目次
喜んで損のできる人
そして父は黙っていた
役立たず
東京に住む障害者にとっての震災
比較することが止んだ時ー無選択の気づき
知ったこっちゃない
年功序列と自慢
少数意見と多数意見があったら
古代中国の偉大な文化・精神
人のためになりたいわけでも
そう、私たちはもう何処へも行けないのだ
尊厳
いま居るその場所に
「思考は私たちの問題を解決できるだろうか」J.クリシュナムルティ
正しい戦争?人道的な戦争?
みんなで飲みながらワイワイ騒ぐというワンパターン
7年も前の日記より~ある友人の死
「本が読めなくなっていた。2008年03月09日 」
親孝行
たぶん孤独で寂しいんだろうなあと想像してみた
TAO is silent.
そんなことは訊いていない
そして私はひきこもる
愛するとは忘れること
長所も短所もない、あるのは個性だけ
続「思考は私たちの問題を解決できるだろうか」
素直であるということ
変わり者
損得勘定
春が来れば草はひとりでに生える
「私はひとの心を耕している」~仏陀
出会い
「絶対に赦せない」と言う人々
戒律~oshoの講話より
哲学的随想
妹への手紙
人はこのようにだんだんと死へ向かってゆくのだろうと感じるこの頃
昔の日記「世界の終わり」1998年8月
1999年1月22日 「仮想幸福」
自立
伴侶がほしい
なんだか「やわな」自称ひきこもりが多い
私の「歴史」
明けない夜だってある
生きるということ
「いい時代」
情報を選ぶのではなく遮断する
村上春樹氏が語った日本人のこころの復興の基本的理念~バルセロナでのスピーチ
私には分からない~いわゆるゴシップ記事の人気
WiMAX,WiMAX。。。。。
プロバイダーとしての○フティの対応のひどさ
WiMAXはまったく使い物にならない。2時間ほどで解約。
単なる欲張り
お前はnttの番号案内か?~税金の無駄遣いの典型
私はなぜ馬鹿になったか?(インターネットをやると?)
社会システムと自我~J.クリシュナムルティ「自我の終焉」
相対的価値から超価値へ
自らの愚かさと両親の「病気」
命名ということ
そしてあらゆる暴力の原因は恐怖である
家族喧嘩
虚勢を張る
そしてふた晩目に気付いたこと「自分は治療が必要な病人なのだ」
カネ
自分で考える時代
極論・暴論というより妄想に近いが~スイスのとった為替政策の意味するもの
極論・暴論というより妄想に近いが2~米ドルはすでに暴落した?
「病院はホテルじゃないのだから」ってどういう意味?~今日のたわごと
たとえば今の日本の放射線で死ぬ確率は高いか低いか??
「理解できない」ならなぜ理解しようとしないのか
当たり前であるということ
「神話」~ある役人の信じがたい発言
要するにオレが悪いんだろ?~被害妄想の日々
欲張りな人は不幸である
極論・暴論というより妄想に近いが3~資本主義の終わりとは。。。
男と女
彼あるいは彼女はなぜそんなに不寛容なのかを考える
ある友への書簡より
遠い昔の話
FEC自給圏やベーシックインカムの考え方はなぜいまひとつ広がらないのか?
nhkニュースより 中国 米国債を大量に手放す
真実は自我が死んだときに訪れる神からの贈り物
ユーロ危機は起こるか起こらないかの問題ではなくいつ起きるかの問題ー世界的な大混乱の時代
非原発派の私も、もうメディアによる「世論操作」には食傷
孤独あるいは孤立もしくは精神病
スイスに続け?日本も事実上の為替固定相場制へ?~日経新聞報道に思う
ルーターをやめてハブにしたら回線速度が約20倍に速くなった!?
とは言うものの、やはり有線専用の新しいルーターを買うことに
不断の気づき
自己愛すなわち自己肯定してこそ
奥付
奥付

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極論・暴論というより妄想に近いが2~米ドルはすでに暴落した?

米ドルは実はすでに「暴落」したのではないか? たとえば、いつも5分足で見ているfx用の米ドル円チャートを月足で見てみると、 われながら驚くべきことに米ドルは実はすでに「暴落」したのではないか? たとえば、いつもたったここ3~4年の間に対円で米ドルは約50円も値下がりしていた。 なぜこんなことに気づかないのか? だいたい120円超から直近で75円くらいまで「暴落」していたのだ。 いやそれはドル安ではなく円高だろうとお思いの方は、 たとえば米ドル/ユール相場の2006年はじめから2008年9月頃の月足を見て頂きたい。 なんと米ドルはユーロに対して約40%も急落している(その後は戻しているが)。 そして、 では、と少しインターネットを検索すると、 数年前にプロの経済アナリストがたとえばこう書いている。 「ドル暴落も!?80円までもありうるか?」とか。 要するにわれわれはあまりにも近視眼的になっているのだ。 ほんの少し長い目で見れば、 まさに米ドルは「暴落」していたのである。 そして今また、それらの学者は「50円も?!」などと言っているようだ。 たとえば百年後の歴史学者はこう書くかもしれない。 「20世紀の終わりから21世紀にかけて第2次世界大恐慌であった」とか。 確かに国・地域によっては失業率が数十%とか、 あるいはインフレ率が数千%などというところもあるらしい。 もちろん日本の1年間の自殺者数が3万人という数字にしても明らかに高いと見るべきだろう。 まあもっともこの自殺者数というのは必ずしも経済と連動しているとは言えないかもしれないが。
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「病院はホテルじゃないのだから」ってどういう意味?~今日のたわごと

最近私は病院に入院したことがないが、

外来などでも患者のことを「患者様」とか「○○様」と呼ぶ病院も増えてきた。

ところである質問。

「pcを持ち込んで入院できる病院はこの辺にあるでしょうか?」

それに対する答えの一例。

「病院はホテルではないのでまずダメでしょう」

ある人があるところでおっしゃった「病院はホテルじゃないんだから」。

彼あるいは彼女は何が言いたいのだろう?

私は考えれば考えるほど分からなくなってきた。

たぶん「ぜいたくを言っちゃあダメだ」とでも言いたいのだろうが、

なぜだろう?

もちろん、目的が違うというのは分かる。

つまりホテルに泊まる人のある程度の割合はオーバーに言えば贅沢をしたいため。

あるいはそこまで言わなくてもレジャーのための人が多いかもしれないし、

一方病院に入院する主な目的と言えば病気やけがを治療するための場合が多いだろう。

しかし、それにしても、なのだ。

ちょっとインターネットを検索したら「バリの病院はホテル並み」

とかいうせりふがあった。

われわれがこの一見もっともに思うせりふ「病院はホテルじゃないんだから」と言うのは、

よく考えると変ではないか?

病院というところは主に苦しんでいる人が入るところだろうと思う。

その苦しんでいる人は、

なぜホテルに泊まる人より更に我慢しなければならないのだろうか?

何か理不尽なように思う。

病気でもけがでもない人はホテルで更にいい思いをすべきだというのは、

よく考えると理不尽だ。

というか不公平だとも言える。

支払う金額の問題か?

それなら計算してみないが、

病院に入院する人だって多額のお金を支払うはずだ。

誰か分かる方いますか?


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たとえば今の日本の放射線で死ぬ確率は高いか低いか??

断っておくが私は世界中の原発は即刻停止するべきだと思う。 しかしおかしいと思うのは、 たとえば今の日本で原発から出る放射線で死ぬ確率がすごく高いかのような論調だ。 そんな単純な問題ではないと思う。 仮にもし単に確率だけのことを言うなら、 たぶんたとえば交通事故で死ぬ確率の方がずっと高いのでは?と思うからだ。 それと放射線の大方は自然界というか宇宙空間にずっと昔から存在するものが圧倒的に多いのでは? 原発推進派の人々が思うのはたとえばそういうことではないのか。 ではなぜお前は原発に反対するのかと訊かれれば、 もともと自然界などにある放射線は仕方ない面もあるが、 人工的に作ってしまったそれは明らかに「取り返し」がつくだろうと思うからだ。 もちろんとてつもない長い時間がかかるだろう。 しかし防げるものは防ぐ努力を継続すべきかも?と思うからだ。 私が言いたいのは、 原発問題を語るときに、 単純な確率論を持ち込むべきでないということだ。
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「理解できない」ならなぜ理解しようとしないのか

自分と違う意見を持つ人を「理解できない」と言って切り捨てる人がよくいる。

「理解に苦しむ」とか「理解できない」という言葉遣いはいわゆる「大人の」物言いだということと

私は理解している。

しかし「理解できない」のならなぜ理解しようとしないのかがよく分からない。

よく分からないというのは、またまた悪い言葉遣いだ。

正確に言えばよく分かる。

要するに想像力不足ではないかと思う。

相手の気持ちあるいは立場になってものごとを想像してみないのが原因だろう。

理解できてそのうえで自分は反対だと言うのが正確なというかあるべき物言いである。

つまり言い直せば「理解できるが私はその意見には反対だ」という言い方が親切でもあり正確な言い方だ。

まあ世間一般ではこのようなことは屁理屈と呼ばれる。

話を元に戻せば、くどいようだが「理解できない」のなら少なくとも想像してみるべきである。

この人はなぜこのような意見をもっているのだろうか?

あの国はなぜあのようなことをするのだろうか?

つまりそれが相手の立場に立ってものごとを考えるという、

ものを考えるうえでの基本的なやり方である。

たぶん大方の人は「そんなことはもちろん分かっているよ」とおっしゃるだろう。

しかしそれならなぜ戦争は起きるのだろうか?

もちろん戦争の原因は恐怖であろうと思う。

自我はほとんど常に恐怖を抱いている。

それが耐え切れなくなったときに攻撃に出る。

つまり自我の恐怖というものを理解できたときに平和が訪れるのだろうと思う。

 

少し話がずれた。

人間の大いなる知恵、想像力を充分に働かせてみる。

それを充分にしないといけないと思う。

 


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当たり前であるということ

私にとっては、 当たり前であることと自然であることは同義語である。 少なくとも私はそういう意味でこれらの言葉を使っている。 ところで当たり前であることはとてもむずかしい。 それは何らかの努力や修行の結果ではなく、 また思考の出した結論でもない。 自我のあるところに当たり前はない。 自我を脇に置いておくことができる者のみが当たり前で居られる。 言ってしまえば当たり前とは悟りである。 当たり前という日本語をもし私が英訳するとすればnatural としたい。 逆に言えば悟りとはごく当たり前な自然な心のありようであり、 特別なことではないはずなのだが、 自我を持った人間という生き物にとっては逆に当たり前でないことが通常の状態となっている。 私の好きな言葉に「春が来れば草はひとりでに生える」というものがあるが、 悟りとは「ひとりでに」やってくるものだろうと思う。 そしてひとりでに当たり前であることを知ったとき、 あらゆる欲望はなくなるようだ。 ここで気をつけたいことは、 欲望はないが本能はあるというのが当たり前の状態である。 だからたとえば、 当たり前である人は食べたり眠ったりをごく自然にできる。 「できる」というよりは、 すべてのものごとは起こる。 起こると言っても別に特別なことが起こるわけではなく文字通り当たり前に生きているだけのことだろう。

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