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 都会から少し離れた小さな林の中に、そのラボはありました。

 ビルの建ち並ぶ大きな町が見渡せる、小高い丘の上。少し古びた建物は、建てられた当時はとても前衛的なデザインだったのですが、今ではどこか懐かしさを感じさせる造りになっています。

 このラボで、若い博士は一つの発明を完成させました。

 それは木漏れ日が差し込む、気持ちの良い夏の朝のことです。

「やっとできたぞ」

 博士は台の上にいる発明品を眺めてため息を吐きました。

 ラボの中央に据えられた作業台の周りはひどく散らかっています。あちこちにカップ麺の容器や、ぐしゃぐしゃに丸められた資料が散乱していました。と言うのも、この三ヶ月ほど博士はラボから一歩も外に出ないでこの発明に取り掛かっていたのです。おかげで肌は血管が青く浮き出るほど白くやせ細り、ひげや髪の毛も伸び放題になっていました。見た目はとっても不健康です。

 でもそんな事気に掛からないくらい、博士はこの発明に夢中でした。自分の夢見た未来が二つ一遍に叶えられる、そんな発明だったからです。

「よし、とりあえず起動テストだ」

 そう、まだこの発明が成功しているかは分かりません。

 ううん、と気合をいれ、博士は恐る恐る右耳の中の起動スイッチに手を伸ばしました。

 

 カチッ

 

 博士は心の中で祈ります。頼む、うまく動いてくれ、と。

 そんな博士の願いに呼応するかのごとく、その発明品はゆっくりと目を開きました。

「やった……成功だ」

 それは、一匹の黒猫でした。短毛ながらも、どこか軟らかさを感じさせる艶やかな黒い毛に全身を覆われています。すらっとした印象で、長い尻尾の先だけが黒から白へのグラデーションを描いていました。

 その大きな琥珀色の目はきょろきょろと辺りを見回します。

 博士は疲れと成功の喜びでその場に座り込んでしまいました。

「確かに苦労はしたが、お前を作りだせたんだ。この喜びは何物にも代えがたいよ」

 博士はそう言ってにっこりと微笑み、その場で崩れるように眠りこけてしまいました。ここのところまともな睡眠をとっていなかったので、無理もありません。

 そのまま深い眠りにつきそう……でしたが、

「いててて」

 突然目元に痛みが走ったのです。驚いて目を開けると、そこには先ほどの黒猫のこちらを見つめる二つの瞳がありました。

 これには驚いた博士です。目覚まし機能は取り付けていませんし、何よりそんな行動に出るようプログラムされていません。博士はびっくりして黒猫を抱き上げ、ひりひりと痛む目じりを押さえてあちこち見回しながら呟きました。

「おいおい、お掃除ロボットがなんのようだっていうんだ、全く」

 と。

 そう、この黒猫、実は黒猫型お掃除ロボットだったのです。見た目は本物の猫と見分けがつかないのですが、その体には多くの機能が備わっていました。

 大きく見開かれた瞳は小さな塵一つ見逃さず、ざらざらとした舌はこびりついた汚れを舐め取り、長く伸びる尻尾は埃を叩き落とします。強靭な脚でどんなところの汚れも奇麗にでき、見た目も街に溶け込む画期的な発明でした。

何よりすごいのは体内に高温焼却炉を完備し、ゴミさえあれば無限に活動できる、環境にもクリーンなロボット。それがこの黒猫だったのです。

 博士はとりあえず目立った故障は見あたらないかと、黒猫を台の上に置き直しました。一度再起動しようと思ったからです。

「人に危害を加えるようなロボットでは元も子もないからなぁ」

 そう呟くと、台の上に取り付けられたライトのスイッチを捻りました。

 そう、もう一つの博士の願いは猫の地位向上にあったのです。最近ふもとの町では野良猫が増えて、大きな問題になっていました。ゴミを漁り、夜になると大きな声で鳴く猫は人々に不潔がられ、嫌われ者となっています。多くの猫が保健所に連れて行かれ、人間の身勝手な振る舞いの犠牲になっていました。

 博士は昔から猫が大好きです。家で飼っていた猫をとても可愛がり、猫のほうも子供の博士によく懐いていました。一人と一匹は毎日のようにいっしょに遊んでいたのです。

 もし、自分の発明が成功すれば猫のイメージはクリーンなものになり、無駄に命を落とすことも無くなると博士は思っていました。だから、博士は自分の大好きな猫のために一生懸命でした。

 博士は再起動を終えると、再び目を覚ました彼に顔を近づけます。

 するとやはり、黒猫は博士の顔に飛び掛ってきました。

「おおっと」

 博士はそれを避けると、胴体あたりを掴んで暴れる彼を押さえつけます。

「やはり顔に激しく反応しているなぁ。どこかプログラムに問題があったのかなぁ」

 博士はポリポリと頭をかくと、先ほどの顔の跡はどうなっているだろうと近くの鏡に顔を近づけました。

 あちこちに伸び散らかった髪の毛、不精ひげは顔の輪郭を解らなくさせるほど生えています。

 相変わらず徹夜明けは酷い顔だな、と苦笑しているとひりひりと痛む右の目尻と、左の目尻の違いに気が付きました。

 博士は研究に没頭するとベッドにも戻らず、ラボのあちらこちらでうたた寝をする生活をしています。当然、顔を洗うなんてことはしません。だから気が付くと目尻には目脂が溜まっているのが常でした。

 しかし、今日は痛みが伴う方の目尻だけ奇麗に目脂がついていません。博士はここでやっと気が付きました。

 そう、このお掃除ロボットは博士の目脂を「ゴミ」と認識し、取り除こうとしていたのです。

これには博士、笑うしかありませんでした。

「はっはっは、そうか、僕の顔があんまり汚いもんだからなぁ。そりゃお掃除ロボットとしちゃ放っておけないよなぁ」

 この後博士が顔を洗い、ひげもきっちり剃ったのは言うまでもありません。

 博士が洗面所から戻ると、そこには酷く散らかったラボの中を駆け回る黒猫の姿がありました。

 きっと、奇麗好きの家政婦さんでもいれば同じような反応を示したことでしょう。掃除のし甲斐がある部屋であることには間違いないですからね。

 博士も必要な書類をまとめ、だんだんと奇麗になっていくラボを見つめていました。

 黒猫の動きは博士の予想を上回るものでした。上から埃を掃っていき、一箇所に纏めると一気に舐め取る。カップめんの空容器を見つけるとその強靭なアゴの力でバリバリと粉砕してゴクリと飲み込む。その行動全てに無駄が無く、迅速でした。

 あっという間に奇麗になったラボのいすに腰掛け、博士はコーヒーで一息つきます。中央の台にはこの離れ業を成し遂げた黒猫が寝そべっていました。周りにゴミがない時はエネルギー節約の為、働きを最小限にするようプログラムされていたからです。

 博士は彼に話しかけようとして、まだ名前をつけていないことに気が付きました。

「何か良い名前をつけてやらないとなぁ」

 そう呟くとゆっくりと立ち上がり、おもむろに近付くとしげしげと改めて自分の発明品を眺めました。

 するとロボットはピクッと耳を動かして、ゆっくりとそのちょっと不機嫌そうな顔を博士に向けました。博士が特に話しかけないでいると、今度は前脚で顔を拭う様な仕草を見せます。

 そのしぐさは気分屋な猫そのものでした。

 というのも、博士は町に出ても違和感のないようリアルな猫に近付けるために努力をしていました。猫の習性を調べ上げ、ありとあらゆる猫に関する本やグッズを集め、遂には自ら町に赴き野良猫の観察を行ったのです。

 おかげで博士は不審者扱いされ、何度か警官に呼び止められたりもしました。

 さらに、このロボットのコンピューターにはロボット自ら猫の生態を学習する装置も組み込んでおり、ゆくゆくの量産化に向けての試作機でもありました。

「うん、そうだな……よし。レオナルド、レオナルドにしよう。その卓越した才能で他を圧倒した天才、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じ名前だぞ。光栄じゃないか」

 博士はうんうんと頷くと、そのロボットに向かって言い放ちました。

 黒猫型お掃除ロボットは興味が無さそうにプイッと顔を背けましたが、一回だけパタン、と軽く尻尾で台を叩いたのです。それはまるでしぶしぶながらも承諾の意を表明するかのようでした。

 博士はにっこりと笑うと、

「よし、レオナルド。俺はこれからベッドで一休みするけど、大人しくしているんだぞ?」

 と言い放ち、二階の寝室へとあがっていきました。



 博士が目を覚ましたのはそれからほぼ丸一日が経った後でした。

 寝ぼけ眼でふらふらと洗面所に向かうと、ちょうどラボからレオナルドが出てきました。

「おはよう、レオナルド」

 博士の挨拶が聞こえているのか、いないのかはわかりませんが、彼はそのまま二階へと上がっていきました。

 博士は顔を洗いながら愛想が無いな、と思いましたが彼とは未だ二日目の付き合いです。猫の態度としては当然か、と思い直し、朝食を取る為にキッチンに向かう途中ではたと気が付きました。

 そういえばあいつ、腹が減っているんじゃないかと。

 キッチンに行くと床はピカピカに磨き上げられ、コンロ周りやシンクも奇麗になっています。ラボに向かい、辺りを見回しましたがほこりひとつ落ちていません。玄関も洗面所もどこも掃除が行き届いていました。

 もし昨日の内に一階は掃除し終わっているとすると、後は二階ということになるでしょう。

「なるほど……あのコストパフォーマンスを維持し続けるにはこの家程度の汚れでは維持しきれないか。これは新たな課題だなぁ」

 博士はぶつくさ言いながら朝食の準備を始めました。

 

 

 朝食後、博士は外での試験がてらレオナルドといっしょに散歩に出かけることにしました。

 三ヶ月ぶりの外は太陽が眩しく、空気がとても新鮮です。鳥のさえずりや葉っぱに付いた朝露がきらきらと輝いて感じられました。

 思わず一人と一匹は玄関で伸びをしていると、隣の奥さんが新聞を取りに出てきました。

「あら、博士さんお久しぶりじゃなくて? 発明の方はお進みになられまして?」

「あぁ、奥さんお久しぶりです。いえ、やっと最近取り組んでいたのが一息つきましてね。こうやって三ヶ月ぶりの外を満喫している所なんですよ」

「あら、そうですの? 今度は一体何をお作りになって?」

「こいつです」

 博士は足元で顔を洗っているレオナルドを指差しました。

「えっ? ……この猫ちゃん? あぁ、新しい首輪か何かでして?」

 全ての台詞が疑問系の隣の奥さんは不審そうな目を稼働中のお掃除ロボットに向けます。

「いえ、こいつ自体を一から作ったんですよ。こいつは見た目は黒猫ですが実は、町を掃除してくれる超高性能お掃除ロボットなんです」

「え? この黒猫が?」

 隣の奥さんはさらに不審そうな目をレオナルドに向けました。

「そ、そうですの? それはすごいわねぇ~、それではごきげんよう」

 そう言うと奥さんは小走りで家に帰っていきました。

「……明らかに怪しんでいたな。まぁ普段の僕の発明からしたら、あまりにもかけ離れているしなぁ」

 博士は軽くため息を吐くと、近くの公園へと向かいました。

 この近辺は所謂高級住宅地と言われる閑静な町並みが広がっています。そんな中で博士のラボはかなり、色んな意味で目立つ存在でした。

 この近辺は所謂高級住宅地と言われる閑静な町並みが広がっています。そんな中で博士のラボはかなり、色んな意味で目立つ存在でした。

 博士は幼い頃に両親を亡くし、有名な発明家だったおじいさまの家に引き取られました。それが今住んでいるラボなのです。

 おじいさまは特許をいくつも収得し、数多くのヒット商品を開発してきた偉大な人物でしたが、それと同じくらい変わった人でした。

 いつも何日かラボに篭ったかと思うと

「ほれ、今度のも傑作じゃぞ」

 と、まるでいたずらっ子のようなきらきらとした目で出てきました。そして、その手にはいつもおかしな発明品が握られていたのです。おじいさまはそのおかしな発明でいたずらをするのが大好きでした。

 そんなおかしな発明品の犠牲になるのは、家政婦さんと呼ばれていた若く美しい娘でした。

 彼女は博士と同じように早くに身寄りを亡くした遠縁の子で、可哀相に思ったおじいさまが近い年の子がいるから、と預かっていたのです。彼女は病気で早くに亡くなったおばあさまの代わりに、女手の無いラボで家事を一手に引き受けていました。働き者でよく気が付くのですが、時々ドジをしてしまうのが玉にキズ。

 博士とおじいさまは、彼女に次々といたずらをしかけていました。

 朝になると爆発音と共に分解されて組み立てなおすまで音の止まない目覚まし時計。洗えば洗うほど真っ黒になる石鹸。飛行機の形をしているのにどんどん砂に潜りだすラジコン。

 博士はどの発明品もおじいさまと一緒に試して、腹がよじれるほど笑い転げました。家政婦さんはそんな二人のいたずらに毎回ひっかかっていたのです。そのたびに博士とおじいさまはこっぴどく怒られましたが、二人は懲りずにまたいたずらをしかけ、そのたびに家政婦さんは懲りずにひっかかっていました。

 おじいさまはきっと、早くに両親を亡くした博士と家政婦さんを寂しがらせまいという思いもあったのでしょう。

 博士はそんなおじいさまも、怒りながらも優しく世話をしてくれる家政婦さんも大好きでした。

 しかしおじいさまが亡くなった後、家政婦さんも別の家に引き取られこのラボから出て行ってしまいました。


 博士は今でも鮮明に、あの楽しかった日々のことを思い出すことができました。

 一人ぼっちになった博士は寂しさを紛らわす為か、おじいさまが博士の為に作ったような発明品を作り続けていたのです。

 周りの住民はあのすばらしい発明家の跡継ぎなんだから、きっとすばらしい発明品を作ってくれるのだろうと期待していたようですが、見せてくれる発明品はとても生活に役立ちそうも無い冗談としかうけとれない代物でした。

 当然冗談で作った訳ですが、周りの人々は「あそこの博士は狂っている」だとか「発明の才能は受け継がれなかったのか」などと嘆き、しだいに博士のことを避けるようになりました。

 博士はただ、みんなに笑って欲しかっただけなのに。

 博士はおじいさまからの莫大な遺産を受け継いでいる為、お金に困ることはありません。しかし、心はどんどん荒んでいきました。町で飲んだくれては路上に放り出され、そのまま朝を迎えるような生活が何ヶ月も続きました。おじいさまから教わった発明の技術も衰え、ラボにもしだいに埃まみれになっていったのです。

 博士がそんな生活を送っていたある日のことです。

 いつものように閉店時間まで町のバーで一人お酒を飲んでいた博士は、マスターに追い出され仕方なく裏路地をとぼとぼと歩いていました。月の明るい夜で、月明かりが街灯の少ない通りもおぼろげに照らし出しています。

 博士が民家の玄関に腰掛けて自分の酔いを醒ましていると、通りの向こうを一匹の黒猫が歩いているのが見えました。まだ幼い子猫ですが、猫らしくツンと澄ました顔で悠然と道の上を闊歩しています。ぼんやりとそれを眺めていた博士は昔飼っていた猫のことを思い出し、思わず笑みをこぼしました。

 その子猫は通りの一角に盛られた餌に気が付き嬉しそうに足を速めました。おそらく近所の人が野良猫の餌付けを行っているのでしょう。

 博士はそれが褒められた行為で無いことは知っていましたが、その嬉しそうな姿に頬が緩むのを抑えられませんでした。

 かなりお腹が空いていたのでしょう。子猫はわき目も振らずにその餌に喰いついていました。

 ところが、黒猫は突然ぱたん、とその場に倒れてしまったのです。

 えっ――

 博士は驚いてその猫に近づこうと立ち上がりました。

 通りを渡ろうと一歩足を踏み出したその時、近くに止まっていたバンが突然ライトを点灯し、エンジン音を響かせながら近づいてきました。

 危うく轢かれそうになった博士は酔いが冷めていなかった影響もあったのでしょう、道路で腰を抜かしてしまいました。

 いきなり現れたバンは突然倒れてしまった子猫の前で停車すると、ゆっくりとその扉を開きました。

「にいちゃん、いきなり道路に飛び出しちゃあ危ないよぉ」

 運転席からのっそり降りてきて博士に嘲笑とも取れる笑顔を向けたのは、既に七十は超えているであろう老人でした。頭は白髪が伸び放題になっており、大きな鉤鼻が特徴的な不気味で小さなおじいさんです。

 彼はその皺だらけの顔を歪めて博士の方を睨むと、餌山に突っ伏す子猫を抱きかかえました。

「一体その子猫をどうするつもりなんですか」

 博士はゆっくりと立ち上がりながらも、その不審な老人から目を離さずに尋ねました。

「ん? こいつはあんたの猫だったのかい?」

「いえ……違いますが」

「んじゃあ、難癖付けられるいわれは無いねぇ」

 ふぇっふぇっふぇと不気味に笑い声をあげた老人は、子猫を抱えたままバンの荷台から小型の檻を取り出すと、中に子猫を仕舞いぴしゃりと鍵を掛けました。

「何をやっているんですか!」

 博士はいくら自分の猫ではないとはいえ、黙って見過ごすわけには行かない、と老人の腕を掴みました。

「何って、野良猫の駆除に決まっとろうがね」

 老人は年齢に見合わぬ力強さで博士の手を振りほどくと、邪魔そうに博士を睨みつけました。

「今この町が猫の駆除に金を払っていることぐらい、あんたも知ってんだろう。進んでやりたがるもんが少ないもんだから、なかなかいい金になるんじゃよ」

「だ、だからといって……」

 再び口元を三日月形に形どった老人に反論しようと口をひたらいた博士でしたが、酔いが醒めつつある頭が導き出した結論は老人を否定することは出来ない、という結果でした。

 確かに餌を使って誘き出し、それを待ち伏せして捕まえるという行為が人道的かと言われればそれは違うでしょう。しかし、博士はこれがしょうがないという現実も同時に受け止めていたのです。人間の身勝手とはいえ人に害を及ぼす動物をいつまでも野放しにしておくわけにはいきません。

 博士はそれでもこの光景に激しいショックを受けていました。こういう事が行われていたということは知っていたのですが、現実に目の当たりにするとお前はこれを今まで見てみぬ振りをしていたのだと突きつけられた感じがしました。

 呆然と立ち尽くす博士を背にバンの運転席に座った老人は、何かを思い出したかのように博士の顔を見つめると、にやっと口元を歪めました。

「あんた、丘の上の変人博士だろう。あんたもあの天才発明家の孫なら、自分の手でなんとかしてみぃ」

 ま、あんたにゃ無理だと思うがのぉ、と続けて言い放った老人は排気ガスを撒き散らしながら博士の前から消えていきました。

 博士は、あまりの自分の不甲斐無さに激しい自己嫌悪に襲われました。自分の大好きな猫たちがこんな目に遭っていた、その事実を知識として知っていただけに、無知と無力さに苛まれていたのです。

 その時、不意に自分の祖父がいつも口にしていた言葉を思い出しました。

「発明というのは人々の何とかしたいという思いの結晶だ。辛く、暗い現状に差し込む、まばゆい明かりを発する暖かな希望の光なのだよ」

 という言葉を。

 博士は、この時強く想ったのです。

 絶対にこの不幸な猫たちを救う、と。自分の発明で、自分の手で一匹でも多くの猫を救うのだと決心したのです。


 そんな強い思いを背負い、現状を打破すべく生み出されたのがレオナルドだったのです。

「頼んだぞ。お前にはこの町の野良猫の運命が掛かっているんだからな」

 博士は周囲をきょろきょろと興味深々に眺めるレオナルドに話しかけました。

 レオナルドと博士はそれから町中を歩き回り、道という道を、通りという通りをピッカピカにしていきました。

 初めは黒猫を連れた不審な男が歩いていると気味悪がられましたが、しだいに彼らが一体なにをしているのか、あの黒猫が一体何物なのかを理解し始め、話題が広がっていったのです。

 遂にはマスコミにも取り上げられ、発明したのがあの有名な発明家の跡継ぎであると知られると一気にレオナルドは町の人気者になりました。町長さんから町の美化親善大使に任命され、町中にポスターが貼られています。それと同時に猫全体の人気もあがり、町には猫ブームが訪れました。猫のイラストのがプリントされたものは何でも飛ぶように売れ、テレビをつけると猫の番組ばかり。

そして野良猫の駆除も、当然住民の反対に合い中止になったのです。

 博士の願いは叶いました。

 さらに博士の下に次々と発明の依頼が舞い込んで着たのです。急に忙しくなったものの博士は幸せでした。やはり祖父の言ったとおり、発明とは暗い現実を照らす明かりなのだと、この時博士は思いました。

 それからの博士はラボで発明の毎日でした。さらに何人もの人がラボを訪れ、取材をしていきました。

「やはり、発明家であったおじいさまの影響で発明を始めたのですか」

 といったオーソドックスな質問から

「好きなタイプの女性は」

といったおおよそ発明とは関係のない話まで、引っ切り無しでした。遂にはとなりの奥さんまで取材を受け、

「おじいさまの才能を受け継いだすばらしい発明家だと常々思っていましてよ」

 とにこやかに、普段みたこともないようなおしゃれな格好で答えていました。

博士が忙しく発明に明け暮れていた、そんなある日のことです。その日、夕方を過ぎてもレオナルドが帰ってきませんでした。

 博士が忙しくなってからは自動で町を周るプログラムを組み込み、一匹で町を清掃するようになっていたのですが、帰ってこなくてはいけない時間を過ぎても一向に帰ってくる気配がありません。今までこんな事は無かったので、誘拐にでもあったのかと心配になって来ました。

 いよいよ博士が探しに出かけようとすると、若干足取り重くレオナルドが窓から入ってきました。

「一体どうしたんだ、こんな遅くまで」

 博士は急いでレオナルドをあちこち点検し始めましたが、どこにも故障は見当たりません。しかしどうにも思いつめた雰囲気をかもし出すレオナルドにこれ以上構うのは可愛そうに感じた博士はその体をそっと離しました。

 レオナルドだってロボットとはいえ猫なのです。多少のわがままは許されるだろうと思いなおしたのでした。レオナルドはとぼとぼとラボの中央まで歩いていき、台の上で丸くなりました。

 博士はこんなことは今日限りだろうと思っていたのですが、それから毎日レオナルドは設定した時刻を大幅に遅れた時間に帰ってきました。そのたびに博士は点検をするのですが、どこにも異常は見当たりません。町を周るプログラムも組みなおしてインプットしなおしたのですが、一向に治る気配がありませんでした。

 しかし、博士もしだいに気にしなくなりました。別に故障ではないし、きちんと帰ってきているのだ。発明の締め切りも近いし、レオナルドばかりに時間は使えない。そう思ったのです。

 そうしてレオナルドが遅くに帰ってくる日々が二ヶ月ほど続いたある日、ラボに一通の苦情が届きました。今までに無かった事態に驚いて博士がその手紙を開くと、そこにはこう書いてあったのです

「お宅の猫がうちに勝手に侵入し、大事にしていたものを食べられてしまった」

 これに博士は、とても驚きました。すぐにまさか、他の黒猫なのではないのですか、といった趣旨の連絡をしましたが、相手はとても怒ってこう言いました。

「どこの世界にビンのふたを食べる猫がいるのか」と。

 この、町の人気者のスキャンダルは一気に広まりました。どうやら被害にあった人はビンテージもののビンのふたを収集するのが趣味の人で、食べられてしまったビンのふたは驚くべき値段のついた代物だったのです。急いでレオナルドのおなかを調べたのですが、既にレオナルドの高温炉が溶かしきった後のようでした。

 もちろん直ぐに弁償はしましたが、世界に一つしかないキャップだったらしく、怒りが収まらない彼はニュース番組で

「あのクソ猫は泥棒猫だ! 町の美化なんていってるけどやってることといえば人間にだって出来る単なる街の掃除じゃないか。ロボットならロボットらしく人間にできないことをしろ!」

 と大声で罵りました。

 さらに町の美化を請け負っていた会社の悲痛な叫びが取り上げられ、世論は次第に反レオナルドへと傾きだしました。

 さらに猫ブームで飼われた多くの猫が飼えなくなり町に捨てる人がふえ、以前よりも野良猫の数が増えてしまい、野良猫の被害が拡大したことも拍車をかけました。

 遂には博士のラボの前にはレオナルドを引っ込めろ、と抗議をする人の列ができてしまいました。

「ひっこめー」

「町の美化なんてこれっぽっちも考えていない金の亡者め」

「家の花段、全部猫に割られていたのよ! どう責任とってくれるの?」

「あんなロボット廃棄してしまえ」

 などと好き勝手に罵声を浴びせています。これでは近所からの苦情がくるのも時間の問題でしょう。

 この事態に博士は頭を抱えてしまいました。当然レオナルドは家から一歩も外に出さず、家の中にいます。

 そもそも猫の地位向上の為に作ったのに、これでは元も子もありません。一体どうしたらいいのだろう、と苦悩していた博士の下に電話が来ました。

 それは唯一といってもいい味方をしてくれている人物、町長さんでした。町長さんはそもそも夫婦そろって無類の猫好きで、昔から白いきれいなメスのペルシャ猫を飼っていたのです。

「だいじょうぶかね?」

 町長さんは優しく博士に話しかけました。

「いえ、抗議の方々が押しかけてきていて、正直困っています。私はレオナルドを壊してしまうべきなのでしょうか」

 博士はもちろんそんなことをしたくはありません。今の博士があるのは間違いなくレオナルドのおかげなのですから。

 涙声の博士に町長さんは優しく語り掛けました。

「私の元にも毎日何通もの抗議や批判のメールや電話が届きます。しかし、これはある程度しょうがないことなのです。レオナルド君はこの町にとっても、私にとっても大事な存在です。もう二度と壊すなんて言わないでください」

と。

 この言葉を聞いて博士は少し元気がでました。人の噂も七十五日、いつかはみんなもわかってくれる、と前向きな考えになったのです。

 しかし、現実はそうやすやすと行くほど甘くはありませんでした。

その一週間後に、あるメス猫が三匹の子猫を産みました。血統書つきの由緒正しい猫で、お相手のオス猫も血統書つきの猫という、とても猫を大事にしている家庭間での出産でした。当然品種も毛色も親の血を受け継ぐはずでしたが……

「一体これはどういうことなんですか!」

 血相を変えた婦人と旦那さんが博士の家に乗り込んできたのです。

 それは町長さん夫妻でした。町長さんの家のペルシャ猫、ミーアちゃんは同じペルシャ猫のレオンくんとの間に子猫を身ごもったはずでした。しかし、お互い真っ白な毛のペルシャ猫の間から生まれてきた子猫の一匹が黒い短毛だったというのです。

「ちょっとまってください、なんでそれで家のレオナルドが疑われなきゃならないのですか。ロボットですよ?」

「私もそう思っていましたがじゃあなぜ白い猫同士の間に黒い毛の猫が生まれてきたんですか! ありえないでしょう!」

 奥さんは完全に気が動転していました。博士が混乱していると奥さんをなだめた町長さんが事情を話してくれました。

 町長さんの家ではミーアちゃんは家の中で飼われたそうです。子供のいない町長さん夫妻にとってミーアちゃんは正真正銘一人娘で、余計な虫がつかないよう大事に育てていたそうです。

 そんな中、町長さんは町の美化親善大使となった一匹の黒猫型ロボットの話を奥さんにしました。すると奥さんはそれはいいミーアの遊び相手になると、近くを通るたびに家の中にレオナルドを招き、ミーアちゃんと遊ばせていたのだそうです。

「最初は嫌がっていたレオナルド君も次第にミーアと仲良くなってね。子供が出来たらどうする、なんて冗談をよく言ったもんだよ」

 町長さんは落ち着いた表情で言いました。今まで謎だったレオナルドが帰ってくるのが遅くなった原因が判明しました。しかし、

「それでもレオナルドはロボットですよ? 確かにレオナルド以外に黒猫と関わりが無いとしても、子猫が出来るなんてありえません」

 博士は必死になって説明をしました。

「しかし君はこのレオナルド君を説明してくれた時に言ったじゃないか。このレオナルドは猫の習性を自ら学び学習する、と」

「いえ、それはあくまで行動についてのみです。機能が新たに装備される、ましてや子孫を残せるようになるなどありえません」

「じゃあなんでミーアから黒猫が生まれてくるのよ? 我家はまだいいとしてもお相手のご家庭はそれは子猫ができるのを楽しみにしていたのに……」

 とうとう奥さんはその場に泣き崩れてしまいました。

 町長さんは奥さんを優しく抱きかかえると

「この話はまた後で、落ち着いてからにしよう」

 といって一旦帰っていきました。

 もう博士は一体何がどうなっているのかわかりません。もちろんレオナルドには生殖機能なんて備わっていないのです。しかし、黒猫が生まれてきたのも事実です。博士は急いでレオナルドのメインコンピューターにアクセスしました。ここには彼が自ら学習した生態を記録する部門が存在しているからです。博士がその部門を開いたのは初めてのことでした。

「これは……」

 初めのほうは一般的な猫の習性に関する誤差修正程度のデータばかりだったのですが、約二ヶ月前のあの日、帰ってくるのが遅くなったあの日から先のデータが彼のメインコンピューターの半分以上を侵食していたのです。

 それはコンピューターウイルスにも似たプログラムでした。他の思考を蝕み、たった一つの事しか考えられなくなるような、そんなプログラム。

 そのプログラムにレオナルドは『mi-a』と名づけていました。


「一体、どうしたらよいのだろう」

 博士はその夜、ラボで煙草を吹かしながら独り言を呟きました。

 町長さんの言うとおり、どうやら本当にレオナルドは町長さんの家に通っていたようでした。レオナルドを猫に近づけようと努力した結果、彼はまるで本当に生きているかのようにミーアちゃんに恋をしたようなのです。これは完全に想定外の出来事でした。まさか、自分が組んだプログラムがこんな結果を招こうとは思っても見なかったのです。

 博士はゆっくりと立ち上る煙を見つめながら、自分はどうしてこんなに不器用なのだろう、とまるで人事かのように今までのことを振り返りました。

 なぜ、町を奇麗にするのに猫型などという不向きな形体を選んでしまったのか。

 なぜ、野良猫を救うのに猫の地位向上という遠回りな方法をとってしまったのか。

 なぜ、途中でレオナルドの調子が悪くなった時にしっかりと調べなかったのか。

 なぜ、一度獲た信頼がこうも一瞬で消えてなくなるのか。

 なぜ、また自分は一人ぼっちになってしまったのか――

 今回のことで、おそらく唯一の味方だった町長さんも自分の事を見捨ててしまうだろう、博士はそう思いました。

 そうしたら、また自分は一人だ。博士はそう思っていたのです。

 

 かたん

 

 その時、後ろで小さな物音が聞こえました。

 博士が振り返ると、作業台の上で寝ていたはずのレオナルドが起き上がっていました。博士の方をその大きな瞳でじっとみつめています。

 そうだ、自分は一人ではない、レオナルドがいるではないか。博士は自分が作ったロボットに励まされてしまったな、と苦笑しつつこちらへゆっくりと向かってくるレオナルドを見つめていました。

 博士は自分の足元に辿り着いたレオナルドを抱きかかえようとその場にかがみました。

 しかし、その瞬間――

「えっ」

 レオナルドは、博士が煙草の煙を出すために開けていた窓から外へ飛び出したのです。

 そして、博士が目で追ったときには既に夜の闇へと消えていたのでした。

 

 

「いったい、どうしたって、いうんだ……」

 博士は疲れきって、昔のように一人路地に腰掛けました。

 あの後急いでレオナルドを追いかけたのですが、猫の脚力に追いつけるはずもなくどこに行ったのかも見当がつきませんでした。そもそもあんなふうに勝手にどこかへ行ってしまうなどありえないはずなのです。

 しかも今はレオナルドに対して厳しい批判が上がっているご時世です。レオナルドに限って、とは思うものの不安を隠せず深夜の町を博士は走り回っていたのでした。

「あれ、あんたは最近話題の天才発明家様じゃあないか」

 上がった体温を抑えようと一休みしていた博士に、突然声が掛かりました。

 ついこの間までは好意的に受け止められていた博士ですが、今は町の厄介者の生みの親ということで非難の対象となっています。

 一瞬身構えた博士ですが、よく相手を見てみるとそれは博士がレオナルドを作るきっかけとなったあの老人でした。

「先日は、どうも」

「ふぇっふぇっふぇ、まさか本当に何とかしてしまうとはなぁ。おかげでこっちは商売あがったりだよ」

 どうやらかなり酔っているらしい老人は、足取りも不確かに博士の元に近づいてくるとその場にしゃがみ込みました。

「いきなりもう猫の駆除なんて野蛮なことは止めろ! な~んて言われてよ。こちとら頼まれたからやってただけなのによ。いきなり悪者扱いだ」

 そう言って老人はまたふぇっふぇっふぇ、と笑いました。

「ほんと、勝手ですよね。褒められたかと思えば、一瞬で掌を返され罵倒される。大丈夫ですよ、きっとそのうちまた仕事が来ます」

 博士はそう言って自虐的に笑い返しました。きっとこのままレオナルドに対する批判が続けば、野良猫の被害が再び広がりきっとまた駆除が始まると思ったのです。

 老人は博士の半ば諦めたような態度を見て、おもしろそうに口元を歪めました。

「ほう、こりゃ賭けはわしの勝ちみたいじゃな」

「賭け?」

「そうじゃ。わしはの、うちのお手伝いさんと賭けをしておったのじゃ。わしは猫の駆除はまた始まる、彼女は始まらないという方にな」

「へぇ、そんなことをしていたのですか」

 博士はまた苦笑を浮かべました。どうにもこの老人は苦手だ、と。

「そのお手伝いさんがのぉ。やたらめったらあんたの事を褒めるからわしも年甲斐にもなく妬いていたのかもしれん」

 老人はまたふぇっふぇっふぇと笑います。

「それで、何を賭けていたのですか?」

「お手伝いさんの自由、じゃよ」

「自由?」

「そうじゃ。なんでもどうしても働きたい所があるそうなんだがな。こっちにも契約というもんがある。そこでこいつを使ってちょっとした賭けをしたわけだ」

 博士と老人がそんな会話を交わしていると、通りの端から老人のことを呼ぶ声が聞こえてきました。

「おじいちゃーん。いつまで飲んだくれてるの!」

「いかん、噂をすれば影、じゃ」

 老人はしまった、という表情をすると、近づいてくる影から目を背けました。

 近づいてきたのは、二十代中頃の女性でした。この日は月も隠れていたので顔はよく見えませんが、活力に溢れているという感じの、よく通る声です。

「まったくもう。こんな遅くまで飲み歩いてちゃ駄目じゃないですか。もういい年なんですからね」

「いや、今日は違うんじゃ。この青年が呼び止めるもんじゃから……」

「えっ!」

 突然自分に矛先が向き博士はびっくりして老人のほうを見ました。老人はすまなそうに目を伏せます。

「こんな時間までおじいちゃんを連れまわすなんてどういう神経してるんですかっ!」

「い、いや、僕はそんなこと……」

 慌てて言い訳を始めた博士でしたが、突然彼女が黙ってしまったので不思議に思って彼女の方をゆっくりと窺いました。

 その女性は博士の方を向いたまま、驚いた顔で見つめています。

「……もしかして、博士、ですか?」

「そういう君は、家政婦さん?」

 そう、老人のお手伝いさんというのはかつてラボで一緒に暮らしていた家政婦さんだったのです。実に、十年ぶりの再会でした。

 二人は突然の事に言葉がでませんでした。言いたいことも、伝えたいことも一杯あったはずなのに、こういう時には頭も口も回りません。

 二人してその場で黙っていると、それを見ていた老人が口を開きました。

「なんじゃ、お手伝いさんが行きたがっていたのは、こいつのとこじゃったのか」

「な、何を言ってるんですかおじいいちゃん!」

 家政婦さんは薄暗い通りでも一目で分かるくらい顔を真っ赤にしています。

「じゃあ、違うのかい?」

「違う、ことないですけど……」

 彼女は博士のほうをちらっと見て一瞬目が合うと、急いであらぬ方向へ顔を背けました。

 博士も博士でいきなりのことに頭の整理がつきません。

「そ、そうだ。そう言えばレオナルドは大丈夫なんですか? ニュースで見たんですけど、心配で……」

「そうだ、レオナルド!」

 博士はこんな時間にここまで来た目的を完全に忘れていました。

「ほう、あの黒猫に何かあったのかね?」

「実は……」

 博士はことのいきさつを二人に説明しました。

「というわけで、レオナルドがどこに行ったのか皆目見当もつかないんだ」

「博士、それ本気で言ってるんですか?」

 博士の説明を真剣に聞いていた家政婦さんは呆れたような表情で言いました。

「えっ、君には分かるのかい?」

「当然じゃないですか!」

 そう言ってびしっ、と町の中心を指差しました。

「町長さんの家に決まってます!」



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