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大好きな場所


潮の香りが髪に貼りつく小さな町に一軒だけあるパーマ屋
そこが私のおばあちゃんのお店だった。

「ももちゃん。そろそろおばあちゃんの所に行きなさいよ。」
母は私の伸びた髪を見てそう言う。
「やだ。」
見ているドラマの再放送はちょうど今、ヒロインが泣き出した所で胸がキュンとする。喧嘩した恋人はまだ現れない。私は、ただ、それをじぃーと夢中で見ていた。学校は短縮授業で終わるのが早い。だけど、夕方の4時でも太陽はじりじりと照り続けて遊びに行く気持ちなんかなれない。毎日やっている再放送だけがオアシスなのだ。
そんな時なのに、母はアイスを食べながらまだ話しかけてきた。
「そんなに伸ばしてどうするの。」
「うるさいなぁ。」
「ボサボサでかっこ悪いわよ。もう夏なんだし。」
「うるさいって。」
「あー。見てるだけで暑~い。伸ばすにしても毛先を綺麗にしないとモテないわよ。」
ついにそこでぷつんっと切れた。
「うっさい!ババア!
 大体 おばあちゃんの所なんかダサくて髪切れる訳ないでしょ!」
そう振り返って怒鳴った後、TVに戻るといつのまにか恋人はヒロインの元に来ていて、二人は抱きしめあっていた。
「あら~、よかったわね。この子、ちゃんと来たじゃない。」
呑気な母の声が更に神経を逆なでする。
わざと思いっきり、居間の扉を閉め、そのまま玄関へと進む。
「どこに行くの?おばあちゃんの所で髪を…」
母の呼ぶ声に
「知るか!」
とだけ叫んで、後は嫌がらせのように、わざと扉を力任せに閉めて、そのまま家を出た。


(うるせーんだよ。ババア。)
せっかくTVを見てたのに。
一番見たかった所なのに。
ムカムカする気持ちを抱えて、外を5歩歩くと、むわぁとした熱気が体をすぐに包む。じりじりと眩しい日差しにくらくらする。
(あー、帰ろう。)
とりあえず、自分の部屋に戻ろう。そう思って、なんとなしに郵便ポストを覗いた。そうして見つけてしまった。夕刊とチラシの間にひっそりと隠れるようにあった、一枚のハガキを。

 

ステンドグラスのシールが貼っている古びた扉を開けると、カランっと音が鳴る。薄暗い店内には誰もいなかった。
「おばあちゃんー。」
そっと呼ぶと、向こうから祖母がゆっくりとやってきた。
「ももちゃん。よく来たね。髪を切るのかい?」
「うん。」
笑って答えると、そうか。そうか。と繰り返して、隅に置いてあるカートをひっぱりだす。私も一番奥の椅子に座って鏡を見る。見なれた赤い椅子は所々やぶけてガムテープで補強してある。私はそのガムテープを触ってチリッとする感触を確かめた。
「どれくらい切るんだい?」
灰色のケープがふわりと首に巻かれる。
「んー……。ちょっとだけ。」
昔よりも大分細くなった祖母は、昔よりも少しだけ元気もなくなったかのように思う。この街に来た頃は、ずっとしゃべっていたイメージがあったけど、今はそんな面影も無い。おばあちゃんの友達で流行っていた記憶のある店も今はもうたまに知り合いが来るくらいみたいだった。
銀色の細い挟みがキラリと光って、髪に当たる。そのまま髪は、ザクッという音と共にパラリと床にほどけ落ちた。鏡には窓の外の景色が映されて、夕方のキラキラした海がほんのわずかに映ってた。昔から、そのキラキラを見るのが好きだった。

はじめてこの小さな海辺の街に来て、はじめて赤い椅子に座った時から、大好きだった。
「おばあちゃん。」
「なあに。」
「お母さんは、再婚しないのかな。」
なるべく何気ないように言ったけど、胸は驚くほど速くなっていた。声が変にならないように、顔に出ないように、ドラマの続きを言うくらいの簡単な感じで伝えるんだ。と、何度も言い聞かせた。
おばあちゃんは、少し考えて
「しないだろうねえ。」
と、ふんわり答えた。

「どうしてかな。」
「分からないけど、あの子はしない気がするね。私は再婚したけど、あの子はしないと思うねえ。」
ザクッ、ザクッと、髪の毛が床に落ちる。
【ちょっとだけ】と伝えたのに、ものすごく切るのはおばあちゃんの昔からの癖だった。
 
「お父さんの…」
胸が痛いくらい速くなる。泣きたい。けど、頑張って聞く。

「お父さんの事、まだ好きだったりするのかな。」

扇風機の風が髪にあたり、ケープから出た手に髪の毛が舞い落ちる。くすぐったくて、手を動かしたいけど、なぜか動かしたらだめな気持ちになった。
おばあちゃんは、ハサミを一旦止めて、そして、また動かして、のんびりと答えた。

「それは、そうかもしれないね。
 それか別の人を好きだったのかもしれないね。」


一瞬、呼吸を忘れた。

忘れて、遠くの蝉の音が鳴って、おばあちゃんのハサミが動きだしたのを感じて
そうか。呼吸しなきゃ。
息を吸わないと死ぬ、と思って、もう一度呼吸を開始した。
「お母さんさ。」
髪の毛が落ちるみたいに、どうしても止められずに、言葉が落ちる。


「お母さん、幸せかな。」


言ったら怒られる言葉だったかもしれない。さっきの何千倍も胸が痛い。
だって、お母さんに好きな人がいるなんて思いもしなかった。もし居たら、居たのにまだ結婚してないって事は、例えばそれが私のせいだったら。私はどうすればいいんだろう。私のせいで駄目になってたらどうしたらいいんだろう。

急に言った意味の重さが怖くなって、鏡の中のおばあちゃんを見つめた。だけど、おばあちゃんは極めて普通にハサミを動かして、普通の顔のまま、しっかりと答えてくれた。

「幸せだろ。アンタが居るから。」


そこから先はあんまり覚えていない。
どうしようもなく甘く泣きたい気持ちになって、昔、花瓶を割って怒られると思ったのに優しく抱きしめられた記憶をふいに思い出したりして、泣きたくて泣きたくてしょうがなかった。


「じゃあね。おばあちゃんー。」
「はいよー。ばいばい。」

手を大きく振ると、おばあちゃんは大きく振り返す。
髪はなぜかパッツンのおかっぱになって、戦時中かよ。と、自分に突っ込んだ。

遠くに見える海はまだキラキラと輝いている。
そのキラキラを見ながらズボンのポケットにしまい込んだハガキをそっと、取りだした。ハガキには、ハゲたおじさんと厚化粧のおばさんの結婚式の写真と、細い文字で「結婚しました。」の一行だけが手書きの文字が踊っていた。

名字は見覚えのある、かつての私の名字だ。


(こんな年でこんな写真撮って、それも元嫁に送りつけるとか、そういう非常識な奴だからお母さんに逃げられるのよね。)

しみじみとそう思う。
皺のよったハガキは捨てようか、捨てまいかを悩んだあと、とりあえず元の夕刊とチラシの隙間に隠しておこうと決めた。


お母さんはこのハガキを見てどう思うかな。泣くかな。泣かないかな。
泣かないといいけど、もし泣いてたら、そっと抱きしめよう。
昔、お母さんが私にしてくれたみたいに、抱きしめよう。

「大好きだよ。」って、「お母さんがいるから私は幸せだったよ。」って思いを込めてぎゅーと抱きしめるんだ。恥ずかしいけど。
海の香りが体を包んで、気にいらないおかっぱの髪を触りながら、私はいつもの道をてくてく戻って行った。

大好きな場所から大好きな場所へ、ただ、戻って行った。


この本の内容は以上です。


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