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醜形恐怖(身体醜形障害)


 身体醜形障害(BDD)という心の病があります。
 これは、自分の顔の作りや輪郭などが醜いと悩む病気で、人前に出ることで周囲に不快感を与えるとまで悩んで外に出れなくなっていくまで症状が悪化する場合もあります。

 この醜形恐怖は、髪型や、髪の状態(薄くなっているとか禿げているとか)の見える部分だけではなく、見えない身体のあらゆる部分までが対象になります。

 そうした悩みの内容がそれなりに妥当であったとしても、それゆえに日常の生活が普通に過ごせなくなっていくことが問題なのです。人は自分の外見や身体の一部に悩みがあっても、人生を前向きに歩むことは出来ます。
 それが出来ないということが病気なのだと理解しなければならないのです。

 誰もが理想的であるにこしたことはありません。ゆえに、こうであって欲しい、もっとこうであれば・・・、と悩むことは正常といえば正常なことでしょう。
 しかし、問題は、そうした悩みがあることで、日常生活に支障をきたすことなのです。
 その悩みが解消しない限り、そのことが気になって何もできなくなってしまうことなのです。
 
 人は、努力の範疇を超えた解決不可能な、または多少の改善しか望めない何らかの問題を抱え持っているものです。身体的な問題に限らず、能力なども含めたいろんな不満があります。
 そうした諸問題に対してどのように向き合い対処していくかによって、その人自身の生き方が問われるところでしょう。

 外見的な悩みは誰にでもあるものです。余程のことがない限り、人に羨ましがられるような外見の持ち主でも、もっと欲が出てきて不満が生じ悩みが起こることもあるでしょう。
 顔に限らず、身体上のあらゆる面に完璧を求めるようになる人もいます。

 しかしながら、なぜこのように悩むようになってしまうのでしょうか?
 その答えは、このページまで読まれている方々にはもうお分かりかと思いますが、もう少し読み進んで下さい。

 以前、ファッションモデルとして
外国で活躍していた方が相談に見えました。
 ある症状が突然襲うようになり、現地の病院でも治療していても治らなくて、療養が必要といわれ東京に戻ったとのことでした。しかし半年経っても一向に症状が治らないので、私のところへ相談に来られたのです。

 
彼女の症状は、初めのうちは騒音恐怖症といって、周囲の物音が気になって苦しむ病気です。しかし、だんだんと時間が経つにつれ、自分の容姿に自信が持てなくなって、人の前に出れなくなっていったのです。鏡に映る自分の顔や姿さえも醜く感じて見るのが怖くなっていったのです。
 彼女が発症する原因は、もちろんストレスです。外国で、常に仕事をもらい続けて有名になっていくためには、様々な自己犠牲も強いられるのです。
 男性とのお付き合いも、どんなに嫌な相手でも応じなければならない日々が多くなっていったようです。しかし、その割には、満足できる仕事が入らないジレンマが大きかったようです。
 彼女は職業上、やせていなければならなく、きつい食事制限の下で生活されていました。スポンサーや関係者との会食やパーティなどの最中でも、食べてはこっそりとトイレで吐くということを繰り返していたのです。
 こうしたことも、栄養不足となり、脳内の必要なホルモンなどを作れなくしていたのです。その結果、脳は誤作動を起こし、人が悩まないことを、または軽くながせることを彼女は出来なくなってしまっていったのです。

 脳に必要な栄養が補えない生活の上での過剰な精神的ストレスが脳機能を異常にしていき、仕事を取るがための苦痛な生活への執着と努力、後に引きたくない状況の中で、自分の外見上の自信を失っていったのです。

 頭髪が薄くなってきて、抜け毛に悩み始められる方も多いです。
 しかし、その悩みが深刻化していく背景には、別の強いストレスが潜んでいることに目を向けて、そのストレスを作っている原因の解消が先なのだと自覚して欲しいのです。
 そうはいっても一般的に、そうした背後のストレスの重要性を認められない方が多いのです。なぜなら、抜け毛によって頭髪が薄くなっている現実にのみ意識がいって、怯えてしまうのです。それは現象面にのみ脳の過剰反応が生じているからです。

 脳が過剰反応や誤作動を起こしていると、理性的な思考が出来なくなっていき、目の前の気がかりな問題のみが誇張されて精神的に苦しむようになっていきます。

 ほとんどの人は、聞く耳を持てなくなって、背後のストレスには目を向けまいと抵抗します。
 なぜなら、その人の無意識が、背後のストレスの原因に焦点を当てることを避けているからなのです。いわゆる、触れたくない触れられたくない問題なのです。

 こうした症状に陥る人の傾向として、背景にはOCDの気質もあります。それゆえに改善していくのに時間がかかりやっかいな場合もあるのです。
 
 無意識が拒絶する背後の問題とは何でしょうか?!

 それは、子供時代の人生の中で、親の期待に応えられなかったり、自分自身の願いが叶わなかったり、認めてもらえない状況で苦しんだりと自分を何かの理由で否定的に捉えるようになった根深いストレスが背景にあるのです。

 そうした過去の心を解消しないままでは、たとえば整形手術で顔などをどのように変えても満たされるものではありません。

 何度も整形を繰り返した後に、相談に来られて、元に戻して欲しいと泣きながら訴えられていた人がいました・・・
 
 子ども時代からの辛く悲しい思いの感情などを、癒すために立ち止まり静かに見つめ直す時間が、人によっては必要なこともあるのです。



依存性障害(共依存)


 幼い頃から寂しい思いを抱きながら育ってしまうと、自分の心の欲求を埋める為に、人から自分を必要とされるような生き方になっていきます。
 自分が必要とされているという実感、人から感謝されることで心が満たされ癒されるのです。
 それは、幼い頃に親によって十分に満たされなかった寂しく辛かった心なのです。
 
 まだ、人生も世間の事情も十分に分かっていない幼い頃から、母親と関わるために、自分が母親にとって必要な存在であるために、母親の愚痴を聞いたり、母親の苦悩を垣間見ながら心を痛め、幼いカウンセラーとして生きるしかないような苦しい時を過ごすケースもあります。

 また、相手を縛ること、束縛することで安心するような行為の無意識的な衝動にも特徴があります。
 相手のことを愛しているからいつも心配している・・・。

 常に相手の心を自分の方に向けていなければ安心できないのです。
 自分では相手に対する愛情と勘違いして、相手を激しい嫉妬で束縛していきます。
 嫉妬・・・単に相手を束縛しているだけの嫉妬は愛情とは言えません。
 嫉妬して束縛しないとおれない心情の背景には、相手を失うことへの強い不安があるのです。こうした不安は、幼い時の母親との母子間の分離不安や、その後の報われない寂しい心情のさらされ続け我慢して過ごすことから生じてきます。
 
 しかし、相手を失うことへの無意識のからの不安は、常に相手の動向を把握し、自分の範疇に留めていて、常に必要とされていると感じられる関係を保っていなければ強い不安と落ち着かない心情にかられていきます。それゆえに、相手を縛って置くしかないのです・・・。
  立場が互いに違っても、互いに依存し合う傾向で関わることを共依存といいます。

 人は、生まれもっての様々な性格傾向があります。
 気質と呼ばれる遺伝的なパーソナリティーの多様性です。

 人の役に立っていることで、自己の存在価値を満たそうとする傾向をもう少し見つめてみましょう。

 子ども時代一緒に過ごす同級生など、人との関わりによって人の心の多様性と生まれつき置かれている環境の違いを学んでいくものですが、寂しい思いをして育ってきた子どもは無意識に自分の心を満たす為に、人の役に立つような役割を担っていきます。

 人の役に立つ行いは立派なことであり悪いことではありません。しかし、問題なのは、人の役に立つような思いを抱き相手のために尽くしながら、自分の心が満たされずに苦しんでしまうことです。
 相手が自分の思うようになってくれないと裏切られたような気持になったり、自分の力が十分ではないという無力感や寂しさに襲われることです。

 自分の心という世界の枠を超えて、人の心情を把握し理解することは、知識を学び経験を積んでいなければ無理なことです。

 一般のカウンセラーでさえ、学んでいても自分の考えをクライアントに押し付けてしまうことがあるように、ましてや素人では個人によって複雑な心の傾向を捉えることは難しいでしょう。
 それゆえに、自分と傾向が似たよな仲間が集まって、互いが理解し支え合うという居心地のよい仲間が集まる集団が出来上がります。
 そうして、互いに相手を失わないために、縛り合って過ごすことにもなっていきます。

 相手を縛ること、自分の願うような存在でいて欲しくて独占することは、真の愛情ではありません。しかし、自分の心を満たすために、互いに相手を必要としていることが分かっているだけに、無意識的に縛り合っていくのです。

 そうした互いの暗黙の要求と束縛が結局は互いの心を苦しめることになっていきます。

 母と子どもとの関係において、互いの性格が似通っている場合は理解しやすいのですが、たまたまそうではなかった場合に、互いの心が相手に通じずに不満を抱き苦しむこともあります。
 本能的に子どもは母親を必要とし求めます。しかしそうした愛着が希薄な性格の親も存在します。希薄ではなくっても、心が要求する内容や深さがに違いがある場合もあり、子どもは親の気持ちを誤解して自分は愛されていないと受け止めることもあります。
 
 両親の仲が悪い場合や、何かの事情で母親の機嫌が悪い日が多い場合など、子どもは母親に関わろうとしますが、どこかでそれも諦めていきます。
 このような、親からの愛情を諦めていく場合はそれを埋め合わせるために、何か代わりのものを見つけようとしますが、それが趣味やスポーツなどであればまだ救われますが、人間関係に求めていくと、過剰になり過ぎて「そこまで望んでない」と拒絶されたり「おせっかいやかないで」と嫌われたりするケースも生じます。
 
 自分の親に必要とされない寂しさが、誰かに必要と感じられ感謝されたい衝動に駆られていくのです。

 ひとり川の土手に座り、川の中で流されまいと存在している1つの石を眺めながら、ひとりぼっちで寂しいだろうな・・・とその石に感情移入をしてしまうことさえあるのです。

 親の心から見れば子どもの要求が“甘え”と映っても、子どもの性格によっては、甘えではなく“深刻な要求”になるのです。
 親の性格と子どもの性格の違いが大きい場合ほど、互いの理解に隔たりが生じ問題は深刻になっていきます。

 子どもは親に理解されないまま、ある段階で求めることを諦め、心に大きな傷を残して成長していきます。
 
 幼い頃から作られていったそうした心の傷は、子どもの成長過程の脳に深く痕跡を残し、成長後の人間関係や感情の表出に、共依存やその他の依存としてはっきりとした傾向を示すのです・・・。


リストカット、摂食障害 etc.


 子どもが親に対して望んだ愛情を十分に満たすことができなかった結果として、自傷行為へと繋がる場合があります。
 リストカットや摂食障害などに代表される、無意識からの訴え・・・。


直接親との関わりが連想されないような状況下におけるリストカットなどの自傷行為もあります。

 交際している相手との喧嘩や別れなどという、それを行った時の環境が、どのようなストレス状態に置かれていたかという現実的な問題があったとしても、それは単なる行為に走らせた誘発原因でしかありません。

 そうした、今現在の表面的な原因に惑わされてはいけません。誰もが、精神的苦痛を受けたら、自傷行為をするものではありません。行為を駆り立てる背景に目を向けて、解消しなければ意味がなく繰り返されるのです。
 
 親は子どもを愛しています。
 しかし、それは親なりの愛し方であり、子どもにとっては多くの不満を残している場合が多いのです。

 子どもは、自分が親に十分に愛されていない、愛されなかったと不満を抱きます。
 特に母親に対しそうした感情を本能として抱きます。

 家庭内は様々な事情があります。どのような家庭環境が理想的なのかという議論よりも、2人の男女が創り出す家庭という世界は2人の人生なのです。
 しかしそこに子どもが加わることで、悲しいかな不幸が生じることがあります。

 本来なら、子どもが生まれ、人生がさらに豊かな彩りが増していくものです。
 夫婦だけでは経験できない、子どもを介した人生は、何物にも代え難い価値があります。しかしながら、子どもとの関わりを楽しめない性格の親や、生活上の事情で子どもとの時間の共有を諦めるしかない場合もあるでしょう。
 
 いちばん深刻なのは、親の子どもの生まれ持った性格のズレが大きくて、互いに理解しにくい場合です。当然ながら、親子間に誤解と不満と絶望感が生まれます。

 子どもから見れば、「なぜこうしてくれないの!」とか「かまって欲しい!」とか望んでいても親にはそのような気持が届かないのです。
 子ども自身が、我慢しなければいけないと思って、親から評価されもっと注目して欲しくて頑張っているケースも多いのです。単にいじけてわがままをぶつけていつも叱られているというケースもあるでしょう。

 親から見れば、「子どもの将来をちゃんと考えて、十分に愛情を与えてかわいがっている親の気持がどうして分からないの?」ということになるでしょう。しかしながら、それは親の性格や価値観による判断基準でしかないので、子どもには不満が生じている場合が多いのです。
 場合によっては、一生懸命に子育てをしているのですが、本当は精神的負担と戦いながら子どもと触れ合っている場合も少なくありません。
 
 親子関係は、親の生まれ持った(遺伝的)性格と親自身が育った環境によって形成された無意識からの反応による関わりとなっています。

 致し方ない様々な事情はさておき、子どもの心に不満が強く生じた場合、それがリストカットや摂食障害を生み出すのです。
 子ども自身意識化されていない感情の葛藤が、自分自身を傷つけることで、無言の訴えと自らの癒しを求めているのです。

 子ども時代に親子関係での愛情面に不満を抱いて育ったその子どもは、十分な自我が形成されることなく、精神的に不安定な傾向が身に付いてしまいます。
 
 自分が人に好かれていない愛されていないと感じないために、異常に人に気を使い、周囲を観察し、いじけながらも周囲と妥協し、常に自分を必要足されたいと願い続け、人をとの関わりにおいて自己主張ができない、人に見放されることを怯えた受け身の人生となっていくのです。
 
 もし、自分を大事にしてくれる人、愛してくれる人が現れても、失うことが不安になって、「どうして私のことを好きなの?」「もっといい人がいっぱいいるでしょ?」「本当に私であなたは満足なの?」と聞きたくなってしまうのです。
 そして、どんなに相手が十分に満足させてくれる返事をしてくれても、また次の瞬間に不安になってきます。そうして、さらに何度でも安心させてもらえる言葉や態度を要求するまでになる場合もあります。
 
 このような精神状態で苦しむ場合は、子ども時代に満たされなかった過去の環境を冷静に客観的に見つめ直し、過去のトラウマを清算していくと同時に、無意識の感情の歪みを理性的に理解し修整する必要があります。
 そのために、催眠性トランスでの心理療法は非常に効果的なのです。

 悪化させたら、自分の意志や決断だけで治せるものではありません。専門家の手助けが必要になります。


 

前世療法

 
 果たして、人は生まれ変わるものでしょうか?!

 哲学的、宗教的な見地で議論するつもりはありません。
 人は自分が信じる世界に生きていて良いと思っています。 
 
 前世療法といって、
 催眠状態の中で、現在生まれる前の人生を再体験することが出来ます。
 正確に表現すれば、生まれ変わる前の人生を垣間見ることができる人がいます。
 催眠状態で見た世界が本当にその人の生まれる前の人生なのかを実証することは難しいものです。
 過去において実証しようとした人も多くいますが、全ての疑問を実証することはできていません。

 催眠下において見ている人生のドラマは、脳が創り出したドラマの世界かもしれないのです。
 しかし、注目しなければならない重要な要素もあるのです。
 それは、何らかの心の問題や病で苦しんでいる人が、たとえ催眠状態で作り出した無意識のドラマであったとしても、過去世(前世)で生きていた時の自分の人生を追体験することで、症状が治ることがあります。
 自分の今とは違う人生を垣間見ることで、そこから学ぶことが出来ます。
 催眠下で感じる思考は、瞑想(座禅)の境地における“悟り”のように直感的に学べるのです。

 前世とは、今の生まれる前の人生で、過去世とは、何度も生まれ変わりを繰り返した人生の内の1つの人生として表現します。

 脳が創り出したイメージなのか、本当の過去世の記憶なのか、実証しようがなくても、価値を生み出すことが出来ることがあるという事実は無視できないと思っています。

 私たちに、肉体以外に魂の存在があるとすれば、過去世(前世)は魂の記憶なのです。
 そうした魂の記憶を、現在持ち合わせた自分自身の脳を介してイメージとして再体験しているといえます。
 もし、私たちの日常の思考に魂からの働きかけが可能だとすれば、現在の人生もまた、過去世の人生に似たような心の傾向や思考・判断にも同じような癖が存在するともいえるでしょう。

 私たちは、この世で肉体を失った時、魂が残ることは絶対に無いと断言することはできません。
 魂の存在を否定できない限り、魂は存在するともいえるのです。
 前世療法とは、そうした魂から学ぶことでもあります。
 ゆえに、前世における魂のトラウマが原因の症状は、現在の生きている当人の脳に直接的な傷を負わせていないので、簡単に解消させることが出来ます。

 しかしながら、前世があるように、魂があるように感じてしまうのは、単に脳のプログラムされた本能と同じような働きが、そのように思わせている(錯覚)だけなのかもしれませんが・・・。
 
 私たちが存在するこの世界は、まだ実証することができずに分からないことだらけともいえます。
 実証できなくても、科学的に検証できなくても、否定はできないのです。
 私たちの脳自体も、物質によって作られた神経細胞が脳内だけは特異な働きをして、心という世界を作り出すのです。
 物質が心をどのようにして作り出しているのかということを説明するためには、今後の新たな理論の確立を待たなければならないのです。

 私たちの心の世界は、神秘に満ちた小宇宙なのです。

 このような例があります。ある薬剤師の男性が、どうしても歯の治療ができないので治して欲しいとの相談です。
 口の中に金属の器具が入ることに対する異常な恐怖感を訴えられていました。
 
 もちろん、幼児期からのトラウマを時間をかけて探しましたがこれほどの恐怖を作り出す原因は見つかりませんでした。
 
 最後の手段として、前世に遡りました。
 すると、彼は前世でアメリカ兵として生きていました。
 彼はすごく臆病な自分に嫌気がさして、ある日自殺を図ったのです。拳銃の銃口を口の中に入れて引き金を引いてしまったのでした。しかし、即死できずに苦しみながら死んでいった記憶が蘇ってのです。皮肉なことに、彼の口の中の銃口が引き金を引く指の力で下を向いてしまい、喉を打ち抜いてしまったようでした。出血多量で息を引き取る間の苦しみながら噛み締めている口の中の銃口の金属の感覚が、魂の記憶の中に残っていたようです。

 
 このことを解消してから、彼は翌日意を決して歯の治療を受けることが出来ました。

 前世療法は、単に過去世の記憶を忘れさせるのではなく、そのような行為に走った自分自身をしっかりと見つめ直し当時の心の修正を加えるのです。
 
 私は、魂のトラウマを解消することだと思っています。


 そのためには、魂の中の人生観としての哲学や間違った思考や思い違いを修正してやる必要があるのです・・・。

前世療法



◆◆◆ ◆◆◆

 

これより以降は現在執筆中です。

今後、完成までは、

以前に書いた内容や表現などを書き換え、加筆することは十分にあります。

この電子書籍はできる限り読みやすく書いていきますので、

語彙を含め、詳細な内容が必要な部分に関しては、

もっと詳しい説明へとリンクさせます。

 

そうしたリンク先の原稿も常に最新の情報をもとに

加筆、追加、改新していきます。

 

時間をかけじっくりと完成させていきますので、

完成まで、温かく見守ってくださることを心よりお願い申し上げます。

また要望や不備な点がございましたら、

ぜひ、書き込みやメールにてご連絡いただければ幸いです。

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マインド・サイエンス

井手無動(IDE MUDO)


 最近、紙の出版の著書原稿を書き終えたので、電子書籍の原稿を手がけています。

これに関しては、簡単に読んでもらえるようにして、もっと深く関心を持っていただける部分に関しては、解説、資料、詳細説明などのサイトにリンクさせるように進めています。電子書籍の可能性の第一歩を踏み出してみます。(twitterより)

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