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 0 そうめん



 僕たちは、学校の食堂でそうめんを囲んでいた。
 時刻は8時。朝ではなく夜のだ。
 あたりには僕たち4人以外に誰もいない。
 こんな時間に食堂に来るような生徒はいないだろうし、そもそもこの校舎には24時間僕たちと一部の例外を除き、誰もいない。
 僕たちは使われなくなった校舎、通称旧校舎で寝食を共にしているのだった。
 僕がいかにして旧校舎で日常生活を送ることになったかとか、そこでの出来事等々を語る前に、さしあたって、3人の家出少女を紹介しよう。

 まずは僕の正面の席から立ち上がって、色付きのそうめんを収集しているのは佐渡帆希(さわたり ほまれ)。
 同じ学年の女子で、僕よりも一月ほど前から旧校舎に住み着いていた少女だ。僕がここに住むきっかけとなった人物でもある。
 ゲームが趣味だけど、その腕前はちょっとばかり悲劇的なので、あまり言及しない方が良いだろう。
 かなりのお嬢様で、箱入り娘というか世間知らずというか、色々残念な体験には事欠かない。
「何だ蕗乃(ふきの)、残念そうな顔をして……ハッ! さては私の色付きそうめんがうらやましくなったんだな!? よしよし、1本だけあげよう!」
 帆希は箸でピンク色のそうめんを掬うと、僕の方に身を乗り出してきた。あー、机の上をちゃんと見ないと……
「うわっひゃ! コップ倒しちゃった! 布巾布巾!」
 
 ……次に、僕の左隣で黙々と麺をすすっているのが茜橋凛々(あかねばし りり)。数えていないけど、既に20杯くらいはおかわりしているんじゃないだろうか。
 彼女も僕たちと同じ学年だ。成績はトップクラスなものの、道を覚えるのが苦手で、常に学校内をさまよっている。
 もうここに来てから数週間経つけど、いまだに旧校舎内で大規模な捜索が行われることがある。
 できるだけ彼女から目を離さないようにしないと。
「……ふーちゃん、そんなに見られたら恥ずかしい」

 そして僕の右隣、ほとんどくっつきそうな距離の場所にいるのが僕の妹の雪乃(ゆきの)。中学3年生。
 彼女については出来るだけ話したくないというか、深く考えようとすると身体が震え、胃が痛み出す。
 帆希が、僕が旧校舎で暮らすきっかけだとすると、雪乃は僕が実家を飛び出した元凶だ。
 それが何故また同じ場所で暮らす羽目になってしまったのか。帆希と凛々がいなかったらとっくに再度の逃亡を検討しているところだ。
「お兄ちゃん、何で食事中にぶつぶつひとりごと言いながら頭抱え込んでるの? 悩みがあるならベッドの上で聞くよ?」
 たぶん彼女が、悩みの原因が自分だって事に気付くことは無いんだろうなぁ……。

「蕗乃。悲しいお知らせがある。蕗乃がひとりごと言ってる間にうっかりそうめん全部食べちゃった……」
「うおおっ! しまった! まだ一杯も食べてなかった!」
「ごめんふーちゃん。我慢できなかった」
「私のお椀にまだ少し残ってるから口移しで食べさせてあげるよ」
 ……まあそんな感じの日常が続くのだった。


 1 家出少女と旧校舎



 化学の先生の髪が実はカツラなんじゃないかとか、古文の先生が昔暴走族だったとか、とかく学校にはゴシップ・噂話が絶えないものだけど、旧校舎に関する話もそのうちの1つだった。
 どうやら女の子の幽霊が出るらしい。

 僕が通うこの高校の校舎は、今年に入ってから完成した建物で、丘の麓に建っている。
 だけど僕が去年ここの学園祭に来たときは、校舎は丘の頂上に建っていた。新しい校舎が建った現在でも残されているその建物は、今では旧校舎と呼ばれている。
 その旧校舎は、特にどこかにガタが来ているというわけでもなく、古い木造校舎とかでもない、どこにでもあるような校舎だった。規模も今の校舎と変わらない。つまり、建て替える必要性は全く感じなかった。
 そんな旧校舎だけど、現在は使われていない。
 部活とか、委員会とか、補習とか、そんなことに使われている様子も一切ない。もぬけの殻のはずだ。
 建て替えの理由に関して生徒の間で色々な噂が立つのは当然だった。
 ある人は耐震構造に問題があったからだと言い、ある人は化学の実験に失敗して有毒な物質が蔓延したからだと言い、ある人は、自殺した生徒の幽霊が出るからだと言った。
 だけどどの意見も決定打に欠けていた。
  もし旧校舎に何らかの問題があるんなら、まずは取り壊してから、その跡地に新校舎を建てるのが普通じゃないだろうか。
 色々な謎を孕み、噂好きな生徒の興味を引きつつも手がかりをつかめないままだった旧校舎問題だけど、最近になって新たな進展があった。
 幽霊を見た人が複数現れたのだ。
 その少女の幽霊は、旧校舎の屋上あたりをぐるぐると行ったり来たりしているところを、新校舎の屋上やグラウンドから目撃されたらしい。
 僕はクラスの女子が話しているのを離れたところから何となく聞いていただけだったけど、どうやら学年や性別を問わず、目撃者が数人いるみたいだ。
 しかし、その真偽を直接確認した生徒は、僕が知る限りでは皆無だった。
 その理由は単純で、旧校舎が現在立ち入り禁止区域になっていて、門も閉じられていて、新学年が始まって2週間で早くも規律を乱そうとするような生徒はこの高校にはいないからだ。
 そしてそれは、僕が旧校舎に侵入しなくてはならない理由でもあった。
 僕の趣味は隠れ家を探すことだ。誰もいない場所で、お弁当を食べたり、携帯ゲーム機で遊んだりするのは、僕にとって至福の時間だった。
 幽霊が出る、しかも誰にも使われていない校舎なんて、隠れ家として最高じゃないか。
 以前テンションが上がりすぎて部屋でマイケルのダンスを激しく踊っていたところを偶然妹に見られたときは、3日間ご飯も喉を通らなかった。
 だが旧校舎では恥ずかしいことをしても見られる心配はあまりないだろうし、見られたとしても幽霊の仕業になるだろう。
 マイケルのダンスを踊る幽霊が学校の怪談として適切かどうかはともかくとして。
 これで一人遊びにも拍車がかかるというものだ。

 そんな訳で、僕には友達がいなかった。

 ……まあそんな事はどうでも良くて、とにかく僕は、人が見ていないときを見計らって、坂道をふさぐ立ち入り禁止のポールを越え、足早に丘の上に向かった。
 しばらく黙々と坂を登る行為を続けるとようやく旧校舎の門が見えた。去年までの生徒は毎日この坂を上っていたのか……。
 門は当然鍵がかかっていたものの、その攻略は簡単で、ただ脇にある植え込みに上って入ればいいだけだった。
 そしていよいよ一番の難所である建物の扉が目の前に現れた。
 まあ、ここに鍵がかかっていたらもうどうしようもないし、さすがにそこまでして隠れ家を探すこともない。ここのグラウンドを独り占めできるだけでも大きな成果だ。
 と思ったけど、驚いたことに、扉には鍵がかかっていなかった。
 僕は少し戸惑いを覚えながらも、めでたく建物内への侵入を果たした。

 下駄箱を越えて廊下に出ると、そこにはカーペットが敷かれていた。
 それも、学園祭の時に敷かれていたような安っぽいマットではなく、豪邸にあるようなカーペットだった。土足で歩くのは少し躊躇われるので、なるべく脇を通りたくなるような。
 そして、壁には絵画がかけられていた。
 カーテンが閉じられていて外からは気付かなかったけど、明かりも点いている。
 これらのことを総合すると……、
「この建物、普通に使われてるじゃん」
 話が違う。がっかりだ。
 っていうかこれはまずい。
 立ち入り禁止の看板がある以上、生徒はここを使用しないはずだ。
 そこらじゅうに飾られている高級な調度品などから類推するに、今ここを使っているのは先生かそれ以上の人達だろう。
 このままでは隠れ家に使えないどころか、見つかって怒られる可能性が高い。すぐに出た方がいいな。
 そう思って、下駄箱の方に踵を返すと同時に、目の前にある女子トイレから、水の流れる音と足音がした。
 やばい! 見つかる!
 僕はなるべく音をたてないように走ってそばにあるガラス扉を開け、中庭に出た。
 しかし、ここはよく見たら廊下の窓から丸見えだった。反対側の窓と違い、こっち側の窓にはカーテンがかかっていなかった。
 このままでは見つかってしまう。
 焦りながら辺りを見回すと、庭の真ん中に巨大なゴリラの銅像があり、その側には地下に続く階段があった。
 僕は数瞬迷った後、そこに飛び込んだ。
 それは銅像を取り囲むような螺旋階段だった。去年学園祭に来たときはこんな階段はなかったと思う。電気もしっかり点いてるし、おそらく、現在この学校を使っている人のために後から作られた階段だろう。
 だとしたら、ここに逃げ込んでしまったのは、わざわざ敵のアジトに飛び込むような行為だけど、今更引き返すわけにもいかない。
 しばらく螺旋にそって降りると、下のほうから水音が聞こえてきた。
 それと共に微かに聞こえる……鼻歌? 
 僕は螺旋階段を下りると、音がする方に向かった。
  本来ならここから逃げたほうが良いんだろうけど、テンポと音程を大きく外したような、緊張感とはかけ離れた呑気な鼻歌に引き込まれてしまった。
 廊下を進んで、のれんをくぐると、かごや体重計、扇風機や洗濯機などが置かれている部屋があった。そしてその先の扉を開けると、
 そこには、全裸の美少女がいた。

「ふんふふふんてっててー♪」
 その黒髪の少女は、鼻歌を歌いながらシャワーを浴びていた。
 しまった! お風呂場に迷い込んでしまった!
 旧校舎に勝手に進入したことに加え、覗きまで……もしこの事が先生にばれたら……うふふ、退学もあり得るかも……。
 僕が器用に顔を赤くしたり青くしたりさせながら慌てふためいていると、
「誰かいるのか?」
 やばい、気付かれた!
 僕は一目散にこの部屋……脱衣所から逃げ出そうとする。
 が、その辺に脱ぎ捨ててあった、少女のものと思われる衣類――この学校の制服だ――でうっかり滑って転んでしまった。
 慌てて起きあがり、後ろを向きながら再び遁走しようとすると、今度は少女が食べ散らかしたと思われるバナナの皮につまずいてしまった。
「んぎゃっ!」
 尻餅をついた拍子に、僕は後ろにあったゴミ箱にすっぽり入り込んでしまった。
「うおお、抜けない!」
 お尻がはまって身動きがとれない! 体を揺すって何とか脱出を試みようとすると、ゴミ箱が倒れ、僕の体ごとコロコロと転がる。
 そこに、先ほどの美少女がお風呂場からでてきた。
 少女は僕の姿を確認すると、慌ててバスタオルを体に巻き付け、こちらにやってきた。
 これから先生達に突き出されるのだろうか。
  こんな情けない格好で。
  それで退学になったら離れて暮らしている両親や妹はどう思うだろう。
 僕が絶望的な気分に包まれていると、
「可哀想に、みんなに捨てられたんだな……」
 少女が意味の分からないことを言い出した。
「クラスのみんなに邪魔者扱いされてゴミ箱に捨てられ、命からがら坂道を転がり上がって逃げてきたんだろ?」
「どんな解釈だ!」
 僕は自分の立場も忘れて叫んだ。
 ゴミ箱にはまりながら坂道を転がり上るって……なかなか壮絶なストーリーだ。
「違うのか? でもゴミ箱にはまっていることに、他にどんな解釈が?」
「そうだなあ、たとえばお風呂を覗いていたのがばれて、慌てて逃げようとしたら転けてすっぽりはまっちゃったとか」
「あはは! そんなマヌケな奴がいるわけないだろう!」
 裸にバスタオル1枚の少女は、ひとしきり笑うと、僕を倒れている状態から起こして、肩に手を置き、悲しい目を向けた。
「私に気を使わせないように冗談を言っているんだろう? 君は優しいな」
 僕は普通に正直に話してるだけなのに、罪悪感で押しつぶされそうだ!
 でも誤解が解けたら解けたで、退学が待ち受けているだけなので、僕は慌てて話題を変えた。
「と、ところで君はこの学校の生徒だよね? ここは立ち入り禁止だよ? 何でここにいるの?」
 それは本来僕に向けられるべき質問だろうとセルフ突っ込みをしつつ、尋ねた。
「何でもなにも、ここは私の家だぞ」
「へ?」
「ここで自立して一人暮らしをしているのだ! 偉いだろう」
 えっへん、と胸を張る美少女。
「パパが私のことをいつまでも子供扱いして、着替えを手伝おうとしたり、学校に毎日車で送り迎えしたりするのが鬱陶しいから、家出した!」
「家出!?」
「高校に入ったら一人暮らしさせてくれないともう2度と一緒にお風呂に入ってあげないって言ったら、新しい校舎を造って、古い校舎は私に譲ってくれることになった。ここなら一人で登下校しても安全だからって」
「新しい校舎って、そんな事……」
「パパはこの学校の理事長だし、お金がたくさんあるからそんなの簡単にできちゃうのだ!」
 ニコニコと無邪気な笑顔を僕に向ける少女。理事長の娘だったのか……っていうか、
「そんな理由で新校舎が誕生したのか……」
 僕はがっくりとうなだれた。知らない方が良かった……。
 それから彼女は僕をゴミ箱から引き出してくれた。
 僕はそれはもう見事にゴミ箱にはまりこんでいて、一生懸命僕の両腕を引っ張ってくれていた少女も徐々に、「これが最新のファッションだと主張すれば……」とか、「でんでん虫やヤドカリのような生活も悪くないぞ……」などと弱気な発言をするようになったものの、何とか抜け出すことができた。
 抜けるときに、勢いが余って彼女を押し倒してしまい、その拍子に彼女のバスタオルが外れるアクシデントが発生したものの、お互いに忘れることにした。

 彼女はバスローブを羽織り、僕たちは、旧校舎の5階に移動した。その階の端から2番目の教室が、彼女の部屋だった。
「そういえば名前を聞いていなかったな」
「僕は1年2組の雨降蕗乃」
「蕗乃か。私は佐渡帆希。帆希と呼んでくれ。クラスは1組だ……と、ここが私の部屋だ。着替えるから少し待っていてくれ」
 帆希は教室の前で僕を待たせると、部屋の中に入っていった。
 ちなみに、教室の扉は一部がガラス張りになっているから、簡単に中を覗けるけど、もちろんそんなことはしない。
 しばらくして彼女に呼ばれて中に入ると、そこにはタンスやら天蓋付きのベッドやら色々なものが揃っていて、とても元教室とは思えなかった。
「凄いだろう!? メイドに私の部屋の物を全部運んで貰った。部屋の掃除は私が学校に行ってる間にメイドが全部やってくれるから楽だし」
「それを自立した一人暮らしと言えるのか?」
「むー、そんなこと言って、蕗乃は一人暮らしなんかしたことないだろ?」
「いや、寮だから一応一人暮らしじゃないかな? まあ寮費は親に出して貰ってるし、仕送りもして貰ってるから自立してるわけじゃないけど」
「なるほど……寮……寮か……」
 腕を組み、思案顔の帆希。突然彼女は悪人のような笑みを浮かべた。
「つまり、蕗乃が突然いなくなっても、家族は気付かないんだな」
「一体何を企んでるんだ!?」
 思わず後ずさる僕。
 まだ出会ってから少ししか経ってないけど、早くも彼女の思考についていけない感があるな……。
「よし、今日からここで一緒に暮らそう!」
「え」
「家出した者同士肩を寄せあって生きていこうじゃないか」
「いや、別に僕は家出してきたわけじゃ……ちゃんと寮だってあるし」
「ここだって寮みたいなものだぞ。むしろここの方が学校に近いし、一体何の不満があるんだ?」
 不満……は特にないけど、突然そんなこと言われても普通は困るだろう。
  寮での生活にもやっと慣れ始めた頃だし。それに今日知り合ったばかりの女の子と二人暮らしっていうのもなあ……。
  僕がブルドッグのような渋い顔をしていると、
「たのむ! ここに引っ越してきてくれ! 寮への連絡とか、荷物の移動とか面倒な作業は全部私……のメイドがやるから!」
「何でそんなに必死なんだよ!?」
 僕の肩をつかんでしつこく食い下がる帆希を不審に思いつっこむと、彼女は俯いてぽつりとつぶやいた。
「寂しいのだ……」
「えっ」
「こんな広い校舎に一人きりで、理事長の娘は狙われやすいからって一人で学校の敷地の外に出ることは禁止されてて、結局家にいるのと大して変わらないし、友達も出来ないし、料理もうまくいかないし、楽しみといえば孤独を紛らわせるためにネット通販で大量に買い込んだゲームや漫画だけ……。自分で望んで一人暮らしを始めたのに……」
「あー……」
 確かにこの広い校舎で一人で暮らすのはきついかもしれない。
  隠れ家にするのと、本当に住処にするのとではぜんぜん違う。
「3日くらいは裸で広い校舎を走り回ったりして楽しめるかもしれないけど、そんなのはすぐに飽きるだろうし、なかなか退屈そうだねぇ……」
「いや、私は別に裸になったりはしなかったけど……」
 何故か少し引いている感じの帆希だった。裸になる程度ではお嬢様には刺激が足りないのかな……。 
「パパには自立するとか偉そうなこといったのに、本当は逃げてるだけだった……」
 帆希の目には涙がにじんでいた。僕は女の子の涙に多少うろたえながら、
「僕も一人でしっかり生活できるようになろうと思って、わざわざ家から離れた学校を選んだ……つもりだったんだけどさ、本当は家族から逃げたかっただけなのかもしれない」
「家庭に何か問題でもあるのか? よかったら、私に話してくれないか? 何か力になれるかも……」
 涙を拭いて僕の目を見つめてくる帆希。
「僕の妹は……ストーカーなんだ」
 我ながら残念な告白だった。
  帆希は何を言っているかわからないというような顔をしている。
  だけど事実なんだ。詳しいことは別の機会に話すけど。
「だから僕は妹から逃げるようにして家を出た。きっと大抵の人はそんな感じだぜ」
 ストーカーな妹はいなくても。
 家族から。
 生まれ育った町から。
 あるいは自分から。
 逃げて、逃げ回って、でも「逃げている自分」からは逃げられなくて、仕方なく向き合っていくうちに、いつのまにか自立しているのかもしれない。
「蕗乃……」
 何か言おうとする帆希を遮る。
「それよりゲームしよう」
「えっ?」
 突然の話題の切り替えにきょとんとした顔を見せる帆希。
「ゲーム、大量に買い込んだって言ってただろ? 寮だとそういうの禁止だからさ、そろそろ禁断症状が出そうなんだ。対戦しようぜ。ああ、しばらく、具体的に言えば卒業するくらいまで、ここに住み込んでゲームをやって暮らしたいもんだ」
 僕は半ば勢いに任せて、早口で言った。
「蕗乃! じゃあ……」
「もう寮には帰らないぜ。さっそく絶縁状をしたためよう」
「ありがとう! 蕗乃!」
 喜びのあまり高く飛び上がり、僕の腕に飛びついてくる帆希だったが、僕は恥ずかしいのでさっと身をかわした。
「べ、別に同情したからとかじゃないぞ。ただ、僕も友達いないし、規則が多い寮にうんざりしてたから、こっちに来た方が楽しそうだなって……。この前だって、手頃な板を見つけたから寮の共同浴場でサーフィンごっこしてたらめちゃくちゃ怒られたし」
「それは酷い話だな。あれ楽しいのに」
 おお、僕の趣味に共感してくれる人がここに……。
 喜びのあまり高く飛び上がり、帆希の腕に飛びつく僕だったが、帆希は普通に迷惑そうにさっと身をかわした。
 僕はしばらく落ち込んだものの、すぐに気を取り直した。
「そんな事より、ゲームだゲーム」
 僕はゲームを捜し求めてゾンビのように辺りを徘徊し始めた。
  帆希はしばらく俯いて、それからニヤッと笑った。
「私は強いぞ。何しろゲームばかりやってたからな」
 こうして、僕は寮から家出して、旧校舎で暮らすことになった。













 2 旧校舎案内



「ギィエェ~! また負けた~!」
 旧校舎に少女の叫び声が響きわたる。
 僕と、その隣で悔しげな顔でプルプルと震えている帆希は、5階の一番端にあるレクリエーションルームでひたすら格闘ゲームやレースゲームをプレイしていた。
 が、帆希は致命的なほど弱かった。
 何回か対戦して、数回負ける度に別のソフトに変えて……ということを繰り返したけど、ほとんど僕の圧勝だった。
  普段RPGやアクションしかやらないから、初めて触ったゲームばかりだったのに……。
 帆希は負ける度にどんどん機嫌が悪くなり、今や学園の理事長の娘というよりは番長の風格を漂わせている。
 たまにわざと負けようとすると、帆希はポーズボタンを押して、
「なんだその腑抜けた動きは? かつて私に最高の好敵手と言わしめた蕗乃はどこにいってしまったんだ? さあ、真の力を私に見せよ!」
 などと言ってくる。少しは察して欲しい。
 その後、違うタイプのゲームで流れを変えようと思い、コントローラーを振り回したり台の上でバランスをとったりするゲームもしたけど、結果は大して変わらず、というよりむしろ悪くなった。
 帆希は、勢いよくコントローラーを振りすぎて僕の顔を殴打してしまったり、台の上でバランスを崩して後ろに座っていた僕の上で尻餅をついたりした。
 そのうち、まともに対戦したのでは分が悪いと思ったのか、僕がプレイしているときにわざと体当たりしてきたり、体をくすぐってきたりしてきた。それでも僕が勝った。
 そんなことを延々と繰り返し、夜は更けていった。
 深夜2時頃。僕がパズルゲームで連勝記録を重ねていると、帆希は、
「まあ、新しく入った仲間に花を持たせるのもリーダーのつとめか……」
 などと涙目で負け惜しみを言うと、ゲームの電源を切って立ち上がった。
「あ、もう寝るの? 実は僕もさっきから半分寝ながらプレイしてたんだけど、僕はどこで寝ればいいかな?」
「な、何……、あのプレイが……半分寝ながらだと……?」
「ああ、うん……」
 っていうか、僕はほとんど適当にやってただけなんだけど、帆希がものすごい速さで自滅するから……。
 帆希はしばらく下を向いて押し黙っていたが、
「……そうだ、校舎を案内してやろう」
「えっ? いや、もう深夜だから今日は寝てまた明日に……」
「や! だ! 今日これから案内する!」 
 目に涙を浮かべて叫ぶ帆希。
  うーん、機嫌悪いなあ……。ここはひとまず言うとおりにしておこう。

 僕たちは部屋を出ると、1階に降りた。
  一旦中庭に出て、昼間、帆希と出会ったお風呂場に続く螺旋階段を下りる。しかし、お風呂場には入らずに、脇にある通路をどんどん進んでいった。
  そこには鍵のかかった扉があった。
「この扉を開けると新校舎の中に出る。登下校の時はこれを使ってくれ」
 そう言うと帆希は僕に鍵を渡した。
「セキュリティーの問題があるから必ず鍵をかけてくれよ。といっても私もたまにかけ忘れるけど」
  それからすたすたと来た道を戻り、今度は食堂に向かった。
 食堂は、まだこの校舎が使われていた頃とあまり変わっていないようで、たくさんの長机と椅子が並んでいる。
  周りはガラス張りで、外の草花を眺めながら食事が出来るようになっているけど、たった二人でこの広い食堂を使うのはちょっと寂しいかもしれない。
「朝ごはんと夜ご飯はここで一緒に食べよう」
 帆希は笑顔でそう言ってから、少し恥ずかしそうに、
「悪いけど、ご飯は毎回蕗乃が作ってくれないか?」  
「えっ、帆希は作れないの?」
「作ったことはある。あれは1ヶ月前、私がここに引っ越した日だ。自立した一人前の生活に憧れていた私は張り切って料理を作ろうとした。チキンカレーだ。初めての一人暮らしにテンションが上がっていた私はレシピも読まずに適当な具材を鍋に詰め込み、煮込んだ。校舎全体を包む異臭に気付き、火を止めて鍋のふたを開け、中身を一口食べた私は、次の瞬間には何故か全裸でケタケタ笑いながらグラウンドで踊ってた。間の記憶は全くなかったからどんな味だったかもわからない。食堂の大鍋で作ったから、それからもずっと三食カレーの日が続いたが、そのたびに記憶を失った。そんな日が3日続いたある晩、ついに私は倒れた。中庭の地面の上で目を覚ましたものの、体が痺れて動かない。メイドには昼間に掃除をしに来るとき以外は来ないように言っていたから、私は次の日までずっとそこで倒れていた。いやあ、あの時は泣いたなあ。その後、結局カレーは傷んでしまって、それを処分するときも泣いたけど……」
「……わかった。食事は僕が作る」
「無理しなくて良いんだぞ。自分で作れないんなら、毎日ピザを注文すればいいだけなんだから」
 ……明日から少し忙しくなりそうだ。
 次に僕たちは体育館に向かった。ここはほとんど新校舎と変わらない。
「ここにはボールとか楽器とか色々な遊び道具を用意してもらった」
 なるほど、バスケットボールやフリスビーなどがあたりに転がっている。
 奥のステージの上を見ると、マイクやアンプ、ギターやドラムなどが埃をかぶっていた。
「……まあ一人で演奏してたらすぐに飽きたけど。で、でも蕗乃が来たからこれからは二人でバンドを組んで猛練習するぞ! 一緒に武道館で演奏しよう!」
 言いながら帆希はすぐに出ていって次の場所に向かった。
  二人で楽器の練習をする日は来るのだろうか……?
 それからプール。
 新校舎ではプールは屋内にあるけど、こっちのプールは外にあった。中には水が張ったままで、葉っぱやら何やらで汚れていた。
「最初の頃は地下のお風呂場を使わないで、このプールにお湯を入れてお風呂の代わりにしていた。一度誰もいないプールで好きに泳いでみたかったんだ。でも3月の夜の気候は泳ぐには少し冷たかった……」
 校舎の中もいくつか案内してくれたけど、ほとんどの教室は、物が撤去してあってもぬけの殻だった。帆希が使っている5階以外の階はほとんど用はなさそうだ。

 5階まで戻ると、帆希はそのまま階段を上って屋上に出た。
「ここから見える風景は、私のお気に入りだ」
 僕の周囲には、誰もいないグラウンドや、丘を覆う木々、遠くの方に見える街の灯りや、更にその向こうに見える山、そして、頭上には星空が広がっていた。
「一人暮らしを始めてから、正直あまり良いことはなかったけど、ここからの景色を独り占めできるだけで良かったと思える」
「でもそれももう独り占めじゃなくなっちゃったな」
「ああ。二人だけの秘密だ」
 何気ない彼女の言葉にドキッとして振り向くと、そこには月明かりに照らされた帆希の横顔があった。
 ゲームで対戦しているときは子供っぽいと思っていたけど、今は思わず見とれてしまうほど大人びていて、僕は……、
「でもこの夜空も良い思い出ばかりでもないな。2週間ほど前、あまりにも星空がきれいだから、メイドに頼み込んでベッドを屋上に持ってきてもらって、星を見ながら寝ることにしたんだ。次の日、起きてみると私が寝ている間に雨が降ったみたいで、周囲はびしょびしょ、もちろんベッドも使い物にならなくなるし、私もひどい風邪を引いた。唯一良かったことと言えば濡れたおかげでおねしょがごまかせたことくらいで……」
「僕のときめきを返せ!」
 彼女が口を開く度に残念なエピソードが明らかになっている気がする。
  
 そんな感じで案内を終え、5階のレクリエーションルームに戻ると、帆希は、
「あー、疲れた。もうお風呂に入って寝よう」
 と言って、下のお風呂場の方に歩き始めた。
「そういえば、さっきも言ったけど、僕はどこで寝ればいいの?」
「ん……、蕗乃は私の部屋の隣を使ってもらう予定だけど、まだベッドとかは用意してないから……、私と一緒に寝るか?」
「なっ……!」
「あはは、冗談だ。大人は一人で眠るものだからな。隣にパパとママがいないと眠れなかったのは先月までの話だ」
「なっ……!」
「じゃあどうしようか……」
 僕の衝撃をよそに、腕組みをして考え込む帆希。
「そうだ! 寝るのにちょうど良い教室があった! 今からちょっと準備してくる!」
 そういうと彼女は部屋を飛び出して下に降りてしまった。
 待っている間、手持ちぶさたなので、散らかったままのゲームを片づけていると、帆希が戻ってきた。
「さあ、とびっきりの部屋を用意したぞ。そこで寝たら安眠間違いなし」
 いやな予感がしつつも、しぶしぶ牛歩で帆希のあとをついて階段を下りる。
 4階の奥の教室の前で止まると、彼女は僕に中に入るように促した。
 おそるおそる扉を開けて、一歩踏み出すと、そこにはいくつか机が並べられていて、机上には何やらスライムのような粘液が広がっていた。
 その横には人体模型が横たえられている。
 机の端にはビーカーが置かれていて、そこからもくもくと怪しげな煙が出ていて、何かが腐ったような強烈なにおいがする。
「えーと、これは一体……」
「凄いだろう!? 私が考案したスイートルームだ! ベッドはちょっと堅いけど、特殊な粘液が身体を優しく包み込んでくれて暖かい。それに人体模型を抱き枕の代わりにすることにより得られる安心感は何物にも代え難い。極めつけは私が特別に調合した安眠香! これを使えば不眠症とは縁のない人生を送れるはず」
「ああ。その場で永眠するだろうからな……」
 寮に帰りたくなってきた。
 僕はそのスイートルームという名の拷問部屋での睡眠を丁重にお断りすると、結局レクリエーションルームで寝ることにした。
 ここのソファーだって、結構暖かいからな。慣れれば寮のベッドより安眠できるかもしれない。

 帆希が隣の自室に戻った後、電気を消してソファーに横たわる。
 目を閉じて、微睡みながらも今日のことを思い出す。
 帆希と出会ったこと。
 ゲームで連戦連勝したこと。
 校舎の案内で残念なエピソードを聴かされたこと。
 スイートルームと称して魔術の儀式のような場所で寝させられそうになったこと。
 まあ、色々あったけど――
「蕗乃、起きてるか?」
 ゆっくりと扉が開いて、帆希が部屋に入ってきた。
 電気をつけずに、静かにソファーに近づいてくる。
「こんなのしかなかったけど、暖かいぞ」
 僕の体が何か柔らかくて暖かい物で覆われる。おそらく帆希が使っているブランケットだろう。
「おやすみ、蕗乃」
 ――ここに来てよかったかもしれない。そう思いながら眠りに落ちる僕だった。










 3 迷子少女



 旧校舎に引っ越した3日後、僕は憂鬱な気分で廊下を歩いていた。
 ここは2階で、あたりには空き教室や図書室くらいしかない。僕がこの階をのんびり歩くのは初めての事だ。
 帆希はまだ寝ている。
 今日は日曜だ。
 僕が何故そんな休日にダウナーな気分で、人目を避けるように歩いているのかというと、昨日の朝、
「約束通り寮を出る手続きはメイドさんに頼んでやっておいてもらったぞ」
 と言われて、手早い対応に感心しつつ学校に行くと、教室内に、僕が寮で隣の部屋の男子に夜這いを仕掛けて追い出されたという噂が広まっていた。
「こんな手続きの仕方があるか!」
 僕は憤怒したものの、帆希は普通に退寮の手続きをしてもらうように頼んだだけで、すべてはメイドさんの独断だったようなので、本気で帆希を怒るわけにもいかず、昨日は一日掛かりで誤解を解いてまわったのだ。
 途中からは帆希の部下の諜報部隊にも協力してもらったおかげで、下校時刻までには誤解はほとんど解けた。
 それどころか、情報操作が効きすぎて、僕は聖人君子であるとか、神の生まれ変わりであるとかいう噂が広まってしまった。お賽銭を投げつけられて体が痛いぜ。
 そんなことがあって、今の僕は肉体的にも精神的にも疲れはてていて、こうして一人で誰もいない廊下をさまよい歩いて気分を紛らせている次第である。

 うろうろしているうちにだんだんテンションがあがってきて、スキップしたり口笛を吹いたりしていると、不意に、ザーッ、という水音が聞こえてきた。
「ひゃあ!」
 僕はびっくりして尻餅をついてしまった。いたた。まったくもう。
「帆希が水道を使ってるのかな?」
 廊下を歩いているうちにもう昼過ぎになってしまったし、さすがに起きる頃だろう。
 しかし、水音はいつまでも止まらない。顔を洗うにしても長すぎる。
 しかも、帆希はいつも5階のトイレを使用してるけど、この水音は今僕がいる2階の近くから聞こえる。
 不審に思って音がする方に向かう。どうやら水音は1階のトイレから聞こえてくるらしい。 もしかしたら誰かけしからん人物が校舎に入り込んだのかもしれない。数日前の僕みたいに。
 そう思うと急に怖くなって、階段の上から声をかけてみる。
「誰かいるの~?」
 すると、何かがぱたぱたとあわてて移動する音が聞こえた。
 僕は恐る恐る下の階に降りて、女子トイレの中を覗いた。
 そこには誰もいなかった。
 水道の方を見ると、一番手前の水道が全開で、激しい水音をたてている。
 床も水浸しだけど、普通に水を出しただけではこうはならないはずだ。まるで頭から水をかぶったような感じだ。
 個室にも誰もいないようなので、とりあえず水道の栓を閉めてから外に出てみると、段ボール箱があった。このあたりはあまり通らないから断言はできないけど、以前はなかったはずだ。
 何より、廊下のど真ん中に置いてあるのが怪しすぎる。
 僕がその段ボール箱に近づくと、それはもそもそと遠ざかっていった。
「誰か中にいるの!?」
 僕は怖くなって叫ぶと、段ボール箱はガサガサと逃げていく。
「待ってくれーい」
 追いかけると、箱は中庭の方に這っていった。
「あ、そっちは……」
 僕が叫ぶと同時に、段ボール箱は地下に続く螺旋階段に入り込んで、そのまま段差をごろごろと転げ落ちていった。
 僕は慌ててその段ボールを追って、お風呂場に続くその階段をかけ降りていった。
 途中、何故か靴下や下着が落ちていたので、それを回収して階下に向かう。
 そこには、段ボール箱と、それにすっぽりとはまりこむような形で、制服を着た少女の姿があった。
「大丈夫か!?」
 少女に大声で声をかけるが、返事はない。
 大変だ、目が渦巻きになってる! 気絶してるんだ!
 とりあえず少女を段ボールから出そうとして、彼女の体や段ボールが濡れていることに気付いた。
 状況から見て、さっき水道を使っていたのは彼女で間違いないだろう。
 おそらく彼女は何らかの理由があって裸で水浴びをしていて、それを僕に気付かれて慌てて最低限の服を着て逃げたんだろう。
 ふとさっき拾った、彼女のものと思われる靴下や下着と、目の前で気絶している彼女自身を見比べる。
 制服とスカートはつけているけど、おそらくその下は……。
 僕は段ボールの中でぎりぎりまでめくれあがったスカートや、水で透けているブラウスの方をなるべく見ないようにして彼女を引っ張りだした。
 幸い数日前ゴミ箱にはまった僕の時とは違って、あっさりと引き出せた。というより、ふやけた段ボールが破けた。
 僕はその少女を床にそっと横たえると、すぐそばにある脱衣所からバスタオルを取ってきて、それでその少女を覆った。
 数分後、ようやく彼女は目を覚ました。
「ん……」
 彼女は体を起こすと、ぼんやりした目で僕を見つめた。
「よかった……。もう目を覚まさないかと思ったよ」
 僕は目頭が熱くなるのを感じたので、手近な布で目を押さえた。
 彼女の方を見ると、顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせているので、金魚の真似をしているのだろうかと思いつつも自分の手の中にある縞々の布切れをよく見ると、それはさっき回収した彼女の下着だった。
 僕は慌てて靴下と下着を彼女に返すと、彼女はそれをひっつかんで後ろに隠した。
「このままじゃ風邪ひくよ。すぐ近くにお風呂があるから、服脱いでシャワー浴びた方がいいよ?」
 何事もなかったかのように紳士的な声色を使う僕だった。
「どこ?」
「ほら、あっちだよ」
 僕がお風呂の方を指し示すと、彼女は立ち上がってそっちの方に向かった。
 が、不意にふらついて、倒れた。
「危ない!」
 僕はとっさに彼女を抱きしめたものの、支えきれず、二人とも床に倒れ込んでしまう。 かろうじて彼女の頭の後ろに手を回して、床との衝突だけは防いだ。
「だ、大丈夫?」
「うん……」
 呆然と僕の方を見上げる少女。
「ふ、ふふ蕗乃……!」
  寒気がして後ろを振り返ると、そこにはパジャマ姿の帆希が立っていた。
 僕の周りにはさっき倒れたときの衝撃でまた下着と靴下が散らばっていた。
 端目からは、僕が少女を押し倒して服を脱がせているように見えるかもしれないな、と僕は思った。

 僕が帆希に叩かれた頬をさすっている間に、帆希は少女からこの旧校舎に入り込んだ経緯を聞き出していた。
「私は元々女子寮に住んでたんだけど、道を覚えるのが人より少し……かなり苦手で、いつも迷子になってほかの部屋の子に案内してもらってたの……」
 少女は話すのが苦手なのか、しばらく黙っていたけど、俯きながらもぽつりぽつりとしゃべり始めた。
「でも木曜日の帰り、いつものように学校内をさまよってたらいつの間にかここに迷い込んでて、誰もいないから道を案内してもらうこともできずに出口を探し続けたの」
「つまりもう3日もずっとここをふらふらしているのか!?」
 帆希が驚愕して叫ぶと、少女は頷いた。
 僕が来た日とほぼ同時に彼女もここに迷い込んでいたのか。全然気付かなかった。
 っていうかこの校舎、家として考えると多少セキュリティーに問題がある気がする。今度帆希と話し合った方が良さそうだ。
「迷うのには慣れたけど、もう限界。お風呂にもずっと入ってないから、我慢できずにトイレの水道の水で体を洗ってたら途中で見つかるし、さっきもお腹が空いてふらついたし……」
 さっきは空腹で倒れたのか。てっきり階段から落ちた衝撃がまだ残っていたのかと……。
 そんなことを思いながら帆希に叩かれた頬をさすっていると、
「大丈夫?」
 少女が僕の頬に触れながら心配そうに言う。
「あ、うん。大丈夫だよ。ありがとう。えっと……」
「茜橋凛々。凛々でいい」
「凛々……。僕は雨降蕗乃。よろしく、凛々」
 凛々はしばらくぼんやりと僕の顔を見つめながら頬をなでていた。僕が恥ずかしくなって顔を背けると、
「むー……」
 帆希がつまらなそうな顔をして僕たちの間に割り込んできた。
「その、さっきは悪かった……。きちんと状況も確認しないで叩いてしまって……。よく考えたら草食系の蕗乃が女の子を押し倒すなんてあり得ないのに……」
 そういうと帆希も僕の頬をなでてきた。
  草食系は余計だ。あと凛々に自己紹介するの忘れてない?
 仕方ない、僕が代わりに紹介する。
「こっちは帆希。この校舎の持ち主だよ」
 凛々は帆希の顔をのぞき込むと、
「つまりあなたがこの複雑なダンジョンのボス……。ということはあなたを倒せば外に出られるのかしら」
 そう言って僕の後ろに隠れて、服の裾をつかんだ。なつかれてしまった……。
「な、なんか私嫌われてないか?」
「そんなことないと思うけど……」
「そ、そうだよな。なあ凛々~、そんな格好じゃ風邪引いちゃうぞ? 親睦を兼ねて私と一緒にお風呂入ろう?」
 帆希が猫なで声を出しながら近づくと、凛々は嫌そうな顔をした。
「なんでボスなんかと一緒に入らないといけないの?」
「そう言わずににゃ~ん!」
 めげずにさらに猫なで声、というかただの猫の物まねをする帆希だったが、
「やだ」
 帆希と凛々は追いかけっこをするように僕のまわりをぐるぐると回った。

 結局長時間に渡る説得により、渋々一緒にお風呂にはいることになった帆希と凛々を待つ間、僕は自分の部屋で宿題をやっていた。
 昨日、僕の部屋にも帆希の部屋にあるような立派なベッドや机が配備され、僕がついこの間までいた寮からも着替えや本などが送られてきた。
 そんなわけで、昨日は午前中に学校が終わってからずっと荷物を整理していて、全然勉強に手をつけていないので、その分を今取り返そうとしているのだった。
 そうは言っても、まだ学校が始まったばかりで、大して授業も進んでいないので、帆希たちが部屋に戻る頃には全部終わってしまった。

「というわけで、凛々もここに引っ越してくることになった」
 帆希は自室で着替えてから僕の部屋に来るなりそう宣言した。
 ちなみに凛々は帆希の服を貸してもらっているようだ。
「えっ? 本当に?」
「うん。また迷子になったら困るから、ここに住んでもらって、私と蕗乃が毎日凛々のクラスまで送り迎えすることになった」
 まあ、学校に登校する度に数日間のサバイバル生活をするんじゃ大変だろうからなあ……。僕たちがそばについていた方がいいかもしれない。
「女子寮の退寮手続きとか、部屋の用意とかは明日学校が終わるまでにメイドさんにやっておいてもらうから、とりあえず今日は私の部屋にきてくれ。寝るときはレクリエーションルームのソファーを使うといい」
「やだ。この部屋で寝る」
 僕のベッドを指さす凛々。
「な、何言ってんだ! それは蕗乃のベッドだぞ! 大人は一人で寝なくちゃいけないんだぞ!」
「そんなことないわ。大人でも子供でも仲がいい人同士は一緒に寝るものなの」
「そ、そうなのか? じゃ、じゃあ、例えば私と蕗乃が一緒に寝てもいいのか?」
「それはだめ。私が一緒に寝るから」
 何故かにらみ合う二人。っていうか……、
「あの、帆希と凛々が一緒に寝ればいいと思うんだけど?」
 僕の提案に、二人は顔を見合わせ、
「そ、そうだな。そうしよう」
「まあ、別にそれでもいいけど……」
 こうして、また旧校舎の住人が一人増えた。
「じゃあ、今日は凛々の歓迎会だ。出前を頼もう! ピザを山ほど頼んで明日の朝まで寝ないでパーティーをしよう」
 そう言うと帆希は僕の部屋を飛びだしていった。
  本気で徹夜するの? ついさっきまで寝る場所の話してたのに……。
  明日学校なんだけどなあ……。
「なあ、帆希はあの通り良い奴なんだから、仲良くしてやってくれよ」
 僕が、先程から何故か帆希を嫌っている感じの凛々をたしなめると、彼女はうつむいて、
「ふーちゃんが言うのなら……」
 ふ、ふーちゃん……? 
「そ、そう言えば、何かさっきから僕にやけになついてくれてる気がするんだけど」
「迷惑?」
「いや、何でかなって……」
 凛々は少し顔を赤くして、
「ふーちゃんは私を見つけてくれた……。助けてくれた……。ふーちゃんについていけば……大丈夫」
 何かすごく頼りにされちゃった……。
「私、ボスの部屋に戻る。ふーちゃんに言われたとおり、ボスと仲良くしてみる」
 そう言うと、彼女は立ち上がり、扉を開けて、振り返ると、
「これからもよろしく、ふーちゃん」
 そして、帆希の部屋とは反対の方向にふらふらと去ってしまった。
  
 うーん、心配だ……。
















 4 歓迎会



 部屋で雑誌を読んでいると、帆希と凛々が入ってきた。
「ピザが届いたからそろそろ凛々の歓迎会をするぞー……ん、そ、それは今週号のハミ通! 歓迎会はそれを読んだあとでも遅くはないな!」
  と言う帆希をレクリエーションルームに引っ張って、僕たちは3枚の巨大なピザを取り囲んだ。やはりピザは熱いうちに食べねば。
 ふと凛々の方を見ると、彼女はよだれを滂沱と垂らしていた。
 そういえばもう何日も食べていないんだったな……。
  帆希もそれを察したのか、一箱を凛々の前に差し出した。
「ほら、私たちはあとでいいから先に好きなだけ食べていいぞ」
  そう言って蓋を開けると、中から湯気が立った、海老やら貝やらが載った大判のピザが現れた……と思ったら次の瞬間には消え失せていた。
  驚いて凛々の方を見ると、彼女は口をもぐもぐさせながら恍惚の表情を浮かべていた。
「あの、凛々?」
  呆然としながらも声をかけると、彼女はハッとして顔を赤くした。
「ごめんなさい、私、ついふーちゃんの分まで……」
「いや、それは別にいいんだけど……まだあと2枚あるし」
  そう言いながらもう一つのピザの蓋を開ける。
  今度はチキンが大量に載ったピザだ。
  それを帆希の部屋から持ってきたお皿に取り分けて食べる。
  くっ、テリヤキソースがたまらん……。
  僕は感動の涙を流した。
 ふと視線を感じて凛々の方を見ると、彼女はジーーーーーーーーっと僕の方に、正確にいうと僕のピザの方に熱い視線を送っていた。
  自分の分はとっくに食べてしまったようだ。
「……いる?」
  僕が尋ねると、彼女は慌てて、
「でっ、でもそれじゃあふーちゃんが……」
「大丈夫だよ、まだあと一枚あるし」
「……じゃあ……もらう……」
  そういうと凛々は口を開けて僕の方を向いた。
  僕が餌付けをするような感じで口の中にピザをいれてあげると、さっきまでとは違い、ゆっくりと味わって食べた。幸せそうな顔だ。
  帆希は一連の流れをどこか憮然とした顔で見ていたが、凛々が僕の2枚残っていたうちの1枚を食べ終わって、もう1枚を僕が口にいれてあげようとすると、突然割り込んできて自分のピザを凛々の前に差し出した。
「そんなにお腹が空いているんなら、私の分をあげよう! ほら、あ~ん」
  凛々は帆希のピザをじっと見つめていたが、
「がぶがぶっ!」
「ぎゃああー!」
  帆希の手ごとかじりついた。
  さすがの凛々もこれだけ食べて満足したようで、3枚目のチーズがメインのピザは丁度3等分にして食べることになった。
  僕なんかこれだけでお腹いっぱいだ。
 全てのピザを食べ終わると、帆希はゲームソフトを取り出した。
「さあ、朝までゲームしよう!」
  にこやかに宣言する帆希。いや、明日学校なんだけどなあ。
  このままでは確実に授業中居眠りを……ああ、それはいつも通りか……。
「大丈夫。学校に行く前にしっかり寝ておけば授業中は眠らないですむ」
「それだと学校につくのは確実に昼過ぎだよ……」
  サボるつもりなのか。理事長の娘とは思えないセリフだ。
「むー、ゲームによって得られる友情は学校の授業よりも尊いぞ」
「それなら来週の土曜日とかにしようよ!」
「来週は来週でいろいろやりたいことあるし!」
  僕たちが言いあっていると、凛々は無言のままゲーム機の前に座り直し、コントローラーを握った。
「さあ……徹夜でゲームしよう……できるものなら」
「凛々……?」
「大丈夫。私に任せて」
  不敵に笑う凛々。
  帆希はパアッと顔を輝かせ、対戦の準備を始めた。
 それにしても凛々は3日連続で迷子のため学校を欠席して、それで今日も徹夜して大丈夫なんだろうか?  色々な意味で。

  しかし、数分後。
「……寝る」   
  帆希はコントローラーを静かに床に置き、不機嫌な声でそう告げると、そのまま横になってしまった。
  二人の格闘ゲームの対戦結果は、凛々のパーフェクト勝ちだった。
  僕も帆希との対戦はほとんど勝ちだったけど、凛々の場合は全くゲージを減らされず、帆希のキャラに微塵も行動を取らせずに完膚無きまでに打ちのめしてしまった。
  それはやる気もなくなるだろう。 さすがに同情を禁じ得ないよ。
  まあそんな感じでグダグダな歓迎会も終わってしまったみたいなので、僕はお風呂に入ることにした。

  お風呂から出て再びレクリエーションルームにいくと、帆希は相変わらず床に寝転がっていた。
  そしてその上には凛々が馬乗りになっていた。
「ちょ、どうしたの!?」
「私もお風呂に入りたいからまたボスに案内してもらおうと思ったんだけど、なかなか起きないから……」
  凛々はそういいながら体を揺すっているが、帆希が起きる様子はなく、安らかな寝息を立てている……と思ったら口で「ぐうぐう」って言ってるぞ!?
 そうか、まだふてくされてるのか……。
  凛々もそれに気づいたのか、体を揺するのをやめると、帆希の耳元で囁いた。
「ボスが起きないんなら、ふーちゃんに案内してもらって、一緒にお風呂に入るしかないかも……」
  帆希は突然ガバッと起き上がった。
  その際に凛々と衝突して二人とも顔を押さえ込んだ。
「な、何を言ってるんだ! そんなこと許されるわけないだろ! 凛々はモラルがなってないからお風呂でしっかりレクチャーしてやる!」
「自分だってまだ親と一緒にお風呂に入ってるくせに」
「なっ、何故そのことを! ……そ、それは先月までの話だ。 今はちゃんと一人で入れる! さあ、行くぞ!」
  帆希は凛々の腕をぐいぐい引っ張ると、お風呂場の方に去って行った。やれやれ。
  それから僕は自室に戻ると、明日の準備を整え、しばらくベッドの上で漫画を読んでから眠りについた。
  
「ん……」
  なんだか妙に暖かい感じがして目を覚ますと、隣に凛々がいた。
「うひょっ! 凛々、何でここにいるにょ!?」
  僕が奇声を挙げると、凛々が目を覚ました。
「ん……ふーちゃん、どうしてここに?」
  話を聞くと、夜中にトイレに行って、帰る時に間違えて僕の部屋に来てしまったらしい。
 時計を見ると二時過ぎだ。眠い。
  まあこのベッドはかなり大きいし、ちょっと距離を取ればあまり気にならないはずだ。寝よう。
  そんなことを寝ぼけた頭で考え、再び意識を手放そうとした瞬間、
「大変だ! 隣で寝てたはずの凛々がいなくなった!」
  帆希がドアを突き破って突入して来た。
  彼女はそのまま僕のところまで駆け寄ると、布団をめくった。
「………………」
  帆希と、布団の中に潜り込んでいた凛々の視線がぶつかる。
「何故凛々がここに……?」
  まずいな……さっきもモラルがどうとか言ってたし、これは相当怒ってるかもしれない。早いうちに誤解を解いておこうと思い、口を開きかけると、
「ずるい! 私だって一人で寝るのはさみしいのに!」
  帆希はそう叫ぶと布団の中に闖入して来た。
「何か目が覚めちゃったから、これから朝までここで漫画を読もう!」
  また無茶なことを言い出した。
  僕が対処の仕方を考えていると、突然僕の携帯電話が鳴り出した。
  早速僕がさっきまで読んでいた四コマ漫画を読み始めた帆希を横目に、電話に出る。
「もしもし」
『ああ……お兄ちゃんの声……。聴きたかった……!』
「ひいい!」
  思わず電話を切る。するとまたすぐにかかって来た。
『電波が通じてないの? それよりお兄ちゃん、私今どこにいると思う? お兄ちゃんのベッドの上だよ。えへへ、お兄ちゃんの匂い……』
  電波的な電話の主は妹だった。
  妹は中学三年生で、現在の僕と違い実家から学校に通っている。
「……僕の部屋で勝手なことしてないだろうな?」
『うん。余計なことはしてないよ。ただ机に私の名前を彫ったり、壁にお兄ちゃんと私の相合傘書いたり、私の水着写真を飾ったり、パソコンの中の画像を全部私の写真に差し替えたりしただけだよ』
「そうか。ゴールデンウィークになったら帰ろうかと思ってたけどやっぱりやめるよ」
『え? 今すぐ帰って来てくれるの!?』
「………………」
  はあ。
  妹は何も変わっていなかった。
  僕の妹、雨降雪乃は昔からこうだった。
  いや、昔はまだましだったか。小学生の頃からベタベタしてくるとは思っていたが、最近になって僕を見る目が変わってきた。
  部屋にいても、外に出かけても、お風呂に入っていても、寝る時も、四六時中そばについてくる。くっついてくる。それ以上のことをしようとしてくる。
  正直気が休まる時がない。
  今や創作であっても近親相姦に対する規制は厳しくなりつつあるのだ。
  だから僕は逃げ出した。
  親に頼み込んで、家から通えないほど離れた高校でもないのに寮に入れてもらった。
  断られたらバイトをしてでも寮に入るつもりだったけど、親も僕たち兄妹の状況を良く思っていなかったのか、あっさり許可してくれた。
  断っておくと、僕は別に妹のことが嫌いなわけじゃない。
  ただ、僕も自分の時間が欲しいし、このままではお互いのためにならないと思った。
  妹も、見た目は可愛いのに、あれではいつまでも恋人が作れないだろう。
  そしてそれは僕も同じだ。
  僕に恋人はおろか、友達すらもなかなかできないのは妹が一日中くっついていたからに違いない。
  決して僕の性格に問題があるからじゃ、ないよね? 
  まあそんなわけで妹から逃げ続けて、電話にも出ないで(一日二十回以上かかってくる)、メールにも返信せず(一日百通以上くる)、実家から寮への宅配便(妹の写真がプリントされた抱き枕など)も何とか処分し、今日までやってきたわけだけど、寝ぼけていたのかつい誰からの電話なのかも確認せずに出てしまった。
  っていうか、これだけ電話やメールを無視し続けているのに普通に会話をしてくる妹が怖いんですけど!
  ともあれもう深夜だし、早いところ電話を切りたい。
「あのさ、僕今寝てたんだけど……」
『うん。だからかけたんだよ。もしかしたら寝ぼけて電話とってくれるかもしれないから』
「………………」
  まんまと妹の策にかかった僕だった。
「そうかい。じゃあもう寝るから切るよ」
  恥ずかしさから、わざと不機嫌な声を作ってそう言って半ば強引に通話を終わらせようとすると、
「何言ってるんだ蕗乃? 今夜は寝かせないぞ」
  本棚からさっき読んでいた漫画の新しい巻を持ってきた帆希が僕の言葉に反応した。
「今話してるの、ふーちゃんの妹さん? ……私も挨拶した方がいいのかな?」
  凛々も声をかけてくる。
  ま、まずい、このままでは……、
『……ねえ、女の声がしたんだけど……。今寝てたんだよね? 何で隣に女がいるの?』
  鎌鼬のような声が耳に響いた。
  僕は思わず携帯を落としてしまった。
  や、やばい! 何とか誤解を解かねば!
  とりあえず何か言い訳をしようと携帯を拾うと、すでに通話は途切れていた。
  ふう……何かもうクタクタだ。早く寝よう。
  
  拾う直前に『私がそばにいないばかりに悪い虫が……』とか『私のお兄ちゃんを奪う奴は許せない許せない許せない許せない許さない許さない許さない……』とか言ってたような気もするけど、気のせいだと思いたい。

















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