閉じる


<<最初から読む

4 / 9ページ

04.富山港線と氷見線、富山県内のミニ支線紀行

  富山駅から北に向かってわずか8キロ、岩瀬浜までを結ぶ「富山港線」というミニ支線がある。
 この路線は来年(2006年)2月で一旦運行を休止し、若干のルート変更を行った上で第三セクターの路面電車(LRT)化されて生まれ変わる予定になっている。JRの富山港線としては今年が最後の夏となる。

 従来からあるJR路線をLRT化するのは全国初の試みであり、変化する前の姿を一度見ておきたいと思い、上野発金沢行の夜汽車に乗った。
 富山駅の一番端に”おまけ”の如く設置されている7・8番線から、富山港線は発着する。戦前、富岩鉄道という別会社だったものを、後に国有化したという経緯があり、北陸本線が交流方式で電化されているのに対し、この路線は直流電化である。

 5時55分の始発列車は3両編成だった。
 日中はワンマンのレールバスタイプのディーゼルカーが1両で走るそうだが、通勤客の多い朝夕は、北陸本線で走っている白地に青いラインの普通電車が「出張」してくる。
 この電車は「交直両用」であるから、都合がいいのだろう。

 まばらな乗客を乗せ、列車は1分ほどで富山駅構内のような場所にある「富山口」に停車。片側ホームだけの小駅だが、富岩鉄道時代はここが基点だったという。LRT化の際には、「路面電車」として街の中心部を走るルートに変更されるため、この駅は廃止となる。

 大きな化学工場に隣接する「下奥井」に停車後、富岩街道と呼ばれる県道に沿って坦々と走る。臨海貨物線のような雰囲気もあるが、案外沿線に家々が多い。
 富山港線には10駅が設けられ、1キロ未満に1駅という路面電車の停留所のような駅間隔になっている。LRT化後はさらに4駅を加える予定だというから、乗降客はそれなりに見込める住宅街なのだろう。

 わずか8キロの区間を17分かけ、列車は終点の岩瀬浜駅に到着した。
 人家の裏庭に間借りしているかのような終着駅で、3両停まるのがやっとの片側ホームと、長年風雪に耐え忍んできたと思われる古びた木造駅舎があった。
 銚子電鉄の終点、外川駅に似ていて、どこか海沿い終着駅の風情がある。

 折り返し列車を一本見送り、駅前を散策。線路が尽きた先には小さな住宅地があり、そこを抜けると、灰色の雲が低く垂れ込めた漁港が見えた。

 早朝の町には特に観るべきものはなく、駅近くのコンビニエンス・ストアに入ると、浮き輪や水中眼鏡、花火などが賑やかに売られていた。付近には著名な岩瀬浜海水浴場があるとのことであった。

 食券でも出てきそうな券売機で薄っぺらな乗車券を買い、6時55分発の富山行に乗り込む。
 各駅で通学の中学生や小学生、通勤客らが次々と乗ってきて車内は満員になった。
 富山港線が最も活気にあふれる朝の風景を見ながら、富山駅に舞い戻る。

 7時19分発、北陸本線の福井行普通列車に乗り換えて西下。
 かつて「月光型」と呼ばれた寝台特急電車を改造した不思議な車両を使っており、天井が高く、座席幅も広くて4人で掛けても前席や隣の客と膝が触れることはない。
 北陸本線の普通電車は、すべて旧(ふる)い優等列車型を改造した電車ばかりで、先ほど、富山港線に「出張」していた車両も20年ほど前は急行型電車だった。

 直流用に比べ、交流用電車を製造するのはお金がかかるので、新車は作りたくないのだろう。JR西日本という会社は、儲けの少ない地方路線における節約ぶりは徹底している。
 鉄道マニアとしては、愛想のないロングシート車を導入されるよりは、旧国鉄の名残があって単純に嬉しい思いがする。

 朝の通勤客を満載した普通列車は、富山から20分弱で高岡に到着した。

 高岡から日本海に面した氷見(ひみ)まで、16.5キロを結ぶ「氷見線」という支線がある。乗車時間は片道わずか30分足らずだが、途中、車窓から富山湾の雨晴海岸が一望できる景勝ローカル線で、今度はそこに乗ろうと思う。

 氷見線も元は「中越鉄道」という名の私鉄を国有化したという経緯があるためか、ホームは北陸本線とは若干離れた場所に位置していた。行き止まり式のホームに向かって歩いているのは、セーラー服や白い開襟シャツの高校生ばかりである。

 7時45分発の氷見行普通列車は、濃赤色に塗られたディーゼルカーを4両もつなげて停車中。どの車両も制服姿の高校生を満載しており、スクールバスにでも闖入するかのような気分になりながら、ようやく先頭車で空席を見つけた。

 沿線には幾つかの高校があるらしく、車内ではとりどりの制服が見られる。暗黙のうちに学校ごとで座る場所が決まって勢力バランスが保たれているのか、朝ゆえ元気がないのかは知らないが、これだけの高校生が乗っている割には静かである。

 定刻通りに高岡を出発した列車は、4分で越中中川に着く。わずか1駅だけで4割ほどの学生が下車し、ホームには人が溢れている。

 次の能町を過ぎると、右手には製紙工場の赤白模様の煙突と、石油精製でもしているのか筒状のタンクや幾何学的なプラントが目についてきた。
 白い煙をもくもくと空へ吐き出し、寄り添ってきた痩せたレールが工場地帯へ吸い込まれていく。

 臨海工業地帯独特の雑然とした風景の中を通り抜け、伏木、越中国分と過ぎると、ようやく右手一面に海原が広がった。
 列車は能登半島の付け根部に沿って、海岸線ぎりぎりのところを走る。
 ポツリと浮かぶ二つの岩礁と松の木はいかにも日本海然としているが、富山湾内のためか、山陰や羽越本線ほどの荒々しさはなく穏やかだ。

 乗客が少なくなったのを見計らって窓を開けて潮風を浴びた。眠気が一瞬、飛んでいくような気がする。
 「雨晴(あまはらし)」の名の如く、晴れてくれればさらに美しい紺碧の海が楽しめるのだが、今日は曇天。
 空気が透き通れば、湾越しに立山連峰が望めるという。そんな絶景を一度は車窓から見てみたいと思うが、未だ叶ってはいない。

 氷見線一の景勝ポイントは5分もしないうちに通り過ぎ、海岸に近い小駅に2つほど停まって、8時12分、列車は終点の氷見にたどり着いた。

 ローカル線の小都市駅にありがちなコンクリートの平屋建て駅舎には、テレビアニメ「忍者ハットリくん」の人形が飾られていた。作者の藤子不二雄(安孫子)氏が氷見の出身だということで、「ハットリくん」のイラストを描いたディーゼルカーもあり、人気を集めているという。

 こうした「ペイント列車」は、話題性や地域振興の面だけでなく、車両の古さを誤魔化すにも最適なのだろう。こちらとしては、国鉄時代の朱色やクリームと赤地の塗色に戻してほしいと思ったりもするが。

 折り返し列車を1本見送り、無目的の駅前散策。
 線路の尽きた先にある集落の裏路地を抜けると、道路越しに朝の陽を浴びた日本海が光っていた。

(2005/8)

05.一瞬の青さ輝く若狭湾 今は昔の"鯖街道" 小浜線

 敦賀から若狭湾沿いに東舞鶴までの84.3キロを結んでいるのが小浜線である。
 北陸と山陰を結ぶ重要な路線で、沿線には若狭高浜や美浜、和田など著名海水浴場がある。同時に、今では原子力発電所が点在する「原発銀座」としても有名だ。

 かつて夏になると、大阪や京都、名古屋方面から海水浴列車が乗り入れ、中には旧(ふる)いディーゼルカーとは似ても似つかない「エメラルド」という胸ときめくような愛称名の急行列車もあった。反面、日常は肌色と赤のツートンカラーの煤けたディーゼルカーが、のんびり走るローカル線だったように思う。

 ところが、沿線に原発を多数擁する地ゆえ、電力会社や行政から何らかの働きかけや補助があったためか、2003年になって直流電化が行われて、今は真新しい電車が走っている。

 小浜線は、敦賀駅の最も駅本屋に近い専用ホームから発着する。
 直流電化したとはいえ、多客期に京都から東舞鶴経由の特急が小浜まで乗り入れてくる程度。日頃は1時間ないしは2時間に1本程度の普通列車しか走っていない。

 12時2分発の東舞鶴行は、1両きりの電車がぽつりとホームに停まっていた。
 1両だけのディーゼルカーには慣れているが、「単行」の電車は初めて見た気がする。電化を機に新造された車両で、見た目も車内も大阪圏でよく見る新快速や快速のステンレス電車に酷似している。

 車内は一席の猶予もないが、立ち客もいないという、JRの需要予測が見事に当たった結果となって、敦賀駅を出発した。

 客層は買物帰りらしき地元老人らが大半を占めているが、ローカル路線には不似合いな背広姿のビジネスマンが10人ほどいる。
 原発関係かそれとも県庁など役所関係の出張かは分からないが、発車前から忙しそうに駅弁をほおばっている。

 ループ線に入る北陸本線と別れ、市街地を抜けた列車は、迫る野坂山地を迂回しながら走る。
 粟野という小駅を過ぎ、敦賀と美浜を隔てる関峠を坦々と越えた。小浜線は地図上では海に近い所を走っているように見えるが、しばらくは山間部が続く。
 時折、山の切れ間から入り組んだリアス式の湾が見え、行く先の車窓に期待を抱かせる。

 20分ほどして線路が最も若狭湾に近づいた頃、列車は美浜駅に停車。緑の水田の向こうには青い海原がかすかにうかがえるが、湾が入り組んでいるためか、湖のように見えなくもない。
 ここで3分の1ほどの乗客が下車した。

 湾とつながる三方五胡の姿をちらりちらりと望みながら、列車は軽快に走る。
 運転席を覗くとスピードメーターは80km/h。ディーゼルカー時代と比べ、敦賀~小浜間での所用時間が10分程度短縮しており、これが「電車」の威力なのであろう。

 この列車はワンマン運転なのだが、運転手が駅に停まるたびに車内を見回し、深々と一礼をしてから発車させている。
 JR西日本の管内に入ってから、ホームで運転手が手を前に組んで、恭しく列車を待つ姿を度々見かけるなど、どうも態度が丁寧すぎる。
 何もそこまでしなくても、という気はするが、今年4月に起こった尼崎脱線事故の影響なのかとも思う。
 事故以後、同社の運転手や車掌に対し、御門(おかど)違いの暴力事件や暴言を浴びせるなどの行為が相次いでいるというから、規律を正している姿を乗客に見せているのかもしれぬ。
 国鉄時代は、昼夜関係なく遮光幕を下ろした運転室で煙草を吸うなどは日常茶飯事で、中にはパンを食しながら平然と運転する職員さえいたが、今は遠い昔話だ。

 三方を出た列車は、南へ方向を変えて海と離れていく。古い蔵も散見される山間の小集落駅を幾つか過ぎて、中心駅の一つである上中(かみなか)に停車。
 鯖街道の宿場町「熊川宿」の最寄り駅で、滋賀県の近江今津へ抜けるJRバス「若江線」も発着する。

 上中を出るとようやく車窓に市街地が現れて、13時2分小浜に到着した。
 路線名の通り、小浜は最重要駅で、人口3万2千超の歴史ある城下町。小浜へ来たからには、新鮮な魚が食べたいし、名物の焼き鯖寿司も捨てがたい。昼食も兼ねて下車した。

 平日の午後、うたた寝しているかのような古い商店街を歩いてみたが、めぼしい店は見当たらない。商店街とは対照的に立派な市役所庁舎の前に、いくつかの食事店があった。
 これまでの経験上、知らない街で食事に困った時、まず目指すのは役所である。近くには必ずその街で一番の店がある、ということが言える。

 地方都市では、議員や役人が最も高所得者である場合が多いので、そこに店が集中するのではないか、という仮説も自分の中にあるが、単に役所が街の中心部に位置しているからだと思う。

 魚が気持ち良さそうに泳いでいる水槽を一瞥して、しっかりとした店構えの寿司屋の暖簾をくぐってみる。店の前に価格表示はないが、旅に出て気が大きくなっている旅行者に怖いものなどない。

 店内のメニューを見ると、すべてが数千円台。痩せ我慢をして食そうかとも思ったが、現実に直面して次第に弱気になってきた。
 「またよろしゅう(よろしく)……」などと明らかに呆れた口調で発する店主とは目を合わせず、店からそそくさと退散。旅の恥は掻き捨て、という言葉も思い出した。

 海に向かって再び足を進めると、蘇洞門(そとも)巡り遊覧船乗り場の近くに「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」なる施設が見えた。土産物店やレストランがあり、寿司や刺身も売っている。寿司コーナーには、その場で食すことができるスペースが設けられていた。

 先ほど高価な寿司屋から敗走した反動で、名物の焼き鯖(さば)寿司や地魚の刺身、握り寿司などを手当たり次第に購入。

 「地魚」「地元産」というステッカーによって暗示にかけられたかのごとく「地元産はやはり新鮮で旨い。さすがだ」などと若干興奮気味に、妻と感想を述べ合いながら、気分よく昼食を終える。

 帰り際、何気なく焼き鯖寿司のパッケージ表示を凝視してみると、「原産国・ノルウェー」とあった。
 胃に流し込んで満足した後なので、ノルウェーでもアイスランドでもデンマークでも良いが、かつての「鯖街道」も今は昔話なのであろう。

 若狭フィッシャーマンズ・ワーフから小浜駅までは歩いて20分弱。少々遠いが、黒い家々が立ち並ぶ路地や、全国系店舗がほとんどない商店街など、歴史深さを感じるような風景がそこかしこで見られ退屈はしない。点在する寺社仏閣を巡れば、あっという間に一日が過ぎてしまいそうな街である。

 小浜発14時42分の東舞鶴行は2両編成でやってきた。車内は高校生を中心に7割ほどの乗車率。進行方向右手、海側の座席に座る。「青春18きっぷ」のシーズンを外した甲斐あって、普通列車の座席が楽に確保できる。

 いよいよ若狭湾を車窓に望める区間にきた。
 短いトンネルを二つ越えると、国道越しに海原が広がった。リアス式独特の入り組んだ湾には雄大さこそないが、これはこれで趣(おもむき)がある。

 あっという間に列車は再び山間に入り、トンネルを越え、駅舎で床屋を営むことで有名な加斗に停車。古い瓦屋根の庇には、白いタオルがいくつも干され風になびいている。
 荒れ果てた無人駅が多くなった今、人の匂いがする小駅を見ると無性に嬉しくなる。

 加斗を過ぎると、若狭湾と再会。大飯原発のある大島半島と蘇洞門のある内浦半島に囲まれた湾のせいか、島々が海原で重なり合っているように見え、まるで瀬戸内海のような温和さである。

 大飯原発への近道用か、海上にかけられた巨大大橋を過ぎると、すぐに若狭本郷に着いた。この先、時折、入り江や湾も見えるが小浜線のハイライトは若狭本郷で終わる。
 若狭高浜を過ぎて、次の三松で若狭湾と離れると、列車は福井県最後の駅である青郷(あおのごう)に停車。戦国時代は合戦地だった吉坂峠をトンネルで越え、京都府に入った。

 峠を越えてすぐに松尾寺(まつおのでら)駅に到着。西国二十九番礼所・松尾寺へは徒歩で小一時間ほどかかるので、「松尾寺口」でも良いようにも思う。
 山間を抜けて市街地が見えはじめると高架となり、15時27分、終着の東舞鶴に到着した。

 海はそれほど見えなかったが、緑の森を抜けた後、一瞬の海原の青さが瞼に残る路線であった。

(2005/8)

06.陸羽西線・鳴子温泉・陸羽東線をめぐる南東北の旅

  2月の下旬から春の「青春18きっぷ」の発売が始まり、どこへ行くあてもないのに思わず1冊購入しました。
 まず、どこへ行くか。
 仕事が終わった金曜の夜、夜行快速で旅立ち、日曜日の夜に帰って来れる場所を、と考えたのですが、首都圏を発着する夜行快速列車は「ムーンライトえちご」(新宿~新潟)と、西へ向かう「ムーンライトながら」(東京~大垣)の2本に限られています。
 一週間前にインターネットの「JRサイバーステーション」で指定席の状況を確認したところ、週末ゆえか「ムーンライトえちご」しか空いておらず、北へ向かうことにしました。

 「ムーンライトえちご」を使い、温泉に入って、かつ鉄道にもなるだけ乗っても無理のないスケジュールを、と考えた時に考えついたのが地図のルート。
 陸羽西・東線に完乗して、鳴子温泉に立ち寄り、その日は仙台で宿泊するというものですが、時間的にもかなりの余裕があり、18きっぷの普通列車の旅でもそれほど辛い旅にはならなさそうです。

 新宿を23時9分に出る新潟行の夜行快速「ムーンライトえちご」号は、18きっぷで北へ向かう旅には欠かせない存在です。
 昨年(2003年)3月のダイヤ改正以降は、車両が特急用のものに変わったのを機に、かってのように深いリクライニングをする座席ではなくなりましたが、さすがは特急用車両ゆえか揺れや騒音が少なく、寝やすかったような気がします。

 また、我々のような"ブルートレイン世代"が喜ぶ国鉄型の塗装車両(国鉄時代からの塗装を変えていない車両のこと)を使っているのも、個人的には好感度が高い理由かもしれません。

 一杯飲んで気持ちよく眠りにつき、気がついたら早朝5時前。終点の新潟に着いていました。2分の接続で村上行の快速列車に乗り換えなければなりません。
 この快速列車は窓に背を向けて座るロングシートで、景色も見られないためか、それとも通勤電車を思い出すのかは分かりませんが、とにかくよく寝られます。
 約1時間弱で村上に着き、ここから先はディーゼルカーで日本海を眺めながら北上!……だったはずなのですが、今日は睡魔に負けて夢の中…。気が付くと酒田に着いていました。

 日本海の車窓を犠牲にしてまで睡眠をとったのは、ここ酒田から陸羽西線・陸羽東線というローカル線に乗って山形縦断の列車旅を楽しみたいからなのです。

 陸羽西線には「奥の細道 最上川ライン」との愛称が付いているように、最上川に沿って走る景勝ローカル線です。
 その陸羽西線の始発は、酒田の手前の余目(あまるめ)駅からなのですが、列車は酒田始発が多く、ここまで足を伸ばしてきました。
 ちょうど接続していたのが陸羽西線・新庄行の快速「最上川2号」。酒田と新庄の間(約55km)を約50分で結び、途中の停車駅も3つしかありません。

 「Mogami-gawa LINE」というロゴマークの入った2両編成の新型ディーゼルカーのうち1両は、1人掛け座席が窓の方向に回転できる"展望仕様"になっており、車窓から最上川を楽しめるような配慮がなされていました。なかなか嬉しい演出です。

 しかしながら、今日はもう3月だというのにかなりの雪。窓ガラスが曇ってしまい、最上川もぼんやり見える程度で、車窓を思う存分楽しめなかったのは少し残念でしたが、何週間か先の新緑の時期には、美しい車窓が期待できそうです。

 新庄駅から次に乗る陸羽東線の列車まで1時間以上の待ち時間があり、駅の中を少し覗いてみました。
 新庄は山形新幹線の始発駅のためか、駅構内は豪華で広すぎるほど。駅と一緒に「ゆめりあ」という名のコミュニティー施設が併設されており、物産店や旅の情報コーナー、レストラン、映画館などがあり、時間をつぶすにはもってこいの場所です。もちろん休憩スペースもあり、列車の待ち合わせにも有り難い施設かもしれません。

 新庄からは陸羽東線で山形県を抜けて、宮城県へ向かいます。
 陸羽西線の「最上川ライン」に対し、東線は「奥の細道 湯けむりライン」という愛称が付けられているように、沿線には鳴子温泉をはじめ、温泉地が点在しています。

 10時44分発、陸羽東線・小牛田(こごた)行の列車は「湯けむり」という名の快速列車。陸羽東西線ともに快速列車に乗れるなんて、少し得した気になります。
 深い雪に埋もれた瀬見温泉、最上と主要駅だけに停車した後、堺田の峠を越えると宮城県、これまでの雪が嘘のように急に青空が広がり、鳴子温泉に到着。ここで下車しました。

 1000年以上の歴史があるという宮城県の著名な温泉地・鳴子は、駅を降りた瞬間から硫黄の香りが漂っており、名湯の雰囲気が一杯です。
 大きなホテルや有名な旅館もありますが、やはり温泉地では地元の人も使う共同浴場に入りたいと思い、向かったのが「滝乃湯」というわずか150円で入浴できる浴場です。

 総ヒバ造りの浴槽がとても良い雰囲気で、温泉の香りが強く漂う乳白色のお湯につかると、夜汽車の旅の疲れも吹っ飛んでしまいます。こういう素晴らしい共同浴場に巡り会えると、旅をしていてよかったなあ、という気分になります。

 温泉ですっかり気分が良くなり、昼間だというのについつい目の前の古びた居酒屋の暖簾をくぐってしまい……。
 宮城県の名物だという「うーめん」(温麺)をすすりながら、地元の名酒を幾杯か味わっていると、もうこの先の行程は一切中止し、この温泉地に泊まりたい衝動にかられました。
 が、何とか鳴子温泉駅に足を向け、次の列車で小牛田へ向かい、東北本線に乗り継ぎ仙台のビジネスホテルにたどり着きました。

(2004/3/14)

07.青春18きっぷで行く吾妻線 温泉満喫の日帰り紀行

  3月に入って「青春18きっぷ」が使える初めての週末、吾妻(あがつま)線(渋川~長野原草津口~大前)に乗って群馬県の名湯を味わいに行きました。
 東京方面から普通・快速列車を使って吾妻線に乗る場合、あまり接続が良いとはいえず、朝の列車を逃すと2時間ほど間隔が開いてしまいます。
 それに乗るためには、上野5時13分発の高崎線始発電車に乗る必要があります。1日を有効に使うため、早起きをしてみました。

 東京5時2分発の京浜東北線に乗ったのですが、この列車が上野に着くのは5時9分。
 東北本線と常磐線の始発列車がいずれも5時10分発のため、上野到着と同時に"運動会状態"に。
 ほとんどが無事乗車できたようで、わずか1分でも乗り継げるんだなあ、と感心してしまいました。私の乗る高崎線の始発列車は4分接続なので、もちろん楽々です。

 上野から普通電車で約1時間40分、高崎に到着。7時25分発の長野原草津口行に乗り込みました。
 吾妻線は高崎より先の渋川が起点ですが、全列車が高崎方面へ乗り入れています。
 この路線には、窓に背を向けて座るロングシート電車もあるのですが、今回は東海道線色の古い電車が3両。しかも空いていて快適です。

 渋川を過ぎると単線となり、列車の乗り心地も多少悪くなりました。途中の駅では反対列車との行き違い停車もあり、次第にローカル線の雰囲気になってきます。
 昨夜、関東一帯で雪が降ったため、左手には雪景色と雄大な榛名の山並みを望むことができ、早朝の眠気さえ吹っ飛ぶ美しい車窓が続きます。

 途中の小野上駅を過ぎた辺りからは、左手に吾妻川が寄り添ってきます。吾妻線の車窓を楽しむ場合は、左側がおすすめかもしれません。
 渋川から1時間で長野原草津口に到着。
 駅名の通り、草津温泉への入口駅です。草津温泉行のJRバスは駅直結のターミナルから出発。約30分(640円)で草津温泉バスターミナルへ着きました。

 バスターミナルから5分ほど歩くと、草津温泉のシンボル「湯畑」があります。源泉を汲み上げて湯の花を採取する場所で、硫黄の香りと湯煙が漂う中、滝のようにお湯が溢れ出ています。
 昨今、沸かし湯や循環湯を使う温泉も多い中、ここは正真正銘の「温泉」であることが実感できる場所です。

 そして、草津温泉の素晴らしいところは、地元民用の共同浴場が18カ所もあり、そのすべてに無料で入られることです。
 早速、湯畑の近くにある『千代の湯』に行ってみました。
 5人も入れば満員になるような小さな温泉でしたが、湯質も良くほのぼのとした雰囲気が一杯。すべての温泉を巡ってみたい気分になりましたが、これは次回の楽しみに取っておくことにして、再びバスで長野原草津口駅に戻りました。

 長野原草津口からは、12時5分に出る大前行に乗って吾妻線の全線完乗を目指します。
 15分ほどで万座・鹿沢口駅に到着。万座温泉への入口駅であり、列車の多くがこの駅止まりなのですが、高架上に片面だけのホームで、少々、貧弱な感じもしました。

 そこから5分ほどで、いよいよ吾妻線終着の大前駅にたどり着きました。
 片面ホームがポツリとあるだけの静かな無人駅で、駅前には嬬恋温泉の一軒宿「つまごい館」くらいしか見当たりません。列車に乗ってきたのはわずか5名。全員が私と同じ「鉄道マニア」でありました。
 1日5本しか列車が来ない終着駅。のんびりと温泉に入るというのもいいかもしれません。

 大前から折り返し列車に揺られ約25分、川原湯(かわらゆ)温泉駅に到着。今度はこの駅で下車してみました。
 長野原草津口駅の1つ手前、渋川寄りにある駅で、800年もの歴史を持つ温泉地があります。
 ここでは現在、「八ッ場(やんば)」という名のダム工事が進んでおり、近い将来には付近一帯が水没させられる予定になっています。温泉街はもちろん、JR線や国道も沈んでしまうため、その付け替え工事も進行中のようです。
 温泉の入口には「ダムに沈む川原湯温泉へようこそ」という看板も見受けられ、何ともいえない寂しさを感じました。

 駅から歩いて10分程度で温泉街へ着いたのですが、移転した旅館や家屋も多く、静まりかえっています。飲食店などもほとんどが閉店中。温泉地として寂れつつあることが伺えます。

 共同浴場の「王湯」に入湯。300円という良心的な値段で内湯と露天風呂が楽しめます。
 源頼朝が開湯したといわれるためか、建物には笹竜胆(ささりんどう)の家紋が大きく掲げられており、歴史の深さを感じました。
 貸切状態の内湯と露天風呂をはしごし、肌がつるつるする良質な湯を堪能しました。

 それにしても、今時ダムを作って街を沈めるなんて、時代錯誤のような気がしてなりません。
 特に「飲み水対策」などとして、東京都をはじめとした都県が税金を使って作っているかと思うと、風呂に入りながら腹立たしいやら情けないやらで、複雑な気分になってしまいました。

(2005/3/6)


七つのローカル線紀行【あとがき】

 この『七つのローカル線紀行』は筆者が運営するサイト「鉄道紀行への誘(いざな)い」で掲載された内容に、若干の加筆・修正を加え、一つの「電子本」としてまとめたものです。2002年から2005年にかけて書かれているため、列車の時刻や観光地の状況など、現状と少し異なることがあるかもしれません。この点を含めてお読みいただけましたらと思います。

 「青春18きっぷ」や「北海道&東日本パス」など、普通・快速列車が自由に乗れる切符でローカル線の旅を楽しむ際の参考になりましたら、本望です。

2011年6月
西村 健太郎


読者登録

西村健太郎(鉄道紀行舎)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について