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第22話 虚ろの中の

「ん・・・」
 食器の触れる音に気づいて、レイチェルは目を覚ます。
「あ・・・ごめん。起こしちゃった??」
 レイチェルのベットのすぐ横で、チャイムがカップを傾けながら本を読んでいた。
「ううん、いいの・・・。
 今、何時?」
 そう言いってベットから身を起こすレイチェル。心なしか、まだ体が重い。
「まだ8時よ。レイチェルも紅茶飲む?」
「うん、お願い」
「そ。じゃ、待ってて」
「ごめん」
 互いに短い言葉を交わし、チャイムはキッチンへと向かっていった。
 レイチェルは目を擦りながら部屋を見回すと、部屋の隅に置かれた椅子で、トキが座ったまま眠っていた。腕を組み、膝の上で本を広げたまま、天井を見上げるような格好で眠っている。流石にトキも疲れが溜まっていたのだろうか。

 あの後。
 ルゴワールの軍隊を退け、トキが本当に1人で奪ってしまった戦艦に旅客船の乗客を移し、一番近くの港まで船を走らせた。
 到着した港は、アスラムよりやや南の都市ベルヘイム。結果的には当面の目的地であるバイアルスにやや近い場所へ上陸出来た事になる。幸いな事に、トキの話ではベルヘイム領に対するルゴワールの影響力は皆無だという。
「まぁ、あんな襲撃をしてくるくらいですから・・・どこに居ても一緒って気もしますけどね」
 最後に付け加えられたトキの言葉にチャイム達は不安にさせられたが、今の所ルゴワールからの襲撃は無い。港に突然軍艦が入ってきて、ベルヘイムの街は大騒ぎになったのにも関わらずだ。この事はルゴワールの耳にも入っている筈であろうが、彼等から何のアプローチも無い事はがかえって不気味だった。
 もしくは、エアニスとトキの強さを警戒するようになったのか。たった2人の人間に、3隻の軍艦と数十人の兵隊が潰されたのだ。その常識を逸した事実を、果たしてルゴワールはどう受け止めたのか。
 それが2日前。
 港での騒ぎも収まらないうちに、4人は街を出て、バイアルスへ向けて旅を再開させた。しかし、隣町まで進んだ所で、レイチェルが倒れてしまったのだ。
 船上での戦いで過度剰に魔力を消耗し、その体で旅客船に乗っていた乗客達の救護手当てを続けるなど、レイチェルは動きづめだった。魔力の消耗による精神の衰弱と身体的疲労が重なり、レイチェルは熱を出してしまったのだ。
 当然、そんな状態で旅を続ける訳にはいかず、やむなくレイチェルの体調が戻るまで、この町に留まる事にしたのだ。それに疲れていたのはレイチェルだけでなく、チャイムも、トキも、そしてエアニスも同じであった。多少の危機感、焦りといったものはあったが、トキの言葉のように「何処に居ても同じ」、という感もあったので、皆この場に留まる事に異論は無かった。
 とはいえ、レイチェルも1日ゆっくり休んだだけで魔力は全快し、体調もほぼ元に戻りつつあった。自分が皆の足止めをしてしまったと感じているレイチェルにとって、こうしてベッドで横になっている時間がどかしい。
 チャイムがカップと砂糖を持ってキッチンから戻ってきた。
「エアニスさんは?」
「あいつ?
 まだ戻って無いわよ。明日には戻るって言ってたけど・・・」
 チャイム達の泊まる宿に、エアニスの姿は無かった。この町での滞在が決定するや否や、3日程別行動を取らせてもらう、と言い出したのだ。主戦力の離脱に不安を急き立てられたチャイムはエアニスを止めた。そのエアニスは、素っ気無くこう言った。
「墓参りだ」
 その一言で、つい口をつぐんでしまった。誰の墓参りかは聞けなかったが、チャイムの予想が当たっていた事は、後にトキから聞かされた話で確認する事が出来た。
 以前、トキがエアニスから聞いた話によると、 "レナ" という少女の故郷はこの地なのだという。そして彼女の墓標が、この街から離れた小さな村にあるという事も、トキは聞いていた。
 船上での稽古の合間に少しだけ聞いた、エアニスの過去。その話を聞く限り、レナという少女は、エアニスにとって特別な存在だったという事は間違いない。それを聞いている以上、チャイムはエアニスを引き止める事が出来なかった。それに、船での一件以来、どうにもエアニスの様子がおかしかった。常に考え事をしているような面持ちで、一言で言えば、無気力状態。もともと元気のある性格ではないが、いつもの様にチャイムがエアニスをからかうような事を言っても、心ここにあらずといった様子であっさりと受け流されてしまうのだ。その様子は露骨に表に出ており、そんなエアニスにトキは溜息を、レイチェルは戸惑った様子を見せていた。エアニスを墓参りへ送り出したのも、彼が1人になる事で、または墓参りをする事で何かしらの心の整理がつき、いつものエアニスに戻ってくれるのならば、それはチャイム達にとって歓迎すべきことであったからだ。
「・・・あいつでも凹む事あんのね・・・」
 自分の紅茶をすすりながらチャイムが呟く。レイチェルは苦笑した。あいつと言うのはもちろんエアニスの事だ。
「そうね・・・。流石にあんな派手な襲撃に遭うとは思わなかったし・・・」
 チャイムもレイチェルも、ルゴワールを甘く見ていた。たった4人の人間を相手にするのに、まさか軍隊を引っ張り出して来る事など、考えもしなかった。ルゴワールが、次はどのような手を打ってくるのか考えると気が重くなる。チャイムもレイチェルも、その事が心に引っかかり、一時取り戻していた元気を無くしつつあった。
「エアニスが気にかけているのは、その事じゃ無いでしょう」
 眠っていた筈のトキが、突然話し出した。
「あんた、起きてたの・・・?」
「たった今目が覚めました。それより、あまり気に病まないで下さい。
 僕達が責任を持って、お二人をバイアルスまでお連れしますから」
 いつもの軽く中身の無い笑顔とは違い、珍しく自信に満ちた笑みを浮かべるトキ。それすらも、作り物なのかもしれないが。
「こんな言い方は自慢みたいで嫌ですけど・・・今回の襲撃にしろ、他の乗客も守るという目的が無ければ、もっと早く片付いていました。はっきり言って、僕もエアニスも、ああいうのが何人集まったとしても、敵ではありません。それは今回の戦いで証明出来たと思いますが?」
 チャイムはトキが一人で制圧したという戦艦の事を思い出した。船内のあちこちで乗組員が息絶えていた。あるものは心臓を一突きに。またあるものは額を撃ち抜かれて。殆どの乗組員が、最小限の傷で死に至っていた。
 あいつは仕事が綺麗だからな。
 旅客船の甲板で、トキの戦い方をそう評したエアニスの言葉が今では良く分かる。
 トキは膝の上の本を閉じて、考えるような仕草を見せる。
「エアニスが気にしているのは、最後に現れた2人組みの事でしょう」
 戦いの最後に現れた、銀髪の2人の男女。エアニスは、”向こう側の人間”。レッドエデンの住人と言っていた。
「あれは・・・何者なの?」
 トキはわざとらしく肩を竦めて見せる。
「さあ?
 僕は直接彼等を見た訳ではありませんし・・・元々僕も、そんな存在はおとぎ話の中だけだと思っていたクチですからね。
 僕より、レイチェルさんの方が詳しいのでは?」
 話を振られて固まるレイチェル。暫くして溜息とともに肩の力を抜いた。
「私も、世間で知られているおとぎ話程度の事しか知りません。
 ただ村の教えでは、それはおとぎ話ではなく本当に存在するのだと、昔から聞かされていましたけど・・・」
 殆どの魔物は、250年も昔にレイチェルの先祖、魔導師エレクトラによって封印されたと伝えられるおとぎ話。それによると、彼等はエレクトラの手によりこの世界とは別の世界、"レッドエデン"と呼ばれる地へと追放されたのだという。しかし、中には封印から逃れた者や、封印された世界から抜け出し、こちらの世界へ戻って来る者が存在しており、今もこの世界に魔物という存在は潜んでいるのだという。
 それは誰もが知っているおとぎ話であるが、魔物が今の世界に存在しているというフレーズは、誰も信じていない。あくまで、ただの"御伽噺"。そのような存在が確認され、世間にその認識が広まったという話は聞いた事が無い。しかし、レイチェルはエルカカの魔導師達に、その存在は実在するという事を子供の頃から教えられてきた。
 レイチェルは、まさかそのような存在と遭遇したり、ましてや敵対するなどとは、思ってもみなかった。レイチェルも自分の言葉にどこか現実味を欠いている事は自覚していた。受け止める事実にしては大きすぎる事だと、心の底で感じているからだろうか。そのように自己分析している自分も、また何処かひとごとだ。レイチェルは堂々巡りをする自分の考えを打ち切った。
「魔族・・・ね」
「はぁ・・」
 呟くチャイムとトキも、どこかピンと来ていない様子だった。あの銀髪の二人組はやはりただの人間で、チャイムたちは担がれているのかもしれない。そう考えたくなる。
「・・・なんだか、エアニスはやたらビビってたけどね。何か知ってるのかしら」
「エアニスの事ですから、案外魔族と喧嘩した経験でもあるのかもしれませんね。
 そうそう、良くは知りませんが、エアニスの剣はそういった存在にも対抗できる、魔力を持った剣だそうですよ。以前、そんな事を自慢された覚えがあります」
 チャイムとレイチェルは上目遣いでエアニスの持つ剣を思い出す。
 薄い刀身の長剣。剣の腹は赤黒い石のような質感を持ち、見た事が無い文字か記号かが刻み込まれている。刃の部分だけ磨き込まれた金属の輝きを持ち、柄はコウモリか悪魔の羽を思わせるような装飾と、ルビーのような石が収まっていた。確かに不思議な力を持っていてもおかしくは無い、怪しい雰囲気を持つ剣だ。
 実際、製造方法が解明出来ない不思議な力を持つ古代の魔導具はこの世に幾つも存在する。それらの中には、刀剣類といった形を持つものも多い。
 その多くは宗教的な価値を持ち、強力な力を持つ物は寺院などで御神体として祭られていたり、そうでなくても博物館に納められていたり、魔導の研究所や学者が引き取るといったケースが多い。市場で取引される事は皆無に近い。エアニスのように実用しているといったケースは、更に稀だろう。
「物凄く高値で売れるらしいですよ。正直、腰に下げて出歩けるようなシロモノじゃ無いって話でした。
 本当か嘘かは知りませんけど」
「はぁ・・・」
「へぇ・・・」
 これまた現実味を欠く話で、レイチェルとチャイムは曖昧なあいづちを打つ。
「とにかく、アイツが帰ってきたらちょっと話、聞かせて貰いたいわね」
「エアニスの帰りは、明日の夕方以降にはなると思いますがね。
 今頃、目的の村に付いている頃じゃないでしょうか?」



 庭の掃き掃除をしている初老の婦人が、遠くから近づいてくるエンジンの音に気づいた。
「おや、まぁ」
 その車を見て、その老婦人は驚いた顔をした。車は庭から少し離れた木立の下に停まり、車から琥珀の髪を揺らし男が降りてくる。
「どうも。ご無沙汰しております」
 柄にも無い言葉遣いで挨拶をしたのは、車を走らせやって来たエアニスだ。
「お久し振りね。エアニスさん。どうしたの?
 ミルフィストから、はるばるここまでやってたの?」
「えぇ、仕事・・・みたいな事で、近くまで来たものですから」
 言いながらその場所から見える小さな丘を眺めるエアニス。丘の先には一本の木が立っていた。。
「レナさんのお墓参りに来たのでしょう?
 お墓は私が毎日掃除しているからね。でも、エアニスさんが来てくれないと、やっぱり寂しいんじゃないかしら?」
 老婦人の言葉にエアニスは困ったような顔で笑い、車から鞄を一つ取り出すと、それを持って丘を登り始めた。

 村の中で一番高い丘の上。ここからだとゆるやかに広がってゆく平原を見渡す事ができる。レナの好きな眺めだった。その丘に立つ木の下に、背の低い小さな墓標が立っている。
 レナ=アシュフォード。墓石に記された文字を見ると、わずか17年でその生涯を閉じた事になっている。
 その墓標の隣に、彼女はいた。



「よう。久し振り」
 軽く手を振るエアニスに、墓標の隣に佇む淡い髪色をした少女は柔らかく笑った。エアニスもその微笑を見て、優しく笑う。
 彼女の姿は、エアニスの目にだけ、映っていた。

 それは、この世に現れた霊魂というものか。それとも、エアニスが見ているただの幻か。
 それが何であろうと、エアニスは構わなかった。ただ、彼女が目の前にいるという事が全てであった。
 エアニスは小さな墓標の隣に腰掛け、鞄から2つのカップと瓶を取り出し、中身をカップに注いだ。
「アップルティー。好きだったよな、確か」
 カップを石碑の前に置き、エアニスも紅茶に口を付ける。
「また愚痴を話しに来たよ。
 前来た時に、トキっていう変な奴と同居する事になったって所までは話したよな。
 そうだな、どっから話すかな・・・」
 エアニスは最近の身の回りの出来事を話し出した。戦争が終わるまでは考えられなかった、平穏で何も無い、退屈な毎日。またま手助けをする事になった、2人の少女の事。
 そして"石"の事。

「全く、因果な話だよ」
 レナはエアニスの隣に座り、黙ってエアニスの話に耳を傾け、ただ優しく笑っていた。
 ここに来れば、彼女を強く感じる事が出来た。
 彼女は、エアニスが唯一全てを認めた存在。
 そして、自分のせいで死なせてしまった人。
 レナは自分を許してくれるのだろうか。
 エアニスの隣にいるレナは、今優しく微笑んでいる。
 ここに来る度、彼女に問いかけてみたいと思う事がある。
 お前は、俺を許してくれるのか、と。
 答えを聞きたい。
 声を聞きたい。
 しかし、それを口にすると、彼女が消えてしまうような気がした。
 根拠も何も無い。
 ただ、そんな気がするというだけで、エアニスの唇はその言葉を紡ぐ事は出来なかった。
 自分の予感が的中する事が、恐ろしかったから。

 夢のようで幻かもしれない2人だけの世界で、時間はゆっくり流れる。
 2人の時間に合わせるように、ゆっくりと空が紅く染まる。
 日が落ち、空に月が懸かろうとも、エアニスは彼女の元を離れる事は無かった。

第23話 Masquerade

 チャイムが読んでいた本から目を離すと、トキが棚や鞄を探りながら部屋の中を歩き回っていた。
「さっきから何してんの?」
 トキは頬を掻きながら答える。
「えぇ・・・そろそろ夕食でしょう?
 何か食べ物を調達してこようと思ってるんですが・・・
 チャイムさん、僕とエアニスの財布知りませんか?」
「えっ!?」
 この旅の資金は、エアニスとトキが共同出資している出所不明の謎資金でまかなわれている。二人の共通の財布はチャイムも見た事があったが・・・。
「あれって、トキが管理してる筈じゃないの?」
「そうなんですけど・・・僕の記憶が確かなら、車の中に置きっぱなしにしてしまったような気が・・・」
 自信なさげな返事をして、ついチャイムから視線を逸らしてしまうトキ。
「じゃあ財布は車に乗ってっちゃったエアニスが持ってるって事ね・・・・
 って、どーすんのよ、今日の晩ゴハン!!」
「チャイムさんのお金を、今晩の食事代分貸して頂けないでしょうか?
 僕個人の持ち合わせも無くなってしまいましてね」
「あたしもレイチェルも遠の昔に一文無しよっ!!」
「・・・それは・・・初耳ですね」
 ベットではレイチェルが頬を掻いている。



「仕方ないですね。ちょっとお金下ろしてきますか」
「え、トキ、銀行にお金あるの?」
「いえ、銀行ではなく、ギルドに預けたお金がありますので」
「・・・トキもギルドで仕事してたんだ・・・
 な、なんかイメージ違うな」
 ギルドというのは仕事の斡旋や賞金首の手配等を行う、いわば旅人の仕事の紹介所だ。必然的に柄の悪い、流れのごろつきばかりが集まってしまう場所でもあり、チャイムはギルドに立ち寄った事は無かった。エアニスは時折、ミルフィストのギルドへ顔を出しているような事を言っていたが、トキも出入りしているとは少々意外だった。
「まさか。僕はあんないい加減な所で仕事はしませんよ。
 僕のお金では無く、エアニスの稼いだ賞金が預けられたままなんです。
 暗証番号等、引き出しに必要な知識は頭に入っているので、問題ありません」
「問題ありませんって・・・いいの、そんな事勝手にしちゃって。
 エアニス個人のお金なんでしょ?
 それに、なんでアンタがそんな事知ってるのよ??」
「しかし、困りましたね。
 エアニスも居ない事ですし、買い物の為に僕がお2人から離れるのも考え物、ですか」
「・・・」
 チャイムの質問をあっさり無視して問題点を切り替えるトキ。一瞬突っ込もうかと思ったが、エアニスのお金を勝手に引き出しても困るのはそのエアニスだけである。今晩の食事の為に、チャイムは涙をのんで突っ込みを自重した。
「わたし達も一緒に行きましょうか?」
 ベッドから身を起こし、レイチェルが提案した。
「でもレイチェル、体は大丈夫なの??」
「うん。魔力はもう十分回復してるし、体調もほとんど戻ってるから、大丈夫」
 乱れた髪を整え、元気そうな笑顔でレイチェルは言った。トキとチャイムも安堵の表情を浮かべる。
「それなら、買出しも一緒に済ませて、久し振りに美味しい食事の出来る所でも探しますか」
「賛成っ!」
「あ、でもエアニスさんには悪いですね・・・」
「いいのよ、アイツはアイツで一人で羽伸ばしてるんじゃないの??」
「んー・・・だといいんですけどねぇ」
 意味ありげなトキの相槌にチャイムとレイチェルは訝しげな顔を浮かべる。
「まぁ、仲間外れも可愛そうなので、エアニスには何かお土産でも買っておきましょうか」
「あんたのお金じゃないのに良く言うわねー・・」
 流石のチャイムも、今度ばかりは思わず突っ込みを入れてしまった。



 小高い丘の上にある小さな墓標。
 その隣に立つ木立に背を預け、エアニスは眠っていた。レナの墓参りに来る時は、いつもここで眠る習慣がついてしまっていた。秋が訪れていたミルフィストよりかなり北に位置するこの土地は、まだ夏の終わりといった気候で、薄い毛布にくるまるだけで十分眠る事ができた。
 これからバイアルスへ向けて南下して行く程寒い気候に変わり、目的の場所へ到着する頃は冬の入り口に差し掛かる頃だろう。
 そんな事を思いながら浅い眠りに浸っていると。

 突如、夜の闇に陰湿な殺気が満ちた。
 ざっ。
 エアニスは毛布をかなぐり捨て、抱いて眠っていた剣を抜き放った。
( 誰か、見ている )
 それも、複数の人間が、敵意・・いや、殺気を込めた視線で。
 エアニスは軽く舌を打つ。やはり最近の疲れが溜まっていたのか、今まで気配に気付く事ができなかった。
 もぞり、と、闇が動いた。
 茂みの中から、木立の影から、丘の稜線から。次々と黒い影が浮かび上がり、エアニスを取り囲むように立ち並ぶ。20人程か。
( こいつら・・・トキと同じ・・・ )
 エアニスは彼等の姿には見覚えがあった。黒いコートとマント。そして、フードの中から覗く、白いデス・マスク。
 そう。トキが戦う時に身を包む、あのコートとマスクと良く似ているのだ。
 しかし、トキの戦装束と同じだから知ってる、というだけではない。エアニスは一年半程前に、彼等と剣を交えた事があるのだ。ルゴワールの精鋭を集めた実験部隊。彼等が羽織っているコートとマントは特殊な防弾服で、人間一人を装甲車並の戦力に仕立て上げる事ができる。
 部隊名は確か、"マスカレイド"。
 そして、レイチェルの故郷を焼き払ったのも彼等だという。
 この中にエルカカを襲った連中は混じっているのだろうか。それならば、仇をとるチャンスだ。
 エアニスの正面に立つ黒マントが、エアニスに歩み寄る。
「レイチェル=エルナースの護衛だな?」
 黒マントの言葉にエアニスは安堵する。彼等はレイチェルの護衛であるエアニスと、一年半前に彼等と戦ったエアニスを紐付ける事が出来ていないようである。
 しかし、エアニスに問いかけた男はその答えを数秒と待たず、問答無用で銃口をエアニスに向けた。
「!!、よせ!」
 短く制止の声を上げるエアニス。
 ガヒュン!
 ヒギィイン!
 同時に響く破裂音と金属音。黒マントが放った銃弾は、エアニスの振るった剣に弾き飛ばされた。驚愕する黒マント。
「!!
 なる程、噂通りとんでもない化け物のようだな!!」
 確証を得た、と言わんばかりに歓喜の声を上げる黒マント。そのマスクの下には、歪んだ笑みが浮かんでいる事が容易に想像できる。
「・・・・」
 しかしエアニスには黒マントの声が耳に入っていなかった。
 エアニスの足元。弾けた銃弾が当たったのだろう。レナの墓標の端が欠けていた。
 その墓標を見て、エアニスの頭は真っ白になった。
 エアニスを撃った男は、その様子に構う事なく興奮した表情で喚き続ける。
「最近はくだらない任務ばかりで退屈していた所だ!!
 いつも相手にするのは抵抗もしない腰抜けばかりで、いつも貴様のような化け物と戦って見たいと思って  」
ガヒィン!!
黒マントの嬉々とした声は、体を突き抜ける凄まじい衝撃と、耳をつんざく金属音にかき消された。
「がっ・・!?」
 黒マントの男が呻く。気付くと視界からエアニスが消えていた。見えているのは、自分の顔のすぐ真下にある、風で広がる琥珀の髪。
10メートル以上離れたていたエアニスが、まばたきをする程の時間で、その間合いを一足飛びで詰め、男の胸に剣を突き立てていたのだ。
 耳障りな金属音は、マントの下に仕込まれた金属板を貫いた音だ。彼等のコートとマントの生地に仕込まれた素材は、鉄鋼弾すら貫通する事の無く銃弾の衝撃すらも緩衝してしまう、魔導技術で精製された金属、アダマンタイトだった。それが、エアニスの剣に易々と貫かれていた。
 ジャギイィッ・・
 エアニスは男の胸から一気に刃を引き抜き、
 ドシャアァァァッ!!!!!!
 振り上げた剣で、脳天から股下まで男の体を両断した。
『・・・・・!!』
 硬直する黒マント達の足元に、カン、カランと音を立て何かが跳ねて来た。それは左右二つに断ち切られた、彼等の上官のデスマスクだった。硬度だけで比べるなら、このデスマスクは彼等の羽織うマントよりも硬い筈だ。
 流石に殺しの専門家達も、その凄惨な光景に戸惑いを見せる。そして、彼等が絶大な信頼を置くアダマンタイトの防弾服が斬り裂かれた事に驚き、冷静さを維持する事が出来なくなった。
 我に返った黒マント達は、何かに急き立てられるかのようにエアニスへ向け一斉に発砲を始めた。両断された上官の体も銃撃に巻き込まれるが、彼の体はアダマンタイトの防弾服を着ていた事を証明するかのように銃弾をことごとく弾き飛ばしていた。
 男の体を盾にしながら、エアニスは驚異的な跳躍力で黒マントの囲みを飛び越える。空中でも銃弾を浴びせられるが、宙を飛んでいる最中でも襲い来る銃弾の全てをエアニスは叩き落とす。
 ザ、と、小さな砂の音だけを立て、エアニスは丘の一番高い場所へ降り立った。黒マント達は銃撃を一旦止めて、再度エアニスを取り囲む。
 エアニスは左手の剣を真横に構え、刀身の腹に刻まれた文字を2本の指でなぞり、ボソリと何かを呟いた。普段使われる事の無いエアニスの膨大な魔力が剣に注ぎ込まれる。まるで儀式のような短い仕草を終えると、エアニスの剣は、脈打つような紅い光に包まれていた。

 丘を低く唸る風が吹き抜ける。
 黒マントの誰かが、辺りに漂う異質な空気に息を呑んだ。
 風に吹かれて髪に隠れていたエアニスの顔があらわになる。そこには欠片の表情も浮かんでおらず、黒マント達が被っているデス・マスク以上に無表情だった。
 どくん ずくん、
 紅い光と共鳴するように夜の空気が脈打つ。
 月の光を纏い滲む黒い影となったエアニスが、仮面の刺客達へ飛び掛った。

第24話 月の光を纏う者

 トキが先頭に立ち、立て付けの悪いギルドの扉を開けた。
 ギギィ、という音に反応するかのように、カウンターやテーブルで騒いでいたごろつき達の視線が集まる。
「うぁ・・・」
 思わず威圧感に声を上げてしまうレイチェル。
 どこのギルドも似たようなものだが、いかにもといった人相の男達が狭いエントランスにたむろしていた。この風体を見ただけでは、旅人なのか町のチンピラなのか判断出来ない。
 チャイムはムッとした視線を男達に突き返し、レイチェルは男達の視線を避けるようにトキの背中に隠れた。トキはいつもの笑顔でごろつき達の視線など気にも留めない。
 ギルドに似つかわしくない3人組みは、鉄格子越しの窓口へ向かう。
「すみませーん。預けたお金を受け取りにきたんですけどー」
 トキのはばかる事の無い間の抜けた声が、ごろつき達の視線を更に集める。
「ヤだなー・・・こいつら、あんたをカツアゲしようって考えてるわよ、絶対」
 小声でぼやくチャイムに、トキは書類にペンを走らせながら、あははと笑って見せる。
 レイチェルは慣れない雰囲気に戸惑いながら、彼等の視線をかわすように視線を壁に走らせた。
 そこには人の顔写真と数字が記された紙が、沢山貼り付けられている。
「これ・・・みんな賞金首の手配書ですか?」
 レイチェルの声にトキはペンを止める。
「あぁ、そうですね。壁に張り出されているのは、ごく最近手配された賞金首ですね」
「こんなに・・・」
 チャイムが壁を見回すと、ここだけで50枚以上の手配書が貼り付けられている。この数で最近手配された一部の手配書だというのだ。今、賞金が懸かっている人間は一体何人いるのだろうか。
 金額も、数日食べて行ける程度のものから、暫くは働かずに暮らせるような金額まで、様々なものがある。賞金首がこれほど沢山いる事を知らなかったレイチェルは、驚きと共にショックを受ける。
 その中にあった、奇妙な手配書にレイチェルの目が留まった。
「トキさん、これは?」
 レイチェルが指さした手配書は、壁に貼られた真新しい手配書の中で、1枚だけ古く、日に焼け色あせた手配書だった。そして一番奇妙なのは、その手配書には写真が無かった。男の名前と、正気の沙汰とは思えない賞金額のみが記されているのみだ。
 トキはレイチェルの指す手配書を見て驚いた顔を見せる。
「おや、これはまた・・・まだこんな物が貼り出されているのですか」
「なになに??」
 チャイムが首を突っ込み、手配書の金額を見て固まる。
「なによ・・・コレ、人1人が一生遊んで暮らせる金額ね。
 何やったのかしら。この人?」
「なんだい、嬢ちゃん、旅人なのにこの男の事を知らんのかい?」
 トキが言葉を発するより先に、鉄格子の内側から初老の男が声をかけて来た。ギルドの職員だ。
「有名人なの?」
「そりゃそうさ、こんな賞金が懸けられているんだ。
 聞いた事は無いかい、" 月の光を纏う者 "、ザード = ウォルサム を」



 刺客の一人が、ばらばらになって散らばった。
 エアニスは無造作に刺客達の円陣に斬り込み、あっさりと囲みを破って彼等を切り崩し始めていた。
 一瞬で目前にまで迫って来たエアニスに、刺客達が銃を乱射する。しかしエアニスは、まるで銃弾が見えているかのように弾丸をかわし、または弾き飛ばす。
 ジュッ
 血の焼ける匂いと共に、刺客の体が断ち切られる。エアニスが軽く振るった剣は、まるで紙でも裂くかのように次々と人を肉片へと変えてゆく。
 その肉片は焼き切られた様な断面を見せ、辺りには殆ど血が流れていなかった。それ故に、切り捨てられた刺客達の体は異様な光景を見せていた。
 まるで、夜道に打ち捨てられたマネキンのように。
 間延びしてくぐもった破裂音が響いた。
 聞き慣れない発砲音に視線を向けると、エアニスの視界一杯に投網が広がっていた。エアニスは引かずに前へ飛び、横薙ぎの一閃で網を斬り裂く。しかし網は右腕と右足に引っかかり、彼の動きを妨げた。その隙を捉え刺客の一人がエアニスに掴みかかり、剣を持つ左手を押さえつけた。残りの刺客達が、銃をエアニスと、彼に掴みかかっている刺客に向ける。アダマンタイトを纏った黒マントの刺客は、銃撃が効かないという事を活かし、味方ごとエアニスを撃つつもりなのだ。
 エアニスは自由な右手で胸元の短銃を抜き、刺客の被るデス・マスクに銃口を押し付け弾丸を打ち込む。1秒も無い間に、連続して3発。アダマンタイトで作られた仮面はエアニスの銃弾をことごとく弾き飛ばすも、3発目の銃弾の衝撃が仮面越しに刺客の額を割った。崩れ落ちる刺客のマントを剥ぎ取りエアニスが自分の体を包むのと同時に、周りの刺客達から一斉射撃を受ける。しかしアダマンタイトのマントによって、襲い来る銃弾の雨はエアニスの体を揺さぶる程度の効果しか生み出さなかった。
 エアニスは奪い取ったマントのフードを被り、そのまま刺客たちを斬り倒しにかかる。銃弾を避けたり、剣で弾き飛ばす必要が無くなり、彼の刺客達を倒すペースは格段に上がる。
 土煙を巻き上げエアニスの足元が破裂した。着弾と同時に弾が破裂する榴弾だ。しかしエアニスは地面が弾けるよりも先に宙へ舞い、一番高い丘に立つ榴弾銃を構えた刺客に飛び掛かっていた。
 丘に立つ刺客は慌てて榴弾を弾を放つが、エアニスは羽織ったマントを振り抜き榴弾を絡め取る。
「ぅ、うわ ぁあああっ!!」
 丘の上の刺客が声を上げた。
 ジュドッ
 着地と共に、刺客の肩口を深々と切り裂く。刺客は、歪んだ人影となって、地面に崩れ落ちた。



 思わず刺客達の動きが止まった。
 丘の上に立つ、紅い剣を持った人影。
 やけに大きく見える月を背に、髪を風に揺らしている。
 その琥珀の髪は、月の光を照り返し銀糸の髪にも見えた。
 それを見た刺客の数人は、一つの可能性に気付き、凍りつく。



「月の光を纏う者・・・?」
「あぁ、誰が付けた二つ名か知らんが、世間にはその名前で通ってるぜ。
 突然戦場に現れて、たった一人で何百人という人間を斬り殺して行く、とんでもない化け物って話だ」
 身振りを交え、男は大仰に語った。
「たった一人で・・・何百人も?」
 その話を聞いたチャイムは、すぐにとんでもないホラ話だと斬って捨てたが、チラリ、とエアニスやトキの顔が頭をよぎった。
 エアニスは船に乗り込んできた数十人もの刺客を、たった一人で倒してしまった。トキもどうやったかは知らないが、たった1人で戦艦を1隻、乗っ取ってしまった。そして、2人の魔族。
 常識では測れない存在がいるという事を、チャイムはつい先日実感したばかりだった。
 男は楽しそうに噂話を続ける。
「何者なのか、どのような意思で動いていたかも一切謎。
 写真も無いから、手配書には本名かどうかも分からない名前しか記されていないんだ。
 突然戦場に現れ、奴が肩入れした勢力に必ず軍配を上げて行く。ただ、どこの勢力に肩入れするかは奴の気分次第らしく、結局何が目的で動いていたのか分かる事はなかったらしい。
 こうやって奴に賞金をかける奴もいれば、逆にザード=ウォルサムを英雄として祭ってる国もある。戦場に現れることで、各国の戦力の均衡をとっていたと言う噂もあれば、ただ自侭に人殺しを楽しんでいたという噂もある。そんな所から、"戦荒らし"なんて呼ばれ方もしていたな」
 ごくり、と喉を鳴らすチャイム。
 この世界には、エアニス達以外にも、まだまだ常識を超えた強さを持つ存在がいるのだろうか。
「ま、たった一人で何百人も斬り殺す奴なんて居るわけ無いわな。戦争が終わってから、ザード=ウォルサムが現れたという話は全く聞かなくなっちまったし。実際、賞金は賭けられているが、そんな存在自体、実在してるかどうかも怪しいもんだ。ただの都市伝説、噂だよ」
 結局、最後はそう笑って話を締めるギルドの職員。話をしていた彼自身も信じてはいなかったらしい。しかし、チャイムやレイチェルには、冗談には聞こえなかった。
「その、"月の光を纏う者"って呼び名は、どういう意味なの?」
「ふむ。それにも色々説があるんだがな」
 ギルドの職員はチャイム達と話をするのが楽しいのか、調子良く噂話を続ける。
「ザード=ウォルサムには大きな特徴があってな。長く伸ばした銀の髪をしているらしい」
 確かに銀の髪を持つ人間はこの国では珍しい。体の色素に異常がある者や、元々遺伝的に色素の薄いエルフ族にしか見られない特長だ。
「そして奴が現れるのは夜の戦場だけで、まぁ、そうなると奴の姿が目撃されるのは月明りのある夜に限られるわな。だから月と紐付けた二つ名がつけられたんだろう。
 そして、奴の姿を見た数少ない目撃者達は、皆同じような例えで奴の姿を語るって話で・・・」

「月明かりが銀糸の髪を淡く輝かせ、
 まるでザード=ウォルサムは、月の光を纏っているかのようだった」
 突然、黙って書類にペンを走らせていたトキが口を挟んだ。

『・・・・・。』
 突然割って入ったトキの言葉に、ギルドの職員とチャイム、レイチェルは言葉に詰まってしまった。
 なぜ、と言われればはっきりとは言えないが、チャイムとレイチェルには、トキがイラついているように見えたのだ。
「書類、書けました。
 お金頂けますか?」
 まるで話を中断させるかのように、トキは職員に手続きの催促をした。



「まさか・・・こいつは・・・!」
 刺客の一人が恐々と呟く。他の刺客達も同じ想像へ行き着いたのか、戦意を失いじりじりと退ずさっている。
「・・・ッ!」
 マントを翻し、刺客の一人が逃げ出した。それに続くように、他の刺客達もエアニスから離れてゆく。
 ヴン・・・
 エアニスの握る剣にまとわり付いた赤黒い光が、虫の羽音に似た音を立てその輝きを増した。
「 逃がすか 」
 笑みを噛み殺す様に、かすれた声でエアニスが呟く。
 ばがっ!
 エアニスに背を向けた刺客の体が両断された。
 エアニスが紅く輝く剣を刺客に向けて振るった。たったそれだけの事で、剣の間合いの遥か遠くに居た刺客は斬り倒されてしまったのだ。
「魔導だと・・・!?」
 斬り飛ばされた刺客とは違う方へ飛んだ刺客が目を剥く。そして、その刺客も首元に不可視の衝撃が打ち込まれ、視界がグルリと回転し彼の首は地面へと落ちた。
 彼が最期に見たものは、月の光に照らされ淡く輝く銀の髪。
 それは、とても綺麗だった。



 墓標の丘に静寂が戻る。
 そこに立っているのは、風になびく髪を月の光で鈍く光らせたエアニスのみである。
「まだ・・生きていたのか・・・」
 呻くような呟きにアニスは振り向く。彼が斬り倒した刺客の一人だ。仰向けに倒れこみ、腹の傷口を押さえながらエアニスを見上げる。
「教えてくれ・・・お前は、まさか・・・」
 どっ
 エアニスの剣に右胸を貫かれ、刺客は静かに目を閉じていった。

 ( だれも傷つけないで )
 かつてレナに言われた言葉が、耳鳴りのようにエアニスの中で響いていた。
「俺は、何も変わってない・・・」
 エアニスは墓標の前に座り込み、頭を抱えうずくまる。
「少しアタマに来ただけで・・・このザマか・・・」
 襲い来る刺客ばかりではなく、逃げようとする刺客まで、すべて斬り捨ててしまった。 逃げる者をまで倒した理由は、ここでの出来事がルゴワールの上層部へ報告される事を危惧したというより、単純な"怒り"による所が大きかった。
 銃弾で欠けた墓石を指でなぞり、沈み込んだ声で呟く。
「当分、お前に合わす顔が無さそうだ。
 まだ暫く、こんな事を続けなきゃならないみたいだしな・・・」
 レナとの約束を忘れた訳ではなかった。しかし、だからといって今エアニスが身を置く戦いを放棄する訳にはいかない。"彼女"達を、守らなければいけない。
 こんな想いをするのなら、初めからあんな事に首を突っ込むんじゃなかったと、エアニスは後悔する。
「もう仲間を奪われたくないんだ。
 お前との約束を守れなくても、これ以上手を汚す事になっても、もうそれだけは嫌なんだ」
 彼女達を見捨てるつもりが無い以上、エアニスはこれからも手を汚し続けなくてはいけないだろう。葛藤がエアニスの心に渦巻く。
「・・・行くよ。ごめんな」
 立ち上がりレナの墓標に背を向けたエアニスの右手を、不意に温もりのある何かが触れた。

「!」
 驚いて振り返ると、そこにはエアニスの手を握る、レナの姿があった。
 しかしエアニスは、自分への嫌悪感からレナの顔を見る事は出来なかった。レナがどのような表情をしていたのか分からなかったが、レナの唇が言葉を紡ぐのを見た。
 その声はエアニスの耳に届く事はなかった。
 しかし、エアニスは確かにレナの唇が、その言葉を紡いでいたのを見た。

 - 守ってあげて - 

「っ!
 レ ナ ・・・!!」
 エアニスはその言葉に弾かれたように面を上げ、彼女の手を取ろうとする。
 しかし、気付いた時にはそこには誰も居らず、虫の声が響く丘にエアニスは一人で立っていた。

 まるで夢から覚めたかのような感覚。しかし、それが夢でも幻想でも無い事を証明するかのように、エアニスの右手には彼女の温もりが残っていた。
 自分の右手を握り締め、頬に当てる。
「ああ・・・分かった」
 レナの意思に触れる事が出来たような気がして、今まで張り詰めていた気持ちが解放されてゆく。
 エアニスの頬に雫が流れた。
 雨でも降ってきたのかと空を仰ぐが、そこには雲一つ無い降るような星空と、銀の月。
 すぐに雨では無いと気付き、エアニスは自分の目元を押さえた。
 涙は流れていたが、エアニスの心は穏やかだった。

第25話 ブルー ・ バカンス

「・・暑ぃ・・」
 エアニスがハンドルを握りながらぼやいた。
「この辺りは周りの地形も手伝って、大陸で一番温かい気候が続く土地ですからねぇ。
 この先のロナウ山脈を越えれば、少しは涼しくなると思いますけど」
 何故か涼しげな顔をしたトキが、助手席で地図を眺めながらエアニスを励ます。
「その山脈越えるには、あとどのくらいかかる?」
「そうですねぇ。このペースで走れば、5日もあれば十分かと」
「まだまだじゃねぇか・・・」
 ますます気力が削がれ、エアニスはハンドルを抱え込む。
 エアニス達の車は、草木がまばらに生える荒野を走っていた。すぐ近くには広大な砂漠が広がっており、このままでは数年でこの辺りも砂に飲まれてしまうだろう。よって気温は年間を通して高く、さらに時刻は正午を回った辺りで一番暑い時間帯でもあった。
 既にエアニスはローブと上着を脱ぎ、長い髪をポニーティルに纏めて極力涼しくなる格好をしている。髪を纏めた事によって、チャイムに"可愛い"などと、からかわれたが、そんな事に構っていられない程、エアニスは暑さで弱っていた。
「そんなに暑いの苦手なんだ・・・エアニス」
「・・・あ ぁ・・・」
 チャイムからの質問に、元気の欠片も無い声でエアニスが答える。
「あたしは夏は大好きだけどなー。
 なんて言うか、他の季節には無い、開放感があるじゃない。暑いんだけど、それだからこそ、何するにしても楽しいっていうか、キモチイイって言うか、さ」
「・・・何言ってるか分かんねーよ」
「むう。
 じゃあエアニスは何で夏が嫌いなのよ」
「冬は寒いけど、寒かったらその分着込めば暖かくなるからいいんだよ。
 夏は暑いからと言って、服全部脱いだとしても、やっぱ暑いもんは暑いじゃねーか。
 何より汗かくのが嫌だね。夏は1日に3度、風呂に入りたい」
「アンタ、ほんとに庶民的な意見ばっか言うわね・・・。
 そんなに暑いのが嫌なら、まずそのむさっ苦しいロン毛をなんとかしなさいよ」
 エアニスはピクリと眉を動かしチャイムを横目で睨む。
「貴様、女のくせに、人の伸ばした髪を簡単に切れなどと良く言えるな。
 乙女心持ってんのか?」
「失礼ね。アンタよりは持ってるつもりよ」
「いいや、俺の方が持ってるね」
「・・・男が乙女心について張り合ってどうすんのよ・・・」
 ここまで話した所で、チャイムは思わずクスリと笑ってしまった。
「何が可笑しい?」
 イライラした表情でチャイムを睨むエアニス。
「ううん。なーんにも」
 何が嬉しいのか、妙に清々しい笑顔のチャイムはエアニスの問いを受け流した。エアニスは毒気を抜かれたような顔で、頭の上に疑問符を躍らせる。

 チャイムが喜んでいたのは、エアニスがようやくいつもの調子に戻った事であった。
 船上での襲撃以来、エアニスは暫くの間、何をするにも上の空といった様子だったが、墓参りから帰って来てからは、いつもの調子を取り戻していた。チャイム達と別行動を取っていた3日の間に、エアニスに何があったのか知らないが、エアニスがいつもの調子に戻った事は喜ばしい事であった。
 それが2日前。
 早朝にエアニスが墓参りから戻り、その日の昼から4人は再び目的地へ向けて旅を再開したのであった。

「何だよ、気味悪いな・・・言いたい事があるなら言えよ」
「ねぇ、レイチェルは夏と冬ならどっちが好き??」
「俺の話聞いてる?」
「やっぱ冬の方が好きかも・・・。
 わたしも、暑いのは苦手だから・・・」
 大きく開けた胸元に、ぱたぱた風を送りながらレイチェルは答える。無防備なその仕草に、チャイムとエアニスは思わずギョッとする。
「こら、レイチェルっ!
 エアニス達もいるんだから、もーちょっと、何というか・・・
 って、エアニス! 見てんじゃないわよスケベ!!」
「み、見てねぇよ!!」
 エアニスはチャイムに首を捻じ曲げられながら、必死でハンドルを握る。一般の女性に比べ、このテのモラルが欠如しているレイチェルは、何でチャイムとエアニスが慌てているのか理解できずに首を傾げた。
「・・・エアニス、はしゃぐのはいいですが、ちゃんと前を見て運転してくださいよ」
「こんな砂しか無い場所でどうやったら事故るってんだよ!!
 ・・・っーか!! お前もレイチェルの胸ガン見してんじゃね  」
 どぐわしゃっ!!
 突然の衝撃に、エアニス達は一斉に前へつんのめった。



 炎天下の中、4人はボンネットから煙を上げる車を眺めていた。
「・・・ラジエータポンプが潰れてますね」
 トキが車の損傷具合を調べながら言う。
 エアニス達の車は大人の膝くらいまである岩に衝突し、車体の前面をぐしゃぐしゃに潰していた。
「走れない事はないですが、この暑さでラジエータ無しで走っていたら、すぐにオーバーヒートしてしまうでしょうね。どこか修理できる街まで持てばいいのですが・・・ねぇ」
「・・・すまん」
 トキのジト目に、エアニスはうなだれるように頭を下げた。
「この先のオーランドシティに、軍の基地がある。車の修理をしてくれる技師も、あそこなら居るはずだ。
 10キロも無いと思うが、そこまで持ちそうか?」
「オーランドシティ?」
 エアニスの提案に応えたのはトキではなく、チャイムの戸惑うような声だった。
「どうしたの?」
 チャイムの不自然な反応に、レイチェルが心配そうな声を上げる。エアニスとトキもチャイムに視線を向けた。
「あうぅ、と・・・・
 オーランドといえば、ホラ、観光地!!
 海があるわっ!!!」
 はぁ? とエアニスが呆れた声を出す。
「レイチェル、海で泳いだ事、無かったんだよね!
 丁度いいじゃない、このまま進むとどんどん寒くなっていくから、ココが海で遊ぶ最後のチャンスよ!!」
「海・・・かぁ・・・」
 レイチェルも嬉しそうな表情を浮かべる。
 やれやれ、といった様子でエアニスは頭を掻き、トキもそんな2人を笑顔で眺める。
 オーランドシティは、この辺りで唯一の観光都市であり、各地から海へ泳ぎに来る観光客が多く集まる。確かにチャイムの言う通り、この先の山脈を越えれば一気に気温が下がり、秋の終わりといった気候になっているだろう。赤道が北を走るこの大陸では南下を続けるほど寒い気候の土地となるので、海で泳げるような街は、この先オーランドシティしか無い。
 どうせ車の修理で街に寄らなくてはいけないのだ。車の修理をしている間、海で羽を伸ばすのもいいだろう。
「構いませんよね、エアニス?」
 にこやかに言いながらも、どこか否定は許さないといった空気を漂わせトキが確認する。
「まぁ、いいんじゃないのか?」
「やったぁ!」
 苦笑いで頷くエアニスに、表情を輝かせるチャイムとレイチェル。
「そうと決まったら早速、オーランドシティへ出発よ!」
 皆を急かすようにチャイムは3人の背中を、車に向かって押した。
「オーランドシティですか。僕一度も行った事無いので、楽しみですねぇ」
「お前まで観光気分かよ。やむを得ずの寄り道なんだから、修理が済んだらすぐ出るぞ」
「あぁああー、でも、せめて一泊はしていきたいです・・・」
 何だかんだで楽しそうな3人の後ろで、チャイムは気付かれないように小さな溜息をついた。



「この型のラジエータはウチには置いて無ぇなあ」
 街外れの小さな自動車修理工場でエアニスは車の修理を頼んでいた。軍のトラックや装甲車の修理を主に受け持つ、街に幾つかある修理工場の1つだ。
「街の同業者にゃ当たってみるが、もし部品が無かったら街の外から取り寄せなきゃならん。
 そうなったら部品が届くまで2週間はかかるぞ」
 白髪交じりの技師が難しい顔で唸る。
「部品さえあれば1日で終わる作業なんだが・・・」
「壊れたラジエータ周りを、丸々別の車の物と交換する事は出来るか?」
「そりゃ出来るが、金は結構かかるぞ。大作業になっちまうから、修理も3日がかりだな」
「3日、か」
 エアニスは息を吐いて頭を掻いた。
「分かった。もし部品がこの街で見つからなかったら、その修理で頼む。金はかかってもいいから、1日でも早く修理をしてほしいんだ」
 技師は無精髭の生えた顎を撫ぜると、エアニスに力強く頷いた。



 工場を出て、エアニスは溜息をつく。少なくとも2日、最悪の場合4日程度、この街に滞在しなくてはならないようだ。自分の運転ミスを心底悔やみながら、大通りに向かい歩く。
「・・・いや、でもアレは全部俺のせいってワケでもねぇよな・・・やっぱ」
 レイチェルの胸チラとかチャイムのヘッドロックとかトキのはばかる事の無いセクハラ視線とか。考えれば考えるほど腑に落ちず、だんだん貧乏くじを引かされた気分になってきた。

 エアニスは一人で歩いていた。街の中心地でチャイムとレイチェル、トキを車から降ろし、エアニス一人で街外れにある修理工場を訪ねたのだ。今頃チャイム達は宿に荷物を置いて休んでいる頃だろうか。
 こうして街外れを歩いていると、嫌が応にも目に付く物がある。
 ブロック塀に穿たれた無数の銃弾痕。壁に食い込んだまま折れた剣の切っ先。焼けて倒壊したままの民家。
 常夏の観光都市として有名なオーランドシティだが、街外れには先の戦争の爪痕が生々しく残っていた。大戦中、この辺りは特に戦火が激しく、市街地にまで戦場を広げ多くの一般市民を巻き添えにしているのだ。
 まだ戦争が終わって1年半という事を考えれば、このような光景が残っているのは珍しくは無いのだが、街の中心街の栄え具合と比較すると、どうしても取り残されている感がある。
 エアニスが大通りに出ると、目の前を一台の車が走り去った。軍の車でも、仕事や旅の足に使われる汚れて傷だらけの車でもなく、趣味人が乗るようなピカピカの高級車だった。どこかの富豪が観光にでも来ているのだろう。その先には極色彩で彩られたホテルや飲食店の看板が立ち並んでいる。
 ふと、エアニスは今歩いてきた裏路地の町並みに振り返る。大通りに比べると、まるで別の国か、別の時代である。どことなく不愉快な気持ちになるが、別に自分には関係の無い事である。ならば、何でこのような気持ちになるのか自分でも分からず、エアニスは首を捻った。



「おー・・・」
 エアニスは目の前に広がる白い砂浜と、コバルトブルーの海に感嘆の声を漏らす。柔らかな千切れ雲が抜けるような青い空にぽかぽかと浮かび、陽射しは暑いものの木陰に入るだけで随分と涼しく感じられる。頬を撫ぜるカラッと乾いた潮風が気持ちよかった。エアニスはチャイムの提案も悪いものじゃなかったなと考えを改めた。
 宿へ戻る前に浜辺へ寄ってみたのだ。天気も良く、海水の透明度も驚くほど高い。長い間大陸の各地を旅してきたエアニスだったが、今まで見た中で最も綺麗な海かもしれない。白い浜辺には点々と水着姿の観光客が見えた。思った程観光客は少なく、これならば快適に海で遊べるだろう。
「あー、エアニス戻ってきたんだ。早かったわね」
 聞き覚えのある声にエアニスは振り向いて、そして言葉を詰まらせた。
 目の前には予想通り、チャイムとレイチェル、トキの姿があった。しかし、チャイムとレイチェルが水着姿だという事は、エアニスの予想外であった。



 チャイムは赤いタンニキタイプの水着を着て、ビーチパラソルを担いでいる。その後ろには、長い髪をいつものようにまとめた、水色のビキニ姿のレイチェル。ついでにいつもと同じ姿の、両手に色々と荷物を持たされたトキがいた。
 普段、野暮ったい旅装束やマント姿しか見たことの無いチャイムとレイチェルが肌をあらわにした姿に、エアニスは思わず視線を明後日の方角へ外した。
「な、何だよ、その格好は・・・」
「何って、水着。宿で売ってたから。まだお昼だし、すぐにでも泳ぎに行かないと損でしょ!!」
 チャイムは、今にも駆け出して海にダイブしそうなテンションだ。レイチェルも、さっきから海に視線がクギ付けになっている。
「えへへー。レイチェルの水着もあたしが選んだのよ。どう、かわいいでしょ!?」
 照れ臭そうにはにかむレイチェルの肩を掴み、自分のセンスを自慢するチャイム。確かに似合っていると感じたが、それは水着のお陰ではなくレイチェルのスタイルの良さによる処が多いだろう。
 透けるような白い肌に、形の整った手足と胸元。それでいて華奢なイメージを与えるボディラインに似合わない水着など無い。スタイルの良さは、チャイムも負けていない。レイチェルに勝るとも劣らぬプロポーションに、ほどよい肉付きの四肢が彼女の性格と同じ様な躍動感を感じさせた。なおかつ2人とも、なかなかの美人ときている。2人は浜辺にたむろする男達の視線を集めていた。それと、胸の大きさがチャイムよりレイチェルの方が大きいという事を、エアニスは今日この日、初めて知った。
「まぁ、・・・似合うと思うぞ。うん」
 妙に落ち着きを無くしたエアニスは、そのセリフを何故か2人の後ろに立つトキを見ながら言った。
「え。エアニス、それ僕に向かって言ってるんですか?」
「んな訳ないだろ!!」
「だったら僕を見ながらそういうセリフを言わないでいださいよ」
 トキの抗議にレイチェルに視線を戻すが、数秒と持たずエアニスの視線は泳ぎ始めた。
「あー・・・」
 チャイムがにんまりと笑顔を浮かべる。
「さてはエアニス、テレてるなーっ! このっ!!」
 チャイムはエアニスに自分の白い肩をドンとぶつける。
 図星を突かれたエアニスは顔を赤く染め、慌てて顔をそむけた。
「うるさい黙れ殺すぞ!!
 遊びに行くならとっとと行って来い!!」
「えへへー、エアニスの弱点見ーっけ!
 今日はこのネタでずーっとからかってあげるわっ!!」
 満面の笑みを浮かべながらガッツポーズを見せ、チャイムは砂浜へ走り去った。
「いやー、羨ましい限りですねー、エアニス。代わって貰いたいものです」
「黙れドMが・・・」
 色々と荷物を担がされたトキがポンとエアニスの肩を叩いて浜辺へ歩いて行き、
「あ、エアニスさん、チャイムが言ってたんですけど、後でエアニスさんでスイカ割りするって・・・
 わたし、スイカ割りっていうゲーム知らないから、後で教えてくださいね!」
「おぉぉ・・・チャイムを使ったスイカ割りなら教えてやるよ。後でスコップを用意しておけ。とりあえずレイチェルも行って来い・・・」
「はい!」
 悪意の欠片もないレイチェルの無邪気な笑顔を、エアニスは頭を抱えて見送った。

「馬鹿ばっかだ・・・」
 そう呟いたエアニスの口元は何故か緩んでおり、いつの間にかこの状況を楽しいと感じている自分に、僅かながら驚いた。
「はっ、俺も一緒、か」
 エアニスもブーツを脱ぎ捨て、素足で浜辺へ降りた。


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