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01.絶景日本海、飽きることなく続く車窓 五能線

 五能線は秋田県北部の東能代駅から青森県津軽地方の川部駅まで、約150キロを結ぶローカル線だった。いや、今もローカル線には違いないのだが、すっかり観光路線となってしまった感がある。

 車窓の大半で日本海が見られるという景勝路線ゆえ、一部の鉄道旅行愛好者の間では非常に有名であった。1990年にJR東日本が「ノスタルジックビュートレイン」という観光列車の運転をはじめたことで、観光客にも徐々にその人気が浸透していった。現在では「リゾートしらかみ」という名の観光列車が有名である。

 私のような偏屈な人間は、観光地化され、人気が出てしまうと急にそこへ行く気が失せてしまう。随分と長い間、五能線を避けていたのだが、昨年、2000年夏にたまたま行く機会に恵まれた。

 東能代を7時57分に出る弘前行の五能線普通列車は、42すべての駅に停車し、4時間以上かけて五能線を全線走破する。

 通学の学生らは次の能代で降りてしまい、残った乗客の多くは進行方向左手の座席に陣取る。全線に渡って、海の見える方向は同じである。

 東能代から約40分、八森駅を過ぎたあたりから海がチラチラ姿を現す。近年設置された「あきた白神」駅で登山目的らしき老人団体を降ろし、列車はいよいよ日本海の波打ち際を走る。

 小さな漁港と穏やかな海が続き、大小の海蝕崖の姿が海原に見え始めた頃、青森県に入る。このあたりは五能線のハイライト。迫力ある車窓が続く所で、旅人を決して飽きさせない。

 ただし今日は穏やかな蒼い夏の海、日本海の素晴らしさは、粉雪舞う灰色の冬場にはかなわない。

 その先も海岸線は延々と続き、レールは舮作(へなし)崎の出っ張りに素直に沿って北上。深浦町内に入る。
 舮作といえば、日本海の波打ち際にある黄金崎「不老不死温泉」が有名だが、最近は近くにヴェスパ椿山なる観光駅と温泉リゾート施設までできている。
 五能線観光化に便乗したのかどうかは不明だが、箱モノ好き行政によるリゾート開発の雰囲気が漂っている。

 列車は、沿線の中心駅である深浦で12分の停車。人口9000人足らずの町だが、この地方では鰺ヶ沢に次いで大きな町となっている。
 風合瀬(かそせ)という響き良い駅を過ぎると、次の見所は千畳敷海岸。五能線最後の景勝スポットを見ながら北上を続け、鰺ヶ沢(あじがさわ)駅に着く。人口は約1万4000人。この先は、木造、五所川原など西津軽内陸部の比較的人口の多い所を走る。車窓に寄り添った日本海ともお別れとなる。

 飽きることなく続く車窓には満足したが、五能線の観光地化は少し気になった。
 ただ、春夏秋冬、五能線の車窓の美しさはいつまでも変わらない事だけが救いだ。

(2002/12/1)

02.時が止まったままの風景 房総半島の久留里線

 東京駅から総武線の快速列車で約80分、房総半島中央部に位置する港街、千葉県木更津(きさらづ)に着く。
 ここから、房総丘陵の山間に向かって、上総(かずさ)亀山まで通じているのが久留里(くるり)線だ。

 房総半島縦断の夢叶わず、太平洋側から伸びる上総中野駅までもう少しという地点で鉄路が途切れており、沿線にこれといった大きな街もない。古いディーゼルカーが地元客を乗せてのんびりと走るという、典型的なローカル線である。

 関東近郊の路線では、今や非電化の路線自体が珍しい。山間の終着駅というのも気にかかる。
 春の休日、初めて久留里線に出掛けた。

 木更津を11時50分に出る上総亀山行きは、白地のディーゼルカーが2両。国鉄時代の古い車両を"厚化粧"して今も使っている。窓に背を向けて座るロングシートになっているのは残念だが、ローカル線とはいえ、ここも首都圏。諦めるしかない。

 発車が近づくと、ほとんどの座席が埋まった。休日の買物帰りといった様相の客が目立つ。
 木更津を出た列車は、自転車より少し早い位のスピードで住宅地の中を走る。線路が細いためか揺れが大きく、車内には軽油の匂いが漂う。

 終点の上総亀山までは約32キロ、所要は1時間。とにかく、のんびりしている。
 祇園、上総清川と市街地の無人駅を過ぎると、広がる水田の中を坦々と走る。変わり映えしない景色に眠気が襲ってきそうだ。

 木更津から25分で馬来田(まくた)に到着。3分の1ほどの乗客が一斉に下車した。今は木更津市の外れにある集落だが、かっては村だったというからそれなりの人口があるのだろう。
 車掌はホームで切符の回収作業に時間がかかっているが、特に気にする様子もない。2分ほど遅れてドアを閉めた。

 列車は南に進行方向を変え、君津市内へと入った。時が止まったかのような古びた無人駅を幾つか過ぎる。ローカル線らしい雰囲気になってきた。地名の書かれた白い旧式駅名板が懐かしさを誘う。

 12時32分、久留里に着いた。城下町として著名な線内一の主要駅だ。
 ホームでは反対列車とともに、駅員がタブレット(通行証)を腕に抱えて待っている。日本では絶滅寸前の光景がある。
 もし、ディーゼルカーが国鉄時代のタラコ色だったなら、涙を流して喜んでしまうかもしれない。

 乗客の大半が久留里駅で下車してしまい、列車は空気輸送のような状態で終着駅を目指す。
 車窓は、これまでの坦々とした田園風景が一変。線路は右に左に曲がりながら山間に分け入っていく。岩場がむき出しになった古堰川も寄り添ってきた。
 久留里より先の区間が、一番の見所だ。

 無人駅を2つ過ぎ、短いトンネルを抜けると小さな平地が開け、12時51分、終着駅の上総亀山に到着した。
 降り立った乗客はあっという間に方々へ散ってしまい、小さな木造駅舎は静けさに包まれた。

 駅前には、壊れた自動販売機とシャッターの閉まった商店。「ようこそ亀山へ」という古錆びた観光案内図もあった。
 終着駅もまた、時代に取り残されているかのような風景。最後の最後まで、古き良き時代の懐かしさが一杯に詰まったローカル線だった。

(2005/3/21)

03.日向灘の車窓眺め、著名観光地巡る日南線

 鹿児島の鴨池港から、鹿児島湾を横断する南海郵船フェリーで約35分、垂水(たるみず)に着いた。
 志布志(しぶし)行のバスは、垂水港に横付けされていた。ここから先、志布志まではかって大隅線が走っていたことを知らせるかのごとく、時折、廃線跡が見えるが、国道を淡々と走るバスはそれほど面白くはない。耐えること約2時間、ようやく志布志に着いた。

 鹿児島県の東端に位置する志布志は、かって大隅線、志布志線、日南線が交わる鉄道の要所だった。大きな機関区もあり、賑わっていた思い出があるのだが、今の志布志駅はそんな時代が嘘のように小ぢんまりとした無人駅になってしまっていた。

 その志布志に唯一残った日南線は、日南海岸に沿って南宮崎までの約90キロを結ぶ非電化ローカル線である。
 沿線には青島や飫肥(おび)といった観光地があり、車窓からは時折、美しい海岸風景も眺められることから、観光客も意識した快速列車「日南マリーン」号が1日1往復運転されているが、それ以外は1~2両のワンマンディーゼル列車がのんびり走っている。
 
 10時33分発の宮崎行普通列車は、2両編成だが乗客はわずか2人。鹿児島県から宮崎県へと"越境"する人は少ないのだろう。日南線は志布志と次の大隅夏井駅を除いては、宮崎県内を走る。

 志布志駅を出て少しすると右手眼下に志布志湾が広がり、港には大型客船の姿も見える。志布志と大阪間には定期航路があり、約13時間で結んでいる。
 7分かけて大隅夏井に到着。鹿児島県最後の駅である。
 他の乗客は当然のように下車してしまい、貸切状態となってしまった。

 この先、いくつか続くトンネルを越えると、宮崎県に入って最初の駅、ホーム1面だけの福島高松に着く。時折、国道越しに海が望めるが、この先は見えなくなり、のんびりとした山間部の田園風景が続く。主要駅の串間で10人ほど乗客を乗せ、列車は再び山合いの中を走る。

 志布志から約1時間、「海中公園のまちへようこそ」との看板が掲げられた南郷(なんごう)駅に到着。昼食も兼ねて下車してみた。
 南郷は観光の街らしく、駅には観光案内所が併設され、タクシーも常に停まっているが、観光客は私以外に誰もいない。南郷プリンスホテルや水中観光船への客はマイカーで行くのだろう。 小さな駅舎を出ると、陽の光を浴びたフェニックスの木々が南国風情を醸し出しており、雰囲気は悪くない。

 駅前の「松」という料理屋に入ると、地元名物の「かつお飯」を食べさせてくれた。ご飯の上にカツオを載せて熱いお茶と海苔をかける、という漁師料理だが、魚が新鮮なせいか味わい深い。

 南郷を13時35分に出る普通列車は、古いディーゼルカー1両の単行運転。8割ほど座席が埋まっている。
 5分ほど走ると右手に白い砂浜が広がる。まだ5月だというのに賑わう海水浴場を見ながら大堂津(おおどうつ)駅に着くと、遠足帰りらしい小学生が大量に乗ってきた。車内は満員になった。

 ここから次の油津(あぶらつ)までの間が日南線のハイライト区間だ。眩しいほどに光る日向灘が広がり、海原に浮かぶ緑の大島も見える。窓を開けて潮の香りを満喫したい所だが、今ではこの旧型ディーゼルカーでさえも冷房が付いている。
 遠洋漁業の基地になっている油津港を見ながら、油津駅に到着。再び、海から離れて走る。

 日南市の中心部にある日南駅の次は、城下町・飫肥(おび)。九州の小京都として名高い観光地だが、今日は先を急ぐ。
 今度は右手に広渡川を眺めながら走ると北郷(きたごう)駅に着く。長い谷之上トンネルを出ると伊比井駅。ここを過ぎると山壁を這うようなトンネルが続き、海岸沿いに出た。右手には「鬼の洗濯板」と言われる波状岩が広がる海岸線が続く。ここも日南線の見所だ。

 青島トンネルを抜けると、青島駅に到着した。言わずと知れたかっての大観光地・青島への玄関口の駅だが、今では寂れた無人駅。
 列車を降りて青島に向かった。

 駅前のプロムナードを歩いて10分もすると門前土産店街に入る。ゴールデンウィークだというのに、人通りは少ない。大きなホテルが廃墟となっている風景は痛々しい。
 亜熱帯植物が生い茂る青島へ入ると、凸凹になった「鬼の洗濯板」と呼ばれる奇岩が続く。島内にある青島神社に立ち寄ると、毎年春季キャンプをこの地で張る読売巨人軍の選手らによる自筆絵馬を自慢げに飾っていた。

 青島駅と宮崎の間は、区間運転も含めて列車本数が若干多くなる。ここから先は宮崎市街である。
 青島、飫肥などの観光を含めながら、海を堪能する、そんな楽しみ方ができるローカル線だった。

(2004/5/9)

04.富山港線と氷見線、富山県内のミニ支線紀行

  富山駅から北に向かってわずか8キロ、岩瀬浜までを結ぶ「富山港線」というミニ支線がある。
 この路線は来年(2006年)2月で一旦運行を休止し、若干のルート変更を行った上で第三セクターの路面電車(LRT)化されて生まれ変わる予定になっている。JRの富山港線としては今年が最後の夏となる。

 従来からあるJR路線をLRT化するのは全国初の試みであり、変化する前の姿を一度見ておきたいと思い、上野発金沢行の夜汽車に乗った。
 富山駅の一番端に”おまけ”の如く設置されている7・8番線から、富山港線は発着する。戦前、富岩鉄道という別会社だったものを、後に国有化したという経緯があり、北陸本線が交流方式で電化されているのに対し、この路線は直流電化である。

 5時55分の始発列車は3両編成だった。
 日中はワンマンのレールバスタイプのディーゼルカーが1両で走るそうだが、通勤客の多い朝夕は、北陸本線で走っている白地に青いラインの普通電車が「出張」してくる。
 この電車は「交直両用」であるから、都合がいいのだろう。

 まばらな乗客を乗せ、列車は1分ほどで富山駅構内のような場所にある「富山口」に停車。片側ホームだけの小駅だが、富岩鉄道時代はここが基点だったという。LRT化の際には、「路面電車」として街の中心部を走るルートに変更されるため、この駅は廃止となる。

 大きな化学工場に隣接する「下奥井」に停車後、富岩街道と呼ばれる県道に沿って坦々と走る。臨海貨物線のような雰囲気もあるが、案外沿線に家々が多い。
 富山港線には10駅が設けられ、1キロ未満に1駅という路面電車の停留所のような駅間隔になっている。LRT化後はさらに4駅を加える予定だというから、乗降客はそれなりに見込める住宅街なのだろう。

 わずか8キロの区間を17分かけ、列車は終点の岩瀬浜駅に到着した。
 人家の裏庭に間借りしているかのような終着駅で、3両停まるのがやっとの片側ホームと、長年風雪に耐え忍んできたと思われる古びた木造駅舎があった。
 銚子電鉄の終点、外川駅に似ていて、どこか海沿い終着駅の風情がある。

 折り返し列車を一本見送り、駅前を散策。線路が尽きた先には小さな住宅地があり、そこを抜けると、灰色の雲が低く垂れ込めた漁港が見えた。

 早朝の町には特に観るべきものはなく、駅近くのコンビニエンス・ストアに入ると、浮き輪や水中眼鏡、花火などが賑やかに売られていた。付近には著名な岩瀬浜海水浴場があるとのことであった。

 食券でも出てきそうな券売機で薄っぺらな乗車券を買い、6時55分発の富山行に乗り込む。
 各駅で通学の中学生や小学生、通勤客らが次々と乗ってきて車内は満員になった。
 富山港線が最も活気にあふれる朝の風景を見ながら、富山駅に舞い戻る。

 7時19分発、北陸本線の福井行普通列車に乗り換えて西下。
 かつて「月光型」と呼ばれた寝台特急電車を改造した不思議な車両を使っており、天井が高く、座席幅も広くて4人で掛けても前席や隣の客と膝が触れることはない。
 北陸本線の普通電車は、すべて旧(ふる)い優等列車型を改造した電車ばかりで、先ほど、富山港線に「出張」していた車両も20年ほど前は急行型電車だった。

 直流用に比べ、交流用電車を製造するのはお金がかかるので、新車は作りたくないのだろう。JR西日本という会社は、儲けの少ない地方路線における節約ぶりは徹底している。
 鉄道マニアとしては、愛想のないロングシート車を導入されるよりは、旧国鉄の名残があって単純に嬉しい思いがする。

 朝の通勤客を満載した普通列車は、富山から20分弱で高岡に到着した。

 高岡から日本海に面した氷見(ひみ)まで、16.5キロを結ぶ「氷見線」という支線がある。乗車時間は片道わずか30分足らずだが、途中、車窓から富山湾の雨晴海岸が一望できる景勝ローカル線で、今度はそこに乗ろうと思う。

 氷見線も元は「中越鉄道」という名の私鉄を国有化したという経緯があるためか、ホームは北陸本線とは若干離れた場所に位置していた。行き止まり式のホームに向かって歩いているのは、セーラー服や白い開襟シャツの高校生ばかりである。

 7時45分発の氷見行普通列車は、濃赤色に塗られたディーゼルカーを4両もつなげて停車中。どの車両も制服姿の高校生を満載しており、スクールバスにでも闖入するかのような気分になりながら、ようやく先頭車で空席を見つけた。

 沿線には幾つかの高校があるらしく、車内ではとりどりの制服が見られる。暗黙のうちに学校ごとで座る場所が決まって勢力バランスが保たれているのか、朝ゆえ元気がないのかは知らないが、これだけの高校生が乗っている割には静かである。

 定刻通りに高岡を出発した列車は、4分で越中中川に着く。わずか1駅だけで4割ほどの学生が下車し、ホームには人が溢れている。

 次の能町を過ぎると、右手には製紙工場の赤白模様の煙突と、石油精製でもしているのか筒状のタンクや幾何学的なプラントが目についてきた。
 白い煙をもくもくと空へ吐き出し、寄り添ってきた痩せたレールが工場地帯へ吸い込まれていく。

 臨海工業地帯独特の雑然とした風景の中を通り抜け、伏木、越中国分と過ぎると、ようやく右手一面に海原が広がった。
 列車は能登半島の付け根部に沿って、海岸線ぎりぎりのところを走る。
 ポツリと浮かぶ二つの岩礁と松の木はいかにも日本海然としているが、富山湾内のためか、山陰や羽越本線ほどの荒々しさはなく穏やかだ。

 乗客が少なくなったのを見計らって窓を開けて潮風を浴びた。眠気が一瞬、飛んでいくような気がする。
 「雨晴(あまはらし)」の名の如く、晴れてくれればさらに美しい紺碧の海が楽しめるのだが、今日は曇天。
 空気が透き通れば、湾越しに立山連峰が望めるという。そんな絶景を一度は車窓から見てみたいと思うが、未だ叶ってはいない。

 氷見線一の景勝ポイントは5分もしないうちに通り過ぎ、海岸に近い小駅に2つほど停まって、8時12分、列車は終点の氷見にたどり着いた。

 ローカル線の小都市駅にありがちなコンクリートの平屋建て駅舎には、テレビアニメ「忍者ハットリくん」の人形が飾られていた。作者の藤子不二雄(安孫子)氏が氷見の出身だということで、「ハットリくん」のイラストを描いたディーゼルカーもあり、人気を集めているという。

 こうした「ペイント列車」は、話題性や地域振興の面だけでなく、車両の古さを誤魔化すにも最適なのだろう。こちらとしては、国鉄時代の朱色やクリームと赤地の塗色に戻してほしいと思ったりもするが。

 折り返し列車を1本見送り、無目的の駅前散策。
 線路の尽きた先にある集落の裏路地を抜けると、道路越しに朝の陽を浴びた日本海が光っていた。

(2005/8)

05.一瞬の青さ輝く若狭湾 今は昔の"鯖街道" 小浜線

 敦賀から若狭湾沿いに東舞鶴までの84.3キロを結んでいるのが小浜線である。
 北陸と山陰を結ぶ重要な路線で、沿線には若狭高浜や美浜、和田など著名海水浴場がある。同時に、今では原子力発電所が点在する「原発銀座」としても有名だ。

 かつて夏になると、大阪や京都、名古屋方面から海水浴列車が乗り入れ、中には旧(ふる)いディーゼルカーとは似ても似つかない「エメラルド」という胸ときめくような愛称名の急行列車もあった。反面、日常は肌色と赤のツートンカラーの煤けたディーゼルカーが、のんびり走るローカル線だったように思う。

 ところが、沿線に原発を多数擁する地ゆえ、電力会社や行政から何らかの働きかけや補助があったためか、2003年になって直流電化が行われて、今は真新しい電車が走っている。

 小浜線は、敦賀駅の最も駅本屋に近い専用ホームから発着する。
 直流電化したとはいえ、多客期に京都から東舞鶴経由の特急が小浜まで乗り入れてくる程度。日頃は1時間ないしは2時間に1本程度の普通列車しか走っていない。

 12時2分発の東舞鶴行は、1両きりの電車がぽつりとホームに停まっていた。
 1両だけのディーゼルカーには慣れているが、「単行」の電車は初めて見た気がする。電化を機に新造された車両で、見た目も車内も大阪圏でよく見る新快速や快速のステンレス電車に酷似している。

 車内は一席の猶予もないが、立ち客もいないという、JRの需要予測が見事に当たった結果となって、敦賀駅を出発した。

 客層は買物帰りらしき地元老人らが大半を占めているが、ローカル路線には不似合いな背広姿のビジネスマンが10人ほどいる。
 原発関係かそれとも県庁など役所関係の出張かは分からないが、発車前から忙しそうに駅弁をほおばっている。

 ループ線に入る北陸本線と別れ、市街地を抜けた列車は、迫る野坂山地を迂回しながら走る。
 粟野という小駅を過ぎ、敦賀と美浜を隔てる関峠を坦々と越えた。小浜線は地図上では海に近い所を走っているように見えるが、しばらくは山間部が続く。
 時折、山の切れ間から入り組んだリアス式の湾が見え、行く先の車窓に期待を抱かせる。

 20分ほどして線路が最も若狭湾に近づいた頃、列車は美浜駅に停車。緑の水田の向こうには青い海原がかすかにうかがえるが、湾が入り組んでいるためか、湖のように見えなくもない。
 ここで3分の1ほどの乗客が下車した。

 湾とつながる三方五胡の姿をちらりちらりと望みながら、列車は軽快に走る。
 運転席を覗くとスピードメーターは80km/h。ディーゼルカー時代と比べ、敦賀~小浜間での所用時間が10分程度短縮しており、これが「電車」の威力なのであろう。

 この列車はワンマン運転なのだが、運転手が駅に停まるたびに車内を見回し、深々と一礼をしてから発車させている。
 JR西日本の管内に入ってから、ホームで運転手が手を前に組んで、恭しく列車を待つ姿を度々見かけるなど、どうも態度が丁寧すぎる。
 何もそこまでしなくても、という気はするが、今年4月に起こった尼崎脱線事故の影響なのかとも思う。
 事故以後、同社の運転手や車掌に対し、御門(おかど)違いの暴力事件や暴言を浴びせるなどの行為が相次いでいるというから、規律を正している姿を乗客に見せているのかもしれぬ。
 国鉄時代は、昼夜関係なく遮光幕を下ろした運転室で煙草を吸うなどは日常茶飯事で、中にはパンを食しながら平然と運転する職員さえいたが、今は遠い昔話だ。

 三方を出た列車は、南へ方向を変えて海と離れていく。古い蔵も散見される山間の小集落駅を幾つか過ぎて、中心駅の一つである上中(かみなか)に停車。
 鯖街道の宿場町「熊川宿」の最寄り駅で、滋賀県の近江今津へ抜けるJRバス「若江線」も発着する。

 上中を出るとようやく車窓に市街地が現れて、13時2分小浜に到着した。
 路線名の通り、小浜は最重要駅で、人口3万2千超の歴史ある城下町。小浜へ来たからには、新鮮な魚が食べたいし、名物の焼き鯖寿司も捨てがたい。昼食も兼ねて下車した。

 平日の午後、うたた寝しているかのような古い商店街を歩いてみたが、めぼしい店は見当たらない。商店街とは対照的に立派な市役所庁舎の前に、いくつかの食事店があった。
 これまでの経験上、知らない街で食事に困った時、まず目指すのは役所である。近くには必ずその街で一番の店がある、ということが言える。

 地方都市では、議員や役人が最も高所得者である場合が多いので、そこに店が集中するのではないか、という仮説も自分の中にあるが、単に役所が街の中心部に位置しているからだと思う。

 魚が気持ち良さそうに泳いでいる水槽を一瞥して、しっかりとした店構えの寿司屋の暖簾をくぐってみる。店の前に価格表示はないが、旅に出て気が大きくなっている旅行者に怖いものなどない。

 店内のメニューを見ると、すべてが数千円台。痩せ我慢をして食そうかとも思ったが、現実に直面して次第に弱気になってきた。
 「またよろしゅう(よろしく)……」などと明らかに呆れた口調で発する店主とは目を合わせず、店からそそくさと退散。旅の恥は掻き捨て、という言葉も思い出した。

 海に向かって再び足を進めると、蘇洞門(そとも)巡り遊覧船乗り場の近くに「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」なる施設が見えた。土産物店やレストランがあり、寿司や刺身も売っている。寿司コーナーには、その場で食すことができるスペースが設けられていた。

 先ほど高価な寿司屋から敗走した反動で、名物の焼き鯖(さば)寿司や地魚の刺身、握り寿司などを手当たり次第に購入。

 「地魚」「地元産」というステッカーによって暗示にかけられたかのごとく「地元産はやはり新鮮で旨い。さすがだ」などと若干興奮気味に、妻と感想を述べ合いながら、気分よく昼食を終える。

 帰り際、何気なく焼き鯖寿司のパッケージ表示を凝視してみると、「原産国・ノルウェー」とあった。
 胃に流し込んで満足した後なので、ノルウェーでもアイスランドでもデンマークでも良いが、かつての「鯖街道」も今は昔話なのであろう。

 若狭フィッシャーマンズ・ワーフから小浜駅までは歩いて20分弱。少々遠いが、黒い家々が立ち並ぶ路地や、全国系店舗がほとんどない商店街など、歴史深さを感じるような風景がそこかしこで見られ退屈はしない。点在する寺社仏閣を巡れば、あっという間に一日が過ぎてしまいそうな街である。

 小浜発14時42分の東舞鶴行は2両編成でやってきた。車内は高校生を中心に7割ほどの乗車率。進行方向右手、海側の座席に座る。「青春18きっぷ」のシーズンを外した甲斐あって、普通列車の座席が楽に確保できる。

 いよいよ若狭湾を車窓に望める区間にきた。
 短いトンネルを二つ越えると、国道越しに海原が広がった。リアス式独特の入り組んだ湾には雄大さこそないが、これはこれで趣(おもむき)がある。

 あっという間に列車は再び山間に入り、トンネルを越え、駅舎で床屋を営むことで有名な加斗に停車。古い瓦屋根の庇には、白いタオルがいくつも干され風になびいている。
 荒れ果てた無人駅が多くなった今、人の匂いがする小駅を見ると無性に嬉しくなる。

 加斗を過ぎると、若狭湾と再会。大飯原発のある大島半島と蘇洞門のある内浦半島に囲まれた湾のせいか、島々が海原で重なり合っているように見え、まるで瀬戸内海のような温和さである。

 大飯原発への近道用か、海上にかけられた巨大大橋を過ぎると、すぐに若狭本郷に着いた。この先、時折、入り江や湾も見えるが小浜線のハイライトは若狭本郷で終わる。
 若狭高浜を過ぎて、次の三松で若狭湾と離れると、列車は福井県最後の駅である青郷(あおのごう)に停車。戦国時代は合戦地だった吉坂峠をトンネルで越え、京都府に入った。

 峠を越えてすぐに松尾寺(まつおのでら)駅に到着。西国二十九番礼所・松尾寺へは徒歩で小一時間ほどかかるので、「松尾寺口」でも良いようにも思う。
 山間を抜けて市街地が見えはじめると高架となり、15時27分、終着の東舞鶴に到着した。

 海はそれほど見えなかったが、緑の森を抜けた後、一瞬の海原の青さが瞼に残る路線であった。

(2005/8)


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