目次
そして父は黙っていた
役立たず
東京に住む障害者にとっての震災
比較することが止んだ時ー無選択の気づき
人のためになりたいわけでも
尊厳
いま居るその場所に
「思考は私たちの問題を解決できるだろうか」J.クリシュナムルティ
正しい戦争?人道的な戦争?
みんなで飲みながらワイワイ騒ぐというワンパターン
親孝行
たぶん孤独で寂しいんだろうなあと想像してみた
TAO is silent.
そんなことは訊いていない
そして私はひきこもる
愛するとは忘れること
長所も短所もない、あるのは個性だけ
続「思考は私たちの問題を解決できるだろうか」
素直であるということ
変わり者
損得勘定
春が来れば草はひとりでに生える
「私はひとの心を耕している」~仏陀
出会い
「絶対に赦せない」と言う人々
哲学的随想
妹への手紙
人はこのようにだんだんと死へ向かってゆくのだろうと感じるこの頃
昔の日記「世界の終わり」1998年8月
1999年1月22日 「仮想幸福」
自立
伴侶がほしい
なんだか「やわな」自称ひきこもりが多い
私の「歴史」
明けない夜だってある
生きるということ
「いい時代」
情報を選ぶのではなく遮断する
村上春樹氏が語った日本人のこころの復興の基本的理念~バルセロナでのスピーチ
私には分からない~いわゆるゴシップ記事の人気
単なる欲張り
お前はnttの番号案内か?~税金の無駄遣いの典型
私はなぜ馬鹿になったか?(インターネットをやると?)
社会システムと自我~J.クリシュナムルティ「自我の終焉」
相対的価値から超価値へ
自らの愚かさと両親の「病気」
命名ということ
そしてあらゆる暴力の原因は恐怖である
家族喧嘩
虚勢を張る
そしてふた晩目に気付いたこと「自分は治療が必要な病人なのだ」
カネ
自分で考える時代
極論・暴論というより妄想に近いが~スイスのとった為替政策の意味するもの
極論・暴論というより妄想に近いが2~米ドルはすでに暴落した?
「病院はホテルじゃないのだから」ってどういう意味?~今日のたわごと
たとえば今の日本の放射線で死ぬ確率は高いか低いか??
「理解できない」ならなぜ理解しようとしないのか
当たり前であるということ
「神話」~ある役人の信じがたい発言
要するにオレが悪いんだろ?~被害妄想の日々
欲張りな人は不幸である
極論・暴論というより妄想に近いが3~資本主義の終わりとは。。。
男と女
彼あるいは彼女はなぜそんなに不寛容なのかを考える
ある友への書簡より
遠い昔の話
FEC自給圏やベーシックインカムの考え方はなぜいまひとつ広がらないのか?
nhkニュースより 中国 米国債を大量に手放す
真実は自我が死んだときに訪れる神からの贈り物
ユーロ危機は起こるか起こらないかの問題ではなくいつ起きるかの問題ー世界的な大混乱の時代
非原発派の私も、もうメディアによる「世論操作」には食傷
孤独あるいは孤立もしくは精神病
スイスに続け?日本も事実上の為替固定相場制へ?~日経新聞報道に思う
不断の気づき
奥付
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そして父は黙っていた

私は父を、


「自分の損得しか考えないのか」となじった。



そして父も母も黙っていた。




自分の損得しか考えていないのは私の方だった。




その前日私は、



損を被(こうむ)る気の毒な農家の野菜をを少しでも買おうじゃないかと動いていた。


しかし、そんな野菜はとっくに出荷停止になっていて売っていなかったし、


何の成果も上げられず、


一方で自分の欲望に任せて2万円近くもする中古の携帯電話機を注文した。



そして今日、


その代金引換便のために父にそのカネを預けた。


しかしその時も父は、


何も言わなかった。



そして今日も私は、


一見また人のために動いていた。


成果はまったく上がらなかった。



父が本当に何もしていないかどうかは知らない。


しかし私はと言えば、


自分の2万円を寄付した方が早かったということに気付いた。


父は私が何をやっているか知らない。


しかし私から見れば、


一見じっとしていて自身の生活を目一杯切りつめて倹(つま)しく暮らしている父や母の方が


ずっと偉く映る。





そして父は黙っていた。

 

 

 

 

 


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役立たず

多くの友人を亡くしてきた。

それもいずれも自殺でである。

そして今年の夏まで生きていれば

私は52歳になる見込みだ。


19歳の時に障害者となったことをあえて度外視しても、

私は今まで実に役立たずのことしかして来なかった。

そしてまたこんな文章も何の役にも立たないだろう。

第一下手くそな文章であることも言うまでもない。

そしてこれからどんなに生きるにしても

私は相変わらず役立たずのままだろう。

ここからが私の屁理屈の出番だ。

老子も言っているように、

人間が生きるということは「無用の用」であり、

所詮役立たずだ。

それでいい。

少なくとも私はそれでいい。

たとえば何百年という時の経過を待つまでもなく、

私が生きていたことは人々に忘れ去られるだろう。

たとえ何百年も経っても人々の記憶から消えないような偉人であったとしても、

それが一体何だと言うのだ。

どうでもいいという言葉が適切でなければ、

大勢に影響はない。

人が生きるということは、

つまりはそういうことなのだ。


こういうことを、

J.クリシュナムルティなら「自己憐憫」と言うだろうか。
 
 あるいは人によっては厭世的と言うかもしれない。

まあいい。

自己憐憫でも厭世でも何でもいい。

それでもとりあえず私は自殺する気はない。

運が良ければ明日も生きているだろう。
 
 
 
 
 

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東京に住む障害者にとっての震災

私は30年以上の精神障害者である。
東京に住んでいる。

もともと震災前から主治医は

もうこれ以上薬は増やせないと言い張って譲らない。

そして私は、

少しオーバーに言えば分単位で薬の飲み方を常に調整していた。

そしてもう数年、自宅から一歩も出ていないひきこもりである。

その私は今、

たびたび起こる地震と原発の問題に、

完全に精神の平衡を失っている。

薬を増やしてもらえないし何を言われるか怖いので主治医とももう半年以上面会を拒否している。

以前から余分にあった薬を、

時に許容量を越えて飲むこともある。

なるべく平常通りの生活をするよう心掛けている。

それが私にできることの精一杯である。

テレビはもともと嫌いなので、

もうだいぶ長い間まったく観ていない。

ラジオのみ聴いている。

少なくとも民放ラジオ局にお願いしたいのは、

通常通りの放送をして戴きたいということである。

震災に関する情報はNHKラジオが十分にやっている。

私は十分に参っている。

あえて言わせて戴くなら、

私のような人間も被災者であることを忘れないで戴きたい。




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比較することが止んだ時ー無選択の気づき

自由とは選り好みをしないということだ。


好き嫌いを言わないということだ。


逆説的だが、よく考えるとそういうことになる。


つまり、選り好みあるいは好き嫌いを言って「選んでいる」ひとは


自身の欲望に束縛されているということだ。


ものごとに優劣をつけたり好き嫌いを言うのは実に安直なことだが、


真の自由とは相対的価値観からの自由であり、


選り好みをせずにに超然としているということだ。


つまりそれこそが、J.クリシュナムルティの言う「無選択の気づき」であろう。


「相対的価値観」とは、


これは良いあれは悪いとか、


こちらの方があちらより優れている、


あるいは、われわれが正義であちらが悪だというような、


比較に基づく視野の狭いものである。


自我にとって、思考にとって、


比較しないことは極めて難しい。


と言うより、


比較することが自我の本質的な性質である。


そして、


なんでも比較してより良いものに対する欲望が生まれるというわけだ。


「思考はわれわれの問題を解決することができるだろうか」と、


クリシュナムルティは洞察する。


そして比較することがやんだ時、


われわれは、はじめから自由であったことに気づくのかもしれない。

 

 

 

 

 

 


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人のためになりたいわけでも

人のためになりたいわけでもなければ

自分の利益のためにやっているわけでもない。

私はただ、

やりたいことをやっているだけだ。




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