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仮の挨拶



 始まりがあって、終わりがある。そんな物語を初めて書いたのは中学二年生のとき、学校で、原稿用紙二枚分ほどを一息に、友人の机にシャーペンで綴った。自分の席に戻ってきた友人がそれに気づいて読み進めるのを、僕は遠目に観察した。
 なぜそんな大胆な行為に出たのか、今も不思議でならない。物語を考えることは僕の日常だったが、誰かに読ませるなど想像しただけで燃え出しそうなくらい恥ずかしく、家族にさえ秘密にしていたのだから。
 二〇〇五年の春、文芸誌の新人賞で最終候補に残った際も、妻しかそれを知らなかった。受賞すれば実家には伝える気でいたが、結果は落選。その数日後、父が出張で上京したときに半ば開き直って、小説を書いていること、最終で落ちたことを打ち明けた。すると父は嬉しげな表情で「そうか、書いてたのか」と言い、こんな話を聞かせてくれた。
 僕が生まれたころ、父は毎日バスで片道一時間をかけ通勤していた。ある日、乗客たちを眺めながら「この人たちの生活を小説に書いてみたい」と思ったそうだ。お世辞にも父は文章が巧くはないし、小説を書くイメージもまるでない。実際に書いたのか、構想はどんなものだったのか、詳しいことは何も聞かなかった。ただ、四月の初め、おだやかに明るい部屋の中、父が、なにか大切なものが帰ってきたように僕の失敗を受け止めてくれた、それで充分だった。
 以来、僕は父の話を時折思い返しては、自分が小説を書くルーツをそこに見出し、同時に、父を含むバスの乗客たちの物語が今も続いていることに気づかされる。そしてこう考える。始まりも終わりも無いのだと。あるとすれば、始まりは僕の生まれる遥か前に存在し、終わりは僕の死のずっと後に訪れるのだろう。それ以外はすべて仮置きのものにすぎない。
 ゆえに、これもひとまずの結びということになる。半年間、ありがとうございました。またいずれ。

南日本新聞 南点 2010年6月23日掲載

この本の内容は以上です。


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