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 外はもうすっかり暗かった。ムッとした風が僕らを熱心に誘っている。涼しいコンビニから出てきたものだから、その勧誘はますます強烈に思えてきた。絡みついてしがみついて、何がなんでも離れない。そんな心意気を感じるくらいだ。意地になって振り払うように歩き出した僕がまるで馬鹿みたいに思えてくるほど。
「うーん、解放感!」
 ――その馬鹿さ加減を肯定するかのごとく、隣の彼女は、やけにすっきりした表情で背筋を気持ち良さそうに伸ばしている。
 何だかな。あまりにも幸せそうで、僕は思わず毒気を抜かれてしまった。
「ご機嫌だね」
「あたぼーよ」
 すでに汗をかき始めているコーラを片手に、彼女はにんまり得意顔。
「嫌な補習がやっと終わったんだもん。嬉しいったらありゃしない」
「補習を受けなきゃいけないことがまずブルーなんだけど」
「暗いぞう少年」
 なははは、と笑って彼女はもう一方の手にある袋を振り回す。静かな闇に不似合いな、ガサガサとうるさい音。哀れな袋は勢い余って近くの大きな石とご対面、ガツンと何かがへこんだ音がする。それも一度や二度じゃない。彼女が前へ進むたびにどこかかしかにぶつかって、僕はひっそり中のお菓子たちに同情する。
 虫さえこの暑さにへばっているのだろうか。目立つのは冴えた月とボケた彼女の存在ばかりだ。周りにはちらほらギャラリーもいるけれど、僕はあえてそれを無視する。学校でもよくやることだからお手の物だ。話し声や笑い声は BGM。前を忙しなく行き来する奴らは、動く木だとでも思っておこう。とにかく、そう――見えない、見えない。何も聞こえない。そうやって念じてしまえば、それはいないのと同じだから。
「さ、記念に乾杯」
「何の記念?」
「私たちの再会」
「毎日のように学校で会ってるじゃん。しかも今日なんてやっぱり補習で」
「なはは、悲しきかな出来損ない同士。じゃ、素直に『サラバ補習よまた会う日まで』」
「もう二度と会いたくないです」
「まあまあ。現実を見よう。私たちが次のテストで補習を受けずに済む確率はゾウリムシ以下だ」
「せめてミジンコくらいには進化したいよ」
 彼女に「現実を見よう」なんて言われるのは癪だけど、悲しいことにあちらの言い分の方が正しい予感がした。
 僕は一つため息を隠す。何度も何度も経験してきたやり取りだから、慣れつつある自分がまた少しだけ悲しかった。
「ささ、補習が終わったことは喜ばしいんだから。パーティをしようじゃないか」
 彼女が笑顔でコーラを突き出す。僕も反射的に同じことをしていた。カツン、と冷たい音が鳴く。
 パーティ、か。
 味気ない、制服という名のドレス・タキシードに、灯りは月と星のシャンデリア。豪華な料理は百円のものばかり集めたコンビニ菓子。オススメは彼女一押しのカード付き板チョコだ。
 ――ああ。
 なんて最低で、最高に洒落ているんだろう。
「きっと風物になるねぇ」
「訳わからないよ」
「なはは。手厳しいなぁ」
 何より彼女が隣で、平和ボケしたような笑顔を振りまいてくれるから。
 こんなささやかなパーティが、僕は本当は楽しみだ。
 ――ただあえて注文をつけるなら、せっかくのささやかなパーティなんだから、出来ることならやっぱり二人だけで堪能したい。こうもギャラリーが多いと、僕は何だか落ち着かない。
「あ、コーラかけちゃった。ごめんなさい」
 ねえ、君は一体誰に話しかけているのかな。
 僕は心の中でそっと呟く。別に――ヤキモチを焼いているわけじゃない。彼女を独り占めしたいとか、そんな狭い心を持っているつもりはなかった。きっと誰だって、僕と同じ立場になればわかると思う。不意に込み上げてくる、この寒々しい、それでいてねっとりした気持ちをわかってくれると思う。
「ねえ」
「うん?」
「今度から墓場でやるのはやめないかな」
 切に言った僕に対し、彼女は相変わらず「なはは」と笑って、コーラをぐいと飲み干した。


文:あずさ
ちっちゃくささやかで密やかなお話を時にはワイワイ、時にはしんみり、時には摩訶不思議に綴っていきたいと思っています。中でも現代・エセファンタジーがお好き。 
twitterID:azusazsuza


  
絵:東雲一(しののめ・はじめ)
東雲と申します。 
普段は#twnovelや詩や短編などを書いていますが、今回は絵師で参加です。 
PCで絵を描き始めたばかりで、まだまだ絵をかく技術は拙いのですが、楽しそうな企画なので力いっぱい良いものにしたいです。よろしくおねがいします。

 0 少女



 少女は姿見のある暗い部屋に隠れて、物語の世界を紡ぎだす。
 大切にしている、真っ赤な髪の人形と、いつも物語を考えて、遊んでいた。
 鏡の中の世界には、男の子と二人の女の子……。
 物語の舞台はここではないどこか。登場人物も自分ではない、誰か。ここより、きっと素晴らしい世界。
 鏡の中に物語の世界が作られていく。

 昔々、ここではない、どこかの国の物語――。



 1 ジェルミ



 乳母と侍女たちが大きな声をだして探している。
「王子ー、ジェルミさまー」
 ジェルミ王子は体をちぢこまらせて、防虫用である薬草の香りがする衣装部屋に隠れていた。唯一の友人であるリュメールも、一緒に息を殺している。
 ジェルミは怒っていた。
 隣にうずくまるリュメールも腹を立てていた。
 最初に隠れようといいだしたのは、リュメールだった。ジェルミも、それに賛成して隠れているはずなのに、早くも心が折れそうになっていた。
「ねぇ、リュヌ、まだ隠れていなければ駄目?」
 ジェルミはうまく発音できず、いつの間にかリュメールをリュヌと呼ぶようになった。
「駄目よ、ジェルミは乳母にあんなことをいわれて、簡単に許しちゃうの?」
 リュメールの言葉に、ジェルミは押し黙る。
 リュメールのことを、幻だ、存在しない、と乳母にいわれた。ジェルミの空想だ、と決めつけられたのだ。
 そのことを思いだし、ジェルミは唇を引き結ぶ。
「許さないよ、リュヌはちゃんといるもの」
「でしょ?」
 ジェルミの返事に、リュメールは満足そうに笑った。
 ジェルミはリュメールを見つめた。
 暗闇の中でも、彼女の姿ははっきりと見える。友人の姿は、ほのかな月の光を放ち、銀色に輝いている。まるで、幽霊か幻のようだった。
 リュメールは、日暮れとともに訪れる。遊んだり話をしたりして、朝、目が覚めるといなくなっている。物心ついた時から、ずっと続いている。
 ジェルミが知らないことでも、リュメールなら知っていた。
 乳母の恋人のことや、侍女が隠れて食べたお茶菓子のことなど。
 そのことをジェルミが乳母に話すと、乳母は一層怖い顔をして、でたらめをいうのは良くない、とジェルミを叱りつけた。更に、リュメールなどいない、ジェルミの嘘だと決めてかかった。
 リュメールは幽霊のように見えるが、確かにそこにいるのだ。ジェルミとは違う個性を表している。リュメールが存在しないなどとは、ジェルミには到底思えないのだ。
 だから、乳母の意地悪に涙がでた。
 隣に立って、一部始終を聞いていたリュメールは、ジェルミを嘘つきといわれて憤った。それで、乳母を懲らしめてやろう、と二人で衣装部屋に隠れたのだった。
 このまま見つけられなかったら、乳母は王妃から叱られるだろうし、もっとうまくいけば、辞めさせられるかもしれない。
「でも、そこまでしなくてもいいと思うけど……」
「駄目よ、思い知らせないといけない」
 リュメールは小さな頬をぷっくりと膨らませた。そんなリュメールにいつも気後れするが、ジェルミにはいっそ小気味がいい。自分にはできないことを、代わりにしてくれるリュメールが大好きだった。
 


 結局、ジェルミが見つかったのは、翌朝になってからだった。衣装係が、よく眠る王子を抱きかかえて連れてきた。乳母は王妃に叱られたようだったが、辞めさせられなかった。王子が見つかったことが、よほどうれしかったのか、乳母は一日機嫌が良かった。
 ジェルミを鏡台のまえに座らせ、その灰色の髪を、乳母がくしでき撫でた。
 ジェルミは自分の髪の色が好きではない。リュメールの輝くような銀髪にあこがれていた。
 鏡に映るジェルミが、深い紺色の瞳で自分を見つめ返している。美しいといわれる容貌。天使のようだ、お母さまにそっくりだ、といわれている。灰色の髪も母親に似た。
 ジェルミは母のことをよく知らない。母である王妃は、ジェルミを見るといつも悲しそうにため息をく。すぐに気分が悪いといって、宮殿の南翼にある自室に引っ込んでしまう。
 父である、太陽の王のことになると、もっとわからない。
 ジェルミは、太陽の王に直接会ったことがない。太陽の塔のテラスにでて国民に手を振る姿を、いつも王妃と一緒に貴賓席から眺めるだけだ。
 太陽の国にとって、太陽の王は神そのもの。だから、王妃や王子とともに過ごさないのは当然だった。また、太陽の塔からでてこなくても不思議はないと思われている。
 太陽の王のことは、肖像画や立像で知ることができた。その姿は、金色の仮面をつけた金髪の人物だった。城のあちこちに飾られている金色の立像を指して、これが自分の父であり、神でもある太陽の王なのだと教えられた。
 ジェルミが自分の髪のことを気にすると、年老いた家臣から、太陽の王になれば髪は自然と金色になるのだ、といわれた。一寸の狂いもなく、肖像画や立像と同じ姿になるのだ、と諭された。
 いずれ、ジェルミ自身が太陽の王になる。それは、何ともいえない期待感と、ひとではなくなるという不安感をもたらした。
 
 
 
 ジェルミは最高の教育を受けさせられ、未来の太陽の王になる責任を、臣下たちから求められた。
 昼のあいだ、教鞭を振るう教師や、模擬剣を繰りだす教師からあらゆることを教わった。
 日が沈むと、やっとリュメールがやってくる。彼女はジェルミの剣を手にして、鮮やかに振り回した。
「男の子はいいわね。剣を持たせてもらえるもの。すてきだわ」
「でも、ぼくは苦手だ。好きじゃない」
「きっとこうやって暴れても怒られないんでしょ」
 リュメールが模擬剣を乱暴に振り回すのを見て、ジェルミは慌てて止めた。
「やめて、やめてよ! 乳母がやってくるじゃないか。ものが壊れたりしたら、叱られてしまうよ」
 リュメールは剣をおくと、にやにやと笑った。
「あら、王子さまがそんなことくらいで慌てては駄目じゃない。太陽の王みたいになれないわよ」
 ジェルミはバツが悪くなる。
「太陽の王に会いにいってみようか?」
 ジェルミの気持ちを読み取ったのか、リュメールがいいだした。それを聞いたとたん、ジェルミの心は騒ぎだす。怖いような、うれしいような、そんな感情がないまぜになり、胸が高鳴る。しかし、太陽の王に会う勇気がなかった。
「無理だよ、会えるわけがないよ」
「やってみないと、わからないわよ?」



 0 少女



 少女はキッチンで食べものをあさっていた。
 音を立てないようにして、流しや調理台の下にある引きだしの中を調べた。
 朝の五時。
 パパもママも眠っている。
 流しの下には、ママのお酒の瓶がぎっしり詰め込まれていた。
 瓶を一本一本だして、缶詰めがないか探してみる。
 少女の努力は徒労に終わり、嘆息して瓶をもとに戻していく。
 瓶がぶつかってカチリと音がするたびに、心臓が止まりそうになった。
 少しでも音を立てたら、ママがやってくるだろう。
 パパまで起きてきたら、立てなくなるくらい殴られるかもしれない。
 胸の動悸が静まるのを待って、少女は再び瓶をしまっていった。
 ここに缶詰めはなかった。
 今度は引きだしを開けていく。
 以前、高いところの扉を開けて食べものを探していたら、誤ってシリアルの箱を落としてしまった。
 その音を聞きつけたママがやってきて、さんざん平手打ちをされたばかりか、結局御飯を食べさせてもらえなかった。
 だから、今度は失敗しないように、低い場所だけを探すことにしたのだ。
 幾つか引きだしを開けていき、やっと、クールミントの口臭消しを見つけた。
 昨日の朝から水しか飲んでない。口臭消しのタブレットでも、少女にとって唯一の食べものだった。
 スカートのポケットに、さっとタブレットの容器を押し込んだ。
 食べものは、ママが機嫌のいい時にもらえる。それ以外で食べものを口にしているのを見られたら、きっとママは激しく怒るだろう。
 こっそり隠れて食べなくてはいけなかった。
 少女は人形を胸に抱いて、ママが納戸と呼んでいる、姿見のある部屋に入った。
 タンスや使わないソファのあいだに潜り込み、じっと聞き耳を立てる。
 まだ誰も起きだしてこないようだ。
 ポケットから容器を取りだした。白いタブレットが透明の容器の中に数粒ある。
 ふたを開けて手のひらにタブレットを載せた。
 爽やかなクールミントの香りが漂う。
 少女は、一瞬戸惑った。
 これを食べたらママにばれてしまわないか、と。
 何も食べていない胃袋が、少女の恐れを無視して鳴りだした。
 急激な空腹に我慢できなくなり、手のひらのタブレットを口の中に放り込んだ。
 清涼感のある香気が鼻を抜けていく。
 ミントの刺激で唾液が溢れてくる。
 あめ玉のように、少女は夢中でタブレットをしゃぶった。
 何ておいしいんだろう、とため息をいた。
 タブレットを二粒だけなめたあと、少女は容器をソファの陰に隠して、のそのそと隙間から這いだした。
 姿見のまえに、人形と一緒に座り、鏡の中を覗き込む。
 たちまち、少女の目のまえに物語の世界が広がりだす。
 物語の世界はまだ完璧ではなかった。
 少女はここで少し考えた。
 男の子のママは、お酒を飲まない代わりに、男の子に興味がないことにしよう。たたいたり、怒鳴ったりもしないけれど、あんまり優しくない。
 男の子には昼のパパがいることにしよう。
 昼のパパは、いつもどこかへいっていて、男の子のそばにはいない。
 少女のパパもそうだ。昼間は仕事でいつもいない。たまに少女を連れて外にでることがあると、気持ち悪いくらい優しかった。昼間のパパに会うひとは、必ずパパを尊敬した。夜の時と余りにも違うので、少女は時折、パパが二人いるのではないかと本気で疑うほどだった。
 だから、昼のパパがいるのなら、夜のパパもいるだろうと考えた。
 二人の女の子たちには、夜のパパがいる。
 夜のパパは、少女のパパのように怪物なのだ。
 真っ黒くて、大きくて、酒臭くて、乱暴。
 昼間のパパと違って、少女がしてほしくないことをする。
 きっと、夜のパパは黒いマントを身につけていて、真っ黒くて顔もわからない。多分、夜のパパは闇の世界の王なのだ。
 横暴で、いやなことばかりする。もしかすると、男の子の国や、闇の国の住人にも、いやなことをしているかもしれない。
 女の子たちにも、少女と同じいやなことをしているかもしれない。
 きっと、そうだ。
 少女はたちまち闇の王のことが嫌いになった。
 二人の女の子も、闇の王のことが嫌いだろう。
 男の子はどうだろう。
 男の子は闇の王のことをよく知らないから、お化けのように恐ろしがるかもしれない。
 真っ暗な闇を嫌うように、忌むだろう。



 2 ジェルミ



 乳母や侍女、松明たいまつを持って見回りをする騎士たちの目を盗んで、ジェルミとリュメールは東翼の回廊を渡り、庭園にでた。
 リュメールは迷うことなく、ジェルミが暮らしている宮殿の東翼から、太陽の塔へと向かって走っていく。
 太陽の塔は宮殿の北側にそびえている。しかし、ジェルミは太陽の塔への正確な道順を知らない。暗闇の中で銀色に光るリュメールを頼りに、ジェルミはその後ろをついていった。
 塔の周囲には松明が点っている。金色に塗られた門扉は、固く閉じられている。
 二人は見回りの騎士の目から隠れて、茂みの中にうずくまった。地面を這いながら、松明の明かりに照らされた塔まで近づいていく。
 ようやく二人は塔のもとまでやってきた。見上げると、随分高いところに閉じられた窓がある。地面から丈夫そうな蔦が生えていて、壁を伝い、窓まで伸びている。
 リュメールがためらうことなく、子供の腕ほどもある蔦に手をかけた。網目のように茂った蔦をぐいと引くが、びくともしない。
「登れそう」
 リュメールの命知らずな言葉に、ジェルミは気後れした。頭上に小さく見える窓を眺めて、背筋が凍る。
「無理だ……」
 思わず涙声になった。
「弱虫」
 リュメールにばかにされ、仕方なくジェルミも彼女のあとに続いた。ジェルミが蔦にすがると、引き絞った弓のような音がした。一瞬慌てるが、どんどん登っていくリュメールを見て、ジェルミは急いであとを追った。
 ジェルミが足をかけるたびにきしむ蔦、よじ登るたびに揺さぶられる葉。ようやく窓にすがりついた時、はるか下方から悲鳴が上がった。
「ジェルミさま!」
 乳母や侍女が口々に降りてくるように、叫んでいる。
「見つかっちゃった」
 残念そうにリュメールがつぶやいた。二人で窓を覗くが、部屋の中は真っ暗で何も見えない。
「太陽の王、いないのかな」
 ジェルミもがっかりした。そう感じたとたん、それまで覚えなかった恐怖が、足先からじわじわと這いあがってきた。
「降りよう」
 リュメールはそういい、するすると蔦を伝い降りていく。
 けれど、ジェルミの足はすくみ上がり、全く体がいうことを聞かない。
 こわごわ下を窺うと、心配そうなひとびとが、おもちゃのように小さく見える。その小ささにまた震えがくる。
「降りられない……」
 ジェルミの言葉に、リュメールは呆れかえって手を差し出した。いつの間にか、リュメールの体は空中に浮かんでいた。
「ほら、手を握って」
「でも、落ちてしまうよ」
「大丈夫だって。わたしがついてるから」
 ジェルミはためらいつつも、リュメールの手を取った。
「飛んで!」
 リュメールのひと声とともに、ジェルミは目をつぶり、蔦を離すと、空中に身を躍らせた。
 足元から沸き起こる悲鳴。
 足先に感じる確かな固い感触。
 体を包む安堵あんどのため息。
 乳母がジェルミに抱きつき、泣いていた。
「何て、何てやんちゃな王子でしょう」
 乳母はそういい、何度もジェルミの背中や髪を撫でつけた。
 リュメールはジェルミの手を離し、満足そうにいった。
「ほらね、大丈夫だったでしょ」
 ジェルミには何が起こったかわからなかったが、あの高さからジェルミは飛び降り、無事に着地したらしい。
「ねぇ。ぼくの手を握っていた女の子を見たでしょう?」
 しかし、乳母は不思議そうな顔をして、否定した。
 ジェルミと手をつないでいたリュメールの姿を、誰も見なかったといわれた。幼いジェルミには、リュメールの姿が他人に見えないことが、どうしても納得がいかなかった。



 ジェルミが少しずつ大きくなるにつれ、リュメールも成長した。髪が伸び、背が高く線の細い少女になった。
 その頃になると、ジェルミはリュメールに対して疑問が湧いてきた。
「リュヌは、なぜ他人には見えないの?」
「じゃあ、反対に聞くけど、どうして他人に見えないといけないの? わたしはジェルミの友人。ほかのひとの友人じゃない。ジェルミにだけ見えていれば、何の問題もないの。それよりそういうことが気になること自体、わたしにとって不思議だわ!」
 反対にリュメールにそういわれ、ジェルミは困った。自分の疑問を強く彼女に問いただせなくなってしまった。
 リュメールの気の強さが苛立たしくもあり、うらやましくもあった。それはジェルミにないものだったから。
 何をするにせよ、リュメールの主導がなければ、ジェルミにはやる気が起こらなかった。失敗した時に、乳母に皮肉をいわれるのがいやだった。それに、最も尊敬する父親、太陽の王に呆れられることを考えると怖くなるのだ。そのため、自分でもできそうなことならばやってもいいけれど、誰もしたことがない難しいことに挑戦する自信が、ジェルミにはなかった。
 ジェルミの自信のなさを、リュメールはいつもからかった。城の外にでようとか、馬に乗ることを覚えようとか、果ては闇の森にいこう、と誘うのだった。
 闇の森。
 太陽の国の人間なら、誰しもその言葉を聞くと、震えあがる。闇の森には、闇の王がすまうといわれている。
 太陽の王が神なら、闇の王は悪魔だった。闇のように黒く、ありとあらゆる災いを呼ぶ。いや、呪いをかけるのだろうか。
 若者をさらい、森にある闇の城で血祭りに上げるとか、病や不幸はすべて、闇の王がもたらすものだと、国民は信じている。
 ジェルミもそういった噂を信じて、闇の森や闇の王を怖がった。
 それをリュメールは笑うのだ。
「ジェルミはなぜ闇の王が怖いの? 闇の王が悪魔だから? でも、みんなのまえにでてきたことなんて、ないじゃない」
「リュヌ、あのひとは人間をさらうらしいよ。闇の城に連れていかれて、戻ってきた人間はいないんだって聞いたよ」
「おばかさん、本当かどうかもわからないのに、信じるなんて。わたしと一緒にそれが本当かどうか確かめましょうよ」
「無理だよ、ぼくにはできないよ……」
「闇の王なんて怖くないって思えないの? 王子なのに? 未来の太陽の王なのに? 闇の王を怖がる太陽の王になるつもりなの? 本当にジェルミは弱虫ね」
 弱虫でいい、余計なことをして大人を怒らせたくない、ましてや、太陽の王にとがめられたくない、とジェルミは思った。
「いいんだ、ぼくは弱虫で」
 ジェルミが小さな声でいうのを聞いて、リュメールは呆れたように肩をすくめた。



 Ⅰ リュメール



 太陽の国の北方に広がる闇の森には、闇の王の城がある。
 城は黒い石を積まれて作られたように見える。いびつなアリ塚のようなでこぼこした外観が、城の外壁に刻み込まれており、不気味な様相をていしている。
 黒水晶細工の城の内部には、暗い影がたくさんある。そこには目に見えない悪霊や醜い魔物がすみついている。
 リュメールと赤い髪のエトゥワールは、赤子の頃から城で暮らしている。
 二人を育てたのは目に見えない侍女たちや、小さな魔物。
 彼らを支配するのは闇の王だった。
 闇の王の名前は、オプスキュラという。
 リュメールとエトゥワールは、闇の王の名前を知っている。小さな魔物たちから教えてもらったのだ。
 オプスキュラは、魔物たちの言葉を借りるならば、闇そのもの。歩くあとから泥のような闇がこぼれる。肌は漆黒、その顔も仮面に隠れ、拝むことすらできず、汚くいやしい魔物たちを足蹴あしげにする。
 そんな恐ろしく乱暴なオプスキュラが、エトゥワールの将来の夫なのだった。
 
 太陽が昇ると、闇の城は寝静まる。エトゥワールも、寝台にまるまって寝入ってしまう。リュメールは籠の中でおとなしくしている。小鳥でいる昼間は、エトゥワールのそばにいる。
 夜になって、ひとの姿に変身したリュメールは、籠から抜けだすと、城内の回廊や部屋を通り、庭へ飛びでた。
 梢から漏れる月明かりが、灰色に沈む庭に差し込んでくる。それは白い炎のように地面から揺らめき立つ。
 リュメールはその白い光を踏みしだいて飛び跳ねた。
 少女は芝生の上に寝転がる。
 寝転がって辺りを見回すと、白い石の乙女たちが、リュメールを心配そうに見下ろしているように感じる。
 闇の城の庭には白い石でできた噴水と、アラバスタ細工の美しい乙女たちの像が飾られている。像の瞳に感情はないが、もとは生きていたのだということが窺える。
 なぜそんな像が飾られているのか、リュメールは知らない。恐らくエトゥワールも知らないだろう。生まれた時からここにあり、これからもここにたたずみ続ける魂のない像。
 なぜ乙女たちが生気をなくして、硬い石となり果てたのか、リュメールにはわからなかった。



 Ⅱ エトゥワール



 エトゥワールは、早くも枯れ果てた老女のように、夢も希望も持っていない。
 鬱屈とした憤りを胸に秘めていた。
 夜はたった一人きり。そばに小鳥がついているが、夜になるといなくなってしまうため、遊び相手は醜く愚かな魔物だけだった。
 夜に点される緑色の明かりが、黒水晶の壁面に添えつけられたカンテラから漏れる。
 緑色に照らされた黒水晶の城で、エトゥワールの燃え立つ髪は、唯一の明るい色彩だった。
 
 夜がきて、リュメールがジェルミのもとにいってしまうと、エトゥワールが目を覚ます。
 エトゥワールとともに城も目覚め、暗闇にわだかまる小さな魔物たちも蠢きだす。
(エトゥワールがおきたよ)
(おきたおきた)
 小さな魔物たちが、暗闇に白眼だけを光らせて囁き合う。
 起きぬけのエトゥワールは機嫌が悪い。とてもいい夢を見ていたような気がするのに、無理に現実に引き戻されてしまったような……。
 エトゥワールが手招くと、目には見えない侍女たちが彼女の世話をする。黒のドレスを持ってきて着せてくれたり、髪をかしたり。そのたびに真っ赤な髪から稲妻のような静電気が起こる。青白い光がエトゥワールの体にまとわりつく。まるで彼女も幽鬼のようにほのかに光りだす。
 エトゥワールには、何かを忘れてきてしまったような不安感がいつもある。それが何だか思いだせないから苛立っている。
 少し機嫌がいい時は魔物と遊ぶ。小さな魔物のキイキイ声を聞きながら、魔物で人形遊びをする。気に入らなければ、魔物を壁に投げつける。ぐしゃりと音がして、魔物はぐんにゃりと横たわるが、それを気に留めたこともない。魔物は死なないとわかっているから、心配などしない。
 エトゥワールにとって、ここは退屈な遊び場だった。



 そのうち彼女たちも次第に成長し、髪は腰に届くほど長くなった。体は丸みを帯び、昔と違ってオプスキュラに畏怖と嫌悪を感じるようになった。
 オプスキュラは、エトゥワールのもとに、毎夜訪れるようになった。エトゥワールは怯えた。少女は闇の王に捕まるまいと、夜がくるたびに城の中を逃げた。エトゥワールは悪霊や魔物に見張られていて、城の外にはでられないのだ。
 オプスキュラは漆黒の闇とともにやってくる。月が隠れた暗闇の、更なる影を縫って、音もなく忍び寄り、エトゥワールの首筋に背後からくちづけをする。
 エトゥワールの首筋は総毛立つ。氷が首に当てられたように凍える。闇の王のくちづけや指先は、無遠慮にエトゥワールの体をすべっていく。息が凍りつく。
 エトゥワールの肌には、きめ細やかな紋様がある。それはすべてオプスキュラに愛撫された部分。次第に全身が紋様に埋め尽くされていく。
 自分が自分でないものになっていく恐怖。絶望。不安。
 エトゥワールは恐怖と絶望に駆られて、声なき悲鳴を上げる。しかし、何の助けもない。それでも、命の枯れる思いで絶叫する。
 エトゥワールは震え、這いながら、リュメールを探し、鳥籠を抱く。いつしか涙はでなくなった。とうに涸れたようだ。彼女は籠の中の小鳥だった。オプスキュラに囚われている。
 エトゥワールの怒りは、諦めと悲しみにすり替わっていった。


 Ⅲ リュメール



 リュメールも不安をいつも抱いていた。彼女は、エトゥワールよりもいろいろなことを知っている。自由を味わってしまった。怒りこそないにしても、いつか自分もエトゥワールもいなくなってしまうような不安があった。その不安は、庭にたたずむ乙女たちの像を見ている時の気分に似ている。足元の安定してない場所に立っているような、いつ足場が壊れてもおかしくない不安。そんな不安がふいにやってきて、リュメールを苛む。
 そんな時、リュメールはジェルミにすがりたかった。幼い時から共にいる人間。何度となく、闇の城に誘ったけれど、恐れていこうともしてくれなかったけれど。
 エトゥワールは次第に自暴自棄になっていった。闇の森に迷い込む人間と戯れるようになった。飽きると魔物に下げ渡し、何の感慨もなさげに、その人間の最期を見届けた。
 リュメールにとって、それはむごいことだった。血に汚れるのを嫌った彼女は籠から逃げだし、中庭に潜むようになった。
 そのことで、エトゥワールは更に荒れるようになってしまった。



 0 少女



「おい、こっちにこい」
 夜がやってきて、パパという名前の怪物が、少女の寝室に入ってきた。
 少女は部屋の扉を開ける音で目を覚まし、パパから隠れるように部屋の隅に駆け寄り、ちぢこまる。
 パパは少女を暗闇の中に引きずり込んで、いやなことをする。
 誰かに助けを請いたいが誰もいない。ママは酒臭い息をして、ソファで眠りこけている。
 少女がどんなに泣いても助けてはくれない。
 しかも、泣いたらもっと痛い目に遭わされてしまう。だから、人形を必死に握り締めて、こらえるのだ。
 そうすれば、泥水のようにゆっくりとだが、いやなことは流れ去り、パパもいなくなる。
 パパがどこかへいなくなれば、やっと少女は解放される。
 パパにいやなことをされた夜は鏡の部屋にいき、物語を紡ぐ。二人の女の子と男の子の物語を……。
 少女にとって、彼らは次第に親しみのある人物になってきた。
 エトゥワールだって部屋に鍵をかけられれば、少女と同じいやな思いから逃げられるのに。
 ジェルミが弱虫なのは、いろんなことが怖くて仕方ないからだとか。
 少女もリュメールのように自由にどこかへいってしまえたら……。
 そんなことを何時間も夢見た。
 彼らとともにいるような安心した気持ちになって、少女は眠りに落ちた。
 突然――。
 ママの怒鳴る声で少女は目を覚ました。
 食器を洗ってないとか、掃除をしてない、洗濯をしてないといって、ママが怒っている。
 少女は飛び起きると、姿見の部屋から駆けだして、ママのところへいく。
 しかし、怒鳴られてしまうということは、間に合わなかった証拠だった。
 不機嫌になったママが機嫌を直すことはない。少女はさんざんたたかれたあと、涙を我慢しながら、いいつけられた仕事をこなしていった。
 少女は仕事をしつつ、空想にふけって、心を慰めた。



 3 ジェルミ



「もう、わたし、ここにこられないわ」
 リュメールがそういったのは、ジェルミが成人する儀式の前日だった。
「なぜ?」
 ジェルミは驚いて訊ねる。
「あなたが大人になってしまったから。わたしも、もう大人になるから」
「大人になると、なぜ、こなくなるの」
「子供みたいなことをいって、困らせても駄目。こないんじゃなくて、わたしはきたくても、きっとこられなくなるから」
 ジェルミは明日で成人を迎える。その日にジェルミは儀式を行う。太陽の国の国旗をつけた矢を放ち、その矢が落ちた国の姫を妻に迎えねばならない。
「妃がきたら会いにこられないの?」
「違うわ」
「じゃあ、会いにいく」
「とても怖いところにいるのよ、弱虫なくせに会いにこられるの?」
 リュメールはいつものように意地悪い。けれど、優しい笑顔で、ジェルミを見つめる。
「さようなら、弱虫さん」



 儀式の当日、ジェルミは正装して、物見の塔に上っていった。
 太陽の塔に比べればはるかに低いが、それでも十分な高さを誇る塔である。
 ジェルミが手にした矢と国旗は真新しい。矢は白木。国旗は繁栄の白、血統の赤、そして婚姻の色である青の三色。リボン状になった国旗を羽根の部分に結わえている。
 ジェルミは頂上で、やじりかぶらになっている矢をぎりぎりと弓弦ゆづるにつがえると、天に向かって放った。
 矢は高い音色を響かせながら、雲間に消えていった。
 矢がなぜ離れた国に落ちるのか、誰にもわからない。
 太陽の王の力だというものもある。中には、闇の王が関係しているのではと勘ぐるものもいる。ひねくれたものなどは、王子が最初から用意していたのさ、といい放った。
 飛んでいった矢は、いままで、必ず三つの国のいずれかで見つかってきたのだ。
 北には闇の森。
 西の国には美しい姫。
 東の国には英知ある姫。
 南の国には歌楽の巧みな姫。
 闇の森以外の国は、太陽の国に忠誠を誓っていた。
 矢が落ちた国の姫は、意思とは関係なく、太陽の国の王子と結婚しなければならない。
 そうすることで、その国は太陽の国の恩恵を受けられることになっている。
 妃になる姫は、その国旗と矢を持って、王子とともに太陽の国を訪れることになっている。
 それほど時間のかかることではない、と年を取った家臣が、以前ジェルミに教えてくれた。必ず矢は見つかるのだ、と。ジェルミの父王は、それは簡単に矢を見つけてみせた。妃になる姫を連れて、国に戻ってきた。だから、ジェルミもそれほど苦労することはないだろう。家臣は決めつけるようにいった。
 それを聞いて、ジェルミは成人の儀式のことを、単純な試練だと侮っていた。連れていく従者も一人だけにした。矢を放ったその日のうちに、ジェルミは意気揚々と国を旅立った。



 リュメールがもうこないなど、ジェルミには信じられなかった。当然、夜になればいつも通りやってくるものと思っていた。
 焚き火のそばに寝転がり、夜空を眺める。炎の明かりで星は見えづらく、月の光も乏しい。
 宿のある土地を訪ねている日は、寝台で眠ることができた。けれど、いつもとは限らない。今晩のように野宿になることが多かった。
 ジェルミは自分が従者から侮られていることに気付いていた。夜になると目に見えないものと話す王子のことを、ほかの人間が何といっているのか、ジェルミは知っている。知った上で、ジェルミはリュメールを待った。
 別れの言葉の通り、リュメールは訪れなかった。
 一人の夜がさびしかった。初めて過ごす孤独。どれほどリュメールの存在が大きかったのか、会えなくなってしまってから気付いた。
 リュメールは友であり、姉であり、妹でもあった。唯一、ジェルミのさびしさを埋めることのできる存在だった。
 恋をしているのとは違う。家族を失ったような思いだった。
 胸のうちが苦しく、切なく、えぐれていくようだった。
 悶々とした様子を、従者に見られたくなかった。
 ジェルミは従者に背を向け、まるくなって眠りについた。



 0 少女


 少女は、物語の登場人物たちと同じように成長した。
 部屋に鍵をつけて、パパから身を守ることができるようになった。
 泥酔して怒鳴り散らすママのことを無視できるようになった。
 女らしく髪を長く伸ばし、化粧をした。その化粧も周囲を威嚇するように派手だった。
 胸の内側にわだかまる怒りやさびしさを、少女は表にだすようになった。しかし、決してそれは両親にではなく、自分や友人たちに向けられた。
 おとなしかった少女は乱暴になった。怯えていた幼い頃は、物陰でひっそりといろんなことが過ぎ去るのを見守るだけだったが、成長した少女はその怯えを怒りや衝動に変えた。
 悪い仲間に入り、窃盗やものを壊したり、けんかをしたりするようになると、いつの間にか鏡の部屋にも隠れなくなった。心の慰めであった物語も紡がなくなった。あれほど大事にしていた、赤い髪の人形も放っておかれて、埃をかぶっている。
 空想の男の子も女の子たちも不幸になればいい、と思うようになっていた。
 少女にとって空想は逃げ場だったはずだ。けれど、空想の中の女の子も男の子も苦しみだした。逃げ場ではなくなった空想は、ただつらいだけだったのだ。だから、そんなものなどに頼る自分を嘲り笑い、必要ないのだと思うようになった。
 少女は家に帰らず、派手で露出の多い挑発的な格好をして、仲間の少年たちと連れ立ち、遊び歩いた。
 そうやって家に寄りつかなければ、パパやママに会わずにすんだ。
 学校にもいかずに仲間たちといることで、苛立つ気持ちを紛らわすことができた。
 そのうち、一人の少年が気になるようになった。少年は悪い仲間の一人だった。
 悪ぶった格好に似合わず、少年は純朴に見えた。エレキギターをかき鳴らしながら、いつか大成してやると意気込んでいる。少女のからかいに照れたりして、ほかの少年たちとどこかしら、違っているような気がした。
 ギターを弾く、歌のうまい少年に少女は恋をした。
 いつもそばに座り、彼の話に耳を傾けた。少女は彼が大スターになると疑わなかった。たとえ、少年がコンテストにでたりバンドを組んだりしなくても、その夢を一緒に見ることで、少女も楽しい気分になることができた。
 少年と少女は次第に仲良くなっていき、自然と体を重ねるようになった。
 少年との行為を少女は聖なることのように感じた。
 汚くて価値のない自分が、少しでも美しくて意味あるもの、必要とされるもののように感じることができた。
 その行為が多ければ多いほど、少女は自分が清められていくと信じた。



 4 ジェルミ



 ジェルミは従者を連れ、放たれた矢を求めて東から西、南へと渡り歩いた。しかし、矢は一向に見つからなかった。
 残るは闇の森となった時、従者が城に戻ろうといいだした。
 しかし、矢の所在もわからないまま戻るわけにはいかない。
 それに、ジェルミはリュメールのことを思いだした。
 もし、闇の森にいくことを恐れて引き返した、と彼女が知ったら、きっとまた呆れられるだろう。
 あの時は弱虫でいいと思ったが、いまは自分のことを侮っている従者も共にいる。従者にまでばかにされるのはいやだ、とジェルミは思った。
「王子、矢はいずれ見つかります。今回は城に戻り、姫が矢を持って名乗りだすのを待ちましょう」
 従者は卑屈な顔をしていった。その顔には王子への侮蔑とへつらいが込められている。
 ジェルミは強がっていってしまった。
「何も持たずに戻るわけにはいかない。戻りたいなら、おまえだけ先に帰ればいい」
「それはいけません。王子のお世話をするのが仕事ですから」
 やがて、二人は森の裾についた。ジェルミは馬から下りる。
 闇の森の黒々とした樹木が、強固な鎧のように見える。森の入り口に生える木々の密度が高く、馬を乗り入れることは難しく思えた。
 ジェルミは唾を飲み、足を踏みだす。
「王子、呪われた森に入るのは……」
 従者が怯えた声を上げた。
「ぼくは怖くない。おまえはついてこなくていい」
 ジェルミは一人で黒い闇の森に入っていった。



 一歩踏み込んだとたん、太陽の光が閉ざされた。
 日差しは分厚い梢に遮られ、冬のように冷え冷えとした空気が横たわっている。
 森は、夜のように薄暗い。
 森の木々の枝は、ジェルミの背後を緑のカーテンで隠していく。
 木の根っこがはびこり、それに足が取られる。奇妙な形にねじくれて伸びる枝。いく手を遮るように縦横に生える蔦。それらをよけながら、ジェルミは盲目的にまえに進んだ。
 どれほどの時間を歩いたかもわからない。同じ場所をぐるぐると廻っている錯覚に陥る。
 空腹を感じ、更に不安になる。馬に積んだ食料をおいてきてしまったのだ。
 後悔しても遅い。どこからやってきたのかさえ、わからないのだから。
 疲れで視界がぶれだした時……。
(あいつ、だれだ)
(えものだよ)
(エトゥワールさまのえもの)
 くすくすという笑い声が、低木の茂みから聞こえ始める。しわがれた、野卑な声。それは一様にキイキイと甲高い。茂みはどう見てもジェルミの腰より低い。一体何が潜んでいるのか、ジェルミは気味悪く思った。
 そんなジェルミの思いを無視して、甲高い声は後ろをついてくる。
(どうする)
(どうしようか)
(エトゥワールさまにもっていくか)
(そうしようか)
 声はジェルミのことなど気にせず話し込んでいる。
 ジェルミは立ち止まった。とうとう好奇心に負けてしまった。
 エトゥワールとは誰だろう、闇の森に人間がすんでいるのだろうか……? とジェルミは思った。
 生まれて初めて一人になって、他人が恋しくなったのかもしれない。
「そこにいるのは、誰だ?」
 ジェルミは恐る恐る声をかけた。
(きづいたぞ)
(いまごろか)
(おろかものだ)
(でもわかい)
(うつくしい)
(こっちにこい)
(こいこい)
(ついてこい)
(エトゥワールさまにおあいしろ)
 声はひいひいと笑いながら、葉陰を揺らして遠ざかっていった。エトゥワールという人間の居場所に案内するつもりのようだった。
 声は少し進んでは待つ、ということを繰り返す。
 ジェルミにとって、その声だけが頼りだった。
 ジェルミは必死で、茂みの中から聞こえてくる声を追いかけた。



 声を追いかけていくうちに、とても広い空き地にでた。ひらけた木々の梢から、暮れなずむ空が覗く。そこから差し込む夕日の茜色が木々の葉を染め上げている。その枝葉の向こうに真っ黒い城がそびえていた。
 城の外壁はごつごつとした黒水晶に覆われている。でこぼことした装飾は、不可解な薄気味悪さを感じさせる。まるで巨大なアリ塚に、尖塔を何本も立てたようだ。
 城を囲むように作られた庭には、白い石膏の噴水とアラバスタ細工の乙女たちの像がある。
 生気の感じられない庭と城をジェルミは見つめ、立ち尽くしていた。
 薄暮の森の裾で、小鳥が鳴いている。小鳥は噴水の縁に留まり、首をかしげてジェルミを見ている。
 ジェルミが小鳥に近づこうとした時、城の正面にある扉のひらく、重たい音が響いた。ジェルミは小鳥のことを忘れ、扉へ向かった。

 

 黒い骨を組み合わせたような扉が、大きな口を開けてジェルミを待っていた。
 扉の奥には、点々と等間隔に緑の淡い灯火が並んでいる。淡い灯火が届かない場所には暗い闇がわだかまっている。
 ジェルミはためらう。
 ここがあの闇の城なのか。幼い頃にリュメールに誘われたが、怖くていくことすらできなかった。それがいまになって、妃探しのために訪れることになろうとは、皮肉だった。
 こんな時にリュメールが隣にいれば、恐れるものなどないように思えた。
(おやかたさまがおまちだ……)
(エトゥワールさまがおまちだ……)
(わかいおとこをまちこがれている……)
 またもあのしわがれた笑い声が、城の奥から聞こえてくる。
 ジェルミの胸が、再び好奇心にうずいた。エトゥワールという人物が、お館さまといわれているのだろうか。一体、どんなひとなのだろう。
 とうとう好奇心が恐怖に勝った。
 ジェルミはしわがれた声に導かれ、城の奥へと進んでいった。
 幾つも扉を越え、天井の高いドームを通り抜ける。緑色に照らされた長い廊下を過ぎていく。緑色の灯火に、黄色いろうそくの光が混じり始めた。
 気付くと、ほかの場所とは雰囲気の違う部屋に立っていた。
 見上げると、天井には煙水晶のシャンデリアが垂れ下がり、そこから黄色い灯火が揺れている。
 石の床には、黒い毛皮が敷き詰められている。ジェルミは視線を徐々に奥へと移した。
 奥まったところに黒い繻子しゅすのカーテンが下がっており、その中に誰かが横たわっている。
 女の白い足先がカーテンの隙間からでており、生気のない肌をさらしている。
「ようこそ、闇の城へ」
 カーテンの奥から聞こえた声は、うら若いものだった。恐らくジェルミと変わらない年頃ではないだろうか。
 衣擦れの音とともに、黒い繻子のカーテンがひらかれて、奥から黒い絹のドレスを纏った女が現れた。その顔は黒繻子の陰になり、はっきりと窺うことができない。
 幾つもの黒いビロードのクッションにうずもれ、横たわっている。黒繻子から燃えるような赤い髪が垂れて見えている。
 ジェルミは、心を奪われたように赤い髪を見つめていた。
「こちらへ」
 ふいに片手で招かれる。ジェルミは魔法にかけられたように女に近づいた。
 傍らのクッションに座るように促され、ジェルミは素直に腰を下ろした。
 黒繻子がさらさらと揺れ、真っ白な女の顔が現れた。赤い髪がしどけなく女の顔を覆い、その目は黄褐色で、猫の瞳のように気まぐれに動く。唇はしっとりと濡れて紅く、官能的に笑みを造っている。
 女はどことなくリュメールに似ていたが、ジェルミは気付かなかった。余りにもその印象が違いすぎたためだ。一目で女に心を奪われたジェルミには、女がリュメールと似ていることがわからなかったのだ。



 彼女は、夜に咲く赤いバラ、闇に妖しく煌めくルビー、夜空に輝く紅い星。
 ジェルミは言葉が尽きると、今度は唇と指先の愛撫で、エトゥワールの素晴らしさを讃えた。
 滑らかな白い肌に、紫色の紋様が浮かんでいる。紋様は、豊かな両乳房を脇からすくうように取り巻いている。そのまま、なだらかな凹凸を這うように紋様は伸びていき、足先まで取り巻いていた。
 ジェルミはエトゥワールのそばに横たわり、美しいと思う場所すべてにくちづけていった。
 エトゥワールは、ジェルミが思った通り、若い女であった。だが、彼女は若々しくはつらつとしていない。気怠い雰囲気を醸している。彼女が何もかもにうんざりしているように、ジェルミには思えた。
 彼女は余りしゃべらない。声を立てて楽しそうに笑わない。恋い焦がれるジェルミに、想いを告げてくれない。
 ジェルミは、エトゥワールに何度も愛していると告げた。鹿のような、しなやかでたくましい四肢を絡ませながら、何度も何度も息吹をほとばしらせて、愛の言葉を囁いた。
 しかし、彼女は冷笑するだけ。
 共に太陽の国にいこうといっても、彼女は何も答えない。何度もしつこく問うて、やっとエトゥワールは冷たい瞳でジェルミを睨んだ。
「おまえは愚かものだ。ここがどこか忘れている。ここは闇の城。そして、わらわは闇の王の許嫁。そこまでわかっていながら、なおもわからぬふりをする。おまえはどうしようもない愚かものだ」
「エトゥワール、君はまだ闇の王と結婚していないじゃないか」
 その言葉に、エトゥワールは冷たい視線を向ける。
「ここでぼくと幾夜も過ごしたが、現に闇の王はやってこない。君が本当に許嫁だという証拠があるのか」
「わらわがここにすんでいることが証拠だ」
「ぼくのことが嫌いだから、ついてきてくれないのか? ぼくのことが好きじゃないのか?」
 エトゥワールは何かをいいかけたが、ジェルミから視線を外すと、部屋の暗い一角を見つめた。深いため息をき、口を閉ざしてしまった。
 ジェルミにとって、矢は、エトゥワールを連れだす、格好のいいわけだった。まるで、矢があればエトゥワールが自分を愛し始めてくれるように勘違いした。
「矢があれば……、君を妃として連れていけるのに……。闇の王から君を奪う口実になるのに……」
 エトゥワールのあからさまな拒絶をまえに、ジェルミは同じ言葉を繰り返すしかなかった。
 物陰からしわがれた話し声が聞こえてくる。
(ばかだ、おろかものだ)
(おつむがからっぽだ)
(やみのおうはずっといる)
(みてるぞ、ぜんぶしってる)
(おやかたさまも、そろそろこいつにあきてくるころだ)
(そうだ、あきてくる……)
 エトゥワールとのことを、闇の王は知っている。二人の行為を隠れて見ている。もしかすると、いまもこの部屋にいるかもしれない。そんなことを考えて、ジェルミは怖気おぞけを感じた。



 二人で寝台に寝そべっていると、窓の外から小鳥の鳴き声がした。鳴き声が聞こえるとともに、エトゥワールは怒りっぽくなって、魔物やジェルミに当たり散らした。
 閉口したジェルミは、寝台から抜けだした。
 衣服の上からガウンをはおり、庭に向かった。
 いつしか、廊下を抜け、中庭を臨む回廊にでた。中庭は緋色に染まっている。ぼんやりとたたずんでいると、徐々に周りが紫色に塗り替えられる。
 薄暮の中庭に、小鳥が舞い降りた。
 ジェルミは夢うつつの気持ちで、その光景を見ていた。
 小鳥は乙女たちの像のあいだを飛び跳ねた。小鳥は膨れ上がり、少女の姿になった。ぼんやりとした幽鬼の姿。その少女がエトゥワールにうり二つなのに気付く。
 ジェルミは驚きを隠せず、ただ見つめている。少女が踊りをやめた時、ジェルミは少女に近づいた。
「リュヌ」
 幽鬼のような少女は、友人のリュメールに間違いなかった。
 リュメールは、ジェルミに気付き、さびしげにほほえんだ。
「久しぶりね」
 次々と、ジェルミの口を疑問が突いてでる。
「なぜ、君がここにいるんだ」
「ここがわたしのいる場所だから。そんなことより、この城からお逃げなさい。でないと、あなたもいまに血祭りにされるわよ」
 リュメールの物騒な発言にジェルミは驚いた。
「どういうこと?」
「エトゥワールは男に飽きると、魔物に慰みものとして下げ渡して、八つ裂きにするのが趣味なの」
 ジェルミはガウンをぎゅっとかき抱き、青い顔をしていった。
「まさか……」
「いままで、例外はなかったの。それに、闇の王の許嫁でもある。ただではすまないわよ」
「どうしよう?」
「逃げるしかないわ。いますぐに」
「でも、でも、ぼくは彼女を愛してる。この森で矢さえ見つかれば、ぼくは彼女を連れていけるんじゃないかな」
「矢もないのに何をいってるの?」
「リュヌは矢のある場所を知らないの? 矢があったら、彼女もぼくについてきてくれるんじゃないかと思うんだ。矢がないから、彼女はぼくに思いを告げられないのかもしれない」
「何をばかなことをいってるの? あの子は矢があろうとなかろうと、誰も愛さないわ。良心がないのだから誰も愛せないのよ」
「それなら、どうしたらいいの?」
「あの子の良心でも探すしかないわね……」
 エトゥワールには良心がないと聞かされ、ジェルミは納得した。あの冷たさはそうとしか説明ができない。
「良心を見つけたら、エトゥワールはぼくについてきてくれるかしら?」
「いつまでも何をいってるの、おばかさん。横恋慕はやめて、さっさとお逃げなさい」
 リュメールはジェルミの言葉を一蹴した。
 ジェルミはリュメールに追い立てられ、森に入っていった。



 Ⅳ リュメール



 森にジェルミを追い込んだあと、リュメールは考えた。
 城は相変わらず、暗く、よそよそしい雰囲気だ。闇の王の手下である魔物たちが、暗闇からいつでも様子を窺っている。
(おや、リュメールだ)
(ことりちゃんがきたよ)
(めずらしいもんだ)
 口々にさえずり合っているのをしり目に、ずんずんとエトゥワールの寝所へと進む。
 エトゥワールは寝台でうたた寝をしている。彼女に闇がねっとりと覆いかぶさり、蠢いている。闇の遠慮ない愛撫にエトゥワールはうなされている。
 リュメールは、エトゥワールから目を反らした。
 リュメールこそが、エトゥワールの良心なのだ。寝台で悲痛な声を上げているのは、自分自身なのだ。苦痛と絶望は、すべてエトゥワールが引き受けているのだ。
 寝所の片隅に目をやる。
 エトゥワールの寝所の奥には、魔物たちの吹きだまりがある。そこには魔物たちが拾い集めたガラクタが、山のように積み上げられているのだ。
 リュメールはそこに寄っていき、声をかけた。
「おまえたち、この森で三色の国旗のついた矢を見なかった?」
(みたよ)
(みたみた)
 魔物たちの答えに、リュメールは意気込んだ。
「どこで見た?」
(ここじゃないどこか)
(ひひひひ)
 ふざけるように嗤う、しわがれた声。
 リュメールは苛立ち、低い声で脅す。
「ふざけたことをいってると、エトゥワールにいいつけるよ」
 とたんに、魔物たちはしおらしくなった。
(うそだよ、いいつけないでおくれ)
(しってる、そうだ、いちばんたかい、きのこずえにあった)
(あさひにさらされる、つきのひかりにてらされるから、わしらはこわい)
(いきたくない)
「そう、じゃあ、まだ誰も取りにいってないのね」
(いってない、いってない)
 リュメールは、ほっとした。
 きびすを返し、急いで寝所をでた。
 リュメールは、矢を三つの国のいずれかに持っていこうと決めていた。
 国旗と矢をエトゥワールに渡そうとは思わない。エトゥワールがジェルミの花嫁となったとしても、闇の王の婚姻が取り消されるわけもなく、逃げられるわけでもない。
 いまのジェルミでは、闇の王から彼女を助けだせるはずがない。
 弱虫な王子はかわいらしい姫と一緒になって、幸せに暮らすのが一番なのだ。



 リュメールは中庭を抜けて、ふわりと飛んだ。幻の体が大気の流れに乗り、徐々に浮き上がっていく。樹木の梢につま先立ちして眺めると、はるかかなたに抜きんでて高い木が見つかった。
 リュメールは木のてっぺんにつま先をかけ、ぴょんぴょんと跳ね飛んで、目的の杉のもとへとやってきた。
 杉は、枝を左右に伸ばし、尖った針のような葉をいからせて、まるでリュメールに敵意を向けているように見える。その杉のてっぺんに、白と赤と青の三色の国旗を結わえた矢が引っ掛かっていた。
 リュメールはそれを拾い上げると、手に携え、ここから一番遠い国を目指した。

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