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で行ってみると、おじさんは、呼び声に応えて世界のバランスをとっているという。呼び声というのは、自分の衝動ではない。それから、世間の目とか親の期待とかいうものでもない。そういう意味あるものではなくて、なんの意味もないような衝動。たとえば首をかく。首が痒かったからかいたと思う。でもそれは後付けの理由であって、特に理由もなく首をかいて、その後で首が痒かったからだと理由をつけただけだという。実は意味のないそういう衝動は、世界からの呼びかけであって、それに応えることで世界のバランスが保たれるという。

新興宗教の類いかな。観客がそう思い始める0.5秒くらい前にエクスキューズが入って、舞台で役者が、新興宗教というと恐いとか怪しいとか思いがちだけど、そういうんじゃないんだ、と説明する。あるいは、おじさんは河原のホームレスをバランスが取れていると言い、師匠と言う。するとすぐに「ぼくにはただのホームレスにしか見えません」と主人公が言う。

主人公が病院に入院してると、交通事故で全身に包帯を巻いた女が登場する。主人公がおじさんの真似をして理由もなく窓から手を振ったとき、たまたまそれを見て気をとられ、交通事故を起こしてしまったという。女は、主人公が謝らないので、慰謝料を請求されることを恐れてるのかという。そしてタカ&トシみたいに「アメリカか!」と突っ込む。そう言えば欧米では交通事故のとき絶対謝らないって話を聞いたことあるなと思ってると、「アメリカではそうだというのも都市伝説だけどね」と言う。観客の連想を先読みしてどんどんおっかぶせてくるんですね。この辺が親切設計というかね。前もってよく考えてるなと思いますね。もちろん読者より作者のほうが深く広く考えておいてくれなきゃ、読む価値ないわけで、当然と言えば当然、基本と言えば基本ですけどね。

おじさんが言う呼びかけに応えるとはなんなのか。新興宗教ぽいなと思うと、そうじゃないと説明が入る。自分の気持ちに素直になるとか向き合うとかって話かなと思うと、ちがうと否定される。じゃあ他人のためかなと思うとそうでもない。そもそもおじさんは本当に信じてるのか。いや、実は弟子の一人が呼びかけに従って人間を殺そうとすると、いや、それは呼びかけではないと言い出す。そんないい加減なものだったのか。この殺人未遂はおじさんがいい加減だということを示すためのエピソードか。ところが殺人未遂が未遂で終わって、だれも死なない。なんでそうまでしてこのおじさんという役をかばうかな。かばってるわけじゃないのかな。終盤で雨が降り続ける。雨が上がらない。おじさんが呼びかけに応えなくなったからだ。えー? じゃあやっぱ新興宗教なの? そしておじさんたちが呼びかけに応えると、雨が上がる。奇跡? そうなの? と思った瞬間、おじさんの兄嫁が、「雨は上がりますよ」と言う。つまり、新興宗教でもなく、祈り続ければ奇跡が起こると言う話でもなく、おじさんのでたらめさを暴く話でもない。そういう安直な着地点を読者が予想するたびに、いや、そうじゃないんだ、という作者の声が聞こえてくる。

もうひとつのストーリー候補として、おじさんの母は病気で長く入院した後で死ぬ。おじさんは毎晩自宅で母親におやすみと言っていたが、それを兄に気づかれて、一回だけ言わなかった。その夜に母は死んだ。あるいは、父は職人肌で、ロケットのネジを作っていたがあんまり儲からなかった話。冒頭でもロケットのネジの話が出てくるので、これがテーマと関係あるのかなと一旦は考えてみる。兄弟の対立の話とか。

ええっとね、今日、土曜日の夜なんですよ。5/26の土曜日。一週間経ってまだ感想書きあがらないので、ちょっと端折っちゃって、結論だけ言うね。

要するにね、読者が連想しそうないろいろなテーマ性、大きく分けると、ひとつは、おじさんの呼びかけに関すること、もうひとつは、兄弟とか親子とかの人情話ね。このふたつのプロットラインが、なんらかのテーマ性を表現しているのかなと一度は考えてみるだろう、読者は。そして新興宗教っぽい話も凡庸だし、奇跡も安直だし、人情話もつまらないと思う。それは読者が先に思うんじゃなくて、作者が次々にそれを否定していくのである。解釈の候補が浮き上がってきて読者が身構えるたびに、作者が、これは安直だよね、こっちも凡庸だよね、と言って、次々投げ捨てていく。作者がテーマ性を追求して深く思索していく様子が伝わってくる。

そして最後に持ち出されるのが、ミッションである。そう言えば表題がミッションだった。英和辞典で調べると、使命とか天職とかの意味がある。主人公は崖から落ちてきた石が頭にぶつかり、最初は人生が狂ってしまったと思う。けれども最後にはそれこそが明白な呼びかけであったと考える。裏の崖は挿し木の人工的な林であり、だから根が張らず地盤がゆるくて、長く雨が降ると土砂崩れが起きて、最後に主人公の家が土砂崩れの下敷きになって全壊してしまう。つまり長雨はおじさんの奇跡を表現するモチーフではなかった。冒頭の石もおじさんと結びつくモチーフではなく、父の期待のアンチテーゼとして持ち出されたモチーフでもなかった。それは表題どおり、ミッションを象徴するモチーフだった。個人が自己の天命に気づく話だった。さまざまに逡巡し行ったり来たりして読者を困惑させ、その目的は読者を作者が考えた思索の深みにiいざなうための戦略だった。

ストーリーはぐるぐる回りながら、これもちがう、あれもちがう、と自ら持ち出したモチーフを次々投げ捨てていき、最後に、安直な奇跡でもなく、凡庸な人情話でもない、その狭間にある狭き門の地帯にうまく着地することに成功した。

良かったと思います。


この本の内容は以上です。


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