閉じる


<<最初から読む

11 / 23ページ

 0 少女



 少女が少年のアパルトメントに転がり込んで、数か月が経とうとしていた。
 少女と暮らすようになると、少年はつまらない理由で仕事を辞めた。すごい曲を作って、くだらない大人たちを見返してやる、と少年はうそぶいた。しかし、毎日、ギターを弾いているか、酒を飲んでいるかのどちらかだった。
 少女は、自分の収入だけでは生活できないことに気付いた。しかし、少年は理解してくれず、仕事の話になると不機嫌になった。
 業を煮やした少女は、強い語調で少年に頼んでみた。
「ねぇ、仕事してよ。あたしだけじゃ、稼ぎが足りないから」
 それを聞いた少年は、不機嫌そうな顔をして少女を無視すると、部屋をでていった。少年は一週間帰ってこなかった。
 少女は悔やんだ。仕事をしてくれなどと、二度といわないことにした。
 ふらりと帰ってきた少年は相変わらずだったが、少女が昼夜問わず働くことで、少年を養った。
 少年はでかけたきり、次第に帰らなくなってきた。
 少女とよくつるむ仲間たちは、少女が浮気されている、と告げてきた。
 少女はそんな言葉など聞こえないふりをした。
 ある時、二週間も連続で勤務が続いた。少女は夜中にへとへとになって帰ってきた。
 寝室に入ると、少年と見知らぬ女がベッドで絡み合っているのを、目の当たりにしてしまった。
「誰、そいつ!」
 少女は少年に詰め寄った。
「うるさいな、誰だっていいだろ」
 少年はうるさがり、少女の頬を打った。
 少年の傍らの女は、それをにやつきながら見ている。
「にやにやしてんじゃねぇ!」
 少女は頭にきて、女の髪をひっつかんだ。
「ばか! やめろ」
 少年は女をかばい、少女を足で蹴った。
 少女は床に転んだ。少年の傍らにいるのが、既に少女ではないことを悟った。悔しさに目のまえが涙でにじむ。少女は少年と女を罵った。
 少年に裏切られ、少女は着の身着のままで少年の家をでていった。
 酒を買って夜通し飲み続け、泥のように酔っ払ったていで、自分の家に帰った。
 鍵もかけずに自分の部屋で寝てしまった。
 その夜、パパがきた。
 少女は暴れたが、抵抗はむなしかった。
 朝になると、少女は、もう二度と帰るものか、と捨てぜりふを吐き、家を飛びだした。



 Ⅴ リュメール



 やがて、朝がやってきた。リュメールの姿が小鳥へと変わる。その頃には南の国の上空だった。眼下に城が見えてくる。
 城の庭園から優しいハープの調べが聞こえてくる。庭園には花を咲かせた木々が植えられ、その中心に黄色い大理石でできた庵が建てられている。ハープの音色はその庵から響いてくる。
 リュメールは足に矢を携え、枝から枝へと飛び移りながら、ハープを弾く女のもとに近づいた。
 女は非常に美しいわけではなかったが、優しい顔立ちをしている。ふっくらとした頬に、健やかな光が宿る瞳。ハープとともに口ずさむかわいらしい唇。はちみつ色の髪を高く結いあげて、色とりどりの石を散りばめた髪飾りをつけている。
 リュメールの心臓は痛んだが、あの弱虫の少年を幸せにするのは、この娘なのだ、と心に決めて羽ばたいた。そして、姫のハープの先に留まる。
「あら」
 姫が小鳥に気付く。小鳥が足につかんだ矢を目にして、驚いて声を上げる。
「まぁ、太陽の国の国旗だわ」
 国旗と矢がもたらされるということは、神の花嫁になるという意味だった。
 生まれた時からそのように教育された姫は、矢を見て覚悟を決めた。
「誰か」
 姫は、直ちに侍女を呼んだ。
 父王にこのことを知らさなければならないからだ。
 リュメールは軽く羽ばたいて、南の姫の膝に乗った。
「何て、かわいらしい」
 あいさつ代わりに鳴いてみせる。その歌声の素晴らしさに、姫は感動して、手元のハープを引き寄せると、かき鳴らした。
 知らせを受けた父王は、王子がこないことを心配したが、待っていてはらちがあかぬと、独断で太陽の国へ先に訪れることにした。
 こうして、リュメールは銀色の大きな鳥籠に入れられ、南の姫とともに太陽の国に旅立つことになったのだ。



 0 少女



 家をでた少女は、毎日、違う男の体を渡り歩いた。
 酒場で知り合った男とモーテルで寝ては、その日の宿にした。
 体を合わせる相手は、どんな男でも良かった。
 体を売ることも覚えた。たまに金を手渡してくる男がいたからだ。
 様々な男と寝ているうちに、薬の味を知った。ヤク中の男と寝ることもあったからだ。
 最初は無理矢理だったが、そのうち、自分から薬を求めるようになった。
 行為の快楽は、少女のすさんだ心を少しだけ慰めた。酒や薬は日々の苦痛を和らげた。
 中毒になってしまった薬や酒を、自分からやめることができなかった。薬や酒代を稼ぐために、更に体を売って、それが駄目な時は酒場でウェイトレスをした。
 自分に何があろうと、他人は関心を持たない。もともと汚れた自分を大事にしてくれる人間などいない。自分に価値があるとは、到底思えなかったからだ。
 少女にとって、自分自身は大事にする必要がなかった。早くぼろ切れのようになって、人生を終わらせたかった。誰からも忘れられて、塵のように消えてしまいたかった。
 若々しかった少女の外見は、薬と酒で変わり果てた。まだ十代のはずだが、三十代後半に見えた。
 のどは酒に焼け、声もしわがれた。体は骨張ってやせていった。
 薬も男も酒も全部試して、気がつけば、願った通りに少女の体はボロボロになっていた。



 5 ジェルミ



 ガウンのまま追い立てられたジェルミは、ようやっとの思いで森を抜けた。
 着の身着のままで、太陽の国を目指した。
 道中、ジェルミはやむを得ず、ものもらいをしながら歩き、飢えをしのいだ。
 何度も棍棒で追い立てられた。盗人だと怪しまれて、暴力を受けたこともあった。
 自分は王子だという証拠が何一つないため、ジェルミは生まれて初めて、機転や才覚で面倒ごとを避けるすべを学んだ。
 殴られて痛い思いをしながら、ジェルミは自分がいろいろな人間に守られていたことを悟った。
 道々、ジェルミはエトゥワールとリュメールのことを考えていた。
 甘やかされて育ったことを自覚したいまでは、リュメールに頼っていたことを反省していた。
 愛されることが当たり前だった。エトゥワールも自分を愛していると信じ込んでいた。あの時、闇の王に束縛されたエトゥワールには答えることのできない質問を、ジェルミは無邪気にしていたのだ。
 強引にエトゥワールをさらうか、若しくは、諦めてしまわないといけなかったのだ。どちらも選ばなかった自分に、エトゥワールを愛する資格はあるだろうか、と思った。
 
 
 
 ジェルミが太陽の国にたどりついた時には、見る影もなく、みすぼらしい姿だった。
 数回、門戸をたたいたが、衛兵に追い払われた。何度もしつこく近従の名を呼んだおかげで、やってきた近従に確認されて、王子かもしれないといわれた。それでも城には入れてもらえず、ジェルミは最後の手段だと、乳母の名を告げた。半日以上過ぎ、乳母が検分にやってきて、初めて王子だと認めてもらえたのだった。



 先に戻った従者は、ジェルミとともにいなかったことを隠して、酒場に潜んでいた。湯浴みをすませたジェルミに、家臣がどのような処遇にするかと聞いてきたが、ジェルミは従者を辞めさせるだけにとどめた。
 王子の留守のあいだに、南の姫が国旗と矢を持ってきたと告げられた。
 それを聞いて、ジェルミは胸が痛むのを感じた。エトゥワールのことが思いだされたからだ。
 結局、ジェルミは何もできずに戻ってきた。エトゥワールを諦めなければという思いと未練の狭間で、ジェルミの心は揺れた。
 そういう気持ちを押し殺して、王子の義務を果たさねばならない。
 身支度を数人の侍従にさせ、急いで謁見の間に向かった。
 正装したジェルミは、謁見の間で初めて姫を見た。
 はちみつ色の髪の姫は、笑顔のかわいらしいひとだった。仕草や声も愛らしかった。自分の髪や容姿に似合う服をよく把握している。黄色いドレスを両の手で持って、膝を軽く曲げて、あいさつした。
「ジェルミさま、御機嫌麗しゅう」
「うむ」
 銀色の椅子に座ったジェルミは、姫を見つめた。
 内心、好きになれそうな姫で良かったと思った。
 ふと、姫の傍らに目をやる。そこには籠に入った小鳥がいた。その小鳥に見覚えがあった。闇の城でエトゥワールを悩ませ、リュメールに変身した小鳥ではなかろうか。
「その鳥は?」
「はい、矢を持ってきた小鳥にございます」
「矢を?」
 ジェルミは眉をひそめる。もしも、この小鳥がリュメールならば、やはり、森に矢はあったのだ。けれど、持ってきたのは南の国の姫。この事実は受け入れないといけない。
 ジェルミは長い旅のことをねぎらうと、用意した部屋でゆっくりと休むように、姫に告げた。
 式の日取りは一日もかからずに決まった。姫もそれに同意し、改めて嫁入り道具を携えてやってくると約束して、南の国に戻っていった。
 
 
 
 式が間近に迫った頃、再び、姫がやってきた。今度は多くの侍従と侍女を連れ、隊列を組んで嫁入り道具を運んできた。
 城下町はそれだけでお祭り騒ぎになった。王子と姫の結婚を、国を挙げて祝福した。



 式の当日、ジェルミとアーキシェル姫は太陽の塔に上った。
 子供ができると、ジェルミは妃と別れ、再び太陽の塔に上り、太陽の王となる。
 そういう決まりを、ジェルミは何度も復唱した。復唱しながら、自分が太陽の王になったあと、父王はどこへいくのだろう。妃とともに過ごすのだろうか、と考えていた。
 厳かに式は進み、太陽の王に祝福され、二人は塔を降りた。
 二人は城の西翼を新居とした。子供ができるまでそこで暮らすのだ。
 成人したばかりの王子と、年上の姫は、すぐに仲睦まじく、愛し合うようになった。
 アーキシェルが西翼棟の庭にある庵で、ハープを奏でながらジェルミに歌いかける。その声は天使のようだった。
 ジェルミはその声を聞きながら読書をし、執務に励んだ。
 必ず、その傍らには小鳥がいた。ジェルミは小鳥を眺めながら、闇の城でのことを思いだすのだった。



 蜜月の夜、腕に抱いたアーキシェルの白い体を離して、ジェルミは褥の中で寝返りを打つ。すべやかな背にあの手触りを思いだす。冷たく凍えた肌とは違う、暖かなくぼみ。稜線。へそから下のなだらかな丘。指先に反応する声。何もかも違う。
 アーキシェルを愛している。けれど、忘れられない何かが、心にわだかまっていることに気付いた。
 冷たく絶望した黄褐色の瞳。猫のように細められた目。誰のことも信じないくせに、誰をも受け入れる。ジェルミを拒絶するあの心。ジェルミだけでなく、すべてのありようをも拒絶する倦んだ態度。闇に沈み、暗闇に潜み、常夜に息づく、死のような少女。
 急に思いだされ、無性に恋しくなると、真夜中に褥を抜けだし、小鳥のもとへと馳せる。
 ジェルミは、どうしてもエトゥワールの声を聞きたかった。どうしても知りたかった。まだ覚えているか、愛はあるか、と。
 しかし、籠の中に小鳥はいなかった。ジェルミは籠を手に、近くにいるかもしれない小鳥に話しかけた。
「リュヌ、リュヌ。ぼくの声が聞こえるか? ぼくの気持ちを知っているか? あの時のままのぼくの気持ちを……、変わりなく彼女を愛するぼくの心を……」
 そこまでいいかけた時、背後から声がした。
「その小鳥の主人は、リュヌというのですか? それとも、小鳥の名がリュヌというのでしょうか? あなたの思いびとの飼われていた小鳥だったのですか?」
 背後の声にジェルミは振り向く。
「その小鳥に矢を持たせたのは、あなただったのですか?」
 アーキシェルが青い顔をしてたたずんでいる。
「アーキシェル……、寝ているとばかり……」
「あなたが、夜な夜な褥を抜けだすのは知っていました」
 ジェルミは後ろめたさに黙り込む。
「あなたの小鳥を見る瞳が優しいことに気付いていました。それは恋人を見る目です。矢を持った小鳥がわたしのもとにやってくるなんて、初めからあなたが仕組んでいたことだったのですか? わたしの思い違いでしょうか」
 何も答えないジェルミに、アーキシェルは泣いて訴える。
「あなたがわたしを見つめる目が、わたしに向けられていないことなどわかっています。あなたが語りかける言葉が、ことごとくわたしにではないことも……。あなたは思いびとを忘れるために、わたしを選ばれたのですね」
 ジェルミは胸を押さえた。諦めなければいけない、二度とあの森へいくことができないこともわかっている。いま、アーキシェルを悲しませることが、よくないこと、これから先を不幸にすることも……。
「確かに小鳥をリュヌとは名付けたが、おまえ以外の女に恋をしているわけでも、思いを寄せているわけでもない」
 ジェルミはその証拠にと、鳥籠を見せつけた。中に小鳥がいないことをわからせる。
「あの小鳥はいない。ぼくも夜中にこの庭を訪れることはやめよう……」
 ジェルミは泣くアーキシェルを抱き寄せた。幸せと愛は別だと。いまは幸せをはぐくもうと。



 Ⅵ エトゥワール



 庭のどこからか、再び小鳥のさえずりが聞こえるようになった。
 そのさえずりも、いまのエトゥワールには無意味なものだった。
 ジェルミが去った痛手は大きかった。リュメールだけでなく、エトゥワールもジェルミが何ものか知っていた。
 飽きることがあろうかと思っていた。この手でなぶることがあろうかと。
 闇の王の印した紋様をジェルミがくちづけていくたびに、心は燃え上がり、体は震えんばかりに愉悦を感じた。
 はっきりと愛しているといえたらどんなに良かっただろう。闇の王を恐れずに、ジェルミがエトゥワールを奪い去ってくれたらどんなに幸せだったろう。
 リュメールが矢を持って、ジェルミとともに闇の城を去ったことは、エトゥワールにとって絶望にひとしかった。それは唯一の希望や喜びをなくすことだった。
 闇の城に絶望と孤独だけが残された。
 死が、情夫のようにエトゥワールの褥に横たわる。
 涙も涸れた。
 声もでない。
 夜がくる。
 暗闇が広がる。
 エトゥワールの傍らに、漆黒のひと影が寄り添う。
 怖気の走るくちづけ。生贄の日が近い。
 エトゥワールは、眠りの中に逃げることで正気を保った。



 Ⅶ リュメール



 エトゥワールが目覚めなくなると、リュメールはひとの姿に変身できなくなった。
 リュメールには、エトゥワールの絶望が手に取るようにわかった。
 苦痛と絶望と孤独を、すべてエトゥワールに押しつけたリュメールにとって、エトゥワールの逃避は責めることのできない、当然のことだった。
 小鳥でいることは、その贖罪だ。
 ジェルミと話ができないことは、その罪ととがだ。
 ジェルミは愛を紡ぐ。それはリュメールやエトゥワールとではない。
 ジェルミは愛をはぐくむ。きっとそれが、最良のことなのだ。



 0 少女



 少女を心配する男がいた。
 少女が働く酒場の店長だった。
 最初、少女には、店長がなぜ自分に優しくするのか、わからなかった。体が目当てなのだろうと思った。だから、ちょくちょく裸になって、あられもない格好で店長を誘惑しようとした。
 そうすれば、金に困らないし、寝泊まりする場所が手に入る。
 しかし、そのたびに店長は悲しそうにほほえむだけで、少女に手をださなかった。挙げ句に自分の服を脱いで肩にかけてくれる始末だった。
「あんたさ、あたしとやりたいんだろ? 金をくれたら、どんなことでもしてやるよ」
 少女はすれっからしのようにいい放った。
 店長は首を振った。
「もっと自分を大事にしろ」
 それだけいうと、自分の仕事に戻ってしまった。
 少女にとって、それは初めての肩すかしだった。なぜか、とてつもなく悲しくなっただけだった。
 薬や酒のせいで無理のたたった少女の体は、しょっちゅう高熱をだしたり、禁断症状に苦しんだりした。
 少女が体調を壊すと、店長は何くれと世話を焼いてくれた。
 最初、父親ほども年の離れた男に反発を感じた。見せつけるように酒場で男と絡み合ったりした。そうすれば、店長も本性を現すだろうと思ったのだ。
 けれど、少女が何をやっても、店長の態度は変わらなかった。そんな店長に少女は心をひらいた。相変わらず、何人もの男とは寝たが、だんだんとそのことを後ろめたく感じるようになっていった。
 そんな思いを払拭するように、店休日には店の仕入れや雑務を進んで手伝うようにした。いままでしようとも思っていなかったことだった。
 それまでは、夜になると様々な男のもとに転がり込んでいたが、これからは店のソファで寝泊まりさせてくれないか、と店長に頼んでみた。
 少女は自分を少しでも変えたかった。店長の悲しそうな笑顔を見たくなかった。
 店長に対して、いつしか親しみを感じるようになっていた。
 店長に特別な感情を抱くようになった。
 初めて、自分から酒や薬をやめようと思いたった。パパに襲われる悪夢を見たり、禁断症状に苛まれたりすると、少女はのたうち回って苦しんだ。少女のそばには、常に店長がいてくれた。苦しんでもがき、泣きわめく少女を、店長は優しく抱き締めて、一晩中そうしてくれた。
 少女は店長を男として愛し始めていた。
 そんな矢先、少女は妊娠していることに気付いた。既に三か月に入っていた。
 しかし、誰の子供かもわからない。
 少女は、目のまえが真っ暗になる思いがした。子供ができたこと、にではない。自分のそれまでの行為、にだった。
 自暴自棄になった少女を、店長は辛抱強く支え続けてくれた。
 少女の恐れは、パパとの子供かもしれないというものだった。それは実際、時期的にあり得なかったが、禁断症状で混乱した少女の思考では、まともな判断ができなかった。
 しかも、薬や酒の中毒で健康な子供が生まれる確率も低く、産むとなると少女の命も危うかった。
 少女は心も体もどん底にあった。店長の手にすがりながら、辛うじて立っているにすぎなかった。
 そんな時に、店長が少女に結婚したいと申しでた。もっと少女を身近で支えたい。守りたいといってくれた。
 しかし、少女は自分を恥じた。
 店長――愛する男に釣り合わないと思い込んで逃げだした。



 6 ジェルミ



 アーキシェルが身ごもった。懐妊の知らせは瞬く間に国中に知れ渡った。
 跡継ぎの誕生は、新しい王の誕生と同様に喜ばしいことであった。
 ジェルミが太陽の王となる日が間近に迫った。ジェルミとて誇らしくないはずはない。しかし、不安のほうが大きかった。
 太陽の王になれば、もはや妃とともに過ごすことはできない。太陽の塔に閉じ込められ、政務と国の繁栄を祈る身になる。
 味けない人生だと初めて思った。あれほど父王にあこがれたというのに。
 金色の仮面をかぶり、豪奢な服を着て、ひとびとに崇められることを、あれほど望んだというのに。
 いまは、妃とともに静かに過ごしたいと願っている。
 激しい恋も身を焦がす愛もいらぬ。
 平凡で平坦な、何事もない穏やかな生活、妃の歌声、何もかもが、どんな宝よりも愛おしかった。
 アーキシェルも、浮かない顔つきをしている。何やら悲しんでいるようだった。
 妃の大きなおなかをジェルミは優しく撫でる。愛おしげに。別れがたい思いを載せて、撫で続けた。
 アーキシェル自身も太陽の王の風習はわかっている。わかった上で婚姻もしたが、もう二度とジェルミと愛を語れないことを思うと悲しいのか、最近は泣いてばかりだ。
 けれど、月は満ち、無情にも別れの時はやってくるのだ。
 陣痛が始まると、ジェルミは部屋を追いだされた。
 部屋の外で、ジェルミは心もとなく、赤子の誕生を待った。
 朝日が昇るとともに産声が上がった。



 Ⅷ リュメール



 ジェルミの妃が臨月を迎えた知らせは、闇の城にも伝わっていた。
 かしましい魔物たちのおしゃべりを、目を覚ましたエトゥワールは苛立ちながら聞いていた。
 眠りに逃避しているあいだに、自分の半身でもあるリュメールが消えてしまった。それだけでもかなりの痛手だというのに、愛してやまないジェルミに子が生まれる。
 あの時、ジェルミを縛ってでも拘束すれば良かった。自分だけのものにして宝物のように閉じ込めてしまえば……、エトゥワールの心中をそんな思いが渦巻いた。
 けれど、もはや遅い。たとえ、そうしていてもジェルミを苦しめるだけのことだろう。
 エトゥワールは体中を這う紋様を見やる。けがれた自分の体。子が生まれる頃には、完全に闇の王のものになる生贄。
 なぜなのか。ここにきた時から、生まれた時から決まっていた約束だと聞いた。
「おまえはわたしのもの。その髪からつま先まですべて」
 闇の王はくちづけのたびにそう囁いた。それは愛の告白ではなく呪いだった。言葉の蔦がいましめのように体中にはびこっている。
 更にリュメールが自分を見捨てた時に、エトゥワールの心は死んだのだ。小鳥は、エトゥワールの良心だったからだ。
 エトゥワールは、おとなしく最期を待った。
 時がきて、見えない侍女たちがエトゥワールを飾り立て始める。黒い羽根飾り。漆黒のドレス。薄絹の黒い足通し。黒く着飾った花嫁は庭にでて、闇の王のまえにひざまずいた。
 どんよりとした闇を背負う王の姿は、夜の中に沈み込み、わずかな明かりに照り返る布地以外に、姿は判然としない。黒い仮面は、闇そのもので形作られたようだ。
 そろそろ、明けの明星のまたたきが激しくなる。夜明けがくるのだ。引き潮のように漆黒の闇夜が引いていく。太陽の最初の光が差し込み始めた。
 夜が明け、エトゥワールの解放の時がきた。それは生からの自由だった。
「産声だ」
 闇の王、オプスキュラがのたまう。城にすまう小さな魔物たちが悲鳴を上げる。
(うぶごえだ!)
(みこがうまれた!)
「こい、エトゥワール」
 漆黒のマントがひらく。
 エトゥワールは無表情でオプスキュラに歩み寄る。死との婚姻が始まる。
 オプスキュラが仮面をずらす。その下の美しい顔が垣間見える。冷たい唇がエトゥワールの唇をはむ。
 エトゥワールとオプスキュラの周囲を、小鳥が激しく鳴きながら飛び交った。
 リュメールだった。
 リュメールはエトゥワールの肩に留まり、生気をすするオプスキュラに向かって鳴きたてた。
 そのあいだにもエトゥワールの顔から、徐々に生気が失われていく。見る間に色あせていく。小鳥も次第に動きを止め、苦しげにさえずった。
 とうとう、エトゥワールの体から命が奪われ、オプスキュラの胸にぬけがらだけが残った。
 新たに一体のアラバスタの像が現れた。その肩には石細工の小鳥が乗せられている。
 エトゥワールとリュメールは、命を奪われ、石にされてしまったのだった。



 0 少女



 男から逃げだした少女は、住み込みの仕事を始めた。安い賃金で重労働を強いられた。外国人労働者が大半を占めている。職場の責任者は労働者に対して非情だった。
 体力を失っていた少女は、数週間もしないうちに仕事中に倒れた。
 職場の人間たちは、気絶して破水した少女を何時間も打ち捨てていた。構っていることができないくらい忙しいのと、責任者すら少女を無視していたためだった。
 そのために少女の子供は死んだ。


 
 少女が目覚めると、そこは病院だった。どうやって病院に運ばれたか、全く記憶にない。
 少女は周囲に目をやった。
 ベッドの脇にひたむきな目で自分を見つめる男がいた。それは、少女を愛してくれている男だった。
 瞳に涙が溢れた。
「どうして、あたしがいる場所がわかったの?」
 少女は素直に訊ねてみた。
「常連の一人がおまえを見たと聞いて駆けつけたんだ」
 男は毎日少女を探していたらしい。酒場の客から、少女の行方を聞いて駆けつけた時には、既に遅かったという。危うく死にかけた少女を病院に連れていき、意識が戻るまでそばにいたのだ、と男は語った。
 それを聞いて、少女は逃げるのをやめようと思った。
 男の愛と向き合い、過去の自分から逃げるのをやめ、立ち向かおうと心に誓った。
 パパやママとのことも、自分なりに決着をつけたいと願った。
 そうでないと、少女はいつまで経っても、男のまえに堂々と立つことができない。対等になることができない。男の愛にこたえることができないのだ。
 少女の話を、男は静かに最後まで聞いた。
 支離滅裂になりがちな話だったが、男は少女の決意を汲んでくれた。
 だったら結婚を両親に知らせるために、少女の実家を訪れよう、と男は持ちかけた。
 幼い頃から自分を苛み続けた恐怖と、少女は立ち向かうことにしたのだった。



 7 ジェルミ



 ジェルミは生まれた子供を目のまえにして、不思議な気持ちになった。
 赤子は二人。男の子は自分と同じ灰色の髪。女の子は妻と同じはちみつ色。
 赤子は小さく、並んで眠る姿はいとけなかった。こんなにかわいい我が子ともこれでお別れなのかと思うと、大いに残念だった。
 別れの思いは押しやって、ジェルミは、赤子の誕生を妃とともに喜んでいた。
 その時――。
 ふいに寝室に闇が垂れ込めた。
 何事かと、ジェルミは我が子と妃をかばって、闇に立ちはだかる。
 闇は次第に形を取り、黒い仮面をかぶった男の姿となった。黒い衣服の下から現れた、白い指先が赤子を指差した。
「未来の王よ、その女子は我が花嫁としてもらい受ける」
 それは恐ろしい言葉だった。
「誰がそんなことを!」
 ジェルミは我が子を守るために、腰に帯びた剣を抜き、闇の王に飛びかかった。
 しかし、闇はするりとジェルミの腕から逃げ、次の瞬間には赤子を抱いていた。
「繁栄と引き替えに、おまえの一族が約束した。生まれてくる姫は必ず闇の王に嫁がせる、と」
 アーキシェルが悲痛な叫びを上げる。
「おまえにわたしの子供を渡すいわれはない! いますぐ返すんだ! それに、おまえには既に花嫁がいるだろう!」
 闇の王は不気味に嗤った。
「そうだ、おまえの妹であるエトゥワールとリュメールは、このわたしが花嫁として手に入れた。いまでは我が庭に乙女の像となってたたずんでいる」
「何だって?」
 ジェルミは悲痛な声を上げた。
「どういうことだ? リュメールもエトゥワールも、わたしの妹だというのか。あんな恐ろしい場所に閉じ込めて苦痛を与えておきながら、命まで奪ったというのか!」
「愚かな男だ。わたしは、いままで呪いを解く機会は与えていた。一生に一度の救いだす機会を与えていたのに、それを無駄にしたのは、おまえの一族だ。成人の儀式の時に飛ばす矢を、必ず闇の森に導いていたのに、いつのまにやら花嫁探しにしてしまっていたのも、おまえたちだ。しかも、矢を見つけられず、矢が落ちていた、と自ら偽っていたではないか」
「しかも、おまえはエトゥワールを救いだす機会があったのに、一人で逃げだした。エトゥワールの良心であるリュメールさえ、連れだせなかったではないか」
 闇の王は嘲るような嗤い声を上げる。
 やがて部屋は暗くなっていき、まだ名もない姫は闇の王とともに暗闇に飲まれ、そのまま消え去った。
「何ということだ」
 ジェルミは激しい感情をあらわにした。それは、いままで感じたこともないほどの怒りだった。それと同時に連綿と続いた愚かな行為に呆れ果てた。闇の王のいう通りなら、愚かにもほどがある。救いの機会を捨ててきたのは、自分の一族だった。
 救いだせなかった妹と双子の我が子とが重なる。
 エトゥワールとリュメール。彼女たちはジェルミの妹なのだ。一つの魂を二つに分けて、闇の王の苦痛から我が身を何とか守っていた妹。
 この儀式が自分にも行われたこと、心から愛した女が自分の妹だったことを、闇の王の言葉で悟った。
 アーキシェルが背後のベッドの上で泣いている。王子も火がついたように泣き始めた。
「まるで呪いだ……」
 ジェルミはそう吐き捨てた。
「何が繁栄だ……、こんなものは呪いそのものだ……」
 ジェルミは泣きじゃくるアーキシェルを胸に抱いた。
 それなのに、侍従や侍女たちは、ジェルミと王妃の様子に目もくれない。慌ただしく儀式の準備をしている。いつも通りの宮殿の様子が薄気味悪い。
 戴冠の儀式が迫ってくる。ジェルミは誰にも悟られないように小刀を胸に忍ばせた。
 
 
 
 儀式のために正装したジェルミは、太陽の塔への階段を上り詰めていった。
 階段の一番上には、父王が腕を広げて待っていた。
「我が息子よ、おめでとう」
 金の仮面の下で父王がいう。
 ジェルミは奥歯をかみ締めると、胸の下にある小刀を握り締めた。
「その懐刀は必要ない」
 すべてを見透かしたように、太陽の王はつぶやいた。
「もはや、おまえはわたし自身となる」
 ジェルミは太陽の王に抱きとめられる。ジェルミはやみくもに暴れ、その仮面をはぎ取った。
 闇。
 そこには何もない。
 ジェルミは、闇の王の仮面を垣間見たように思った。
 太陽の王は、人間の力とは思えないほど強く、ジェルミを羽交い締めにした。父王の腕の力が強くなるほど、ジェルミの体から力が抜けた。恐怖がジェルミの全身を覆う。このままでは死ぬという思いから、絶叫がのどを突いてでた。
 ジェルミの悲鳴を飲み込み、太陽の王は息子の体をマントの中に包み込む。片方が塵となって消えてしまったあと、そこに立つのは仮面をかぶったジェルミだった。



 太陽の王に肩をつかまれ、マントの中に引きずり込まれてから、ジェルミの意識はなくなった。次に気付いた時、ジェルミは上空から自分の姿を見つめていた。
 金の仮面をかぶりなおした、金の髪の自分自身が、民衆に手を振り、塔のテラスに立っている。
 仮面の下の顔は、闇そのものだった。
 闇の王と同じ漆黒の闇が、マントの中にも泥のようにこごっていた。
 闇の王と太陽の王は同じ魔物なのか?
 太陽の王と闇の王は繁栄を与える代わりに、その報酬として命を奪った。何代にもわたって続けてきた、忌まわしいしきたりの正体は、呪いとしかいいようがなかった。
 先代たちがいままで何もしてこなかったことが信じられない。その誰もが自分に妹がいることも、その妹が苦しめられていることも知らずに、太陽の王になることだけを夢見て生きてきたのだろう。
 矢が見つからなかったのはジェルミだけではなかったのだ。さらわれた妹のところに矢が導かれていたのに、先代たちは闇の森を探さなかった。
 あるはずがないという思い込みが、矢と妹を見つけだす、たった一度の機会を無駄にしてしまっていたのだろうか。それとも、最初ジェルミが闇の王を恐れたように、先代たちも恐れていたのだろうか。
 恐らく、エトゥワールとリュメールの存在を知らねば、ジェルミもその一人となっていただろう。
 魂の姿でいる限り、誰にも真実を告げることもできず、離ればなれになったことを嘆くアーキシェルに自分の死のことを知らせることもできない。
 さらわれた赤子を取り戻し、ジェルミの妹であるエトゥワールと小鳥のリュメール、彼女たちを何とか助けだそうと、ジェルミは空を駆けた。
 
 
 
 あれほど遠かった闇の森まで、あっという間だった。新しい花嫁を得た森は、ざわついている。
 ジェルミは城の尖塔を目指す。中庭を上空より見下ろし、そこにアラバスタ細工の乙女たちの像を見つけた。
「エトゥワール!」
 ジェルミは叫び、真新しい像の足元に降り立つ。
 かつての恋人でもあり、妹でもあるエトゥワールのぬけがらが、そこにたたずんでいた。リュメールも石となって、エトゥワールの肩に留まっている。
「エトゥワール、リュメール……」
 話しかけてもいらえはない。生気のない瞳を覗き込み、ジェルミは悟る。
 妹は本当に死んだ。この世から消えてしまった。しかも、それは未来の姫の姿でもあり、現在の自分でもある。
 アーキシェルとともにいる赤子の王子は、いずれ自分と同じ道をたどる。
 ジェルミの怒りがふつふつとたぎった。止めなければ。自分でこの連鎖を止めてしまわないと、永遠に続く。
 太陽の王と闇の王。あの二人はもしかすると同じ存在なのかも知れず、父の顔をして、花婿の顔をして、生贄を求め、見返りに繁栄を授ける悪魔なのかもしれない。
 繁栄と、この呪い。いままでの王子は従順に何も疑問を抱かず、受け入れてしまったのか。なぜ、もっと呪いに対して抵抗し、闘ってこなかったのか。
 ジェルミは憤怒の思いを胸に、妹の像を抱き締めた。すると、ジェルミの魂が空っぽの像の中に入っていくではないか。魂が空の器にすっかり収まってしまうと、次第に体になじんでいった。
 ジェルミはぎこちなく体を動かした。いままでその体で生きてきたかのように、違和感はなかった。
 ジェルミはエトゥワールの声で呼ばわった。すっくと立った姿はエトゥワールそのもの。
 黒いドレスを翻し、黒い手袋をはめた指で太陽の塔の方向を指す。
「闇の下僕ども、我がもとに集え、太陽の塔へ向かうぞ」
 闇の城から、闇の生きものがわらわらと現れる。小さな魔物たちは地より這いでて、先ほどまで立像だったエトゥワールをいぶかしげに見た。
 エトゥワールとなったジェルミは、魔物を踏みつけると、続けた。
「わらわに従え、下僕ども」
 命じながら、まるで生まれた時からそうしてきたように感じた。魂は体に完全になじんだ。ジェルミは無意識にエトゥワールとなった。
 魔物たちはその無体な態度で、直ちにエトゥワールを主人と判じて、命令に従った。
 エトゥワールは、魔物の群れに混じる、一角の黒い天馬に、こちらにこいと合図する。エトゥワールは天馬に腰かけ、闇の軍勢を引き連れ、南に向かった。



 0 少女



 少女は、両親が自分の結婚のことを喜ばないとわかっていた。
 案の定、パパは怒鳴り、ママは泣き叫んだ。
 どこの馬の骨かわからない中年の男を選んだといって、少女を二人して罵った。
 感情的になった両親は、ヒステリーを起こしたように、駄目だと繰り返すだけだった。
 男は冷静に説得した。少女を必ず幸せにすると誓った。
 けれど、両親はそのことが重要なわけではなかった。
 ただ一点。少女が自分たちの思う通りにならないことが不満のようだった。
「このあばずれが!」
 いきなり、パパが少女を殴った。
 ママはただ泣きわめくだけだった。
 男は少女を守ろうと、パパと少女のあいだに入った。
 パパが男を殴り始めた。挙げ句にうずくまった男を蹴り始め、男の頭に手近な鈍器を振り下ろそうとした。
「やめて、やめてぇ!」
 少女は必死で止めに入ろうとした。そこをママが羽交い締めにしてやめさせる。
「パパがあんたの将来を決めるんだ。こんな男のことなんか忘れちまいな」
「おまえはおれのいう通りにしてたらいいんだよ! こんなやつ殺しちまったほうがいい。そうすりゃ、ろくでもない親不孝なおまえにも、親の愛情ってもんがわかるだろ!」
 少女は両親の言葉にぞっとした。
 パパは床に這いつくばる男を蹴り続ける。
 このままだと男は本当に殺されてしまう、と錯覚した少女は、手元にあった灰皿をつかんだ。



 Ⅸ エトゥワール



 エトゥワールは、漆黒の軍勢を引き連れ、丘陵を黒に染め上げて、太陽の国を目指した。
 暗雲のような軍勢を見て、ひとびとは逃げだした。
 闇の王がとうとう攻めてきたのだ、と口々に叫んだ。
 その言葉を耳にして、エトゥワールは嘲笑った。
 既に魔物に支配され呪われた太陽の国に、いまさら何の救いがあろうかと。
 エトゥワールの魂となったジェルミは涙した。
 失われてしまった自分の妹。かつて共に過ごした自分の片割れ。彼女たちの復讐を果たす時がきたのだ。
 奪われた自由や意思を取り戻せはしないが、確かにここにいたのだという主張を、悪魔に知らしめるのだ。
 太陽の塔のまえにある階段に降り立つと、黒いドレスを翻し、声を高らかに呼ばわった。
「太陽の王、それとも闇の王と呼ぼうか! いまこそ、素顔を隠した仮面をたたき割り、この国にかけられた悪魔の呪いを解いてやる!」

 宮殿のひとびとは阿鼻叫喚の中、逃げまどった。テラスから外を見たアーキシェルは、幼い王子を抱いて、立ちすくんだ。宮殿の西翼からも、魔物たちの黒い靄のような大群が、太陽の塔を取り巻いているのが見える。
 
 エトゥワールは、両手で思い切り金の扉を押しひらいた。
 凄まじい音とともに門はひらく。中は漆黒の闇。しかし、闇に慣れたエトゥワールにとっては我が住みに戻ってきたようなものだった。
 魔物を引き連れ、塔内部の螺旋階段を上り詰めていく。
 その最上階の部屋に、金の仮面をかぶった太陽の王がたたずんでいた。
「何をしにきた、屍人しびとよ」
「屍人ではない、自分の体を取り戻しにきたのだ」
 金の仮面から嗤う声が漏れる。
「何をいう、もはやおまえに体が必要だろうか」
 ジェルミは怒りに目がくらむ。
「わたしは何も手放しはしない。だが、見返りを求める繁栄や栄光はいらぬ。欲しいのは自分自身だ」
 エトゥワールは叫びながら太陽の王に飛びかかり、その仮面を手近にあった鈍器で殴った。
 鈍い音がして、床に仮面が落ちる。二つに割れた仮面には、闇がこびりついていた。
 仮面の下に、もう一つ黒く歪んだ面が現れた。
「愚かもの、愚かもの。これでこの国は終わりだ。何もかも終わりだ」
 闇のように黒い顔はそういうと、霞むように消えてしまった。
 ジェルミの体は戻らなかった。
 太陽の王であり、闇の王でもあった悪魔は退散した。しかし、まだ息を潜めてエトゥワールの行動を見張っているかもしれない。
 エトゥワールは肩で息をした。憮然とした面持ちで、床に落ちた仮面を睨みつける。
 気付けば、辺りは薄闇に包まれている。引き連れていた魔物の姿もない。
 徐々に暗くなっていく世界に、エトゥワールは銀色の光を見た。



 0 少女



 気がつくと、鏡が割れている……。
 少女は鈍器で鏡を割ってしまったのか。
 瞳には熱い涙。赤くはれた唇には血がにじんでいる。
 失われたものはもう戻らない。けれど、再びはぐくむことができる。
 つらい過去のこと、子供を失ったこと、新しい恋人とのこと。走馬燈のように駆け巡る。
 鏡の中に作り上げた物語は、割れた破片と一緒に足元に飛び散っている。
 割れた鏡の中に少女は見る。
 取り戻した双子を抱く女。床に倒れた一人の青年。復讐を遂げてこの世を去った少女。
 空想の中で彼女は幾つも人格を作ってきた。傷つけられ痛めつけられる少女と、奪われ取り戻す少年。彼らを眺め、見守ってきた小鳥は自分。二人から守られながら、苦痛から逃げた。
 けれど、今度は立ち向かう。逆境に、運命に。
 自らの命を脅かす悪しき連鎖は断ち切らないといけない。
 手に握った灰皿が血に濡れている。
 ママの叫ぶ声、男の少女を呼ぶ声がする。
 少女は意識の扉のまえに立つ。この閉ざされた暗い部屋からでていかねば。
 ようやく決意し、目をひらいた。
 パパは額から血を流し、驚愕の目で少女を見つめていた。
「でていけ! このあばずれ! この家からでていけ!」
 少女はパパの怒鳴り声に足がすくむ。少女の背を恋人が支えた。
「いこう、わたしたちの未来のために」
 少女は両親に背を向け、忌まわしい過去に彩られた家の外へ、ようやくでていくことができた。


文:設楽土筆(したら・つくし)
昔は幻想小説。今はいろんなジャンルに挑戦してます。得意な(好きな)分野はファンタジーです。最後まで書き終えることが目標です。 



絵:色崎(しきざき) - イラスト特別提供 -
普段はまったり絵や文をかいています。素敵な企画に参加することができて嬉しいです。

 秋は好きだ。特に秋の暮れ方はいい。
 門を出て夕日に赤く燃える土塀の間を歩くと、川辺に出る。川は黄金色から紅に染まりながら、緩やかに流れて行く。土手の薄は川面に映え、白銀に輝いている。
 橋が在る。古風な太鼓橋だ。渡り口には大きな石造りの常夜燈が在り、夕日の中に濃い長い影を引きつつ、深紅に聳えている。
 時々立ち止まりながら、ゆっくりと橋を渡る。橋の向こうは、薄の原だ。道はだらだらとその中を下っている。川風が密やかに生じさせる薄の幽かな衣擦れを聞きつつ、夕日に向かって下って行く。
 薄の原を抜けると松林が在る。林を通して遠い山並みが黒々と迫って来る。山の端を行く赤い巨陽は重苦しい沈黙を呈している。何処からともなく吹いてくる風は、蕭々しょうしょうと松の梢を渡って行く。
 足を止め、斜陽を背景に緑々あおあおと浮き出している松林を暫し眺める。松林は海岸へ向け、蜿蜒えんえんと続いている。

 唐突に、足元から犬の吠え声がする。パグと思しき犬がこちらを見上げて、吠え付いている。
「ハチ! 何吠えてるのよ! もう!」
 リードを持つ若い女が声を上げる。
 こんなパグ犬が「ハチ」とは。少し映画が流行れば、直ぐに同じ名前の犬が増える。子供の名前までがそんな調子の世の中だから、犬などは致し方ないのか。思わずの微苦笑で、吠え付く丸い目のとぼけ顔を見詰める。その視線に犬は気分を害したのか、更に激しく吠え立てる。
「ほんと、何吠えてんのよ! 止めてよ! ハチ!」
 若い女が激しく声を荒げても、犬は全く言う事を聞かない。こちらへ向かって吠え続ける。若い女は、この小さな犬に完全に馬鹿にされているようだ。犬と言う生き物は、上下関係をしっかりさせていないと、付け上がるものだ。
「もう夕方なんだから、さっさと帰らないと! 秋の夕方って、ヤバいんだから! 直ぐに暗くなっちゃって、最悪! この、バカ犬! 迷惑犬! ぐずぐずしないでよ! ハチったら、ハチ! もう! 早くっ! こっち!」
 若い女は何の挨拶も無く、吠え続ける犬をそのままぐいぐいと引いて行く。
 最近、川上に出来た高層マンションの住人だろう。風情を解さぬ無礼な輩だ。後姿うしろすがたを見送りながら、溜息をつく。

 ふと見遣ると、道の少し前方に家が在る。土塀を廻らせた古民家だ。こんな所に、家が在っただろうか。訝しく思いつつも近付く。
 大勢の人が集まっている。
「夕方、あの松林の所でお亡くなりになっていたそうですよ」
「秋の夕暮れがお好きだったんですって」
「それで、こんな夕方にお葬式を……」
 秋の夕暮れが好きな人――何となくゆかしく思い、非常識も省みず門の中へと足を踏み入れる。祭壇は夕日の中に燃えていた。その中央高くに置かれた遺影が、赤く斜陽光を反射する。
 と、突然、見えた。赤い巨陽の斜光が眼前の緑松林を黒く焦がし、人の胸を貫くさまが。松が枝を蕭々しょうしょうと渡る風のみの静寂の中、胸を押さえ、脚を折る人。松風は何時もと変わらず、蜿蜒えんえんと続く松林を吹き渡って行く。風が去った後の、刹那せつなの幽玄。そこに、声が大きく響く。
「おい! ここに人か倒れてるぞ!」
「えっ? どこ? ……ほ、ほんとだ……」

 祭壇を見上げたまま、呆然と立ち尽くす。中央に掲げられていたのは、夕日に照り映える紅葉の中で微笑んでいる私の写真だった。


文:梓寝子(あずさ・ねこ)
小学校時代から欠席が多く、学校へ行けない日々に発生した他愛も無い妄想から生まれた「‘異世界’世界の物語」を綴っております。



絵:damo(だも)
何かすこしでもお手伝い出来ればと思い、参加しました。 
作品の彩りになるような表紙になっていれば幸いです。


読者登録

なびさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について