閉じる


試し読みできます

― その1 ―  才色兼備の娘

 「こんにちは」
 平井加尾(かお)が坂本家を訪ねて来たのは、乙女と和歌を興じるためであった。
 加尾は土佐郡井口村の新留守居組・平井伝八の娘である。
 新留守居組は上士であっても、その中では最も低い身分である。坂本家は郷士という下士でも上位に位置するが、その間には上下の目に見えぬ壁がある。
 でも加尾にすれば、乙女とは同じ師匠の下で一絃琴を稽古する仲であって、互いの家を行き来する仲なのだ。
 そして兄の平井収二郎は竜馬と同い年の幼馴染でもあり、両家の距離も四半里と遠くない。
 だから加尾が坂本家を訪ねて来るのは珍しい事ではなかった。
 「乙女さんは、おいででしょうか」
 才色兼備と噂される加尾は評判の娘となっていた。
 「まあ平井のお嬢様、・・・ようこそおいで下さいました」
 出迎えた女中は、そう言って軽く頭を下げるが、
 「・・・申し訳御座いません、乙女お譲様は出掛けておられるので御座います」
 と申し訳なさげに付け足した。
 「お帰りはいつ頃になりますか?」
 「さあ、いつになる事か・・・」
 女中は首を傾げている。
 思わず宙を仰いだ加尾だったが、
 「では、竜馬さんは居られますか」
 少しはにかんで、そう尋ねた。
 「はい、今、呼んで参ります」
 そう言って女中が奥へと姿を消すと、
 ドタドタドタドタ、
 と大津波のような足音が迫ってきた。

 

 「竜馬さん」

 「加尾、久しぶりじゃ」
 竜馬が飛ぶような勢いで現れた。
 「いいえ、三日前にも会いました」
 「あ、そうじゃった」
 「もう、いつもそうなんやから」
 三つ年下の加尾がコロコロと笑うと、竜馬もハハハと笑う。
 
 二人は鏡川に向かった。
 そして土手に腰掛けると、川面を眺めながら、他愛の無い話を始める。
 一絃琴の師匠の事、兄・収二郎の事、姉・乙女の事、互いの家の事などなど。
 お互いに将来の事が気になる年頃なのだ。
 そんな話で盛り上がった。
 「兄上はいつも学問の話ばかり。・・・でも竜馬さんは違うでしょ」
 「ああ、おらは収二郎のように難しい学問には縁が無い」
 何故かそう豪語して胸を張る。

 「なら、・・・夢や希望も持たないの」
 「いや、有る! 持っちゅうぜよ!」
 そう言い切る竜馬の顔が輝くと、加尾は鼓動の高鳴りを覚えた。


試し読みできます

― その2 ―  竜馬の夢

 「おら、自分の夢を見付けちゅうがやき」
 真っ直ぐ、遠くを見据える目をした。
 「どんな夢なが?」
 屈託の無い円(つぶ)らな瞳が竜馬の顔をジッと見詰めると、竜馬は頬を赤らめた。
 「ねえ、どんなが?」
 急かす加尾の気持ちを探りながら、竜馬は口を開いた。
 「おらは次男坊やき家督が無い」
 「・・・うん」
 「せやき、まず剣の腕を上げる」
 「うんうん」
 「そして道場を持つ」
 理由の無い自信が竜馬にそう言わせるのだ。
 加尾が大きく頷いた。

 それを確認し、
 「それから・・・」
 そこから先、喉(のど)まで出掛かっていた言葉を、竜馬は飲み込んだ。
 「それから?」
 加尾は逃がさない。
 「道場を持って、それから・・・」
 ちらっと加尾を見る。
 「嫁を貰うがよ!」
 その一言で、加尾は言葉を失った。

 

 バサッ!
 鏡川を泳いでいた魚を啄(つい)ばんだ白鷺(しらさぎ)が、大きく羽を広げて飛び立った。
 「それがおらの夢ながやき」
 そう言って加尾を見る。そして、
 「お前(まん)も何か願い事を持ちゆうが?」
 同じ質問を返したのである。
 いや、この時代、武家の女性にはそんな自由な発想は皆無である。好きな人と結ばれる事ですら許されはしないのだ。
 加尾は胸の高鳴りを悟られぬよう、言葉を探した。
 「私の夢・・・、それは・・・」
 「それは?」
 「教えない」
 「えっ」
 「秘密」
 そう言って笑みを返し、加尾は複雑な表情を隠した。
 結局、その話は有耶無耶(うやむや)となり、若い二人はそれ以上に親しくなる事を避けたのである。

 

 それは何故か。
 それは互いの心の中に、恋心が芽生えていたからである。
 しかし平井家は上士、坂本家は郷士であって、両家の間には決して越えられぬ一線があり、婚姻が禁じられている間柄なのだ。
 だから、たとえ互いの間に恋心があろうとも、もしも添い遂げようと誓おうとも、二人が結ばれる事はない。
 それが土佐の掟(おきて)なのだ。
 つまり二人の関係はとても微妙で、とても辛い関係だったのである。
 二人はそれを感じていた・・・。

 

 やがて加尾は近隣の村々でも評判の娘となっていった。
 美貌麗しく、和歌にも通ずる才色兼備であると噂になったのである。
 益々加尾に心奪われる竜馬であったが、やはり積極的にはなれない。
 「この世が変わらぬ限り、無理な話じゃ・・・」
 いつもそう思う。
 「もう、おらがこの世を変えてしまうしか方法は無いちや」
 ふと、そんな途方も無い考えも抱く。・・・若さという可能性がそう思わせるのだ。
 それからの竜馬は怒りのような情熱を武道にぶつける様になった。
 剣の道にその青春を燃やし、己の力量を高めようと努力し始めたのである。

 「世を変える力が欲しい・・・」

  それが願いだった。

  

  竜馬は心の中で泣いていた。

  「平井家は上士、坂本家は郷士。

  郷士は武家であっても武家の扱いではない。

  同じ武家でも両家はまるで身分が違うんじゃ。

  くそっ、

  だから好きになってはいかんのか?

  わしがおかしいのか?

  いや、そんな世の中が変なんじゃ。

  ・・・変えたい、・・・世の中の不条理を正したいぜよ。

  加尾、

 その名を何度繰り返しても、その距離は縮まらない・・・。

  ・・・いっそ、世の中をひっくり返してしまいたい。

  身分なんてものを無くしてしまいたい。

  ああ、わしにもっと力があれば・・・、

 ・・・世を変える力が欲しい」


試し読みできます

奥付



竜馬外伝i‐6 天狗退治の章


http://p.booklog.jp/book/30759


著者 : 中祭邦乙
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/nakamatsuri/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/30759

ブクログのパブー本棚へ入れる
http://booklog.jp/puboo/book/30759



電子書籍プラットフォーム : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社paperboy&co.



試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

この本は有料です。閲覧するには購入する必要があります。
購入するにはしてください。
有料本の購入に関しては、こちらのマニュアルをご確認ください。
販売価格100円(税込)

読者登録

中祭邦乙さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について