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毎月11日のおはなし「ぼくが今ここにいる意味」

 晴れた日は明るくなる頃に目を覚ます。明るくなるから目を覚ますのか、小鳥たちが活動を開始する気配に目を覚ますのか。とにかくそろそろ太陽が顔を出す直前に目を覚ます。洗面器に少し水を張り顔を洗った水で口をすすいでうがいもする。その水は表の菜園にまく。どんなに僅かな水も貴重だ。赤い首を覗かせ始めたラディッシュを掘り出し、丁寧に布で拭って塩をふってかじる。 

 簡単な朝食を終えると家族に声をかけて表に出る。行ってらっしゃいとかすかに聞こえた気がする。歩いて行くと何人か顔見知りの人に会い、おはようございますと挨拶をする。みんな日に焼けて、口を開けると歯が白く、総じてまぶしそうな顔つきをしている。今日はCの11を探そう。Cの11というのはぼくが勝手につけた区画番号で他の人には通用しない。たまに手伝いにきてくれる学生たちは理解してくれる。

 Cの11はかつて商店街だった一角だ。明らかに元々この場所にあったとおぼしきものもたくさん見つかるが、もちろんそれだけではない。あの日、この場所は何度も潮に洗われ、山の麓に建ち並ぶ住宅地にあったものも、海岸だった場所にあったものも、遥か沖合にあったものも、それどころか、どこか他の村や町にあったものも、何もかもが呑み込まれ混ぜ合わされそして出鱈目にぶちまけられたのだ。

 一つの区画は10メートル四方に決めている。理由はそんなにない。何も見逃さないように丹念に見て回るとそれで一日終わってしまう、そのくらいのサイズだ。始めの頃は当てもなく探しまわるしかなかった。家を中心に浜辺と高台の麓を何度も往復しながら、目につくものを動かし、物陰を覗き込み、覆いかぶさったものをとりのけた。

 家から1キロ近く離れたところで時計を見つけた時には息が止まるかと思った。それは娘がまだ幼稚園に通っていた頃、娘からという名目で誕生日に家人からプレゼントされたものだった。けれどもそのようなやり方ではどうしても見落としが出て来ることにも気づかされた。時計にしたってたまたま転んだ指先に、泥の中の固いものが当たったから見つけたのだ。転ばなかったら見つけられなかった。

 そう気づいて、その日からやり方を変えることにした。区画を決めて順番に虱潰しに探す。1メートル角の木枠をこしらえ、それを運び、その日探すエリアに持ち込む。平らな場所には木枠を置き、木枠の中を納得行くまで探す。建物やその残骸が形をとどめているところもできるだけ枠単位で納得行くまで探す。

 これを100回繰り返すと1日が終わる。肉体的にもハードだが、精神的にもかなりこたえる。たくさんの人のたくさんの思い出に否応なく触れることになるからだ。食器類にはなぜかはっとさせられる。箸置きを見るとつらくなるのは妻が箸置きを集めていたことを知っているからだろう。ランドセルや教科書のたぐいも胸がつぶれそうになるが、実際には子どもたちはもうとっくに小学校を卒業している。下の息子だってこの春高校に入るはずだった。

 そういったものを見つけても何もできない。できるのは、持ち主が無事でありますようにと祈ることだけだ。たまたまこれがここにあることを知らないから、知っていても持って行けなかったから、ここに放置されているのだろうと。そして、もし不幸にも命を落としているのなら、どうか安らかに眠りますように。君のランドセルはおじさんが泥を拭っておいたからね。

 家族の元を離れて何年にもなる。正直な話、あの日までは戻るつもりもなかった。けれどもニュースで故郷が失われて行く映像を見て、たまらなくなって戻ってきた。避難所を回り、おびただしい数の遺体を確認し、家族がどこにもいないことを知って町に戻った。自分の家の在り処を探すことさえままならなかった。道も、郵便局も、角の果物屋も、何の手がかりもないのだ。そこが自分の町なのかどうかすら確信を持てなかった。ようやく自分の家の場所を探し当てた時には大声を上げて泣いた。あたりのものを動かし、泥を掘り、その場所には家族がいないことを確認するのに1週間かかった。

 残骸を利用して小屋をつくりその場に住み着くことにした。同じようなことをしている人が何人もいて知り合いになり、お互いに助け合って暮すようになった。この数年間、ぼくは山中でひとりサバイバル生活をしていた。だから一人で生き抜くことは何とかできる。掘り返すものの中には家庭園芸用の野菜類の種などもあり、ありがたくいただいて栽培している。そうして遅ればせながら捜索を始めた。こんな生活をいつまでも続けられないことはわかっている。けれどいまぼくにはこうすることしかできない。今日、それを確信した。

 Cの11を終えようとした時、一冊のよれよれの冊子が目に入った。どことなく見覚えがあったので手に取ると、それはぼくが卒業した年の高校の生徒会誌だった。これがぼくのものか同級生のものかは分からない。けれどまぎれもなくあの年の生徒会誌だった。水にぬれ、ごわごわになったページをめくり、目次に自分の名前を見つけて思い出した。すっかり忘れていたが、当時ぼくは生徒会誌にふざけたエッセイとも小説ともつかぬものを投稿し、それが掲載されていたのだ。

 読むに耐えない文章のおしまいの一節にこうあった。「おれはどうもスポーツでも音楽でもたいしたプレイヤーにはなれそうもない。でもおれはめざす! ベストプレイヤーをめざす! 一文字変えて“祈る人”のプレイヤーだっ!」

 当時は気の利いたことを書いたつもりだったんだろうが、なんとも冴えないダジャレに過ぎない。でもそこには、いまのぼくにできることが書かれていた。ぼくは恐ろしく無力だけど、毎日ひと区画をあらためて回り、そこで見つかったもの一つ一つに祈りを捧げることはできる。無事を祈り、平安を祈り、ものごとが少しでもよくなるようにと祈ることができる。どのような形であれ家族と再会するまで、それがぼくが今ここにいる意味だ。

(「生徒会誌」ordered by こあ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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あとがき〜立ち尽くす身体と心に〜

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この作品は東北地方太平洋沖地震 チャリティ作品」に参加しており、
ご購入いただいた金額の全額が寄付されました。2012年1月末の企画終了後は、
高階への入金分(311円の70%の218円だそうです)を「ふんばろう東日本支援プロジェクト」に寄付しました。
チャリティ企画は終了しましたが、ご協力ありがとうございました。
この作品が東北への支援へのささやかな一助となることを願っています。
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あとがき 〜立ち尽くす身体と心に〜
 
本文を読んでいただいた方、ありがとうございます。
まだの方は、「チャリティのついで」で結構ですので、ぜひお買い上げの上、読んでやってください。以下は、読んだことを前提にネタバレ的に書かせていただきます。ご了承ください。
 
     *     *     *
 
2011年1月にSudden Fiction Project(以下、SFP)は既に第3期300篇に到達していた。けれどもお題はまだ10近く余っていた。そこで300を超えたお題に対しては、ペースダウンしつつも順番に書いてお届けしていた。3月の頭には残すお題は6つ。どんなに遅くとも3月中には全てを書き上げるつもりでいた。
 
そして3月11日を迎えた。ご多分に洩れずぼくの頭は大地震と大津波の被害と、これによって引き起こされた原発の事故や放射能汚染へと向かわないわけに行かなかった。混乱した状況を自分なりにとらえようとし、自分はどうすべきなのか、目の前の問題をどうすべきかということと、もっと先のことを見据えてどうすべきかということと、考えなければならないことは次から次に出てきて、おまけにそれはどれもすぐに答の出るようなものではなく、翻弄され続けた。
 
そんな状態だったので、SFPにも向き合えない状態になってしまった。自分の想像力を遥かに超える出来事が起こり、それ以前にはカタストロフィ物のSFの中でしか起こらない出来事のように思っていた世界にいきなり現実の自分が放り込まれていることに気づかされた。とてもじゃないがフィクションを書くような心境にはなれなかった。
 
表面上、淡々と生活をしていたものの、来る日も来る日もとらえようのない不安や無力感にさいなまれ、じわじわとダメージを受けていることはわかっていた。そして3月も終わり頃になって、外見とは裏腹に、自分は心の奥底で怯えてすくみあがり、声にならない悲鳴を上げて続けているのだと確信した。同じように、立ち尽くす人は、身も心も立ち尽くしてどうすることもできない人は、被災地はもちろんのこと、日本中にいるはずだ、とも思った。
 
4月になって気持を切り替えるため2篇ほど書き、5月に入って誕生日を迎える前日に残す4作品を一気に書き上げることにした。本当は誕生日を迎える前に書き上げたくて、前日の朝から書き始めたが、結局2篇までは書き上げ、3篇目の大部分を書いたところで日付が変わりいったん就寝。翌朝起きると3篇目を仕上げ、いよいよ最後の作品に向かうことにした。
 
まったくの偶然だったのだが、それは通し番号にして311番目の作品だった。
 
震災以降まるで書けなくなっていた自分が、誕生日の朝に、311番目の作品を書く。そこには何か意味があるように感じた。だから、それまで無意識に避けていた震災そのものをテーマにした話を、それも鎮魂の話を書こうと思い立った。そうして書き上げたのがこの作品、「ぼくが今ここにいる意味」だ。現実に被災し、いまなお苛酷な生活を強いられている多くの方々からすれば、こんなのは「ただのことば」に過ぎないだろう。
 
だから「これは東日本大震災の状況を描いた話です」などとは畏れ多くて言えない。せいぜいぼくに言えるのは「いつかどこかで起こったかもしれない天災を乗り越えようとする人の話です」と紹介するくらいのものだろう。けれども、あの震災がなければ、この作品は生まれなかった。それは間違いない。
 
起こってしまった出来事を変えることはできないけれど、この先をどう生きていくかを選ぶことはできる。それは実際に被災した方々もそうだし、遠く離れた場所で胸を痛める人もそうだろう。作中の男は祈ることを選んだけれど、もちろん答はそれだけではない。選ぶ道は人それぞれだろうし、また、一つだけとも限らないだろう。でも、もしも、そういうものを見つけられたら、うまくすれば、ぼくらは状況を乗り越えられるのではないだろうか。そんな祈りを込めて、この作品を贈ります。311で(あるいは思いがけない天災や人災で)立ち尽くしてしまったすべての人に。
 
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この作品は東北地方太平洋沖地震 チャリティ作品」に参加しており、
ご購入いただいた金額の全額が寄付されました。2012年1月末の企画終了後は、
高階への入金分(311円の70%の218円だそうです)を「ふんばろう東日本支援プロジェクト」に寄付しました。
チャリティ企画は終了しましたが、ご協力ありがとうございました。
この作品が東北への支援へのささやかな一助となることを願っています。
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奥付



ぼくが今ここにいる意味[SFP0311]


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著者 : hirotakashina
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/hirotakashina/profile


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