目次
1. 図書館に住む少年
1 図書館に住む少年
page 2
page 3
2. エリートの聖域
2 エリートの聖域
page 2
3. 予報エラー
3 予報エラー
page 2
page 3
4. 四宮キセキ
4 四宮キセキ
page 2
page 3
page 4
5. 酒とバラとケーキの日 前編
5 酒とバラとケーキの日 前編
page 2
page 3
6. 酒とバラとケーキの日 後編
6 酒とバラとケーキの日 後編
page 2
page 3
page 4
page 5
7. 世界の理を解き明かすということ
7 世界の理を解き明かすということ
page 2
page 3
page 4
page 5
page 6
8. 窓際のひなた
8 窓際のひなた
page 2
page 3
page 4
9. 世界を動かす貴石
9 世界を動かす貴石
page 2
page 3
page 4
10. 受け継いで来たもの
10 受け継いで来たもの
page 2
page 3
page 4
11. 幻の妃と天を舞うガルーダ
11 幻の妃と天を舞うガルーダ
page 2
page 3
page 4
12. 本当のトコロ
12 本当のトコロ 
page 2
page 3
13. ソラに花の咲く午後 前編
13 ソラに花の咲く午後 前編
page 2
page 3
page 4
page 5
page 6
14. ソラに花の咲く午後 後編
14 ソラに花の咲く午後 後編
page 2
page 3
page 4
page 5
page 6
15. その花の名前 前編
15 その花の名前 前編
page 2
page 3
16. その花の名前 後編
16 その花の名前 後編
page 2
page 3
page 4

閉じる


1 図書館に住む少年

―― ここには、この世界のすべての知識がある。

 その知識を読み解き、世界の理(ことわり)を見つけ出すことが出来れば。

あるいは…

お前は、お前の求めるものを手することが出来るかも知れない。

 

「…本当に?それが見つけられれば、俺は妹を…ユノを探し出すことが出来るのか?」

 

―― 知識を読み解くには、自らも知識を身に付けなければならない。だが、今のお前には、まだまだ学ばねばならぬことが多いな。

 

「そういうことなら、たった今から、心を入れ替えて勉強するっ。それでユノが見つかるっていうんなら、俺は…」

 

それは、五年前の出来事。

年に数回しか設定されていない雪の日のことだったから、そのやり取りは、未だ鮮明に彼の記憶に残っている。おまけに、彼はこの日、生まれて初めて雪というものを見た。

だから、なおのこと。その始まりの日のことは忘れない。

 

その日から、『そこ』が彼、霧月セイヤ(むつきせいや)の家になった。

そこ ―― それは一般に『図書館』と呼ばれる場所だった。

 

 

 

「おはようございます」

いつもの時間 ―― つまり、始業三十分前。

いつものように紺のブレザーの制服に、長い髪はきっちりと結い上げた格好で、うっすらと、でもしっかりと化粧をした顔で、二妃クルミ(にひくるみ)は図書館の事務室に入って来た。

「ああ、おはよう」

不動ハジメ(ふどうはじめ)は、淹れたばかりのコーヒーに口を付けながら、パソコンで今朝のニュースをチェックしていた目を、一瞬だけ彼女の方に向けて挨拶を返した。

ハジメの気のない様子に、クルミは軽くため息をつくと、自分のデスクに座って今日必要な書類を並べながら、その内容の確認を始めた。

 

―― ルージュがピンク系から、淡いローズレッドに変わったか。グロスは1割増しってとこだな。制服も、一見、きちんと着ている様でいて、スカートの丈が微妙に短くなってる、と。

 いつものように無表情でパソコンの画面をスクロールしているハジメの口元が、わずかに緩んだことにクルミは気付いていない。

―― つまり、誘ってんのか…健気にも。

まあ、そういうのは嫌いじゃないから。たまには。ご機嫌を取っておくか、と思う。

「クルミ、ルージュの色、変わった?」

モニターごしにそう声を掛けると、どこかつまらなそうにしていたクルミの表情が、一瞬で明るくなった。

―― 分かりやすっ。

思わず噴き出しそうになったのを、ハジメは慌てて口元に手をやって誤魔化す。

「うん。少し大人っぽい雰囲気にしてみたの…」

「ああ、そっか、今日、誕生日だったよね?」

そんなデータは勿論、きっちり頭に入っていたが、ハジメは、さも今気付いた風に言う。

「じゃあ、今日は、仕事の後、彼とデートとかなんだ?」

「いえ…そういう予定は特に…ありません…けど…」

―― けど?

クルミはそこで言葉を切って、ハジメの顔を見た。その顔には、誘ってくれないかな、と書いてある。

―― まあ、そういうことなら。ご褒美にアメをあげないこともないかな。

「じゃあ、今日は昼、外に食べに行こうか?」

「うんっ」

そんなにあどけない笑顔を見せられると、微妙に罪悪感を覚える。まだまだピンクが似合う年頃なのに、そんなに背伸びをしなくてもいい ――

まだ十九で、たいてい実年齢にプラス五才してみられる自分に合わせて、そんなに急いで大人になることもないと思う。

―― お前はまだ、そのままの十八でいい。俺は多分、その方が嬉しい…

 

「じゃあさ、その代わりに…と言ってはなんだけど、上で眠り呆けている奴を起こしてきてくれない?」

「って…ええ~?」

可愛い顔があからさまに不満の色を浮かべる。

「私は、セイヤくんの目覚まし係じゃないんですよ~。もうっ。十七にもなって、立派な社会人のくせに、なんで朝一人で起きられないんですか~」

「う~ん。なんでだろうねぇ。毎晩遅くまで、書庫に籠って本を読み漁ってるせいかなぁ…」

「信じらんないっ」

「お昼、特別おいしいお店に連れてってあげるから、ひとつお願いされてくれない?あいつ、今日、師官(しかん)の見習い研修最終日なんだ。遅刻すると、見習い卒業できないかも知れないし…ね、クル~ミちゃんっ」

「…分かりました」

クルミは渋々ながら立ち上がると、部屋の隅に置かれていたハンドベルを手に事務室を出て行った。

 

しばらくして、館内に盛大なハンドベルの音と、セイヤの叫び声が響き渡った。そのタイムラグから察するに、クルミの移動速度が尋常でなかったことが伺える。そのイライラの矛先を全て向けられたセイヤには同情を禁じ得ないが、そこは自業自得なのだ。仕方がないで済まされる話だったことにしておこう。そう思いながらコーヒーを口に運んだハジメは、それがぬるくなってしまっていたことに気付いて、顔を顰めた。

 

 


1
最終更新日 : 2011-06-16 10:24:42

セイヤは五年前から、この図書館に住みついている。

いや、棲み付いている、と言った方がいいのかも知れない。

 

五年前、ロクに読み書きも出来ない子供だった彼は、ハジメの父である不動シュウヤ(ふどうしゅうや)に引き取られた。その少し前に、事故で両親を亡くし、妹と生き別れたのだと聞いた。シュウヤと彼との間に、どんなやり取りがあったのかは知らない。だがその日から、学者でもあるシュウヤの手ほどきを受け、彼は目を見張る様な勢いで勉学に勤しみ、行政府直轄の養成学校に入学を果たしたのみならず、かなりいい方の成績でそこを卒業した。そして、このポーラエーカではエリートコースとされる、行政府の四つある師官職のひとつに合格した。

 

ハジメの父の肩書きは、ポーラエーカ行政府公文書館館長である。

つまり、この図書館は行政府の公文書を収蔵している図書館であり、この世界 ―― オクトグランの有史以来、千数百年に及ぶ膨大な歴史資料の保管庫でもある。当然のことながら、一般には公開されておらず、学者と呼ばれる職種の者にのみ、厳しい閲覧規制を設けた上で公開されている。もちろんそれも、所蔵する資料のわずか数パーセントに過ぎない。

そのわずかに公開されている資料の置かれている書庫を、寝袋と懐中電灯をお供にして、セイヤは順繰りに巡って中の資料を読み漁っているのだ。数パーセントとはいっても、それでも書庫の数は相当なもので、彼は数年掛かって、ようやく二つ目の書庫に辿り着いたところである。

―― 俺は、この世界の理を見つけなきゃならないんだ、と。

到底正気とは思えない理由を掲げて、毎夜、本を枕に眠る酔狂な…弟。義理とは言え、自分の弟になったこの少年の性格が、ハジメには今ひとつ理解出来ていなかった。

ただ、別の理由で、時折書庫を探索するハジメにとって、彼は少し厄介で煩わしい存在だった。

―― 俺の邪魔だけはしてくれるなよ。

俺たちがいつまでも、仲のいい兄弟でいられるように。

 

行政府師官のスカイブルーの制服の上着に手を通しながら、目の前の廊下をセイヤがあたふたと走って行く。クルミの開幕ベルから、十分もたっていない。

「一体、どこまで時短記録更新するつもりなんだろうね…」

そんなハジメの声が聞こえた訳でもないのだろうが、セイヤが思い出したようにこちらを振り向いて、笑顔で手を振った。

「急がないと、遅れるぞ」

大きな声でそう言ってやると、たちまち血相を変えて飛び出していく。

そんなに本が好きなら、司書にでもなれば良かったのだ。この俺の様に。しかし、そうなったらなったで、自分はやはり鬱陶しく思うのだろうなと思い、ハジメは苦笑する。

―― だからなのか。

セイヤは、相手との距離の取り方を心得ているのかも知れない。自分が司書になったら、ハジメが良い顔をしないだろうと、そう思ったのか。そこは養い子ゆえの遠慮なのか。それは分からない。ただ、自分はセイヤという弟の存在を掴みかねているのに、一応は兄である自分が、そんな風に見透かされたのかも知れないという思いは、ハジメの気分をいささか重くした。

 

 

図書館のエントランスに続く廊下を、セイヤは猛スピードで駆け抜けた。無論、本来は走ってはいけない場所なのだが、人がいないのを良い事に、遅刻回避のために最大限の努力をしているところである。幾つもの柱が、次々に背後に流れていく。

―― 18、17、16、……

走りながら、こんな時でも毎朝の習慣で、その柱の数をカウントしている。最奥の柱が30本目。そこから、入口に向かってカウントダウンを始める。

―― 14、13、12っと。

急がなければいけない筈の足が、そこで止まった。入口からだと丁度、12本目と13本目の間になる。柱の影になった壁に、少女の壁画が描かれていた。

「ユノ…行って来る」

セイヤの言葉に、壁に描かれた少女が微笑みで答える。いつもの様に、その笑顔を確認して、セイヤはそのままエントランスの回転扉を潜り抜けた。

 

その絵は、セイヤがここに来てまだ間もない頃に、妹に会いたい一心で描いたものだった。彼は、オクトグラン第六の都市であるシャトゥラーラから、父親の仕事の関係でこのポーラエーカに移って来る途中、事故に遭遇した。引っ越しの荷物も妹と共に行方不明で、元の家も引き払ってしまっていたから、彼の手元には写真の類など何ひとつ残されていなかったのだ。身一つで助け出されて、ここ、第一の都市ポーラエーカの保護施設に送られた。その後、父の友人だったという、不動館長に引き取られてこの図書館に住むことを許されたのだ。

館長には、セイヤより二つ年上のハジメという息子がいた。セイヤは元々、人見知りをする方ではなかったし、友達を作るのも苦手ではなかったが、あまり人を寄せ付けたがらない性格のハジメとは、打ち解けるまでにだいぶ時間が掛かったのだ。だから時折、失ったものを思って、無性に寂しくなると、セイヤは人目を避けて、図書館のあらゆる隅っこに身をひそめた。

 

この柱の影も、そんな隅っこのひとつであったのだが、ある時、たまたま白く寒々しい漆喰の壁を指でなぞったところ、手が汚れていたらしく、そこに薄く黒い筋が付いた。何も考えずに、その白い壁に二度、三度と指を走らせるうちに、彼の指はいつの間にか、そこに妹の姿を写し始めていた。

その作業に無心になっていると、寂しさが紛れる気がして、彼はやがて木炭を持ち込み、そこにはっきりとした輪郭を描き始めた。そうなれば、そこに色を置いてみたくなるのは、もう自然の流れで、こんな所に落書きしたら、怒られるんだろうなと、そう思いながらも、次第にそこに浮かび上がる妹の姿に、作業を中断する決心も付かず…

 

コトが露見したのは、そこに美しい壁画がすべて完成した後だった。

その報告を受けた館長は、初めこそ呆れた表情を見せたが、その絵の出来があまりにも素晴らしかったので、絵は消されることなく、そのまま保存されることになった。そして、その出来事がきっかけとなり、館長は彼にひとつの目標を提示した。

ポーラエーカ行政府の師官 ―― 平たい言い方をすれば、役所の専門職になるのだが、そのひとつに『地図師(マップメーカー)』と呼ばれる職種がある。絵を描くのが好きなのであれば、それを目指してみたらどうか、と。師官と呼ばれるスペシャリストは、都市屈指のエリートであり、簡単になれるものではない。だが、それもまたユノと再会する為に必要な過程なのだと言われれば、セイヤが挑まない理由はなかった。

 

そして彼は、『地図師』という称号を手に入れた。

―― 今はまだ、その上に『見習い』という冠は付いているのだが。

 

 


2
最終更新日 : 2011-06-16 10:26:16

しかし、それも今日で終わりだ。今日の研修で、実務演習を終えれば、晴れて一人前の地図師である。

「っしゃぁ、行くぜぇっ」

駐輪場から愛車を引っ張り出して跨ると、気合いを入れてペダルを踏み込む。セイヤの愛車は緩やかな坂道をゆっくりと、そしてすぐに加速を得て、風を切って走り始めた。

ちなみに、それが自動二輪車ではなく、自然に優しい方の二輪車(要するに自転車)であるのは、この世界のエネルギー事情によるところが大きい。

 

この世界 ―― オクトグランと呼ばれるこの世界には、八つの都市が存在する。

それらの中核となる第一の都市。

全ての都市の行政を担う行政府が置かれているのが、このポーラエーカである。

全ての都市の中で、最も規模が大きく、人口も多い。残る七つは、産業プラント都市として、エネルギーの供給や、食料を始めとする様々な資源を生産供給する役割を担う。

 

記録によれば、千数百年の昔、このオクトグランは宇宙に浮かぶコロニー群だったのだという。それはもう、今では伝説に入る類の話になってしまっているのだが、かつて、ドゥルヴァという名の惑星に住んでいた人類が宇宙への足掛かりとして、その衛星軌道上に建設したコロニー。

実はそれがこの都市の始まりである。

無限の宇宙への旅立ちを夢見ながら人々は、ポーラエーカを核に、その周辺に花弁のように資源供給の為の産業プラント都市を七つ配し、宇宙に小さな希望の花を咲かせた。

しかし、彼らの希望に満ちた営みを思いもしない方向へ押し流す悲劇が、やがて起こる。原因は未だ解明されていない。空間の変異とでも呼べばいいのか、彼らの花は、突然にして他には何も存在しない亜空間に飲み込まれてしまったのだ。

 

気が付いた時には、都市は分断され、プラント群はどこかへ流され所在不明という事態に陥っていた。勿論、元の空間に戻ることも出来ず、母星であるドゥルヴァとの交信も途絶え、彼らは彼らだけの力で、そこで生きていくしかないのだという現実を付きつけられた。

―― 絶望的隔離。

歴史書を開くと、最初の項目に書かれているその言葉の経緯は、そんなところである。

その後、オクトグランの人類は、多くの時間と多くの人命を失ったのちに、ようやく、亜空間を不規則に移動しながら、さ迷っていた七つのプラントの捕捉方法と、そこへの移動方法を確立することに成功し、ポーラエーカの再建を果たした。

 

つまり、この世界は隔離された、閉じられた世界。

千数百年の昔から、限りある資源の総量は決まっていて、使い続ければ無くなるだけという現実の前に、エネルギーのリサイクル方法が、かなり早い段階で確立した。元々、宇宙空間において、完全自立を目指して作られたコロニー都市であったから、永久機関の類と物質の完全循環システムは配備されており、それがオクトグラン存続の命綱になった。

それでも、エネルギーの消費に関しては、多くの規制が設けられている。一般の人間に関して言えば、社会に対する貢献度によって、その配分量が決められている。その辺の事情を考慮すると、セイヤのような見習いクラスには自転車あたりが妥当だという結論に至る訳である。

 

軽快に自転車を走らせて、街の中心部へ向かう。人の数も建物の数も格段に増えていく。そして視線を上方に向ければ、そこにはもうポーラエーカ行政府の高層ビルが見えた。この世界の中心という、シンボル的な意味合いも持つその外観は、堅牢にして壮麗。見る者を例外なく圧倒する言い様のない威圧感を感じさせる。

―― ここは、人の命を左右する場所だ。

任官式で師官章と共に授けられた言葉は、未だ緊張感を伴って、セイヤの中に刻みこまれている。自分たちがミスをすれば、それはそのまま、誰かの命を奪う結果を生むのだ。

かつて、自分が家族を奪われたように…

 

駐輪場に愛車を止めて、セイヤは改めてその入口の前に立ち、自分の上に圧し掛かって来るようなビルを見上げる。彼方に見える空は、今日は晴天の設定だ。光を孕んだその蒼さに、目を細めて正面に向き直ると、両手で頬を叩いて気合いを入れる。

「よしっ。今日も頑張るぞっと」

未だに、ここで気合いを入れないと、その緊張感に飲み込まれそうになる。半年に渡った研修も、もう今日で終わりだと言うのに。いつになったら自分は、この緊張感から解放されるのか。あるいは ―― 解放されない方がいいのか。

いつも以上にナーバスになっている自分に、思わず苦笑いしながら、セイヤは入口に吸い込まれて行くスカイブルーの波に身を投じた。

 

 


3
最終更新日 : 2011-06-16 10:32:02

2 エリートの聖域

タイムカードのレコードでは、ぎりぎり遅刻ではなかったが、地図師室に着くとすでに、見習いの教育官をしている崎杜(さきもり)師長補が、セイヤのデスクで待ち構えていた。

「お、はようございます…」

同じ研修を受けている同期の風花ミツバ(かざはなみつば)が、セイヤの姿を見つけるとたちまち眉間に皺を寄せる。

「おっそ~い」

「タイムカードを押した所で、力尽きちゃいましたかね」

そう言いながら、自分に向けられた崎杜のにこやかな笑顔は、嫌みなのか冗談なのか判断が付かない。

「いえ、そういう訳では…」

「セイヤっ」

ミツバが彼を睨みつけた。

「あ、っと。どうも済みませんでしたっ」

言って勢い良く頭を下げると、師長補の独特のゆるんとした気配と共に、

「始業十分前には、居て下さいね」

という言葉が届く。

「はい。済みません。明日から気を付けます」

ガミガミと怒鳴られる訳ではないのに、この師長補に言われると妙に堪えるのは何故だろうと思う。

「それでは、今日の実習の説明をします」

その一言で、セイヤはまたいつもの緊張感に包まれる。

「ご存じの通り、今日は、『予報日』です。よって、最終実習は、軌道予報室で行います」

―― 軌道予報室。

すでに予告はされていた。しかし、実際にその単語を聞くと、改めて身が引き締まる。

そこは、この世界の中枢である。世界を動かす、一握りの人間にしか立ち入ることが許されない特別な場所だ。

「君達には、実際に使われているシステムを使って、地図を描いてもらいます。まあ、システムの動かし方については、さんざん行ったシュミレーションと変わりませんから、それ程難しく考える事はありません。ただ…」

―― ただ…?

「適度な緊張は必要ですが、緊張しすぎはいけません。過度の緊張は、平常心を奪い去ってしまいますからね。技術の未熟さよりも、精神の未熟さの方が、事態を悪化させる要因になるのだと。それだけは、覚えておいて下さい」

「「…はい」」

セイヤとミツバが声を揃えて返事をすると、師長補は二人を安心させるように穏やかな笑みを見せた。

「それでは、行きましょうか」

師長補がそう言って歩き出す。それに引率されるように、セイヤとミツバが続く。

 

「…う~何か緊張するよね」

ミツバがセイヤの袖口を引っ張って、ひそひそ声で言う。

「何だろう、ああ、そう…何だかこれ、予防接種を受けに行く前、みたいな感じしない?」

注射が怖いなんて、子供みたいだ。そう思ったら、自然と失笑が漏れる。

「お前、緊張感なさすぎ」

「だからっ、緊張してるんだって言ってんの」

自分が笑われたことに気付いて、ミツバの言葉が尖る。

「じゃ、手でも繋いでてあげようか?」

「ばっ…」

―― その続きは、馬鹿野郎…?いや、こいつのノリだと、ばっかじゃないの…か?

 果たして、セイヤの隣を歩く乙女の心の叫びの正解はといえば、

―― ばっか、んなことしたら、余計に緊張すんだろうがっ!

だったりする。

霧月セイヤ、乙女心検定は残念ながら不合格。

 

「あんたのその緊張感のなさ、どうにかならないの?」

「緊張はしてるよ。いつでもね」

緊張はしている。ここにいる間はいつも。ここは、人の命を左右する場所だから。そんな風に言われて、気が抜ける筈がない。

「………」

「ん?」

いつの間にか、マジ顔になっていたセイヤをミツバが凝視していた。

「何だよ?」

「あ、いや…そんなシリアスな顔も…」

「するのか…? ったり前だろうが。こんなに勤勉な人間を捕まえて、緊張感ないとか言うお前が間違っている」

「勤勉な人間は、遅刻なんかしないのでは?」

「だから、遅刻じゃねぇって」

「レコード上はでしょ?」

「…だから…遅刻じゃ…ない…し」

何だか不毛な会話だ。

そう思いながらこの時、彼は帰りに目覚まし時計を買いに行こうと心に決めた。

 

一方の乙女…それは恐らく、『恋する乙女』。その心の声。

―― あ、いや、そんなシリアスな顔も、カッコイイ。とは、口が裂けても言えない。よな~~

どちらにしろ、両者、緊張感は良い具合にほぐれた様である。

 

 


4
最終更新日 : 2011-06-20 09:49:55

 

 【  軌 道 予 報 室  】

  

扉横にそう書かれたプレートを見て、セイヤは高まり掛けた緊張を、一度大きな呼吸をしてやり過ごす。崎杜師官補が腕のIDをスキャナーにかざすと、ピッという電子音と共に、扉が開いた。

 

まず目に飛び込んで来たのは、壁一面に表示されている無数のモニター画面。そこには世界中から収集されるさまざまな情報が、オンタイムで表示されている。部屋の中では数十人の師官たちがそれぞれの場所でコンソールを絶え間なく操作しながら、目の前のモニター画面を食い入るように見据えている。

セイヤは室内を一通り見回すと、壁面のモニターの一つに同じような画像が八つ並んで表示されている動画に目を止めた。それは、各都市に設置されている『ゲート』と呼ばれる巨大な物質転移装置のリアル画像のようである。先人が、多くの困難の末に作り上げた装置 ―― これにより、オクトグランでは都市間で物資の移動が可能になったのだ。

 

あの時 ―― セイヤはこのゲートのひとつで家族と離れ離れになった。

シャトゥラーラのゲートからポーラエーカへ送られた筈の貨客コンテナは、あるものは別の都市のゲートへ激突して大破し、あるものは恐らく亜空間に放り出されて、そのまま行方不明になった。破損したり、行方不明になったコンテナは数百にも及び、死者は数百人を数えた。行方不明になったコンテナのうち、人を乗せていたものはふたつ。恐らくユノはそのうちのひとつに乗っていた。そしてこの事故は、オクトグラン有史以来、もっとも多くの犠牲者を出した大惨事となった。

その原因は、転移座標の計算ミスとも、都市の移動軌道の予報ミスとも言われたが、結局、原因の特定は可能性の域を出ず、最終的な発表でも、はっきりした原因は明言されなかった。

 

亜空間に浮かぶ都市は、不規則に移動を繰り返し、その位置を変える。それが特定の周期で、同じ位置に留まる時期がある。通常、ゲートの使用は、都市周辺の空間が安定するその時期に合わせて行われる。

その時期と、都市の留まる位置を膨大なデータ分析による計算によって割り出すのが、

『軌道予報師(フォアサイト)』と呼ばれる師官たちである。

更に、その割り出された座標に合わせて、ゲートの転移装置の起動プログラムを構築するのが、

『刻印師(ラインメーカー)』と呼ばれる師官たちだ。

ちなみに、ラインメーカーという呼称は、彼らの作業によってモニター上に都市同士を繋ぐラインが書き込まれて行く様子から、そう呼ばれるようになったらしい。

 

都市のリンク予想図が完成した所で、セイヤたち『地図師(マップメーカー)』の仕事になる。

ラインメーカーの繋いだ都市それぞれの位置を考慮しながら、最も効率的な物資の移動方法を考えるのである。各都市から送られて来る物資のオーダー表を元に、物資を効率よく各都市に振り分ける。モニター上の地図に、物資を表す色とりどりのブロックを埋め込みながら、各都市に送る作業指示書を作成するのだ。

 

ところで、物資の移動が無事に終わると、古来からの慣例として、この時作成された地図は、アナログデータに変換され…つまり、手書きで紙に写し取られて、公文書館に保管されることになっている。文字通り、実際に地図を描く。だから、彼らは地図師という名で呼ばれるようになった。

その地図には、記録上必要なデータの他に、本来は必要のない装飾の類が描き込まれるというのも長く続く伝統で、地図師に絵心が必要だと言われるのは、実はそんな理由からだ。その装飾の腕も、地図師としての評価に影響したというのだから、昔の人は遊び心があったものだと思う。実際、そうして描かれた昔の地図には、今では芸術的な価値も付加される程に、絵画としても完成度が高いものが多い。

 

さて、こうしてフォアサイトによってはじき出された予報日までに、都市のリンクと物資の移動予定表は完成する。あとは、その日時に、『門管理師(ゲートキーパー)』と呼ばれる師官たちが、ゲートを適切に操作して、指定された通りに物資の移動を行うだけだ。全てが予定通りに進行すれば、都市は次の予報日まで、平穏な日常を謳歌することが出来る。だが ――

かつては当たり前のように、何事も無く行われていた、当たり前の行為。しかし、それは次第に、少しずつではあるが確実に、行う回数を重ねていくごとに、その精度が下がり始めた。始めは、数十年に一度の失敗だったものが、やがて数年に一度になり、今では年に数度という割合で頻発する。

フォアサイトのはじき出す都市軌道の予測に、毎回ズレが生じる。つまり、予報が当たらないのだ。その誤差は修正可能な場合もあれば、手のつけようのない誤報となる場合もあるという様にランダムに発生し、毎回、彼らの神経をすり減らしている。

そして、事の始めである予報が外れるということは、当然、それを元に行われる作業はすべて修正もしくは、やり直しということになる。

 

―― 今回は大丈夫か?

 

ほぼ二、三か月に一度といった割合に訪れる、その『予報日』。

この行政府は特別の緊張感に包まれる。

 


5
最終更新日 : 2011-06-20 09:50:33


読者登録

和里かりんさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について