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センバツと大震災

 3月11日に東日本大震災が発生。24日より例年通り選抜高校野球甲子園大会が開催されました。。
 ことしの開催にわたしは反対でした。。震災発生以来、被災地の惨状が毎日報道され、わたしは救済に何の役にも立てない自分が歯がゆく、情けない気分でいたからです。ほとんどの人はそうだったはず。。被災地の人たちは野球どころではないだろうし、わたしたちもこんな時期、大会に熱狂できるわけがないと思っていました。。
 ところがわたしの出身校である大館鵬鳴高校が創立115年目で初出場すると知ってガゼン心境が変わりました。
 大館鵬鳴高校は秋田県で2番目に古い県立高です。戦前の旧制中学時代から進学校であり、野球も強かった。だが、秋田高、秋田商、秋田工など秋田市内の高校に主導権を奪われてこれまで甲子園には出たことはありませんでした。戦後すぐに入学したわたしたち野球狂世代は口惜しくてならなかった。それだけに卒業約60年目の出場は大ニュースです。わたしたちだけでなく同窓会も市民もみんな勇み立っている、バスをつらねてはるばる応援にゆくという話でした。
 【甲子園のアルプススタンドで同期会をやろう」
 わたしの親友である世話好きの友人からハガキがきました。
 関西にいて参加しないようでは男がすたる。当日は被災地のことをわすれて野球少年に返ろうとわたしは決心しました。
 大会二日目の第一試合。対戦相手は強豪の天理高校です。勝ち目はうすいが、なおのこと応援がものをいう。第一試合は午前9時開始なので、茨木に住むわたしは朝7時に起床せねばなりません。。夜通し仕事して早朝寝る習慣のわたしにとって、これはちょっとした苦役です。おまけに前日は知人の通夜があって気分は沈鬱。さらに三月下旬とは思えない寒さ。出身校の出場を恨むわけにもいかないから、開催をきめた毎日新聞と高野連に反感を覚えつつ出かけていきました。。
 アルプススタンドの寒さは予想以上でした。冷えて全身をこわばらせて試合を見ました。。同期生が数名応援にきているはずだが、案外の混雑でどこにいるのかわからない。仲のよかった同期生の未亡人が娘さんと一緒にきていたので、ならんで観戦しました。選手たちは溌剌と動き、好プレーもありました。震災のせいで鳴り物禁止の応援団も元気で、わたしは次第に寒さをわすれ、試合に没入しました。それにしても選手たちのなんと愛らしく可憐に映ったことか。わたしたちもむかしはああだったとはとても信じられない。ジイサンになった感慨がひとしおでありました。
 3回裏、わたしは同級生をさがしがてら小用に立ちました。一人に出会い、ハガキをくれた親友がガンで入院、容態がきわめて深刻だと知らされました。ショックをうけて席にもどると、天理高が7点をいれていた。エラー絡みの失点だったようです。事実上勝負はきまった。わたしはあらためてスタンドとグラウンドを見くらべ、感慨にひたり、危篤だという友人に思いをはせました。
 そして、大震災のことが頭にうかび、進行中の試合がなんだか白々しく目に映るようになりました。被災地の惨状を尻目にひらかれたセンバツ大会。これはなにかの陰謀ではないだろうか。被災地にくらべて甲子園の光景はあまりに健全で生き生きしている。つくられた
偽りの光景ではないのだろうか。
 社会にはさまざまな既得権をもつ階層がいて、なにかあるとスクラムを組んで権益を守ろうとする。彼らはわたしたち一般庶民が社会の現状を正確に認識するのを好まない。不利な情報をなるべく覆い隠し、楽観的な報道やイヴェントを展開して民心の離反をさけようとする。政府も電力会社もメディアもそれら既得権層という同じ穴のムジナではないだろうか。きっとそうだ。
 そう思うとわたしにはこのセンバツ大会が、人々の目を忌まわしい現実からそらせるための巨大なプロジェクトに見えてきました。試合は8-1で大館鵬鳴高の大敗。負けてもいいんだ。どうせ騙しのイベントなんだから。そんな気分で、みんなと一緒に鵬鳴高の校歌を歌いました。もう一つ心が晴れなかった。だが、偉そうなことはいえない。もし試合に勝っていたら、その晩わたしは同期生の何人かと被災地のことなんかわすれて祝杯をあげていたでしょう。


—2011.3.28


大震災

 震災発生以来、テレビをつうじてなんとも切ない思いで被災地をみつめてきました。どうにかして被災者の力になりたい、しかし大枚の義捐金をだせる身分でもない。焦るだけでなにもできない。しかも心の底には自分の平穏無事を喜ぶ思いがあって、それがうしろめたい。そんな心境でいる人はきっとわたしだけではないはずです。
考えてみると神戸大震災の似たような心境でした。いや、記憶をたどるともっと幼いころこんな気持ちを味わったことがあります。昭和20年の三月、大阪大空襲の夜のことでした。
 わたしは小学五年生で京都に住んでいました。真夜中に空襲警報でたたき起こされ、庭の防空壕へ避難しました。しばらくしてラシオが、何十機かの敵機が大阪を爆撃中だと告げました。
わたしは壕を出て大阪のほうを見ました。大阪の空は真っ赤になり、
「大阪のみなさん、頑張ってください。頑張ってください」
 とラジオがさけんでいました。
そのときわたしは逃げ惑う人々の姿を思い描き、なんとかしなければ、しかしなにもできない焦燥にかられたものです。同時に京都が無事でよかったというエゴイスチックな安堵をおぼえ、子供心にうしろめたかった。
 あれから66年ぶりに同じ思いでいるわけです。
 震災発生から約2週間、テレビ報道の中心は被災地がら福島第一原発に変わってきました。4基の原子炉のうち3基が爆発を起こし、火災が発生、使用済み燃料のプールから放射性物質が漏れ出したということです。素人にはよくわからないが、原子力事故の国際指標はレベル0から7までの8段階あるそうです。今回の事故はレベル6にあたり、チェルノブイリの事故がレベル7だったから、大変なわが国の危機です。
なかでも深刻なのはMOX燃料を使っている3号機だそうです。このMOX燃料というのはウランにプルトリウムを混合させたもので、ウランよりも20C-40C融けだす温度が低いらしい。それだけ炉心溶融(メルトダウン)を起こしやすく、いったんそうなると次々に核分裂が起こって制御不能になるということです。そうなると東京も放射能汚染にさらされないともかぎらない。危機感を煽るつもりはさらさらないけど、わからないなりにゾッとせざるをえない。
 東電社員ら約300名の決死隊が現場で必死の保全作業をしているそうですが、30日現在事態が改善されたという発表はありません。放射線による汚染は人体に影響ない程度だと政府発表は繰り返しますが、100%信じる者がいるかどうか。
 この状態は敗戦が決定的になった昭和19年後半から20年夏にかけての日本を思い出させます。19年10月、フィリピンでわが神風特攻隊が敵艦隊にたいし、初の体当たり攻撃を敢行しました。国民はみんな衝撃をうけ、隊員たちの悲痛な自己犠牲に涙しました。現在生命がけで原発事故と戦っている「決死隊」の姿は報道されていませんが、漏れ聞いた者たちは同じ思いでいるはず。報道されたら日本中に感動の波がひろがるでしょう。被災地に何かのかたちで寄与せねばならないとか、日本中が心を一つにして国難を乗りきろうとかいうメンタリテイは戦時中そのままです。「決死隊」は当時にまして賞賛されるべきだとわたしは思います。
19年の末から20年の夏まで特攻隊の体当たり攻撃はつづきました。当時の指導者たちは内心では絶望しながら一縷の望みにすがって、すでに常套手段となった特攻攻撃を続行しました。国民はもう手のつけようのない思いでそれを見ていた。日本は神の国である。このまま滅びるはずがない―。根拠のない信念にすがって戦争のなりゆきを見守るしかなかった。、
 いまわたしたちは手のつけようのない思いで福島第一原発の事故処理を見守っています。心を一つにして国難を乗りきろうとか、それぞれの立場で復興に力を貸そうとかいうのが、日本は不滅の神国だ、かならず神風が吹くなどという戦時中の空虚な信仰とはちがって、具体的な結実を見るように祈ってやまないところです。大戦中の無力な銃後少年はいま、やはり無力な銃後ジイサンとなって事態を見守っている。
 わたしは昨年末、戦時中の指導者である東條英機、米内光政を主人公にした伝記小説「神の国に殉ず」を祥伝社より上梓しました。上下巻計926頁の大作です。その余熱があって大震災以後の現状が戦争中とかさなって見えるのかもしれません。でも、そんなに的はずれではないつもりです。上下計¥4,200は高価ですが、ご一読たまわれば光栄です。

—2011.3.30

火事場ドロボー


今度の震災にたいする日本人の秩序ある対応ぶりが、各国メディアの賞賛の的になっているそうです。じっさい暴動も略奪騒ぎもおこらず、被災者たちも首都圏の人々もそれぞれの苦労に耐えています。原発事故の処理にあたる人々の献身ぶありには日本人の全員が頭をさげる心境でしょう。
日本人は基本的に「いい人」ばかりなんだなあと思わされます。日本は性善説が通用する世界でもまれな国だといってよいでしょう。
だが、被災地で空き巣や車上荒らしを働く輩がごく少数ながらいるらしい。「そんな奴射殺しろ」という声があがるのも当然です。われわれ日本人は火事ドロをもっとも卑しむべき犯罪だと位置づける。他人の弱みにつけこむ犯罪を忌み嫌う感性は、国の秩序を保つうえでまちがいなく大きな力になっています。
だが、現代史をひもとくと、国家としての日本は数々の火事ドロをやらかしてきました。。
大正3年第一次大戦がはじまると、日本政府は大戦に便乗してドイツの租借地である青島を占領、のちに南洋群島を日本の委任統治領とする下地をつくりました。。また欧米諸国の関心がヨーロッパの戦局に集中しているのに乗じて中国政府に悪名高き対華21か条要求を突きつけて、いまでいえば「ならず者国家」の典型となりました。。
大正7年にはソ連革命のどさくさを突いてシベリアに出兵、第二次欧州大戦中の昭和15年7月にはソ連の窮状を見越してソ満国境に大軍を集結させ、ソ連進攻の機をうかがった。さらに9月にはフランスの降伏に乗じて北部仏印(北ベトナム)に進駐、翌16年9月には南部仏印[南ベトナム)へ進駐して対米関係を決定的に悪化させてしまいました。
。今日以上に日本人は礼儀と秩序を尊び、清廉だったはずなのです。だが、国家としては火事ドロの常習犯でした。これはどういうことなのかと思わされます。。
先進国へ追いつけ追い越せの日本としてはなりふりかまわず国益を追求せねばならなかった。国際政治の現実が身もふたもない実利の争奪戦だったから、国力の不十分だったわが国も対抗上火事ドロ
に走らざるをえなかったわけです。だが、この火事ドロ主義は青島占領をのぞいてろくな結果をもたらさなかったのです。。日本の国際イメージを低下させ、先進国の日本たたきに正当性をあたえた。日本にすぐれた外交力、宣伝力があれば尤もらしい大義名分を押し立てて国益を追求できたのだろうが、なにしろ「いい人」たちの国の政府である。国際政治にはあって当然の火事ドロ行為をもっともらしく糊塗するだけのしたたかさがなかった。じっさい日米交渉の経過などを見ると日本は赤ん坊のようにアメリカの手練手管に翻弄されて、世界史の悪役をおしつけられたわけです。
日本政府の高官も出世競争に勝ち抜いただけ日本人としては思慮深く生命力にも富んでいました。だが、数百年の国家紛争をへて生き残った先進国を仕切る高官たちにくらべると、東洋の島国のお坊ちゃんであることは否めなかった。さらに貴族出身の近衛文麿が貴族であるゆえに実力以上に買いかぶられるような古い風土が残っていて、合理主義に徹し切れなかったこともあります。
火事ドロ主義の政府にひきいられた善良な国民―――これが戦前の日本の構図でした。ではいまはどうか。戦後の日本人は権利意識が高く多分に自己中心です。経済優先主義で協調よりも自立を重んじるようになりました。戦前の日本人よりもずっと扱いにくくなっているはずです。
これに対して政府はどうか。基本とするのは事なかれ主義です。火事ドロを働く勇気さえなく、他国の火事ドロ行為を手をこまねいて見ているだけ。つい最近その醜態を見せ付けられてわたしたちはうんざりしました。事なかれ主義の政府にひきいられる、ややしたたかな国民というのが現在の構図です。
でも東日本大震災を機に日本人の良きDNAがものをいいました。整然と忍耐強く国民は災害に対応しています。これにくらべて政府の対応はあざやかとはいいがたい。現政府にかぎらず以前から日本の政治は三流といわれてきました。なぜそうなったか、つぎのページでわたしの意見をのべるつもりです。


—2011.4.3


立候補者

前回につづき、日本人と政治家について語ります。
 かつて日本は経済一流、政治三流といわれました。いまは政経ともに三流といってよいかとおもわえます。経は国際事情に影響されるところが大ですが、政のほうは大部分日本だけの事情でずっと三流でありつづけているとわたしは思います。三流の政治家は三流の国民が産むといいますが、そういってしまえば身も蓋もない。歴史が大きくかかわりあっているのです。
 わたしは敗戦の翌年、昭和21年に小学校を卒業し、秋田県立大館中学に入学しました。当時はまだ旧制で、入試をパスして進学したのです。すぐに学制改革がきまり、わたしたちより一級下の世代は入試無しで全員が新制中学にはいることになりました。翌年から中学の入試は廃止され、大館中は生徒を募集しなくなりました。さらに翌23年には新制高校が発足、大館中学は秋田県立大館鵬鳴高校となりました。わたしたちの一、二級上の生徒はそれぞれ大館鵬鳴高の一、二年生ということになったのです。、
 わたしたちはまだ高校生ではない。かといって新制中学生でもない。大館鵬鳴高併設中学の三年生という不安定な身分になりました。わたしたちだけでなく日本全国どこでも昭和8年4月から昭和9ねん3月までに生まれた世代はこの一年きりの併設中学で学んだわけです。
 マッカーサー司令部の方針で当時の中学、高校では柔、剣道は禁止。野球のみが大繁盛しました。
 わたしたち併設中学生は高校の野球部へ入ると球ひろいしかさせてもらえないので、もっぱら小学校の校庭や寺社の境内で軟式野球を楽しみました。六三制野球ばかりがうまくなり、という川柳が当時の事情をよくあらわしています。わたしたち併設中学生は試験をうけて中学へ入ったぶん、多少の優越感をもって新制中学生をみていました。かれらが似たような白線帽をかぶっているので、わたしたちは白線帽をかぶらないようにしたものです。だが、数ヶ月たつうちに新制中には併設中にない文化風俗が定着しつつあるのに気づかされました。
 一つはなんといっても男女共学です。旧制の最後である併設中学は男子校で、女学生ははるかに遠い存在でした。顔見知りの女学生と町で出会ってもおたがい目をあわせず、知らん顔ですれちがったものです。女学校の近くを通るだけでなにやらあやしい気分になりました。
 ところが新制中の生徒たちは女学生と同じ校舎で学んでいます。放課後も一緒に部活動をやっています。陸上競技、バレボール、バスケットボール、テニス、水泳など同じグラウンドでやるのだから、さぞ張り合いがありそうです。コーラスや絵画、習字などは男女合同で稽古できるのです。男と女が一緒に下校する姿もめずらしくない。わたしたちは女学生が遠い存在であるだけ、共学がいいものかどうか見当もつかなかったのですが、なんだか悔しかったのは確かでした。
 そのうち新制中学では生徒会の委員長の選挙が立候補制で行われるとの話が伝わってきました。
「立候補。そんなことをする奴がいるのか」
「あつかましいなあ。恥ずかしくねえのか」
「おらに投票してけれ、なんてよくいえるな。どういう奴なんだ、それ」
 わたしたちはおどろき呆れて、顔をしかめました。旧制中学にも生徒会の委員長や級長の選挙はあったが、候補者にしゃしゃり出る者などいなかった。なんとなく「あいつがよかろう」というムードで投票が行われ、当選がきまった。選挙というものはその集団の成員がそれぞれ適当と思う者に票をいれ、集計して当選者がきまるのがつねでした。何人かの候補が名乗りをあげ、「オレに投票してくれェ」とさけぶようなハシタナイものではなかった。役員は推されてなるもので、自分で売り込んでなるものではなかったのです。
 新制中学ではそうでないらしい。厚顔な奴が何人がしゃしゃり出て恥ずかしげもなく自薦の演説をやるそうです。明らかに旧制とちがう文化、風俗が醸成されつつあるようだ。いま思えばあれがマッカーサー司令部の民主化教育、アメリカ化教育だったのでしょう。
 新制中の生徒会長選挙は数人の候補者の争いとなり、女子生徒が当選したということだった。鼻の穴を広げてキンキン声で演説する女の子をわたしは想像し、子供心にイヤハヤと思いました。時代の激変をここでも実感したのです。
 出しゃばりを嫌い、自己宣伝をあさましく思うのは日本人の感性でした。謙譲の美徳、恥を知る文化のDNAをわたしたちは保持していた。異質なものが突然マッカーサー司令部によってもちこまれたのわけです。以来、日本人は自己宣伝を浅ましいと感じなくなった。
 だが、長い歴史でつちかわれたDNAがたかだか百年以内に滅びてなくなるわけもない。日本人は選挙に名乗りをあげ、臆面もなく自分を褒め称える政治家という人種を心の底で軽蔑しているのです。真にすぐれた人材は選挙になど出ない、権力など欲しがらないと思っているのではないでしょうか。
 むろん志と理想を抱き、純粋な使命感にかられて出馬する人材もいるのだしょう。だが、大多数は権利と地位、名声がほしいだけの自己宣伝屋に過ぎないのではないか。こんどの都知事選の候補者の顔ぶれを見てもその感をふかくします。少数の人をのぞいて、われわれの心の底の軽蔑の念、不信感を裏づける顔が並んでいる。国民から真に求められるような人材は、国民のそんなやりきれない心理を忖度して、ますます選挙に出たくなくなるのではないだろうか。
 日本の政治が三流といわれるのには旧制高校の廃止による政治家たちの一般教養の不足とか、イギリス流のノーブレス、オブリージの欠如とか世襲制の弊害とかいろいろ要素はあるでしょう。わたしには過度のアメリカ化の結果、日本人の品格にそぐわぬ人材が平気で政治に進出するようになったのが最大の問題だと思うのです。


— 2011.4.8

プロ野球(1)

 12日よりプロ野球がセ、パ両リーグそろって開幕しました。セ側は規定方針通り3月25日開幕を主張したようだが、「こんな時期にプロ野球どころじゃない」「「セ、リーグば節電に協力する気がないのか」など世論の袋叩きにあってしぶしぶ撤回したようです。
 横車を押し通そうとしたのは例によって巨人,追随したのは阪神。むかしに比べてプロ野球人気はガタ落ちなのだが、球界の両雄は現実を直視する勇気がなくむかしのままに振舞いました。だが、世間はそれをゆるさなかった。両球団のこのありさまにはプロ野球の凋落の決定的な兆候が見て取れます。
古い話になりますが、 敗戦後3が月の昭和20年11月下旬、神宮、桐生、西宮ではやくもプロ野球の東西対抗試合がおこなわれました。東西対抗といえばオールスター戦のようだが、実情はポツリポツリ復員してくる選手たちをなんとか人数分かきあつめた興行でした。当時はろくに食う物もなく、スシ詰め列車に窓から出入りし、東京大阪間を約20時間かけて移動するひどい状況でだったのです。男の観客は一様にヨレヨレの国民服、たまにいた女の観客は例外なくモンペ姿。選手も観客もともに極貧のうちにありました。
 この事例を読売の著名なドンはもちだしたらしい。
「戦後のだれもが食うや食わずの時代でも球場は満員になった。敗戦でうちひしがれた日本人をプロ野球の選手たちが元気づけ、励ましたのだ。東日本大震災で日本人が呆然自失のこの時期こそプロ野球は例年通り開幕するべきである」
 過去の栄光にすがりたい老人の気持ちはよくわかります。だが、ドンの現状認識には賛成できない。敗戦直後、日本人はたしかに極貧状態でした。街は破壊され、失業者や戦災孤児がどの都市の駅にもあふれていました。だが、人々の心は明るかった。なんといっても戦争が終わり、近い将来自分も死ななければならないのか、という不安から解放されたのです。自分だけでなく、家族や友人たちも重苦しい死の恐怖から解放された。これからは復興のため一途に働くことができる。頑張ろう。日本人がそう思っていたところにプロ野球の東西対抗戦が行われたのだ。躍動する選手たちに自分らの姿を重ね合わせて人々は試合に大歓声を送り、自分たちの明るい将来を祝福しあったのです。
 今回は震災に加え、原発事故の影響がいつまでつづくか見当もつかない。多くの日本人がなんとか被災地に力を貸したいと思いながら、現実にはなにもできずにいらいらしている。敗戦直後のように「これから良くなる」という保障が何一つないのです。こんな状況のもとプロ野球は開幕しました。敗戦直後の日本人がプロ野球によって元気つけられたのはたしかだけれど、いまの時代、セ、リーグの希望通り3月25日に開幕していたら、むしろわたしたちはシラけたでしょう。、「被災地に元気を」なるスローガンのもと例年どうりの利益を得ようとする興行側の偽善の片棒を担ぐことになるからです。、当初球場は満員になったかもしれないけど、ファンの野球離れは確実に進行したはずです。
 4月12日、被災地の復興のさまがぼつぼつ報道されるようになり、両リーグは開幕しました。早大ドラフト一位3人組、中大沢村拓一ら有望新人の加入もあって大いに盛り上がりそうなものだが、ワクワク感はいま一つです。やはり、自粛の雰囲気は消えていない。選手たちも大震災が頭にあって、判で捺したように「被災地に元気を与えたい」「励ましになるよう必死でプレーします」などと型どおりのコメントする。
 ここへきて大震災に直接の関係のない者はそれぞれの生業に全力を投入して、そうすることで日本全体の国力の向上に尽くすべきだとの考えが一般的になってきました。わたしたちは目立たぬ場所でそれぞれの小さな努力を積み重ねて生きてゆくしか、いまのところ「国難」に対処するすべはないのです。
 敗戦後のプロ野球はラジオと活字媒体で伝えられました。名選手には人々がイメージしやすいようあだ名がついていました。赤バットの川上哲治、青バットの大下弘、七色の魔球の若林忠志、ジャジャ馬の青田昇、猛牛の千葉茂、機関車の藤村富美男。わたしたちは写真や新聞雑誌、ラジオの実況放送をたよりにかれらのイメージを描き出し、敗戦で消えた英雄豪傑への憧れをみたしたものです。選手たちもそれ応えて平凡な打球をさばくさいも観客の印象に長く残るようなプレーを心がけていました。吉田義男は彼がゴロをとった瞬間もう一塁送球をすませていると見えるプレーで著名だったし、広岡達朗はどんな難球だろうと優雅そのものに処理して、わたしたちをうっとりさせた。川上は「打撃の神様」然と格調高くライナーを打ち、大下は仇名の「ポンちゃん」そもまま大空と悠然と消えるようなホームランを連発した。『名人芸』により選手たちは自己主張をし、観客は{名人芸〉に酔いしれて日ごろの鬱憤をわすれて家路につく。開幕日は選手と観客の一体感をたしかめる日でもありました。
 いまは映像の時代です。スター選手の姿は等身大で毎日のようにテレビにとりあげられる。それもプレーではなく談話中心です。如才なくこなす選手が人気者になる。いまの選手たちはかつてのスター選手のようにグラウンドで目立つ努力をしなくなった。基本どおりの正確無比のプレーを心がけるように変わりました。変に観客を意識すると監督、コーチがら怒られるのでしょう。だが、おかげで試合前にスタンドからグラウウンドを見渡しても、よほどのスター選手や白人選手以外、「あ、川上だ、藤村だ」と色めき立つことなどなくなりました。
 かって川上哲治も藤村富美男もインタービューは上手でなかった。プレーにおいてのみ彼らは自己主張をしていた。長嶋茂雄も王貞治もグラウンドで人生賛歌をうたいつづけた。そして現代の芸能人化した選手たちとむかしの無愛想な英雄豪傑のどちらが観客の記憶に残るかというと、まちがいなく後者でしょう。一つのスーパープレーのショックは愛想の良い談話などよりずっと強力なのです。
 ともかくプロ野球は開幕しました。ルーキーらの活躍でそれなり面白いけれど、わたしはとうしてもプロ野球の前途に暗い影がさしている気がしてなりません。次回はそのことについて語ります。

 

— 2011.4.20



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