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第一章-1 究極の極貧生活

オヤジは刑務所。
かあちゃんは死んじまった。
ねえちゃんもいない。


それで俺は一人、この団地に住んでた。


何日も何日も、仕事もしないで、
ただ、もう、ぼんやりと。


時々、日雇いの仕事して、
あとは何日も、なんにもしないで、
ただ寝てた。


金なんか、ぜんぜんないし、
お菓子を食べたりしてた。


最後のひとつの飴玉をくちのなかに入れて。


それが甘くて、すごく美味くて。
くちのなかで溶けてゆく瞬間、ああ、溶けないでくれ、と。
ああ、もう、溶けないでくれ、って。

でも、くちのなかの飴玉は溶けてなくなっちゃって。






ほんとうに、なんにもなくなっちゃった。







こうなったら人間って、
どうなるのか。

なんと俺は、近所のラーメン屋に電話をかけて、
ラーメンとチャーハン、カツ丼、カレーライス、ギョウザを注文してた。

出前が届いて、ガツガツ食った。


そうして、また蒲団を被った。

しばらくして、
扉のピンポンが鳴っている。

ラーメン屋の集金。

俺は居留守。
蒲団のなかで、ただ息をひそめてた。


こうして、この日から、
もう近所のラーメン屋に、
片っ端から電話をかけて、
出前を注文し続ける日々。


電話をかけてから、
しばらく公園で時間を潰す。

そうして団地に戻ると思った通り、
扉の前に、ずらりと料理が並んで置かれてた。


料理をたらふく食って、
そうして、また公園へ行ったり。

たまに出前中のオートバイと、
ばったり会っちゃったりして
「払ってくださいよー!」なんて言われちゃったりして。

あはは、って曖昧に笑って、
ごまかして。


このやり方は、ひとつの店に一度きりしか通用しないから、
だから、いろんな店に電話するわけですよ。
ただ、ひとつ、そのお店だけは電話してない、
というところがあったんだよね。

そこは同級生の家だったから。

でも、ついに、
もう、どこにも電話をかけられなくなっちゃったから、
もう近所の全部のラーメン屋に電話しちゃってたからさ、
しょうがないから、そいつの家にも電話しちゃったんだけどね。


そうして、もう、
ついに、どこにも電話できなくなっちゃった。




電気もガスも止められて。
ついに電話まで止められちゃって。
水道だけはね、団地だったから、
針金を切ってレバーをひねれば通じたんだよね。


でも、それだけでなくて、
ここの家賃は一万二千円だったんだけど、
かあちゃんその家賃を半年くらい滞納してて、
それで文句言われちゃってさ、
もう、この団地に住んでいられなくなっちゃったんだよね。

俺なんかも金なんか全然ないから、
結局、一年半家賃滞納。
公団事務所の人に「出てけ」って言われて。

それに家賃の滞納の問題だけじゃなくてね、
もともと、ここは母子家庭が対象だったんですよ。
だから、もう、かあちゃんいないからね、
長男のおまえには引き継ぐ権利はない、って言われて。



第一章-2

もう、ほんとに所持金ゼロ円だから。
いくとこまで、いった。


何日も、もう飯食ってないし。
金が欲しい、もう、とにかく金が欲しい。


どうしたらいいんだろう、と困ってた。

そんなとき玄関先で
「わかさくーん!」って呼ぶ声がして。

並木だったんだ。

働かず、金もなく、
ただ寝てるだけの俺の有様を見て、
並木は唖然としてた。
そうして近所のとんかつ屋で日本ソバをおごってくれた。




「若狭くん、ホストやりなよ」

前から並木は俺にそんなふうに言ってた。


俺はこの身長で当時は髪もふさふさだったしね、
体重は六十五キロなかったから。
だから俳優の沖 雅也みたいだったんだよね。



「若狭くん、大海原へ出たほうがいいよ」って。


せんべつだから、って、
背広三着、ワイシャツ、ネクタイ十本もくれた。



そうして俺はホストになることになったんだ。



新宿のお店。

初めてお店に入ったとき、
地下に降りてゆく階段が、
もう、きらびやかなネオンに包まれてて、
その向こうに赤い絨毯がパアーッと敷き詰められてて。


それは、まるで別世界だった。



このとき俺は二十歳。
こうして俺は新宿の歌舞伎町にある『ニュー愛』へ。
ホストの世界へ入っていったんだよね。




第二章 新宿のホストになる!

階段のネオンがすごくて、
その向こうに赤い絨毯が、ばあーっと広がってて。


ホスト専用のフロアーがあって、
そこはバーのカウンターがあって。
この当時は携帯電話なんか、なかったから、
テレフォン・カウンターが十何個か、ずらーっと並んでて。

ここでスーツで決めた先輩たちが、
お客さんに電話してるわけですよ。

もう、その先輩たちといったら、まるで石原軍団。
めちゃめちゃカッコイイわけですよ。

今みたいな、ちゃらちゃらしたもんじゃなくてね、
もうバシッと決まっててね。
マナーもダンスも、みんな仕込まれてて、
新聞は必ず毎日最低二紙は読め、ってね。
本物のプロフェッショナル。

みんな俺よりも五歳くらい年上で、
夜の芸能人だな、この人たちは、と思ったんだよねえ。


アイダ社長と面接して、
「ああ、君いいよ、うん、いい」って入店を許可されて。



フロアーには生バンド、ムード歌謡。

客は席につくだけで五万円。

へネシー、レミーマルタン、
フルーツ、オードブルが、どんっ!

ルイ十三世は紫の液体で五十万円!

トイレに行くと、そこに『ホスト十二ヵ条』なんてのが貼ってあってね。
一、ホストとは、とかね、
二、お客とは恋人ではなく、
三、女とは同性の幸せを許せない、とかなんとかね、
書いてありましたよ。


しっかし、よく書いたなあ、あれなあ。
しょんべんしながらね、眺めてましたよ。



新人は先輩のヘルプについて、
そうして初めて金が貰えるわけですよ。



先輩から
「俺の客なんだけど、
あれ金にならないし面倒だからダンちゃん、
ヘルプついてよ」なんて言われながらね。


俺の名前は「DAN」。
ウルトラセブンの諸星ダンから取ったのね。


そうして、その先輩、スッと俺の胸ポケットに
二千円とか入れてくれちゃったりしてね。
うおーっ、かっこいいよなあ、って思ったよねえ。


ヘルプは一回千円。
だから三回やると三千円なんだけど、
こうして先輩たちが小遣いくれるから
一日九千円とかになっちゃうんだよねえ。


ここに潤(じゅん)さん、っていうね、
すごい人がいてねえ。

背は低いんだけど、顔がねえ、
もう整形してるんじゃないか、っていうくらい、
もう、整っちゃってて、もう、かっこよくてねえ。

その潤さんが、俺に声をかけてくれたわけですよ。

「おまえ短気だろ」って。

「えっ、なんでですか?」

「顔に書いてあるよ」って、
そういう仕草すらもがね、また、かっこいいわけですよ。


こうして俺は潤さんのグループに入ったんだよね。

夜中、仕事が終わって、
みんなでタクシーに乗って潤さんの家へ。
成城の超高級マンション、家賃二十六万円ですよ。


もう、ホントすごい!
まるでドラマでしか見たことのない部屋ですよ。
十二畳の洋間のリビング、
ベージュのソファなんか、もう、ふっかふかでさあ。

冷蔵庫なんかさ、
もう勝手に氷が出来て、
カラン、カランって落ちてくんのね、
あんな冷蔵庫、初めて見たよねえ。



潤さんのお客さんは幅広くて、
ソープ嬢から赤坂のママとか、いろんなお客さんがいて、
だから羽振りがよかったんだよねえ。


そんな潤さんが、みんなとミーティングするとき、
いつも言ってた言葉があってね、
それは「女はしょせん、男を裏切るぞ」ってことなんだよね。


「男を裏切らない女なんかいないんだよ。
しょせん、俺たちにあきて、そのうち違う店で、
他のホストを使うんだよ。
男は絶対、女に足元みられるな」

「俺たちは女よりも、男同士を大事にしよう。
そういうグループであろうぜ。
誰かがパンクした、住む家がない、パンツ一枚もねえ、
そんなときは、面倒みてやろうぜ。
裸一貫、なんにもねえんだよ、俺たちには。
そういうときは、みんなで助けあって、居候させてやろうぜ」

潤さんは、俺たちに向かって、
いつも、そう言ってた。

俺は、それを、そのまま真似した。




潤さんは、客から、さんざん金を搾り上げてた。
洋服から食い物から、
何から何まで、客の女に支払わせるんだよね。


俺たち、みんな連れて豪勢なとこへ飲み行ってね、
京王プラザホテルのレストランとか、ジョジョエンとか、
その勘定を全部、客の女に支払わせちゃうの。

あれは、すごかったよなあ。


でも潤さんも、ひとつ、内輪の話があって。
実は、あの豪華マンションの一室にね、
自分の親父を住ませてんだよね。


そういうね、
ひとつの事情というものを、
彼も持っていたりしてたんだよね。



まあ、こうして潤さんや他の先輩たちの
ヘルプとして働きながら、俺にも客がついて。

以前はOLさんやってたんだけど、
この時はキャバレーで働いてたマイコさん。

新潟県出身の当時三十三歳。
ダンナと江東区錦糸町の1DKの団地に住んでた。
ミイちゃん、っていうネコを飼ってて。

さがり眉毛で、おとなしい人で。
いつも「さびしいよお、さびしいよお」って言ってた。

このマイコさんが、俺に尽くしてくれた。
俺のスーツはナミキから貰った三着だけだったのに、
マイコさんと付き合って一週間でスーツは七着になった。


全部、マイコさんが買ってくれたんだよね。


「あなたは必ずナンバーワンになれる人だから」って。
ほんとうに、すごく尽くしてくれた。


こうして俺も初めての同伴出勤ですよ。
パアーッと、きらびやかなネオンが輝いてる
階段をマイコさんをエスコートしながら降りてゆくわけですよ。


これまで俺なんかは、
そうした同伴出勤してくる先輩に挨拶して、
深々と頭さげてお迎えしててね。


そんななかで、
新人に向かって偉そうな顔してる先輩なんかもね、
いるわけですよ。


だから俺は絶対やってやろう、って。

ついに同伴出勤できたこの日、
俺は周囲の新人たちに深々と頭を下げられて、
迎えられたときね、
その新人たちに対しても
「ああ、ご苦労様です」ってね、みんなに挨拶したよね。

俺は潤さんとも仲の良い、
朝比奈(あさひな)さんをヘルプとして頼んで。
そうして他の客のところを廻って。


朝比奈さんも十年選手、三十歳くらいで、
あまいマスクの一流ホストですよ。
中性的な、ちょっとタムラ・マサカズ入ってるなあ、
みたいなね。
すごい品があってねえ。

ほんとに一流ですよ。
俺が他の女の客と踊ったりしてるのを
マイコさん見てて、さびしがったりしてるわけじゃない。


そうして席に戻ってきたら、
「この人は冷たい」って、マイコさんが言うんだよね。
好きとか、愛情が感じられない、って。
そうしたら朝比奈さん、マイコさんにこう言ったんだよね。

「マイコさんね、一人の女に『おまえだけだ』なんて言う男は、
十人の女にも同じことを言ってるよ。
ダンちゃんは一本気だから、言わない人だよ。
この男にウソはないよ」

「ダンちゃんも、いろんなことがあるけど、
マイコさんもダンちゃんを支えて欲しいな」って。



俺なんかよりも、ずっと先輩なのに、
ここでは自分はヘルプなんだって、
立場はしっかり、わきまえてた。
さすが、だよねえ。

ホストの先輩たちは、こんなふうに、
いろんなタイプの人たちがいて。

みんなカッコ良かったけど、
なかには、そうでもない人もいたりして。

東北から出てきた人で、
年配だし、ルックスは坂上ジロウさんみたいで。
当時40歳ぐらい。
もう例外中の例外、おぢさんですよ。

全然、かっこよくないから。
だから、もう、席では、
もう、バカなふりして騒いじゃってね、
そうして、お客さんたちを盛り上げて。

「この前、テレビ見た見た見た?
どっかの国じゃ、トイレの下に豚がいて、豚が人間のクソ食ってんの!
ほんとほんと!」

なんて言いながら、ひとり騒いでて。

お客さんのハンドバック開いて化粧品とって、
自分で口紅塗って、つけまつげしちゃって
「いらっしゃいませ、ジロ子です」なんて言っちゃったりして。


すんげえ、つまんねえんだけど、
自分からすると先輩だし、
シラケるとジロウさん、しゅんとなっちゃうから。

そうやって1人で騒ぐだけ騒いで、
自分でガンガン、一気飲みして、ボトル1本飲み干して、
そうして酔いつぶれるという、それだけなの。


でも潤さんなんかは
「ああいうスタイルも、あっていいんだよ」って
そんなジロウさんにも敬意を払ってたっけなあ。


「あれはあれで必要な人材なんだよ」

「でもジロウさん、あんなに酒飲んで、死んじゃうんじゃないんすか?」

「ジロウちゃんはね、ホストで死ねたら、それで幸せなんだよ」と
潤さんは、そう言ったんだよ。


客の前ではバカ騒ぎだけど、
普段は物静かな人で、
店の控えにいるときは、いつも1人でポツンと、
誰とも話しもしないで、ずーっと本なんかを読んでるという、
そういう人だったんだよね、ジロウさんはね。


ある日、フリーの客が2人入ってきて。
指名がないから店は、いろんな人を席につけるわけですよ。

そしたら、いきなり俺に
「ダンさん、ダンさん、呼ばれてますよ!」って。


場内指名ですよ!

客が俺を見て指名したわけですよ。
やったぜ、と席に着くと、
客2人を挟んで自分の真正面にジロウさんが座ってんですよ。


自分としてはね、いろいろお話しして、
いろいろ親睦を深めてゆきたいというね、
そういう場面だつたのにさあ、
先輩のジロウさんがいるんじゃ、
そんな話しなんかできないわけですよ。


先輩だからね、気つかってね、
おとなしくしてたわけですよ。

そしたらジロウさん、
「おまえ、なに気取ってやがんだ。カッコつけちゃってさあ」なんて
機嫌悪くなってきちゃって。

「おまえは座ってナンボ!オレはしゃぺってナンボなんだよお!」
なんて怒鳴りだして。


お客のほうが気つかっちゃって俺に
「気にしない、気にしない」なんて。


そんなことが、あったんだよねえ。




俺は新規の客を掴むために、ソープに行ったんだよね。
「本番」って言うんだけどね、
そうしてソープに行って、でもエッチは一切しないんだよ。


ただ、黙ってね、相手の話、聞いてあげてね。


そうして、また、その店で、その女を指名してね。
そのときは、もう、真っ白なスーツ着込んで、
もうバッチリ決めてね。


「いやあ、実は俺はホストやってるんですよ。
よかったら、今度来てください」って。

これで、もうバッチリ!


俺もマイコさんとか、こういうソープ嬢みたいな客が付くようになると、
今度は自分が後輩をヘルプに付けられるようになる。

そして俺も、ひとつのチームというか、
かわいがる後輩が二人できた。


それにしても馬鹿なやつらで、
一人は「俺は究極のホストマンになる」ために
山篭りなんかしちゃってね。

そこでチンポに球入れてんの。
俺もやろうと思ったんだけどさ、
あれ、痛くて痛くて、いやあ、やめたやめた。


でも、あれ球入れてもさ、
女は全然、気持ちよくないらしいんだよね。
ただ男だけが痛いという、
ばかだよなあ、ほんと。


で、俺もこのソープ嬢と、
後輩二人連れて飲みに行ったんだよね。
そのとき1人、俺たちのチームじゃない先輩がいたんだよね。

そこで俺さあ、
どうだ、見ろ、おらあーって。
日本酒を一升、ガーッと、一気に飲んだんだ。


そうして皆で、
ソープの女とラブホテルに入ったんだ。
ここで初めて、この女とやろう、と。
まだエッチしてなかったから。



俺はそのとき、もうベロベロに酔っ払っちゃってて、
それでも、まだ皆と飲んでたんだよねえ、調子こいちゃってさあ。

俺なんかは、もう酔っ払って
「潤さんはすげえ!あんなホストはいねえ!
潤さんは、俺の兄貴なんだあー!」って騒いでて。


そしてら、その先輩が
「潤さんは昔はナンバー1だったけど、今は落ち目じゃねえか」って
そう言ったんだよね。


俺はその瞬間に、もうカーッとなっちまって
「てめえ、もいっぺん言ってみろ、この野郎!」って。

そしたら、その先輩に思いっきり、
ビール瓶で頭ぶん殴られて。

パカーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

ってビール瓶、きれいに割れた。
そして失神。
ゲロと小便と大便が、いっぺんに、
一気にどーーーーーーーーーっと出ちまったんだよ。


それでパアよ。
それっきり。

俺たちホストはさ、
お客に夢を売るのが仕事なわけですよ。

現実とは違うね、
ロマンチックな、ね。

そんな存在がゲロまみれ、くそまみれじゃあね、
もう、だめですわ。


せっかく捕まえた客だったのに。


そうして、俺は垂れ流しのべちゃべちゃのスーツのまま、
夜更けに一人きりで、歩いて家まで帰ったんだよ。


でも死なないで、よかったよホント。

あれ空ビンだったから、しかもキレイに割れたから良かったんだ。

もし、中身が入ってるビンだったら死んでたよ、マヂで。
キレイに割れなかったら頭、血だらけだったろ。

それもなかったもん。
ラッキーだったよ、ほんとうに。



まあ、この客は逃しちゃったんだけどさ、
その他にも客はいて。


すんげえ、おばちゃんがいたんだよね。
もう、すんげえの。
もう大変よ。


そして、ついに俺は、その、おばちゃんとね、
やらなきゃなんないとこまで来ちまったんだよ。


ラブホテルに入って、
ついにエレベーターの前ですよ。

そしたら、その、おばちゃんがね、
「ねえ、あたし、もう、我慢できないから」って、
階段で行こう、って。

そうして階段を上って行って、
部屋のなかに入って。

おばちゃん、いきなり便所に入って。

俺は備え付けのテレビのスイッチを入れて、
無意識のうちにエロビデオを放送してる2チャンネルを点けてんの。


どうしても、やりたくないのに、
どうしても、やらなきゃなんないから、
だから、どうしても、ちんぽ勃てなきゃ、って、
そう思ったのかどうか、それすらも、わかんないんだけど。




そしたらトイレから、その、おばちゃんのね、
ジャーーーーーーーーッていう、
ものすごい、おしっこの音が聞こえてきて。


便器に跳ね返ってる音。





うわあ、って。


うわあ、こりゃ、もう、絶対ダメだ、って。





おばちゃんトイレから出てきて、
おれ、もう、自分で何言ってんのか、
ぜんぜんわかんない。



僕たちは、こんなことしちゃいけないんです、
いつまでも清い関係でいましょう、とかね、
何しゃべってんのか、もう、ぜんぜん自分でもわかんないの。


ただ、もう、とにかく、やれない。
やりたくないという一心ですよ。


それで結局、このお客も、
もう来なくなった。
おわり、ですよ。


いやあ、もう、すざまじい世界ですよ。


そうして新宿にはね、すごいホストたちが、いっぱいいてねえ。
みんな、すっごくカッコイイんだけどね、
つい最近なんかもテレビに出てた先輩なんかがいて、
うわあ、この年齢でも、まだホストやってんだあ、っていうね、
すごい先輩もいるんですよ。


乗馬やったり、クレイ射撃なんかやったりして、
すごいクルマに乗ってねえ。

年齢いってもね、まだまだカッコイイわけですよ。

そんな、すごい先輩たちばっかりだった。
まあ、なかには東北の田舎から出てきたという、
坂上ジロウさんみたいな、おじさんもいたけどね。



俺は俺で結構、がんばってね、
もう新宿あたりじゃ顔になってきて、
あっちこっちのお店の呼び込みの人たちなんかからも
「よお、ダンちゃんー!」なんて声かけられるようになっちゃって、
俺も「や、どうも、どうも!」なんて挨拶するようになってたんだよね。


そして、いつしか冬になって、雪の日。

いつも歩く新宿の路地裏でバッタリ、並木に会ったんだよねえ。


並木、あんなに格好つけてた髪をバッサリ切って、
坊主頭になってたんだよねえ。

おい、どうしたんだよ並木って。


そしたら明日から自衛隊に入るんだ、って。
そう言うんだよ。

それじゃ、おまえよお、ホスト・クラブおごってやっから、来いよ。
おまえ、来たことないだろ、って。


そうして俺が勤めてる愛へ連れてったんだよね。


雪が、しんしんと降ってきてさあ。

クラブに着くと、客は誰もいなくってねえ。
並木なんか、もう緊張しちゃってさあ。
潤さんに、これ自分の友だちなんですよ、って紹介して。

ああ、そうなんだ、ゆっくり楽しんでってください、って。

そうして生バンドで、
潤さん、歌を歌ってくれたんだよねえ。


雪がしんしん降る新宿のホスト・クラブのなかで、
潤さんが生バンドで、俺たちだけのために歌ってくれたんだよ。
感激したよなあ。







第三章 熱愛

女は結局、男を裏切る。
女は客、金づるでしかない。
絶対に深入りしちゃならない――。


それが潤さんから教わったホストの鉄則。


ところが俺は、この鉄則を守れなくなっちまった。
そんな女が、現れたんだ。


サユリ。


この女は、魔性の女だった。


新宿でも有名で、あっちこっちのホストたちが、
この女のせいでダメになった。

みんな、この女に惚れちまう。


36歳の女。
日本舞踊の師範。
結婚しててダンナと子どもがいたんだけど、
ウェイブのかかった黒髪、妖艶なまでの存在感、
こんなに美しい、魅力的な女は、いなかった。


サユリと知り合って、いつしか俺も、
もう、どっぷり深みにはまってた。



「あなただけは違うの。本気だから」


店で働いてる夜中に、いきなり「今からすぐ来い」って
電話したら、タクシー飛ばしてやってきた。


俺はサユリのことを、心の底から好きになっちまっていた。
でも、サユリは結婚してる。



俺と会ってないこの時間、ひょっとすると、
今ごろダンナとセックスをしてるのかも知れない――
そう思うと、もう気が狂いそうになった。


店に来ても他のホストとしゃべってるのが気に食わない。
俺は嫉妬して店の外へ連れ出して彼女を責めた。
おまえ本当は誰でもいいんじゃないか、と。

外は冷たい冬の夜風が吹きつけていた。


「誰もわかってくれない。
わたしは本気で好きになる男が、1人もいなかっただけなんだけど。
それは相手が純粋じゃなかったから」

「俺は純粋に、おまえだけを見てるんだよ」


「あなたなんか所詮、ホストじゃないの」

「おまえは家庭があるじゃないか!
いつでも家庭に逃げられるじゃないか!
俺はおまえのためなら、いつでもホストやめてやる!
おまえは家庭、捨てられんのかよ!」


俺は怒鳴って取り乱していた。

でもサユリは静かに、こう言った。


「こんなに好きなのに。好きだから、こうしてお店にくるのに。
最初に会った人があなたなら、とっくに結婚してるわよ。
どうして、わかってくれないの…」

そう言いながらサユリは夜空を見上げていた。
俺は頭のなかが混乱してて。


「ねえ、ほら、星がキレイだね」

サユリがそう言った。
見るとその横顔に涙が流れてたんだ。




いつしか季節が、変わった。



春うららかな陽気で、どこかの庭先に咲いてる桜の花びらか、
あたたかなそよ風のなかで、ちらちらと舞っている。

この頃、サユリと連絡がつかない。


俺の心は激しく震えていた。


第四章 破局

俺は心を決めた。

日舞を教えにゆく木曜日、
彼女を待ち伏せた。


坂の途中にある古いつくりの大きな日本家屋。


五時くらいから、着物をきて家を出て、
近所の犬の頭を撫でて、出かけて行く――
サユリは、いつも、そうしていた。


「話しがある」


サユリは、俺の顔を見て、驚いた。
彼女の手首をガッと掴んだ。
サユリは、それを振り払って、喫茶店を出て行く。


携帯電話のない時代、
電話と言えば家にある固定電話しかない。


俺は電話をかけた。


すると男が電話に出た。
俺は何も言っていないのに、男はこう言ったんだ。

「あなたのことは聞いてます。
大変申し訳ないのですが、これっきりにしてもらえないでしょうか。
すいません」



「…。」



「僕もつらいんですよ…正直言って。あんな女でも…俺は…。」


その言葉を聞いて、何も言えなくなった。

それっきり。




俺は二十三歳、
燃えるような恋だった。



こうして俺の熱愛は、まるで呆気なく、終わってしまった。



男と女なんてもんは、
そんなもんなのかということを知ったような、
そんな気がしたんだ。





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