閉じる


月の光 太陽の闇

 0 少女



 少女は姿見のある暗い部屋に隠れて、物語の世界を紡ぎだす。
 大切にしている、真っ赤な髪の人形と、いつも物語を考えて、遊んでいた。
 鏡の中の世界には、男の子と二人の女の子……。
 物語の舞台はここではないどこか。登場人物も自分ではない、誰か。ここより、きっと素晴らしい世界。
 鏡の中に物語の世界が作られていく。

 昔々、ここではない、どこかの国の物語――。



 1 ジェルミ



 乳母と侍女たちが大きな声をだして探している。
「王子ー、ジェルミさまー」
 ジェルミ王子は体をちぢこまらせて、防虫用である薬草の香りがする衣装部屋に隠れていた。唯一の友人であるリュメールも、一緒に息を殺している。
 ジェルミは怒っていた。
 隣にうずくまるリュメールも腹を立てていた。
 最初に隠れようといいだしたのは、リュメールだった。ジェルミも、それに賛成して隠れているはずなのに、早くも心が折れそうになっていた。
「ねぇ、リュヌ、まだ隠れていなければ駄目?」
 ジェルミはうまく発音できず、いつの間にかリュメールをリュヌと呼ぶようになった。
「駄目よ、ジェルミは乳母にあんなことをいわれて、簡単に許しちゃうの?」
 リュメールの言葉に、ジェルミは押し黙る。
 リュメールのことを、幻だ、存在しない、と乳母にいわれた。ジェルミの空想だ、と決めつけられたのだ。
 そのことを思いだし、ジェルミは唇を引き結ぶ。
「許さないよ、リュヌはちゃんといるもの」
「でしょ?」
 ジェルミの返事に、リュメールは満足そうに笑った。
 ジェルミはリュメールを見つめた。
 暗闇の中でも、彼女の姿ははっきりと見える。友人の姿は、ほのかな月の光を放ち、銀色に輝いている。まるで、幽霊か幻のようだった。
 リュメールは、日暮れとともに訪れる。遊んだり話をしたりして、朝、目が覚めるといなくなっている。物心ついた時から、ずっと続いている。
 ジェルミが知らないことでも、リュメールなら知っていた。
 乳母の恋人のことや、侍女が隠れて食べたお茶菓子のことなど。
 そのことをジェルミが乳母に話すと、乳母は一層怖い顔をして、でたらめをいうのは良くない、とジェルミを叱りつけた。更に、リュメールなどいない、ジェルミの嘘だと決めてかかった。
 リュメールは幽霊のように見えるが、確かにそこにいるのだ。ジェルミとは違う個性を表している。リュメールが存在しないなどとは、ジェルミには到底思えないのだ。
 だから、乳母の意地悪に涙がでた。
 隣に立って、一部始終を聞いていたリュメールは、ジェルミを嘘つきといわれて憤った。それで、乳母を懲らしめてやろう、と二人で衣装部屋に隠れたのだった。
 このまま見つけられなかったら、乳母は王妃から叱られるだろうし、もっとうまくいけば、辞めさせられるかもしれない。
「でも、そこまでしなくてもいいと思うけど……」
「駄目よ、思い知らせないといけない」
 リュメールは小さな頬をぷっくりと膨らませた。そんなリュメールにいつも気後れするが、ジェルミにはいっそ小気味がいい。自分にはできないことを、代わりにしてくれるリュメールが大好きだった。
 


 結局、ジェルミが見つかったのは、翌朝になってからだった。衣装係が、よく眠る王子を抱きかかえて連れてきた。乳母は王妃に叱られたようだったが、辞めさせられなかった。王子が見つかったことが、よほどうれしかったのか、乳母は一日機嫌が良かった。
 ジェルミを鏡台のまえに座らせ、その灰色の髪を、乳母がくしでき撫でた。
 ジェルミは自分の髪の色が好きではない。リュメールの輝くような銀髪にあこがれていた。
 鏡に映るジェルミが、深い紺色の瞳で自分を見つめ返している。美しいといわれる容貌。天使のようだ、お母さまにそっくりだ、といわれている。灰色の髪も母親に似た。
 ジェルミは母のことをよく知らない。母である王妃は、ジェルミを見るといつも悲しそうにため息をく。すぐに気分が悪いといって、宮殿の南翼にある自室に引っ込んでしまう。
 父である、太陽の王のことになると、もっとわからない。
 ジェルミは、太陽の王に直接会ったことがない。太陽の塔のテラスにでて国民に手を振る姿を、いつも王妃と一緒に貴賓席から眺めるだけだ。
 太陽の国にとって、太陽の王は神そのもの。だから、王妃や王子とともに過ごさないのは当然だった。また、太陽の塔からでてこなくても不思議はないと思われている。
 太陽の王のことは、肖像画や立像で知ることができた。その姿は、金色の仮面をつけた金髪の人物だった。城のあちこちに飾られている金色の立像を指して、これが自分の父であり、神でもある太陽の王なのだと教えられた。
 ジェルミが自分の髪のことを気にすると、年老いた家臣から、太陽の王になれば髪は自然と金色になるのだ、といわれた。一寸の狂いもなく、肖像画や立像と同じ姿になるのだ、と諭された。
 いずれ、ジェルミ自身が太陽の王になる。それは、何ともいえない期待感と、ひとではなくなるという不安感をもたらした。
 
 
 
 ジェルミは最高の教育を受けさせられ、未来の太陽の王になる責任を、臣下たちから求められた。
 昼のあいだ、教鞭を振るう教師や、模擬剣を繰りだす教師からあらゆることを教わった。
 日が沈むと、やっとリュメールがやってくる。彼女はジェルミの剣を手にして、鮮やかに振り回した。
「男の子はいいわね。剣を持たせてもらえるもの。すてきだわ」
「でも、ぼくは苦手だ。好きじゃない」
「きっとこうやって暴れても怒られないんでしょ」
 リュメールが模擬剣を乱暴に振り回すのを見て、ジェルミは慌てて止めた。
「やめて、やめてよ! 乳母がやってくるじゃないか。ものが壊れたりしたら、叱られてしまうよ」
 リュメールは剣をおくと、にやにやと笑った。
「あら、王子さまがそんなことくらいで慌てては駄目じゃない。太陽の王みたいになれないわよ」
 ジェルミはバツが悪くなる。
「太陽の王に会いにいってみようか?」
 ジェルミの気持ちを読み取ったのか、リュメールがいいだした。それを聞いたとたん、ジェルミの心は騒ぎだす。怖いような、うれしいような、そんな感情がないまぜになり、胸が高鳴る。しかし、太陽の王に会う勇気がなかった。
「無理だよ、会えるわけがないよ」
「やってみないと、わからないわよ?」



 0 少女



 少女はキッチンで食べものをあさっていた。
 音を立てないようにして、流しや調理台の下にある引きだしの中を調べた。
 朝の五時。
 パパもママも眠っている。
 流しの下には、ママのお酒の瓶がぎっしり詰め込まれていた。
 瓶を一本一本だして、缶詰めがないか探してみる。
 少女の努力は徒労に終わり、嘆息して瓶をもとに戻していく。
 瓶がぶつかってカチリと音がするたびに、心臓が止まりそうになった。
 少しでも音を立てたら、ママがやってくるだろう。
 パパまで起きてきたら、立てなくなるくらい殴られるかもしれない。
 胸の動悸が静まるのを待って、少女は再び瓶をしまっていった。
 ここに缶詰めはなかった。
 今度は引きだしを開けていく。
 以前、高いところの扉を開けて食べものを探していたら、誤ってシリアルの箱を落としてしまった。
 その音を聞きつけたママがやってきて、さんざん平手打ちをされたばかりか、結局御飯を食べさせてもらえなかった。
 だから、今度は失敗しないように、低い場所だけを探すことにしたのだ。
 幾つか引きだしを開けていき、やっと、クールミントの口臭消しを見つけた。
 昨日の朝から水しか飲んでない。口臭消しのタブレットでも、少女にとって唯一の食べものだった。
 スカートのポケットに、さっとタブレットの容器を押し込んだ。
 食べものは、ママが機嫌のいい時にもらえる。それ以外で食べものを口にしているのを見られたら、きっとママは激しく怒るだろう。
 こっそり隠れて食べなくてはいけなかった。
 少女は人形を胸に抱いて、ママが納戸と呼んでいる、姿見のある部屋に入った。
 タンスや使わないソファのあいだに潜り込み、じっと聞き耳を立てる。
 まだ誰も起きだしてこないようだ。
 ポケットから容器を取りだした。白いタブレットが透明の容器の中に数粒ある。
 ふたを開けて手のひらにタブレットを載せた。
 爽やかなクールミントの香りが漂う。
 少女は、一瞬戸惑った。
 これを食べたらママにばれてしまわないか、と。
 何も食べていない胃袋が、少女の恐れを無視して鳴りだした。
 急激な空腹に我慢できなくなり、手のひらのタブレットを口の中に放り込んだ。
 清涼感のある香気が鼻を抜けていく。
 ミントの刺激で唾液が溢れてくる。
 あめ玉のように、少女は夢中でタブレットをしゃぶった。
 何ておいしいんだろう、とため息をいた。
 タブレットを二粒だけなめたあと、少女は容器をソファの陰に隠して、のそのそと隙間から這いだした。
 姿見のまえに、人形と一緒に座り、鏡の中を覗き込む。
 たちまち、少女の目のまえに物語の世界が広がりだす。
 物語の世界はまだ完璧ではなかった。
 少女はここで少し考えた。
 男の子のママは、お酒を飲まない代わりに、男の子に興味がないことにしよう。たたいたり、怒鳴ったりもしないけれど、あんまり優しくない。
 男の子には昼のパパがいることにしよう。
 昼のパパは、いつもどこかへいっていて、男の子のそばにはいない。
 少女のパパもそうだ。昼間は仕事でいつもいない。たまに少女を連れて外にでることがあると、気持ち悪いくらい優しかった。昼間のパパに会うひとは、必ずパパを尊敬した。夜の時と余りにも違うので、少女は時折、パパが二人いるのではないかと本気で疑うほどだった。
 だから、昼のパパがいるのなら、夜のパパもいるだろうと考えた。
 二人の女の子たちには、夜のパパがいる。
 夜のパパは、少女のパパのように怪物なのだ。
 真っ黒くて、大きくて、酒臭くて、乱暴。
 昼間のパパと違って、少女がしてほしくないことをする。
 きっと、夜のパパは黒いマントを身につけていて、真っ黒くて顔もわからない。多分、夜のパパは闇の世界の王なのだ。
 横暴で、いやなことばかりする。もしかすると、男の子の国や、闇の国の住人にも、いやなことをしているかもしれない。
 女の子たちにも、少女と同じいやなことをしているかもしれない。
 きっと、そうだ。
 少女はたちまち闇の王のことが嫌いになった。
 二人の女の子も、闇の王のことが嫌いだろう。
 男の子はどうだろう。
 男の子は闇の王のことをよく知らないから、お化けのように恐ろしがるかもしれない。
 真っ暗な闇を嫌うように、忌むだろう。



 2 ジェルミ



 乳母や侍女、松明たいまつを持って見回りをする騎士たちの目を盗んで、ジェルミとリュメールは東翼の回廊を渡り、庭園にでた。
 リュメールは迷うことなく、ジェルミが暮らしている宮殿の東翼から、太陽の塔へと向かって走っていく。
 太陽の塔は宮殿の北側にそびえている。しかし、ジェルミは太陽の塔への正確な道順を知らない。暗闇の中で銀色に光るリュメールを頼りに、ジェルミはその後ろをついていった。
 塔の周囲には松明が点っている。金色に塗られた門扉は、固く閉じられている。
 二人は見回りの騎士の目から隠れて、茂みの中にうずくまった。地面を這いながら、松明の明かりに照らされた塔まで近づいていく。
 ようやく二人は塔のもとまでやってきた。見上げると、随分高いところに閉じられた窓がある。地面から丈夫そうな蔦が生えていて、壁を伝い、窓まで伸びている。
 リュメールがためらうことなく、子供の腕ほどもある蔦に手をかけた。網目のように茂った蔦をぐいと引くが、びくともしない。
「登れそう」
 リュメールの命知らずな言葉に、ジェルミは気後れした。頭上に小さく見える窓を眺めて、背筋が凍る。
「無理だ……」
 思わず涙声になった。
「弱虫」
 リュメールにばかにされ、仕方なくジェルミも彼女のあとに続いた。ジェルミが蔦にすがると、引き絞った弓のような音がした。一瞬慌てるが、どんどん登っていくリュメールを見て、ジェルミは急いであとを追った。
 ジェルミが足をかけるたびにきしむ蔦、よじ登るたびに揺さぶられる葉。ようやく窓にすがりついた時、はるか下方から悲鳴が上がった。
「ジェルミさま!」
 乳母や侍女が口々に降りてくるように、叫んでいる。
「見つかっちゃった」
 残念そうにリュメールがつぶやいた。二人で窓を覗くが、部屋の中は真っ暗で何も見えない。
「太陽の王、いないのかな」
 ジェルミもがっかりした。そう感じたとたん、それまで覚えなかった恐怖が、足先からじわじわと這いあがってきた。
「降りよう」
 リュメールはそういい、するすると蔦を伝い降りていく。
 けれど、ジェルミの足はすくみ上がり、全く体がいうことを聞かない。
 こわごわ下を窺うと、心配そうなひとびとが、おもちゃのように小さく見える。その小ささにまた震えがくる。
「降りられない……」
 ジェルミの言葉に、リュメールは呆れかえって手を差し出した。いつの間にか、リュメールの体は空中に浮かんでいた。
「ほら、手を握って」
「でも、落ちてしまうよ」
「大丈夫だって。わたしがついてるから」
 ジェルミはためらいつつも、リュメールの手を取った。
「飛んで!」
 リュメールのひと声とともに、ジェルミは目をつぶり、蔦を離すと、空中に身を躍らせた。
 足元から沸き起こる悲鳴。
 足先に感じる確かな固い感触。
 体を包む安堵あんどのため息。
 乳母がジェルミに抱きつき、泣いていた。
「何て、何てやんちゃな王子でしょう」
 乳母はそういい、何度もジェルミの背中や髪を撫でつけた。
 リュメールはジェルミの手を離し、満足そうにいった。
「ほらね、大丈夫だったでしょ」
 ジェルミには何が起こったかわからなかったが、あの高さからジェルミは飛び降り、無事に着地したらしい。
「ねぇ。ぼくの手を握っていた女の子を見たでしょう?」
 しかし、乳母は不思議そうな顔をして、否定した。
 ジェルミと手をつないでいたリュメールの姿を、誰も見なかったといわれた。幼いジェルミには、リュメールの姿が他人に見えないことが、どうしても納得がいかなかった。



 ジェルミが少しずつ大きくなるにつれ、リュメールも成長した。髪が伸び、背が高く線の細い少女になった。
 その頃になると、ジェルミはリュメールに対して疑問が湧いてきた。
「リュヌは、なぜ他人には見えないの?」
「じゃあ、反対に聞くけど、どうして他人に見えないといけないの? わたしはジェルミの友人。ほかのひとの友人じゃない。ジェルミにだけ見えていれば、何の問題もないの。それよりそういうことが気になること自体、わたしにとって不思議だわ!」
 反対にリュメールにそういわれ、ジェルミは困った。自分の疑問を強く彼女に問いただせなくなってしまった。
 リュメールの気の強さが苛立たしくもあり、うらやましくもあった。それはジェルミにないものだったから。
 何をするにせよ、リュメールの主導がなければ、ジェルミにはやる気が起こらなかった。失敗した時に、乳母に皮肉をいわれるのがいやだった。それに、最も尊敬する父親、太陽の王に呆れられることを考えると怖くなるのだ。そのため、自分でもできそうなことならばやってもいいけれど、誰もしたことがない難しいことに挑戦する自信が、ジェルミにはなかった。
 ジェルミの自信のなさを、リュメールはいつもからかった。城の外にでようとか、馬に乗ることを覚えようとか、果ては闇の森にいこう、と誘うのだった。
 闇の森。
 太陽の国の人間なら、誰しもその言葉を聞くと、震えあがる。闇の森には、闇の王がすまうといわれている。
 太陽の王が神なら、闇の王は悪魔だった。闇のように黒く、ありとあらゆる災いを呼ぶ。いや、呪いをかけるのだろうか。
 若者をさらい、森にある闇の城で血祭りに上げるとか、病や不幸はすべて、闇の王がもたらすものだと、国民は信じている。
 ジェルミもそういった噂を信じて、闇の森や闇の王を怖がった。
 それをリュメールは笑うのだ。
「ジェルミはなぜ闇の王が怖いの? 闇の王が悪魔だから? でも、みんなのまえにでてきたことなんて、ないじゃない」
「リュヌ、あのひとは人間をさらうらしいよ。闇の城に連れていかれて、戻ってきた人間はいないんだって聞いたよ」
「おばかさん、本当かどうかもわからないのに、信じるなんて。わたしと一緒にそれが本当かどうか確かめましょうよ」
「無理だよ、ぼくにはできないよ……」
「闇の王なんて怖くないって思えないの? 王子なのに? 未来の太陽の王なのに? 闇の王を怖がる太陽の王になるつもりなの? 本当にジェルミは弱虫ね」
 弱虫でいい、余計なことをして大人を怒らせたくない、ましてや、太陽の王にとがめられたくない、とジェルミは思った。
「いいんだ、ぼくは弱虫で」
 ジェルミが小さな声でいうのを聞いて、リュメールは呆れたように肩をすくめた。



 Ⅰ リュメール



 太陽の国の北方に広がる闇の森には、闇の王の城がある。
 城は黒い石を積まれて作られたように見える。いびつなアリ塚のようなでこぼこした外観が、城の外壁に刻み込まれており、不気味な様相をていしている。
 黒水晶細工の城の内部には、暗い影がたくさんある。そこには目に見えない悪霊や醜い魔物がすみついている。
 リュメールと赤い髪のエトゥワールは、赤子の頃から城で暮らしている。
 二人を育てたのは目に見えない侍女たちや、小さな魔物。
 彼らを支配するのは闇の王だった。
 闇の王の名前は、オプスキュラという。
 リュメールとエトゥワールは、闇の王の名前を知っている。小さな魔物たちから教えてもらったのだ。
 オプスキュラは、魔物たちの言葉を借りるならば、闇そのもの。歩くあとから泥のような闇がこぼれる。肌は漆黒、その顔も仮面に隠れ、拝むことすらできず、汚くいやしい魔物たちを足蹴あしげにする。
 そんな恐ろしく乱暴なオプスキュラが、エトゥワールの将来の夫なのだった。
 
 太陽が昇ると、闇の城は寝静まる。エトゥワールも、寝台にまるまって寝入ってしまう。リュメールは籠の中でおとなしくしている。小鳥でいる昼間は、エトゥワールのそばにいる。
 夜になって、ひとの姿に変身したリュメールは、籠から抜けだすと、城内の回廊や部屋を通り、庭へ飛びでた。
 梢から漏れる月明かりが、灰色に沈む庭に差し込んでくる。それは白い炎のように地面から揺らめき立つ。
 リュメールはその白い光を踏みしだいて飛び跳ねた。
 少女は芝生の上に寝転がる。
 寝転がって辺りを見回すと、白い石の乙女たちが、リュメールを心配そうに見下ろしているように感じる。
 闇の城の庭には白い石でできた噴水と、アラバスタ細工の美しい乙女たちの像が飾られている。像の瞳に感情はないが、もとは生きていたのだということが窺える。
 なぜそんな像が飾られているのか、リュメールは知らない。恐らくエトゥワールも知らないだろう。生まれた時からここにあり、これからもここにたたずみ続ける魂のない像。
 なぜ乙女たちが生気をなくして、硬い石となり果てたのか、リュメールにはわからなかった。



 Ⅱ エトゥワール



 エトゥワールは、早くも枯れ果てた老女のように、夢も希望も持っていない。
 鬱屈とした憤りを胸に秘めていた。
 夜はたった一人きり。そばに小鳥がついているが、夜になるといなくなってしまうため、遊び相手は醜く愚かな魔物だけだった。
 夜に点される緑色の明かりが、黒水晶の壁面に添えつけられたカンテラから漏れる。
 緑色に照らされた黒水晶の城で、エトゥワールの燃え立つ髪は、唯一の明るい色彩だった。
 
 夜がきて、リュメールがジェルミのもとにいってしまうと、エトゥワールが目を覚ます。
 エトゥワールとともに城も目覚め、暗闇にわだかまる小さな魔物たちも蠢きだす。
(エトゥワールがおきたよ)
(おきたおきた)
 小さな魔物たちが、暗闇に白眼だけを光らせて囁き合う。
 起きぬけのエトゥワールは機嫌が悪い。とてもいい夢を見ていたような気がするのに、無理に現実に引き戻されてしまったような……。
 エトゥワールが手招くと、目には見えない侍女たちが彼女の世話をする。黒のドレスを持ってきて着せてくれたり、髪をかしたり。そのたびに真っ赤な髪から稲妻のような静電気が起こる。青白い光がエトゥワールの体にまとわりつく。まるで彼女も幽鬼のようにほのかに光りだす。
 エトゥワールには、何かを忘れてきてしまったような不安感がいつもある。それが何だか思いだせないから苛立っている。
 少し機嫌がいい時は魔物と遊ぶ。小さな魔物のキイキイ声を聞きながら、魔物で人形遊びをする。気に入らなければ、魔物を壁に投げつける。ぐしゃりと音がして、魔物はぐんにゃりと横たわるが、それを気に留めたこともない。魔物は死なないとわかっているから、心配などしない。
 エトゥワールにとって、ここは退屈な遊び場だった。



 そのうち彼女たちも次第に成長し、髪は腰に届くほど長くなった。体は丸みを帯び、昔と違ってオプスキュラに畏怖と嫌悪を感じるようになった。
 オプスキュラは、エトゥワールのもとに、毎夜訪れるようになった。エトゥワールは怯えた。少女は闇の王に捕まるまいと、夜がくるたびに城の中を逃げた。エトゥワールは悪霊や魔物に見張られていて、城の外にはでられないのだ。
 オプスキュラは漆黒の闇とともにやってくる。月が隠れた暗闇の、更なる影を縫って、音もなく忍び寄り、エトゥワールの首筋に背後からくちづけをする。
 エトゥワールの首筋は総毛立つ。氷が首に当てられたように凍える。闇の王のくちづけや指先は、無遠慮にエトゥワールの体をすべっていく。息が凍りつく。
 エトゥワールの肌には、きめ細やかな紋様がある。それはすべてオプスキュラに愛撫された部分。次第に全身が紋様に埋め尽くされていく。
 自分が自分でないものになっていく恐怖。絶望。不安。
 エトゥワールは恐怖と絶望に駆られて、声なき悲鳴を上げる。しかし、何の助けもない。それでも、命の枯れる思いで絶叫する。
 エトゥワールは震え、這いながら、リュメールを探し、鳥籠を抱く。いつしか涙はでなくなった。とうに涸れたようだ。彼女は籠の中の小鳥だった。オプスキュラに囚われている。
 エトゥワールの怒りは、諦めと悲しみにすり替わっていった。


 Ⅲ リュメール



 リュメールも不安をいつも抱いていた。彼女は、エトゥワールよりもいろいろなことを知っている。自由を味わってしまった。怒りこそないにしても、いつか自分もエトゥワールもいなくなってしまうような不安があった。その不安は、庭にたたずむ乙女たちの像を見ている時の気分に似ている。足元の安定してない場所に立っているような、いつ足場が壊れてもおかしくない不安。そんな不安がふいにやってきて、リュメールを苛む。
 そんな時、リュメールはジェルミにすがりたかった。幼い時から共にいる人間。何度となく、闇の城に誘ったけれど、恐れていこうともしてくれなかったけれど。
 エトゥワールは次第に自暴自棄になっていった。闇の森に迷い込む人間と戯れるようになった。飽きると魔物に下げ渡し、何の感慨もなさげに、その人間の最期を見届けた。
 リュメールにとって、それはむごいことだった。血に汚れるのを嫌った彼女は籠から逃げだし、中庭に潜むようになった。
 そのことで、エトゥワールは更に荒れるようになってしまった。



 0 少女



「おい、こっちにこい」
 夜がやってきて、パパという名前の怪物が、少女の寝室に入ってきた。
 少女は部屋の扉を開ける音で目を覚まし、パパから隠れるように部屋の隅に駆け寄り、ちぢこまる。
 パパは少女を暗闇の中に引きずり込んで、いやなことをする。
 誰かに助けを請いたいが誰もいない。ママは酒臭い息をして、ソファで眠りこけている。
 少女がどんなに泣いても助けてはくれない。
 しかも、泣いたらもっと痛い目に遭わされてしまう。だから、人形を必死に握り締めて、こらえるのだ。
 そうすれば、泥水のようにゆっくりとだが、いやなことは流れ去り、パパもいなくなる。
 パパがどこかへいなくなれば、やっと少女は解放される。
 パパにいやなことをされた夜は鏡の部屋にいき、物語を紡ぐ。二人の女の子と男の子の物語を……。
 少女にとって、彼らは次第に親しみのある人物になってきた。
 エトゥワールだって部屋に鍵をかけられれば、少女と同じいやな思いから逃げられるのに。
 ジェルミが弱虫なのは、いろんなことが怖くて仕方ないからだとか。
 少女もリュメールのように自由にどこかへいってしまえたら……。
 そんなことを何時間も夢見た。
 彼らとともにいるような安心した気持ちになって、少女は眠りに落ちた。
 突然――。
 ママの怒鳴る声で少女は目を覚ました。
 食器を洗ってないとか、掃除をしてない、洗濯をしてないといって、ママが怒っている。
 少女は飛び起きると、姿見の部屋から駆けだして、ママのところへいく。
 しかし、怒鳴られてしまうということは、間に合わなかった証拠だった。
 不機嫌になったママが機嫌を直すことはない。少女はさんざんたたかれたあと、涙を我慢しながら、いいつけられた仕事をこなしていった。
 少女は仕事をしつつ、空想にふけって、心を慰めた。



 3 ジェルミ



「もう、わたし、ここにこられないわ」
 リュメールがそういったのは、ジェルミが成人する儀式の前日だった。
「なぜ?」
 ジェルミは驚いて訊ねる。
「あなたが大人になってしまったから。わたしも、もう大人になるから」
「大人になると、なぜ、こなくなるの」
「子供みたいなことをいって、困らせても駄目。こないんじゃなくて、わたしはきたくても、きっとこられなくなるから」
 ジェルミは明日で成人を迎える。その日にジェルミは儀式を行う。太陽の国の国旗をつけた矢を放ち、その矢が落ちた国の姫を妻に迎えねばならない。
「妃がきたら会いにこられないの?」
「違うわ」
「じゃあ、会いにいく」
「とても怖いところにいるのよ、弱虫なくせに会いにこられるの?」
 リュメールはいつものように意地悪い。けれど、優しい笑顔で、ジェルミを見つめる。
「さようなら、弱虫さん」



 儀式の当日、ジェルミは正装して、物見の塔に上っていった。
 太陽の塔に比べればはるかに低いが、それでも十分な高さを誇る塔である。
 ジェルミが手にした矢と国旗は真新しい。矢は白木。国旗は繁栄の白、血統の赤、そして婚姻の色である青の三色。リボン状になった国旗を羽根の部分に結わえている。
 ジェルミは頂上で、やじりかぶらになっている矢をぎりぎりと弓弦ゆづるにつがえると、天に向かって放った。
 矢は高い音色を響かせながら、雲間に消えていった。
 矢がなぜ離れた国に落ちるのか、誰にもわからない。
 太陽の王の力だというものもある。中には、闇の王が関係しているのではと勘ぐるものもいる。ひねくれたものなどは、王子が最初から用意していたのさ、といい放った。
 飛んでいった矢は、いままで、必ず三つの国のいずれかで見つかってきたのだ。
 北には闇の森。
 西の国には美しい姫。
 東の国には英知ある姫。
 南の国には歌楽の巧みな姫。
 闇の森以外の国は、太陽の国に忠誠を誓っていた。
 矢が落ちた国の姫は、意思とは関係なく、太陽の国の王子と結婚しなければならない。
 そうすることで、その国は太陽の国の恩恵を受けられることになっている。
 妃になる姫は、その国旗と矢を持って、王子とともに太陽の国を訪れることになっている。
 それほど時間のかかることではない、と年を取った家臣が、以前ジェルミに教えてくれた。必ず矢は見つかるのだ、と。ジェルミの父王は、それは簡単に矢を見つけてみせた。妃になる姫を連れて、国に戻ってきた。だから、ジェルミもそれほど苦労することはないだろう。家臣は決めつけるようにいった。
 それを聞いて、ジェルミは成人の儀式のことを、単純な試練だと侮っていた。連れていく従者も一人だけにした。矢を放ったその日のうちに、ジェルミは意気揚々と国を旅立った。



 リュメールがもうこないなど、ジェルミには信じられなかった。当然、夜になればいつも通りやってくるものと思っていた。
 焚き火のそばに寝転がり、夜空を眺める。炎の明かりで星は見えづらく、月の光も乏しい。
 宿のある土地を訪ねている日は、寝台で眠ることができた。けれど、いつもとは限らない。今晩のように野宿になることが多かった。
 ジェルミは自分が従者から侮られていることに気付いていた。夜になると目に見えないものと話す王子のことを、ほかの人間が何といっているのか、ジェルミは知っている。知った上で、ジェルミはリュメールを待った。
 別れの言葉の通り、リュメールは訪れなかった。
 一人の夜がさびしかった。初めて過ごす孤独。どれほどリュメールの存在が大きかったのか、会えなくなってしまってから気付いた。
 リュメールは友であり、姉であり、妹でもあった。唯一、ジェルミのさびしさを埋めることのできる存在だった。
 恋をしているのとは違う。家族を失ったような思いだった。
 胸のうちが苦しく、切なく、えぐれていくようだった。
 悶々とした様子を、従者に見られたくなかった。
 ジェルミは従者に背を向け、まるくなって眠りについた。



 0 少女


 少女は、物語の登場人物たちと同じように成長した。
 部屋に鍵をつけて、パパから身を守ることができるようになった。
 泥酔して怒鳴り散らすママのことを無視できるようになった。
 女らしく髪を長く伸ばし、化粧をした。その化粧も周囲を威嚇するように派手だった。
 胸の内側にわだかまる怒りやさびしさを、少女は表にだすようになった。しかし、決してそれは両親にではなく、自分や友人たちに向けられた。
 おとなしかった少女は乱暴になった。怯えていた幼い頃は、物陰でひっそりといろんなことが過ぎ去るのを見守るだけだったが、成長した少女はその怯えを怒りや衝動に変えた。
 悪い仲間に入り、窃盗やものを壊したり、けんかをしたりするようになると、いつの間にか鏡の部屋にも隠れなくなった。心の慰めであった物語も紡がなくなった。あれほど大事にしていた、赤い髪の人形も放っておかれて、埃をかぶっている。
 空想の男の子も女の子たちも不幸になればいい、と思うようになっていた。
 少女にとって空想は逃げ場だったはずだ。けれど、空想の中の女の子も男の子も苦しみだした。逃げ場ではなくなった空想は、ただつらいだけだったのだ。だから、そんなものなどに頼る自分を嘲り笑い、必要ないのだと思うようになった。
 少女は家に帰らず、派手で露出の多い挑発的な格好をして、仲間の少年たちと連れ立ち、遊び歩いた。
 そうやって家に寄りつかなければ、パパやママに会わずにすんだ。
 学校にもいかずに仲間たちといることで、苛立つ気持ちを紛らわすことができた。
 そのうち、一人の少年が気になるようになった。少年は悪い仲間の一人だった。
 悪ぶった格好に似合わず、少年は純朴に見えた。エレキギターをかき鳴らしながら、いつか大成してやると意気込んでいる。少女のからかいに照れたりして、ほかの少年たちとどこかしら、違っているような気がした。
 ギターを弾く、歌のうまい少年に少女は恋をした。
 いつもそばに座り、彼の話に耳を傾けた。少女は彼が大スターになると疑わなかった。たとえ、少年がコンテストにでたりバンドを組んだりしなくても、その夢を一緒に見ることで、少女も楽しい気分になることができた。
 少年と少女は次第に仲良くなっていき、自然と体を重ねるようになった。
 少年との行為を少女は聖なることのように感じた。
 汚くて価値のない自分が、少しでも美しくて意味あるもの、必要とされるもののように感じることができた。
 その行為が多ければ多いほど、少女は自分が清められていくと信じた。



 4 ジェルミ



 ジェルミは従者を連れ、放たれた矢を求めて東から西、南へと渡り歩いた。しかし、矢は一向に見つからなかった。
 残るは闇の森となった時、従者が城に戻ろうといいだした。
 しかし、矢の所在もわからないまま戻るわけにはいかない。
 それに、ジェルミはリュメールのことを思いだした。
 もし、闇の森にいくことを恐れて引き返した、と彼女が知ったら、きっとまた呆れられるだろう。
 あの時は弱虫でいいと思ったが、いまは自分のことを侮っている従者も共にいる。従者にまでばかにされるのはいやだ、とジェルミは思った。
「王子、矢はいずれ見つかります。今回は城に戻り、姫が矢を持って名乗りだすのを待ちましょう」
 従者は卑屈な顔をしていった。その顔には王子への侮蔑とへつらいが込められている。
 ジェルミは強がっていってしまった。
「何も持たずに戻るわけにはいかない。戻りたいなら、おまえだけ先に帰ればいい」
「それはいけません。王子のお世話をするのが仕事ですから」
 やがて、二人は森の裾についた。ジェルミは馬から下りる。
 闇の森の黒々とした樹木が、強固な鎧のように見える。森の入り口に生える木々の密度が高く、馬を乗り入れることは難しく思えた。
 ジェルミは唾を飲み、足を踏みだす。
「王子、呪われた森に入るのは……」
 従者が怯えた声を上げた。
「ぼくは怖くない。おまえはついてこなくていい」
 ジェルミは一人で黒い闇の森に入っていった。



 一歩踏み込んだとたん、太陽の光が閉ざされた。
 日差しは分厚い梢に遮られ、冬のように冷え冷えとした空気が横たわっている。
 森は、夜のように薄暗い。
 森の木々の枝は、ジェルミの背後を緑のカーテンで隠していく。
 木の根っこがはびこり、それに足が取られる。奇妙な形にねじくれて伸びる枝。いく手を遮るように縦横に生える蔦。それらをよけながら、ジェルミは盲目的にまえに進んだ。
 どれほどの時間を歩いたかもわからない。同じ場所をぐるぐると廻っている錯覚に陥る。
 空腹を感じ、更に不安になる。馬に積んだ食料をおいてきてしまったのだ。
 後悔しても遅い。どこからやってきたのかさえ、わからないのだから。
 疲れで視界がぶれだした時……。
(あいつ、だれだ)
(えものだよ)
(エトゥワールさまのえもの)
 くすくすという笑い声が、低木の茂みから聞こえ始める。しわがれた、野卑な声。それは一様にキイキイと甲高い。茂みはどう見てもジェルミの腰より低い。一体何が潜んでいるのか、ジェルミは気味悪く思った。
 そんなジェルミの思いを無視して、甲高い声は後ろをついてくる。
(どうする)
(どうしようか)
(エトゥワールさまにもっていくか)
(そうしようか)
 声はジェルミのことなど気にせず話し込んでいる。
 ジェルミは立ち止まった。とうとう好奇心に負けてしまった。
 エトゥワールとは誰だろう、闇の森に人間がすんでいるのだろうか……? とジェルミは思った。
 生まれて初めて一人になって、他人が恋しくなったのかもしれない。
「そこにいるのは、誰だ?」
 ジェルミは恐る恐る声をかけた。
(きづいたぞ)
(いまごろか)
(おろかものだ)
(でもわかい)
(うつくしい)
(こっちにこい)
(こいこい)
(ついてこい)
(エトゥワールさまにおあいしろ)
 声はひいひいと笑いながら、葉陰を揺らして遠ざかっていった。エトゥワールという人間の居場所に案内するつもりのようだった。
 声は少し進んでは待つ、ということを繰り返す。
 ジェルミにとって、その声だけが頼りだった。
 ジェルミは必死で、茂みの中から聞こえてくる声を追いかけた。



 声を追いかけていくうちに、とても広い空き地にでた。ひらけた木々の梢から、暮れなずむ空が覗く。そこから差し込む夕日の茜色が木々の葉を染め上げている。その枝葉の向こうに真っ黒い城がそびえていた。
 城の外壁はごつごつとした黒水晶に覆われている。でこぼことした装飾は、不可解な薄気味悪さを感じさせる。まるで巨大なアリ塚に、尖塔を何本も立てたようだ。
 城を囲むように作られた庭には、白い石膏の噴水とアラバスタ細工の乙女たちの像がある。
 生気の感じられない庭と城をジェルミは見つめ、立ち尽くしていた。
 薄暮の森の裾で、小鳥が鳴いている。小鳥は噴水の縁に留まり、首をかしげてジェルミを見ている。
 ジェルミが小鳥に近づこうとした時、城の正面にある扉のひらく、重たい音が響いた。ジェルミは小鳥のことを忘れ、扉へ向かった。

 

 黒い骨を組み合わせたような扉が、大きな口を開けてジェルミを待っていた。
 扉の奥には、点々と等間隔に緑の淡い灯火が並んでいる。淡い灯火が届かない場所には暗い闇がわだかまっている。
 ジェルミはためらう。
 ここがあの闇の城なのか。幼い頃にリュメールに誘われたが、怖くていくことすらできなかった。それがいまになって、妃探しのために訪れることになろうとは、皮肉だった。
 こんな時にリュメールが隣にいれば、恐れるものなどないように思えた。
(おやかたさまがおまちだ……)
(エトゥワールさまがおまちだ……)
(わかいおとこをまちこがれている……)
 またもあのしわがれた笑い声が、城の奥から聞こえてくる。
 ジェルミの胸が、再び好奇心にうずいた。エトゥワールという人物が、お館さまといわれているのだろうか。一体、どんなひとなのだろう。
 とうとう好奇心が恐怖に勝った。
 ジェルミはしわがれた声に導かれ、城の奥へと進んでいった。
 幾つも扉を越え、天井の高いドームを通り抜ける。緑色に照らされた長い廊下を過ぎていく。緑色の灯火に、黄色いろうそくの光が混じり始めた。
 気付くと、ほかの場所とは雰囲気の違う部屋に立っていた。
 見上げると、天井には煙水晶のシャンデリアが垂れ下がり、そこから黄色い灯火が揺れている。
 石の床には、黒い毛皮が敷き詰められている。ジェルミは視線を徐々に奥へと移した。
 奥まったところに黒い繻子しゅすのカーテンが下がっており、その中に誰かが横たわっている。
 女の白い足先がカーテンの隙間からでており、生気のない肌をさらしている。
「ようこそ、闇の城へ」
 カーテンの奥から聞こえた声は、うら若いものだった。恐らくジェルミと変わらない年頃ではないだろうか。
 衣擦れの音とともに、黒い繻子のカーテンがひらかれて、奥から黒い絹のドレスを纏った女が現れた。その顔は黒繻子の陰になり、はっきりと窺うことができない。
 幾つもの黒いビロードのクッションにうずもれ、横たわっている。黒繻子から燃えるような赤い髪が垂れて見えている。
 ジェルミは、心を奪われたように赤い髪を見つめていた。
「こちらへ」
 ふいに片手で招かれる。ジェルミは魔法にかけられたように女に近づいた。
 傍らのクッションに座るように促され、ジェルミは素直に腰を下ろした。
 黒繻子がさらさらと揺れ、真っ白な女の顔が現れた。赤い髪がしどけなく女の顔を覆い、その目は黄褐色で、猫の瞳のように気まぐれに動く。唇はしっとりと濡れて紅く、官能的に笑みを造っている。
 女はどことなくリュメールに似ていたが、ジェルミは気付かなかった。余りにもその印象が違いすぎたためだ。一目で女に心を奪われたジェルミには、女がリュメールと似ていることがわからなかったのだ。



 彼女は、夜に咲く赤いバラ、闇に妖しく煌めくルビー、夜空に輝く紅い星。
 ジェルミは言葉が尽きると、今度は唇と指先の愛撫で、エトゥワールの素晴らしさを讃えた。
 滑らかな白い肌に、紫色の紋様が浮かんでいる。紋様は、豊かな両乳房を脇からすくうように取り巻いている。そのまま、なだらかな凹凸を這うように紋様は伸びていき、足先まで取り巻いていた。
 ジェルミはエトゥワールのそばに横たわり、美しいと思う場所すべてにくちづけていった。
 エトゥワールは、ジェルミが思った通り、若い女であった。だが、彼女は若々しくはつらつとしていない。気怠い雰囲気を醸している。彼女が何もかもにうんざりしているように、ジェルミには思えた。
 彼女は余りしゃべらない。声を立てて楽しそうに笑わない。恋い焦がれるジェルミに、想いを告げてくれない。
 ジェルミは、エトゥワールに何度も愛していると告げた。鹿のような、しなやかでたくましい四肢を絡ませながら、何度も何度も息吹をほとばしらせて、愛の言葉を囁いた。
 しかし、彼女は冷笑するだけ。
 共に太陽の国にいこうといっても、彼女は何も答えない。何度もしつこく問うて、やっとエトゥワールは冷たい瞳でジェルミを睨んだ。
「おまえは愚かものだ。ここがどこか忘れている。ここは闇の城。そして、わらわは闇の王の許嫁。そこまでわかっていながら、なおもわからぬふりをする。おまえはどうしようもない愚かものだ」
「エトゥワール、君はまだ闇の王と結婚していないじゃないか」
 その言葉に、エトゥワールは冷たい視線を向ける。
「ここでぼくと幾夜も過ごしたが、現に闇の王はやってこない。君が本当に許嫁だという証拠があるのか」
「わらわがここにすんでいることが証拠だ」
「ぼくのことが嫌いだから、ついてきてくれないのか? ぼくのことが好きじゃないのか?」
 エトゥワールは何かをいいかけたが、ジェルミから視線を外すと、部屋の暗い一角を見つめた。深いため息をき、口を閉ざしてしまった。
 ジェルミにとって、矢は、エトゥワールを連れだす、格好のいいわけだった。まるで、矢があればエトゥワールが自分を愛し始めてくれるように勘違いした。
「矢があれば……、君を妃として連れていけるのに……。闇の王から君を奪う口実になるのに……」
 エトゥワールのあからさまな拒絶をまえに、ジェルミは同じ言葉を繰り返すしかなかった。
 物陰からしわがれた話し声が聞こえてくる。
(ばかだ、おろかものだ)
(おつむがからっぽだ)
(やみのおうはずっといる)
(みてるぞ、ぜんぶしってる)
(おやかたさまも、そろそろこいつにあきてくるころだ)
(そうだ、あきてくる……)
 エトゥワールとのことを、闇の王は知っている。二人の行為を隠れて見ている。もしかすると、いまもこの部屋にいるかもしれない。そんなことを考えて、ジェルミは怖気おぞけを感じた。



 二人で寝台に寝そべっていると、窓の外から小鳥の鳴き声がした。鳴き声が聞こえるとともに、エトゥワールは怒りっぽくなって、魔物やジェルミに当たり散らした。
 閉口したジェルミは、寝台から抜けだした。
 衣服の上からガウンをはおり、庭に向かった。
 いつしか、廊下を抜け、中庭を臨む回廊にでた。中庭は緋色に染まっている。ぼんやりとたたずんでいると、徐々に周りが紫色に塗り替えられる。
 薄暮の中庭に、小鳥が舞い降りた。
 ジェルミは夢うつつの気持ちで、その光景を見ていた。
 小鳥は乙女たちの像のあいだを飛び跳ねた。小鳥は膨れ上がり、少女の姿になった。ぼんやりとした幽鬼の姿。その少女がエトゥワールにうり二つなのに気付く。
 ジェルミは驚きを隠せず、ただ見つめている。少女が踊りをやめた時、ジェルミは少女に近づいた。
「リュヌ」
 幽鬼のような少女は、友人のリュメールに間違いなかった。
 リュメールは、ジェルミに気付き、さびしげにほほえんだ。
「久しぶりね」
 次々と、ジェルミの口を疑問が突いてでる。
「なぜ、君がここにいるんだ」
「ここがわたしのいる場所だから。そんなことより、この城からお逃げなさい。でないと、あなたもいまに血祭りにされるわよ」
 リュメールの物騒な発言にジェルミは驚いた。
「どういうこと?」
「エトゥワールは男に飽きると、魔物に慰みものとして下げ渡して、八つ裂きにするのが趣味なの」
 ジェルミはガウンをぎゅっとかき抱き、青い顔をしていった。
「まさか……」
「いままで、例外はなかったの。それに、闇の王の許嫁でもある。ただではすまないわよ」
「どうしよう?」
「逃げるしかないわ。いますぐに」
「でも、でも、ぼくは彼女を愛してる。この森で矢さえ見つかれば、ぼくは彼女を連れていけるんじゃないかな」
「矢もないのに何をいってるの?」
「リュヌは矢のある場所を知らないの? 矢があったら、彼女もぼくについてきてくれるんじゃないかと思うんだ。矢がないから、彼女はぼくに思いを告げられないのかもしれない」
「何をばかなことをいってるの? あの子は矢があろうとなかろうと、誰も愛さないわ。良心がないのだから誰も愛せないのよ」
「それなら、どうしたらいいの?」
「あの子の良心でも探すしかないわね……」
 エトゥワールには良心がないと聞かされ、ジェルミは納得した。あの冷たさはそうとしか説明ができない。
「良心を見つけたら、エトゥワールはぼくについてきてくれるかしら?」
「いつまでも何をいってるの、おばかさん。横恋慕はやめて、さっさとお逃げなさい」
 リュメールはジェルミの言葉を一蹴した。
 ジェルミはリュメールに追い立てられ、森に入っていった。



 Ⅳ リュメール



 森にジェルミを追い込んだあと、リュメールは考えた。
 城は相変わらず、暗く、よそよそしい雰囲気だ。闇の王の手下である魔物たちが、暗闇からいつでも様子を窺っている。
(おや、リュメールだ)
(ことりちゃんがきたよ)
(めずらしいもんだ)
 口々にさえずり合っているのをしり目に、ずんずんとエトゥワールの寝所へと進む。
 エトゥワールは寝台でうたた寝をしている。彼女に闇がねっとりと覆いかぶさり、蠢いている。闇の遠慮ない愛撫にエトゥワールはうなされている。
 リュメールは、エトゥワールから目を反らした。
 リュメールこそが、エトゥワールの良心なのだ。寝台で悲痛な声を上げているのは、自分自身なのだ。苦痛と絶望は、すべてエトゥワールが引き受けているのだ。
 寝所の片隅に目をやる。
 エトゥワールの寝所の奥には、魔物たちの吹きだまりがある。そこには魔物たちが拾い集めたガラクタが、山のように積み上げられているのだ。
 リュメールはそこに寄っていき、声をかけた。
「おまえたち、この森で三色の国旗のついた矢を見なかった?」
(みたよ)
(みたみた)
 魔物たちの答えに、リュメールは意気込んだ。
「どこで見た?」
(ここじゃないどこか)
(ひひひひ)
 ふざけるように嗤う、しわがれた声。
 リュメールは苛立ち、低い声で脅す。
「ふざけたことをいってると、エトゥワールにいいつけるよ」
 とたんに、魔物たちはしおらしくなった。
(うそだよ、いいつけないでおくれ)
(しってる、そうだ、いちばんたかい、きのこずえにあった)
(あさひにさらされる、つきのひかりにてらされるから、わしらはこわい)
(いきたくない)
「そう、じゃあ、まだ誰も取りにいってないのね」
(いってない、いってない)
 リュメールは、ほっとした。
 きびすを返し、急いで寝所をでた。
 リュメールは、矢を三つの国のいずれかに持っていこうと決めていた。
 国旗と矢をエトゥワールに渡そうとは思わない。エトゥワールがジェルミの花嫁となったとしても、闇の王の婚姻が取り消されるわけもなく、逃げられるわけでもない。
 いまのジェルミでは、闇の王から彼女を助けだせるはずがない。
 弱虫な王子はかわいらしい姫と一緒になって、幸せに暮らすのが一番なのだ。



 リュメールは中庭を抜けて、ふわりと飛んだ。幻の体が大気の流れに乗り、徐々に浮き上がっていく。樹木の梢につま先立ちして眺めると、はるかかなたに抜きんでて高い木が見つかった。
 リュメールは木のてっぺんにつま先をかけ、ぴょんぴょんと跳ね飛んで、目的の杉のもとへとやってきた。
 杉は、枝を左右に伸ばし、尖った針のような葉をいからせて、まるでリュメールに敵意を向けているように見える。その杉のてっぺんに、白と赤と青の三色の国旗を結わえた矢が引っ掛かっていた。
 リュメールはそれを拾い上げると、手に携え、ここから一番遠い国を目指した。
 0 少女



 少女が少年のアパルトメントに転がり込んで、数か月が経とうとしていた。
 少女と暮らすようになると、少年はつまらない理由で仕事を辞めた。すごい曲を作って、くだらない大人たちを見返してやる、と少年はうそぶいた。しかし、毎日、ギターを弾いているか、酒を飲んでいるかのどちらかだった。
 少女は、自分の収入だけでは生活できないことに気付いた。しかし、少年は理解してくれず、仕事の話になると不機嫌になった。
 業を煮やした少女は、強い語調で少年に頼んでみた。
「ねぇ、仕事してよ。あたしだけじゃ、稼ぎが足りないから」
 それを聞いた少年は、不機嫌そうな顔をして少女を無視すると、部屋をでていった。少年は一週間帰ってこなかった。
 少女は悔やんだ。仕事をしてくれなどと、二度といわないことにした。
 ふらりと帰ってきた少年は相変わらずだったが、少女が昼夜問わず働くことで、少年を養った。
 少年はでかけたきり、次第に帰らなくなってきた。
 少女とよくつるむ仲間たちは、少女が浮気されている、と告げてきた。
 少女はそんな言葉など聞こえないふりをした。
 ある時、二週間も連続で勤務が続いた。少女は夜中にへとへとになって帰ってきた。
 寝室に入ると、少年と見知らぬ女がベッドで絡み合っているのを、目の当たりにしてしまった。
「誰、そいつ!」
 少女は少年に詰め寄った。
「うるさいな、誰だっていいだろ」
 少年はうるさがり、少女の頬を打った。
 少年の傍らの女は、それをにやつきながら見ている。
「にやにやしてんじゃねぇ!」
 少女は頭にきて、女の髪をひっつかんだ。
「ばか! やめろ」
 少年は女をかばい、少女を足で蹴った。
 少女は床に転んだ。少年の傍らにいるのが、既に少女ではないことを悟った。悔しさに目のまえが涙でにじむ。少女は少年と女を罵った。
 少年に裏切られ、少女は着の身着のままで少年の家をでていった。
 酒を買って夜通し飲み続け、泥のように酔っ払ったていで、自分の家に帰った。
 鍵もかけずに自分の部屋で寝てしまった。
 その夜、パパがきた。
 少女は暴れたが、抵抗はむなしかった。
 朝になると、少女は、もう二度と帰るものか、と捨てぜりふを吐き、家を飛びだした。



 Ⅴ リュメール



 やがて、朝がやってきた。リュメールの姿が小鳥へと変わる。その頃には南の国の上空だった。眼下に城が見えてくる。
 城の庭園から優しいハープの調べが聞こえてくる。庭園には花を咲かせた木々が植えられ、その中心に黄色い大理石でできた庵が建てられている。ハープの音色はその庵から響いてくる。
 リュメールは足に矢を携え、枝から枝へと飛び移りながら、ハープを弾く女のもとに近づいた。
 女は非常に美しいわけではなかったが、優しい顔立ちをしている。ふっくらとした頬に、健やかな光が宿る瞳。ハープとともに口ずさむかわいらしい唇。はちみつ色の髪を高く結いあげて、色とりどりの石を散りばめた髪飾りをつけている。
 リュメールの心臓は痛んだが、あの弱虫の少年を幸せにするのは、この娘なのだ、と心に決めて羽ばたいた。そして、姫のハープの先に留まる。
「あら」
 姫が小鳥に気付く。小鳥が足につかんだ矢を目にして、驚いて声を上げる。
「まぁ、太陽の国の国旗だわ」
 国旗と矢がもたらされるということは、神の花嫁になるという意味だった。
 生まれた時からそのように教育された姫は、矢を見て覚悟を決めた。
「誰か」
 姫は、直ちに侍女を呼んだ。
 父王にこのことを知らさなければならないからだ。
 リュメールは軽く羽ばたいて、南の姫の膝に乗った。
「何て、かわいらしい」
 あいさつ代わりに鳴いてみせる。その歌声の素晴らしさに、姫は感動して、手元のハープを引き寄せると、かき鳴らした。
 知らせを受けた父王は、王子がこないことを心配したが、待っていてはらちがあかぬと、独断で太陽の国へ先に訪れることにした。
 こうして、リュメールは銀色の大きな鳥籠に入れられ、南の姫とともに太陽の国に旅立つことになったのだ。



 0 少女



 家をでた少女は、毎日、違う男の体を渡り歩いた。
 酒場で知り合った男とモーテルで寝ては、その日の宿にした。
 体を合わせる相手は、どんな男でも良かった。
 体を売ることも覚えた。たまに金を手渡してくる男がいたからだ。
 様々な男と寝ているうちに、薬の味を知った。ヤク中の男と寝ることもあったからだ。
 最初は無理矢理だったが、そのうち、自分から薬を求めるようになった。
 行為の快楽は、少女のすさんだ心を少しだけ慰めた。酒や薬は日々の苦痛を和らげた。
 中毒になってしまった薬や酒を、自分からやめることができなかった。薬や酒代を稼ぐために、更に体を売って、それが駄目な時は酒場でウェイトレスをした。
 自分に何があろうと、他人は関心を持たない。もともと汚れた自分を大事にしてくれる人間などいない。自分に価値があるとは、到底思えなかったからだ。
 少女にとって、自分自身は大事にする必要がなかった。早くぼろ切れのようになって、人生を終わらせたかった。誰からも忘れられて、塵のように消えてしまいたかった。
 若々しかった少女の外見は、薬と酒で変わり果てた。まだ十代のはずだが、三十代後半に見えた。
 のどは酒に焼け、声もしわがれた。体は骨張ってやせていった。
 薬も男も酒も全部試して、気がつけば、願った通りに少女の体はボロボロになっていた。



 5 ジェルミ



 ガウンのまま追い立てられたジェルミは、ようやっとの思いで森を抜けた。
 着の身着のままで、太陽の国を目指した。
 道中、ジェルミはやむを得ず、ものもらいをしながら歩き、飢えをしのいだ。
 何度も棍棒で追い立てられた。盗人だと怪しまれて、暴力を受けたこともあった。
 自分は王子だという証拠が何一つないため、ジェルミは生まれて初めて、機転や才覚で面倒ごとを避けるすべを学んだ。
 殴られて痛い思いをしながら、ジェルミは自分がいろいろな人間に守られていたことを悟った。
 道々、ジェルミはエトゥワールとリュメールのことを考えていた。
 甘やかされて育ったことを自覚したいまでは、リュメールに頼っていたことを反省していた。
 愛されることが当たり前だった。エトゥワールも自分を愛していると信じ込んでいた。あの時、闇の王に束縛されたエトゥワールには答えることのできない質問を、ジェルミは無邪気にしていたのだ。
 強引にエトゥワールをさらうか、若しくは、諦めてしまわないといけなかったのだ。どちらも選ばなかった自分に、エトゥワールを愛する資格はあるだろうか、と思った。
 
 
 
 ジェルミが太陽の国にたどりついた時には、見る影もなく、みすぼらしい姿だった。
 数回、門戸をたたいたが、衛兵に追い払われた。何度もしつこく近従の名を呼んだおかげで、やってきた近従に確認されて、王子かもしれないといわれた。それでも城には入れてもらえず、ジェルミは最後の手段だと、乳母の名を告げた。半日以上過ぎ、乳母が検分にやってきて、初めて王子だと認めてもらえたのだった。



 先に戻った従者は、ジェルミとともにいなかったことを隠して、酒場に潜んでいた。湯浴みをすませたジェルミに、家臣がどのような処遇にするかと聞いてきたが、ジェルミは従者を辞めさせるだけにとどめた。
 王子の留守のあいだに、南の姫が国旗と矢を持ってきたと告げられた。
 それを聞いて、ジェルミは胸が痛むのを感じた。エトゥワールのことが思いだされたからだ。
 結局、ジェルミは何もできずに戻ってきた。エトゥワールを諦めなければという思いと未練の狭間で、ジェルミの心は揺れた。
 そういう気持ちを押し殺して、王子の義務を果たさねばならない。
 身支度を数人の侍従にさせ、急いで謁見の間に向かった。
 正装したジェルミは、謁見の間で初めて姫を見た。
 はちみつ色の髪の姫は、笑顔のかわいらしいひとだった。仕草や声も愛らしかった。自分の髪や容姿に似合う服をよく把握している。黄色いドレスを両の手で持って、膝を軽く曲げて、あいさつした。
「ジェルミさま、御機嫌麗しゅう」
「うむ」
 銀色の椅子に座ったジェルミは、姫を見つめた。
 内心、好きになれそうな姫で良かったと思った。
 ふと、姫の傍らに目をやる。そこには籠に入った小鳥がいた。その小鳥に見覚えがあった。闇の城でエトゥワールを悩ませ、リュメールに変身した小鳥ではなかろうか。
「その鳥は?」
「はい、矢を持ってきた小鳥にございます」
「矢を?」
 ジェルミは眉をひそめる。もしも、この小鳥がリュメールならば、やはり、森に矢はあったのだ。けれど、持ってきたのは南の国の姫。この事実は受け入れないといけない。
 ジェルミは長い旅のことをねぎらうと、用意した部屋でゆっくりと休むように、姫に告げた。
 式の日取りは一日もかからずに決まった。姫もそれに同意し、改めて嫁入り道具を携えてやってくると約束して、南の国に戻っていった。
 
 
 
 式が間近に迫った頃、再び、姫がやってきた。今度は多くの侍従と侍女を連れ、隊列を組んで嫁入り道具を運んできた。
 城下町はそれだけでお祭り騒ぎになった。王子と姫の結婚を、国を挙げて祝福した。



 式の当日、ジェルミとアーキシェル姫は太陽の塔に上った。
 子供ができると、ジェルミは妃と別れ、再び太陽の塔に上り、太陽の王となる。
 そういう決まりを、ジェルミは何度も復唱した。復唱しながら、自分が太陽の王になったあと、父王はどこへいくのだろう。妃とともに過ごすのだろうか、と考えていた。
 厳かに式は進み、太陽の王に祝福され、二人は塔を降りた。
 二人は城の西翼を新居とした。子供ができるまでそこで暮らすのだ。
 成人したばかりの王子と、年上の姫は、すぐに仲睦まじく、愛し合うようになった。
 アーキシェルが西翼棟の庭にある庵で、ハープを奏でながらジェルミに歌いかける。その声は天使のようだった。
 ジェルミはその声を聞きながら読書をし、執務に励んだ。
 必ず、その傍らには小鳥がいた。ジェルミは小鳥を眺めながら、闇の城でのことを思いだすのだった。



 蜜月の夜、腕に抱いたアーキシェルの白い体を離して、ジェルミは褥の中で寝返りを打つ。すべやかな背にあの手触りを思いだす。冷たく凍えた肌とは違う、暖かなくぼみ。稜線。へそから下のなだらかな丘。指先に反応する声。何もかも違う。
 アーキシェルを愛している。けれど、忘れられない何かが、心にわだかまっていることに気付いた。
 冷たく絶望した黄褐色の瞳。猫のように細められた目。誰のことも信じないくせに、誰をも受け入れる。ジェルミを拒絶するあの心。ジェルミだけでなく、すべてのありようをも拒絶する倦んだ態度。闇に沈み、暗闇に潜み、常夜に息づく、死のような少女。
 急に思いだされ、無性に恋しくなると、真夜中に褥を抜けだし、小鳥のもとへと馳せる。
 ジェルミは、どうしてもエトゥワールの声を聞きたかった。どうしても知りたかった。まだ覚えているか、愛はあるか、と。
 しかし、籠の中に小鳥はいなかった。ジェルミは籠を手に、近くにいるかもしれない小鳥に話しかけた。
「リュヌ、リュヌ。ぼくの声が聞こえるか? ぼくの気持ちを知っているか? あの時のままのぼくの気持ちを……、変わりなく彼女を愛するぼくの心を……」
 そこまでいいかけた時、背後から声がした。
「その小鳥の主人は、リュヌというのですか? それとも、小鳥の名がリュヌというのでしょうか? あなたの思いびとの飼われていた小鳥だったのですか?」
 背後の声にジェルミは振り向く。
「その小鳥に矢を持たせたのは、あなただったのですか?」
 アーキシェルが青い顔をしてたたずんでいる。
「アーキシェル……、寝ているとばかり……」
「あなたが、夜な夜な褥を抜けだすのは知っていました」
 ジェルミは後ろめたさに黙り込む。
「あなたの小鳥を見る瞳が優しいことに気付いていました。それは恋人を見る目です。矢を持った小鳥がわたしのもとにやってくるなんて、初めからあなたが仕組んでいたことだったのですか? わたしの思い違いでしょうか」
 何も答えないジェルミに、アーキシェルは泣いて訴える。
「あなたがわたしを見つめる目が、わたしに向けられていないことなどわかっています。あなたが語りかける言葉が、ことごとくわたしにではないことも……。あなたは思いびとを忘れるために、わたしを選ばれたのですね」
 ジェルミは胸を押さえた。諦めなければいけない、二度とあの森へいくことができないこともわかっている。いま、アーキシェルを悲しませることが、よくないこと、これから先を不幸にすることも……。
「確かに小鳥をリュヌとは名付けたが、おまえ以外の女に恋をしているわけでも、思いを寄せているわけでもない」
 ジェルミはその証拠にと、鳥籠を見せつけた。中に小鳥がいないことをわからせる。
「あの小鳥はいない。ぼくも夜中にこの庭を訪れることはやめよう……」
 ジェルミは泣くアーキシェルを抱き寄せた。幸せと愛は別だと。いまは幸せをはぐくもうと。



 Ⅵ エトゥワール



 庭のどこからか、再び小鳥のさえずりが聞こえるようになった。
 そのさえずりも、いまのエトゥワールには無意味なものだった。
 ジェルミが去った痛手は大きかった。リュメールだけでなく、エトゥワールもジェルミが何ものか知っていた。
 飽きることがあろうかと思っていた。この手でなぶることがあろうかと。
 闇の王の印した紋様をジェルミがくちづけていくたびに、心は燃え上がり、体は震えんばかりに愉悦を感じた。
 はっきりと愛しているといえたらどんなに良かっただろう。闇の王を恐れずに、ジェルミがエトゥワールを奪い去ってくれたらどんなに幸せだったろう。
 リュメールが矢を持って、ジェルミとともに闇の城を去ったことは、エトゥワールにとって絶望にひとしかった。それは唯一の希望や喜びをなくすことだった。
 闇の城に絶望と孤独だけが残された。
 死が、情夫のようにエトゥワールの褥に横たわる。
 涙も涸れた。
 声もでない。
 夜がくる。
 暗闇が広がる。
 エトゥワールの傍らに、漆黒のひと影が寄り添う。
 怖気の走るくちづけ。生贄の日が近い。
 エトゥワールは、眠りの中に逃げることで正気を保った。



 Ⅶ リュメール



 エトゥワールが目覚めなくなると、リュメールはひとの姿に変身できなくなった。
 リュメールには、エトゥワールの絶望が手に取るようにわかった。
 苦痛と絶望と孤独を、すべてエトゥワールに押しつけたリュメールにとって、エトゥワールの逃避は責めることのできない、当然のことだった。
 小鳥でいることは、その贖罪だ。
 ジェルミと話ができないことは、その罪ととがだ。
 ジェルミは愛を紡ぐ。それはリュメールやエトゥワールとではない。
 ジェルミは愛をはぐくむ。きっとそれが、最良のことなのだ。



 0 少女



 少女を心配する男がいた。
 少女が働く酒場の店長だった。
 最初、少女には、店長がなぜ自分に優しくするのか、わからなかった。体が目当てなのだろうと思った。だから、ちょくちょく裸になって、あられもない格好で店長を誘惑しようとした。
 そうすれば、金に困らないし、寝泊まりする場所が手に入る。
 しかし、そのたびに店長は悲しそうにほほえむだけで、少女に手をださなかった。挙げ句に自分の服を脱いで肩にかけてくれる始末だった。
「あんたさ、あたしとやりたいんだろ? 金をくれたら、どんなことでもしてやるよ」
 少女はすれっからしのようにいい放った。
 店長は首を振った。
「もっと自分を大事にしろ」
 それだけいうと、自分の仕事に戻ってしまった。
 少女にとって、それは初めての肩すかしだった。なぜか、とてつもなく悲しくなっただけだった。
 薬や酒のせいで無理のたたった少女の体は、しょっちゅう高熱をだしたり、禁断症状に苦しんだりした。
 少女が体調を壊すと、店長は何くれと世話を焼いてくれた。
 最初、父親ほども年の離れた男に反発を感じた。見せつけるように酒場で男と絡み合ったりした。そうすれば、店長も本性を現すだろうと思ったのだ。
 けれど、少女が何をやっても、店長の態度は変わらなかった。そんな店長に少女は心をひらいた。相変わらず、何人もの男とは寝たが、だんだんとそのことを後ろめたく感じるようになっていった。
 そんな思いを払拭するように、店休日には店の仕入れや雑務を進んで手伝うようにした。いままでしようとも思っていなかったことだった。
 それまでは、夜になると様々な男のもとに転がり込んでいたが、これからは店のソファで寝泊まりさせてくれないか、と店長に頼んでみた。
 少女は自分を少しでも変えたかった。店長の悲しそうな笑顔を見たくなかった。
 店長に対して、いつしか親しみを感じるようになっていた。
 店長に特別な感情を抱くようになった。
 初めて、自分から酒や薬をやめようと思いたった。パパに襲われる悪夢を見たり、禁断症状に苛まれたりすると、少女はのたうち回って苦しんだ。少女のそばには、常に店長がいてくれた。苦しんでもがき、泣きわめく少女を、店長は優しく抱き締めて、一晩中そうしてくれた。
 少女は店長を男として愛し始めていた。
 そんな矢先、少女は妊娠していることに気付いた。既に三か月に入っていた。
 しかし、誰の子供かもわからない。
 少女は、目のまえが真っ暗になる思いがした。子供ができたこと、にではない。自分のそれまでの行為、にだった。
 自暴自棄になった少女を、店長は辛抱強く支え続けてくれた。
 少女の恐れは、パパとの子供かもしれないというものだった。それは実際、時期的にあり得なかったが、禁断症状で混乱した少女の思考では、まともな判断ができなかった。
 しかも、薬や酒の中毒で健康な子供が生まれる確率も低く、産むとなると少女の命も危うかった。
 少女は心も体もどん底にあった。店長の手にすがりながら、辛うじて立っているにすぎなかった。
 そんな時に、店長が少女に結婚したいと申しでた。もっと少女を身近で支えたい。守りたいといってくれた。
 しかし、少女は自分を恥じた。
 店長――愛する男に釣り合わないと思い込んで逃げだした。



 6 ジェルミ



 アーキシェルが身ごもった。懐妊の知らせは瞬く間に国中に知れ渡った。
 跡継ぎの誕生は、新しい王の誕生と同様に喜ばしいことであった。
 ジェルミが太陽の王となる日が間近に迫った。ジェルミとて誇らしくないはずはない。しかし、不安のほうが大きかった。
 太陽の王になれば、もはや妃とともに過ごすことはできない。太陽の塔に閉じ込められ、政務と国の繁栄を祈る身になる。
 味けない人生だと初めて思った。あれほど父王にあこがれたというのに。
 金色の仮面をかぶり、豪奢な服を着て、ひとびとに崇められることを、あれほど望んだというのに。
 いまは、妃とともに静かに過ごしたいと願っている。
 激しい恋も身を焦がす愛もいらぬ。
 平凡で平坦な、何事もない穏やかな生活、妃の歌声、何もかもが、どんな宝よりも愛おしかった。
 アーキシェルも、浮かない顔つきをしている。何やら悲しんでいるようだった。
 妃の大きなおなかをジェルミは優しく撫でる。愛おしげに。別れがたい思いを載せて、撫で続けた。
 アーキシェル自身も太陽の王の風習はわかっている。わかった上で婚姻もしたが、もう二度とジェルミと愛を語れないことを思うと悲しいのか、最近は泣いてばかりだ。
 けれど、月は満ち、無情にも別れの時はやってくるのだ。
 陣痛が始まると、ジェルミは部屋を追いだされた。
 部屋の外で、ジェルミは心もとなく、赤子の誕生を待った。
 朝日が昇るとともに産声が上がった。



 Ⅷ リュメール



 ジェルミの妃が臨月を迎えた知らせは、闇の城にも伝わっていた。
 かしましい魔物たちのおしゃべりを、目を覚ましたエトゥワールは苛立ちながら聞いていた。
 眠りに逃避しているあいだに、自分の半身でもあるリュメールが消えてしまった。それだけでもかなりの痛手だというのに、愛してやまないジェルミに子が生まれる。
 あの時、ジェルミを縛ってでも拘束すれば良かった。自分だけのものにして宝物のように閉じ込めてしまえば……、エトゥワールの心中をそんな思いが渦巻いた。
 けれど、もはや遅い。たとえ、そうしていてもジェルミを苦しめるだけのことだろう。
 エトゥワールは体中を這う紋様を見やる。けがれた自分の体。子が生まれる頃には、完全に闇の王のものになる生贄。
 なぜなのか。ここにきた時から、生まれた時から決まっていた約束だと聞いた。
「おまえはわたしのもの。その髪からつま先まですべて」
 闇の王はくちづけのたびにそう囁いた。それは愛の告白ではなく呪いだった。言葉の蔦がいましめのように体中にはびこっている。
 更にリュメールが自分を見捨てた時に、エトゥワールの心は死んだのだ。小鳥は、エトゥワールの良心だったからだ。
 エトゥワールは、おとなしく最期を待った。
 時がきて、見えない侍女たちがエトゥワールを飾り立て始める。黒い羽根飾り。漆黒のドレス。薄絹の黒い足通し。黒く着飾った花嫁は庭にでて、闇の王のまえにひざまずいた。
 どんよりとした闇を背負う王の姿は、夜の中に沈み込み、わずかな明かりに照り返る布地以外に、姿は判然としない。黒い仮面は、闇そのもので形作られたようだ。
 そろそろ、明けの明星のまたたきが激しくなる。夜明けがくるのだ。引き潮のように漆黒の闇夜が引いていく。太陽の最初の光が差し込み始めた。
 夜が明け、エトゥワールの解放の時がきた。それは生からの自由だった。
「産声だ」
 闇の王、オプスキュラがのたまう。城にすまう小さな魔物たちが悲鳴を上げる。
(うぶごえだ!)
(みこがうまれた!)
「こい、エトゥワール」
 漆黒のマントがひらく。
 エトゥワールは無表情でオプスキュラに歩み寄る。死との婚姻が始まる。
 オプスキュラが仮面をずらす。その下の美しい顔が垣間見える。冷たい唇がエトゥワールの唇をはむ。
 エトゥワールとオプスキュラの周囲を、小鳥が激しく鳴きながら飛び交った。
 リュメールだった。
 リュメールはエトゥワールの肩に留まり、生気をすするオプスキュラに向かって鳴きたてた。
 そのあいだにもエトゥワールの顔から、徐々に生気が失われていく。見る間に色あせていく。小鳥も次第に動きを止め、苦しげにさえずった。
 とうとう、エトゥワールの体から命が奪われ、オプスキュラの胸にぬけがらだけが残った。
 新たに一体のアラバスタの像が現れた。その肩には石細工の小鳥が乗せられている。
 エトゥワールとリュメールは、命を奪われ、石にされてしまったのだった。



 0 少女



 男から逃げだした少女は、住み込みの仕事を始めた。安い賃金で重労働を強いられた。外国人労働者が大半を占めている。職場の責任者は労働者に対して非情だった。
 体力を失っていた少女は、数週間もしないうちに仕事中に倒れた。
 職場の人間たちは、気絶して破水した少女を何時間も打ち捨てていた。構っていることができないくらい忙しいのと、責任者すら少女を無視していたためだった。
 そのために少女の子供は死んだ。


 
 少女が目覚めると、そこは病院だった。どうやって病院に運ばれたか、全く記憶にない。
 少女は周囲に目をやった。
 ベッドの脇にひたむきな目で自分を見つめる男がいた。それは、少女を愛してくれている男だった。
 瞳に涙が溢れた。
「どうして、あたしがいる場所がわかったの?」
 少女は素直に訊ねてみた。
「常連の一人がおまえを見たと聞いて駆けつけたんだ」
 男は毎日少女を探していたらしい。酒場の客から、少女の行方を聞いて駆けつけた時には、既に遅かったという。危うく死にかけた少女を病院に連れていき、意識が戻るまでそばにいたのだ、と男は語った。
 それを聞いて、少女は逃げるのをやめようと思った。
 男の愛と向き合い、過去の自分から逃げるのをやめ、立ち向かおうと心に誓った。
 パパやママとのことも、自分なりに決着をつけたいと願った。
 そうでないと、少女はいつまで経っても、男のまえに堂々と立つことができない。対等になることができない。男の愛にこたえることができないのだ。
 少女の話を、男は静かに最後まで聞いた。
 支離滅裂になりがちな話だったが、男は少女の決意を汲んでくれた。
 だったら結婚を両親に知らせるために、少女の実家を訪れよう、と男は持ちかけた。
 幼い頃から自分を苛み続けた恐怖と、少女は立ち向かうことにしたのだった。



 7 ジェルミ



 ジェルミは生まれた子供を目のまえにして、不思議な気持ちになった。
 赤子は二人。男の子は自分と同じ灰色の髪。女の子は妻と同じはちみつ色。
 赤子は小さく、並んで眠る姿はいとけなかった。こんなにかわいい我が子ともこれでお別れなのかと思うと、大いに残念だった。
 別れの思いは押しやって、ジェルミは、赤子の誕生を妃とともに喜んでいた。
 その時――。
 ふいに寝室に闇が垂れ込めた。
 何事かと、ジェルミは我が子と妃をかばって、闇に立ちはだかる。
 闇は次第に形を取り、黒い仮面をかぶった男の姿となった。黒い衣服の下から現れた、白い指先が赤子を指差した。
「未来の王よ、その女子は我が花嫁としてもらい受ける」
 それは恐ろしい言葉だった。
「誰がそんなことを!」
 ジェルミは我が子を守るために、腰に帯びた剣を抜き、闇の王に飛びかかった。
 しかし、闇はするりとジェルミの腕から逃げ、次の瞬間には赤子を抱いていた。
「繁栄と引き替えに、おまえの一族が約束した。生まれてくる姫は必ず闇の王に嫁がせる、と」
 アーキシェルが悲痛な叫びを上げる。
「おまえにわたしの子供を渡すいわれはない! いますぐ返すんだ! それに、おまえには既に花嫁がいるだろう!」
 闇の王は不気味に嗤った。
「そうだ、おまえの妹であるエトゥワールとリュメールは、このわたしが花嫁として手に入れた。いまでは我が庭に乙女の像となってたたずんでいる」
「何だって?」
 ジェルミは悲痛な声を上げた。
「どういうことだ? リュメールもエトゥワールも、わたしの妹だというのか。あんな恐ろしい場所に閉じ込めて苦痛を与えておきながら、命まで奪ったというのか!」
「愚かな男だ。わたしは、いままで呪いを解く機会は与えていた。一生に一度の救いだす機会を与えていたのに、それを無駄にしたのは、おまえの一族だ。成人の儀式の時に飛ばす矢を、必ず闇の森に導いていたのに、いつのまにやら花嫁探しにしてしまっていたのも、おまえたちだ。しかも、矢を見つけられず、矢が落ちていた、と自ら偽っていたではないか」
「しかも、おまえはエトゥワールを救いだす機会があったのに、一人で逃げだした。エトゥワールの良心であるリュメールさえ、連れだせなかったではないか」
 闇の王は嘲るような嗤い声を上げる。
 やがて部屋は暗くなっていき、まだ名もない姫は闇の王とともに暗闇に飲まれ、そのまま消え去った。
「何ということだ」
 ジェルミは激しい感情をあらわにした。それは、いままで感じたこともないほどの怒りだった。それと同時に連綿と続いた愚かな行為に呆れ果てた。闇の王のいう通りなら、愚かにもほどがある。救いの機会を捨ててきたのは、自分の一族だった。
 救いだせなかった妹と双子の我が子とが重なる。
 エトゥワールとリュメール。彼女たちはジェルミの妹なのだ。一つの魂を二つに分けて、闇の王の苦痛から我が身を何とか守っていた妹。
 この儀式が自分にも行われたこと、心から愛した女が自分の妹だったことを、闇の王の言葉で悟った。
 アーキシェルが背後のベッドの上で泣いている。王子も火がついたように泣き始めた。
「まるで呪いだ……」
 ジェルミはそう吐き捨てた。
「何が繁栄だ……、こんなものは呪いそのものだ……」
 ジェルミは泣きじゃくるアーキシェルを胸に抱いた。
 それなのに、侍従や侍女たちは、ジェルミと王妃の様子に目もくれない。慌ただしく儀式の準備をしている。いつも通りの宮殿の様子が薄気味悪い。
 戴冠の儀式が迫ってくる。ジェルミは誰にも悟られないように小刀を胸に忍ばせた。
 
 
 
 儀式のために正装したジェルミは、太陽の塔への階段を上り詰めていった。
 階段の一番上には、父王が腕を広げて待っていた。
「我が息子よ、おめでとう」
 金の仮面の下で父王がいう。
 ジェルミは奥歯をかみ締めると、胸の下にある小刀を握り締めた。
「その懐刀は必要ない」
 すべてを見透かしたように、太陽の王はつぶやいた。
「もはや、おまえはわたし自身となる」
 ジェルミは太陽の王に抱きとめられる。ジェルミはやみくもに暴れ、その仮面をはぎ取った。
 闇。
 そこには何もない。
 ジェルミは、闇の王の仮面を垣間見たように思った。
 太陽の王は、人間の力とは思えないほど強く、ジェルミを羽交い締めにした。父王の腕の力が強くなるほど、ジェルミの体から力が抜けた。恐怖がジェルミの全身を覆う。このままでは死ぬという思いから、絶叫がのどを突いてでた。
 ジェルミの悲鳴を飲み込み、太陽の王は息子の体をマントの中に包み込む。片方が塵となって消えてしまったあと、そこに立つのは仮面をかぶったジェルミだった。



 太陽の王に肩をつかまれ、マントの中に引きずり込まれてから、ジェルミの意識はなくなった。次に気付いた時、ジェルミは上空から自分の姿を見つめていた。
 金の仮面をかぶりなおした、金の髪の自分自身が、民衆に手を振り、塔のテラスに立っている。
 仮面の下の顔は、闇そのものだった。
 闇の王と同じ漆黒の闇が、マントの中にも泥のようにこごっていた。
 闇の王と太陽の王は同じ魔物なのか?
 太陽の王と闇の王は繁栄を与える代わりに、その報酬として命を奪った。何代にもわたって続けてきた、忌まわしいしきたりの正体は、呪いとしかいいようがなかった。
 先代たちがいままで何もしてこなかったことが信じられない。その誰もが自分に妹がいることも、その妹が苦しめられていることも知らずに、太陽の王になることだけを夢見て生きてきたのだろう。
 矢が見つからなかったのはジェルミだけではなかったのだ。さらわれた妹のところに矢が導かれていたのに、先代たちは闇の森を探さなかった。
 あるはずがないという思い込みが、矢と妹を見つけだす、たった一度の機会を無駄にしてしまっていたのだろうか。それとも、最初ジェルミが闇の王を恐れたように、先代たちも恐れていたのだろうか。
 恐らく、エトゥワールとリュメールの存在を知らねば、ジェルミもその一人となっていただろう。
 魂の姿でいる限り、誰にも真実を告げることもできず、離ればなれになったことを嘆くアーキシェルに自分の死のことを知らせることもできない。
 さらわれた赤子を取り戻し、ジェルミの妹であるエトゥワールと小鳥のリュメール、彼女たちを何とか助けだそうと、ジェルミは空を駆けた。
 
 
 
 あれほど遠かった闇の森まで、あっという間だった。新しい花嫁を得た森は、ざわついている。
 ジェルミは城の尖塔を目指す。中庭を上空より見下ろし、そこにアラバスタ細工の乙女たちの像を見つけた。
「エトゥワール!」
 ジェルミは叫び、真新しい像の足元に降り立つ。
 かつての恋人でもあり、妹でもあるエトゥワールのぬけがらが、そこにたたずんでいた。リュメールも石となって、エトゥワールの肩に留まっている。
「エトゥワール、リュメール……」
 話しかけてもいらえはない。生気のない瞳を覗き込み、ジェルミは悟る。
 妹は本当に死んだ。この世から消えてしまった。しかも、それは未来の姫の姿でもあり、現在の自分でもある。
 アーキシェルとともにいる赤子の王子は、いずれ自分と同じ道をたどる。
 ジェルミの怒りがふつふつとたぎった。止めなければ。自分でこの連鎖を止めてしまわないと、永遠に続く。
 太陽の王と闇の王。あの二人はもしかすると同じ存在なのかも知れず、父の顔をして、花婿の顔をして、生贄を求め、見返りに繁栄を授ける悪魔なのかもしれない。
 繁栄と、この呪い。いままでの王子は従順に何も疑問を抱かず、受け入れてしまったのか。なぜ、もっと呪いに対して抵抗し、闘ってこなかったのか。
 ジェルミは憤怒の思いを胸に、妹の像を抱き締めた。すると、ジェルミの魂が空っぽの像の中に入っていくではないか。魂が空の器にすっかり収まってしまうと、次第に体になじんでいった。
 ジェルミはぎこちなく体を動かした。いままでその体で生きてきたかのように、違和感はなかった。
 ジェルミはエトゥワールの声で呼ばわった。すっくと立った姿はエトゥワールそのもの。
 黒いドレスを翻し、黒い手袋をはめた指で太陽の塔の方向を指す。
「闇の下僕ども、我がもとに集え、太陽の塔へ向かうぞ」
 闇の城から、闇の生きものがわらわらと現れる。小さな魔物たちは地より這いでて、先ほどまで立像だったエトゥワールをいぶかしげに見た。
 エトゥワールとなったジェルミは、魔物を踏みつけると、続けた。
「わらわに従え、下僕ども」
 命じながら、まるで生まれた時からそうしてきたように感じた。魂は体に完全になじんだ。ジェルミは無意識にエトゥワールとなった。
 魔物たちはその無体な態度で、直ちにエトゥワールを主人と判じて、命令に従った。
 エトゥワールは、魔物の群れに混じる、一角の黒い天馬に、こちらにこいと合図する。エトゥワールは天馬に腰かけ、闇の軍勢を引き連れ、南に向かった。



 0 少女



 少女は、両親が自分の結婚のことを喜ばないとわかっていた。
 案の定、パパは怒鳴り、ママは泣き叫んだ。
 どこの馬の骨かわからない中年の男を選んだといって、少女を二人して罵った。
 感情的になった両親は、ヒステリーを起こしたように、駄目だと繰り返すだけだった。
 男は冷静に説得した。少女を必ず幸せにすると誓った。
 けれど、両親はそのことが重要なわけではなかった。
 ただ一点。少女が自分たちの思う通りにならないことが不満のようだった。
「このあばずれが!」
 いきなり、パパが少女を殴った。
 ママはただ泣きわめくだけだった。
 男は少女を守ろうと、パパと少女のあいだに入った。
 パパが男を殴り始めた。挙げ句にうずくまった男を蹴り始め、男の頭に手近な鈍器を振り下ろそうとした。
「やめて、やめてぇ!」
 少女は必死で止めに入ろうとした。そこをママが羽交い締めにしてやめさせる。
「パパがあんたの将来を決めるんだ。こんな男のことなんか忘れちまいな」
「おまえはおれのいう通りにしてたらいいんだよ! こんなやつ殺しちまったほうがいい。そうすりゃ、ろくでもない親不孝なおまえにも、親の愛情ってもんがわかるだろ!」
 少女は両親の言葉にぞっとした。
 パパは床に這いつくばる男を蹴り続ける。
 このままだと男は本当に殺されてしまう、と錯覚した少女は、手元にあった灰皿をつかんだ。



 Ⅸ エトゥワール



 エトゥワールは、漆黒の軍勢を引き連れ、丘陵を黒に染め上げて、太陽の国を目指した。
 暗雲のような軍勢を見て、ひとびとは逃げだした。
 闇の王がとうとう攻めてきたのだ、と口々に叫んだ。
 その言葉を耳にして、エトゥワールは嘲笑った。
 既に魔物に支配され呪われた太陽の国に、いまさら何の救いがあろうかと。
 エトゥワールの魂となったジェルミは涙した。
 失われてしまった自分の妹。かつて共に過ごした自分の片割れ。彼女たちの復讐を果たす時がきたのだ。
 奪われた自由や意思を取り戻せはしないが、確かにここにいたのだという主張を、悪魔に知らしめるのだ。
 太陽の塔のまえにある階段に降り立つと、黒いドレスを翻し、声を高らかに呼ばわった。
「太陽の王、それとも闇の王と呼ぼうか! いまこそ、素顔を隠した仮面をたたき割り、この国にかけられた悪魔の呪いを解いてやる!」

 宮殿のひとびとは阿鼻叫喚の中、逃げまどった。テラスから外を見たアーキシェルは、幼い王子を抱いて、立ちすくんだ。宮殿の西翼からも、魔物たちの黒い靄のような大群が、太陽の塔を取り巻いているのが見える。
 
 エトゥワールは、両手で思い切り金の扉を押しひらいた。
 凄まじい音とともに門はひらく。中は漆黒の闇。しかし、闇に慣れたエトゥワールにとっては我が住みに戻ってきたようなものだった。
 魔物を引き連れ、塔内部の螺旋階段を上り詰めていく。
 その最上階の部屋に、金の仮面をかぶった太陽の王がたたずんでいた。
「何をしにきた、屍人しびとよ」
「屍人ではない、自分の体を取り戻しにきたのだ」
 金の仮面から嗤う声が漏れる。
「何をいう、もはやおまえに体が必要だろうか」
 ジェルミは怒りに目がくらむ。
「わたしは何も手放しはしない。だが、見返りを求める繁栄や栄光はいらぬ。欲しいのは自分自身だ」
 エトゥワールは叫びながら太陽の王に飛びかかり、その仮面を手近にあった鈍器で殴った。
 鈍い音がして、床に仮面が落ちる。二つに割れた仮面には、闇がこびりついていた。
 仮面の下に、もう一つ黒く歪んだ面が現れた。
「愚かもの、愚かもの。これでこの国は終わりだ。何もかも終わりだ」
 闇のように黒い顔はそういうと、霞むように消えてしまった。
 ジェルミの体は戻らなかった。
 太陽の王であり、闇の王でもあった悪魔は退散した。しかし、まだ息を潜めてエトゥワールの行動を見張っているかもしれない。
 エトゥワールは肩で息をした。憮然とした面持ちで、床に落ちた仮面を睨みつける。
 気付けば、辺りは薄闇に包まれている。引き連れていた魔物の姿もない。
 徐々に暗くなっていく世界に、エトゥワールは銀色の光を見た。



 0 少女



 気がつくと、鏡が割れている……。
 少女は鈍器で鏡を割ってしまったのか。
 瞳には熱い涙。赤くはれた唇には血がにじんでいる。
 失われたものはもう戻らない。けれど、再びはぐくむことができる。
 つらい過去のこと、子供を失ったこと、新しい恋人とのこと。走馬燈のように駆け巡る。
 鏡の中に作り上げた物語は、割れた破片と一緒に足元に飛び散っている。
 割れた鏡の中に少女は見る。
 取り戻した双子を抱く女。床に倒れた一人の青年。復讐を遂げてこの世を去った少女。
 空想の中で彼女は幾つも人格を作ってきた。傷つけられ痛めつけられる少女と、奪われ取り戻す少年。彼らを眺め、見守ってきた小鳥は自分。二人から守られながら、苦痛から逃げた。
 けれど、今度は立ち向かう。逆境に、運命に。
 自らの命を脅かす悪しき連鎖は断ち切らないといけない。
 手に握った灰皿が血に濡れている。
 ママの叫ぶ声、男の少女を呼ぶ声がする。
 少女は意識の扉のまえに立つ。この閉ざされた暗い部屋からでていかねば。
 ようやく決意し、目をひらいた。
 パパは額から血を流し、驚愕の目で少女を見つめていた。
「でていけ! このあばずれ! この家からでていけ!」
 少女はパパの怒鳴り声に足がすくむ。少女の背を恋人が支えた。
「いこう、わたしたちの未来のために」
 少女は両親に背を向け、忌まわしい過去に彩られた家の外へ、ようやくでていくことができた。


文:設楽土筆(したら・つくし)
昔は幻想小説。今はいろんなジャンルに挑戦してます。得意な(好きな)分野はファンタジーです。最後まで書き終えることが目標です。 



絵:色崎(しきざき) - イラスト特別提供 -
普段はまったり絵や文をかいています。素敵な企画に参加することができて嬉しいです。