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薄桃色と部長と女神

「とうとう部長も卒業ですか…」

 学校敷地内で最も空に近い場所、屋上に俺はいた。冷えたコンクリの上で、コートを尻に敷いて座っている。

「そうね。とうとう文芸部も廃部かもね」

 もちろん、この寒空の下独り言、なんて寒くなるばかりだから、話しかける相手がいる訳で。ひとつ上の部活が同じ先輩が横に同じように座っている。

「義務教育って偉大だなァ…」

「おまっ…それはどーゆー意味だっ!」

 黒い筒を振り回し、あわよくば俺の頭を殴ろうとする、はしたない女生徒の攻撃をのらりくらりと躱す。今日は卒業式で、それが終わって暇な卒業生に、卒業式の準備と片付けをさせるためだけに登校させられた後輩が付き合わされてるって訳。じゃなきゃ自分でこんな寒いと来ねぇっつーの。

「授業、全然出てなかったじゃないですか。それでよく卒業できましたね。しかも高校も受かってるし…」

「あったりめぇよォ! ホントならもっと上の高校も狙えたんだけど」

「授業出てなかったから足りなかったんでしょ、内申」

「そーそー! そーなの!! ちゃんと部活には出てたのに…」

「何度目ですか、その愚痴。しかも部活とか言って、部長、本読んでるだけだったでしょう?」

「そりゃあ勿論、読書も『文学』だもの!!」

「にしてもよく考えましたよね、『文学・芸術部』、略して『文芸部』。よく考えると、何でもアリの部活ですよね。特に部活動内容の文章なんて傑作で。真面目に見えて、実態はそうでもない。」

「ふふふ…あの時の私は冴えてたから!!」

「それって自分で言うことじゃないっすよ、部長」

 『文芸部』とは、俺と部長の2人で立ち上げた『文学・芸術部』の略称である。活動内容は簡単。

『文学と芸術の分野に於いて、個人一人ひとりが真剣に取り組めることを探し、それについて活動する』

 その内容に則り、俺はひたすら絵を描き、部長はただ部室で読書をしていた。それが『文芸部』の活動だった。


薄桃色と部長と女神 2

「失礼しました」
  職員室の扉を閉める。…ピシャン。その音で後戻り出来ないことを実感する。
 1年の7月下旬、俺は野球部を退部した。
 6月半ば、左肩の圧迫骨折、全治2ヶ月。治っても過激な運動は控えるように。もう野球は出来なかった。
 スポ少の頃からエースで4番。入学式が終わった後すぐに、野球部の先輩から勧誘された。対面式も部活動紹介もまだだったのにね。勿論俺はその場で入部を宣言した。その日の放課後、入部届を書いた。
 学年の中で1番最初に部活動への参加を始め、1番最初にベンチ入り。2・3年にピッチャーがいなかったこともあり、初めての練習試合でスタメン、その後も試合に出続けた。
 夢はいつか醒める。それは知ってたけど、その時が来るのは、こんなに速いとは知らなかった。
 部活内でのイジメ。分かってる。1年でレギュラーなんだから、こんなことがあるなんて、とうに分かってたさ。大して痛い打撃でもなかった。
 でも、自分の肩を守れなかった。
 左利きである俺は、左投手、サウスポーだった。左腕だけは怪我しまいと神経を張り詰めていたのに、あの日、俺は左肩を守れなかった。
  薄暗く、土臭く、汗くさい部室で、俺はいつも通り先輩に囲まれていた。
 今まで殴られたことは多々あったが、その日の先輩は異様だった。
 気がつくと、俺はボコボコにされ、床に伏せっていた。
  身体が自分の意志で動かないのがこんなに気持ち悪いとは知らなかった。
 すると、左肩に靴が乗せられる感覚がした。
 悪い予感は的中するもので、俺は、スパイクを履いていないことだけを先輩に感謝した。
 母に退部したことを伝えるのが1番辛かった。父に退部したことを伝えるのが1番怖かった。今まで沢山苦労を掛けた両親に、俺は事実と感謝を伝えた。謝罪はさせてもらえなかった。
 学校では噂が広まりつつあったが、3分の2を先輩が占める空間では噂は広まりきらず、75日もしない間に消滅していった。
 暫く何もしない日々が続いたが、俺はそれに飽き飽きしていた。
 放課後、早く家に帰っても、近所の友人は部活動に勤しみまだ帰宅していない訳で、ゲームが好きではないという特殊体質の俺は、家庭学習に勤しみ、成績が上がった。
 いくら利益主義寄りの俺だって、成績が上がるだけでは満足になれもしない。青春したいお年頃なんだから。
 そう言っておいて、少し気になったのが『青春』の定義。
 青春:人生の春にたとえられる若い時代。青年期。
 じゃあ青年期の『青年』とは何なんだ、と。
 青年:二〇代を中心とする若い男女。青年期の若者。
 じゃあなんだ。青春ってのは最大29歳までアリなのか。ロマンチックのカケラもねぇなァオイ。つーことは、うちの学年の数学教師も青春してるってことか。はっ、笑える。
 話を戻そう。オッサンについて語ったってなんら面白くない。面白い要素を見つけ出せる可能性も見い出せない。
 俺は嫌いな部活には入りたくなかった。うちの学校の文化部は多彩だったが、俺はどの部活にも入る気はしなかった。
 中学には珍しく、うちの学校は殆ど自由に部活を立ち上げることが出来る。
 生徒手帳によると、『学年を跨ぐ複数人と校長が許可する部活動要綱の提示を条件とする。また、校外活動がある場合、顧問の先生も必要。また、既存する部活動に同じ名前の部活動がある場合、それは認められない。備考として、今までの部活動要綱を調べた結果、校長が許可する部活動要綱は“まともなもの”“真面目そうなもの”“面白そうなもの”の三つが挙げられる。』だと。誰だこれ制作したやつ。生徒会執行部か。なかなかいいセンスしてんな。俺はこーいうのは好きだ。
 野球以外に俺が好きなのは、絵を描くことだけだった。勿論美術部なるものはあったが、オタクの集まりで、俺には耐えられない空気だった。学校の美術室で窒息死、なんてのは結構恥ずかしい。
 だからといって、共に部活動を立ち上げる先輩などいない。同級生でも絵が好きな男子というのは滅多にいない珍しい人種で、絵が好きな女子というのは大抵がオタク気味な訳で。無理無理。俺には到底無理っす。しかも先輩なんてゴメンナサイホント無理俺はまだ死にたくない。
 しかし、この学校には素晴らしい制度がありまして。部活未満の部活、『同好会』。
 うちの同好会の仕組みはちょっと特殊で、生徒会執行部に書類を提出すると、一日だけ旧校舎(通称・同好会棟)の一室を借りることができるのだ。毎日同好会したい場合はかなり面倒だが、俺はそうするつもりはなかったので良しとする。
 それから暫く、俺は同好会の書類を提出し、ひとり絵を描くことに勤しんだ。
 そして、空が高くなった秋のある日、ひとり同好会していた俺の下に『部活動設立申請書』を持ったひとりの先輩が転がり込んできた。
 そして一言。
「部活やんない? やろう! てゆーかやれ!」
 …なんだこの女。それが第一印象だった。
 でも、こーいうテンションは嫌いじゃない。少し話を聞いてみよう。それがそもそもの間違いだった。ここでこの女を叩き出していれば、あんな苦労人になることは無かったのに。あんな楽しいことも無かった訳だけど。
 その時は知らなかったんだけど、後で知ったこと。あの女、不登校だったんだ。

薄桃色と部長と女神 3

 私はいわゆる不登校というやつで。その原因は至ってシンプル。友達というのが嫌いだったんだ。
 学校や勉強なんかは逆に好きなくらい。なのに、友達が嫌い。男に生れりゃ違ってただろうか。あの、三角の積木の頂点に無理矢理長方形の積木を乗せているような、限りなく不安定な関係は女子特有のものだろうから。
 ギリギリまで神経を張り詰め、常に周りを観察し、バランスからはみ出す者があれば、容赦なく突く。今日は友達。明日は虫ケラ。団結と裏切りのタイミング。皮を剥げば、どす黒いカタマリ。猫かぶり猫かぶり。笑顔とは男を引っ掛け、女を騙す武器である。
 もううんざり。別にシカトしといてくれていいから、私を巻き込まないでほしい。女子というイキモノは、浮遊する中立がいれば引き込もうとする。面倒。やめて。関わらないで。私の叫びは喉元で消える。
 私もやっぱり女子なのね。叫ぶことによって自分に起こるメリットとデメリットの計算をして、上手く立ち回る。笑顔で群がる女子を躱す。私の腹の裏側は真っ黒け。教室を見渡せる後ろの席を希望する。
 中一は何ごともなく乗り切った。それがいけなかったのかもしれない。
 中二の新学期、玄関の扉を開けない自分がいた。身体が自分の意志で動かないのがこんなに気持ち悪いとは知らなかった。
 それからだ。私が学校に行くのは放課後だけになった。
 同好会棟をうろつき、暫くして帰る。毎日入れ替わる住人を観察した。
 夏休みに入っても同好会棟は解放されており、私は夏休み中毎日通った。
 夏休みの中頃からだろうか。青いネクタイ――一年生が出入りするようになった。
 彼が持ってくるのは毎日異なっていた。鉛筆一本と大学ノートの時もあれば、絵の具セットとスケッチブック、いつかはキャンバスを裸で手に持っていたこともあった。
 私が早く来て早く帰るのに対し、彼は遅く来ていた。だから私が彼を見るのは必ず帰るときだけだった。帰るときに、彼が来る。一度も同好会しているところを見たことがなかった。
 夏休みが明けて、暫く経ったある日。私はやっと彼を見つけた。
 それは、埃の積もった教室で、小さいスケッチブックに鉛筆を走らせる彼だった。
 いつも擦れ違う幼い顔とは一変し、凛とした鋭い表情。時折見せる、力を抜いた笑み。私は思わず職員室に駆け出した。
 これだったんだ。夢に出てきたあの光景は。
 西日が差し込む、あの教室。埃がオレンジを反射し、部屋中に光が溢れる。教室の真ん中で彼が絵を描き、窓際で私が本を読む。
 頭に浮かんだ、部活の名前と部活要綱。後は彼の名前が必要。私は階段を駆け上がる。運動不足ですぐに息が上がる。もどかしい。早く部室(ぶしつ)へ!
 扉を開ける。スパァン!!
「部活やんない? やろう! てゆーかやれ!」
 彼の阿呆面はなかなか見物だった。床にスタントマンの如く転がった私は、埃まみれで笑みを浮かべる、変な女に見えたに違いない。ただ単に、足がもつれて転んだのをごまかそうとした結果なんだけど。

薄桃色と部長と女神 4

「部長、そんなストーカーみたいなことしてたんですか…」
 俺はその暴露話に呆れ返った。
「あくまで観察! 趣味の域を出ないから許せ!」
「悪趣味だなァオイ。止めた方がいーぜー」
 自信満々に親指を突き出す部長に冷然とツッコミを入れる。
「なにおう!? この国の法律には悪趣味は駄目ってのはないだろう!? それに悪趣味の定義が定まらん!!」
 抗おうとする部長に投げやりに返す。
「そーゆーのを屁理屈ってんですよ、部長。前に屁理屈禁止って部活法、作りませんでしたっけ」
「文芸部は廃部しただろう?」
「まだしてませんよ。俺が次期部長になって、後輩を一人入れりゃあいいんですから」
「それも屁理屈だろ!?」
「部長は卒業して、今文芸部は俺だけなんですから、いくらでも部活法捩曲げられんですよ」
 きぃーっ!! と叫ぶ部長。今の時代、ホントにきぃーって言う人いるんだと勉強する。
「にしても早いねェ1年半つーのは」
 ぱたんと後ろに倒れ込む部長。俺も冷たいコンクリの上へ寝転がる。
「君はいつの間にか私の身長抜かしてるし」
「俺が2年になった時にはもう俺の方がでかかった」
「君の絵は初めて見た時よりも断然上手くなってるし」
「部長の読んだ本の量も凄いっすよ」
「にしても君はとんと恋をしなかったね」
「部長だって毎日部室に入り浸って。恋愛してる暇なんてなかったでしょ」
「私はちゃんとしてたわよ、」
「誰に!!?」
「小説の主人公に」
「…」
「まァ私たちは似た者同士だったわけだ」
「だから出会ったんじゃないですか?」
「出会うべくして出会ったふたり、ってか?」
「…自分で言っといて、かなり恥ずかしい…」
「いーよーそーゆークサい台詞、嫌いじゃない」
「そりゃよかった」
「あ、雪、」
 部長が空に向かって手を伸ばした。俺はムクリと起き上がる。
「部長、中、入りましょ」
「嫌」
「…」
 ひらひらと舞い落ちる花弁の如く、軽い雪は薄い桃色に見える。
「空が…蒼い」
 上を見ていた部長が呟く。俺も思わず空を仰ぐ。蒼(アオ)く、天(タカ)く、奥(トオ)く、拡(ヒロ)く、空は在った。


薄桃色と部長と女神 5(終)

 空の向こうに調和があると同時に、窓の向こうに混沌が存在する。
 時間とものさしが私たちを縛り、時間と気まぐれが私たちを解く。
 宇宙を統べるのは、時間。
 それは神であり、私たちのもの。
 それに逆らうことは許されない。
 それを使うことを強要される。
 私たちは激流を下りながらも、道を撰ばなければならない。
 時間は万物の破壊を促し、万物の成長を助ける。
 私たちがいくら足掻いたところで、神はこちらに目を向けやしない。
 ところがどうだろう。
 紙と鉛筆があれば、だれでも新世界の創造主、神となることができる。
 それは、私たちが証明してきたこと。
 文学と芸術。
 紙と鉛筆のみで世界の創造主となれる舞台。
 神集いし場へようこそ。
 いざ、あなたも、神にならん。
  同好会棟3階東側突き当たり 文芸部

 


 A4の紙を縦に置き、細い字で横書きに書かれている後ろには、蒼い空から舞い降りる薄桃色の雪と、屋上に立ち腕を伸ばす少女が描かれている。
 画用紙かなんかに描けばいいものを、普通の紙に描くもんだから、紙がふやけたまま乾いているため、ゴツゴツとした質感になっている。随分昔に書かれたもののようで、ところどころ小さく破れているが、ラミネート加工してあるので大丈夫そうだ。
「文学と芸術で文芸部…?」
 私は思わず首を傾げた。
 同好会棟と呼ばれる旧校舎への渡り廊下の入口でそれを見つけた。部活動紹介用のポスターの掲示板は、1年の昇降口に設置されている。向こうの方が目に留まりやすい筈なのに何故わざわざここに貼っているんだろう?
 この世に1枚しかないと思われる紙を眺めながら、私は考えた。
 …ここはいっちょ聞きに行くか…。
 私は渡り廊下へ足を踏み出し、2つ階段を上り、廊下を進んだ。
 扉を開く。…ガラッ。
 そこには、黒板一杯に、いや、黒板があるべき場所に紙が貼られ、空が描かれていた。
 あのポスターと同じような、蒼い空に薄桃色の雪。
 暫くそれに見入り、その紙の前に人が立っていることに気付いたのは、絵に筆が置かれた時だった。この絵は、まだ製作途中だったわけだ。
 赤いネクタイを肩越しに後ろに払い、白いYシャツにも色を付けながら絵に向かう青年。
「…あの、」
 その青年がこちらを向いた。
 さっきまでの、鋭い横顔から一変、幼さを残した笑顔をこちらに向けた。
「君は紙と鉛筆で何になる?」
 最初は何だか分からなかったが、あのポスターに書かれていた文章を思い出した。
「…文字により世界を創造する神に」
 青年は目を細め、更に柔らかい表情になった。
「ようこそ、神の集いし場へ。
 ここは文学・芸術部、略称文芸部。
 この場を創った女神、通称・部長に敬意を表し、この部には部長はいません。
 いるのは、便宜上の責任者であり、部長でないことをお忘れなく。」
 唄うように言うと、更に付け足した。

 あなたを、遠き過去より待っていた。

 ここに、19人目の神を迎えよう。

「部長の代から受け継がれている、新入部員を迎える詞です」


この本の内容は以上です。


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