目次
 序章  横えびのいちばん長い日
序章  横えびのいちばん長い日
 ぷよぷよ1989~2011 ミスケンインタビュー1丁目2番地3号 目次
ぷよぷよ1989~2011 ミスケンインタビュー1丁目2番地3号  目次
 すべてのはじまり  1989
すべてのはじまり  1989
 コラム MSX時代
コラム  MSX時代
 誕生  1991
誕生  1991
 コラム ぷよらーたちの食生活
コラム ぷよらーたちの食生活
 クリアまでの長い道のり  1993
クリアへの長い道のり  1993 
 ぷよらーインタビュー第5回(前編)
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 幻の「ぷよぷよ元年」  1995
幻の「ぷよぷよ元年」  1995
 ENQUETE NETWORK (前編)
ENQUETE NETWORK (前編)
 世代交代の嵐  1997
世代交代の嵐  1997
 寄稿文 LPRから見たぷよらーインタビュー集 (著:右脳式ぷよぷよルーム・お茶の町)
寄稿文 LPRから見たぷよらーインタビュー集(右脳式ぷよぷよルーム・お茶の町)
 泥沼の中で 1999
泥沼の中で 1999
 ぷよらーインタビュー第5回(中編)
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 リスタート  2001
リスタート  2001
 コラム 全国転勤の恐怖
コラム  全国転勤の恐怖
 放蕩児の帰宅  2003
放蕩児の帰宅  2003
 赤いぷよぷよ 共産主義ジョーク集
赤いぷよぷよ 共産主義ジョーク集
 35歳の挑戦者  2005
35歳の挑戦者  2005
 ENQUETE NETWORK (後編)
ENQUETE NETWORK (後編)
 最後の自己ベスト  2007
最後の自己ベスト  2007
 ぷよらーインタビュー第5回(後編)
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 出戻りとランキング戦  2009
出戻りとランキング戦  2009
 あとがきにかえて 朝7時1分の奇跡
あとがきにかえて  朝7時1分の奇跡
 ぷよぷ用語集
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 キャスト
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 ボーナストラック
ボーナストラック
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 ぷよらーインタビュー第5回(後編)

 ミスケン服部、最後の100本戦。
 聖地ナミキの掉尾を飾るに相応しい一戦は全ぷよらーのバイブルへ昇華し、連鎖界の神話となった。“ミスケン後”の連鎖界、プログラマーとして、ハロプロファンとして、現役復帰は果たしてあるのか?珠玉のミスケン語録、全ぷよらー必読!

 


 ぷよらーインタビュー第5回(後編)
  
Brotherhood 2004~2010

 

  聞き手 横えび
  話し手 三須健太郎(ミスケン)

 


・ハロプロサポーターとして

 

―― 2003年くらいから、“そろそろ続けられなくなってきたなあ”という自覚が出てきたのでしょうか?
三須  そうですね、コンサートを見に行ったりとか。そうなると、土曜日もセブンに行けない日が出てくるし・・
―― ハロプロが気になるようになったのは、何かきっかけがあるのでしょうか?
三須  2000年くらいかな?金曜日の深夜に、日テレで『フライデーナイトはお願い!モーニング』って番組をやっていたんです。翌日の土曜日は戦いなわけですよ、セブンで。その緊張をほぐしてくれると言うか。で、なっちを、安倍なつみさんを見ていて。見ていて、こう・・ 癒やされる。土曜日に戦いに行って、そのサイクルを繰り返す。まあ結局、なんだろうなあ?拠りどころが何もないじゃないですか?ふつうに戦っていると。
―― ぷよぷよの場合、代価がないですからねえ。それは自分も思いますね。
三須  それにプラス、自分の中にいろいろと厳しいものを思ってやっていたので、その中にひとつだけ、拠りどころができると。そのお陰でいろいろとうまくいったことがあるのですよね。自分のプレイを人に楽しんでもらうという効果もあるし。タレントさんは歌とかダンスとか、パフォーマンスで人を楽しませたり。2003年に、ハワイツアーに行ったんです。そうなると、土曜日はセブンに行けないわけです。かと言ってセブンのみんなに何か言うのもなあ、というのもあったり。ハワイに行ったあとあたりから、なかなかセブンに行けなくなったというか。子供ですからね、考え方が。申し訳ないなあと思いつつ、“ミスケンひどいなあ”ってみんな思っているんだろうなあと・・
―― 期待の裏返しは、どうしてもありますからねえ。
三須  うーん・・ でもそれも含めて、それまでに返してきているというか。技術的な部分だったり、イベントに出てくださいとか、いろんなものを含めて。オープンにやっていくというのがあったし、そこでしか返せないだろうなというのがあったので。ただ意外だったのが、そのあとセブンに行っても受け入れてくれるんですね、みんなが。ああ、本当にありがたいなあと。ただ実際問題、戦っている中で、気持ち的には続かないというか、あまりにも厳しい。厳しいプラス、ある意味共感できる人がいない。さっきも言いましたけど、調子が悪い、上がってない、思ったよりできていない。
―― 循環、ですか?
三須  自分が強いと思えないとか、いろんなことがあって。でも他の人から見ると、確かに強いわけです(笑)今だったら多分わかるし、何か厳しいものがあったりとか、分かち合えるものがあるのでしょうけど。当時は全然そこがこう、マッチしていなかったりもしたので、居心地がいいものではないです、基本的には。
―― 当時はまだ動画配信も一般的ではなかったし、本当にギリギリでやる相手がなかなか・・
三須  気持ちの中ではギリギリでしたけどね。
―― その時点ですでに6年近く第一人者と呼ばれ続けてきたわけですが、それは何かありました?“ミスケンイズナンバーワン”、“アイツを倒せば俺が世界一”という図式がずーっとあったじゃないですか。
三須  そうですね。まずその状態にもっていけたというのが、自分の中でひと区切りなんですよ。戦国時代からなんとか抜け出したというか。昔を思い出すと懐かしいですけど、服部君とかもいろんな時代があって。気持ちがあんまり乗ってない時期と乗っている時期といろいろあって。そういうのを見てきて、難しいよなあ~って思っていましたからねえ。でも、落ち着いてきた時期ではあったかな?“なんかミスケンがイチバン強いみたい”っていうのが、全国的になって。それと同時に、「どの場でも負けられないな」っていうのがありましたけどね。
―― それこそ、全試合勝たなきゃいけない。周りもそれを期待している。
三須  ゲーセンの戦いでも、対戦相手の顔をチラッと見て。今日初めて戦う相手だなって思うと、まず2本先取の一セットを確実に取る。つまりは、すべての乱入してきた相手に対して、通算勝ち星で上回る。セット数で上回る。これをしないといけないんです(笑)誰かひとりに負けているとまずいんです。
―― ううーん、うんうん(笑)
三須  だから、勝ち星数を計算しつつ、“この人にはかなり勝ったから”っていうときは、勝ちにいく試合というよりは、ある程度魅せる試合をやったりとか。“この人には少し負け数が多くなっているな”という場合は、確実に星を取りにいく。という風にして、1日のゲーセンでの戦いをまとめていく、みたいな。
―― それは、消耗しますよねえ。
三須  そうですねえ。
―― そういうギリギリで追い込んでいくと、例えば日曜日はどうなってしまうのですか?
三須  日曜日は、友達が僕の家にぷよをやりに来るじゃないですか。また戦うんですよ。でも、「戦いたくないなあ」という時期も、どこかにあったので・・ でも基本的に、本当に強くなるのはそれを受け入れてからなんですよ。受け入れてからが本当に強い、と思います。
―― これは音楽の話ですが、私の場合はDVDとアルバムとシングルだけで済ませてしまっています。ライブ会場へ直接足を運ぶのは、どう違うものなのでしょう?
三須  これは、やっぱり感性が、全然違う。得られる感じが違うと言うか、空気感も感じられるし。アーティストさんにもよりますけど、今のハロプロは全部生歌で歌ってくれるので。
―― あ、口パクではないのですね。
三須  一部ダンサブルなところを口パクにしたりするのですけど、でもそれは演出の一環であって。基本的には全部生歌です。そうすると周りとの掛け合いかとかがあるので、気持ちの繋がり方とかも全然違うし。昔は口パクだったのですけど、それがファンから結構批判されたりとかもあって。で、彼女達なりにかなり努力を積み重ねて。
―― 口パクを生歌に切り替えるのは大変でしょうね。運動量が・・
三須  そうですね、すごくダンサブルなやつもやっているので。それで生歌をやってくれているというのは、本当にリスペクトの気持ちがありますね。
―― 不勉強で、生歌とは知らなかったので。それは確かに共感しますよね。
三須  ハロプロの場合ライブが今一番いい・・ ライブ中心に活動している感じになっているので。ファンにも現場系や在宅系といろいろあって、それもいろいろ難しいのですけど。現場へ行っている人間からすると、より良さを体感できると。CDをiPodで聴いたりはしますけど、曲によってはライブで聴く方が多くなったりしますね。
―― 確かに生の雰囲気は、生歌だったらファンとしてはありがたいですね。その場でなければ絶対に聴けないわけですから。
三須  歌のレベルが上がっていくことも体感できるし、いろいろと生身で戦っている歌があるんです。
―― そういう時に、自身がぷよぷよの現場で戦っていたことを思い起こしたりすることはありますか?
三須  昔はよくありましたよ。
―― 昔ですか、なるほど。
三須  なんの要素でも同じですよ、スポーツを見ていたって同じじゃないですか?ぷよぷよ通で戦っていた時や、ALF君とかもそうですけど。自分も話を聞いて「そうなんだ」と、本当によくわかる。いろんなアスリートの話を聞くと、よくわかるなあと。なんかこう、本当に本質を求めていたというところがあるので、そういう視点から物事を見る癖がついていますね、完全に。

 


・2004年5月16日

 

―― 2004年の4月から5月にかけて、まずALF服部戦が行われます。これは服部君が勝つわけですが、もしALF君が勝っていれば、次はミスケンALF戦だったのでしょうか?
三須  そうなのかな、うん。かもしれないですね。
―― “全国二位決定戦”というのが、聞いたことのこないフレーズだったので。結果的に服部君が勝って、その直後に例のナミキ30本先取戦がありました。これは多くの人間が興味を持っていることですが、もしあのときミスケンが30本戦に勝っていたら、そのあとの100本戦は発生したのでしょうか?

三須  ・・どうかなあ? うーん・・ しなかったかもしれないですね。
―― しなかったとなると、そのまま・・
三須  それはわからないです。
―― もう少しあとになってから、改めてやったかもしれない?
三須  あの時確実に思ったのは、これは野性の勘ですけれども、「本当に、今日だなあ」と。いつまで続けられるかわからないけど精一杯やってきて、で、ある日に負けてもいい戦いができる。
―― あ、なるほど!
三須  これが本当の戦いができるところだなあと。この時を逃したら、多分もうないと思ったんですよ。自分のプレイがいいものではない、それに勝っても、そういう状態でやっても。それでいいのかなあと。
―― 30本戦が終わって少しあとに、改めて100本戦となりました。もしあの一戦で服部選手が勝っていたら、リベンジを挑む気持ちはありましたか?
三須  ないでしょう。
―― つまりその時で“これからは服部、お前の時代だ”みたいな・・
三須  そうですね、自分ができるのはここまでだなあっていう。勝ち負けは関係ない戦いなので・・ だからあの一戦だけは、他の100本とは違う。100本戦というのは、トータルで勝ちに行くんです。途中でギアを変えたりとかがあるんですよ。
―― あっ、はいはいはい。わかります。
三須  何本か拾って一定の差をつけて、そこから締めていくみたいな流れがあるんです。でもあの戦いはそういうのはなくていい、本当に戦いながらかなりリラックスできましたし。楽しみながら100本を戦いました。服部は本当に大変ですよ。
―― そうですよね、その前に一回100本戦をやっていたわけですから・・
三須  気持ち的にも。こっちのリラックスとは全然違う状況でしたから。自分の1P側と服部君の2P側とですごいオーラというか、すごく違う空気が流れて。でも僕はその試合のときは、本当に素で戦うというか、本当にまっさらな所で100本を戦えました。
―― 服部選手があの100本を受けてくれなかったら、もし服部君があのまま名古屋に帰ってしまっていたらどうしたと思いますか?
三須  どうでしょう?あまり想像がつかなかったですね。でも“できるところまでる”っていう考え方からいったら、その次にまたできると思うのか、そういう機会は来なのかというレベルにはなると思います。機会があればやるし、なければやらない。そういう風になるのは嫌だったので、「どうしても、今日やりたい」と。
―― ナミキ明大前はこの100本戦の3ヶ月後に閉店してしまいますが、あのあとナミキには行きましたか?
三須  行ってないですね。
―― ナミキへ行ったのはあの日が最後なのですね。ナミキが閉店することは知っていました?
三須  あまり知らなかった。ちょっと聞いたかもしれないですけど。
―― 何か、想いとかはありました?ナミキがなくなってしまうってことに。
三須  “去るものは追わず”というのがあるんですよ、僕は。だから何かがなくなるというのは、あんまり引きずらないというか。ハロプロで言えば、卒業メンバーがいたりとか。ぷよぷよ界からも、自分は去っていったわけですから。でも基本的には、それをこう悪い方向ではなく受け止めてくれる人たちがいるわけです。自分もそういう風にしたいし、ほかの人もそうやってくれるし。前向きに捉えますね、基本的に。
―― ミスケンサイトでミスケン服部戦に触れたり、“もうこれで長い勝負はおしまいにします”とか、そういう宣言は残しませんでした。もし誰かにそういうことを求められていたら、何か後々に残るようなコメントを残していたと思いますか?
三須  どうだろう?あまり記憶にないなあ、そのあたりは。その日に全部きっぱりやめるとしたら、書いたでしょうね。セブンにも完全に行かなくなったわけではないし。ただほんとに、100本と言うか、“マジな戦いはそこまで”って感じですね。

 

 

・プログラマーとして

 

―― その頃を境に、ぷよぷよ中心の生活ではなくなっていく。一社会人としての生活も含めて、生活リズムはどんな風に変わりましたでしょう?
三須  そうですね。2004年夏に、ハロプロの方で・・ なんだったかなあ、あれは?確か、“観客のマナーが悪い”だったかな?そういうことの書いてある掲示板を見つけて、自分もちょっといろいろ書いてみたのですけど。なんか他人任せなんですよ、みんな。

―― ああー、それはぷよぷよでも似たような・・
三須  そう。で、“無理だよ、どうせ無理だよね”っていう感じで、イラッと来て。“じゃあ今度のコンサートで係員に聞いてくる”というような話をして、実行動に出ることにしたんですよ。そのあと、2004年8月に、またちょっと。そこでも、“また聞いてくる”ということになって。その時、ハロプロでは結構有名な会場責任者の方とお話することになって。で、すごく深い話をちゃんとしてくれたんですよ。話をすればこんなにちゃんと考えてくれるのに、ファンにしっかりした話を、深い話をしてくれる人がいるのに、この温度差はなんだろうと。やる気さえあればいろいろできるのに、なんか外から言いたい放題、ダメダメみたいなことを言って、これはなんなんだというのがあって。そこから自分のハロプロサイトを作って、いろいろ提案してみたり。そうしたらやっぱり時間がない。今やっているインタビューみたいな、現場へ行って、直接話を聞いて。それをメモに書き写しながら、記憶を頼りに全部書き起こしてサイトに載せたり、地道なことをいろいろと。
―― 私もミスケンのハロプロサイトを見たり、“事務所へのメールが~”という記事を読んだりしました。あれは、事務所側の方も“載せて構わない”と言ってくれているのですか?
三須  一般のサイトなので、ふつうのファン同士の掲示板とある意味同じ考え方。基本たぶんそこに対して、何かまずいことがない限りはタッチされない。
―― 確かに、特定個人がどうこうというわけではないですからね。全体の話で。
三須  そうそう。ぷよぷよも真剣にやっていましたし、サイトの運営も真剣にやっていました。やっていることは変わったかもしれないけど、本質的には変わっていないというか。突き詰めてやっていく、仕事もそうだし。それが仕事とぷよとハロプロと重ねあっていく中で何か得られるんだろうな、何かここから出てくるんだろうなと思いながらやり続けていくというか。基本の考え方としては、色合いを重ねるっていう感じを持っていて。いろんなことをやったり、すごく難しい状況になったり、困難な風景を目にすると、それが色として残るんです。それが変な色なら、いっぱい積み重なるときに、その色ってそれを経験しなければ出ない色だろうし、そこからその色を持っているからこそ持てる色があるだろうということで、いろいろ体験や経験を積んでいったりとか。この期間は、めちゃめちゃ生活リズムは規則正しくなりました。6時間寝て、あとの時間はフル活動。それが何年間か続いていった感じでしたね。
―― プログラミングは独学で習得されたそうですが、具体的にはどのようにされましたか?
三須  最初は本を買いましたけど、合わないんですよねえ。人のプログラムもあまり見ないし。はっきり言って、ダメなんですよ。ダメダメプログラマー(笑)オリジナルの方法でいったのがうまくいった感じで。でもそのせいで、かなり苦労しましたね。頭がそんなに良くないので。
―― 頭が良くないって! 誰も信じませんよ!(笑)
三須  頭が良くなくてあまり勉強しなくて、自分のやり方しかできなくて。
―― はあ、いや、あの(笑)
三須  ある意味最悪です。でも何かこう、意志だけは固いので(笑)「簡単だ」って本には書いてあるんですけど、難しいんですよね。
―― それはよくある、キャッチフレーズというか・・ “ぷよぷよ7は初心者向け”というのと一緒で。
三須  理解できないんですよねえ。
―― 職場等で、ぷよぷよの話をすることはありますか?
三須  基本は、自分からはあまり言わないです。履歴書とかに書いたりはしましたけど。職場とかで、自分がぷよやっていたことは言わないですね。ただやっぱり、周りが言うことはあります。昔、求人サイトに載っていた僕の記事を見たりして。
―― もし誰かが、道場破り風に「ここにぷよぷよの三須健太郎さんがいると聞いたのだが」と押し掛けてきたらどうしますか?「いざ尋常に勝負しろ」って(笑)
三須  仕事場ですからね、オフだったら別ですけど。
―― それは「仕事が終わるまで待ってろ」ってことですか?それとも、「今日は帰ってくれ」ってことですか?
三須  まあそれは、一社会人として考えたらわかるでしょう(笑)仕事はふつうにしますからね。ただ会社で同じ部にいる人が帰省した時に、「うちの会社にぷよぷよのチャンピオンがいるよ」って話をしたら、顔色が変わった人がいたらしくて(笑)
―― ハハハ!
三須  「マジ!?」って、すごく真剣に(笑)
―― 喰いついちゃった人がいたんですね。
三須  「その人の名前ってなに?!」って聞かれて自分の名前を答えたら、「マジでェ!!?」って(笑)
―― 名人がいることを知ってしまったのですね(笑)
三須  ものすごいことになったらしいです(笑)あとでその話を聞いて、面白いなあって。
―― それはそうでしょう! 知っている人からしたら、「プログラミングさせている場合じゃないよ」って。そういうパターンがもっとあちこちであるといいのですけど。

 


・未来へ

 

―― 今年の8月、新宿のイベントで、相当久しぶりにぷよぷよの表舞台へ足を運ぶこととなりました。今までほかの機会で「イベントに来てください」とか「インタビューさせてもらえませんか」とか、そういう話って今までありましたか?
三須  あんまりなかったかな?ちょっとだけ、「誰それが100本戦やるから見に来てほしい」とALF君から声を掛けられたり、それくらいかなあ。
―― 身内の人も、そこは少し考えるかもしれませんね。8月に足を運ぼうと思ったのは、何か理由がありましたか?
三須  これは本当に、逆の発想ですけども。本当にきつくて、仕事もそれ以外もいろんな部分で。1年半くらいですかね、もう地獄でしたからね。
―― ミスケンブログに少し書いていましたね。
三須  本当に地獄だったので・・ 8月もまだ、その真っただ中だったのですけど。本当にきついなと。コンサートのチケットがあったんですよ、でもぷよイベントの誘いも来て。最初は断ろうと思っていたのですけど、でもこのきつい中で敢えて逆をいくというか、このままだと何も産み出されないと思って。何かを変えるため、何かに変化をもたらすためというか。他にもいろいろあって。なんか軽いことが多いなあ、世の中的に軽いことが多いなあと思うことが多いんですよね。仕事していてもそうだし、ハロプロ関係をやっていてもそうだし、最初の原点も同じですよね。本気でやれば、何かが変わったりする。軽いなと思うことが多くて、つまりそこで重い決断というか、自分が行けば喜んでくれるんだろうな、と。
―― はい、それは喜ぶでしょう。
三須  まだ自分でも、見せられるものがあるんだろうなあと。それは心にゆとりがある時期に行くのではなくて、本当に厳しい中で何かを起こすというのは、何かそこから産み出せればいいなあというのがあって。コンサートに行っても、いろいろあるんですけどね。いろんな問題、ファンの中の問題とか、そういうものの中に敢えて突入するとか。それでも常にこう・・ ふつうの人が選ばない方法に進んだりする。ぷよもそうですけど、ふつうの人が進まない方法に行く手もあるんです。あれが正解とかこれが正解かもってうろちょろするのではなく、自分の力で遺していくというか、かなり気持ち的には入っていました、いろいろと。
―― 相当久しぶりにスポットの当たる場所に出た、かなりのお客さんが、“三須健太郎”、“ミスケン”、“ぷよ名人”だと。「この人がそうなのか」という反応が相当来たと思います。若い子から声を掛けられたりとかしましたか?
三須  ありましたね。若い子のグループの席に入れてもらったのですけど、結構話をしてもらいました。「DSでぷよ対戦してください」とか。
―― DSでですか?(笑)
三須  いいなあと思いましたね。96年にクラブセガ秋葉原で行われた電気街アルル100人組み手に行って、一挑戦者側で出たりとか。イベント前の野試合ではアルルさんに勝ったのですけど、組み手本番では負けちゃって。そのときのことを思い出しましたね。なんの世界でもそうですけど、強い人と対戦したりしてそれで変わったりとか、きっかけになったりとかありますからね。ほんと、いろんな人たちがぷよやってて、ぷよに係わらずですけど、いろんなものに真剣に取り組んでいくっていう気持ちが生まれていくのかなあと。いいですよね、なんか。
―― これはほとんど願望に近いですけど、もう1回服部君と戦う。たとえば来年の3月にトップ4のS級リーグ戦が行われて、それで服部君が100本戦をやめると。たとえばそれに、ミスケンに加わってもらうと。今の世代は選手の格付けを気にするし、最強論争のど真ん中に“全盛期のミスケン”が現在も出てきますが・・
三須  見ていて思うのは・・ 他人がどうこうっていうものの考え方と、自分が何をできるかっていう考え方が、ちゃんと考えられるようになれるといいのかな、と。他人がどうこうはオプションであって。自分はどうこうが主だと。復帰に関しても、それはオプションで楽しむ。現実には、生身の人間が動かなければ何も始まらないわけですから。100年間見続けても、何も起こらないかもしれない(笑)強さに関しても、過去とは比較のしようがない。もし自分が逆の立場なら、どう振る舞うのかを考えてみたりとかしたら・・ そこから学ぶ、いろんなものを学ぶ。世の中的にはこういう、僕はよく思うのですけど、何か気付いたものがあると、のちのちにいろんな見られ方をするんだろうなあと。本人の立場は置いといて、いろんな見方をするんだなと。でもそれは見ている側からしても、なんか感じ取れるものがあって。感性を磨く材料になると思うんです。雑談みたいなもので流していくのはもったいないなと思うことはありますね。あれじゃないですか、ミスケンより強くなっちゃえばいいじゃないですか。全盛期のミスケンより、ぽーんって(笑)
―― ぽーんと!そんな簡単なものでは(笑)確かに、そういうプレイヤーが将来現れれば・・
三須  ぽーんって出て、「あ、ミスケンより全然強いじゃん」って話になっちゃえば(笑)
―― それは確かにシンプルですね(笑)
三須  でも本当は、「ミスケンって強いプレイヤーがいたんだ。でも自分は我が道を行くんだ」って言って、誰からも「ああ、この人は本当に強いねえ」と。それが一番、自然じゃないかと。

 

 

・ミスケンにとっての、ぷよぷよ

 

―― 最後にいくつか。これは全員の方に聞いているのですが、三須名人にとってのぷよぷよとは、なんでしょう?
三須  ・・・・(13秒沈黙) なんだろうなあ・・ 基本的には、基礎ですね。基礎。
―― 基礎。それは人生の、ということですか?
三須  いろんな部分でそう・・ 考え方の基礎であり、強制された部分みたいなところもあるのですけど。上に行けば上に行くほど、条件は狭まってくる中で自分をそこにもっていくと。自分が動かないと始まらないんですよ。他人を負けさせるようにはいかない。自分が勝つように動き続けるしかない、それもすごく狭い道を。問題解決とかもそうだと思うんですよ。他人に解決してもらうよりは、やはり自分で進んでいく。何をしても無駄であっても、結果を出すために動き続けるための基礎だなというのがありますね。嘘がつけない。 ・・本当に、心から正直にならないと勝てないですからね、ぷよはねえ、うーん(笑)
―― もうひとつ。来年、もう明後日から2011年ですけど。セガさんがぷよぷよ20周年の企画を考えているようですし、服部君が来年の冬に『ぷよぷよ通を学ぶための本』を出す予定です。20周年のぷよぷよや、若い人たちに何かメッセージがあれば・・
三須  ああー・・(8秒沈黙) 何かを生み出せる人になって欲しいですね。すべてのものから何かは得られるけど、得ようと思わなければ全部抜けていく。 ・・ぷよぷよも、何かを得ようとして結果的にいいものを得ることができるし、そうじゃなくすることもできる。すべてを自分で判断して進んでいけるので。強くなるにしろそうでないにしろ、何かを高めるものになっていけばいいなという感じはしますね。ぷよぷよというゲームの本質にはあるんですよ。用意されているというか、感性を高めるもの自体があるから、とてもいい題材だと思います。そこで経験した感性が、人生に活かされていくと。こんな感じですかね。 
―― 本当に今日は、どうもありがとうございました!

 


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 2010年12月30日(木)
  15時40分~19時20分

 於:横浜ワールドポーターズ
   5階“SuraBaya”(横浜市中区)

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 三須健太郎(ミスケン)
 神奈川県出身、神奈川県在住。

 旧全日本ぷよ協会公認ぷよ二段、二代目ぷよぷよ名人、ハロプロサポーター。アーケード版ぷよぷよ通スコアアタック全国4位。ぷよぷよ全国大会優勝多数、レーシングゲーム及びジャグリング全国一位獲得多数、テレビ出演多数。
 現在は株式会社ドワンゴのエンジニアとして勤務。2016年の紹介記事は、こちらを参照のこと。

 

 

 

 

 

   横浜みなとみらい地区。

   左から順に、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル、大さん橋、
   大観覧車コスモクロック21、よこはまコスモワールド、ワールドポーターズ。