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6.

 僕のアパートの近くには公園がある。日中は遊び声が部屋まで届くほどに、多くの子供たちが利用しているのだが、日が落ちた今では外灯の明かりが、人影も無い公園を弱々しく照らしだすだけだ。

 ベンチで待っていると、砂を踏みしめる、ざっ、ざっという足音がこちらに近づいてきた。薄明かりに、顔がぼうっと浮かび上がってくる。

「急に呼び出してごめん」

「何かあったのか?顔色悪いぞ」

「単刀直入に言うよ。イツカ、郵便箱に封筒入れたのお前だろ」

 一瞬イツカの表情が、動きを失ったかのように凍りついた。だがそのあとすぐに、表情は軽く口角を上げた、柔らかないつものそれに戻っていた。晴れやかでさえあった。「どうしてそう思うんだ? お前の意見を聞こう」そう言ってイツカは僕の隣に腰掛けた。

「今日飯食ってるとき、病院で見張っているっていう話をしたよな」

「ああ」

「だけど、別に俺は待合室で見張っているとまでは言っていない。何で知っていたんだ。イツカ、お前もあの病院にいたんじゃないのか」

「……」

「それとバイトのことだ。いろいろ調べものするバイトだって言ってたよな。それってシオリのことを調べていたんじゃないのか。なあ何でこんなことをするんだ。教えてくれ」

「その通り。封筒を入れたのは俺だ」イツカはあっさりと認めた。

「なぜだ」

「理由を話す前に、お前の姉ちゃんを助けに行こう。今日もカオル姉ちゃんは病院に行っているはずだ」

「何だって?」僕は耳を疑わずにはいられなかった。意味が分からない。姉が病院に?どうして姉の名前を知っているのだ。

「おい、ちゃんと説明――」

 イツカは僕の話も聞かずに走り出していた。

 

 病院に着くとすぐイツカに、駐車スペースを囲むようにして植えられた茂みに連れて行かれた。隠れるように二人でしゃがむ。

「あそこだ」そう言って、病院の入り口付近に指を向ける。

 茂みの隙間からそちらの方へ目を凝らすと、姉が僕たちと同じような格好でどこかを見張っていた。

「何を見ているんだ」

「『赤ちゃんポスト』だよ」

 以前にニュースで聞いたことがある言葉だった。ヨーロッパなどで行われている、病院で赤ん坊を一時的に保護する容器を設け、赤ん坊の中絶や、置き去りによる死をなくす活動を、日本で始めて取り入れた病院がここだったのだ。前に病院を出て行くとき姉はそれを見ていたのか。

「赤ちゃんが捨てられないように、見張っているんだ」

 暗がりでよくは分からないが、姉はじっと赤ちゃんポストを見つめている。

「でも何で姉ちゃんは、赤ちゃんポストなんかを見張ったりしているんだ。なぜお前はそのことを知っているんだ。分からないことだらけだ」

「ノゾム、分からないか」イツカが僕のほうを向いて、言った。どくん、どくんという心臓の拍動がやけに大きく胸に響いている。

「ノゾム、俺は、お前だ」

「は……? イツカお前、何を言ってるんだ?」思わず笑おうとしたが、無理だった。なぜだ。イツカはこんなにおもしろいことを言っているのに、なぜ笑えないんだ。

「俺は、お前が作り出したもう一つの人格だ。さっきお前が言ったとおり、封筒を郵便箱に入れたのは俺だ。ということはつまり、これまでのことは全てお前の自作自演だったんだよ。初めに病院に来たとき、既視感があったろ? 当たり前だ。お前自身がシオリのことを調べていたんだからな」これは夢なのだ、夢に違いない。早く目を覚ませ。「俺が生まれたのは、お前が五歳のときだ。あの日、あの夜に起こったことを受け入れられず、お前はイツカという人格を作り出した。何でイツカだって? 簡単だ。イツカ……いつか……五日。忘れもしない三月五日にあれは起こったからな」三月五日だって? そんな昔のことを覚えているもんか。「いいやお前は覚えている。ただそれを頭から切り離しただけだ」おい、心の中を読めるのか。イツカ、お前は何者なんだ。「だから、俺は、お前だ」

「だって、お前は俺の目の前に存在しているじゃないか」やっと絞り出した声はひどく掠れていた。全身からは、汗がとめどもなく吹き出している。

「ノゾム以外に俺は見えない。お前は俺と喋っているつもりでも、傍から見れば、それはただの独り言に過ぎなかったんだよ」

 糸を切られた操り人形のように、僕は地べたに座り込んだ。ひどく体が重い。気持ちが悪い。どうにかしなければ。そうだ、耳を塞ごう、目を閉じよう。これで大丈夫だ。

「また逃げるのか。姉ちゃんは、今まで一人でお前を守ってきた。お前はカオル姉ちゃんの背中を見ているだけだ」

 聞こえない。聞こえない。聞こえない。

「両手をどけろ、目を開け。しっかりと姉ちゃんを見るんだ」イツカが僕の手を掴んできた。嫌だ。触るな。触らないでくれ。

「何でよ」低く、鋭い声がした。姉ちゃんだ。普段とは違う迫力に、僕は思わず起き上がっていた。何者かと対峙している。

「何でよ。何で」声はだんだんと大きくなっていく。怒りや哀しみ、そういった感情がそのまま口から溢れだしているようだった。

「置いてかないで……ねえ……置いてかな……」その人物に抱きついて、姉は子供のようにわんわんと泣いていた。そんな光景を眺めながら、僕は別のことを考えていた。眠い。とても眠いのだ。瞼が自然と閉じてくる。意識が朦朧として、自分が今立っているのかどうかさえ、判然としない。全身から力が抜けていく。

 眠い。

 

 また、あの夢を見た。雪景色のように真っ白な空間に、一つの扉。誰かが座っている。

「よお」

「イツカ」

「お前も座れよ」

「うん」

「シオリが何で心療内科に通っていたか、教えてやろうか」

「いいよ。理由は分かっている」

「詩織は、ユウジ先輩のことで悩んでいるんじゃない。お前を助けようとしてやったことなんだ」

「え」

「一般にこの症状は解離性同一性障害と呼ばれている。要は多重人格だ。現在においても明確な治療法は存在していない。ばらばらになった人格を統合したほうがいいという者もいるし、人格がいくつ存在しても、共存できるならそのままのほうがいいと言う者もいる。いずれにせよ、素人には何もできない。だが詩織はお前と向き合うことを決めた。デートの最中に俺のこと紹介したこともあったんだぜ。誰がそんな奴の彼氏になろうと思う? こんな言葉おかしいと思うが、彼女はお前を好きになろうと努力している。人は皆、誰かのために生きているんだよ。だから自分も生きようとするんだ。そう思わないか。一瞬だけでもいい。お前も大切な誰かのために生きてみろよ」

 イツカが立ちあがり、ドアノブに手をかけた。

「開けるぞ。この扉は二人でないと開かないんだ」

 僕も立ち上がり、イツカの手に自分の手を重ねた。

「この先には何があるんだ」

「お前が確かめるんだ、望」

 扉が開いた。そこは、全てが光で満たされた世界だった。上下左右の感覚が無くなり、自分が今立っているのか、浮いているのかさえ分からない。その光はさらにその輝きを増し、僕の身体を包み込んでいった。

 

 一番最初に天井が見えた。隣には、まだあどけなさが残る幼い姉が眠っていた。暗がりでも鼻がつんととがっていて、利発そうな顔が見て取れる。思い出した。ここは姉と僕の部屋だ。今日両親が僕たちを置いて、家を出て行ってしまうのだ。そのあと僕と姉は親戚の家に預けられることになる。

 そっとドアが開けられた。一筋の光が部屋に入り込んでくる。

「ごめんね。ごめん……」

 母のすすり泣く声が耳に入ってきた。父の存在も感じられる。姉が起きるのが分かった。

「お母さん、どうしたの?」

「カオル……。ちょっとお母さんお父さん、出かけてくるから」

「嫌だ。わたしも行く」

「すぐに帰ってくるから、ここで待ってて」悲しげな声の響きから、姉も何か感じ取ったのだろう。更に姉の声は大きくなっていった。

「嫌だ。行くもん。ねえ、わたしも連れていって」

 それでも父と母はカオル姉ちゃんを振り切って出て行こうとする。そこで僕もようやく起き上がり、部屋を出た。

 玄関では姉が両親に取り縋って、泣いていた。僕は見ているだけだった。あまりの恐怖に、呆然とその光景を眺めることしかできなかったのだ。僕は何もできなかった。

 どこからか、イツカの声が聞こえてきた。

「だからお前は、この出来事自体を記憶から消した。そして俺を作り出した」

 再び視界は光に飲み込まれた。

7.

 次の場面は、姉とウルトラマンを見ているところだった。これは、ジャミラが出てくる「故郷は地球」という回の話だ。

 宇宙飛行士だったジャミラは惑星に墜落し、救助を待つ間に怪獣に変化してしまう。救助に来なかったことを恨んで、地球に復讐するため帰ってくるのだが、ウルトラマンに倒されてしまうという救われない話だった。

 墜落した惑星が水の無い惑星だったために、水が弱点になってしまっていたジャミラは「ウルトラ水流」という両手から大量の水が放出される必殺技で絶命する。

 死の間際に、ジャミラの赤ん坊の声のような泣き声で悲鳴を上げ、もがき苦しむ姿が姉の姿と重なった。姉は誰もいない暗黒の世界で助けを求めている。

「望、姉ちゃんを助けに行くぞ」

「ああ」

 

 現実に戻ると、姉が放心状態で地面に座り込んでいた。さきほどまで揉みあいをしていた人物はもういない。

「薫姉ちゃん」僕は大声で叫んだ。

 ゆっくりと姉がこちらに顔を向ける。泣き腫らした目に、わずかながら火が灯ったようだった。

「望」

 近くで見ると、姉はあまりの疲労に一回り小さくなっているように感じた。

「さっきの人、赤ちゃんを捨てに来たんじゃなかった。病院の人だって。わたし勘違いして……。でもよかった」

「そうか、よかった。姉ちゃん」

「ん?」

「思い出したよ。全部思い出した。ごめん。俺姉ちゃんに何もできなかった。本当に今まで迷惑かけた」

「何馬鹿なこと言ってんのよ。謝ることないわ。あんたと遊んでいるとき、楽しかったよ。イツカが出てくるときも、弟が増えたみたいでおもしろかったし」

 姉がふらふらと立ち上がった。慌てて僕は肩を貸す。そのまま近くのベンチに腰掛ける。

「謝るんだったら。わたしのほうよ。突然家出しちゃったし」

「……」

「わたしさあ、あのとき親に会いに行ってたんだ。引き取ってもらった親戚のおじさんがいきなり、居場所が分かったんだけどどうする、って。どうもこうもないわよねえ。でも気づいたら、会いに行く準備をしていたの。とにかく理由を訊きたかった」

 姉は何かのたがが外れたかのように、喋り続けていた。

「そしたら、何て言われたと思う?あのときは養う力が無かった。でも今はその用意があるから迎えにきた、ですって。笑っちゃうわよね。今までどんな思いで生きてきたか分からなかったのかしら。無視して、立ち去ったわ。その後は友達の家に住まわせてもらってたの。ねえ、望」

「ん?」

「わたし子供の頃は、本当にウルトラマンがいるって思ってた。困ったときはきっと、ウルトラマンが助けてくれるって。だから頑張れた。残酷で何の面白みもないこの世界は、ウルトラマンが変えてくれた。でももうその世界はなくなってしまったの。わたしはまた現実の世界に戻ってきてしまった。そしたら、もういいかなってなっちゃって。死にたいってわけじゃないけど、別に生きてても死んでしまってもどっちでもいいかなって」

「姉ちゃん、UFO見に行こう」

「そんな今から――」

「ウルトラマンは今も怪獣をどこかで倒しているし、UFOもきっと飛んでる。今まで二人の目で確かめてきたじゃないか。これからも俺と姉ちゃんの目で色んなものを見ていくんだ。だからさ、またUFO見に行こう」

「ちょっ、ちょっと」

 僕は姉の手を取って、走り始めた。どこまでも走っていけるような気がした。景色が見る間に変わっていく。月だけが僕達を追いかけていた。

 

 走りすぎて、自由がきかない身体を叱咤しながら、僕達は土手を登っていた。故郷に戻ってきたのだ。以前と同様に、夜空には無数の星が瞬いている。

「望、UFOは来ないわよ。あれは何かの見間違いだったのよ」

「いや、来る。絶対に来る」人は皆誰かの為に生きている、というイツカの言葉を思い出した。薫姉ちゃんは今まで僕の為に生きてきた。だから、今度は僕の番だ。イツカも賛成してくれているはずだ。

「うそ」姉の呆けた声がした。目を向けると、赤や緑や青など様々な光を発している物体がこちらに向かって飛んでいる。

「ほら、言ったとおりだったろ」

 すると、姉が突然笑い出した。腰を曲げて爆笑している。

「どうしたの」

「あれ……ゆ、UFOじゃない……飛行機よ。はは、は」

「何だって」

「ひ・こ・う・き・よ。夜は明かりを付けて飛行するのよ。なーんだ飛行機だったのか」

 ものすごいスピードで顔が火照ってくるのが分かった。子供の頃とはいえ、僕は何て恥ずかしい勘違いをしていたのだ。

「いやーさすがわたしの弟だわ。まさか飛行機をUFOと間違えるなんてねえ」

 姉はなおも笑い続けている。お腹が痛くてしょうがないようだ。僕は睨もうとしたが、無理だった。やっぱり笑ってしまう。

 夜中ということも忘れて僕達は長い間、笑い続けた。こんなのは子供の頃以来だ。

「望」

「ん?」

「謝っておきなさいよ、詩織ちゃんに。どうせ、あれもあんたの勘違いだったんでしょ」

「うん。分かってる」東京に戻ったら、真っ先に詩織の所へ行こう。

両手を大きく空に向け、姉が大きく伸びをした。「なんか、まだわたしやっていけそうな気がする」

「それはよかった」

「だってさあ、飛行機のことUFOって思ってたのよ。それが心の支えだったんだからね。責任取んなさいよ」

「もういいだろ。本人が本物だと思ったら、間違っててもそれは本物になるんだよ」

「苦しい言い訳ね。でもまあ、確かにそうかも」

 この瞬間僕は決めた。あれはUFOだ。誰にも文句は言わせない。

「また来いよー」

姉が大声で手を振って、叫んでいる。

 その声に反応したかのように、UFOはちかちかと明かりを点滅させた。

この本の内容は以上です。


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