閉じる


黒猫

「あんた、仕事いつから?」

「五日から」

「……それまでずっとゴロゴロしてんの?」

その質問に、私は答えなかった。

いいじゃないか、別に。普段はごろごろしたくても出来ないんだから、年末年始の休みくらいゆっくりさせてほしい。

心の中でもそもそ言い訳をする私は、のっそりと右側を向いて頬杖をついた。

いまどき珍しい石油ストーブの横で、私と同じくごろごろとしている者がいた。

一匹の黒猫。

拾ったのがいつ頃か正確には覚えていないけれど、少なくとも十五年以上は前だったと思う。今やりっぱな老猫で、ストーブ横に置かれた編みカゴの中でウトウトとうたたねをするだけの毎日である。

ちなみに、名前はない。

『にゃんこ』だの『みーちゃん』だの『猫』だの、各々が好き勝手に呼んでいる習慣がもうずっと続いている。どんな呼び名で呼ぼうがちゃんと振り向くのだから、なかなか頭の良い大した奴だと思う。

私は、頬杖を崩すことなく目だけで窓の外を見た。

鉛の塊を乱暴に叩きまくって形成したような雲から、驚くほど真っ白な雪が穏やかに舞い落ちる。庭一面を真っ白に染めた雪化粧をさらに濃く、深く塗り重ねていく。膝まではいかないだろうけど、外出時にレインブーツは必須だろう。

時間は午後四時。天気のせいか、なんだかもう夜が近いような暗さだった。ただ外が暗くなるだけで晩御飯が近いような気がしてしまい、少しお腹が鳴った。

三時に間食を食べたばかりだったけれど。

「お母さん、晩御飯は?」

私はコタツ半身浴をやめることなく、母親に尋ねた。

「まだ決めてない」

「お肉がいい」

「……そんなことだとすぐ正月太りよ」

「まだ年明けてないから、いいもーん。それにどうせ、働きだしたらすぐ戻る。ねー」

私は黒猫に話かけた。

もちろん返事があるわけもない。

 

衰弱している、と聡子は言っていた。

聡子は獣医学部所属で、我が家の老猫のことは何度か相談を持ちかけている。

なぜ私が働いているのに彼女が学部生なのかというと、特に説明の必要もないかと思うが、彼女が二浪しているからである。頭が切れる彼女であっても、国公立獣医学部へのハードルは中々高かったらしい。

まあ、それは置いといて。

正確に何歳かは分からないけれど、これだけ長生きなのも珍しい、と聡子は関心して言っていた。

「ま、そのうち本物の医者のとこ連れていきなよ」

「動物って保険利くの?」

「利く。……いや、たぶん利くはず」

言い様は頼りないけれど、彼女の意見の通りそろそろ動物病院にお世話になったほうがいいかもしれない。

「猫又になったりして」

同席した母親は、呑気にそんな事を言った。猫は何歳かを過ぎると、尻尾の先が割れて妖怪になるのだとか。

「なったらなったで、大変だろうなあ。ただでさえ知恵あるのに、これ以上利巧になっちゃったら、世話する私たちが大変だよ」

私は言いながら、喋る黒猫を想像してみたりする。

案外、可愛げがある気もする。

 

母が持ってきた食事を、黒猫はぺろぺろとなめるだけだ。咀嚼しようとしない。味だけを確かめるように丹念に舐め、「出直してこい」とばかりに欠伸をひとつ。

そしてぷいとそっぽをむく。

やっぱり現実は可愛げがないな、と私は思った。

「……何出しても、食べないんだから」

この可愛げの無さは強がりなのではないだろうかとも思うのだ。態度こそ尊大だけれど、ここ最近めっきり食が細くなっていることに変わりはない。

この冬が最後かもしれないな、と私は思った。

私はコタツに両足を沈めたまま、這って猫のカゴへと近づいた。

「あんた、猫又になるの?」

猫はうんともすんとも言わず、じっと私のほうを見ている。

私は猫に触れた。

猫は目を閉じる。

時折ゆったりと跳ねる長い尻尾。手から伝わる穏やかな呼吸のリズム。これだけ弱ってもきっちりと生えかわった、真っ黒で健康的で綺麗な毛皮。

少し背骨が張ってきた背中をぐるぐると撫でていると、その手を伝って、黒猫発の控えめな睡魔がゆっくりと全身を包み込んでいった。

私はそれに抵抗することなく、ゆっくりと瞼を閉じる。


雪がなかった冬

キャットフードを入れた餌皿を編みカゴの近くへと差し出すと、ちょっと表面を舐めて味を確かめるような仕草ののち、ようやくもぐもぐと口を動かし始めた。

「……ソムリエ気取りかよ」

食べなれたキャットフードのはずなのに、と私はつぶやいた。

真っ黒な顔にぽちぽちとついた黄色い目を細め、時折鋭い牙を見せながら、黒猫は目の前の食事を平らげる。量こそ減ったものの、その食べっぷりは堂に入ったものである。

「食べ終わったんならお姉さんと遊んでもらうよー覚悟しろ!」

私は矢庭に黒猫のわきの下へ手を突っ込み、そのままカゴから引きずり出して胡坐の上へと猫を強制着席させる。猫もなされるがままであり、特に抵抗しようともしない。

前足をぐいぐい動かしたり、色々な場所を撫で回したりして遊んでいると、台所から母さんの鋭い声が飛んできた。

「あんた勉強は? もうセンターまで一ヶ月切ってるのに、よくそんな呑気でいられるわねー」

そんな厭味もなんのその、私はつかの間の休息と位置づけて、年末年始の冬休みを満喫していた。

 

県内の国立大学へと決めていた私にとって、センター試験が重要でないわけではない。ただ、今月の初めの模擬試験においてA判定が出てしまったために、多少気が緩んでいた。

あぶないかなあと思いつつも、でもまあなんとかなるよななんて思ったりもして、そうこうしているうちに冬休みになってしまった。

休み中の宿題は出ている。

宿題といっても、センター過去問ばっかり。単調でつまらない。二次試験勉強するにしても時期はずれで、そっちにも気持ちが入らない。結果としてこういう風にだらだらするしかなくなっていることには、全国の受験生の皆さんに結構同意を得られると思う。

年明けに学校が始まればきっと危機感も生まれるはず。

ぼんやりと考えながら、今頃きっと追い込みをかけているであろう亜美や聡子、それからクラスの仲間でありライバルたちの姿を思い浮かべた。

「……」

私は猫の両手を万歳させたまま固まった。

本当に何にもしないのは、流石にちょっとマズイかな。

両手をすり抜けてカゴへと戻った猫は無視しておいて、私は自室へ戻って勉強をすることにした。

 

私が部屋の扉を閉めようとした一瞬の隙に、黒い影がするりと私の部屋へと滑り込んだ。

「あんたカゴに戻ったんじゃなかったの? 暇人?」

母譲りの厭味に満ちた意見に耳を傾ける気配もなく、頬をずりずりと本棚の角に擦り付けている。

私は一つ溜息をついた。

黒猫を無視して勉強を始める。

だが、黒い侵入者は実に自由に部屋内を動き回った。

参考書の上にのったり、ぬいぐるみとじゃれはじめたり、布団の上でがりがり爪を研ぎ始めたりで中々安らかに勉強をさせてくれはしない。

暖房が効き始めるのを待たずして、私はしぶしぶリビングへと勉強道具を持ち込んだ。

すると猫は満足そうにバスケットの中へともどって丸くなるのだった。

 

足元はコタツ、背中には石油ストーブという状況で、マトモに集中できるはずがなかった。そんな奴がいるなら連れてきてほしい。そしてこの眠気を追い払って欲しい。

何度も背伸び欠伸を繰り返しながらもちゃぶ台に根気良く向かっていると、うす曇りだった空から鋭い西日が差し込んできた。

太陽はもうとっくに枯れた庭の木々を後ろから照らし、影絵のようにはっきりした輪郭を作ってみせた。鋭く冷たい冬の光は、熱もなくただまぶしく私の目を攻撃する。

光線攻撃に目を細めて対抗しながら、私は窓の外を見渡した。

雪が降った痕跡さえない。

まれに見る暖冬だと天気予報は言っていたが、果たしてこれが一月二月になるとどうなっているのか、それは誰にも分からない。天気予報は外れるためにあると気がついたのは中学に入る前だったかな。

まぶしい光を気にすることもなく、黒猫は目を瞑ったまま丸くなっている。

少し痩せて見えるのは、逆光で輪郭がはっきりしているからだろうか。

私は開いた問題集を肘で押さえながら、太陽の光を受けてぴかぴかと光る猫の背中をしばらくの間見つめていた。


雪が積もった冬

私は、酒を飲む人が嫌いだ。そういう意味ではお父さんも嫌いに含まれてしまう。残念なことだな、と思う。

お酒にはオツマミというものがつき物なのだけど、そのオツマミというものは、大抵ご飯によくあうモノだと相場が決まっている。

お父さんは、鰹節にしょうゆをかけてネギをまぶしたものが好き。

お母さんは、ごろごろと具が入っている金山寺味噌というものが好き。

どちらもご飯にとても良くあうので、私はそれで白いご飯をもりもり食べる。でも、ひとたびプルトップが開く音が鳴ると、途端に私の取り分がなくなってしまうのだ。平等もなにもあったもんじゃない。私は白いご飯を愛しているので、そこは譲れない。

ここまで考えてみると、単に私のワガママなのかもしれない、とも思えてきた。

クラスのアミちゃんに同じ話をしたことがあるけれど、「ウチはどっちもお酒飲まないしー」と言うだけだった。だから検証が出来ないのだ。彼女の両親には、ぜひお酒を飲んでもらう必要がありそう。

それでもやっぱり少しくらいは私のほうが正しいはず……と解決策を探るべく脳みそを働かしていると、カゴの中にいた猫が私のほうへのそのそ歩いてきた。

そのまま私を通り過ぎて、お父さんのところへ。

いつもカツオ節のおこぼれを頂戴しているのだ。ネギなどの刺激物は猫には良くないらしく、純度百パーセントの鰹節だけを、もそもそと口の中へと運んでいる。

さっき晩御飯を食べたばかりだというのに、中々の大食漢だ。食べっぷりも良い。CMの依頼が来てもおかしくないな、と思う。カツオ節のCM。

けっこう満足したらしく、今度は間違いなく私のところへ歩いてきた。

「行こっか」

私は手袋と帽子だけを身につけて、玄関で長靴を履いた。

 

外は寒い。

雪は降っていないけれど、昨日散々降ってくれたおかげか遊ぶには十分の雪だった。

私に続いて、猫が外へとやってきた。

お父さんが「猫専用の出入り口に」と作った、玄関横の四角い窓をくぐって。

ビニールで作った二重のノレンがついていて、猫がそこを通るときにぱたぱたっと二回音が鳴った。

庭に出る。

リビングのカーテンを開けて庭が明るくなるようにしておいたから、足元が危ないということはない。私はひざ下くらいまで積もった雪を掻き分けて、玄関とは反対側の、今は静かな柿の木の下へともぐりこんだ。

「おいで!」

猫は犬にくらべてアホで、言うことを聞かないということは良く耳にするけれど、うちの黒猫はそうじゃない。

私が呼べば、私が作った通り道を黒い身体がすいすいと進んでくる。お利口さん。

家の明かりが照らす範囲には雪と黒猫しかないので、白黒の映画を見ているような気持ちになってくる。

私は猫を抱き上げる。

そして、雪の深い場所に向けて思い切り放り投げた。

声になっていない鳴き声を発しながら猫は弧を描き、そして上手く雪面へと着地する。けれど、今日は雪が深いのですっぽりとその姿が消えてしまう。

落とし穴に落っこちたみたいだった。

私は、声を出して笑った。

猫は雪面を小さなジャンプをくりかえし、そのたびに自分と同じ大きさの穴を雪面に作りながら、私の足元へと戻ってきて座り込む。

そして、じっと私のほうを眺める。

それが合図であり、私はもう一度猫を放り投げる。

「あんまりいじめちゃだめだぞ」

お酒で顔を赤くしたお父さんが窓を開けて言った。「風邪引くから、あんまり長く遊ぶんじゃ――」

「お父さん寒いから窓しめて!」

お父さんの説教をさえぎるように、お母さんの悲鳴が暗い庭に響いた。お父さんは頭を掻きながら、「あと1回だけにしなさい」と捨て台詞を吐き出して、しぶしぶ窓を閉めた。

再び静かになった冬の夜の中、私は何気なく空を眺めた。

空にはたくさんの星が出ている。冬の空は光がまっすぐ届くから、星や月がくっきりと見えるものらしい。理科で習った。確かに夏よりも冬のほうが星がたくさん出ているような気はする。

まるでプラネタリウムみたいな星空だと思った。

星空が先か、プラネタリウムが先かは分からないけれど。

くしゅ、と小さなくしゃみが聞こえたので、私は足元を見た。

私を見上げる猫は、とても生意気そうな顔をしている。自分が面白いから何回も私のところへ来ているはずなのに、あたかも「投げさせてやってるぞ」と言わんばかりの、面白くなさそうな表情だ。

「可愛くないやつー!」

私は黒猫を抱きかかえると、渾身の力を込めてまだ足跡のついていない雪面の方へと放り投げた。


雪が降った冬

学校がおわったあと、さいたみせ(おかしをうっている)のよこに、小さなダンボールばこがおいてあった。

ゆきがふっていて、はんぶんくらいまでゆきにうまっていた。

へんなはこ、と思ってそのはこをあけると、中には小さなネコちゃんが入っていた。まっくろで、ちょっときもちわるい。でもネコだからかわいい。

とてもさむい日だったから、このままではしんでしまう、とわたしは思った。

だから、さとちゃんとあみちゃんにそうだんしてみると、二人とも、

「かおう。かわいいから」

と言った。

わたしはちょっとこわかった。きっといろんな人におこられると思ったから、それはいやだったので。

でも、さとちゃんとあみちゃんはかおうと言うし、ネコちゃんはかわいかったから、やっぱり、めんどうを見ることにした。

 

まちの人たちにみつからないように、こそこそ、ダンボールをはこぶ。

わたしの家の「はなれそうこ」のウラならきっとだれもこないだろうから、そこまでダンボールをもっていこう。

なんかいもダンボールの中を見ながら、ゆっくりとはこんだ。

いつみても、くろネコはぷるぷるとふるえている。

「はやくしよう。さむそうだし」

「みつかっちゃダメ」

「まって、まって」

ちょっとケンカみたいになりながら、わたしたちは「はなれそうこ」へとやってきた。

 

ネコちゃんはふるえている。

とりあえずあたためなきゃと思って、わたしたちはこうたいでネコをだっこした。ぷるぷるふるえているくせに、とてもあたたかい。ストーブのよこにおいてあるざぶとんみたいに、なんだかねむくなるようなかんじ。

つぎに、なにかたべものとのみものをあげよう。これはさとちゃんが言った。さとちゃんはとてもかしこいから、わたしとあみちゃんは、さとちゃんの言うとおりにした。

 

わたしは家からこっそりぎゅうにゅうをもってきて、あみちゃんはごはんののこりみたいなのをもってきた。

さとちゃんはそれをまぜて、赤ちゃんのたべものみたいにして、ネコちゃんのまえに出した。

まっくろなネコちゃんは、ちょっとだけそれをなめた。

そのときは、わたしたちはとてもよろこんだけれど、なめるだけで、ぜんぜんたべてくれない。

どうしよう。

どうしよう、と思っても、なにもおもいつかない。

「たべないと、ネコちゃんはしんじゃう」

と言って、あみちゃんはなきだした。

それにつられて、あたまのいいさとちゃんまでなきだしてしまった。

わたしはなかないぞ、と心の中でつよく思うけど、なんだか、すこしずつかなしくなってきて、ついにはちょっとないてしまった。

「あんたたちなにしてんの!」

大きなこえがきこえたのでふりむくと、そこにはお母さんがいた。

わたしはないていたし、いきがつまって、なにもいうことができない。

「あら、ネコちゃん」

「おばさん、このネコちゃん、しんじゃうから、なんとかして」

かおをくしゃくしゃにしたあみちゃんが、おかあさんに言った。

「なんとか、ねえ……」

おかあさんはうでをくんだまま、なくわたしたちをみて、それからはこの中のネコちゃんをみて、言った。

「よし、じゃあきみたちはこのはこを家まではこんでくれない?」

わたしは、てっきりおこられるかと思ったので、びっくりした。

「はこんでどうするの?」

「どうするもなにも……あんた、ちゃーんと、めんどう見るのよ。今日から、あんたが、ネコちゃんのお母さんね」

その日から、まっくろなネコちゃんは、わたしの家にすむことになった。

そして、わたしはネコちゃんのお母さんになった。


とある、冬

私は目が覚めた。

時計の針を確認たら、なんと二時間も寝てしまっていたようだ。我ながらグウタラにも程がある。

「こんなんじゃ、お嫁にもいけないかも――」

話しかけた編みカゴの中に、黒猫はいなかった。

 

「お母さん、猫」

「猫がどうしたの」

「いないんだけど、見てない?」

「……私は見てないよ。台所には来てない」

私は家の中を探し回ったが、どこにも黒猫の姿はない。

玄関の電気をつけて扉の横の猫出入り口のあたりを見てみると、みぞれみたいになって残った雪に、小さな小さな足跡が残っていた。

今日は一段と冷える雪の夜である。

「ちょっと、外見てくる!」

私は部屋着のまま、外へ飛び出した。

 

玄関の前から庭のほうへと、猫が通った跡が雪の上にくっきりとついている。深い雪を飛び越え踏み締めながら進んだ跡。

家の明かりを頼りに、その跡をなるべく踏まないように気をつけながらたどっていく。

「猫は自分で死に場所を決めるんだって。だから、黒猫ちゃんがうごけなくなっちゃったほうが、そこにいてくれるほうが、悲しくはないかもねー」

いつだか亜美がこんなことを言っていた。

そうだろうか。猫だって自由にやりたいはずだ、猫はみんな縛られるのが嫌いだから。動きたくても動けない猫を見るほうが、私は心苦しい。

と、その時は思っていた。

だけど、今の私は不安で仕方なかった。その時の自分に「ほらみろ」と言ってやりたいくらいだった。

「まあ、猫が何考えてるかは知らないけどさ」

さっきのセリフの最後に、亜美が付け加えた言葉だ。

そこまで思い出して、私はふと、怒りの遣る方を無くしてしまった。

お門違いな怒りを寒さで冷やすように、ゆっくりと、足跡をたどる作業に専念する。

 

自慢の庭ではあるけれど、そんなに広くもない庭だ。

あっというまに、生垣の行き止まりへとたどり着いてしまった。

背の低い二本の木の間へと、猫の小路は続いているみたいだったけど、ちょっと暗くて分からない。

私は身をかがめて四つんばいになり、その木の間へと身体をねじ込んだ。

が、その拍子に木からはばさばさと雪が落ちてきて、私は雪の中へと埋もれてしまった。

「なにやってんのよ……私」

私は雪に埋もれてひとりごちた。

と、その時。

夜のどこからか、誰かの笑い声が聞こえたような気がした。

しばらく動きを止めて耳を済ませてみても、もう何も聞こえない。

ただ、泣きたいような笑いたいような温かい気持ちが体中を巡っていく音だけが、私の身体に響いていた。

 

私は立ち上がり、降りかかった雪を払い落とした。

「まったく、猫又になるんじゃなかったの」

私はうわごとのように呟いて星空を見上げた。

いつの間にか雪は止んでいて、風もなく、何の音もしない。真空パックの中みたいな無音の空には、たくさんの星々が輝いていた。息を吐くたびに、小さな入道雲みたいな息の塊が部屋の明かりで照らし出され、その星空を少しだけ隠してしまう。

私はなるべく穏やかな呼吸を心がけて、少しでも長く星空を見ようと努力する。

まるで、プラネタリウムみたいな夜空。

プラネタリウムが先か、星が先か。

猫又なら分かるのかな。

私は、地上に向かってまっすぐに輝く星たちを見つめながら、ほんの少しの間だけ、昔のことを思い出していた。

 

 

(了)



読者登録

吉田岡さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について