクション)を備えていて、周囲に展開するフィールドが光を屈折させ、置かれた環境に溶けこむことができる。
 背中には亀の甲羅のようなバックパックがあり、中にはマイクロ融合炉と生命維持装置がおさまっている。肩胛骨のあたりにふたつの円錐形の膨らみがあり、臀部に向かってすぼむようにカーブを描いている。臀部には二本のノズルがあり、一Gの重力下でも三〇メートルほどのジャンプを三分ほど続けることができる。
 左右の腰にも膨らみがあり、片方には補助動力、もう片方には非常食料やサバイバルキットがはいっている。両肩と両太股の外側は武器の装備箇所となっていて、それぞれが好みの武器をつけている。
 ヘッドギアは通常の光のもとでは透明で、胴体と一体になっており、顔面の方向に鳥のくちばしのように少しだけ突きでている。
 ギアのエネルギーは、内蔵の高密度核融合(ルビ:マイクロ・フュージョン)電池によって供給されている。稼動時間は一度の重水補給で数か月は持つ。また同時に、非常時の酸素と水の供給源でもあり、宇宙で活動するものたちの、いわば第二の体なのである。
 最後にヘッドギアを装着してもらうと、インターフェイスをギアのセンサーにコネクトし、パワーアップされた四肢のステアリングをチェックした。わたしの増強された体に力がみなぎる。
 マースプレーンの搭載ブレインから、目標に接近したことをしらせるメッセージが、視野の隅に点灯した。わたしは機体を着陸体勢にいれるために、操縦をAFラインを通じて引きついだ。
 翼の長いマースプレーンを左へ大きく旋回させる。機外カメラの視界に、火星の極冠の白い氷の大地が迫りあがってきた。眩しさに目を細め、遮光フィルターのスイッチをクリックしてモニター画像を暗くした。機体はゆるやかな弧を描きながら高度を落としていった。
「着いたのか?」ホッパーがきいた。
「もう、真上にきてる、ホッパー。着陸体勢にはいる。揺れるぜ」
 わたしの言葉が合図になったかのように、機体はガタガタと小刻みに揺れはじめ、窓の先に伸びている長い翼が弓のようにしなった。
 マースプレーンはさらに高度を落とし、それにつれてエンジン音もピッチをあげ、甲高く耳障りな騒音を立てた。感度のいいわたしの耳に、人間にはきこえない超音波が響き気分を悪くさせた。わたしは耳のフィルターを調節して、我慢できる程度に可聴域を下げた。
 やがて白い大地の一角に、赤黒く砂塵が降り積もった細長い平らな地形が見えた。滑走路代わりの細長い凍土の両側は、切り立った崖になっている。正気な人間なら、こんなところに着陸しようなどとは思わないだろう。わたしとフォニーは人間ではないし、仲間の人間は正気の人間などではなかった。目指す極冠の基地は、ここからさらに北上すること一〇キロにある。着陸してからは徒歩による侵攻だ。
 細長い滑走路からさらに遠い極冠の中央部で、突然白い煙の柱が勢いよく立ち昇り、火山の噴火のようにもくもくと膨張しながら、ゆっくり拡散し赤い空に広がっていった。あれはドライアイスを溶かすための、非核分裂起爆核融合爆薬による爆破現場だろう。非核分裂起爆核融合爆薬は通称ヴァージン・ボムと呼ばれている。それは初期の水爆と違って、起爆剤に核物質を使用せず、汚染の原因となる放射能をださないことから、無垢な娘を無垢なまま手にいれられることを意味していた。
 火星の地球化計画(ルビ:テラフォーミング)が本格的にはじまって、まだ一〇〇年しか経っていない。完成するまでには何世代もかかる大事業だ。火星を地球化することが、本当に人類に必要かどうかは疑問だ。なぜなら、人工の環境を造るためだったら、なにも惑星をまるごと料理する必要はないからだ。いまでも地球圏・火星圏・小惑星圏・木星圏と、コロニーは数多く存在している。空間が狭ければそれだけ管理と制御も楽なのだ。
 しかし、それでも人間は火星という生娘を犯さずにはいられないらしい。人間にとって火星は宇宙に進出する前から、恋焦がれていた相手なのだ。
 極冠にあるドライアイスをヴァージン・ボムで気化させることは、温暖化のための重要なプロジェクトのひとつだった。温暖化のための二酸化炭素の放出は、マリネリス渓谷での炭酸塩岩石のヴァージン・ボムによる溶解が中心となっていたが、含有量が少ないとはいえ、極冠のドライアイスも重要な資源には違いなかった。
 テラフォーミングのための二酸化炭素の生成は、一メガトンの爆発で約一〇〇万トンのガスが放出される計算になっている。しかし、炭酸塩岩石に含まれる炭酸ガスにはばらつきがあった。加えて、爆破に必要な重水素の精製が必ずしも計算どおりにいっているわけではなかった。当初の見積りでは、地球並の一気圧の大気を作りだすには、二五〇〇万トン以上の重水素と、爆発回数は一〇〇〇万回以上が必要とされていた。
 しかも、それらのプロジェクトを推進する資金調達のため、精製した重水素とヴァージン・ボムを、外貨獲得のために売らねばならず、誤算の一因になっていた。
 マースプレーンはドスン、ドスンと機体を震わせて、剥きだしの火星の凍土の大地に着陸した。逆噴射のGで体が前のめりになる。
 VTOLの機体は急速に減速し、機首を降り積もったドライアイスの雪の中に突っこんで止まった。
「フォニー! 提督からの情報は?」ホッパーがカーゴのハッチを開ける安全装置を解除しながらいった。
 フォニーは無表情のまま——といっても、もともと表情らしきものを持たない奴だが——提督からの情報を引きだした。
「問題はない。敵はまだわれわれの存在には気づいていない」そして、しばらくの間をおいて続けた。
「ホッパー。君にも情報の検索はできる。いちいち私にきく必要はない。時間の無駄だ」
 ハッチが開き、ホッパーは飛びだした。
「はっはっ! ひとりのときはそうするさ。俺は一度にたくさんのことはやりたくないんだ。提督と常にリンクできるおまえさんがいるのに、なんで俺がいちいち荷物をしょいこむ必要がある? それに提督のバースト通信は俺には負荷が大きくてね」
 ホッパーに続いてストリッパー、クランプ、わたし、しんがりにフォニーという順番でそれぞれに好みの武器を携えて行軍をはじめた。SFギアにパワーアップされたジャンプ力は、低い重力とはいえ起伏の激しい荒れた火星の大地を、自在に疾走することを可能にしていた。
 極冠の白く覆われた地域は、火星でも際だって特異な情景となっている。白い聖域の周囲を黒っぽく縁どるパンカイア、北シュルチス、コパイス沼が取りまいている。
 わたしたちが向かっているのは、コパイス沼の北端、北緯七五度経度二六〇度、極冠の白い処女膜との境目にある、コパイス3基地だ。
 火星にある基地としては中規模の基地であり、常時千人くらいのスタッフと家族が住んでいた。アジア系移民が多い北半球では、基地の正式名称とは別に、彼ら独自の町の名前をつけていた。
 コパイス3を彼らは新楼蘭(ルビ:ニューローラン)と呼んでいた。歴史上の楼蘭が初めて登場したのは、紀元前一七六年、北方移民族・匈奴(ルビ:きょうど)の王が中国の皇帝に送った書簡においてだった。交通の要所に位置した楼蘭王国は、支配をもくろんだ漢と匈奴のはざまで翻弄され、滅亡した。
 古代に栄えた中国奥地のシルクロードの都にちなんだコロニーの名前は、はからずもわたしたちにとって、まさに格好のロマンのターゲットとなったのだった。
 わたしたちはホッパーを先頭とするV字隊形に展開して、大地を滑空するように、低くジャンプをしながらニューローランへの行軍を続けた。
 ときおり、カメレオン・ファンクションで半透明になった右翼のストリッパーのギアが、ひときわ高くジャンプし、コースの確認をする。反対側の左翼に展開しているクランプは、重い対装甲機用重火器を装着したギアを軽々と操りながら、ジャンプ姿勢を保ったまま、油断なく不意の攻撃に備えている。
 わたしは生来の鋭敏な五感をさらにギアで増幅し、感覚を研ぎ澄ましていた。フォニーはといえば、相変わらず淡々と後尾をつとめ、衛星軌道に待機する提督からのバックアップを得て、わたしたちの正確な位置の確認と索敵に余念がなかった。アンドロイドの彼は、感情らしい感情をわたしに感じさせることはなかったが、この作戦を楽しんでいることだけは確かなようだった。
 基地が近くなって、わたしたちはペースを落とした。外気の温度はマイナス六〇度C、風速は秒速五〇メートル弱、火星にしては穏やかな条件だ。大気掘削をしている極冠の周辺でもあり、コパイス沼は低地でもあることから、一〇〇ミリヘクトパスカルほどの濃い大気がある。季節は一五六火星日間続いた冬の終盤であり、極冠が縮小しはじめる時期だ。やがて火星でいちばん長く続く一九四火星日間の春が訪れ、極冠での大気掘削がペースダウンすることとなる。
 今回のターゲットとなったわたしたちの獲物は、この大気掘削と大きな関係があった。コパイス3は極冠での大気掘削の本拠地でありながら、今年の冬は掘削のペースが極度に落ち、ある特定の地域に限ってしかヴァージン・ボムを使用していない。つまり、掘削を中止した、空白の地域があるのだ。どうやら背景には、わたしたちの求めるなんらかの“秘密”があるらしい。それがなにかの情報は得られていない。ひとつだけ解っていることは、極秘計画の名前が、ヘファイストス計画と呼ばれているらしいことだけだった。
 わたしはこれは臭いと思った。情報がないということは、売りものになる情報の価値が大きいことを意味している。火星は地球圏から遠く離れており、レーザー回線を使っても情報伝達能力には遅延と限界があり、多くの情報とリアルタイムの収集にはもともと無理がある。可能な限りの情報収集を試みても、計画の名前以上のことはでてこなかった。それでもなお、わたしたちに多大な投資をさせ興味を抱かせたのは、火星という星の持つ魔力だったのかもしれない。そしていま、わたしたちはこうしてはるばる火星までさぐりにきたのであった。
「基地よ」ジャンプしたストリッパーが告げた。
 わたしたちの前方五百メートルほどのところに、ニューローランのドームがゆるやかな弧を描いて、火星の大地より赤く広がっていた。天蓋のドームには毛細血管のようにはりめぐらされた管の中を、太陽エネルギー貯蔵液——通称“火星人の血(ルビ:マーシャン・ブラッド)”が流れている。このマーシャン・ブラッドは太陽エネルギーを蓄えると赤く染まる。この赤い血は太陽の恵みであり、火星に住むものたちの希望の色でもあった。動力源の多くにマイクロフュージョンが使われているとはいえ、よりコストのかからない太陽エネルギーは他の惑星や衛星でも必需品だった。また重水素が豊富にある火星でも、大半をヴァージン・ボムにつぎこんでいることから、バックアップの意味でもマーシャン・ブラッドは欠かせないものなのだ。
 ホッパーが真剣な口調でいった。
「やるぞ。クランプ、先行しろ。フォニーは回線を封鎖しろ。この基地からSOSをださせるな。ロゴスとストリッパーは俺と一緒にドームに潜入する」
 彼はいつもは名前どおりの軽い奴だが、いざ実戦になったらやるべきことをやる男だ。その点については全員が信頼している。
 クランプは無言のまま、巨体をしなやかな猫のように踊らせてドームの東側にまわった。同時にフォニーはドームの西側に隣接するパラボラアンテナ群に向けて、虫機(ルビ:バグ)を飛ばした。バグは蛇行しながら飛び、回線に割りこむべきポイントに取りついた。バグを中継して、フォニーのお楽しみがはじまった。
「コパイス3のブレイン・ジャック進行中……、六〇%を掌握……、通信回線ブロック」
 フォニーが刻々と進展状況を報告し、同時にわたしの視覚にもデータが表示された。
「ロゴス、西エアロックに行け。ストリッパーはロゴスに続け。俺は正面からフォニーと侵入する」ホッパーは滑るように姿勢を低くして走りだした。
 わたしとストリッパーもドームの西側にまわりこむために走りだした。
 わたしは視野を分割し、自分の視野を中心に、ほかの四人の視界をそれぞれ投影して、全体の進展状況をモニターした。クランプはすでに東エアロックに到着していた。
「クランプ! やれ!」ホッパーが叫ぶ。
「ほどほどにね」とストリッパー。
 わたしはクランプのAFラインにクリックして、彼女の感覚ルーチンを共有した。彼女の指が対装甲機銃のトリガーにかかる。その間にも、わたしの体は的確に西エアロックへの接近を続け、クランプが火蓋を切るのをまっていた。
「ロゴス、じゃまだ。ぼくからでて行きな」クランプは荒い語気とは裏腹にわたしをそっとAFラインから追いだした。
 オーケー、見物するだけで我慢するさ。
「ブレイン・ジャック七〇%完了。コパイス3の主制御ルーチンには割りこめない。強力なアジモフ・プロテクトがかかっている」心なしかフォニーの口調に憤りが感じられた。
「提督のバックアップでプロテクトを破れ!」
 ホッパーとフォニーは正面エアロックにたどりついたようだ。少し遅れてわたしもエアロックに到達した。
 クランプが引き金を引いた。炸薬弾が炸裂し、ドームの一部が吹っとんだ。猛烈な勢いで与圧された内部から空気が吹きだし、外の冷気で一瞬のうちに白いガスとなって局部的な嵐を起こした。数十秒間の空気洩れののち、安全装置が働いて穴の開いたドームが塞がった。
「エアロックを開けろ! フォニー!」ホッパーの指示で、すぐさまフォニーがエアロックを開錠した。
 わたしの前のエアロックも同時に開いた。
 わたしたちはドームの中に侵入した。コパイス3の内部は突然の空気洩れに、パニックになっていた。

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