新商品疲れ

もともと僕は一目惚れタイプで、何かを好きになるときは第一印象で決定される場合が多い。恋愛においてのみならず、たとえば洋服を物色しているときにも初見でズドンと来たものを買うし、一度好きになってしまえばボロボロになるまで徹底的に着込む。
食べ物に対しても同じで、特にコンビニで恋に落ちることが多い。コンビニに並ぶお菓子やおにぎり、飲料水は、ほとんど毎日新商品が出陣してきているのではと思うほど入れ替わりが激しく、当たり外れはあるものの、運命的なおいしさと出会う幸運だって皆無ではないので、自分の好きそうなものには積極的に手を出していた。あるところでそれをパタリとやめたのは、新商品の猛攻勢についていけないから、ではなく、好きなものを見つけてしまうのが怖くなったから。
どれだけ好きな味を見つけても、昨今はどれも短命で、まず間違いなく姿を消す。短い逢瀬を楽しめばいいのかもしれないが、僕の場合惚れ込んでしまうから始末が悪い。ぞっこんになった相手が次から次へと転校していくようなものだ。そんな理不尽な失恋を重ねていたら、恋愛そのものに臆病になって当然だろう。
いったい、新商品から定番商品へ昇格する確率はどの程度のものだろう? 棚上の変遷から推測するに、ひどく低いに違いない。新しいものが出ては消え、出ては消え。世の潮流とわかっているし、開発側こそ大変だとも思うのだが、こちらも割に疲れてしまう。
近頃は、自動ドアの向こうで待ちかまえる新作たちを思うとそれだけでいささかの気後れを感じるので、消える心配のない梅干しおにぎりやグレープフルーツジュースあたりをピックアップしてレジへ急ぐことにしている。僕にできる、ささやかな抵抗だ。
それでもときどき、視界に飛び込んでくる商品がある。あたかも美貌の転校生みたいに。そこはもう惚れた弱みと諦めて、連れて帰るしかないわけだけど。
南日本新聞 南点 2010年5月12日掲載
後続ランナーの特権

先日、姉が誕生日を迎えた。僕より二つ上。同じ高校で同じ部に属していたこともあり、周囲からは仲良しに見られていたかもしれないが実際は喧嘩が絶えず、僕が腕力で勝るようになるまでは肉弾戦も辞さない間柄だった。姉にしてみれば年上というだけで責任を負わされ、反対に年下というだけで庇護される僕に憤慨するのは当然だったろう。僕は僕で、姉が常に先を走っていることに苛立ちを覚えていた。
さすがにもう喧嘩はしないし苛立ちも無いが、あとを追う感覚は今も根強く残っている。
人生が障害物競走だとして、先行ランナーの姉を観察することで、経験の少ない僕は先に待つ障害を予測し、ときに要領よく立ち回ることもできた。それは年下の特権で、弟・妹を持つ人々が口を揃えるように、「年下はずるい」ものだ。勉強のこと、友人のこと、教師のこと、恋愛のことを、僕は姉から予習した。一方でそれをつまらないと感じることもあった。姉を通して二年先を生きているようで、新鮮味を欠く出来事も少なくなかったからだ。
姉の成功と失敗から近道や抜け道まで学べたのは良かったが、それもある歳までのこと。この競技において障害物が毎度違った形で現れるのは把握していても、その差が広がっていくとは知らなかった。仕事、結婚、子どもの問題。姉の背中に抜け道を見つけることはもうできない。
実を言えば、どこかで姉を追い抜くつもりでいたが、それもまた幼く浅はかな考えだった。なぜなら僕は既に後続ランナーじゃない。部下がいて、娘が生まれ、三十代も半ばだ。振り返れば先行ランナーになっている自分を発見する。うまく立ち回ろうと失態を演じようと後続者たちには同じだが、できれば上手に乗り越えてみせたい。だから僕は五月が巡ってくるたび、二年先を見る。待ちかまえる障害がなんであれ「乗り越えられる」ものであることを教えてもらい、自らの糧とするために。
南日本新聞 南点 2010年5月26日掲載
幽霊はここにいる。

幽霊についての話をしよう。と言っても怪談の類ではなく。
二十四歳のとき、新聞の短い記事で知人の死を知った。阿蘇の山道でバイクに乗っているとき、自動車との衝突で彼は亡くなっていた。大学で同じクラスで、さほど親しくはなかったが、それからの数日というもの、折に触れ彼を思い出した。のっそりした風貌。穏やかな口調。不器用な笑顔。ディテールが増すほど存在感は強まっていった。これは古典的な幽霊の在り方だ。乱暴に言えば脳が見せる幻覚、「記憶」の別名とも呼べる。自分が生きている限り、この手の幽霊は身近な人物の死を通じて数を増やしていくだろうし、誰しも覚えのあることだと思う。
もうひとつ、従来とは違った在り方について。
ネットで調べ物をしていると、あるブログに行き着いた。筆者の人柄が滲み出るような文章に惹かれて、当初の目的はそっちのけに古いものから時系列に沿って記事を読んでいった。ようやく最新ページに来ると、筆者の弟を名乗る人物がこんな文章を書いていた。
「先日、兄が亡くなりました。このブログを書くこと、そしてそれを読んでいただけることを励みにして、長い闘病生活の最後の数年間を幸せに送ることができました。本当にありがとうございます」
最新記事の日付もずいぶん古いもので、読み終えたとき僕は、今まで向き合っていた人物が幽霊だったかのような困惑に見舞われた。考えてみれば、現実の知り合いと違ってディスプレイ越しの知人が存命であるとは限らないわけで、パソコンや携帯で目にしている人物の幾らかは既に幽霊なのかもしれず、ネット上の情報が蓄積されていくものならば、死者の割合は増加の一途を辿るわけだ。
裏を返せば、ネットに写真や文章をアップロードする行為は幽霊を生産することでもある。そう、自分自身の幽霊を。
南日本新聞 南点 2010年6月9日掲載
仮の挨拶

始まりがあって、終わりがある。そんな物語を初めて書いたのは中学二年生のとき、学校で、原稿用紙二枚分ほどを一息に、友人の机にシャーペンで綴った。自分の席に戻ってきた友人がそれに気づいて読み進めるのを、僕は遠目に観察した。
なぜそんな大胆な行為に出たのか、今も不思議でならない。物語を考えることは僕の日常だったが、誰かに読ませるなど想像しただけで燃え出しそうなくらい恥ずかしく、家族にさえ秘密にしていたのだから。
二〇〇五年の春、文芸誌の新人賞で最終候補に残った際も、妻しかそれを知らなかった。受賞すれば実家には伝える気でいたが、結果は落選。その数日後、父が出張で上京したときに半ば開き直って、小説を書いていること、最終で落ちたことを打ち明けた。すると父は嬉しげな表情で「そうか、書いてたのか」と言い、こんな話を聞かせてくれた。
僕が生まれたころ、父は毎日バスで片道一時間をかけ通勤していた。ある日、乗客たちを眺めながら「この人たちの生活を小説に書いてみたい」と思ったそうだ。お世辞にも父は文章が巧くはないし、小説を書くイメージもまるでない。実際に書いたのか、構想はどんなものだったのか、詳しいことは何も聞かなかった。ただ、四月の初め、おだやかに明るい部屋の中、父が、なにか大切なものが帰ってきたように僕の失敗を受け止めてくれた、それで充分だった。
以来、僕は父の話を時折思い返しては、自分が小説を書くルーツをそこに見出し、同時に、父を含むバスの乗客たちの物語が今も続いていることに気づかされる。そしてこう考える。始まりも終わりも無いのだと。あるとすれば、始まりは僕の生まれる遥か前に存在し、終わりは僕の死のずっと後に訪れるのだろう。それ以外はすべて仮置きのものにすぎない。
ゆえに、これもひとまずの結びということになる。半年間、ありがとうございました。またいずれ。
南日本新聞 南点 2010年6月23日掲載
この本の内容は以上です。

中山智幸