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怪談女の輪(かいだんおんなのわ) 現代語訳

 

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怪談女の輪 現代語訳[1/3]

 それは、私がまくらいた夕方、逢う魔が時おうまがとき雀色時すずめいろどきなどと言われる、一日のうちで人間の影法師かげぼうしが一番ぼんやりとする頃、五時から六時のあいだに起こった。私が十七歳だった秋のはじめのことである。
 私の部屋は四畳きだった。薄暗くたてに長い一室で、両方がふすまで仕切られており、どっちも他の座敷ざしきへ続いていて出入りができる。つまり、奥の方から一方の襖を開けて私の部屋へ入り、もう一方の襖から出て玄関へ通り抜けられるのであった。
 部屋の側面の一方にはかり取りの障子しょうじがはまっており、その外は畳二枚ほどの漆喰しっくいで叩き固められた池で、金魚も緋鯉ひごいもいるわけではない。建物たてものがぐるりと一周した形のこの一軒家は、その池のあるところの上だけ、大屋根が長方形に切り開かれているので、そこには雨水あまみずまっている。雨垂あまだれの落ちる所に敷き詰められた小石にはこけえて、蛞蝓なめくじい、湿気しけてじとじとする。『このうちの奥さんが髪のもとどりを結び束ねる元結もとゆいをここに捨てると、三七さんしち二十一日でけて、足巻あしまきという蟷螂かまきりの腹に付く寄生虫になる、』と言って塾生じゅくせいうわさした。池を囲んだ三方さんぱうの壁は、羽目板はめいたはずれて地が見えていた。その建物は部屋数が全部で十七もあって、周りが庭で囲まれた大きな家だけれども、建てられて何百年も経った古い屋敷で、少しも手入れがされないから、ねずみだらけ、ほこりだらけ、草だらけだった。
 塾生と教師の家族とが住んで使っているのは三室か四室に過ぎない。玄関を入ると十五六畳大の板敷きので、そこへ卓子テーブル椅子いすを置いて、道場といった感じの、英学・漢学・数学の教室になっている。建物の外の蜘蛛くもの巣の奥には何が住んでいるのか、うちの者にもわかりはしなかった。
 その出来事のあった日から数えてちょうど一週間前の夜のことだ。夜学やがくは無かった頃で、昼間の通学生つうがくせいは帰ってしまい、夕飯が済んで、私は自分の部屋の机の上で、明かりの下、滝沢馬琴の『美少年録びしょうねんろく』を読んでいた。
 もともと塾では小説が厳禁されていたので、うっかり教師に見つかると大目玉おおめだまを食うだけでなく、これより前にも、式亭三馬しきていさんばの『浮世風呂うきよぶろ』を一冊没収されて四週間もそのままにされたため、貸本屋かしほんやに厳しく詰め寄られて大金を取られ、目を白黒させたことがある。
 しかし、その夜は教師も用事で出掛でかけて留守るすだったから、少し落ち着いて読み始めた。やがて、

    二足にそくつかみの供振ともぶりを、見返るおなつは手を
    上げて、憚様はばかりさまやとばかりに、夕暮近き野路のじ
    の雨、思ふ男と相合傘あいあいがさの人目まれなる横飛沫よこしぶき
    れぬききこそ今はしも、

 と夢中で読んでいると、私の向かっている机の横にはめ込んである例の明かり取りの障子へ、ぱらぱらと音がした。
 隠れて小説を読む際は、ささいなことにも恐れおののく心境だったので、びっくりして振り返ると、またぱらぱらぱらぱらと鳴った。
『雨かな。いや、いまはちょうど秋の初めだ。さっき洋燈ランプに油をさす時にのぞいた夕暮れの空の様子では、今夜は真昼のように明るい月夜つきよでなければならないはずだが、』と思っているうちにも、まだその音は絶えず聞こえてくる。『おやおや、裏庭のえのきの大木の葉が散り込むにしては風もないのに、』とそう思うと、はじめは臆病おくびょうから障子をけなかったのだが、いまはさらに薄気味悪くなって何もできず、思わず暗い天井てんじょうを見上げて耳をました。
 一分、二分、あいだをおいては聞こえる、そのあられのような音は次第しだいに激しくなり、池に降り込むちょっとした飛沫しぶきのような感じも混じって、少しの間は呼吸もできず、ものを言うこともできなかったが、しばらくして少し静まった。そして、再び力ない連続した調子で、ぱらぱら。
 家の中はどこもしんとしていたが、この音に気付いていないわけではなく、誰もが息をんでみゃくを数えていたらしい。


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